モーツァルトの白鳥の歌 
クラリネット五重奏曲 / ピアノ協奏曲第27番 / クラリネット協奏曲 / 弦楽四重奏曲第23番 他

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クラリネット五重奏曲/取り上げる CD 11枚:ボスコフスキー/プリンツ/ランスロ/ダインツァー/カルボナーレ/ボイキンス/ライスター/キング
/ナイディック/シフリン(チャンバー・ミュージック・ノースウェスト/エマーソン)

ピアノ協奏曲第27番/取り上げる CD 11枚:クラウス/グルダ/ピリス/デ・ラローチャ/シフ/オコーナー/シェリー/モネッティ/グード
/プレスラー/アンデルシェフスキー/(ギーゼキング/ハスキル/カサドシュ/カーゾン '64/'70 はこちら
                                                              
   スワン・ソング、「白鳥の歌」という言葉がありますが、紀元前3世紀ごろのギリシャで言われて以来、シェークス ピアをはじめ文学等に何度も登場してきました。白鳥(コブハクチョウ mute swan)は滅多に鳴きませんが、死ぬ前に一度だけ美しい声で歌うということから生まれた言葉です。今はその生態は事実でないことが分かっていますが、作 曲家や演奏家が生涯の最後に作ったり演奏したりした曲という意味でイディオムとなっています。
 死を前にすると、人は分かるものでしょうか。他人のことならその姿が黒く見えるか薄っぺらく見えるかして「あの人死ぬよ」と言い当てる人もいますが、今 度の8のつく日にお別れだ、と宣言してその通り死ぬ人もいます。一方でより直前に分かる人は普通にいるようで、 わが父親も動けなくなった体で握手を求め、 その明け方に亡くなりました。一説によと、死を受容した人は 意識がクリアになり、大分前から死期がわかるというのですが、本当でしょうか。本来は誰しもが無意識では分かっ ていながら自覚できるかどうかの違いなのかもしれません。

 有名な作曲家の最後の作品は、たとえばバッハならフーガの技法と音楽の捧げ物です。バッハは必ずしも晩年になって独特の味が出るという種類の作曲家では ないかもしれませんが、音楽の捧げものはちょっと物悲しい曲です。ブラームスも第四交響曲とピアノ間奏曲あたり が最晩年の作らしいと言えるでしょうが、や はり少しもの悲しいような諦めの音を響かせます。それに対して ベートーヴェンは弦楽四重奏曲第16番が絶筆ですが、明るくふっきれたと ころと静けさを兼ね備えた独特の境地を聞かせます。響きは違いますが、それと似た方向で軽く透明な浄化の波長へ と向かった代表がウォルフガング・モーツァルトでしょう。ただ静かなだけではなく、きらめきも感じます。
 35歳にして死んだモーツァルトは、死の直前まで軽口をたたいていたようですし、先の計画について話していた内容からするとすぐに死ぬとは思っていな かったふしがあって暗殺説も出るのですが、一方でその作風は死の二年ほど前から澄み渡り、無意識は 準備を始めていたようです。ことわざでは白鳥は最後に一度鳴くわけですが、それをスワン・ソングズ、と複数形に してもいいでしょうか。ケッヘル581のク ラリネット五重奏曲あたりから最後の626のレクイエムまで似た波長の曲は何曲もあり、この作曲家の最も美しい 作品群だと思います。中にはグレン・グール ドのようにモーツァルトの後期の作品を評価せず、初期の方がいいと言う人もいなくはありませんが、多くの聞き手 はこの晩年の作品に独特の美を感じるのでは ないでしょうか。

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クラリネット五重奏曲 K.581(CD聞き比べ11枚)

 友人のクラリネット奏者、アントン・シュタードラーのためにクラリネット協奏曲とともに書かれたもので、モーツァルトの室内楽の中でも最高傑作の呼び声 が高いものです。オーボエほど強弱で音色は変えないものの、クラリネットのやわらかく漂うような音はこの時期の 作曲家の声をよく伝えるもので、最初の楽章 からゆったりとした中にどこか懐かしさを覚えます。第二楽章のはかなさに安堵の混じったような美しさも協奏曲と ならんで格別です。



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       Mozart   Clarinet Quintet K.581
       Alfred Boskovsky  Vienna Octet

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       Mozart   Clarinet Quintet K.581
       Alfred Prinz  Wiener Kammerensenble

モーツァルト / クラリネット五重奏曲 K.581
アルフレート・ボスコフスキー ウィー ン八重奏団員
アルフレート・プリンツウィーン室内合奏団
 名曲だけあってCDはたくさん出 ています。指揮者のフルトヴェングラーやピアノのバックハウス、チェロのカザルスといった人た ちと同じ意味で神格化されている往年の名手は、レオポルド・ウラッハでしょうか。ウィーン伝統の流儀で、モノラ ル時代の名盤として通っています。 ステレオになってからのものでは、その弟子であるアルフレート・プリンツと、指揮者ウィリー・ボスコフスキーの 弟であるアルフレート・ボスコフスキーの盤 があります。このあたりのウィンナ・クラリネットの音色はどれも素朴ながらまろやかで、ウラッハはリードが厚 かったと言われるものの、私には録音の差を超 えてまで奏者の音の違いがよくわからないというのが正直なところです。演奏の方は違いがあるのですが、それすら も同じ奏者の違うセッションだと言われても 納得してしまいそうです。あえて比べるならば、プリンツとボスコフスキーではどちらも遅くないテンポながら、プ リンツの方がやや速く感じ、対してボスコフ スキーの方がいくらか遊びを感じると言えるでしょうか。音色はウィンナ管独特のやわらかさがありながらどこかに 芯がある点で共通しているものの、 録音の加減かプリンツの方がややオフに聞こえ、ボスコフスキーの方が多少鮮明です。

 ボスコフスキーの録音はステレオ黎明期の61年ですが、当時のデッ カの室内楽は優秀で、エオリ アン四重奏団のハイドンなどと共通して弦の中域に明るい艶が乗り、高域があまり鋭く強調されないバランスのもの です。吹き方も休符の間をたっぷり取る方で はありませんが、快活で精力的な面も持ちながら流れるような呼吸がありま す。一方プリンツは79年収録ですが、録音バランス上中高域の出方と残響が若干自然でないような気もして自分で調整をかけたくなりました(お気に入りの一 枚としてやってはみたのですが、実際は無理でした)。そしてこれも演奏の本質にはなんら関係ありませんが、第一 楽章の出だしで弦が一箇所音程を外すところ があり、毎度そこ耳が行ってしまうということもあります。プリンツは協奏曲では最高の盤ですし、演奏自体はこの五重奏も文句なしですが、ウイーン流儀の演奏では、私は僅差でボスコフスキーの方 をとります。バックはウィーン・フィルを母体としたウイーン八重奏団員が努めています。



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       Mozart   Clarinet Quintet K.581
       Jacques Lanscelot   Quatuor Barchet

モーツァルト / クラリネット五重奏曲 K.581
ジャック・ ランスロバルヒェット四重奏団
 ウラッハと並び称されるのはフランスのクラリネット奏者、ジャック・ランスロです。この人の音はフランスの オーケストラでフランスの管がいつも独特の音を奏でるように、いかにもフランス流です。大変 特徴のある倍音の明るい音で、リードのデリケートな震えがよくわかります。フランス人は耳の構造か聴神経が少し 違うのかと思う ほど個性的ですが、大変好きです。演奏の運びとしてはリズム がしっかりしており、テンポも一つひとつ明確に音を鳴らして行くゆったりしたものです。どの楽章も同じ傾向なので相対的に第二楽章だけがたっぷりと遅くは感じられません。フ ランス流儀だからといって流れるような抑揚がついたり波打ったりという方向ではなく、真面目な感じがしま す。残響は少なめです。 



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       Mozart   Clarinet Quintet K.581
       Hans Deinzer   Collegium Aureum

モーツァルト / クラリネット五重奏曲 K.581
ハンス・ダインツァーコ レギウム・ アウレウム合奏団員
  廃盤になってますが、まだ市場に出回っているコレギウム・アウレウム合奏団員による演奏もいいです。これは 古楽器の楽団なので、クラリネットを吹いている ハンス・ダインツァーの楽器も相応のものだと思います。ランスロほどではないですが個性的な音で、高音に オーボエのような細さがあるところがフランス風にも聞こえます。演奏はゆっくりと抑揚をつけて歌うところが 魅力的です。76年の録音ですが、音も毎度ながら響き素 晴らしいです。古楽器の弦の音も特徴的です。この団体はいつも演奏を楽しんでいるようなところがいいので、 安定して手に入る状態になってほしいです。



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       Mozart   Clarinet Quintet K.581
       Alessandro Carbonare   Luc Hery, Florence Binder (vn), Nicolas Bone (va), Muriel Pouzenc (vc)

モーツァルト / クラリネット五重奏曲 K.581
アレッサンドロ・カルボナーレリュック・エリ、フローランス・バンデル (vn)
ニコラ・ボヌ (va)ミュルエル・プーザン (vc)
 吹きっぷりの見事さでひときわ目 立っているのがアレッサンドロ・カルボナーレの演奏です。パルメジャーノ・チーズの濃厚なカルボナーラ・ス パゲッティは好物ですが、このタリアの若手の演奏もクリーミーな味わいがた まりません。ベルギーの奏者ワルター・ボイキンスに学んだ人のようですが、ハルモニア・ムン ディ・フランスからリリースしています。なによりも弱音が大変美しく、力を入れずに吹きながら、どこかに支えが あるかのように安定している様は不思 議です。息長さも余裕を感じさせま す。相当に肺活量があるのでしょう。その全 力で吹き切らずに制御している様はハイパワー・アンプでボリュームを絞っているような印象です。第二楽章ではロ マンティックな抑揚が大きいというわけでは ありませんが、当たりがやわらかくて漂うような静けさがため息の出る美しさで、弦楽の一致した波長もあって白鳥 の歌と呼ばれるこの曲の魅力を最大限に引き 出しています。目下のところこの曲の演奏で一番のお気に入りであり、少なくとも後で紹介する二枚と合わせてベス トの一枚と言えます。同じ楽章の後半では独 自の装飾音譜も入り、それがまた自在さも感じさせます。私は素人なので技術的なことは分かりませんが、ブラン ド・ネームに影響されずに聞くならば、この人 の実力は相当なものではないでしょうか。同業者なら嫉妬するかもしれません。



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       Mozart   Clarinet Quintet K.581
       Walter Boeykens   Ensemble Walter Boeykens

モーツァルト / クラリネット五重奏曲 K.581
ワルター・ボイキンスア ンサンブル・ ワルター・ボイキンス
 その師にあたるワルター・ボイキ ンスの演奏も同じハルモニア・ムンディ・フランスから出ています。こちらは独特のテンポ・ルバートというの か、大きくはないものの、時間軸方向の微妙な揺れにセンスを感じます。フレンチ=ベルジアン感覚なのでしょうか。それ以外ではまったく過不足 のない理知的な演奏だと思います。これも大変上手な人という印象です。



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       Mozart   Clarinet Quintet K.581
       Karl Leister   Berliner Solisten

モーツァルト / クラリネット五重奏曲 K.581
カー ル・ライスターベルリン・ゾリステン
 上手という点ではドイツのクラリ ネット奏者、カール・ライスターかもしれません。この人は何枚もこの曲を出していますが、私は88年のテル デックの盤を持っています。さらっとしていて正確な時計のようで、テクニックとい う点ではパーフェクトでしょう。それを支える鋭敏な耳を持っているのだろうと思います。何度も録音しているとい うことも、要求度の高さを表しているのかも しれません。この人からすれば他の演奏は下手くそに聞こえるのではないでしょうか。コレギウム・アウレウムとは 反対でピリッと張り詰めた空気があるので個 人的にはあまり好みの方向ではないですが、シャンペンのドン・ペリニオンの味が正統派なように、演奏としての完 璧さを求めるならこのCDでしょう。音色も あっさりとした正統派の味わいです。クラリネットの正統がなんたるか、よくわ からないのですが。



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       Mozart   Clarinet Quintet K.581
     Thea King   Gabrieli String Quartet

モーツァルト / クラリネット五重奏曲 K.581
シア・キングガブリエリ弦楽四重奏団
 モーツァルトの時代のクラリネッ トは、 正確に言えばバセット・クラリネットでした。バセット・ホルンを参考に作られたもので、A管クラリネットよりも音域が下に拡張されている分、音も太いと言われます。モーツァルトがその人のために作曲したアントン・シュタードラーも開発、もしくは改良に関わっていたようで す。その復元されたバセット・クラ リネットの演 奏で最初の頃のものに、イギリスのシア・キングの盤があります。クラリネット協奏曲とカップリングになっていま すが、この人の演奏ではクレッシェンドに伴 う音色の変化に魅せられます。クラリネットという楽器は音の強弱で固さ柔らかさが大きく変わるところが魅力です が、音色が変わる度合いはむしろオーボエな どの方が大きいと思います。しかしここではそれが変化するように聞こえるのです。音の傾向はバセット・クラリネットに共通するのかどうか分かりませんが、硬めの輪郭がありながら、広がって行く ときにやわらかさを感じます。吹き方は抑揚をよくつけてゆったりと歌っています。85年のデジタル録音で す。



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       Mozart   Clarinet Quintet K.581
       Charles Neidich   L'Archibudelli

モーツァルト / クラリネット五重奏曲 K.581
チャールズ・ナイディックラルキブデッリ
 アメリカのクラリネット奏者、チャー ルズ・ナイディックとチェロのアンナー・ビルスマを中心に結成されたアンサンブルの演奏です。ルーシー・ファ ン・ダール(シャコンヌのページで取り上げま した)がヴァイオリンで、バセット・クラリネットと古楽器を使った92年の録音です。ピリオド奏法特有のややつ ま先立って走るような運びはみられるものの 自然であり、それがかえって軽やかさを添えています。ガット弦 の倍音の響きはやはり気持ちよく、こ のバセット・クラリネットも低域側にレンジが伸びたというよりも、 むしろ音色に華やかさがあるような印象です。強い音や高音の速いパッセージでややハスキーな音を聞かせるところがあり、それが独特の明るさにつながってい るようです。深々とやわらかい音というのとは違いますが、弦楽器の音色ともマッチングがとれています。全体に軽 快なテンポはアクセントの多彩さと相まって 楽しく、モーツァルト晩年の日常を、次で紹介するシフリンなどのロマンティックな抑揚とは違った方向で、むしろ 何気なく表現しています。第二楽章の消え入る 静けさと、カルボナーレとはまた違った羽が風に 浮いているような軽さも特筆すべき点でしょう。途中で自在な装飾音符も加わります。第三楽章 のおどけたリズムも面白く、コレギウム・アウレウム盤と並んで数少ないピリオド楽器の好演だと思います。

 他にも軽快なクラリネット四重奏曲 K.378(317d)と、ピアノとクラリネット、ヴィオラのための三重奏曲 K.498(ケーゲルシュタット・トリオ)がカップリングされており、後者ではレクイエムの改訂スコアで有名なロバート・レヴィンがフォルテ・ピアノを弾 いていて、ライナーノートも書いています。ケーゲルシュタットとはボウリングの前身で、モー ツァルトがボウリングを楽しみながら作ったという説もあるそうですが、レヴィンはこの説には否定的なようです。ヴィオラはモーツァルト自身が弾くことを前提にしており、シュタードラーたちと 楽しむための曲だったのかもしれません。この三重奏曲はなかなか魅力的です。



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       Mozart   Clarinet Quintet K.581
       David Shifrin   Chamber Music Northwest

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       Mozart   Clarinet Quintet K.581
       David Shifrin   Emerson String Quartet

モーツァルト / クラリネット五重奏曲 K.581
デヴィッド・シフリン チャンバー・ ミュージック・ノースウェスト
 アメリカのクラリネット奏者、デヴィッド・シフリンの演奏は、カルボナーレとはまた違った意味で見事です。性質が違うものには甲乙はつけがたく、目下の とこナイディックと三つどもえでこの曲の ベスト・パフォーマンスだと感じています。漂うような静けさのカルボナーレ盤、羽のように軽く自然なナイディッ ク盤、たっぷりと歌うシフリン盤といったところでしょうか。

 シフリンもここでバセット・クラリネットを使っているようです。モーツァルトの時代のものを復元した楽器で、「音域を拡大したクラリネット」と表記されています。前記のシア・キングが85年 3月の録音でバセット・クラリネット初の CDのように受けとめられていましたが、一般に認識されているのとは違って84年のこのシフリン盤の方がオリジナル 楽器としては先の録音だったことになるでしょうか。同じくバセットとは表記されていないダインツァーの古楽器が 何なのかわからないのですが。
 
 さて、その演奏なのですが、カルボナーレが安定した肺活量を活かして弱音を滑らかに延ばす技に長けてお り、それが息を呑むような静けさを感じさせていたのに対して、シフリンはそよ風になびく木々の葉のように穏やかです。それはカルボナーレに対して不安定と いう意味ではなく、小節の終わりや楽想の変わり目でのリタルダンド(だんだんゆっくりになる)やルバート(部分 的にテンポを弛める)、自在な強弱によって そう感じるようです。ゆったりしたテヌート/レガートの表情が目立ち、有名な第二楽章の アダージョも、浸り過ぎかというぎりぎり手前まで延ばす協奏曲ほどではないにせよ、よく歌い、穏やかにして 濃い味わいです。

 シフリンはこの後97年にグラモフォンからエマーソン弦楽四重奏団と再録音をしており、そちらはブラームスの五重奏とのカップリングですが、このデロス盤に比べると若干表現が引き 締まり、節度を保っていて、音も元気な方へ とシフトしているように聞こえます。録音もグラモフォン特有の中域の張ったもので、クラリネット自体も太い音に 聞こえます。演奏としてはちょっとした気分の違いだと思いますが、私は穏やかさに満ちた旧盤の方 をとります。録音もデロス盤はきれいな残響の中に繊細さがあります。

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弦楽四重奏曲第23番 K.590

 プロシア王セットと呼ばれる一連の弦楽四重奏曲の中の最後の曲です。出だしでは三段階に頭を持ち上げて弧を描いた噴水が突 然途 切れて落っこちるような音がユーモラスですが、ハ長調に直せば単純なドミソにあたるユニゾンで始まっておきながら、 展開部あたりからすでに白鳥の歌の空気を感じます。第三楽章の区切りでヴァイオリンがひときわ高い声をあげると ころ など、まさに一声鳴いているような澄み切った美しさです。

* プロシア王セットは21番〜23番までですが、セットに含まれない20番とともに下記の四重奏団は全曲を同時期に録音しています。ここでは23番で代表さ せますが、残りの曲の演奏も同じ水準です。



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       Mozart   String Quartet No.23 'Prussian No.3' K.590
      Alban Berg Quartet '76

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       Mozart   String Quartet No.23 'Prussian No.3' K.590
       Alban Berg Quartet '89

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       Mozart   String Quartet No.23 'Prussian No.3' K.590
       Kuijken Quartet

モーツァルト / 弦楽四重奏曲第23番 K.590
ウィーン・アルバンベルク四重奏団 ('76
クイケン四重奏団

 演奏はウィーン・アルバンベルク 四重奏団のものと、クイケン四重奏団のものをあげます。 前者は二度録音されており、テルデックとEMI から出ていますが、第2ヴァイオリンとヴィオラのメンバー交代によって若干違いはあるものの、どちらも完成度の高い演奏です。前に録音された76年のテルデック盤の方が表現と音がわずかに鋭いようで、緩徐楽章は逆によく歌っています。後で録音された89年の EMI 盤の方はベートーヴェンのシリーズと同じようにやや中域に厚みがあり、高域にキツさがありません拍の前に若干のタメがあり、テンポを守って弾かれます。
 クイケン兄 弟たちによるCDはピリオド楽器によるもので、倍音成分が繊細であり、アルバンベルクのダイナミックで鋭さのある演奏と比較すれば良い意味で力が抜け、リラックスしています。99年の録音です。

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ピアノ協奏曲第27番 K.595(CD 聞き比べ11枚)

 モーツァルトにとってピアノ協奏曲というのは大きなジャンルです。そしてこれは最後のピアノ協奏曲です。クラリネット協奏曲の第二楽章とならんで、この 曲の第二楽章は俗世から遠ざかった静かな白鳥のです。簡潔な作りは余分な音を削ぎ落として明澄であり、第一楽章の出 だしも前述の K.590の四重奏と同様、ハ長調ならばドミソにあたる上昇の 三度で明るく始まりますが、最初の弦のさざ波から感じるものがあります。長調でありながら透き通っていて、日常の安寧とは異なっ た音す。クラリネット協奏曲も幽玄ですが、ソロが打鍵楽器で あるピアノ協奏曲は、また格別にこの澄んだ音の世界を表していると思います。第三楽章も歌曲「春へのあこがれ」(K.596)と同じメロディーによる弾むような運 びの中に、軽口と権威の無視で周囲をおろおろさせた魂 の別れの挨拶が聞こえます。

 モーツァルトの最高傑作にして一番好きな曲でもあるので、以下に少し CD を多めに取り上げて比較します。自分の中での思い入れが強い分、100パーセント満足という演奏にはなかなか巡り会えませんが、良いものはいくつかありま す。



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       Mozart   Piano Concerto No.27 K.595
       Lili Kraus    Stephen Simon   The Vienna Festival Orchestra ♥♥

モーツァルト / ピアノ協奏曲第27番 K.595
リリー・クラウス / スティーヴン・サイモン / ウィーン音楽祭管弦楽団 ♥♥
 20世紀中頃のモーツァルト弾きとして定評のあった三人の女性ピアニストたち、クララ・ハスキル、リリー・クラウス、イングリット・ヘブラーの演奏の性 格をひとことで言うとどうなるでしょう。魔性のハスキル、愉悦のクラウス、穏やかなヘブラー、でしょうか?  まるで聞き手の好みに対応するかのようにこの 三人には特徴があり、三者三様に感情移入できるので、誰を評価するかで聞き手の性質もわかるかのようです。 リリー・クラウスは1903年ブダペスト生まれ のユダヤ系のピアニストです。三人の中で協奏曲の録音の状態が比較的良く、演奏は弱音に傾 き過ぎず、明るくて湿った感触がありません。キラキラしててどこかチャーミングな印象もあります。それでい て揺れの中に繊細さを表す27番の協奏曲は、 ひょっとしてこの曲のベストかもしれません。一枚ものがなくてセット売りになるのが残念ですが、詳しい内容 は別のページで、クララ・ ハスキル、ロベール・カサドシュ、クリフォード・カーゾン、ワルター・ギーゼキングの27番比較として扱っています。(「ハスキル/クラウス/ヘブラー」のページの最後です。)

オリジナルの録音 状況とは必ずしも言えず、リマスターの版によって違いがあります。上述の別ページで詳述します。



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       Mozart   Piano Concerto No.27 K.595
       Friedrich Gulda   Claudio Abbado   Wiener Philharmoniker

モー ツァルト / ピアノ協奏曲第27番 K.595
フリードリヒ・グルダク ラウディオ・ アバド / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ウィーンの伝統か らはみ出したピアニスト、フリードリヒ・グルダの演奏が いいと思います。すでに72年のライヴでルドルフ・ケンペと ミュンヘン・フィルがバックを務めるものが出ており、愛聴していたのですが、演奏会ゆえに録音の問題がありました。そこに20番と21番がドイツ・グラモ フォンから出て圧倒的名演だったこともあって、この27番が出たときにはわくわくして新譜を買った覚えがありま す。 未だにこれがいいなどと言うと、他に色々出てきても70年代ですか、と言われそうな気もしますし、グルダならそ の20番と21番の出来の良さに比べてこち らはそこまでではないようにも思うのですが、他にも事情があってやはりこの盤は私の中で外せない位置にあり続け ています。
 他の事情のひとつは、モダン・ピアノの演奏は時代が下ってくるとどうも表現過多なものが増えてきているように感じるということです。ピアニストとして自分 の個性を出して行くことは大切ですが、そのための材料とし てモーツァルトの楽曲を使っているかのようなものは好みではありません。やたらとテンポを揺らしたり、白鳥の歌だからといって消え入るような弱音でため息 をついたりされるよりも、生き生きとした自在な変化と揺れは必要ながら、節度を持って透明感ある演奏を心がけて ほしいのです。特に第二楽章のピアノのタッチなど、繊細で弱過ぎるよりも、ある程 度の強さで一音ずつくっきり弾いてもらった方が独特の澄んだ感じが出ます。そうすると、あのはっと息を呑むような静けさがむしろ強調されるように思うので す。
 あるいはモーツァルトの時代ですから、本来ならフォルテピアノがふさわしいのかもしれません。しかし他の楽 器はピリオド楽器を好んでいるものの、ピアノに関してはどうも 完成された現代のものがいいような気がしてしまいます。モーツァルトが19世紀以降のピアノを知ったらなんと言 うのでしょうか。堅固な金属フレームが強大な張力を支えるその音は透明度が高く、特にこの K.595の緩徐楽章など、その 独特 の境地をよく伝えます。仮に音はフォルテピアノも魅力があるとしても、ピリオド奏法的な解釈だと違和感を覚えることもあります。

 グルダは一時ジャズで食って行くと宣言し、「ザ・コンプリート・ミュージシャン」と題されたレコード・セットには「チュニジアの夜」も入っていました。 アンドレ・プレヴィンとならんでジャズも弾ける数少ないクラシック・ピアニストなのです。ジャズは即興の世界で す。それが得意なグルダの表現は、装飾音譜も軽妙にモーツァルトの遊びの世界を伝えており、なかなかこれを 超えるものが出ません。そ して正真正銘のジャズ・ ピアニストであるオスカー・ピーターソン同様、彼も地元ウィーンのメーカーであるベーゼンドルファーを愛用しており、ここでも独特の音を響かせています。 案外強いタッチでスコーン、と弾いており、音そのものは真っ直ぐな印象です。グルダはベートーヴェンを大変真面 目に弾く人で、ここでもジャズ風に崩しているというわけではなく、そのストレートさが生きています。
  同じ頃の録音では フィリップスから出ていたアルフレート・ブレンデルの演奏(74年)も評価の高いものでした。この27番の入った一枚のみが他の協奏曲よりも音がこもって いたものの、彼の協奏曲のシリーズはドイツ・グラモフォンよりもやわらかさと艶のある好録音でした。ブレン デルの演奏は軽く駆け抜けながらひそかな叙情性 がにじむという方向ではな く、深く沈潜して自らの感情にこだわるロマン派の趣きを持っているように聞こえます。うつむいたその独り言 のような世界に魅せられる方もいらっしゃるでしょう。一方グルダには憂鬱な影はなく、自在です。70年代と いうといつもこの二人の名演が頭に浮かびます。

  第一楽章のテンポはオーソドックスなもので、ややゆったりめに入ります。アバド はここでは後年のようにピリオド奏法に色気を出したりはしておらず、よく歌っています。リマスターで蘇ったオー ケストラがきれいです。ピアノは中域にやや 反響がありますが、これも走ることなく軽妙な運びです。楽章中 ほどのところに音譜上で離れた二音をスラーでつないだ箇所があり、そこをどう装飾で補うかがいつも見所になりま すが、グルダはその間のキーを下からグリッ サンド様に長く連ねて弾いて行きます。それに慣れてしまうとポン、ポンと二音を叩くだけの普通の演奏(装飾を加 えないもの)に逆に違和感を感じてしまいま す。
 第二楽章も大変魅力的です。遅くも速くもなく、真っ直 ぐに弾くピアノによく歌うオーケストラが応えます。くっきりしたタッチで案外装飾音は少なめですが、要所でトリ ルを加えたり、二度目の反復でつなぎの装飾が入れられたりして絶妙です。それでいて簡潔な音の 美しさを壊さないように抑制が効いています。 
「春への憧れ」を使った第三楽章はとくに軽快なテンポというわけでもないですが、じっくりと、しかし弾むように表情豊かに弾いて行きます。崩れないながら自由自在な感じはここでも大変魅力的で す。

  ドイツ・グラモフォンの1976年のアナログ録音ですア バドの指揮するウィーン・フィルがメタリックにとれているのが難点で、CD になったときはカップリングの25番の出だしなど耳を覆いたくなるほどの硬い音でしたが、自分でイコライジングをすると随分聴きやすくなり、長らくそれで 楽しんでいました。それでもピアノ部分とオーケストラを別に調整できるといいなあと思っていたところ、最近のリ マスターで音のバランスを大幅に変えたもの が発売され、買い直しました。もっと調整してもいい気もしますが、ここまで来れば 全く気にならないレベルで、好録音としてもいいでしょう。



    piresmozart27
       Mozart   Piano Concerto No.27 K.595
       Armin Jordan   Maria João Pires   Orchestre de chambre de Lausanne

モーツァルト / ピアノ協奏曲第27番 K.595
マリア=ジョアン・ピリス / アルミン・ジョルダン / ローザンヌ室内管弦楽団
  モーツァルト三姉妹みたいに言われてもてはやされたリ リー・クラウス、クララ・ハスキル、イングリット・ヘブラーらの後の世代で、女性ピアニストであるがゆえに モーツァルトに期待されていたのはピリスでしょ うか。1975年にエラートから出たその協奏曲は、現代のように大きな抑揚を織り込んでテンポを動かした り、弱いタッチで立体感を出したりという手法にな る前の演奏です。端正と言われて人気があったのを覚えていますが、今聞いてみると粒立ちの良い音で案外はっ きり弾いている印象です。間を 大きくとらずに駆ける傾向もあります。

 第一楽章は編成が小さく聞こえる快活なオーケストラで始まり、テンポは中庸です。ピアノも結構さらっと流しますが、タッチは一音ずつくっきりしています。やわらかく弾くという印象はありません。少女っぽいのかどうなのか、艶の ある 硬質な音で、真っすぐな弾き手という印象です。離れた二音間を埋める装飾はグルダと同様に下から続けますが、やわらかくて印象は別物です。
 第二楽章もくっきりと弾いていて好感が持てます。タッチはけっこう強いです。さらっと速めのテンポで、弱くする抑揚をつけようとはしません。思い入れを 込めて遅くもしません。間を取らずに流しますが、ややさらっと流し過ぎに感じる瞬間もありました。装飾音は ほとんどなく、すっきりしています。
 第三楽章の出だしはやわらかいですが、途中から力を込めてはっきりとしてきます。スタッカートも出て、連なる 音がきれいです。きらきらと明るく良く鳴っている印象です。

 録音は弦が細い感じはあるものの、きれいに聞こえます。残響はやや少なめです。この後ピリスはアバドの指揮でドイツ・グラモフォンから新録音も出しまし た。より表現が意欲的になったものですが、端正できれいなモーツァルトという意味では私は旧の方をとりたい と思います。新録音でのオーケストラはグルダの ときとは違ってピリオド奏法ムーブメントの後という感じで、メリハリのついたディナーミクでフレーズの終わ りを延ばさず、全体に例の元気な抑揚に改まって います。ピアノはさらっと流すテンポは同じでも、より弱音を使った表情を出すようになりました。第二楽章も 弱音に重心の移った表現に変わり、左手を強調し たりして工夫が見られます。前とは違って装飾音も加わり、 色々意図している感じは新録音の方があります。終楽章でも弱く弾く工夫はされ、反対に力を込めて弾き切る場面も見えます。個人的にはオーケストラの表情が わずらわしく感じる場面もありましたが、こういう意欲を感じさせる方が好きな方も多くいらっしゃることと思 いま す。



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       Mozart   Piano Concerto No.27 K.595
       Alicia De Larrocha   Sir George Solti   London Philharmonic Orchestra

モーツァルト / ピアノ協奏曲第27番 K.595
アリシア・デ・ラローチャゲオルグ・ショルティロンドン・フィルハーモ ニー管弦楽団
 ス ペインのピアニスト、アリシア・デ・ラローチャの演奏も素晴らしいものです。グルダやピリスと同 様、弱音で抑揚をつけたりテンポを遅らせたりするような大 きな表情のある演奏ではなく、すっきりとした素直な運びです。控えめで静かではあっても暗くなりま せん。そしてこの人の場合、 タッチはやわらかいのに、一音ずつ分離 させるような粒の立った弾き方に特徴があります。それは鳴らす前に一瞬のタメを効かせることで音の 境目がはっきりとし、重なって曇らないせいでそう感じる ところもあるようです。もちろんたどたどしくならない範囲で行っており、心地の良い雨だれのようで す。

 第一楽章の入りはやや遅めでオーケストラは案外元気が良く、細かな抑揚をつけるというよりも全体に良く鳴らしている印象があります。ピアノが終わって伴 奏になると大きな音、という感じのところもあります。ピアノもあまり速くはないですが、粒がきれい です。普通の録音でスタインウェイを使ってるとするなら何かこつがあるのでしょうか。この人の艶のある音はどうやって出て来 るのでしょう。以前、 ジャズのピアノがピィーンと響く艶っぽい音になることが多いのはどうしてかとジャズを演奏する人に 聞いたことがあります が、特にジャズ用の チューニングがあるわけではないとのことでした。静かなパートでもある程度の強さを保ってるからかもしれません。ラローチャについてはよく分からないですが、よく見えないながら映像では鍵盤から少し離れたと ころから指を下ろしている瞬間もあったりはするようです。上部雑音の出るハイフィンガー奏法で弾く 人はいないと思いますが、やはりある程度強いタッチなのでしょうか。もちろん、表現としては弱い音 も出しています。
 第二楽章は適度なテンポで、やはり粒をはっきりと聞かせる音が魅力的です。オーケストラの伴奏部分が ちょっと大きくて耳につく気がする箇所もありますが、音はたいへんきれいです。ピアノは途中から間 をよく空け、一音ずつくっきり鳴らすところが出ます。
 第三楽章は軽快に始まるピアノで、弱音も使っていてニュアンスがあります。

 ピアノはスタインウェイだと思いますが、金属的にならずに艶があります。1977年デッカの録音です。



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       Mozart   Piano Concerto No.27 K.595
       Andras Schiff   Sandr Vegh   Camerata Academica des Mozarteums Salzburg

モーツァルト / ピアノ協奏曲第27番 K.595
アンドラーシュ・シフ / シャーンドル・ヴェーグ / モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ
  もう少し新しいところでは、バッハの鍵盤曲演奏で有名なシフの87年の録音が独特の美しさを放っていま す。シフはいつもそんな風に聞こえますが、音の粒が立ってくっきりとしています。その感触はちょっ とアリシア・デ・ラローチャのものとも似ていますが、こ こで使っているピアノはベーゼンドルファーで、しかしグルダの音とは異なっていて、ちょっとフォル テピアノに近い響きに聞こえるところもあります。スタイ ンウェイとは違ってこのピアノは高いキーを強く叩くと金属的にはならず、柔らかい響板の効果も相 まって、ピーンという独特の艶を乗せて鳴ります。また、一 音一音を互いに離して際立たせるその弾き方も、決してたどたどしい感じまでは行かず、むしろ端正な 印象を与えます。ときどき現れる独特のルバートも型崩 れしないぎりぎり内側に踏みとどまっています。

 第一楽章ではグルダ同様、離れた二音符の間を1オクターブ以上にわたってゆっくりグリッサンドのように連 ねて弾く装飾音も聞かれます。第二楽章がまた美しく、ゆったりしたテンポでありながら静かに見つめ るような雰囲気があります。ブレンデルやペライアの演奏 で聞こえてくる、目を閉じて浸っているような叙情性とは違っており、この感覚がいかにもシフらしい ところです。表現も細やかな変化に満ちており、4音が連 続する部分で、ある音符に微妙な強調があったり、音符の間に大胆な装飾を加える遊びがあったりしま す。 
 第三楽章は曲自体が元来嬉々として弾む部分ですが、軽いタッチで弾けるように弾き、それでいて小声で囁くような風情もあります。グルダだとこのあたりは 結構強いタッチで弾き切るところですが、暗くならずにやわらかく鳴らされる音はこの曲にふさわしい と思います。トリルの音離れも小気味良く、ピアノフォル テのようでいて絹の光沢があります。また、余裕があるせいか、速いパッセージのただ中にあって、あ る音のみ一瞬止まりかけるかのようなテンポ・ルバートが 瞬間的に入ったりして、まるでモーツァルト自身が遊んでいるようです。亡くなる直前まで冗談を言っ ていた諧謔家の、透けるような最後の美を伝えていると言 えるでしょう。

 他の協奏曲では必ずしも納得が行くとは限らないところもあったシフのモーツァルト、この最後の27番は録音バランスも優れており、はつらつとした明るい オーケストラの音、前述の通りの魅力的なピアノの音ともに優秀です。



    oconormozart27
       Mozart   Piano Concerto No.27 K.595
       John O’Conor    Charles Mackerras    Scottish Chamber Orchestra

モーツァルト / ピアノ協奏曲第27番 K.595
ジョン・オコーナー / チャールズ・マッケラス /スコットランド室内管弦楽団
  ベートーヴェンのピアノ・ソナタで独特の繊細なタッチを聞かせていたアイルランドの ピアニスト、ジョン・オコーナーはモーツァルトの最後のピアノ協奏曲でもいい味を出しています。弱音を駆使して自在な抑揚をつける種類の演奏としては、後 のハワード・シェリーやピョートル・アンデルシェフスキーの演奏と並んで最も魅力的なものの一つだ と思います。個人的にはモーツァルトについては、特に緩 徐楽章ではあまり表情過多になってほしくないですが、歌わせるならこの人のセンスが最もしっくりく るかもしれません。元々このピアニストは弱音での抑揚が 実に繊細で変化に富んでいます。ここでの具体的な表現としてはフレーズの後半で一音遅らせて緩める などの工夫が見られるのですが、どんな場合もやり過ぎず、 絶妙のバランスを保ちます。

 第一楽章のオーケストラの入りは適度なテンポ感があり、さらっとしていて自然です。ピアノもやわらかいです。この楽章の表現としてはベストの一つでしょ う。中ほどでオクターブ以上離れた二音の間の装飾をどうするかという箇所が出てきますが、グルダの ようにグリッサンド風につなげるのではなく、独特の運び でありながら控えめに聞かせます。生き物のように微妙なルバートのかかった名人芸が聞ける、やさし さを感じさせる演奏と言っていいでしょう。速く音を重ね るところも雑になったり濁ったりしません。
 第二楽章はやや速めのテンポで入ります。装飾が独自ですが、不自然ではありません。繊細な表情でやり過ぎず、「敏感」という感触です。前述の通り、ここ ではあまりやさしい表情はつけず、ピンと張った透明なタッチで装飾も抑えて欲しいのですが、そうい う個人的好みを除けば大変見事な表現だと思います。 
 第三楽章も軽さがあって、その中に抑揚のついたピアノが光ります。かなり速めに弾いているところがありますが、全く崩れません。自然でいて独特の表情を 感じさせ、ピアニストとして大変レベルの高い人だと思います。音の選び方に対するセンスを持ってい るのでしょう。音符が重なってうるさくなりがちなところ では少し力を抜き、微妙に速度も緩めます。この自発的な動きを聞いていると、グルダよりもむしろ ジャズ が弾けそうな人に思えてきます。この三楽章は大変魅力的で、クラウスも良かったけれども、他の演奏を圧倒する心地良さがあるとしておきます。

 1989年のテラークの録音は優秀なものですが、派手さはなく音像はやや引っ込み気味です。残響はある方です。ピアノの音は芯にきらっとするメタリック なところが少しだけ隠されているけどおとなしいという、なかなか魅力的なバランスです。21番と カップリングですが、録音は27番の方がよりオーケストラ の塊感が少なく、良いバランスにとれています。ディジタル初期を除いては珍しいことだと思います が、イコライジング等のどんなプロセッシング・デバイスも 通していないと書いてあります。マイクの配置でバランスを取るのは高等テクニックではないかと想像 します。補正をかけるなら中域をもっとブーストしてしま うかもしれません。プロデューサーはデッカで有名だったジェームズ・マリンソンで、84年に独立し てこの仕事を請け負ったようです。マーラーの巨人のペー ジでは「最も優れた録音」と書きましたが、まさにその人が仕事をしています。エンジニアは ジャック・レンナーとなっています。ピアノはハンブルク・スタインウェイで収録はスコットランドのグラスゴーです。



    shelleymozart27
       Mozart   Piano Concerto No.27 K.595
       Howard Shelley   London Mozart Players

モーツァルト / ピアノ協奏曲第27番 K.595
ハワード・シェリー / ロンドン・モーツァルト・プレーヤーズ
  ハワード・シェリーは1950年生まれのイギリスのピアニ ストです。ここでは弾き振りです。彼は他にシティ・オブ・ロンドン・シンフォニアやタスマニアン・シンフォニー・オーケストラとも出しているので、モー ツァルトの協奏曲を得意としているようです。新しい時代の録音だけあって、ピリオド奏法が 出る前の、ややもすると楽譜通りかなという進行とは違って表情の ある部類ですが、ここで取り上げたオコーナーやアンデルシェフスキーほどにはテンポを動か したり弱めたりはせず、もっとすっきりとしています。常におっとりとして決してやり過ぎ ず、新しい録音の中では最も気に入りました。この人の演奏の特徴を表現するなら、 よくしなう柔な運びで洗練されているというところでしょうか。

 第一楽章はテンポは中庸で遅くはありません。ピアノには軽さと余裕があってスタッカートとのバランスもいいです。力で押し切るところがなく、アゴーギク 方向ではフレーズの後半や最後の音をわずかに遅らせたりはありますが、センスの良い崩し方 です。軽さのある抑揚で、全体に流れるようにつないで強弱に波が あります。つまり自在な強めと弱めがあるわけですが、一定の範囲に入っていてこれも崩し過 ぎません。オクターブ以上にわたる二音間の装飾はグルダと同じよ うにグリッサンド式に下からつなげて上がって行きますが、ゆっくりとしています。オーケス トラも柔軟です。
 第二楽章は管弦楽、ピアノともに繊細な表情があります。非常にやさしく弾いている印象です。 ここでも自在な緩め(テンポと強さ)がありますが、やはり過剰にならない範囲にとどまって います。独特の装飾音符が色彩豊かに入るのが人によって好き嫌い が分かれるところかもしれません。でも嫌みのない上手な装飾だと思います。この楽章は個人 的好みではすっきりとして余分な飾りがない方がいいので、このよ うにやや遅めのテンポで表情があところは自分としてはベストではないのですが、 最近の演奏でこれ以上のものはなかなか見つけられません。
 第三楽章は走らず中庸のテンポです。力が抜けていて、やはり自在な抑揚が美しいです。

 1993年シャンドスの録音は残響がある方です。音像はやや遠目かもしれませんが、バランスはいいです。カップリングは14番 K.449 です。27番とは曲想ではなく、曲調が似ている部分が若干あるかもしれません。



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       Mozart   Piano Concerto No.27 K.595
       Mariaclara Monetti   Ivor Bolton   The Royal Philharmonic Orchestra

モーツァルト / ピアノ協奏曲第27番 K.595
マリアクララ・モネッティ
アイヴォー・ボルトン / ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 
 モネッティはイタリアのピアニストということです。1994年のライヴですが、CD は何度か装いを変えて出されているようで、演奏の出来の良さを窺わせます。女性のピアニストというのも人気の理由なのでしょうか。70年代の演奏ではない にもかかわらず、感情表現がオーバーにならない節度ある抑揚で弾いています。部分的に分散 和音を短く鳴らしたり、駆け上がるようなパッセージも見られるな がら、全体としては落ち着きとやさしさが特徴と言える好演で、90年代以降の録音の中では ハワード・シェリーのものと並んで大変魅力的な一枚です。装飾音 符も使わないわけではないながら、案外楽譜のままで乗せてこない箇所も多く、最小限に抑え られていて昔の流儀のようでもあります。 シェリーとそこのところは違っており、個人的にはありがたいです。

 第一楽章の入りからオーケストラは上手で瑞々しいなと思わせます。そこにテンポは普通ながらややタメのある静かなピアノがゆったりやわらかく入ってきま す。やわらかいと言ってもタッチはくっきりしており、粒が立ったきれいな音です。中ほどに 出る離れた二音間の装飾はブレンデルが やったのとよく似た処理で、下の方で行きつ戻りつを何度か繰り返してから三度幅ぐらいで駆け上 がって行きます。
 第二楽章も弱くなり過ぎず、遅くなり過ぎずで、ここは大変美しいです。表情はありますが、うつむいて情緒たっぷりという感じにはなりません。ピンと張り 詰めた透明な音という方向でもないかもしれませんが、素直で繊細であり、魅力的な解釈で す。装飾はあるものの最小です。
 第三楽章は決して走らず、一音一音くっきりと余裕をもって音を鳴らして行きますが、同時に軽さも感じます。ルバートをかけるようなアゴーギクのちょっと した遊びも出るながら、落ち着いていて独特の魅力があります。

 録音も大変きれいです。やや音像が遠いのか中域の反響のせいか、部分的に弦があまりはっきりしない感じのところもありますが、オーケストラ全体のバラン スとしてはハイの繊細に延びた録音と言えます。ピアノもくっきりとしており、かといって過 剰に金属的にならない艶が美しいです。



    goodemozart27
       Mozart   Piano Concerto No.27 K.595
       Richard Goode   Orpheus Chamber Orschestra

モーツァルト / ピアノ協奏曲第27番 K.595
リチャード・グード / オルフェウス室内管弦楽団
 1943年生まれのアメリカのピアニスト、グードによる演奏です。オーケストラは指揮者を置かない合議制で有名なオルフェウス室内管弦楽団です。このピ アニストは他の協奏曲も出していますが、この27番と19番のものが録音の点で他よりいい と思います。収録時期からハワード・シェリーと比べてしまいます が、どちらも伸び縮みする抑揚が付いていながらやり過ぎたり、思い入れたっぷりになり過ぎ たりしないところは似ています。モーツァルト弾きとしてはよい資 質だと思います。 違いとしてはシェリーの方がちょっと遅くする方に崩すパターンが多めかなという気がします。逆にグードは遅くすることもあるのですが、むしろ前のめりに速 める方向に崩すところが目立ちます。短気というわけではないのでしょうが、駆け足気味に ちょっと速く弾き飛ばしているかのような傾向が時折見られるので す。どちらも軽さを感じるので魅力的ですが。
 トータルとしては弱音もよく使い、繊細であり、この曲はグードの良いところが出ていると思います。

 管弦楽には特徴があり、楽譜に書かれた音をいつも最大音価で弾いているようながんばり感があ ります。一つの連なった小節を歌わせるのに、普通はお終いの方に向かえば自然と弱くなって 行くだろうものですが、ずっと力を緩めないで完全に弾き切っているような、と言ったらいい でしょう か。イメージの問題なのですが、アナログの抑揚というよりも、デジタルで四角にドン、と押して来られるように感じるときがあります。逆に言えばどの瞬間も 常に完璧に弾いているとも言えます。 短調の20番、24番などでは特に顕著で、この27番ではさほどでもないので忘れがちですが、要は好みの問題でしょう。

 第一楽章では前のめりに駆けるピアノの弾き方に特徴があります。緩急はよく付いています。オクターブ以上にまたがる二音の装飾は独自のものですが、嫌み がなくてきれいです。他の装飾も良いと思います。
 第二楽章は表情過多ではありませんが、やや弱くするような抑揚をつけます。所々間を空けて遅く叩く拍も出てきます。ピアノから受け渡されたオーケストラ の伴奏ががんばって聞こえるところがあり、個人的にはちょっと好みでない場面もあります。 フレーズの語尾を切らずに延ばして欲しいと思う箇所もありまし た。やはりここでもピアノには拍を前打ちする瞬間が出ます。でもよく歌っていながら湿らな いのは良い点だと思います。
 第三楽章は速めです。第一楽章もそうでしたが、一部ややラフな印象を持ちました。例によって間がちょっとせわしない感じがするからでしょうか。トータル では軽快なテンポで表現も大変良いと思います。

 録音は1996年で、23番/26番の盤などと比べるとピアノのハイも出ています。残響は少なめです。ピアノ、オーケストラともにオフとは言えないもの の派手さのない音です。ピアノには中域の反響を感じます。中低音のある帯域をやや落とし、 ハイエンドを少し上げ、中域をフィルターしたリヴァーブをわずか にかけるともっと生き生きするのではと思わせるような音です。 カップリングは19番です。


 
    pressler
       Mozart   Piano Concerto No.27 K.595
       Menahem Pressler    Paavo Jarvi   Orchestre de Paris ♥♥

モーツァルト / ピアノ協奏曲第27番 K.595
メナヘム・プレスラー / パー ヴォ・ヤルヴィパリ管弦楽団
 2012年ライヴの DVDですが、CDの情報量で入っており、23番の協奏曲とカップリングです。 ちょっと別格というか、これも同曲のベストと言っても良いかもしれない演奏です。 別記事にまとめました。(老境の覚者?/メナヘム・プレスラーのモーツァルト)



    anderszewskimozart27
       Mozart   Piano Concerto No.27 K.595
       Piotr Anderszewski   Chamber Orchestra of Europe

モーツァルト / ピアノ協奏曲第27番 K.595
ピョートル・アンデルシェフスキ / ヨーロッパ室内管弦楽団  
 大変魅力的なバッハを聞かせてくれたポーランドのピアニスト、アンデルシェフスキーですが、 少し前からモーツァルトのピアノ協奏曲にも取り組んでいます。これはそのワーナー・クラシ クスから出た25番と27番の入った一枚です。この人、古典派の モーツァルトではあっても大胆に独自の抑揚を乗せてきます。大抵は表現が大きいと恣意的な 感じがして嫌なものですが、アンデルシェフスキーの場合、納得してしまうところがあるのは どうしてでしょうか。27番については好みの演奏かというと必ずしもそうではないのです が、 バッハのソロのときほど大きくはないながら気持ちの好い抑揚が付き、案外自然に聞こえます。編成の小さなオーケストラは彼自身の指揮で見通しが良く、うま くコントロールされています。録音が新しい分音もきれいです。

 第一楽章は中庸やや軽快なテンポで、表現としてはメリハリの効いた印象です。スタッカート処理もあり、短くディナーミクを変化させるのでピリオド楽器演 奏の流行を感じさせます。語尾を切るところもそうです。ダイナミックと言っても27番は 25番ほどではなく、この人としては静かな方に切り替えている様子 ですが、全体としては依然としてダイナミックな方向と言えるでしょう。ピアノ自体も自由に 表情をつけます。バッハのときほどではないけれども現代的な印象 です。その表情は感情を乗せる耽溺方向ではなく、自在なリズム感で 面白くアクセントを付けるような表情です。こういう自在さもモーツァルトらしいのかもしれ ません。
 第二楽章のテンポは中庸です。自分の好みよりは弱く歌わせてますが、ニュアンスが豊かな印象です。中ほどのフレーズの終わりの処理でテンポを落とすとこ ろが大きいようです。オーケストラにもよく表情を付けさせていてピアノと呼応しており、指 揮者の才能も窺わせます。弱く歌わせてテンポを落とすとはいって も、やはり湿った表情はありません。ただ若干大きい抑揚ではあります。スタッカート処理も 聞かれます。
 第三楽章は表情がくっきりとつけられ、リズミカルです。オコーナーより遊びがあって恣意的な感じもしますが、嫌みはありません。そしてオコーナー同様に 速くても全く崩れません。

 2017年の録音は中域のしっかりしたピアノの音に特徴があります。残響はさほど長くありません。ピアノの音像はわりと近く、弦もピアノも高域寄りでは ない録音なのに音ははっきりしています。弦はときに合奏で高い方の細さが出る場面もありま すが、きれいな音です。

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クラリネット協奏曲 K.622

 何も言うことのない名曲です。あちこちでよくかかりますが、ただ流していると優美な曲ながら、よく聞くとモーツァルト晩年のただならぬ気配が感じられま す。第二楽章は映画「愛と哀しみの果て」でも使われていました。男名で作品を発表したデンマークの 男爵夫人アイザック・ディネーセン(「バベットの晩餐 会」のカレン・ブリクセンと同一人物)の小説「アフリカの日々」を映画化したもので、小説の方はこ の作家の最も美しい作品でもあります。蛇足なが ら、移り住んだケニアでアフリカの自然に魅了されて行くその記述の中には、ストーリーを追った映画 には出てこない動物たちとの交流など、詩情あふれる世界があります。



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       Mozart   Concerto for Clarinet and Orchestra K.622
       Alfred Prinz   Karl Bohm   Wiener Philharmoniker

モーツァルト / クラリネット協奏曲 K.622
ファゴット協奏曲 K.191
アルフレート・プリンツ(cl)/ ディートマール・ツェーマン(fg)
カール・ベームウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ♥      
 演奏は五重奏同様、古くはレオポ ルド・ウラッハが定番でした。また、アメリカ人ですが、クリーヴランド管弦楽団のロバート・マルセラスも演 奏者の間ではその技法が高く評価されるようです。ウラッハの方はウィーン伝統のやわらかい音 で典雅ですが、残念なのはモノラル録音だということです。ありがたいことに音は悪くないので疑似ステレオにしてみるという遊びもやってみましたが、所詮遊 びです。しかしステレオになってからも同じ方向の名演奏があります。ウラッハの弟子で同じくウィーンのアルフ レート・プリンツのものが素晴らしく、ベームとウィーン・フィルの弾力ある伴 奏に最高の録音が重なって、これ以上のものは望み得ない完成度です。

 1973年録音の CD はリマスターされた OIBP 盤が現行となっていますが、日本盤ではそれ以前のオリジナルもまだ出回っており、その方が好みでした。リマスター盤は弦の高域の丸まりがなく延びた感じが さらっとしてていいですが、 特にカップリングのフルート協奏曲では耳にきつい音の重なりも感じました。このクラリネット協奏曲の場合はそこまでではないですが、やはり旧来盤の方がまろやかで録音本来の良さが表れていると思います。



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       Mozart   Concerto for Clarinet and Orchestra K.622
       David Shifrin   Mostly Mozart Orchestra

モーツァルト / クラリネット協奏曲 K.622
デヴィッド・シフリンジェラルド・ シュワルツモーストリー・モー ツァルト管弦楽団
 五重奏曲のところで紹介したものと同じ盤で、これ一枚でモーツァルト晩年のクラリネットの名曲を両方聞く ことができます。しかもどちらも最高の演奏です。シフリンはここでもバセット・クラリネット を 使っていますが、五重奏のものとは違う楽器のようです。曲としてはどちらも標準的なA管を用いるはずのものです が、何を意図しての使い分けでしょうか。五 重奏の方はエルンスト・フリッツ・シュミットの楽器をジョージ・ダズリーの提案で改造したもの、協奏曲の方はフ リッツ・ギーグリング製造のものと記されています。音は明らかに違い、とくに低音で差が顕 著です。この協奏曲の方の楽器は低い音が特徴的な鋭い倍音を持ち、ブガーブガーという感じで鼻にかかっていなが ら硬く響く大きな音です。クラリネットでは ありますが、どちらかというとフランス管のバソン(ファゴット)に近い音でしょうか。音域も下に延びているよう で、第三楽章では普通の演奏の1オクターブ 下を吹くところが何度も出てきます。これは一般的な演奏の方がバセット・クラリネットではないために1オクター ブ上を吹いているのであって、本来はこちら がオリジナルなのです。一方滑らかな高音は大変美しく、まるで二つの楽器のようです。しかもどうやら音域による 違いだけとも言えないようで、比較的高い音 でも強く吹いたときには硬質な音が出ており、音色の差が大きい楽器です。通常のクラリネットとは 別物と言っていいでしょう。

 歌わせ方は深く豊かで、第二楽章ではプリンツのようにテンポを崩さない正統派の演奏に比べると相当表 現主義的で、どうかすると感情を乗せ過ぎかというたっぷりとした運びですが、感傷には陥らず、馴染 んでしまうと心地良いものです。遅いところは思い切って遅く引き延ばします。その夢見るような 息の長い展開はまるで別の曲なのか、あるいはこの当時のモーツァルト本来の表現なのか(音楽史的には様々な 意見があるようです)と思うほどで、いずれにせよ他に代えがたい魅力を持っています。ウィー ン伝統の完成度ならプリンツとベームの盤を、ちょっとロマンティックに浸りたいならシフリンをといったところで しょうか。



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       Mozart   Concerto for Clarinet and Orchestra K.622
       Alessandro Carbonare   Claudio Abbado    Orchestra Mozart

モーツァルト / クラリネット協奏曲 K.622
ファゴット協奏曲 K.191
ア レッサンドロ・カルボナーレ(cl)/ ギヨーム・サンタナ(fg)
クラウディオ・アバド / モーツァルト管弦楽団
 プリンツ、シフリンと来て、五重奏のところで比類のない弱音の美しさを褒めたカルボナーレを外すわけには行きません。ただ、ここでの演奏はちょっと様子 が違っています。97年の五重奏曲に対してこちらは2006年の録音で、時期も離れていますが、アバドのオーケ ストラでやったということと関係があるで しょうか。指揮者のクラウディオ・アバド は2014年に亡くなりましたが、胃がんで最初に倒れた後、故郷に近いボローニャでモーツァルト管弦楽団を設立して若手の指導にあたりました。26歳まで と制限されているこの楽団は、楽器はモダンのようでありながら、それまでのアバドの指揮スタイルからはちょっと意外ながら、はっきりとしたピリオド奏法的 なアクセントをもって演奏します。カップリングでフルート協奏曲とファゴット協奏曲が入っていますが、他のソリ ストたちもこのアバドのリズムに合わせてい るような印象があり、カルボナーレもそうなのかという気がします。ひとことで言えばさわ やかで軽く、テンポも伴奏に合わせて速めです。ピリオド奏法 らしい不均等なリズムも若干見られ、細かな強弱があってよく音色が変わります。均一に伸ばす弱音の美しさが目 立っていた五重奏に対して、ちょっと別の人の ようなのです。それだけ様々な吹き方に対応できるとも言えるでしょうか。装飾音符の目立つ第二楽章など、もう少 し静けさがあってもと思わなくもないですが、演奏全体としては遊びがあって快活で、これはこれで一つの行き方だ と思います。

 カップリングの他の曲では、フルート協奏曲のジャック・ズーンは明るく軽やかで、いつも弾んでいるようなところが大変楽しげでいいと思います。第二楽章 も瑞々しいです。今まで聞いてきた一般的なフルート協奏曲とは一味違います。ファゴットのギヨーム・サンタナも 音色が華やかで、やはりちょっとユーモラス です。一方で第二楽章の落ち着いた感じは大変味わいがあります。

 録音は残響があまり多い方ではなく、編成の小ささが分かります。

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グラスハーモニカのためのアダージョとロンド K.617               

 グラス・ハープという楽器をご存知でしょうか。水を入れたグラスの口を濡れた指で撫でて共鳴音を出すもので、水の量を変えたたくさんのグラスを前にパーティなどで演奏する姿を見たことがあるかもしれません。しかしこの楽器は準備が大変です。正確な音程を出すため に水の量をグラス一個一個調整しなければな りません。指が乾くと音が出なくなるので、補水にも注意を払う必要があります。こうした点を解決した発明品がグ ラス・ハーモニカ(アルモニカ)です。発明 したのは独立宣言の起草に関わり、アメリカの精神的支柱ともなっているベンジャミン・フランクリンです。「時は 金なり」とか「今できることを明日に延ばす な」とかの名言でも有名ですが、「愛のない婚姻のあるところには、婚姻のない愛がある」というのもあります! 科学者としては雷が電気であることを証明した人であり、 ロッキング・チェアーも発明し、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと言われています。
 さてそのグラス・ハーモニカですが、グラス・ハープで水を入れていた一個一個のグラスを少しずつサイズを変え、鉄の棒に並べて串刺しにしたような構造を しています。サイズが違うので水を入れなくても音程は最初からチューニングされていますし、わざわざ指を回して グラスの口を撫でなくても、鉄棒の方を回せ ばグラスが回転し、そこに指を当てれば音が出ます。またグラスの下部が水を張ったバットに浸かっているのでグラ ス自体が常時濡れており、ときどき指を濡ら す手間省けます。軸を回転させる仕組みは足踏み式のミシンと 同じです。

 このグラス・ハーモニカ、ヨーロッパでも一時期大流行したようです。一説によると5000台ぐらい製造され、良家の子どもたちが競って習ったということ です。しかしそのうち奇妙な噂が広まりました。これを演奏していると、その音色に恍惚となった人が精神を病んで 死んでしまうというのです。実際にコンサー トで幼児が死亡する事故があり、具合が悪くなる人続出したた め、不幸なことに悪魔(死霊)の楽器とされ、作るのも演奏するのも禁止されて しまいます。そして1820年頃までには完全に廃れてしまいました。 いわゆる集団ヒステリーの類で、 今風に言えば風評被害というところでしょうが、催眠の父として有名なフランツ・アントン・メスメル(メスマー)も治療の後でこの楽器を奏でていたために黒 い噂が広まり、ウィーンから追放されてパリへ移住せざるを得なくなります。モーツァルトの父レオポルドの書簡に よるとメスメルは当時有名だったグラス・ハーモニカ奏者のマリアン ネ・キルヒ ゲスナーより良い楽器を持っていたほど熱心だったということです。そしてそれは、この楽器が持つ心理的効果を信じていたからのようです。
 効果と言えば、クリスタル・ボウルという楽器は、グラス・ハープ のグラスをもっと大きくして専用のバチで口の周囲を撫でるものですが、現代ではヒーリング用として広く用いられています。そしてそのクリスタル・ボウルや グラス・ ハーモニカなどの純粋な共鳴音は、どうやら人の無意識に働きかけるようで、意識による抑圧を持つ人に対して自分の不安に直面させる効果があるようですグラス・ハーモニカと いう楽器、ちょっと時代が早かったのかもしれません。1984年には発明国のアメリカで復刻・生 産され、その社長ゲアハルト・フィンケンバイナーはこの楽器が無害であることを長寿によって証明した そうです。

 さて、モーツァルトは最晩年になってこの楽器のために作曲しています。グラスハーモニカのた めのアダージョとロンド K.617で、彼は上述の盲目の女性グラ ス・ハーモニカ奏者、マリアンネ(マリー・アンヌ)・キルヒゲスナーと親しかったので、彼女のために作曲したの です。グラス・ハーモニカの他にフルートとオーボエ、ヴィオラ、チェロによる五重奏曲ですが、大変魅力的な曲です。クラリネット五重奏曲ほど有名でないのは、ただ楽 器が特殊で演奏できる機会が少ないからでしょう。また、K.617の演奏会アン コール用として書かれた K.617a も、静かに語るフレーズが 印象的です。どちらもこの楽器の澄んだヴァイブレーションがゆらめくオーロラの光を放ち、死を見つめた魂の声を届けます。幻影の中に 漂 う、まさに精神を病むほど美しい音色です。



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       Mozart   Adagio and Rondo for glass harmonica, flute, oboe, viola and cello K.617
       Bruno Hoffmann    Heinz Holliger, oboe   Aurele Nicolet, flute
       Karl Schouten, viola   Jean dcroos, cello

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       Mozart   Adagio and Rondo for glass harmonica, flute, oboe, viola and cello K.617
       Bruno Hoffmann    Helmut Hucke, oboe   K. H. Ulrich, flute
       Ernst Nippes, viola   Hans Plumacher, cello

モーツァルト / グラスハーモニカのためのアダージョ とロンド K.617
ブルーノ・ホフマンハ インツ・ホリガー (ob)オー レル・ニコレ (fl)
カー ル・シャウテン (va) / ジャン・デクロース (vc)

ブルーノ・ホフマン / ヘルムート・フッ ケ (ob) / K. H. ウルリッヒ (fl)
エルンスト・ニッペス (va) / ハンス・プルマッヒャー (vc) 
  演奏はブルーノ・ホフマンがグラス・ハーモニカで、オーボエの名手ハインツ・ホリガーがアルバム・リーダーとなっている盤がお勧めです。 ホリガーは自在にうねるクレッシェンド/ディミヌエンドの呼吸が他に並ぶ者のないオーボエ奏者で、フルートは節 度ある歌が素晴らしいオーレル・ニコレとい う豪華な顔ぶれです。フィリップスから出ていたためにレーベル消滅によってプレミア価格になりがちですが、まだ 少数出回っています。弦楽五重奏曲第2番 K.406をオー ボエ五重奏にしたものと、K.370のオーボエ四重奏がカップリングされています。
 ホフマンはその後別のメンバーでも二度録音しています。一つはアルヒーフ盤 で、K.617aのアダージョも聞 けますし、オーボエは名手ヘル ムート・ヴィンシャーマンなのですが、これも廃盤です。もう一つは VOX レーベルのグラス・ハーモニカ楽曲集当時のモーツァルト以外の作 曲家の作品と組み合わされています。これはまだ安価に買うことができます。87年のアナログ録音ですが、コレギ ウム・アウレウ ム合奏団でバロック・オーボエを吹いていたヘルムート・フッケがオーボエを担当しています。演奏はアダージョの部分ではホリガーの盤よりも遅く、録音も相 まって輪郭がくっきりしており、一つひとつのフ レーズが区切られた感じです。

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弦楽五重奏曲第5番 K.593

 死の前年の1790年12月に作られた曲です。派手でも有名でもありませんが、モーツァルト晩年の境地を十分に伝えるものだと思います。第一楽章はゆっ たりとしたラルゲットの序奏から始まります。不協和音四重奏曲(第19 番)もこういう序奏を持っていますが、全体の中では珍しい構成で、その静けさに「白鳥」の影を感じます。そこから一転して弾けるように快活な主題に入って 行きますが、そこでも押しつけがましさは微塵もありません。そして途中で短調を一瞬経由して転調を繰り返し、ま た序奏に戻る作り凝っています。
 第二楽章のアダージョがまた魅力的です。キャッチーなメロディーには陥りませんが、途中で激しい短調をはさんで展開します。この穏やかさと明るさをタペ ストリーのように織り込んだ短いパッセー ジから成っている有り様は、ベートーヴェンの後期の四重奏、なかでも最後の16番に少し似た印象を抱かせます。
 第三楽章と第四楽章も、前掲のプロシア王セットの四重奏にも似軽 妙に跳ねる運びです。技法的には動機の扱いに凝ったところがあるようで、下記CDのライナー・ノートに 詳しく述べられています。



弦楽五重奏曲第6番 K.614

 第5番と同様、この曲の成立事情については資料があまりないようです。1791年4月といえば本当に最後の方にあたるわけで、まさに白鳥の歌のタイミン グです。では、この曲の響きはどうでしょう。ピアノ協奏曲27番やクラリネット協奏曲のように有名ではありませ んし、弦楽五重奏としては3番と4番の方が 演奏される機会が多いようなのですが

 確かに最後のピアノ協奏曲の第二楽章で聞かれる天国的とでもいうのか、さようならを言っているような感じは、ぱっと聞いただけでは明瞭でないかもしれま せん。
 第一楽章は貴族的というのでしょうか、午後の静かなひととき を、 軽い冗談を交えてサロンで語らっている人々を見ているような感じです。少なくとも明日の生活を思い煩う労働者階級の切迫感は感じられません。モーツァルト のこの頃の生活は悠長なものであったはずはなく、少し前には金策に走り回っていたのす。研究家のように書簡を調べて心境を覗くことは難しいので、ただ曲 を味わってみる以外にないのですが、この静けさを反芻してみると、どうも一定の距離感を持って肯定的に出来事を 眺めている人のような印象を持ちます。
 第二楽章はアイネ・クライネ・ナハトムジーク(セレナード K.525)の第二楽章に 似た三連のスタッカートで穏やかに始まります。そしてセレナードよりも音程差の少ない運びでゆっくり散歩をする ように、穏やかに推移します。 走り回るエネルギーはもはやありませんし、哀しみもありません。この満ち足りた静けさは最晩年の作品ならではで しょうか。
 そして驚くのは次に不協和音が出てくるところです。午後のサロンに突如、 隣り合った二つの鍵盤を同時に叩くような(二度の)鋭い和音が鳴らされます。「音楽の冗談」の続きみたい で、当時の作品としては大胆な音だと思います。なぜこういう音 を配置したのでしょうか。「不協和音」四重奏とは違い、この時期のモーツァルト実 験に挑むような脂ぎった波長とは相容れない感じがするわけですが、これはどういうことなのでしょう。空から聞こえてきたのか、日常を破ってみたかったのか。しかし天才作曲 家はこのときも熱心に、様々な技法で遊んでいたのかもしれません。そして何事もなかったかのように、また午後の サロンに戻ってきます。

 楽曲としての構成がハイドンのものに似ているところから、この作品はハイドンへのオマージュだったのではないかとも言われています。私には分かりませ ん。確かにハイドンっぽく聞こえるところはありますし、貴族たちのティータイムのような雰囲気は、ハイドンが有 閑階級から依頼されて作ったときのマナーな のかもしれません。



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       Mozart   String Quintet No.2 K.406,  No.5 K.593
       Kuijken String Quartet   Ryo Terakado

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       Mozart   String Quintet No.1 K.174,  No.6 K.614
       Kuijken String Quartet   Ryo Terakado

    mozartquintet3
       Mozart   String Quintet No.3 K.515No.4 K.516
       Kuijken String Quartet   Ryo Terakado

モーツァルト / 弦楽五重 奏曲第1番 K.174 / 弦楽五重奏曲第2番 K.406
弦楽五重奏曲第3番 K.515 / 弦楽五重奏曲第4番 K.516
弦楽五重奏曲第5番 K.593 / 弦楽五重奏曲第6番 K.614
クイケン四重奏団
 演奏はここでもクイケン兄弟たちのものを挙げます。いつも思うので すが、第一ヴァイオリンのジキスワルトはソロのバッハなどでは悲しみが混じるものの、身内のアンサンブルでは楽 しそうです。どこにも走るところがなく、これらの作品を演奏するのにぴったりの運びです。ヴィオラは奥さんの マーレーン・ティアーズ。チェロ兄のヴィーラント・クイケン です。共有した時間と血のなせるわざか、夫婦も含めてずいぶん濃い顔だちの 人たちですが、全員が同じ感覚を共有しているようです。ピリオド楽器の繊細なオーバートーンも、聞くだけで癒さ れます。97年にスペインのサラマンカで行われた 録音は5番ともども彼らのシリーズの中でも特にバランスが良く、美しい音です。ここでは曲目紹介をしませんでしたが、写真一番下の第3番と第4番の盤を 合わせるとモーツァルトの弦楽五重奏が揃います。同じジャケットで全集も出ています。



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