ストラヴィンスキー / 火の鳥
この「火の鳥」のページは当初、「春の祭典」と合わせて一つの記事でしたが、分けて整理しました。 ストラヴィンスキー /「春の祭典」はこちら 「火の鳥」は1882年生まれで1971年に 亡くなったロシアの作曲家、ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽のうちの最初の作品です。火の鳥(1910年)、ペトルーシュカ(1911年)、春の祭典 (1913)という順番で作られました。春の祭典についてはすでに見てきたわけですが、それが不協和音をふんだんに使ったリズムと絶叫の曲なのに対して、ペトルーシュカはピノキオを思わせるパペット(操り人形)が命を吹き込まれ、バレリーナ人形に恋をするものの、屈強なムーア人人形に殺されて人間でなかった姿を晒すというシュールな内容のバレエ音楽です。象徴で言うならバレリーナが内なる女性、極悪ムーア人は自分が否定したことで無意識に沈んだ自己の反対面(シャドウ)、ということになって春の祭典とはまたちょっと違います。そしてピアノ協奏曲にする構想だったのでピアノが活躍しますが、曲想としては滑稽でユーモラスなところもあり、チャイニーズな雰囲気と同時に不協和音も出て来ます。しかし「春の祭典」ほど激しくはありません。ただ個人的に後半の展開が音として好きでないところもあってほとんど聞かないのでここではパスさせてください。多くの演奏者が同じ時期にこれら三大バレエを取り上げていますので、演奏の傾向は他の曲に準じると思います。 そして火の鳥はというと、春の祭典が激情、ペトルーシュカが皮肉だとするなら、叙情です。きれいな旋律に満ちた冒険物語であり、クラシック音楽の入門曲としては三つの中で最も相応しいと思います。そして春の祭典が映画で言えば実写版の SF アクションかホラー大作なのに対して、火の鳥はディズニー・アニメの背景音楽のようです。あるいは古いですが MGM のトムとジェリーのアイススケート、もしくはパーティのご馳走で遊ぶ場面でしょうか。楽しい動きがあり、ラストは感動的でもあります。話の筋も正にディズ ニー向きです: 王子様が火の鳥を追い詰めて魔法の羽を手に入れた後、魔法をかけられた王女に恋をしますが、王女は老人の姿をした化け物によって囚われの身となっていたのでした。そして彼女を助けたい王子もその化け物の手下に捕まってしまいます。しかしそこで魔法の羽を思い出して振ると火の鳥が現れ、化け物の魂がその体ではなく卵の中にあることを教えてくれます。それによってめでたく化け物を退治できた王子は王女と結ばれます。 これもよく考えると創造性を担う無意識の乙女を自我や超自我から救出する話と読めるので、春の祭典と同じ問題の象徴でしょうか。 この曲には楽譜の版でいくつか違いのあるものが出ています。春の祭典とは異なり、譜面とにらめっこをしなくても大雑把に特徴を捉えることはできるようです: 1910年版 全曲版と呼ばれるもので、 オーケストラは大きな四管編成 1911年版 組曲 全曲版と同じ四管編成だが、曲の構成が違って短く、これだけ終曲などがない 1919年版 組曲 オーケストラが小さくなって二管編成(その分演奏機会は増える) 1945年版 組曲 同じく二管編成だが、 終曲の終わりの旋律が4分音符から8分音符+8分休符という形 に変わり、途切れてスタッカート的に聞こえる Stravinsky The Firebird Pierre Boulez New York Philharmonic ♥♥ ストラヴィンスキー / バレエ音楽「火の鳥」(1910年版) ピエール・ブーレーズ / ニューヨーク・フィルハーモニック ♥♥ ファイヤーバード。格好いい名前で、アメリカのスポーツカーです。ボンネットに不死鳥が大きく描かれています。カスタマイズならともかく、純正オプションでそれって気恥ずかしくないかというぐらい。マイケル、とか喋る車とはまた別だったように思いますが。そしてこの CD のジャケットに描かれているのは、そのボンネットの不死鳥です(よく見たら全然違いました)。しかしこの装丁は発売当初からの意匠であり、そしてブーレーズの「火の鳥」はこの曲のベストの一枚だと思います。その後のデュトワ盤とも並んでずっとそう言われて来たので、これは多くの愛好家の間で最も一般的な意見だろうと思います。ティルソン=トーマス盤も良いですが、新しいものは抜粋なので個人的にはこれが最も好きです。 ブーレーズの指揮する「火の鳥」は BBC 交響楽団との1967年録音のもの(1911年版)、それからこのニューヨーク・フィルとの1975年盤(1910年版)、そしてシカゴ響との1992年盤(1910年版)がありますが、ニューヨーク・フィルとのものが時期的にも良いような気がします。昔から馴染んできたこともあるのですが、実にいい演奏だからです。録音も良いです。ニューヨーク・フィルについてはシカゴ響やクリーヴランド管などと比べて上手じゃなかったというような否定文の決まり文句を言う人もいます。それを言うならこの楽団の管楽器には名プレイヤーが揃っていて歌がある、という肯定文の常套句の方がいいんじゃないでしょうか。そ うやって評した人を否定的に言うならこちらも一緒なわけですが。管については具体的なプレイヤーの名前は挙げられませんが本当に上手だし、アンサンブルは自分にはどこが最高じゃないのか分かりません。ラヴェルの「クープランの墓」という曲が好きで、その演奏に関してはブーレーズ/ニューヨーク・フィルのものが昔から断然気に入っています。ラヴェルの曲自体はあまり表現をオーバーにしない方が いいという面が元々あると思うのですが、その演奏は正に品位があって崩れないのです。また、ブーレーズと言えば冷静に楽曲を分解するのが持ち味だという標語もあるものの、そういうこともちっとも感じさせず、冷たくもならずにジャストな歌をうたってくれています。この「火の鳥」もそのラヴェルの演奏マナーと似ている気がします。 全体にゆったり進める中で一つひとつの音を なおざりにせずに克明に描いて行き、それでいて十分に有機的な流れと歌が聞けます。高い次元でバランスが取れているのです。テンポもティルソン=トーマス盤などよりもむしろダイナミックに動かすぐらいです。フレーズが全てシャープで、弱い抑揚の中に飲み込まれるような方向のデリケートさは現しません。そこが楽曲構造をよく見せてくれるところだという意味なら、全くその通りだと思います。 1975年 CBS/コロンビアのアナログ録音は水準が高く、今でも大変良いレベルの録音です。新しくリマスターしたものも出ているようです。 Stravinsky The Firebird Charles Dutoit Orchestre symphonique de Montréal ♥♥ ストラヴィンスキー / バレエ音楽「火の鳥」(1910年版) シャルル・デュトワ / モントリオール交響楽団 ♥♥ 全曲版です。ブーレーズ1975年盤と並んで批評家の方が褒め、ひょっとしたら雑誌の金賞とかも取ったのではないかと思いますが、これも「火の鳥」のスタンダードになっている見事な演奏です。デュトワですから想像はつく通りの、彼らしい美しい表現の一枚です。特にこの曲について気がつくところは、ダイナミックレンジが大きく、小さな音は大 変小さいということです。そういう意味でメリハリがついています。それからディナーミク方向だけでなく、静かなところでは思い切って遅くする表現の幅も感 じられます。この人一流の抑揚で歌うきれいな線が気持ち良いですが、やわらかく伸び縮みする音の波に身を任せる心地良さと言ったらよいでしょうか。繊細な 動きのある流れです。 トータルで言って目の覚める切れ味というよりも、やはり弱音の美で奏されるところが個性的な演奏だとすることができると思います。別の言い方ではブーレーズ盤などよりもより映画音楽的だとも言えます。ただしそうなると大変デリケートで上質な背景音楽ということになりますが。 1984年のデッカの録音ですが、デュトワ の場合、録音担当の加減もあってかこのレーベルの特徴である明るい艶と歯切れのある音というよりも若干自然な方に寄ったものが多いように思います。そういう意味ではこれも同じですが、教会で録音されているというこの火の鳥に関してはよりその傾向が顕著です。残響分が含まれることもあって弦や木管などはよりやわらかく響き、マリンソンのようなことは全然ないし輝かしいブラスの輪郭は出ているのですが、少しだけフィリップス等の音場的な自然さを目指すバランスに近づいた印象です。デジタル初期ながら色鮮やかで潤いがあり、大変きれいな音です。この曲最高の録音の一つと言えるでしょう。 音が良いと言えば、すでに春の祭典の項で取り上げたコリン・デイヴィス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1976年)盤も忘れてはいけません。フィリップスらしい録音で、生のオーケストラの 自然なやわらかい響きを捉える方向としては残響もあるのに明晰で、弦の音にも潤いが聞かれる最上質のものです。演奏は基本はゆったりしていますがテンポ変 動はあり、歌わせ方は清潔でさっぱりとしています。音を聞くだけで癒されます。 Stravinsky The Firebird Mariss Jansons Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks ♥♥ ストラヴィンスキー / バレエ音楽「火の鳥」(1945年版) マリス・ヤンソンス / バイエルン放送交響楽団 ♥♥ もう少し最近のものではどうでしょうか。春の祭典のところで取り上げた演奏家たちは皆その傾向を火の鳥にも同じように持ち込んでいるわけですが、ヤンソンスはやはり大変魅力的でした。しかし彼の採用するスコアは1910年全曲版ではありません。2004年のバイエルン放響との録音は1919年版の二管編成、2007年のロイヤル・コンセルトヘボウ管とやったのは楽章が集約されている1911年版、そしてここで取り上げるのは春の祭典でも大変良かった2016年のバイエルン 放響盤ですが、それについては終わりの部分が跳ねたスタッカート様に聞こえる1945年版のスコアを使っています。オーケストラは大きければ良いとはちっとも思わないし、抜粋でもこの曲は楽しめるし、終わり方だって1910年版と45年版のどちらが優れているというわけでもないですが、ここは保守的だと言われてもスムーズに感動の歌をうたってくれる1910年版の終わり方の方がやっぱりいいように思えると言っておきます。そうなるとちょっと残念なわけです。でもそんな理由でこの魅力的な演奏をパスするのは全く馬鹿げてます。 春の祭典と同じように、あるいはそれ以上に、ストラヴィンスキーだからといって楽曲構造を分析して見せてやろうなどというところはなく、この版をとったことから聞こえて来る新しい音の感覚があったり鐘が目立ってたりはありますが、オーケストラ曲としての美しさ、伝統の響き、楽しさを伝えてくれる演奏です。何よりも伸び 縮みする自在な呼吸があって生きいきしており、乗れる上に新鮮でやわらかな美に満ちているのです。 45年版のラストは8分音符で途切れ気味に行くと書きましたが、そうは言っ たもののこのラストも美しいです。 オーケストラの時前レーベルである BR クラシック2006年の録音です。春の祭典のところでも触れた通り、楽器の自然な音を捉えた音場重視型のバランスによる良い録音です。 Stravinsky The Firebird Michael Tilson Thomas San Francisco Symphony ♥ ストラヴィンスキー / バレエ音楽「火の鳥」(1998) マイケル・ティルソン・トーマス / サンフランシスコ交響楽団 ♥ ティルソン・トーマスがまた素晴らしいのです。掲げたジャケットの写真は1998年の旧盤の方ですが、まずは本当ならこっちを挙げたい2004年の新盤の方から行きます。それについては春の祭典のときと同じことが 言えます(同じ盤に組み合わされています)。透明で、デリケートに磨き抜かれた美しさに圧倒されます。終曲で盛り上がりの前の静かなホルンからクレッシェンドが 始まって行く辺り、何でしょうか、この人のこのきれいな感じは。変な比喩だけどマイケル・ジャクソンのバラードみたいに繊細で傷つきやすく、その純粋さにぞくっと来ます。完璧なアンサンブルにして録音がまた素晴らしく、艶と潤いがあってくっきりとしているのだけど自然なやわらかさも持っています。理想的な音の捉え方でしょう。これだけならブーレーズの75年盤が一番良いだなどとは言わなかったかもしれません。主観評価なら♡♡です。ところが残念なことに、この新盤は「魔王カスチェイの凶 悪な踊り」、「子守歌」、「終曲」の三つだけの抜粋なのです。自分はそれでも十分だし、春の祭典と合わせて是非こちらを聞いてほしいところなのですが、火の鳥を目当てにして買おうという人には勧められないでしょう。 ところで版は何でしょうか。5管編成の「祭典」と同じ日程のコンサートながら、曲の流れは2管の1919年版のようであり、最後の7音だけはアクセントを付けて45年版のように8分音符で行きます。DVD も出てるのでそっちを見ると参考になることがあるでしょうか。 仕方がないのでと言うとこちらが良くないように聞こえますが、そんなことはないのが旧盤である1998年録音の方です。カップリングとなっている春の祭典の一年半後であり、04年盤とは違うけれども録音は最高水準です。拍手もカットしてあります。こちらは1910 年全曲版です。やはり終曲のラストは7音だけ8分音符+8分休符でアクセントを付けています。演奏をこんな比較で表現するのは不適切ながら、ブーレーズ75年盤とデュトワ盤の中間的なイメージで、そういう言い方をするならややブーレーズ寄りかもしれません。つまりブーレーズに響きのきれいさ、妖艶さがより加わり、それでいてデュトワほど弱音を強調した滑らかな歌には寄っていない、と言いましょうか。運びはトータルではブーレーズよりもゆったり気味に聞こえますが、ゆったりというよりもテンポ変動が少なくて駆けたりしないのです。フレーズは十分シャープに磨かれています。叙情性という面では案外動きのあるブーレーズの方が感じられるかもしれないものの、とにかく透明でくっきりとした、細部まで磨き抜かれた大変美しい演奏です。 1998年、レーベルは RCA です。 |