ベートーヴェン「大公」トリオ CD 26 枚 聞き比べ
    ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 op.97「大公」

   rudolf

取り上げる CD 26枚: カザルス・トリオ/カザルス・シュナイダー・イストミン/カザルス・ヴェーグ・ホルショフスキー
/ハイフェツ・ルビンシュタイン・フォイアマン/オイストラフ・トリオ/ボザール・トリオ/スターン・イストミン・ローズ
/デュ・プレ・ズッカーマン・バレンボイム/ケンプ・シェリング・フルニエ/スーク・トリオ ’61 '75 '83/アシュケナージ・パールマン・ハレル
/ボロディン・トリオ/ハイドン・トリオ・ウィーン/カリクシュタイン - ラレード - ロビンソン・トリオ/トリオ・フォントネ
/プレヴィン・ムローヴァ・シフ/フロレスタン・トリオ/トリオ・ワンダラー/トリオ・エレジアク/キャッスル・トリオ
/トレンドリン・トリオ/インマゼール・ベス・ビルスマ/ファウスト・メルニコフ・ケラス/ストリオーニ・トリオ



楽曲の位置づけ
 ピアノとヴァイオリン、チェロの組み合わせによるピアノ三重奏というジャンルは、古くはバロック時代にそういう編成の曲が作られていたようですが、それ以降しばらくはピアノに対してヴァイオリンとチェロが付け足しのような扱いであり、本格的に各楽器が主張し合うような曲はベートーヴェン以降だと言われます。つまりベートーヴェンがこの形式を完成させた、と言ってもいいのでしょうか。そして、そのベートーヴェンの三重奏作品の中でも最も完成度が高く、また聞いて魅力を覚える曲が第7番作品97の「大公」なのではないかと思います。ピアノ三重奏としては最後の作品であり、時期的には1811年完成ということなので四十一歳、中期の終わり頃で、ピアノ協奏曲「皇帝」や弦楽四重奏「セリオーソ」を作った後、第7交響曲の前あたりになります。晩年の孤高とも言える作風ではないにせよ、脂の乗り切った頃の作品です。

 他にもピアノ三重奏曲は他曲からの編曲や変奏曲、作品1以前のものなどを除いて六曲ありますが、1番から3番までは二十五歳頃の曲、4番「街の歌」がその三年後でいずれも若い時の作品であり、5番の「幽霊」と6番が「運命」や「田園」と同じ時期の三十八歳頃ではありますが、大変人気がある、というものでもないようです。恐らく「大公」の次に知名度の高いのは「幽霊」でしょうけど、そのタイトルには大変興味を惹かれるものの、倉庫のダンボールが大量に荷崩れして慌てて走り回ってるような第一楽章の始まりを初めて聞いたときはびっくりしました。一方で表題の第二楽章はなかなか魅力があり、ゴーストの名前の由来になったピアノの低音部の連続音は途中不気味にずっと響いており、モーツァルトの「不協和音」の新しさと同様の意欲的な取り組みに思えます。何を意図したものだったのでしょう。しかし終楽章の追い込みのところも結構しんどく感じます。「街の歌」の第二楽章はきれいだし、6番の出だしも美しく、その後の部分も愛らしくはあるわけだけど、まあ、ピアノ三重奏といえば「大公」としておいてよいのではないでしょうか。「大公 」以外で聞いていて心地良いのはむしろ作品番号1を与えられた初期の曲たちの方だったりするかもしれません。


大公のこと
 さて、「大公」という愛称が曲に付いていますが、この大公というのはオーストリアの貴族、ルドルフ大公という 人のことで、正式な名前はルドルフ・ヨハネス・ヨーゼフ・ライナー・フォン・エスターライヒといいます。ベー トーヴェンがこの曲をルドルフ大公に献呈したのでその愛称で呼ばれるようになったわけですが、年齢はベートー ヴェンより18歳年下、曲が作られた頃は23歳でした。このルドルフはベートーヴェンの弟子にして、パトロンで した。ブラームスの時代には作曲家が自立してなんとか食べられるようになっていたようですが、モーツァルトはそ うしようとして一時は大成功、しかし後に貧乏で暖房の薪も買えなくなりました。作曲家といえば昔はみんな、貴族 のお抱えだったわけです。ベートーヴェンも例外ではなく、やはり貴族からだいぶお金をもらっていました。しかし パトロンとはいっても、15歳のときにピアノと作曲の弟子にしたルドルフ大公とはずいぶん気が合ったらしく、生 涯半ば友達のような間柄だったようです。献呈もこの曲だけでなく、他にも有名なものが多数あります。大公は音楽 の才能もあったようで、作曲もしているし、彼のためにピアノのパートが書かれた作品もいくつもあります。ベー トーヴェンの死後三年で、その虚弱だったルドルフも若死してしまいましたが、ベートーヴェンには最後まで年金を あげていたそうです。
 大公もベートーヴェンもウィーンに住んでいましたが、元々この大公の家はロレーヌ家といって、フランスとドイ ツの国境のあたりが発祥です。ルドルフ大公のおじいさんで後に神聖ローマ皇帝になったフランツ1世がマリ ア・テレジアと恋愛結婚したために、あの有名なオーストリアのハプスブルク家と一体化しました。同じく神聖ロー マ皇帝だった父のレオポルト2世とフランス革命でギロチンにかかったマリー・アントワネットは兄妹という関係で す。つまりマリー・アントワネットは大公の叔母さんです。叔母さんとはいっても、仲の良かったフランツとマリ ア・テレジアの子供は16人もいたし、大公本人の兄弟も16人でした。フランツには奥さん以外にも何人も愛人が いたとのことで、このあたりの貴族たちの生活は、いろんな意味で人間関係の一大シンフォニーという感じです。
 ちなみに「大公」という位は貴族の中でも王のすぐ下にあたります。英語だとarchduke、その下には公爵 duke、王子/公子 prince、侯爵 marquis、辺境拍 margrave、伯爵 count、子爵 viscount、男爵 baron など、国によっても違いはあるでしょうが、実にたくさん位があります。


演奏スタイルについて

 よくベートーヴェンの曲だからといって、豪快さを求める権利があると主張しているかのような声が聞かれます。 とくに男性に多いのだろうと思われるこういう意見、まるで馬力の大きなエンジンでタイヤを摩耗させながら走るの がスポーツカーだと言っているように聞こえます。確かにモーツァルトと比べるとベートーヴェンには断定的な意志 のようなものを感じるときがありますが、例えばユニゾンで強調されたり、多重和音で宣言されたりするフォルテの 部分で堪え切れずに走ったり、力まかせに叩いたりしたら、音がダマになり、濁ってよく聞こえなくなってしまうの ではないでしょうか。そうしたベートーヴェン解釈が、現在は少しずつ、若手の演奏家の間では流行らなくなってき ているような気もします。
 この曲の演奏スタイルを勝手に三つに分けるとするなら、一つはピリオド楽器によるもの、そしてモダン楽器によ る残り二つのうちの一つは往年の、あるいは巨匠風の壮大なもの、そしてもう一つが昨今の、軽く爽やかで深刻さを 感じさせないスタイルのものということになります。往年の、と昨今の、の境界線がどこかははなはだ曖昧ですが、 私は個人的には最後のカテゴリーが好きです。ここで取り上げる盤は色々ですが、コメントはそういう私のバイアス がかかっていることをお断りしておきたいと思います。



    casals
       Casals Trio / Pablo Casals (vc) /
Jacques Thibaud (vn) /  Alfred Cortot

カザルス・トリオ / パブロ・カザルス (vc) / ジャック・ティボー (vn) / アルフレッド・コルトー (pf)

 カザルスの演奏した「大公」は知ってるもので三種類あります。その中で最も古く、最も有名なのがティボーとコ ル トーと組んだカザルス三重奏団による1928年盤でしょう。カザルスはチェロの巨人ですから説明するまでもない かもしれませんが、バッハの無伴奏組曲を再発掘したり、新しい奏法を確立したりして、チェロ演奏に革命をもたら したと言われます。フランコ政権に反対して生涯母国に帰らなかったことも有名ですし、あのヨーヨーマも神のよう に讃えています。ねばりをもって力強く朗々と歌い、感情表出のあり方が当時としては非常に個性的だった人だと思 います。この演奏は私が初めて「大公トリオ」という曲を知ったもので、傷んだ盤で何度も針を通したこともあって 自分の中でのスタンダードになってしまい、あらためてどういう特徴かと説明しようとすると案外困ったりもしま す。しかし三種類の中では個人的にはダントツにこれだと思っていますし、音質を除けば今聞いてもなるほど、と納 得してしまうものでもあります。  

 アルフレッド・コルトーは1877年生まれでフランス人とスイス人を父母に持ち、フランスで活躍した
ピアニストで、祖先はカザルスと同じカタルーニャ出身だとも言われます。ジャック・ティボーもフランスのヴァイ オリニストで1880年生まれ。カザルスは1876年生まれですから、ほぼ同世代の人たちです。ティボーは飛行 機事故で死にたいと発言して実際に飛行機事故で亡くなった珍しい人です。この話は有名なので、弟子だった女性 ヴァイオリニスト、ジネッタ・ヌヴーのことについて書いたブラームスのヴァイオリン協奏曲のページで私もすでに 触れました(「ヴァイオリン協奏曲とピアノ協奏曲第2番」)。

 さて、その演奏ですが、溌剌とした出だしからしてニュアンスに富んでいて古さを感じさせません。引きずるわけ でもなく、大仰でもなく、むしろ明るく爽やかで、ドイツ系ともユダヤ系とも違った趣です。フランコ=ベルギー派 の典型だ、などという知識はなく、この当時のフランス流なのかどうかも私にはわかりませんが、大変好きな表現で す。割合ゆったりしたテンポですが、弱音で鳴らすピアノのトリルが静かで美しいです。28年ということですが、 むしろ40年代〜60年代頃の演奏より新鮮に感じます。ヴァイオリンがポルタメントを使うのが古き良き時代を感 じさせるぐらいでしょうか。あとはヴァイオリンとチェロがユニゾンで大きくビブラートをかけながら丸く抑揚をつ けるところなども独特の空気感ですし、コルトーによくあったことらしいですが、ときどきピアノが乱れるところも あります。ヴァイオリンのピツィカートが続くところでピアノと歩調が合わず、ヴァイオリンだけが一人速く走って 行ってしまう箇所ではおいおい、と思いますが、これもご愛嬌です。また、ヴァイオリンとチェロが長い和音を奏で る場面で「はもり」が妙な具合に共振しているのはどちらかの音程がずれているからですが、これについてはカザル スは表現手段として音程を微妙に変える技を使っており、上昇フレーズと下降とで音が違ったという話もあります。 下げておいて最後に上げて合わせるというのは歌などではよく使われる手法ですね。そのせいかどうかはわかりませ んが、気になる人は狂っている、昔だからこんなものなのか、といぶかるかもしれません。
 一般に想像されるような往年の名演スタイルと違うと説明しましたが、実際に興奮して走って行くようなところは ありませんし、カザルスが主張し過ぎるということもありません。歌のある抑揚で、決して力で押し切るような種類 でも、壮大な演奏でもありません。

 スケルツォはデリケートな抑揚をつけながら、過度に元気にならないところがいいです。

 第三楽章も出だしは適度にゆったりなテンポで陰影に飛んでいます。弦に音の途中で盛り上げるイントネーション があり、ピリオド奏法が出てくるはるか前にこういう表現があったのだな、と思いました。フレーズの変わり目で間 を十分にとるのはせかせかしたピリオド奏法とは全く違いますが。途中からはかなり遅いテンポになりますが、セ ンチメンタルではなく、瞑想的な静けさと言うべきでしょうか。テンポの緩め方も良いです。フランコ=ベル ギー派とはいえ、ビブラートのないヴァイオリンが山なりに鳴らすところもあり、後半はゆったりと濃厚に歌って、チェロの深い抑揚が聞こえます。

 終楽章はややテンポ変動が大きく、走るフレーズも聞かれ、くっきりと発音されないところも 若干はあります。

 写真は古い LP のものですが、最新のリマスター CD は驚くほど音がいいです。とても1928年とは思えない仕上がりで、演奏同様、40年代から50年代の前半の録 音と 言われてもわからないかもしれません。ただし SP からの復刻なので持続的なヒスのように聞こえる針ノイズはあるし、箱鳴りのような響きで低音が少ないのは致し方ないことです。音が重なるフォルテで濁りも あります。それを承知で聞いてみたい人には価値ある名演だと言えるでしょう。定評のある古いものこそがいいとい う方には、確かにこれもいいかもしれないけど、最近の若い世代にも素晴らしい演奏がたくさんあるということを言 いたい気もします。レーベルは EMI で、残響は少ないです。



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      Pablo Casals (vc) / Alexander Schneider (vn) / Eugene Istomin (pf)

パブロ・カザルス (vc) / アレクサンダー・シュナイダー (vn)
/ ユージン・イストミン (pf)
 カザルスの加わった「大公」の二つ目は1951年のフランスでの録音です。1925年生まれでユダヤ系アメリ カ人のユージン・イストミンがピアノ、1908年生まれの同じくユダヤ系アメリカ人でブダペスト四重奏団のメン バー だったアレクサンダー・シュナイダーがヴァイオリン、というものです。二人はカザルスよりずっと若く、カザルス を尊敬している立場です。

 演奏スタイルは上記カザルス三重奏団とは大変異なっていて、軽く陰影に富んでいるという方向ではないように聞 こえます。テンポは次に紹介するヴェーグ盤ほどではないですがぐっと遅めです。弦はスラーがかなりつながってる なという印象で、フォルテは力強いですが、エネルギッシュでもないように感じます。テンポの揺れ はティボー/コルトーとの盤とは種類が違い、強調しようとするところで遅める傾向が目立ちます。 そしてヴェーグ盤と同様遅いなかで一つひとつ進めて行く感覚があります。ヴェーグ盤ほど訥々としてはおらず、滑 らかさは感じられますが、丁寧という点では同じです。

 スケルツォも同様で、ヴェーグ盤よりよく波打ち、滑らかさがありますが、リズムパートは遅くて区切られた印象 です。破綻のない運びだと言えるでしょう。

 第三楽章は大きく波打ったり消え入るように弱まったりというのではなく、ゆったり、とうとうと流れて行きま す。それでいてクレッシェンドがダイナミックでもあります。テンポはヴェーグ盤ほどではないけれどもかな り遅い方です。フレージ ングも丸く感じ、途中ゆっくり歌わせるところでは止まりそうなほど遅くして揺ら します。感情的に重いわけではないですが、リズムは重いと言えるでしょう。こういう傾向が好きな人には魅力的なものだと 思います。

 終楽章は結構力強いです。リズムが区切られていて意外な揺れなどはない、真っすぐな解釈です。これもヴェーグ 盤ほど遅くはありません。

 この脇をアメリカの門弟たちが固めるカザルスの録音、手法こそ違いますが後のスターンたちを思い起こさせると ころもありますし、音をとらえる形として、薄まりながら、あるいは少し様相を変えながらバレンボイム、アシュケ ナージなどにつながるルーツのような一面もあるのかもしれません。

 録音はモノラルですが、次のヴェーグ盤のステレオより悪いとは思いません。



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       Pablo Casals (vc) / Sándor Végh (vn) / Mieczyslaw Horszowski (pf)

パブロ・カザルス(vc)/ シャーンドル・ヴェーグ(vn)/ ミエチスラフ・ホルショフスキ(pf)
 カザルスがチェロを弾く「大公」の第三弾は国内では「銘盤」シリーズとなっており、現在日本以外でも出てるの かど うか はわかりませんが、日本のウィキペディアでは一時期これだけ名盤として記載されていた記憶があります。恐らく、巨人カザルスが SP の復刻ではなく、ステレオで聞けるというところがこれを推す人にとって最大の魅力なのだろうと思います。1958年、ボンのベートーヴェン・ハウスでのラ イブで、カザルスはこのとき82歳でした。
 メンバーはヴァイオリンがハンガリー出身のフランス国籍でヴェーグ四重奏団を創設したシャーンドル・ヴェー グ、ピアノはユダヤ系アメリカ人のミエチスラフ・ホルショフスキーというものです。ホルショフスキーは高齢まで 活躍し、その晩年の演奏活動を高く評価する声もあります。

 演奏ですが、カザルスの参加した三枚を比べると年代ごとにテンポが遅くなるようです。後の二つの録音は他のメ ンバーが信奉者のようにカザルスを慕っている関係ですから、よくあることですが、このテンポ設定は年輪を加えて きたカザルスがそういう生体の呼吸になって仕切っているのか、それとも曲の構成上重要なパートとなっているピア ノが決めるなど、若手に任せてカザルスは合わせてやっているのか、そこらへんの事情はファンならばわかるのかも しれません。とにかく遅いです。出だしからして大変ゆったりなテンポに感じます。ヴァイオリンはやや引きずる傾 向があります。ピアノは一音一音鳴らして行くという印象で、丁寧です。遅いピアノに合わせてヴァイオリンが抑揚 をつけず、 音を延ばさずに弾くところでは途切れ気味に聞こえたところもありました。主観的な感想に過ぎませんが、こうした状況は遅いテンポ設定に奏者がついて行って ないときにも生じるような気がします。その一方で表情 があるのはカザルスのチェロで、彼らしく、うねるように弾いています。

 スケルツォも同様で、一つひとつ音を鳴らしている感じがします。くっきりしているけれども、催眠にかかりそう な気がしました。この楽章でこういう状態は大変個性的と言えるでしょう。

 第三楽章は元来遅いパートであり、他にも遅い演奏があるために違和感はさほどないですが、やはり最初からス ローです。モノトーンの抑揚を抑えたピアノで入り、ヴァイオリンは力が抜けています。ここでもやはり チェロの音が低く感じるときがあり、そのせいでヴァイオリンとのハーモニーに干渉のうねりを感じます。この楽章 は全体に起伏が少ない運びで、感情移入するところはなく、ただ静かにフラットであり続けます。そんななか、細い ヴァイオリンの音が印象的です。後半はひたすら遅いと言っていいでしょうか。それもこういう呼吸の感覚を共有す る 人には唯一無二の名演になるでしょう。

 第四楽章もフラットで大変ゆったりです。

 録音はカザルスとしては新しくてステレオですが、ライブのためにクウォリティ的には古い感じもします。強調さ れた広がりを除いて、音そのものの印象はモノラルかな、というトーンです。カザルスがステレオで聞けるなら問題 ないでしょうか。



    rubinsteinarchduke
      Yasha Heifetz (vn) / Arthur Rubinstein (pf)  / Emanuel Feuermann (vc)

ヤッシャ・ハイフェッツ (vn) /
アルトゥール・ルビンシュタイン (pf) / エマーヌエル・フォイアマン (vc)
 ベートーヴェンの「大公」は密かなブームになったのだそうです。それはカズオ・イシグロのファンが沈黙する一 方で、毎年ノーベル賞受賞を信じる熱愛的な読者に恵まれるわが国のある大作家が、その小説の中で音楽を取 り上げることを仕掛けにしているからだそうで、その一つが「大公トリオ」だったらしいのです。遠回しな言い方ですが、その大作家というのはもちろん村上春 樹氏のことですね。今や世界的存在であり、処女作しか読んでない私は何もコメントできないですが、それでこの曲 が売れて室内楽に親しむ人が増え るのは素晴らしいことだと思います。

 小説の中での演奏はルビンシュタイン/ハイフェッツ/フォイアマンたちのものだったようです。そして音楽祭の 宣伝担当が考えたそうですが、この人たちは「百万ドルトリオ」と呼ばれることもあるようです。ミリオンダラーと いうのは素晴らしいものにくっつく形容詞ですので、そういう意味だろうと思います。ユダヤ系の人はビバリーヒル ズに住んでお金を持っているから、というわけではないでしょう。
民族の是正有遇措置には容易に賛成しかねますが、ユ ダヤ系アメリカ人が クラシック音楽界を牽引してきたことは事実だし、「大公」でもかなりの割合で彼らの録音が占めています。私もワ ル ターやプレヴィン、イリヤ・カーラー、ギル・シャハム、晩年のプレスラーなど、大好きなユダヤ人音楽家がいます。アメリカ国籍じゃないけどあのヤンソンス だってユダヤ系です。しかしその上で彼らのメンバーの一部の音楽に、見ように よっては一つの傾向があると言ったら、ちょっと微妙な問題になってくるでしょうか。弾圧や被差別といった過去の問題に関係があるのか、登場の仕方に関係が あるのかわかりませんが、共通性といっても演奏スタイ ルのことではありません。技法的には様々ですし、それを論じる力は私にはありません。しかしときに、直感に従っ て揺れ動く自発性だとか、フランスの演奏家に時々見られる外しの粋とかではないような種類の、そっけないほどの ストレートさやわかりやすい感動の形とでもいったものが彼らの抑揚に見え隠れするように感じるときがあります。 一頃のドイツ系の 演奏家に角張ったイントネーションがあったのと同じです。チェリビダッケが言ったみたいにそれをディレッ タントと評したら中傷になりますし、間の抜けたものや情緒纏綿なものではなく、速くてドライブの効いた演奏にすら同 じものを見ようとするなら、やはり過度な典型化に違いありませんが。
 ここでの百万ドルトリオの演奏に接して、私はちょっと複雑な気分を味わっています。第三楽章はかなり好きです が、自分にはこの素晴らしい名演奏家たちの価値がよくわからないのです。もし貶しているように聞こえたらご容赦 ください。有名どころを網羅しよ うとするとスキップするわけにも行きませんし。でも私ごときが何を言っても彼らの価値は減じないことでしょ う。そして村上春樹氏のファンならこれを買うべきだし、またそうすることでしょう。

 巨匠たちの「金字塔」と言われる演奏。1941年、真珠湾攻撃の三ヶ月前のハリウッドです。ルビンシュタイン とハイフェッツは気が合わず、後年仲違いしたそうですが、目指す方向性が違うのでスリリングだとも評されます。 言い方は色々ですが、「火花散る」というのは、喧嘩してるからさっさと終わらせたい、というのとは違うでしょう し、このセッションが見切り発車だと言いたいわけでもありません。でもハイフェッツはルビンシュタインの引きず るようなリズムに苦言を呈した とい うことですから、ひょっとして速く行きたいハイフェッツが犬の首輪のようにルビンシュタインを引きずってる構図もあり得るのでしょうか。ときにずいぶん急 いでいるように感じます。テンポは合意の上に決まっていますが、ときどきヴァイオリンが先走る箇所もあります。 そんなところでは前のめりに追い込 むように 拍が早まります。スラーでつなげて一続きに盛り上がる大きなクレッシェンドがあるかと思えば、 転げるように駆け出すフレーズもあります。

 ルビンシュタインといえば思い出す記憶があります。幼稚園でお昼寝の時間にクラシックが流れたのですが、ある ときサ ンサーンスの白鳥や乙女の祈りに混じって、ショパンの幻想即興曲が鳴りました。それがこんな曲で気に入ったと父 親に説明すると、喜んでルビンシュタインのショパン集のレコードを買ってくれました。ところがその重い運びにど うも馴染めず、どうしてこの鷲鼻のおじいさんだったんだろうと思いました。でもせっかく喜んでいる父には悪くて 言えずに困りました。以来私にとってルビンシュタインは重いリズムで縛りにやってくる存在でした。ハイフェッツ も同意見だったと聞いてわが意を得たりですが、どういうわけかこの「大公」でのルビンシュタインは印象が全く違 います。ヴァイオリンにやさしく気遣ったのかどうかはわからないですが、同じように前のめりに駆けるところもあ り、さらっとした流体のような、新しい一面を見せてもらいました。

 ハイフェッツについては超絶技巧の持ち主ということもあり、元来そのカテゴリーの人たちの多くがわからない私 には、ここでの彼が彼らしいのかどうかは書けそうにありません。一般に有名ではないけどギタリスト受けするジャ ズ・ギタリストとか、クラリネット吹きが褒めるクラリネット奏者というのがありますが、その楽器を演奏しない人 間には「あそこをあの手法で何事ももなくやれるって凄い」と言われてもわからないわけです。ここでは常に前へ、 前へ、という気持ちを感じる、としておきます。

 チェロのフォイアマンはヒンデミッドと組んで弦楽三重奏をやるなど、ヨーロッパで有名な演奏家でしたがナチに 追われました。このトリオでは仲人役とか仲裁役とか言われますが、控え目で目立とうとするところがなく、自然に 溶け 込んで歌います。

 第二楽章も短く切り上げるフレーズが目立ち、踊りながら駆けているような調子で、これはこれでなかなか面白い です。

 第三楽章のアンダンテは味があります。ただ、主題の歌はゆったり歌うものの、展開部分ではやはり転げるように 速いところが出ます。小さな山を一つひとつ盛り上げながら進むようなうねりはありますが、ルバート様の時 間方向の揺れは少ないです。フレーズの間をつながずに空白を設けるヴァイオリンはどうかすると遅いテンポに抵抗 しているかのようで、かといってピアノが終始遅くしようとしているかというとそうではなく、フォルテで同じ音を 隙間なく埋めるように叩く超速連打も繰り出します。猫のように鳴くポルタメントはやはりこの時代の空気を感じさ せます。弦に常にビブラートがかかって震えているのも印象的です。しかし繰り返し現れる主題のうねるような大き さはとても心地良いです。冷めたことも言いました が、後半は揺する波にまかせているとうっとりとしてきます。音も手伝ってか、なんかすごく懐かしい感じです。

 終楽章も同様で、走るフレーズが前倒れになるところがあります。時間方向の揺れはさほど大きくないと書きま したが、ときどきテンポルバートがかかって一瞬もつれるように遅くなって間ができたり、駆け出したりということ はあります。第二楽章とよく似た処理で、踊るように身をよじりながら素早く駆け抜けるフレーズがある種の爽快さ を感じさせます。

 録音状態が最善でないのは1941年ともなれば致し方ありません。ピアノは鐘が鳴り響いてるみたいで霞の中に いるようです。全体に音が常に続いているように感じます。しかし別の見方をすれば、針音の懐 かしいセピア色の響きです。鼻にかかった音域の狭さも琥珀色の輝きと捉えられないこともありません。文学 の装置としては、最新のきれいな音の録音で時代に洗われてしまうようなものでは駄目だったのでしょう。そして作 家は作品の世界の続きとしてこの音の余韻を読者に聞かせたかったのかもしれません。だったら確信犯だな、と思い ます。



    oistrakharchduke   
       David Oistrakh (vn) / Lev Oborin (pf)  / Sviatoslav Knushevisky (vc)

オイストラフ・トリオ
/ ダヴィド・オイストラフ (vn) /
レフ・オボーリン (pf) / スヴャトスラフ・クヌシェヴィ ツキー (vc)
 やさしさの感じられるアンサンブルです。オイストラフと聞けばたっぷりと歌う、あのやわらかい音色を思い浮か べる人もいることでしょう。ここでもそれは裏切られません。往年の名演という範疇に入るでしょうが、力で押し出 すところはなく、
滑らかな運びでロマンティシズムにあふれています。濃厚でメロウなヴァイオリ ン に、軽妙なピアノが絡みます。白熱の方向でないといっても、粋な揺れや崩しを指向しているわけでもなく、なんで もお国柄にからめて言ってしまうのはいけませんが、そこはロシア流(当時はソ連ですが)なのか、ひたすら豊かに 歌います。テンポは終始ゆったりとしています。因にオイストラフもユダヤ系だそうです。弾圧されたロシア・ソビ エトの体制の中で、音楽でしか貧困を抜け出せなかったこともあって多くの演奏家が出ました。しかしオボーリンの ピアノはソビエト・メソッドから出て来たとは思えない繊細さで、超絶技巧の奏者とは方向性の違う、軽さと温かさ があります。この演奏の良さは彼の存在によるところが大きい気もします。

 丁寧な第一楽章は悠々とした運びで走りません。ピアノが力まないのがいいです。ヴァイオリンはややねっとりし た節回しです。チェロは爽やかです。三者そろってそよ風のように心地よく耳を撫でる静かなパートもあります。

 やや遅めのスケルツォは生真面目なフレージングで、パートによって区切れて軽さがないように感じるところと、 ふわっと軽いタッチで行くところとが現れます。ピアノはやわらかく陰影があり、そっと弾くようなタッチが心地よ いです。一切走るところがありません。

 第三楽章もやはりゆったり切れ目なくヴァイオリンが泣きながら、ひたすら抑え気味に進行します。感傷的な抑揚 があるわけではないのです。ここまでスローに一語ずつ発音して行くのか、という部分もあります。延々と遅 く、ホルショフスキーたちのスケルツォもそうでしたが、ここでも催眠にかかるような心持ちになります。しかし全 編そのような進行というわけでもなく、やわらかな抑揚でヴァイオリンが撫でるような箇所もあるので、他の演奏で ときに感じたような乗れない違和感はなく、全体としては心地よく浸れます。ヴァイオリンとチェロが受け渡しをす る最後の方のところでうっとりさせられる場面もありました。ピアノの音は丸いけどきれいです。

 前楽章とコントラストのついた短く強いフォルテで始まる第四楽章もやはり速くはない展開ですが、軽さを感じる のはピアノのせいでしょうか。後半は崩れることなく落ち着いて進んで行き、お終いに近づくとやや速まって、 最後は加速して終わります。

 録音は EMI で1958年。ステレオです。今や昔の巨匠の名演ですが、音はかなりいいです。



    beauxartsarchduke
       Beaux Arts Trio


ボザール三重奏団 
 ボザール・トリオは近年味わい深いソロ活動で脚光を浴びているメナハム・プレスラーがピアノ、ダニエル・ギレ がヴァイオリン、一人だけヘブライ系ではなさそうなバーナード・グリーンハウスがチェロというアメリカの三重奏 団で、1955年にデビューして2008年までピアノ以外のメンバーを変えながら長らく活動してきたようです が、最近のプレスラーの活躍まで知りませんでした。そのプレスラーの素晴らしさについては別項で取り上げました が(メナハム・プレスラーのモーツァルト)、枯れ た洗練と内側に深く耳を傾ける瞑想的な味わいが独特でした。 1964年、41歳のときのこの「大公」の演奏にそうした枯れた趣きはないですが、あの演奏の奥にある基底層を かいま見 ることができるような気もします。ああいう熟成の味を出す前は、元来こういう傾向だったのですね。イストミンや ホルショフスキーとは違った方向の叙情性表現で、ちょっとやり過ぎかと思えるほど揺れ動くテンポは別の意味でわ かりやすい側面もあるように思えます。ひとことで言ってしまえば「ロマンティサイズド」ということも可能かもし れません。しかしひたむきなところは晩年と変わらないとも言えます。フランス語で Beaux は美しい、Arts は芸術ですが、リエゾンした「ボザール」一語で「美術」という意味です。

 第一楽章の運びは、この時代のスタンダードだったような遅くて重い方向ではないものの、途中で急に速まったり 大胆にぐっと遅くなったりするような、情緒に揺れるところが大きい音楽になっています。それがロマンティックに 聞こえるのでしょう。しかしそれでも奇をてらう計画性と感じさせないところは後年のプレスラーのソロにも共通性 があると思います。ヴァイオリンはレガートでよくつながっています。全体にフレージングは区切るようなも のではなく、軽く滑らかです。

 スケルツォも軽やかに流れるようであり、やはり
感情に従った湧き立つような揺れがあります。

 第三楽章はゆったりですが展開部で速まるところもありますし、ここでもヘヴィ・クリームのような思い入れの強 い抑揚がつきます。フレーズを小節後半で緩めて遅くする様が大変叙情的です。耽溺するにせよ盛り上がるにせよ小 細工なくストレートであると言ってもいいでしょう。真っすぐな叙情性が欲しい人は、これか次のスターンた ちの盤か、というところかもしれません。ボザールはフルトヴェングラーのようなテンポの揺れが売りです。

 終楽章も傾向はそれまでと同じです。平均してテンポはやや速い方でしょう。最後は転げるように駆けて行って、 断定的に遅くして締めくくります。

 録音はフィリップスで、音が良いところが魅力的です。艶やかで滑らかです。レーベルが良い演奏として推してい たのでしょう、他の盤では私も聞いて大変バランスが良かった96KHz24bit リマスター版も出たことがあるようです。



    sternarchduke
       Isac Stern (vn) /  Eugene Istomin (pf) / Leonard Rose (vc)

アイザック・スターン (vn) / ユージン・イストミン (pf) / レナード・ローズ (vc)
 常に超一流が存在する一方で、料理にせよデザインにせよ、洗練という事態に到るまでに努力を必要とする一面が アメリカ文化にある、と言ったら言い過ぎでしょうか。それでも強靭な努力でいつかそこに到達するのです。そして なにも洗練だけが魅力のすべてというわけでもなく、荒削りながら大胆に正確な形にカットした具象彫刻のような安 心感もまたいいものです。そんなアメリカらしい演奏があるとしたら、それはピルグリム・ファーザーズのせいなの か、華麗なるソロモンの宮殿を築いた人たちの末裔の文化が関係するのかは分け難い気がします。アメリカのクラ シックの演奏家で、アングロサクソン系の人を列挙しろと言われたらすぐにどれぐらいの数思い浮かぶでしょうか。 また、ジムに通う人がたくさんいるように、男性が男らしいということはアメリカではかなり重要なことのようで す。このユダヤ系アメリカ人の三人の男たち、ヴァイリニストのアイザック・スターンとピアニストのユージン・イ ストミン、チェロのレナード・ローズのトリオによる「大公」の演奏は、そんなアメリカらしい理想を実現した 名演 だという気がします。マンリーで真っすぐな叙情性、ヒューマンで豪快なタッチ。全体に重さのあるフレーズなが ら、ゆったりしているのでうるさくはなりません。わかりやすいストライクゾーンの堂々たる演奏は美 しくもあります。もしシュティーラーの肖像画のような雄々しいベートーヴェン像というものを信じるなら、これを 選んで間違いないでしょう。

  第一楽章はゆったりとした始まりで、堂々として余裕があり、よく抑揚がついています。もったい ぶっているように聞こえる人もいるかもしれません。フレーズの区切りはフォルテで力強く叩き、くっきりしていま す。ヴァイオリンはビブラートが大きくついて深い呼吸で歌います。歌い方は一つひとつ丁 寧に進められますが、たとえ同じぐらいのテンポでもオイストラフのようにやわらかく甘いのではなく、もっと骨太 です。またスークのようにすっきり中庸ではなく、もっと隈取りがきついです。緩める強調はあっても走り出す強調 はありません。男はせかせかしないのです。しかしピアノのイストミンはカザルスの51年盤でも弾いていました が、傾向は同じながらこちらの方が洗練されて聞こえるでしょうか。 

 第二楽章もくっきりとしたフレーズで進められるゆったりめのテンポで、スケルツォとはいってもおどけてもいな いし軽くもなく、真面目に行きます。途中チェロが遅めて間をとる方向に崩すところもありますが、意外な表情 は少ないです。

 第三楽章も中庸よりややゆったりで入り、要所で強く叩きながらくっきりと、悠然と進められます。大きく呼吸が 入っているので気持ちがいいし、たっぷりとした情感に浸りたいならばこの盤はいいです。絶妙な動きとか 詩情というものを期待する人には向かないです。弦にやわらかいうねりが聞かれるので、間のびした状態には陥りませ ん。中間部では大きめのルバートで波打ちだし、最後に向かってテンポも劇的にゆっくりになって濃厚な表情 が付きます。

 第四楽章はその前のアンダンテからコントラストがついて元気に速まりますが、他の演奏と比べてすごく速いとい うわけではなく、中庸と言えるでしょう。リズムはやはりくっきりとしています。力強さとともに明るさを 感じます。そして最後まで走ることなく堂々としています。


 1966年 CBS の録音です。こもらず弦も滑らかで、ピアノはピンとしてきれいです。



    duprearchduke
      Jacqueline du Pré (vc) / Pinchas Zukerman (vn) / Daniel Brenboim (pf)

ジャクリーヌ・デュ・プレ (vc) /ピンカス・ズッカーマン (vn) / ダニエル・バレンボイム (pf)

 見た目の印象と対比を生むかのようなスケール豊かな演奏で人気を博した夭折のチェリスト、デュ・プレは映画に も なりました。そしてその夫だったバレンボイムに、美音が有名なヴァイオリニスト、ズッカーマンによる20代の若者の頃の演奏です。イギリスでありながらフ ランス文化を持つ英仏海峡の島に祖先を持つデュプレを、アブラハムの直系 の人々が援護しています。ここでの演奏の特徴の多くがデュプレから出ているのか、他の演奏でも同じ傾向を見せる ことのあるバレンボイムが主導しているのか、ファンの方ならわかることでしょうが、私には特定できません。

 若い時の録音といっても、最近のさらっと軽快な傾向の演奏ではありません。しかしデュ・プレということでガツ ンと気迫がある運びだろうと構えて聞くと、その通りながら粘り腰な歌も濃厚だし、弱く遅くするところも徹 底しているのだなと気づきます。これ以上の振幅の幅はちょっと考えられません。普段は味が濃いとも言えないズッ カーマンの弦もここでは軽くはなく、時によって印象の違うバレンボイムのタッチは案外軽やかなところと執拗なま でに強いところとがあります。アンダンテ・カンタービレの第三楽章は大変ゆっくりで、重々しくて思い入れたっぷ りという感じがします。感情的になることを恐れず大胆になった大変個性的な表現であり、それはある種時代の空 気でもあり、同時に別の意味で演奏者の若さでもあるのかもしれません。

 くっきりしたピアノでゆったりめに入る第一楽章は最初からチェロが雄大に歌います。反対に弱音ではぐっと 抑えて行くので振幅が大きく聞こえます。ヴァイオリンはレガートで滑らかにつながりつつ、しかし同調して抑 揚は大きいです。途中でテンポがかなりゆっくりになったなと気づきますが、表現の濃厚さと間が十分取られ ているせいだろうなどと思っていると、本当に遅くなります。フレーズごとに大きな歌を歌わせて一つずつ解 決して行く感じです。タ・アー、タ・アー、タ・アーと、音の中途で盛り上げて強い強調を入れます。洗練ということには眼目のない力演だと言っていいでしょ う。最後ではややテンポが速くなります。

 第二楽章は中庸なテンポながら強調のある拍で、軽く弾むように心がけているのかもしれませんが、力が入っ ているように聞こえました。途中の展開でチェロが大変ゆっくり弾き出し、それに他の楽器が同じように続くところ がで出てきますが、かと思っていると急に目覚めたように加速して、ドラマのようです。また、フォルテの一 拍ずつが区切れて強かったり、わざと引きずるように強調された弦があったり、やはり全体に振りが大きい演奏で す。

 第三楽章はストレートに遅く、重々しく始まります。弦の振幅が大きくて力が入っていますし、ここでも引きずる ボウイングが聞こえます。ピアノもときに驚くほど力強く叩いています。そして遅いところは最大限遅い歩みで、途 中で止まったかと思いました。粘っこく、濃厚なチョコレートにピーナッツバターを加えたような味わいです。これ 以上の思い入れを込めるのは恐らく難しいでしょう。

 第四楽章は第三楽章に比べると霧が晴れたかのごとく溌剌としているように聞こえますが、客観的にはとく に軽快なテンポというわけでもないのでしょう。それでもちょっとしたルバートが今度は軽く聞こえることも事実です。

 とにかく凄い演奏で、絶叫コースターのようなスリルがありますから、ファンの人にはたまらない魅力でしょう。 この G に乗 れる人はフロレスタン・トリオやトリオ・エレジアクなどの最近の演奏は気の抜けたペリエぐらいにしか感じないかもしれ ません。いずれにせよ唯我独尊、これが好きな人は他のものでは物足りないはずです。

 1969年 EMI の録音です。



    kempffarchduke
       Wilhelm Kempff (pf) / Henryk Szeryng (vn) / Pierre Fournier (vc)

ウィルヘルム・ケンプ (pf)  / ヘンリク・シェリング (vn) / ピエール・ フルニエ (vc)
 ピアノの詩人ケンプに、いつも洗練された歌を奏でるフランスのチェロの名人フルニエ、国内でもレコード賞に輝 いた名匠シェリングのヴァイオリンによる「大公」。
 ケンプに注目すればドイツ流ということになるのかもしれませんが、メンバーがそれぞれ別の文化に属するので、 ありがたいことにどこの国風ということも生じません。滑らかな運びで、ピアノにケンプらしい歌があり、やはり独 特の美が感じられます。ヴァイオリンもチェロも流れ がやわらかくつながれていて、よく歌います。ピアノも弦もともに弱音での美しさが際立っています。この曲で魅力 を感じる部分の多い第一楽章と第三楽章がとくに素晴らしいと感じました。

 一方でスケルツォの第二楽章は走ることなく進むので、おどけた感じも軽妙さもなく、主観的な印象ですが生真面 目で遅く感じます。これは最後の第四楽章も同じで、この楽章でここまでゆったりしたテンポは珍しいのではないか というぐらいです。場所によってはちょっと間が空いた感覚を覚え、区切り過ぎて私には乗れない感じもありまし た。単にテンポだけの問題ではないでしょう。無意味なことなので、ドイツ流ともユダヤ流とも言わないでおきま す。しかし第三楽章の出だしでは過度にロマンティックにならないように すっきりと入り、遅すぎず、溺れないながらもやわらかく歌う様が美しいです。そして徐々にゆったりと深まって遅 くなります。

 トータルでみて、最近の軽さのある表現傾向のもの以前の、いわゆる巨匠たちの演奏の中では個人的には最も魅力 的に感じた一枚です。
 
 私が手にした盤のカップリングは、いつも完璧な技巧派、カール・ライスターがクラリネットを受け持つオリジナ ル版(ヴァイオリン で演奏されることが多い)の「街の歌」です。これは国内限定の廉価版で、他にチェロ・ソナタと一緒になってるのが出ていてそちらの方がドイツ・グラモフォ ンの正規盤のようですが、全集は今は出てないようです。ベートーヴェ ンのピアノ三重奏で「大公」以外で聞いて楽しめるのは、自分としては初期のものや「街の歌」ぐらいかなとも思うので、 こちらを挙げておきました。フルニエのチェロ・ソナタは同曲のベストの一つですが、全曲揃えても悪くはないし、 こっちは本来のクラリネットの音が聞けるのも珍しいことですし。
 
 1969年ドイツ・グラモフォンの録音は状態がいいです。このぐらいの年度になるとアナログ・ステレオの録音 技術も完成に近づき、とくに編成の小さな室内楽では今の録音と比べてさほど遜色ありません。ここでも各楽器がバ ランスよく瑞々しい音に録られていますし、このレーベルでときどきあったキツい中高音の癖もありません。ただ少 し残響は少なめで、やや詰まった感じはありますから、滑らかで繊細という方向とは違いますが。



    suk1archduke    suk2archduke    suk3archduke
       Suk Trio '61                                       
Suk Trio '75                                        Suk Trio '83

スーク・トリオ

 日本のクラシック愛好家の間で、その昔「大公」のレコードと言えばまずはカザルスの演奏だったのだろうと 思い ま す。そしてその後、世界的には色々有名どころの演奏があったものの、わが国でその次に大々的な人気を博したのはスー ク・トリオでした。理由は恐らく日本のデンオンが PCM 録音シリーズを立ち上げ、契約料の安かった東側の人たちを中心に色々面白いものを出してきた、そのレーベルの目玉としてドヴォルザークの曾孫であるスーク たちの「大公」の盤があったからだと思います。レコード会社と出版社が一本化して雑誌で評論家がこぞって褒 め、 FMでこの 曲が かかればいつもスーク、という時期がありました。その頃クラシック音楽に目覚めた世代は懐かしく思うでしょう。 かく言う私も自分のお小遣いで最初に買ったのはこれでした。一度好きになった演奏は他のものではだめ、とい う人 間の懐かしみの心理もあるのでしょうか、良いものがいっぱい出て来た今でも、ある程度年配の人の間ではこれこそ が原点と思っておられる方も多いようです。アマゾン・ジャパンを見ると、他の国とは違ってこれが上位に出て 来ま す。 それと、前にハイフェッツ=ルビンシュタイン盤のところで述べた作家の村上春樹氏は、どうやらこの盤についても 言及しているようです。そうなるとハルキストの方々が買っておられるのかもしれません。

 スークというチェコのヴァイオリニスト、私の印象では飾り気がなくすっきりと真っすぐで、ビブラートは用 法と してちゃんと用いるものの艶やかで流麗という方向ではなく、温かい温かいと言われがちなこの国の演奏家の中では どちらかというとちょっと寒色の、ときに鋭くエッジの立った音で進めて行くきびしい人という感じでした。し かし旧東側の音楽家は伝統的には非常に生真面目で、楽譜から大きく外れることはないけれども楽譜通りのつま らない演奏と いう のではなく、そこに生命を与え、生きいきとした呼吸を音にして行くことが多いように思います。ボッセやズスケ といったヴァイオリニストを思い浮かべる方もあるかもしれませんし、いくつかのオーケストラのことを思う方 もい らっしゃるでしょう。ここでのスーク・トリオの演奏も同じことが言えます。三回ほど録音しているものの、スタン スは基本的に変わらないのではないかと思います。大吟醸の味わい、とでも言えばいいでしょうか。味が濃いわ けで はなく水のようにすっと喉に入って来る、後でふわっと温かくなる、そんな風合いです。火入れしていない無濾過原酒が’好きな私もその良さを認めないわけに は行きません。「大公トリオ」ってこういう音楽なん だ、 ということを余計な遊びに気を取られることなく味わえる名演と言えるでしょう。

 すごく変わった表現があるわけではないので楽章ごとの特徴を挙げることはやめておきますが、三つの録音を ひと まとめにしてしまうのはあまりにも乱暴ですので、少しだけ触れますと、一回目の録音はスプラフォン・レーベルで 1961年。メンバーはヤン・パネンカのピアノにヨゼフ・フッフロのチェロです。テンポは他よりも若干速め で、 ピアノのリズムがよく弾んでいて若々しく元気が良い印象です。録音バランス的にはヴァイオリンの音が前へ出てい ますが、スメタナ四重奏団でもそうだったように、ややつや消しのスプラフォンらしい音です。ときに細く泣く 昔の 録音のような倍音に聞こえる場面もあります。

 二回目の録音はデンオンの PCM シリーズで1975年。メンバーは一回目と同じです。こちらはテンポが全体にややゆったりになり、よく歌っていて心地良いです。特に緩徐楽章のアンダンテ はいいです。ピアノも振りが大きくなっており、テンポも静かな部分では遅めです。収録が教会だったので残響 が豊 かであり、艶やかな弦で音が大変良いのが印象的です。好みで言えばこれが好きかなと思います。

 三回目の録音も同じくレーベルはデンオンの PCM シリーズで1983年。ピアノがヨセフ・ハーラに変わりました。しかしオリジナル・メンバーで人気のある二回目と比べて決して悪いわけではないと思いま す。テンポは三回目の方が速めで軽やかになります。ピアノ以外の表現でも若干はさらっとしているでしょう か。残 響は二回目より少なめです。



    askenazyarchduke
       Vladimir Ashkenazy (pf) / Itzhak Perlman (vn) / Lynn Harrell (vc)

ウラディーミル・アシュケナージ / イツァーク・パールマン / リン・ハレル
 チェロのハレルを除いてこれも、約束のカナンの地を目指した人々のパフォーマンスという ことになります。こうして見てくるとたく さんリリースされてい るのがわかります。ルーツが二系統というような話は横へ置いておいて、この血縁の人たちが加わった演奏は、ここで任意に取り上げただけでも11枚ありま す。それと知らない人がいて抜けているかもしれませんが。ピリオド 奏法の盤を除くと、実に全体の半分以上である11/19ということになります。ユダヤ人は劣等だと言ったワー グナーは彼らの能力を恐れていたのかもしれません。いずれにせよ、選ばれし民の、才能の宝庫と機会 の充実という ことを示しているのでしょう。
 ハイフェッツたちの盤のところでこの民族の人たちの演奏についてちょっとネガティヴな典型化をしてしまい ましたが、相互扶助の習慣と財力とで凡庸な人にまでチャンスが与えられていると言いたかったのではありませ ん。むしろ旧ソ連領域から出た人たちに関しては、差別待遇から逃れるための一族の期待を一身に背負い、やめ たくてもやめられない状況のなかで恐ろしい努力をしてきたという側面もあるかもしれません。ヴィルティオー ソを養成する独自のメソッドがあり、選ばれ、コンクールで必ず勝利する重圧の下で晴れ舞台に立つのです。で すから実際に才能があり、巧いのです。ソ連時代のアイススケートの選手たちもウルトラ C の完璧なジャンプで得点を量産しました。アイスダンスでは優雅でなかった記憶がありますが、彼らの置かれた環境を考えれば致し方なかったでしょう。音楽家 たちが感情表現で厳しさや硬直の波長を現すことがあっても責められません。わたしはこの血縁の人たちの演奏 に、彼らの苦しさを感じているのかもしれません。現在の機会の充実はその苦しかった境遇とホロコーストの補 償のために必要なのでしょう。でもこれからの世代はきっと、また違った一面を見せてくれるに違いありませ ん。

 長く活躍している有名演奏家の中ではあまり誇張した表現にならない方ですが、このアシュケナージたちの演 奏、 力の抜けた滑らかな方向ではなく、やはり往年の名演奏家にもときどきあるような、真面目というのか、ちょっと押しと硬さのある演奏に思えます。むしろド イツ的というのか、ある種当時の空気感を感じると言ってもいいでしょう。きれいな音色であるとか華麗だとか 評されることもあったアシュケナージですが、私はここでは前出のイストミン同様、ややゴツゴツとした感触を 味わってしまいます。ラフマニノフなどではそんな感じは全然しなかったし、ソナタのときともちょっと違うよ うな気もするので、何か考えるところがあるのでしょうか。そしてロマン派には分類できないベートーヴェン を、その端正/謹厳な面から解釈する場合はこれが正しいのかもしれ ません。そしてバレンボイムもそうですが、この人についてはいつも絶賛するというわけには行かなくなってしまうことが多いので、ただ単に自分とそりが合わ ないのだと思っています。そういう場合はあまりレポートしない方がいいでしょうが、ここに書くことはそんな 好みを反映してのこと、と思っていただきたいです。よく言われていたように教科書的で破綻がない、などとい うとそれもなんだか貶しているように聞こえますが、スターンと並んでど真ん中の、正統派の堂々とし た演奏です。これこそが「大公」の名盤というように紹介する方もおられることを申し添えておきます。 

第一楽章
 テンポは中庸です。タッチは重々しいわけではないですが、テヌートの仕方が目立つところはあります。楽譜 はス ラーながら、それが強調されているという趣きではありません。ヴァイオリン、チェロともにビブラートが速くて大 きいので、意欲とテンションが高まっている感じがします。歌わせ方は、山を作って一フレーズごとに覆いかぶ せる ようにフワッ、フワッと大きめの抑揚を付けて区切って行きます。ピアノも定型の波を作って同じように区切りま す。ここらへんは趣味の問題であって、緩めるところと強め速めるところとの使い分けが個人的には好みではな いというだけで、好きな方は気に入るでしょう。リズムに破綻は全くなく、アクセントは結構強いです。弦が ジャ、 ジャ、と力強く押して切って行くところ、トリルの連続するパートで一単位ごとに区切るところ、ピアノのスタッカートと弦のピツィカーとの合わさるパートで やや音が途切れがちに聞こえるところが、私には授業で苦手だった強調構文として聞こえます。しかしそれは残 響がないせいもあるでしょう。アシュケナージという語がヘブライ語でドイツを意味するから、演奏もドイツ的 というのとは違うと思います。

第二楽章
 ここも残響が少ないせいでしょうか、主観的にはやや途切れがちに聞こえました。テンポは遅くないのに、角 張っ たリズムで行くことも関係あるかもしれません。中立な表現では端正と言えるでしょう。そして結構力強いです。

第三楽章
 遅くなく速くなくの進行でよく抑揚がついていますが、テンポは伸び縮みせず、やはりちょっと区切れた間の ある 歌のもって行き方をします。音節の頭で弦が二段構えにずらしてアタックする部分が大変激しいのは、私には懐かしい手法に感じられます。今風がいいわけでは ありませんが。ゆるやかに波のような抑揚をつける方向ではなく、滑らかさを 狙ってもいないと思います。やや引きずる音の運びが見られる一方で、一フレーズご とに完結した歌が乗っています。場所によってはスタッカート気味に進めるところもあります。夢見心地という のと は反対の分解的で辛口のベートーヴェンを目指したのかもしれません。生真面目で飾らない緩徐楽章です。

第四楽章
 テンポはここも常識的な範囲です。クリアに楽譜を見ているようで、フレーズごとに区切って力を入れます。 盛り上げては終わりを切るような弦の運びに荒い呼吸のようなものを感じ、私はちょっと息苦しくなりました。 苦闘するベー トーヴェンの偉大さ、とも言えます。そして全ての運びが正確です。

 1982年の EMI の録音です。残響が少ないです。



    borodintrioarchduke
     Borodin Trio


ボロディン・トリオ
 ボロディン・トリオはボロディン四重奏団の初代ヴァイオリニストだったロスティスラフ・ ドゥビンスキーが、ピアニストで奥さんのリューバ・エドリナ、チェリストのユーリ・トゥロフスキーと1976年に結成した三重奏団です。ドゥビンスキーは ソ 連から後にオランダを経てアメリカへ渡っています。四重奏団についてはボロディンの弦楽四重奏のページでその洗 練されている様を褒めましたが、そのときの録音は同じカルテットでも時期が違い、ヴァイオリンはミハイル・ コペルマンでした。

 激しくはないものの、たっぷりと大きく歌う演奏です。その大胆に波打つ歌謡性が気に入る人も多いと思いま す。 苦しいベートーヴェンではないので聞いていて乗れます。悠然としたところはスターンたちの演奏にも通じる気がし ますが、あちらが鍛えた筋肉のやわらかさを思わせたのに対し、このボロディン・ト リオはそういった男っぽさはあまり感じさせず、もし男ならよりやさしい父親像という感じです。

第一楽章
 テンポはゆったりの方です。ピアノは女性ではありますが、ピリオド楽器のキャッスル・トリオにちょっと似 た、 フォルテで間を大きめに空けてから強く打つような強調が聞かれ、タメをきかせたフレーズでゆったり歌わせます。 弦は特に弱めてから遅くして力を抜くところが独特で、ちょっと大げさかもしれないけれども心地よ く、やわらかい印象を与えます。全体に波打つような抑揚ですが、フランス流の微細でやり過ぎない洗練 を目指すというよりも、恐れることなく大胆に聞かせます。そして訥々と 区切れるのとは反対で、切れ目のない大波に洗われる感触です。たっぷりとして心地よいです。

第二楽章
 ここもややゆったりしたテンポですが、今度はタッチが想像していたよりもやわらかく静かに進む印象です。 録音 の良さによってチェロの艶が感じられ、ピアノの滑らかに光りながらもきらびやかさをもった音が心地よいです。 フォルテに向かうところでのアクションの大きさは第一楽章と共通しています。アクの強さがあるとともに独特 の安 心感も抱かせる運びです。

第三楽章
 たっぷりと夢見心地に入ります。よく延ばして大きく歌う様はロシア的叙情と言うか、リヒテルの平均率の静 かな 曲での歌わせ方を彷彿とさせるものがあります。テンポは遅く、小賢しい細工がなく、何ごとも差別なく受け入れて くれる心地よさを感じます。グレートマザー的というか、養育的な父親というか。英国流もフランス流も、粋と 名の付くものが落ち着かないむきには愛されるに違いありません。中間部のスローな展開では大河のよ うに悠然としていて、思わず浸っている自分に気づきます。スラーでつながって、どこまでもおおらかです。

第四楽章
 ここもゆったりしていて、全体に走らない演奏です。

 1984年、イギリスでのシャンドスの録音はたっぷり響いていながら艶があり、ピアノのフォルテがピンと して 心地良いです。



    haydntriowienarchduke
       Haydn Trio Wien

ハイドン・トリオ・ウィーン
 知らない三重奏団でしたが、アペックスの廉価版シリーズにラインナップされていたので取り上げました。結 成は 1964年ということですから、最近のグループではないです。ピアノはハインツ・メジモレック、ヴァイオリンは ミヒャエル・シュニッツラー、チェロはウォルター・シュルツです。 
 タメのあるピアノのタッチがくっきりと強く、弦も盛り上がりの力強さと、逆に力を思い切って抜く静かな表 現の間にコントラストがあります。ディナーミクは大きく、アゴーギクはさほどでもありません。滑らかに大き なスラーでつないでうねって行くような演奏では なく、ドイツ系と言っていいかどうかはわかりませんが、正統的 な古典派のベートーヴェンを目指す団体によくある通り、短い音節のユニットで区切り気味に解決して次へ進む という感じです。典雅なウィーン風のやわらかさを期待すると意外に思うでしょう。

第一楽章
 比較的ストレートに進みますが、さらっと流すのではなく、くっきりとした力強さを感じます。フォルテで一 つひとつ区切って強く打つからかでしょう。フレーズの終わりで間を空けて強く叩くピアノの手法は前出のボロ ディン・トリオやキャッスル・トリオとも共通したところがありますが、この方向のアクセントはよく見られる ことなので、この程度ならばあまり重々しくは感 じません。

第二楽章
 ややゆったりしたテンポで弾むように進めます。粒の立ったピアノの音が心地良いです。やはり滑らかに流す ので はなく、音節を区切って行きます。軽やかでおどけたスケルツォではなく、生真面目に取り組んでいます。

第三楽章
 あまり遅くないテンポで、真っすぐに表現しています。緩徐楽章にもかかわらず、ピアノによる途中のフォル テが ずいぶんと強く叩かれます。数音単位の短い間にうねるような抑揚を付けて行くので、滑らかに進行 する音を目を閉じて味わうという感じにはなりません。ちょっとドイツ語のアクセントのよう です。

第四楽章
 この楽章は出だしのところで音節の最後の音をスタッカート様に短くせず、鳴らしたまま次の音まで続け るので、区切れ感が少ないのがちょっと意外でした。しかしそこだけで、全体の流れは他のところと同様、一つずつ 音を断定しつつ積み重ねて行く律儀さが感じられるものです。終わりの方でチェロの音程と他とがカザルスみた いに 微妙にずれて聞こえたように思えた瞬間がありましたが、気のせいでしょうか。テンポは最後までゆっくりとしてい ます。

 レーベルはワーナー・アペックスで、録音は1985年です。滑らかできれいなピアノの音が聞け、弦もうる おい があります。



    Kalichsteinarchduke
       The Kalichstein-Laredo-Robinson Trio

カリクシュタイン - ラレード - ロビンソン・トリオ
 今まで全く知らない演奏者でしたが、褒める人もいるので手に入れてみました。アメリカの人たちのようで、 レー ベルはカリフォルニアの MCA クラシックスとなっています。彼の地は一つの独立文化圏ですね。グループとしては1978年にニューヨークでデビューとありますが、ピアノのジョゼフ・カ リクシュタインはテルアビブ出身のアメリカ移民だそうです。ヴァイオリンのジェイミー(ハイメ)・ラレード はボリビアからアメリカに来て一時はピアニストのルース・ラレードの旦那さんだった人で、チェロのシャロ ン・ロビンソンはいつも一緒に活躍する彼の現在の奥さんで、テキサス生まれということで す。

 独特の存在意義があるように感じ、その周波数が気に入りました。普通なのにどこにも分類できない種類の演 奏 で、どう説明したらいいでしょうか。アメリカ発なのでスターンたちをやさしくした感じとも言えなくはないです が、持ち味はヴィヴィッドでありながら、アットホームでゆったりしていること。テンポの崩しに粋さを求める よう な傾向はないですし、とくに意外な表現も見当たらないので面白さはないかもしれませんが、全体にたっぷりとした テンポで通し、静かに歌わせる部分ではそのスローな歌が大きく波打ちます。間をよく取るところもいいです。 フォ ルテの前ではそれがちょっと強調されて感じますが、かといってリズムが区切れて角ばったフレージングに聞こえる ような癖もありません。フォルテが力強いと表現しましょうか。「大公」の演奏として非常にスタンダードなも のと 言ってよいと思います。アンダンテの楽章も他よりゆったりしていて、それでいて流れが途切れたようになりませ ん。

第一楽章
 やわらかく入り、一音節、一楽句噛みしめるように丁寧に進みます。ゆったりめなテンポです。音符の間に風 を呼 び込むような落ち 着いた間が心地よく響きます。途中フォルテで力がないわけではなく、緩めて抜いてみせるような今風の流し方ではなく、ピア ノはくっきりと強く叩き、弦もそれに合わせて強く奏でます。それでいて大声でがなり立てるようなところのな い演 奏に感じます。テンポが自在に揺れることはあまりありません。

第二楽章
 スケルツォでも同じで、軽くやさしくはありますが、一音ずつくっきりとしたフレージングで進めます。テン ポは ややゆったりめ。明るく爽やかです。仲の良い楽しげな感じが伝わります。

第三楽章
 大変ゆったりとしています。それでいて俗な感じには陥りません。やはり一音ごとに丁寧に鳴らして行くと ころがあって、すっかりレガートという感じではなく、むしろ自分の呼吸を一つひとつゆっくり意識するような 心地 よさがあります。この感覚は素晴らしいです。そういう意味では瞑想的とも言えるかもしれないですが、ロマン ティックというのとはまたちょっと違ったリラックス感です。弦のアタックなどで新しい世代とは違う大振りな ところがないでもないですが、ヴァイオリンもチェロもよく歌っていて、この楽章は聞いていて非常にくつろげ ます。

第四楽章
 ここもリズムに軽さがあり、弦に伸び縮みもあって心地よく進みます。ピアノの強打は結構なものです。 その際間をとって遅めて強調する感じもあります。テンポは速くも遅くもないですが、どちらかというとややゆったりでしょうか。平均ではそのように聞こえる なか、非常に遅いところと、後半でかなり速まるところとがあります。この楽章ではピアノにル バート的な粘った動きも時々聞かれます。

 1987年の録音は艶と明るさがあり、きれいです。



    triofontenayarchduke
       Trio Fontenay ♥♥


トリオ・フォントネ ♥♥
 80年代ぐらいまでに出て来ていた大御所たちとは一線を画した、新しい 世代 の演奏です。トリオ・フォントネは ドイツ、ハンブルクで1980年に結成された団体で、メンバーはミハエル・ムッケがヴァイオリ ン、 ヴォルフ・ハーデンがピアノ、イェンス・ペーター・マインツがチェロ で す。フォントネというのは音大の近くの通りの名前に因んでいる そうですが、古いフランス語では 'source' の意味があるそうで、泉の意味のファウンテンと語源学的には近いのでしょうか。
 「蒸留水のような」、と形容したら、飲んでみた人は「味がしない」という意味に 解す るかもしれないので、名前に かこつけて「泉の水のような」美味しい演奏、とでもしておきましょうか。そうなると、スーク・トリオのところで 大吟醸みたいと言ったのとどう違うのか、という馬鹿ばかしい話にもなってしまいます。楽譜通りというのは決 して 褒め言葉になりませんが、生きいきと呼吸はしていても、あまり主観的な解釈は加えずに端正に進める演奏というも のはあります。スーク・トリオが伝統的なスタイルでそういう方向であるとするならば、ここでのトリオ・フォ ント ネの演奏は、昔ながらのベートーヴェンという概念に真面目に従うという縛りなどもはやなく、楽譜から音楽をダイ レクトに受けとめて感覚的な喜びに従っている、そんな感じです。

 新しい世代ということでは、後で紹介するイギリスのフロレスタン・トリオとフランスのトリオ・エレジアク も大 変素晴らしく、三つどもえで私にとっては「大公トリオ」のベストと言っていいものです。どちらかというと好みは 後者二つの方かもしれませんが、このフォントネはダイナミックでありながら余裕のある演奏です。
 フォルテで音数が多く、テンポが速いとガヤガヤとして音がダマになり、一つひとつの和音構成がわからなく なっ てやかましい感じになるものです。昔の演奏はそういうところでも遠慮なく強く進めることが多かったですが、昨今 は音をずらしたり歩調を緩めたり、少し弱めたりして見事に全体像を見せる手法がよく見られるようになってき まし た。フロレスタン・トリオとトリオ・エレジアクにはそういう配慮が感じられるように思います。しかしこのトリ オ・フォントネは、同じように揺らしたり自在に弱くしたりがあるものの、どうやらそれは表現の一つであるよ うで す。この団体は決してやわらかく繊細に行こうとしているわけではないのでしょう。速度を緩めることなくリズミカ ルに強く進んで行くパートも特徴的なのです。それはドヴォルザークのドゥムキーでも同じことを感じました。 民族 調の歌をゆったりと歌ってみせるというよりは、ストレートに楽譜の持つポテンシャルを発揮させて行く快速な進行 もありました。ここでも同じです。蒸留水のような、と最初に言ったのは、そういうストレートアヘッドな姿勢 のこ となのです。そしてありがたいことには、録音が素晴らしいのでそういう速く強めにリズムを叩く場面でも音が混戦 状態になりません。ストレートに強いところと、しなやかに弱めるところの間のレンジの広い名演と言えます。

 第一楽章は速くもなく遅くもないテンポで、表現としては奇をてらったところはなく真っすぐです。しかし ニュア ンスに満ち、リラックスしたゆとりのあるタッチが聞かれます。この楽章は理想的だと思います。フレーズの最後で テンポを緩めたりアタックを弱めたりといった配慮がありますが、かといってフォルテの音が濁ることを気にし てそ うしているわけではないのは後の楽章を聞けばわかります。小気味良く歯切れの良いアタック も出て来るからです。クソ真面目にならず、深刻だったり勢い込んだりということに縁のない肩肘張らないスタン ダードな演奏です。

 第二楽章も快適なテンポで軽さと明るさがありながら、ここは十分にダイナミックです。キレが良くアタック に強 さもあり、大変良く弾むので、舞踏の聖化と呼ばれた第7交響曲のリズム感を思い出させるところがあります。これ はカップリングのカカドゥ変奏曲でも同じ事が言え、第9の第二楽章に似た部分で歯切れ良く聞かせてくれるの はこ のグループの特徴です。引きずる重さがなく、全くモタつくところがないのは見事で、ロックやポップスに馴染んだ 世代にも乗れるところがあるかもしれません。

 第三楽章のアンダンテ・カンタービレは案外あっさりしたテンポです。しかしピリオド奏法の演奏家が緩徐楽 章で 素っ気なくすっ飛ばして行くのとは違い、よく抑揚がありつつ適度に速いという感じです。健康的な明るい波長で、 夢 想的だったりロマンンティックだったりしないのです。個人的にはもう少し静けさがあってゆったりと浸れる 方が好きですが。
 中間部ではピアノのアタックがかなり強いところがあったりします。立体感があるとも言える意欲的な表現で す。 後半は抑揚が深まります。

 第四楽章も弾むように進行して力強いですが、重く引きずるところがないので大変心地よいです。リズムが強 調さ れた演奏と言えるでしょう。しかし、ただ走って行くようなものではなく、ところどころで間を空ける余裕はあり、 楽しんでいる感覚があります。

 1992年ベルリン・テルデック・スタジオでの録音は大変に優秀で、おそらくベストの一つだろうと思いま す。 この人たちの録音はだいたいいつもこのように水準が高いようで、前述したドゥムキーでもそこが魅力でした。プロ デューサーは違っても録音エンジニアは同じ人のようです。強い音でもピアノ、弦の合奏ともに透明感を維持し てお り、低音がぐんと出てくるのですが高い方に被りません。弦楽器は胴が良く鳴っていて、艶があります。ピアノも同 様に大変艶っぽく、強いタッチではくっきりとしており、キラっとした音も出る一方で過度に金属質にはなりま せ ん。廉価版も出たようですが、最近ちょっと正規盤のリリースが止まってるのでしょうか。再販されるといいと思い ます。市場にはまだ出回ってます。



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      Andre Previn (pf) / Viktoria Mullova (vn) / Heinrich Schiff (vc)

アンドレ・プレヴィン (pf) /ヴィクトリア・ムローヴァ (vn) /ハインリヒ・シフ (vc)
 ピアノのアンドレ・プレヴィンは大変才能のある人で、ジャズを弾かせてもセンスがいいし、指揮者としても 繊細 で絶妙な息遣いをオーケストラに伝えることができるようです。パートナーの華やかさでもムローヴァと並ぶそうで、それもこの人の魅力のうちということで しょう。ベ ルリンでユダヤ系ロシア人の家庭に生まれたとい うことで、これまでのところたくさんリリースされるユダヤ系のミュージシャンの何人かに対して洗練と反対で ある かのようにあまりいいことを言わなかったかもしれませんが、この人は派手さはないかもしれないけど天才の部類だ と思います。しかも映像記憶型の天才とは違い、呼吸があり、音楽が生きています。
 ヴァイオリンはヴィクトリア・ムローヴァです。ロシアから亡命して、名器による美しい音色を聞かせてくれ まし た。最近はバロック・ヴァイオリンでの活躍も目覚ましく、バッハの無伴奏など独特の語法で新しい境地を開きまし た。この人もジャズに対する理解があるようです。
 チェロのハインリヒ・シフは2016年に亡くなったようですが、オーストリアのチェリストです。ロストロ ポー ヴィッチの代役で有名になったそうで、ここでもよく歌っています。

 長らく自分の中でナンバーワンだった「大公」の演奏です。繊細さがありながら力強いという希有な組み合わ せの ベートーヴェンで、完成度が高いと思います。色々面白いものが出て来た今、♡二つにしなかった理由は何かと言えば、ひとつは第三楽章の独特のゆったり安らいだ感じが、もう少し波のように自在にうねりつつ揺れて行く方が いいかな と 前から思っていたからです。カップリングのブラームスの方がもっとロマンティックに波打たせているように感じる ので、古典派のベートーヴェンに対する解釈なのかもしれません。完全に好みの問題ですが、元々個人的には懐 かしく夢見るような楽想があるものとしてここの部分を捉えてきただけに、美しく覚醒しているこの演奏も素晴らしいの ですが、幻想と知りつつも酔わせてもらいたかったというところでしょうか。
他の楽章で も、ゆったりやっているかどうかには関わりなく、フォルテの部分以外で全体にヴォルテージが高いような印象 を受 ける箇所もいくつかありました。p がやや mf 寄りになっているというのでしょうか、タッチが結構しっかりしていて鳴り響いて感じるところがあるので、豪 放さを求める向きにはこれでも足りないのかもしれませんが、私には耳にわずかに単調な強さを覚える瞬間もあ ります。しかし全体としてはニュアンス豊かだし、今 でもこの曲のストレート な名演として一番に推します。

第一楽章
 テンポは中庸、チェロがよく歌っていて、全体に豊かな抑揚が付いています。力強さと勢いもありながら、デ リ ケートなニュアンスを持っており、ピアノが場所によってゆったりめに間を空けたり一音弱めたりといった繊細な配 慮を聞かせます。音色も大変きれいです。溌剌としていてゆとりも感じられ、新しいスタンダードというか、文 句の つけようのない表現です。

第二楽章
 ここはほんのわずかにゆったりめと言えるでしょうか、リラックスしたスケルツォだと思っているとフォルテ での 力強さもあります。トリオ・フォントネのように素早い連打で飛ばしてリズムを強調するのではなく、フ レーズに丁寧に抑揚を付けつつ曲の構造を描き出します。

第三楽章
 ところどころでわずかなルバートを用いながら十分に歌います。中庸ややゆったりめのテンポで滑らかさがあ りま すが、全体に一つのスラーでつながった大きな波のような抑揚というのではなく、一つひとつの小節ごと、楽節ごと に丁寧に抑揚をつけながら進んで行くところがあります。しかし多くの往年の名演奏にありがちだった途切れと ぎれ の印象は全くなく、スムーズです。静かに抑えたパッセージも印象的です。後半はテンポが十分に落ちますが、それ でも情緒に浸っているという感覚ではなく、覚醒しつつ安らいでいるような独特の運びです。

第四楽章
 勢いがあり、テンポがかなり速くなります。ストレートで生きいきとしています。この人たちは強い音でダイ ナミックに行っても決してうるさい感じにならないのが良いところです。過剰に力を込めたり、強調のための区 切りを 連発したりしないからでしょうか。以前に出て来ていた息苦しくなるような演奏とは一線を画します。十分に加速し て元気よく終わります。

 1993年のフィリップスの録音はいつもながら自然な楽器の艶があり、大変良いバランスです。今でも一番 良い ものの一つと言っていいでしょう。



    florestanarchduke
       The Florestan Trio

フロレスタン・トリオ

 フロレスタン・トリオは1995年にロンドンで結成された三重奏団で、 息の合った活動をしてきたようですが、ハイペリオンに数多くの録音をし終えた後、2011年にはメンバーがそれぞれの道を選び、チェロはロンドン・ハイド ン四重奏団へ、他のメンバーはソロ活動へと移ることになり、12年に最後のコンサートを開いて解散していま す。 ラテン語で繁栄を意味するフロレスタンはよく人の名前にも用いられますが、シューマンのペンネームでもありま す。スーザン・トムズがピアノ、アンソニー・マーウッドがヴァイオリン、リチャード・レスターがチェロで す。

 ベートーヴェンの「大公」の演奏で最も好きなものをあげろと言われたら、これかな、と思ったりします。フ ラ ンス の新進、トリオ・エレジアクも趣は違うながら同じぐらい好きですが。このイギリスのグループ、本国以外で の知名度がどのくらいかはよく知りませんが、実力があり、恐らく現代の最も洗練されたピアノ・トリオなので はな いかと思っています。その持ち味はふわっとした羽のような軽さ、力の抜けたやさしさと温かさです。アットホーム さは息が合っていることの証明だと思います。剛直豪放なベートーヴェンというのではなく、はっきりとリラッ クス 指向を持っている演奏だと言っていいでしょう。しかしゆっくりと弱々しくやるという意味ではありません。力強い フォルテはあっても、さらっと何気なく繊細さを表し、どのパートでも音を慈しみ楽しんでいます。
 フランスのトリオ・エレジアクにはゆるやかに起伏して、滑らかに寄せては返す波に揺られるような心地よさ があ ります。一方でこちらのフロレスタン・トリオの方は、これも国柄から言うのは型にはめ過ぎですが、英国紳士の大 人の上品さと表現してもいいでしょうか、粘るのではなく、さらっとしています。あるいはピアノが実質的な リー ダーだとするなら、ここでの女性ピアニストの資質が、控え目でありながら感性と調和のとれた知性を発揮させてい るのでしょうか。フォルテだからといってしゃにむに強く叩かないで待つような呼吸は両者に共通しますが、粋 や洗 練の現れ方は違うものです。超越した覚者なら文化的にせよジェンダー的にせよ集団的無意識の影響は乗り越えてい るかもしれませんが、面白いものです。そういえばトリオ・ワンダラーもフランスで、彼らにはテンポ強弱の ちょっ とした恣意的な癖が感じられましたし、ドイツのトリオ・フォントネには時折ストレートなフォルテがあるのです。

第一楽章
 出だしからちょっとタメが効いています。やわらかく、テンポは軽快な方なのに少しも急いだ感じがしませ ん。次 の歌に入る前に深呼吸し、一瞬待ってから入るような余裕もあります。フォルテの最初の音も頭から力んで入ら ず、弱めてから強くするような嗜好があります。かと思えば、他の演奏では皆が同様に間を空けたり、テンポル バー トをかけがちなところで均等なリズムでさらっと行く場面も目立ちます。それは外しというよりも、控え目な方向に 響きます。ブリテン式洗練でしょうか。
 ピアノは軽く鈴が鳴るようなところが美しく、フォルテで叩く和音もあっさりしています。録音の加減で低音 がよ く出ることもありますが、左手のパートを右の旋律と同じぐらい強く弾いているように聞こえる箇所があり、全体の 構成がよく分かって立体的です。
 弦も軽やかで力が抜けていますが、スラーがかかって滑らかにつながります。ピリオド奏法ではないのでビブ ラー トは使うものの、わりと線の細い音です。ぐっと静かにささやきかけるようなフレーズが印象的です。弦のピツィ カートとピアノのスタッカートの合わせ技では両者が等質で軽快です。

 全体に軽いタッチであり、スッと弱めたり、大胆なほど静かに潜行するようなフレーズがあったりして、変化 に対 するフットワークの軽さ、自分の中の感興に即応できるセンシティブさが感じられます。窓を開けてさわやかな朝の 空気を取り込んだような気分になります。

 さて、具体的にどう揺らしているかという点ですが、四つ続きの音符の二番目で時折わずかにルバートをかけ て遅 らすようなリズムが心地良いです。例えば第一楽章の頭の部分で説明するなら、ここは四分音符4つで一小節なの で、ハ長調だとドミシド/ソーとなります(実際は♭シレラ♭シ/ファー)。それがド( )ミシド/ソーとなるような間の取り方です。他の箇所で他の演奏者が時折やるような、1フレーズの最後の長音(次の小節の付点二分音符)の前で間をとっ て、最後を強く叩くような重たい強調はやりません。

第二楽章
 速い方ではないですが、他の楽章同様やわらかく音を転がして行きます。力が抜けていてフォルテの立ち上が りが いいので強弱のレンジの広さを感じます。スケルツォとして弾むところはちゃんと弾みますが、おどけているという よりも、リズム主体になりがちなこの楽章で落ち着いてパッセージの美しさを味わえる進行です。最弱音で弦が 二音 ずつ行き来して揺れるところでは靄のかかったようなやわらかさがあって、次のフォルテが際立ちます。

第三楽章
 アンダンテも最初の入りからさらっとしていて、さすがに現代のアンサンブルらしく、過剰なロマンティシズ ムに は陥りません。しかし静かに抑えながらも軽く、やわらかくレガートで延ばしながら美しく歌います。ピアノの低音 が響いて懐かしい感情を呼び覚まします。そして右手がさざ波のような音形を弾きつつ低い弦がメロディーを奏 でる ところでは、静かな美しさに酔います。朝もやの少し残った晴れた高原を散歩しているようです。
 弦同士の受け渡しの呼吸が合っていて、崩しのセンスの良さが光ります。最後まで溺れることなく、しかし 最後までデリケートな陰影をもってやすらいでいます。

第四楽章
 終楽章も余裕があって楽しげな波長が感じられます。力の入るところでも弦の合いの手がさっと入って愉快だ し、お互いに顔を見合わせて微笑んでいるようです。間合いを合わせるのが楽しいのでしょう。静かになる箇所 で はぐっと弱まり、ひそひそ声になります。最後に向かって速くなるところも楽しくて仕方がない感じです。こうした 喜 びの 感覚はこの曲に本来相応しいのではないかと思います。

 ハイペリオンの2002年の録音はきらびやかではなく、全体におとなしい音に聞こえるもので、低音がよく 響き ます。ピアノも派手ではないですが、新しい録音だけに強い音ではこもらず、ピンときれいに延びた倍音も聞か せます。金属的な音にはなりません。残響はやや少なめです。パッと聞くと渋くてやや引っ込みがちに感じるか もし れませんが、細部がマスクされることがなく、噛めば味が出るというのか、この演奏と波長の合った質の高い録 音です。



    triowandererarchduke
       Trio Wanderer


トリオ・ワンダラー
 1987年に結成されたフランスの三重奏団による演奏で、ハルモニア・ムンディ・フランスから出ているピ ア ノ・トリオの全集です。トリオ・ワンダラー、メンバーは
ジャン=マルク・フィリップス=ヴァイジャベディアンがヴァイオ リ ン、ヴァンサン・コックがピアノ、ラファ エル・ピドゥーがチェロです。

 これも大変魅力的な一枚です。全体の傾向で言えばゆったりの方向に傾き、滑らかな演奏だと言えるかと思い ます が、歯切れのよいフォルテが続くところもあるので、同じフランスのトリオ・エレジアクよりは正統派ベートーヴェ ン像のように聞こえる一面もあります。もしそういうものがあるならば、ですが。正統的といっても、ディナー ミ ク、アゴーギクがエレジアクより小さいというわけではありません。むしろその反対の一面もあります。タメを効か せ、間もくっきりしています。大胆に表情をつけること、洗練から外れることを恐れません。味付けが違うので す。 共通するのは思い切った表情が力む方向へと向かわないのと、独特の柔軟性です。これは演奏している自分 を観察しているもう一人の自分がいるような現代的な感覚でしょうか。恣意的ではありますが、往年の巨匠たちの演 奏とは一線を画します。

 具体的にどんな表情をつけているのか、という点ですが、ひとまとまりのフレーズの最後で力を抜いて遅くし た り、反対に最後のところでぐっと強いアクセントをつけて盛り上げたりすることが目立ちます。つまり語尾に彼らら しい表現の特徴が盛り込まれているのです。一方で一つのフレーズ全体で力を入れず、ささやくようにやったり する 大胆な計画性が現れるところもあります。そうした静けさへの傾倒はフランスの人たちだと聞くと納得するところが ある気もします。昔のパイヤールの演奏にもそいうブロックごとに極端に静かにやるような指向性がありまし た。

 弦には時折はっきりしたテヌートが目立ちます。テヌートのあり方は滑らかに弧を描くようにつなげて行くレ ガー ト/スラーというのではなく、抑揚を抑え気味にして同じ音のボリュウムで一つひとつが切れないようにターター ターターとつなげて行くいわゆるテヌートです。その静かな音でのつながりがノンビブラートで繊細に鳴らされ ると ピリオド楽器のように聞こえます。ボウイングの圧が強くないのでしょうか、ヴァイオリンはバロック・ヴァイオリ ンのように細く繊細な倍音に聞こえるときもあるのです。そしてその音でたわみのあるやわらかい抑揚で弾かれ る と、ゾクッと魅力的な瞬間が訪れます。楽器はグァルネリウスのようです。エレジアクがたっぷりとしたビブラート でピリオド奏法のムーブメントに興味がなさそうなのに対し、この盤での魅力はこのビブラートを抑えた弦の音 にあ るような気がします。全体にはピリオド奏法的とは言えないですが、ヴァイオリンが一音の途中で大きくクレッシェ ンドする表現もみられます。また、何音かにまたがるクレッシェンドでは短い間にぐっと大きく盛り上げるダイ ナ ミックさもあります。あのムーブメントを知ってる世代だという気がします。

 そんなわけで、アンダンテ・カンタービレの第三楽章はこのグループの美点が現れていると言えるでしょう。 弦に ミュートがかかったような静けさがあり、前述のテヌートでつながる独特の旋律線も目立ちますし、何より表情がよ くついています。出だしから遅いわけではないですが、大変美しく歌い、かといってユダヤ系の奏者の 叙情性とは違い、どこか覚めたところもあります。途中、フレーズによってはピリオド奏法的な盛り上がりの抑揚が加わるところもあり、ピアノが軽くリズミカ ルに、リズム主体の曲のように意図して進める箇所もあります。個人的には自在な揺れを見せるエレジアクの表 現が 好きですが、彷徨い歩 くワンダラー、よりマインドが勝った意欲的な表現です。

 2010年の録音は残響は少なめですが、魅力的な音だと思います。奏法のせいでもあるのでしょうが、弦は 前述 のように、厚い艶よりは繊細な倍音を感じさせるものです。一方でピアノの音はシルクのようなやわらかさが印象的 で、強い音では芯は出ますが、キラキラする傾向はありません。



    elegiaquearchduke
       Trio Élégiaque


トリオ・エレジアク

 トリオ・エレジアクはチェロのヴァージニー・コンスタンが2001年に創設したフランスのピアノ三重奏団 で、 ヴァイオリンはローラン・ル・フレシェ、ピアノはフランソワ・デュモンであり、この録音のときもその創設メン バーでした。2014年以降はヴァイオリンが交代してパリ管弦楽団のコンサート・マスター、フィリップ・ア イ シュになったとのことです。このトリオの名前に関してですが、ラフマニノフの初期のピアノ三重奏曲に「悲しみの 三重奏曲」と訳される同名の二作品があります。エレジアクの言葉の意味は英語の elegiac 、エレジーと同じで、哀歌、挽歌(死を悼む歌)です。日本語表記はエレジアックやエレジアークもあり得ると思います。比較的新しいトリオで CD もこのベートーヴェンの全集が評価を受けているという段階で、将来を期待されているグループというところでしょうか。今回の録音は廉価版を出しているブリリアント・レーベルから直接出ています。

 これこそベートーヴェンの「大公」の中で私が最も好きな演奏です、と言うと
イ ギリスのフロレスタン・トリオのところで言ったことと同じになってしまいますが、知名度は今の ところさほどでないトリオだと思われるながら、これほど自発的な感覚を持ったものは滅多にない でしょう。やわらかな生きた呼吸が感じられる圧倒的名演だ、と断言しておきます。 個人的嗜好を除外して何かを客観評価することなどできませんが、そういうことで良ければ、私は♡を三つ付けたいぐらいで、自分はこれだけあれば十分と言っ ていい気もします。同じフランスではハルモニア・ムンディから出ている先輩格のトリオ・ワンダラーがあって歴史と知名度から行けばそちら に目が行くところですが、気を張った計画性の側面が少ない分、こちらのエレジアクの方が素直に乗れました。 生き生きとして大 変美しいです。強靭な男振りのベートーヴェンが好きな人には物足りないかどうかは知りま せんが、しなるように滑らかな歌わせ方で、音楽が軽やか に息をしています。力まず引きずらず、ピアノには適度な軽さも あります。別のとこ ろでフランスの郊外のゆるやかな丘陵の連なりについて書きましたが、このうねるようにつながる呼吸はやはり フラ ンス流なのでしょうか。アゴーギクという面では慌てず急がず、間の取り方にも余裕があって粋です。ディナーミク の面でも、何と言うか、一番きれいに鳴る音の強さを分かっているかのようで、真顔で感情を押し付けるのは無 粋と いわんばかりにエレガントです。そしてイギリス紳士の大人っぽく控え目な洗練とは違って、そこはかとない官能も あります。私にとってはこのトリオ・エレジアク、「喜びの三重奏団」となりました。

第一楽章
 テンポは速くも遅くもないですが、余裕が感じられるのでややゆったりめに聞こえるか もしれません。やわらかな抑揚があります。クレッシェンドで盛り上がって行くパッセージ に来たときに前のめりに走ることがなく、新鮮な空気を呼び込むように間を緩めるので音が濁らず、きれいに和音が 聞こえます。フォルテで一音を強調する場合も同様で、飛びついて
力まかせにアタックするのではなく、いった んわずかな呼吸を置いて鳴らします。大仰さがないので自由な空気を感じるのです。スッと弱め るところもあり、音と戯れている風情です。ピアノには滑らかな艶があります。トリルの鈴が鳴るようなきれいさも 印象的です。ピリオド奏法ではないので弦にはしっかりとビブラートがかかっています。そしてもう一点、良く 鳴っ て滑らかに歌うチェロがこの楽団の魅力の一つです。

第二楽章
 スケルツォも走ることなく、力で押すことなく軽妙自在です。やかましさに縁がないので、こ ちらから耳が聞きに行きたくなります。軽く弾むピツィカートが美しく、各パートが分解されて明快に聞こえま す。低音でピアノが刻む持続音が小気味よく浮き出したりするところもあります。

第三楽章
 自在でやわらかな表情が付き、リタルタンドもあって臆することなく情緒的ですが、過剰なロマンティシズム に沈 むわけではありません。伸び縮みする歌にまかせて、静かで満ち足りた感覚を覚えます。初めは遅過ぎないテンポ で、後半ではかなり遅くなってしっとりと聞かせてくれます。各フレーズ、一音の配置にニュアンスがありま す。速度を緩めるときも自在に揺れながら自然にふっと遅くなり、ピアノのかすかなルバートも絶妙です。途中 で力 強くフォルテになるところでも、大変強い音ながら鮮やかで、弱音との対比が印象的です。

第四楽章
 終楽章もゆったりながら間延びしない表情があります。ちょっとしたルバートがかかり、ゆとりの感じられ る運びです。ピアノが粒の揃った音で明るくきらめくと同時に、速い楽章にもかかわらず静けさがあります。こ の楽 章の美しさに初めて気づかせてくれました。そしてラストに近づくにつれ、喜びがこみ上げてきました。それはなか なかない体験です。

 アイルランドで収録された2012年のブリリアントの録音です。サウンド・エンジニアはフレデリク・ブリ アン となっています。ピアノはしっとりとしていますが、フォルテでは艶とともにキラっとした強さも出る好録音です。 トリ オ・フォントネほど前へは出ませんが、台風が去って霞みが飛んだようなクリアさがあります。また、フロレスタ ン・トリオよりも響きが明るく、弦も潤いがあって美しいです。このレーベルは廉価で販売するので、デュア ル・ ジュエルケースに入った五枚組のこの全集でも一枚ちょっとの値段で買えてしまい、「大公」だけが欲しい人にも負 担に なりません。ベートーヴェンのピアノ・トリオが網羅されていて、作品1などの心地よい曲も聞け、珍しいところではあの緩徐楽章の美しい名曲、第2交響曲を ピアノ三重奏にしたものも入っています。


ピリオド楽器による演奏

 ピリオド楽器によってピアノ三重奏を演奏することのメリットは、それはもう音色の美しさということに限り ま す。バロック・ヴァイオリンは照り輝くような艶の面では劣るものの、その細身で繊細な倍音は万難を排して聴くに 値します。チェロでも同じことが言えるでしょう。ただしフォルテピアノとなると微妙なケースもあります。モ ダ ン・ピアノは発達している分、魅力的な音がします。しかし古典派時代のフォルテピアノの録音は、いい時は典雅で すが、悪くすると木琴か、アルミパイプ鉄琴の
子供用ピアノみたい な音になってしまいます。そこへ ピリ オド奏法の独特のアクセントが乗ってくるので、このジャンルの CD 選びは正直難しいことになってしまうのです。
 そんなわけで、下記にモダン楽器による演奏と分けて取り上げます。ピリオド奏法のアクセントについては学 問的 な主張はおさえていませんし、強いものは元々好みではないので、盤によっては個々の違いについてあまり詳しくは 触れません。
 余談ですが、水泳や体操、ウィンター・スポーツにアフリカ系の人が少ないのと同じで、ピリオド楽器による 演奏 にユダヤ系の人は少ないのでしょうか。いちいち気にしていないので知らないだけかもしれませんが。



    castletrioarchduke
       The Castle Trio

キャッスル・トリオ
 キャッスル・トリオは1984年に結成されたアメリカ人の団体で、活動拠点としてワシントン DC のスミソニアン室内楽協会に席を置いています。ここでの楽器がすべて同博物館所蔵のものかどうかはわからないですが、楽曲に適切なピリオド楽器を用いて演 奏することを主眼にしているようです。ピアノは1824年製のコンラッド・グラーフに倣って1984年に製 作さ れた R・J・レジエ、ヴァイオリンは1670年のアンドレーア・グァルネリ、チェロは1708年のカルロ・アントニオ・テストーレとあります。演奏しているの はランバート・オーキスがピアノ、マリリン・マクドナルドがヴァイオリン、ケネス・スロウィックがチェロで す。

 ピリオド楽器による「大公」の中で何が良いか、私自身の好みから言わせてもらえば、このキャッスル・トリ オか インマゼールたちの盤かということになります。録音にうるさいことを言わなければイザベル・ファウストたちの演 奏も素晴らしいと思います。キャッスル・トリオがいいのは、ピリオド奏法にもかかわらず第三 楽章のアンダンテ・カンタービレがゆったりと進められるところであり、インマゼールとアンナー・ビルスマのラル キプデッリがいいのは、さわやかな高揚感があり、強烈なアクセントがなく洗練されているところです。選ぶの は大変難しいです。

 このキャッスル・トリオ、それならば何が気になるかというと、些細なことなのですがピアノのアクセントで 一カ 所、ト長調に変わった後の第一楽章53小節目で、「シシシラ ソソソ#ファ ミミミード」の最後に来る「ド」の音の前で長い間を空け、そのドを思い切り強く叩いて強調するところがあります。これがどうも、何回聞いても馴染めませ ん。その後でも繰り返しで同じ音が出てきます。波形編集ソフトウェアでクロスフェード設定にして0コンマ何 秒か カッ トしてしまえば、ノイズもなく何事もなかったかのように普通のアクセントにできますが、それじゃまるでアイドル タレントの CD デビューみたいで申し訳ないわけです。確かにスフォルツァンド・ピアノ(sfp)が付いているのでそこだけ強くしてまた弱めるのは事実ですし、チェロの パートにはスラーがあるのにピアノにはないので区切りを出すのも分かりますが、ここまではちょっと。他の箇 所で もこのピアニストはフォルテで概ねそのように間を空けて強く叩く強調をする傾向はあります。それが恐らく 彼らしいピリオド奏法の語法なのでしょう。柔軟に行われるならば表現の幅が広がりますが、しょっちゅう行わ れれ ば、それだけ拍が固定的になって自由が奪われてくるわけです。ピリオド楽器を使っていながらこう したピリオド奏法的なアクセントから全く自由な演奏というのは、どうやらまだ手に入らないもののようです。
 しかしありがたいこともあります。このアメリカの古楽グループはヨーロッパの人たちとは若干アクセントの 解釈 が違うということです。弱音のパートでゆっくりと非常に弱く、リズムに誇張を入れずに行くところもあって、それ は一般的なピリオド奏法の解釈とは違って静かで大変気に入っていますし、トータルでは癖が少ないか、癖の方 向が 気になりません。

 なによりも、この曲で最も好きな第三楽章のアンダンテ・カンタービレは、ピリオド楽器による演奏のなかで この 団体のアプローチは大変良かったです。ここだけ聞くなら大変満足です。決して軽快に速くやろうという気はなく、 十分に歌っています。小節後半の拍を短く切り上げてロマン派と呼ばせない覚醒した雰囲気にしようという意図 もな く、十分に延ばしてくれます。ときどきアタックが強いところもありますが、たっぷりとしていて音に浸れます。静 かに歌う部分では癖が少ないのです。古楽器の音を味わえる最善のアンダンテでしょう。表現の幅が大きい分だ け陰 影も深いです。

 一方でスケルツォは速く軽快で、第四楽章は比較的遅めながら柔軟性に飛んでいてもたれません。

 ロンドンで収録された EMI/ヴァージン・クラシックスの1990年の録音については、ピアノの音はキラキラしません。フォルテピアノのひなびた軽い音の響きはありますが、案 外モダン・ピアノに近い音にも聞こえます。弦は強いところで野太さがあったり、わずかにクリップ気味に濁る よう な気がするところもあった気がしますが、恐らく5キロヘルツあたりの高域がやや強く輝く録音バランスのせいでそ う聞こえるのでしょう。倍音は繊細です。トータルで懐かしい感じのい い音です。



    trondlinarchduke
       Tröndlin Trio

トレンドリン・トリオ
 トレンドリン・トリオはオランダの団体で、トレンドリンというのは19世紀前半のドイツ、ライプツィヒの フォ ルテピアノ制作者の名前です。ここで使われているのは1820年頃にウィーンで製作されたグラーフのレプリカと いうことです。トレンドリンではないようですが、作り手のトレンドリンも南ドイツとウィーンで製作を学んだ とい うので、 ウィーンという点では共通性があるのでしょうか。メンバーはピアノがジャン・ヴェルメ、ヴァイオリンがペー ター・デスピエゲラーレ、チェロがカレル・ステイラーツです。

第一楽章
 二拍目を強くするアクセントなど、ピリオド奏法的な語法が見られます。演奏自体はやわらかく静かという方 向で はなく、アタックの強いくっきりとしたものです。

第二楽章
 スケルツォはスタッカート気味の強調されたリズムでよく弾みます。拍ごとに区切られた感じがありますが、 静か な部分ではゆっくりうごめくような表現も見られます。

第三楽章
 ここもアクセントが強く、二拍目が強いときもあります。速めのテンポで走るフレーズも見られます。

第四楽章
 テンポは遅めですが、よく区切られた癖のあるアクセントはここでも健在です。強い音でダイナミックな表現 で す。

 ベルギーの教会で収録された、エトセトラ・レコーズ1999年の録音です。1982年設立のアムステルダ ムの レーベルです。フォルテピアノの軽い音が魅力的です。ピーンと響く、もっともフォルテピアノっぽい録音と 言えるでしょう。一方でヴァイオリンはあまりバロック・ヴァイオリン的な細い倍音の音ではありません。



    immerseelarchduke
       Jos van Immerseel (pf) / Vera Beths (vn) / Anner Bylsma (vc)


ヨス・ファン・インマゼール (pf) / ヴェラ・ベス (vn) / アンナー・ビルスマ (vc)(ラルキブデッリ)

 ピリオド楽器による演奏として、いかにもピリオド奏法というリズムが少ない方でありながら、ちょっと高揚 するような盛り上がりのイントネーションが心地よいものです。そしてピアノのイン マ ゼールの性質か、さらっとした、よい意味でのクールさを感じる瞬間もあります。語尾を延ばさないからでしょうか。センシティブと言い換えてもいいですが。 これは彼に関して言うならば、とくに古典派に属す る作品では顕著で、ロマン派ではテンポもゆっくりになってもう少しまったり歌わせる傾向があるように思います。そしてこ うし たちょっとクール、別の言い方をすればさわやかな運びは、シューベルトの「ます」などでは大変ありがたいものです。元来ピアノ五重奏は楽器が多く、全員が 出て来るともやもやと音が濁りがちですし、
「ます」の場合、ピアノがオフで重かったり合奏に力が入 り過 ぎていたりすると曲自体が嫌になったりしますが、彼らの演奏は救世主でした。また、シュー ベルトの歌謡性というか、甘いロマッティックな部分も歌わせ過ぎないことですっきりとまとまって、これぞベ スト という感じになります。ここでのベートーヴェンもいいです。人によっては軽くてさっぱりし過ぎていると言うかもしれませんが、このさわやかさは癖になりま す。ピリオド楽器による演奏で最も洗練されたものだと思います。

第 一 楽章
 ビルスマの伸びやかなチェロがよく響きます。ピリオド奏法の呼吸はきつくはないのでほとんど気にならない ですが、小節内の音符の間隔の不均等な揺れは 少しだけあります。弦にやや大きめな山なりのイントネーションが出ることもあります。ピツィカートとピアノ が合わさるパートには工夫が感じられます。小気味よく走るところもあって、テンポは速めで颯爽としていま す。

第二楽章
 力は抜けていますが、アクセントがはっきりしていて軽快です。

第三楽章
 速過ぎるテンポではないですが、どちらかというと速めのすっきりした運びで、ここもさらっとしています。 感傷 的になったりせず、覚醒したさわやかなアンダンテです。前半ではもう少し浸りたい感じがないでもないです が、後半で遅くなって行く部分での清涼感は心地よいです。短いスパンでふわっと盛り上がってはすっと弛まる 抑揚が高揚感をもたらします。同じピリオド楽器によるキャッスル・トリオとどち らがいいかは悩むところで、第三楽章に限って言 えばゆったりしているキャッスル・トリオの方がいいと思うときもあれば、こちらの高揚感を味わいたいときもあります。ピリオド奏法のアクセントは山なりの 呼吸が若干ありますが、それが独特の良い方向に現れていると思います。キャッスル・トリオの方がゆっくり歌 うものの、強くアクセントをつけて叩くように強調する部 分 もあります。癖の出方が違うようです。

第四楽章
 ここも明るく軽快で、弾むようなリズムが心地よいです。

 1999年の録音です。ピ リオド楽器らしい繊細で細い音の弦で、ピアノの響きにも軽さがあります。しかしモーツァルトでよく聞かれる よう な、軽くてアクションの音が聞こえるほど控え目な音ではありません。もう少し今のピアノに近づいているでしょう か。これは他のピリオド楽器での演奏でも同じで、ベートーヴェンの頃のものを使っているのだと思います。中 域にきれいな残響が乗ります。カップリングの「幽霊」はまた録音が良く、演奏もこの人たちのを聞いていると 他所では感じなかった魅力も感じられ、この曲のベストのように思えて来ます。


 
    faustarchduke  
     Isabelle Faust (vn) / Alexander Melnikov (pf) / Jean-Guihen Queyras (vc)


イザベル・ファウスト (vn) / アレクサンドル・メルニコフ (pf) / ジャン=ギアン・ケラス (vc)
 まず最初に、演奏が素晴らしいということは言っておかねばなりません。とくに自分の好きな第三楽章など、 気に入っています。しかし、初めに聞いたときにちょっと違和感を感じたのも事実です。それでちょっとボ リューム を絞ったのですが、しばらくは意識できずにもやもやしていました。でもどうやらそれは録音の傾向から来ることの ようです。ハルモニア・ムンディ・フランスの 録音はいつも優秀ですが、今回は 若干残響が少なめで中高域がキンと張った音に聞こえます。それでピア ノもチェロもフォルテで前へ出る音に聞こえるのです。音色に関して言うならば、チェロはちょっと乾いた感触に寄ります。ファウストのヴァイオリンもいつも より鋭 く感じます。演奏に は何の関係もないことです。

 そしてこの録音傾向の上で演奏に接してみると、しかし普段なら気づかないような部分に目が行 くことになりました。それは主に第二楽章と終楽章の一部のパートで、フォルテになる部分での拍の時間的処理なのですが、間を空けて強調す るのとは反対方向、つまり拍を 詰めて前のめりにするフレーズが出てきます。これは所謂ピリオド 奏法ではよくあることなのですが、彼らの演奏は楽器こそピリオド楽器でありながらも、今までは あまりその固有の奏法を感じさせるものではなかっただけに、どうしたのだろうかと思いました。タタタタッと速めて強く するときに同時に中高域の張った音になるので、ボリュームを絞ったのだと思います。
 恐らく私自身、この盤に過度に期待していたせいです。ファウストのヴァイオリン協 奏曲やソナタの「春」、クロイツェルが好きでした。あの線が細くてビブラートを抑えた、羽を伸ばせる隙間のよう なものを感じさせる独特の空気感、クールに 張りつめつつ穏やかなあの魔力を欲していたのです。しかしヴァイ オリン・ソナタはヴァイオリンがリードして歌う曲であっ たのに対し、ピアノ三重奏というジャンルは元来、ピアノが中心です。ましてや、 ベートーヴェンがこの曲を献呈した大公はピアノの名人だったし、初演ではベートーヴェン自身が ピアノのパートを力いっぱい弾いたというのです。ここでの主役はメルニコフでしょう。そして今回は面白いことに、そのピアノが現代のスタインウェイ ではなく、ベートーヴェンが亡くなった頃に作られたフォルテピアノ(フランス語圏ではピアノフォルテ)に なっています。メルニコフ自身が持っているもののようで、気合いが入ってるようなのです。それで彼の意識の 上で 少し、ピ リオド奏法的にしたくなる理由があったのでしょう。一般的に拍を速めて前のめりにすると熱い演奏に感じますから、それが好きな方もいらっしゃることだろう と思います。私も音の問題がなければ気に入っています。

第一楽章
 前述の通りメルニコフのタッチに軽くピリオド奏法の呼吸が見られます。スタッカートも軽く扱っていていい と思 います。分散和音で鳴らす試みも見られます。弦をともなって漸進的に大きくクレッシェンドするところが心地よい です。独り駆け上がるところ、トリルで下がるところで当時のピアノの音が浮き立って典雅に響きます。全体的 に表 現としては軽さがあって、極端なピリオド奏法にならない節度を感じます。ゆったりと間が取れています。

第二楽章
 速すぎないテンポで軽く弾みます。ピアノの弱めて強める呼吸がリズミカルです。使っているピアノの違い でこうして引き分けられるメルニコフの臨機応変さには感心させられます。 

第三楽章
 アンダンテ・カンタービレのテンポは出だしではやや軽快です。タッチも優しく軽く、ゆったりと間がとれて いる 部分は素晴らしいです。なんだかんだいってもこの楽章は魅力的です。途中から大変ゆっくりになってきてさ らに魅力が増しますが、それでも爽やかに覚 醒していて、夢心地ではありません。それがまた大変いい味を出しているのです。さざ波の中を進んで行く、ピリオド奏法的なスパイスがわずかに効いた個性的 なアンダンテです。キャッスル・トリオやインマゼールとどちらが好みだろう、ちょっと悩むところです。

第四楽章
 ここも軽く弾むところがスケルツォと等質です。テンポは速くはありません。軽さがあって力まず、大変いい です ね。ラストは駆け上がって行きます。もったいないので、エンジニアには申し訳ないですが録音のバランスをちょっ とイコライジングしてみましょうか。パソコンなどで聞くと全然気にならずに楽しめるのですから。


 2014年発売となっているのに、アマゾンでは米も英も探し難いことになっているのはなぜでしょ うか。録音は2011年です。音についてはすでに書きましたが、決して悪いものではないので、聞いてない方は是非聞いてみて欲しいと思います。フォルテピ アノの音色も想像とはちょっと違いました。弦の張力の低いこの楽器は、モーツァルトの演奏などで聞かれるも の と 基本的には違わないのかもしれませんが、ここではもう少し現代的な音に聞こえ、強弱もはっき りと付いています。フォルテ・ピアノと現代の(モダン)ピアノ・フォルテの中間という感じで しょうか。強く叩いても今のもののように金属的 にはならないものの、艶があって輪郭もはっきりした、これも中域のしっかりした音です。 ちょっとジャズのピアニストが好んで出す独特の艶っぽい音に似ていなくもありま せん。


 

    storioniarchduke
      Storioni Trio

ストリオーニ・トリオ
 1995年にアムステルダムで結成されたピリオド楽器によるトリオです。新しい世代ですが、はっきりとし たピ リオド奏法の呼吸が見られます。ピアノはバート・ヴァン・デ・ロエ、ヴァイオリンはウーター・ヴォッセン、チェ ロはマーク・ヴォッセンです。

第一楽章
 オランダの人たちのピリオド奏法と聞いて思い描く通り、特定の拍の強調があり、揺れも割合大きめで、とこ ろど ころで駆け出すパッセージもあります。フォルテでは歯切れ良く力強いです。

第二楽章
 活気と力強さがあり、ピツィカートもよく響き、ピアノの音が歯切れよくコロコロキラキラしてきれいです。

第三楽章
 緩徐楽章で快速列車になるピリオド楽器の団体が存在するなかで、ゆっくりの部分はなかなかゆっくりです。 やは り不均等な間と揺れがあり、癖は結構あります。弦は若干引きずりながらテヌートでつなぎ、ピアノは強く叩き ます。中間の展開部では駆け出すところも現れます。そういう箇所では速いながらもショ パンなみのルバートも聞けます。そしてまたゆっくりに戻って終わります。

第四楽章
 速度は特急ではないですが、リズムが不均等なので、スタッカートのピアノの連続の上に乗った展開など、 ちょっ と滑稽さを感じるような楽しさがあります。

 2012年と、録音が新しいだけに、ピアノがキラキラしてきれいです。軽くて明るいフォルテピアノの特徴が最 もよく出ている盤だと思います。高域がはっきりとし、目の前に出て来ます。いかにも好録音という感じで、オー ディオ的には面白いかもしれません。弦はときにややキツめに感じるときもあります。



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