モーツァルトの最高傑作?
交響曲第40番ト短調 K.550 取り上げる CD 26枚:コレギウム・アウレウム/ホグウッド/ガーディナー/ピノック/コープマン/インマゼール/テル・リンデン/ノリントン /マッケラス/ヤーコプス/ブリュッヘン/ヘレヴェッヘ/アーノンクール/A・フィッシャー/ワルター/カラヤン'59, '70, '77 /ベームBPO, VPO/マリナー/ケルテス/スイトナー/クーベリック/ブロムシュテット/レヴァイン ピリオド奏法について 古典派の交響曲、特にモーツァルトとなると、古楽器による演奏と従来までのモダン楽器によるものとの差が大きく、あるいはハイドンやベートーヴェンのそれよりも気になることが多い気がします。どうしてなのか理由を考えてみたのですが、まずモーツァルトの曲は優美なメロディーに期待するところ大なわけです。優美というと歌うように滑らかなスラーとなる。ところがなぜか古楽奏法ではスラーを嫌がるところがあり、一続きの音符のお尻を長く延ばさずにプツっと切る。時にはスタッカートになるのです。これは、いわゆる「ロマン派の垢を落とす」必要性から考えられた戦略のようです。緩徐楽章でのテンポが速い傾向も同じ理由でしょう。ロマン派というのは自己の感情を表に出し、どうかするとそれに酔うことだと考えられてきたわけですから、自己陶酔的に聞こえる表現は御法度なのでしょう。 もう一つは、モーツァルトのような古典派の様式美を持った楽曲というものは、今までは誰がやってもテンポの速 い遅いはあるにせよ、演奏表現上それほど大き く異なる余地がなかったということもあるかもしれません。40番 など特にそうですが、楽曲が完成され過ぎているとも言えます。例えばロマン派の大家であるフルトヴェングラーの ような指揮者がベートーヴェ ン やそれ以降の曲のように、大きく波打たせて途中から神がかって走って行くような熱い演奏をしようにも、どうもそういう余地はない(引き締まって均整の取れ た演奏をしています)。でも今までと何か違った演奏をしてみせたい、新しいものを出したいという要求は常にある わけ です。そこへ来て古楽器のブームというのは好都合だったのではないか、ということです。それで学究的な理由を味 方につけて極端なものが出て来た。 でもこの夢見心地の呼吸を禁じるような古楽の演奏マナーは誰が言い出したこ となのでしょうか。古楽器演奏初期のコレギウム・アウレウム合奏団などは概ね走らず、リラックスしていてどうし てもテヌートを避けるという感じではありませんでした。スラー(レガート)とテヌートを一緒にしてもいけないで しょうが、ともかく滑らかに歌うことを禁じて歯切れ良くダイナミックに行くという傾向はありませんでした。 では誰からそうなってきたのか。これも時代の 一つの流行ですから、誰の発案というより集合的に捉えた方が良いのでしょうが、どうもアーノンクール氏あたりが 関係しているのではないかと思えてきます。ニコラウス・アーノンクールは大変才能豊かで、年齢とともにゆったり とした味わい深い演奏をするようになってきたドイツーオーストリアの指揮者で私も大変好きです。レクイエムな ど、再録音の方は旧盤よりもエキセントリックではなくなり、同曲の一、二を争う名演だと思います。しかしモー ツァルトのシンフォニーに関してはどうやら新しい録音が出ても穏やかにはならず、若々しいというのか、独特の歯 切れ良い音を聞かせ、至る所に工夫を盛り込んだ意欲的な演奏をしています。知と情のバランスが取れているながら 大変頭が良い人ですから、モーツァルトの管弦楽に関してはどうしても譲れない考えがあるのでしょう。特にティン パニの扱いは勇ましいもので、第39番の出だしなど、ロマン派以降の伝統的な演奏では控え目に叩かれるところで も驚くような鋭い音を立てます。そしてこの天才が打ち出した古典派の新たな解釈は他のピリオド 奏法の演奏家たちにも影響を与え、大なり小なりその呪縛?から逃れられないようです。フレーズの切れ目で音を 切って行く方法は今や誰しもが実践しています。それも記符法の意味を追求した結果なのかもしれませんが、モー ツァルトの時代に皆がそうしていたのかどうか、ある いはピリオド奏法自体が歴史的に正しい演奏を求めるムーブメントであるのかないのか、知識のない私にはわかりま せん。 さて、今までは古楽器による演奏やピリオド奏法を、モダン・オーケストラによる演奏と分けて表記することはし てきませんでした。しかし上記の理由から、ここでは便宜的に一応分けて記そうと思います。 曲について モーツァルトのシンフォニーの名作と言えば、35番から41番までの後期の作品ということに なっている、という言い方で良いのでしょうか。その中でも最も有名なのが40番でしょう。表題付きのものは「ハフ ナー(35番)」「リンツ(36番)」「プラハ(38番)」「ジュピター(41番)」とあり、後期以外では「パリ (31番)」というのもありますが、それらを差し置いて有名な40番はいかに出来が良いかを示しているかのようで す。珍しく短調の曲で、同じ調性の25番は映画「アマデウス」でもテーマ曲になりましたが、40番 の方はクラシック以外でも色々アレンジされたり歌われたり、コマーシャルに使われたりで、そのメロ ディは誰でも聞いたことがあると思います。モーツァルトの最高傑作と言われます。突然この曲の第四楽章が頭の 中で鳴って百貨店に駆け込み、レコードを聞いたが、もう感動は環って来なかった、と書いたのは近代日本の文芸批評の 先駆者と言われ、好きな人は熱烈な信者、嫌いな人は異常な熱をもって酷評する小林秀雄ですが、この人の文は確かにこの時 代独特の空気感を漂わせているようにも思います。なんと言うのでしょう、自己陶酔と自己顕示の間で揺 れ動き、主観と対象の境界を取り払って心象風景を外側に探すような物言いはデルゥジオンだと言い たくなるのもわかります。でもご本人の弁によると、このト短調のシンフォニイは本当に頭の中で「聞こえた」 のだそうです。疾走するゴダール映画もなんだかよくわからない私に裁く資格はありませんが、文科省の教科書で取り上げら れ、受験で正誤を問われる愚はあるでしょう。ただ、「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけ ない」というのは言い得て妙な気がします。 作曲は1788年、死の3年前で、モーツァルトは貧窮していたと言われ、誰の依頼もなく書き上げたとされます。編 成があまり大きくなくてトランペットとティンパニが入らないのはありがたいです。クラリネットの入らない初稿版で演 奏されることもありますが、一般的には入る方が多いです。古楽器の楽団ではチェンバロを加える場合もあります。いず れにしても、どこから見ても隙がなく、やはり モーツァルト最高傑作の一つでしょう。 古楽器演奏、またはピリオド奏法によるもの Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Collegium Aureum ♥
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 コレギウム・アウレウム合奏団 ♥
古楽器演奏というものを世に知らしめた最初の楽団と言って良いでしょう。70年代のことです。後にレオンハル ト、アーノンクール、ブリュッヘンといった古楽の名手たちが知名度を上げると同時にフェードアウトして行きまし た。ビブラートとモダン・ボウ(弓)を用いるという批判もあったようです。しかしフランツヨーゼフ・マイヤーを コンサートマスターとして指揮者を置かないその演奏は常に自発性と喜びに満ちており、残響のきれいなフッガー城 「糸杉の間」の録音と相まって今でも魅力を放っています。 40番は1972年の録音です。第一楽章はゆったりと始まり、独特の残響が心地良いです。慌てることのないリ ラックスした充実感が味わえます。滑らかなスラーでつないでいるわけではないですが、後のピリオド奏法に共通に 聞かれる、一拍を短く切って行く歯切れ良さは追求していません。モダンに近いマナーでガット弦を響かせる心地良 い音で、繰り返しは行っているようです。自然さが何よりの魅力です。 第二楽章は最初のチェロからよく歌います。編成はそこそこ大きいだろうにまるで室内楽のようで、個々の奏者の ノリがそのまま感じられます。テンポはモダン演奏の標準というのか、ゆったりとしていて決して速くはないです。 この楽団はドイツ系の人々で成り立っていますが、リズムを律儀にカクカクと刻んで行くようなところはなく、自然 な歌が心地良いです。リラックスしていて、はかなさを感じさせるような感情移入があるという感じではありませ ん。 第三楽章はゆっくりと大股で歩くようです。こういう癖のないピリオド楽器によるリズムはもう聞けないでしょ う。第四楽章は一転して速いテンポになります。しかし充実した緊張感はあるものの、切羽詰まったところはなく心 地良く乗れます。木管の音もやわらかくてひなびた感触がいいです。 録音は前述した通り、大変美しいです。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Christopher Hogwood The Academy of Ancient Music
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 クリストファー・ホグウッド / エンシェント室内管弦楽団
モーツァルトの交響曲の古楽演奏としては早い時期に出て来たものです。40番の録音は1981年です。同時期 にはすでに何人もの演奏家が活躍していましたが、形にし て残したという意味ではホグウッドがモーツァルトにおけるピリオド奏法の手本となったとも言えるでしょう。 しかしこの人の演奏は、特にこの40番などはさほど新奇なものには感じません。時間の流れがそう感じさせてい るのでしょう。リズムは短く切って若干前のめり気味なところもありますし、テンポもやや急いだ感じはあり、ピ ノックなどよりも速く、ガーディナーのそれと同じぐらいでしょうか。そしてその両者よりもアクセントの上で癖も ありますが、軽く翔けるような足取りがこの曲には合っているかと思います。デモーニッシュさを強調する方向では なく、 余分なものを落として身軽になったモーツァルトです。 第一楽章から軽さがあります。それが何と言うのでしょう、明るさに感じます。短調の曲ですが、かえって新鮮で す。明るいといっても、他のある演奏家のようにファニーな明るさではなく、純粋で曇りのない美しさを感じさせる ものなので、「駆け抜ける悲しみ」に酔いた い人にも不満はないことでしょう。テンポは適度にやや速めというところです。 第二楽章は途中で緩まる旋律の力の抜け具合が良く、しなう歌が美しく感じます。テンポはピリオド奏法としては 中庸で、スラーでつないだりしないこともあってリラックスしたやわらかさではピノックの方が勝りますが、落ち着 きのないものではありません。 第三楽章は、その響きと音符に乗る波状のアクセントでピリオド奏法だとわかり はするものの、それ以外は以前からの演奏とそんなに変わるものではありません。ただ、その明るさは鮮烈で、まぶ しく感じます。 第四楽章は皆さん走って行ってほしいところかと思いますが、十分に快速ながら、納得できる範囲のテンポです。 ここもクリアで明快であり、力で押すのではない、陽性のエネルギーを感じます。 録音はくっきりとして鮮やかです。高域の弦の音がはっきりしていますが、キツいところはなく、バランスはとれ ていて気持ちの良い音です。ピノックより残響は少なめでしょうか。人数は少なく感じます。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 John Eliot Gardiner The English Baroque Soloists
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ジョン・エリオット・ガーディナー / イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
イギリス古楽界の御三家はホグウッド、ピノック、ガーディナーですが、モーツァルトに関して最もピリオド奏法 の癖を感じさせないのは、数多ある演奏の中でもピノックとこのガーディ ナーでしょうか。ピノックは比較的やわらかなフレージングで滑らか、リラックスしてテンポもどちらかと言うと遅 めの場合が多いのに対し、ホグウッドは軽く活気があり、アクセントもそこそこ付いています。一方でガーディナー はピノックと同じような癖のなさで進みながらも40番ではもう少しテンポが速く、よくコントロールされた端正さ に特徴があるような気がします。なんとなく聞いているとどこに特徴があるのかわかりづらい気もしますが、細部が 磨かれ、かなり入念に仕上げられているようです。何気ないフレーズもよく考えられて微細な表情の付け分けが行わ れており、ほとんど気づきませんが、主旋律に対して応答する声部がレガートになっていたりします。完成度の高さ では一番ではないでしょうか。 第一楽章はホグウッドのテンポとほとんど同じで、やや軽快な運びです。録音バランスがホグウッドの方が残響成 分も含めて若干高域寄りなので人数が少なく前に出てくるところがあり、軽めに感じます。一方でガーディナーは ホールトーンも手伝って中域が若干厚く、やや芳醇な感じでしょうか。ホルンのパートが浮き出るところがあるなど の工夫もあります。しかし変な癖はなく、テンションもあって文句のつけようがありません。 第二楽章もホグウッドとテンポは大体同じですが、少し速めかもしれません。緩徐楽章だから遅くやるというわけ ではなく全般的に中庸やや速めです。リズムはピリオド奏法なので一音ずつ区切れている感じはあり、それもホグ ウッドと共通ながら、ホグッドより少しくっきりしています。途中でチェロが部分的に テヌートになり、ヴァイオリンにスラーが強いところもありますが、ホグウッドの方も別の箇所でレガートがか かりますので、どちらがどうとも言えないでしょう。情緒的 なサッパリ感はガーディナーの方が強いかなという感じです。私はピノックのテンポがゆったりで流れるような第二 楽章が好きですが、このガーディナーもホグウッドも清潔で悪くないと思います。 第三楽章ははっきりとホグウッドよりもリズミカルに聞こえます。ホグウッドはリラックスしており、このガー ディナー盤はむしろピノックと瓜二つな印象ですが、ピノックはチェンバロが聞こえます。第四楽章は三者とも同じ テンポで行きますが、ピノックだけやや滑らかで静けさがあるように響きます。ガーディナーが最もリズムがくっき りしているでしょうか。この人の演奏はゆったりしたところも感じられる39番が大変気に入っており、そこでは滑 らかさと繊細な歌とがあったのですが、40番の方は端正で、もう少し引き締めています。 フィリップスの1988年の録音は大変きれいです。現在は装丁を変え、デッカ・レーベルで出ているようです。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Trevor Pinnock THe English Concert ♥♥
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 トレヴァー・ピノック / イングリッシュ・コンサート ♥♥
ヴィヴァルディもコレッリもヘンデルも、ピノックの録音はどれも節 度があり、洗練されていて優美によく歌いま す。古楽器による演奏といっても過激にならず、テクニックに走るところもなくていつも魅了されます。この人はい つもやすらかな呼吸が良いですね。もちろん考証は常に行き届いているのだと思います。個人的には初期の作品はあ まり聞きませんが、チェンバロを加えたモー ツァルトの交響曲の全集の演奏も期待を裏切られることなく素晴らしいものでした。必要なところでは適度な緊迫感も出ながら、リラックスしていて大変美しい です。ピリオド奏法によるモーツァルトの中では、アクセントに誇張がなくてフレーズを短く切る傾向が少ないとい う意味でも、いわゆる「ピリオド奏法」的でない最右翼の演奏かと思います。 40番の交響曲、古楽器による演奏の中では最も気に入っています。何といっても、軽やかさが素晴らしいです。 ゆったりと穏やかな運びで、繊細な抑揚が感じられます。エネルギーと緊迫感のある演奏や端正なもの は他にもありますが、第二楽章の流れるような自然さはモダンオーケストラの伝統的な解釈の優れた演奏と何ら変わ るところがなく、それでいてバロック・ヴァイオリンの繊細な音が楽しめます。駆け抜ける第四楽章も他に引けを取 りません。 第一楽章の出だしから濃い陰影があり、適度な残響の中で一つひとつの音が有機的につながって行きま す。速過ぎも遅過ぎもせず、あるべきテンポだと思います。ひたむきな感情があり、同時に変に力の入らないリラックス したところが独特の静謐さを感じさせます。 第二楽章は全く見事です。数あるモダンオーケストラの演奏も含めて、最も魅力的かもしれません。テンポは遅過 ぎは しませんが、大変ゆったりしています。静かなところから微細な表情を付けながらテヌートでクレッシェンドして行くと ころなど朝もやがたなびいているようで感じ入ってしまいます。チェロが鼻にかかった音で輪郭を際立たせながら浮 き上 がるところも、なんと美しいことでしょう。各パートが生きています。 第三楽章はテンポこそオーソドックスですが、呼吸があり、引き締め過ぎない自由さの中に感情が乗ります。第四 楽章 のアレグロ・アッサイも力みはありませんが、疾駆しています。 アルヒーフの全集の録音は1992年〜95年という短期間に行われており、音は揃ってどれも優秀録音です。ホ グ ウッドほどではないながらやや中高域に重心があり、モダン・オーケストラのものとは楽器の音も録り方も違い、毎度の ことながらクリアです。人数は 少ない楽団ですが、適度に残響もあり、さみしい感じは全くしません。細部がよく聞こえながら全体が溶けて艶もありま す。40番も含めてめぼしいところは単独でも出ています。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Ton Koopman The Amsterdam Baroque Orchestra
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 トン・コープマン / アムステルダム・バロック管弦楽団
真摯ながらいつも爽やかでやわらか、どこか楽しげで充実した波長を 感じさせるバロック音楽の職人コープマンです が、モーツァルトの短調交響曲では速めで軽い出だしを見せます。今やピリオド楽器による演奏に共通した特性ですが、 時折おっと思うような工夫があり、普段聞こえない伴奏の音が浮き上がって強調されたりします。 第二楽章はややゆっくりで、ふっと弱める音の扱いなどに陰影が出ます。やはりスラーで滑らかという演奏ではあ りま せんが、そのせいなのか、反響の強い録音会場かと思われるのに残響は案外少ないように感じます。この楽章は大変きれ いです。ところが第三楽章に入ると、今度は反対にスラーでつなぐような不思議な処理が聞かれます。トータルでは フ レーズの語尾を延ばさないピリオド奏法で、高い方のストリングスが波打ちながら独立してクレッシェンドしたりする独 特の息遣いです。 録音は1994年です。残響が長いようには感じないと書きましたが、39番の録音と比べるとなぜか反響成分が 若 干多く感じます。全体に中域に寄った響きで、やや箱鳴り感があります。弦は艶っぽい音ではありません。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Jos van Immerseel Anima Eterna ♥
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ヨス・ファン・インマゼール / アニマ・エテルナ ♥
古楽奏法によるモーツァルトがどうも学究的だった り新奇な手法に明け暮れていたりで落ち着かないことが多いと、少 しは世間の声も代弁してるつもりのスタンスでした。ところがこのインマゼールの演奏には大変説得力があります。特別 扱いするつもりもないのですが、なぜでしょうか。やはりピリオド奏法特有でテンポは全体に速め、リズムはくっきりでエネルギッシュ、強弱には波打つような息遣 いもあります。ただ、この演奏は乗れています。どこをとってもスイング感があるというのか、自然に揺れて、生きいき している。ジャズではないですが、音楽をやりたいのでこういう表現になったのだと素直に思えます。工夫は感じられるとしても、 とってつけたような技法のみに終止していないのです。ヘレヴェッヘが宗教合唱曲を得意としているとするなら、同 じベルギーでもこの人はオーケストラ作品を中心にしているようで、ベートーヴェンも溌剌としていました。一方でベル リオーズは力強い方向ではなく、各声部の動きが手に取るように見え、音色の美しさが随所に感じら れるものでした。アーノンクールとならんで知、情、意のそろったリーダーなのでしょう。モーツァルトはとにかく若々 しくて新 鮮です。 40番は短く切って弾むような扱いのリズムにテンポが快速ということはありますが、作為的な工夫は感じられず、ス トレートなところが良いと思います。第一楽章は超速ではないですが、少し速めのテンポはこの曲に合っていて説得力が あります。第二楽章は中庸やや速めのテンポで、よく歌います。もちろん古楽系の節回しですが、しなりがあって、メッ サ・ディ・ヴォーチェも自然です。第三楽章は速くて軽快、勢いがあります。一方で第四楽章はやや速めながらスタン ダードに感じる範囲で、テンポとしては理想的です。一息で駆け抜けます。 録音が素晴らしいのがこの演奏での大きな強みです。繊細で自然な艶があり、透明感を感じます。楽器の音色を聞くと いう楽しみも味わえます。ジグザグ・テリトワー(ル)というフランスのレーベルで、2001年の録音です。どちらか というと高域の明確なバランスでしょうか。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Jaap Ter Linden Mozart Akademie Amsterdam
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ヤープ・テル・リンデン / モーツァルト・アカデミー・アムステルダム
ヤープ・テル・リンデン はオランダのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者で、バッハのチェロ組曲の演奏が素晴らしいことは別項で触れました(「癒しのバロック・チェロ」)。ここでは指揮 者として、彼自身が創設した古楽器オーケストラであるモーツァルト・アカデミー・アムステルダムを率 いて録音しています。全集も出ていますが、ここでの演奏は楽器奏者としての彼とは幾分異なり、真面目で実直な面が前に出てきているような印象です。 40番は全集の方にはクラリネットなし版も収録されているようですが、第一楽章のテンポは速くなく、モダン楽器の 演奏並みでピリオド演奏としては遅い方です。同様にアクセントを強めるという癖はなく、ロング・トーンの真ん中を強 めるメッサ・ディ・ヴォーチェと所々でフレーズの語尾を切るところは見受けられるものの、目立つものではありませ ん。モダンと違うのはビブラートのない真っすぐさと編成が小さく感じられるところでしょうか。 第二楽章はスタッカートとレガートを使い分けて行きます。テンポはオーソドックスですが、ピリオド奏法なのだとい うことはわかります。違和感はなく、ストレートで正直、落ち着いた味わいがあります。 第三楽章はひなびた素朴な味わいが前面に出ています。テンポは比較的ゆっくりです。第四楽章はフォルテであっても 余分な力が抜けています。テンポは中庸で、ざっくりとした素朴さがあります。 ブリリアント・レーベル2001年の録音は残響がほどよくあります。フォルテでは全体に中低域寄りのバランスだな と感じさせます。高音弦の周波数ではあまり反響が強くありません。そのせいできらびやかさはありませんが、メタリッ クに ならず、木質のきれいな響きです。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Roger Norrington Radio-Sinfonieorchester Stuttgart
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ロジャー・ノリントン / シュトゥットガルト放送交響楽団
一部で古楽界のクラウン(道化師)のように言われていたノリントンですが、世代としてはブリュッ ヘンと同い年、レオンハルトやアーノンクールよりは年下ながら、ホグウッド、ガーディナー、ピノッ クといった古楽演奏の中心的な世代より十前後年上です。今や大家と言っていい円熟期でしょう。面白 い動きだった指揮棒振りもすっかり落ち着いて、ジャッケット写真では大変愛嬌のある笑顔です。モー ツァ ルトの手稿譜断片をつなぎ合わせたような版を用いたレクイエムでは、その次々と表情の変わる楽譜の 面白さに吸収されて、いつものノリントンらしいユーモラスさがあまり感じられない事態となっていま したが、交響曲ではまだまだ健在かと思います。 40番も楽しい演奏です。第一楽章は速めのテンポでやや駆け足なリズム、ビートの効いたうねるよ うな呼吸があり、コントラストが強いです。延ばし気味に処理したフレーズから大胆なフォルテに飛び 移るところなど、ノリントンは全然大丈夫ですね。 第二楽章はテンポこそ速めですが、案外速過ぎる印象もなくてこの人にしてはほどよい加減です。リ ズムは歯切れ良く、フレーズの後ろを跳ね上げるようにして切るところが軽やかで面白いです。緩徐楽 章という感じではないですが。 第三楽章のテンポはやや速い、ではあっても案外常套的でしょう。ここも跳ねるようにリズミカルで す。 第四楽章も速くて区切られた感じはしますが、奇異ではありません。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Charles Mackerras Scottish Chamber Orchestra
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 チャールズ・マッケラス / スコットランド室内管弦楽団
オーストラリアで生まれ、イギリスとチェコで学んだ幅広いレパートリーを持つ指揮者です。 2010年に亡くなっています。ここではモダン楽器によるピリオド奏法を行っています。 撫でるようにつなげて行くテヌートの弦が場所によってすすり泣きのような効果をもたらしていま す。対してリズムははっきりとしています。しかしトータルではオーソドックスでストレートな表現に感じま す。レクイエム で見せた厳しく引き締まったクールさとは別の印象です。中低音がボ ンとよく響くところは、同じ趣向のアダム・ フィッシャーとは会場の傾向も録り方も違うようです。 第一楽章は快活な進行ですが、テンポは中庸やや速めといったところでしょうか。深刻な感じにはな らないながら独特のテンションの高さがあります。軽快さと流れるようなところを併せ持っています。 しかし変な癖はありませんので、ピリオド奏法ではありますが、モダン楽器によるスマートで現代的な 解釈のようにも聞こえます。 第二楽章は中庸なテンポです。決して遅くはありません。緊張感を持って静けさを表現するのではな く、自然な進行です。あえて小声にすることなく、さらっと流して行きます。 第三楽章はかなり速いテンポで意外性があります。ノリが良く、リズミカルにどんどん流れて行きま す。余分なディナーミク、アゴーギグはありません。淡々と力強く。管の音に意外な響きの二重性が聞 かれる箇所がありますが、二つのパートが分解され、普段聞こえない側の音が強調されるからでしょう か。新鮮で爽やかです。 第四楽章は前と同様速いですが、ここは元来こういうテンポが合うので意外性は感じません。やはり 癖の あるアーティキュレーションはありません。テンションは高めでありながら、流れるように過ぎて行き ます。 2007年の録音はエンジニアがマーラーの巨人で素晴らしい音を聞かせてくれた(「最高の録音/巨人」) 元デッカのジェームズ・マリンソン、それに加えて高級オーディオ・メーカーのリン・ソンデックの録 音部門が独立したレーベルです。ただ、あのときのマー ラーほどの出来かどうかは疑問です。同じリン・レコードでもレクイエムの方がクリアだった記憶もあ ります。中高域によく響くところがあって輝かしい音で す。その部分で は弦に独特の塊感が出ます。艶と言ってもよいのですが、あまり高い周波数帯ではありません。中低音 も厚みのある方でフォルテでは若干カブります。高い方の弦のテクス チャーはさらっとしていて自然ですが、やや艶消しです。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Rene Jacobs Freiburger Barockorchester
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ルネ・ヤーコプス / フライブルク・バロック・オーケストラ
マタイ受難曲では温かみのある自然体で楽しんでいる感じが素晴らしかったヤーコプスですが、この2008年録音の モーツァルトの交響曲では古楽演奏での流行を感じさせる歯切れの良さを聞かせます。特にジュピターなどの演奏では アーノンクールに勝るとも劣らない張り切ったところと、他と違うんだぞといった工夫が前面に出ているように思いま す。ティンパニが 勢い良 く、フレーズの区切りがくっきりとしており、スッと弱拍へと抜く扱いがあり、スタッカートも聞かれます。バラエティ豊か な古楽のデパートというのか。 40番の出だしはやや速めのテンポで、リズムにピリオド奏法独特の凹凸があります。第二楽章はきれいですが、やは り古楽奏法の呼吸があるため、バロックの協奏曲の緩徐楽章を聞いているような錯覚を覚えます。もちろん「バロック の」と言ってもそのバロックらしいと感じる感覚自体、昨今のピリオド奏法に慣らされた耳がそう感じさせるわけです が。第三楽章も歯切れの良いリズムが心地良く、第四楽章も「疾走」する感じが良く出ています。 ハルモニア・ムンディの録音はバランス上低音がよく出ていて残響が少なめです。高域は弦にやや艶が少なく、自然で す。色気はあまりないものの、古楽器独特の細身な感じと繊細なところは出ており、悪くない音だと思います。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Frans Bruggen Orchestra of the Eighteenth Century
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 フランス・ブリュッヘン / 18世紀オーケストラ
ブリュッヘンの最近の演奏は古楽奏法といってもエキセントリックではなく、 穏やかで走らず、自然体です。独特の呼吸はありますが、ほとんど意識させられませんでした。したがって40番は 鮮烈さを狙った演奏ではないと思います。出だしのテンポはほどほど速めながら、駆けるような感じはなく すっきりしています。第二楽章はよくしなう旋律線が印象的で、テンポは遅くはなく、ほどほど中庸というところで す。第三楽章と終楽章はともにリズムの歯切れ良い箇所もありますが、これも自然です。ピノックと並んでおっとり とした方の演奏で、自然体というのは近頃の彼 のキーワードでしょう。
2010年の録音は低音が良く出ていて反響があります。あまり高域が目立たないバランスです。個人的には明瞭 さに欠ける気がしますが、今や大抵がそうなってしまった高域の強調されたステレオセットでは案外良く聞こえるの かも しれません。大手 レーベルを離れてリリースする例が最近目立ちますが、ブリュッヘンはスペインのグロッサから出すようになってお り、カヴァーデザインもいつも統一された人形シリーズです。こうした個人/精鋭のレーベルの録音ではヘレヴェッ へもコープマンもそんな印象ですが、あまり派手さのない音に録れている例が多い気がします。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Philippe Herreweghe Orchesre des Champs-Elysees
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 フィリップ・ヘレヴェッヘ / シャンゼリゼ管弦楽団
古楽宗教曲のベルギー皇太子へレヴェッへもモーツァルトの交響曲に取り組みました。前にも第九というのはあり ましたが、 今回レーベルはハルモニア・ムンディではなくなりました。2012年の録音です。この人は古楽器演奏といっても極端 なディナーミク、アーティキュレーションは見せないで演奏する洗練されたところが持ち味ですが、テンポ設定は曲 ごとにいつも異なり、快適なものもじっくりなものも両方あり得ます。ここでのモーツァルトの40番はやや テンポが良い方に入ると思います。曲の性格からしてそうなるのが自然でしょう。表現はピリオド奏法としての特徴 は持っていますが、この演奏者の他の曲よりもストレートです。第二楽章もゆっくり歌わせる方ではなく、やや速め の清潔な設定になっています。スマートで洗練されていて工夫もあり、大変良い演奏だと思います。 録音ですが、全体としては明瞭な方です。ただ、すごく見通しが良いという感じでもなく、繊細で艶っぽい弦の音 でもあ りません。反響が多くてにじむというわけでもないのに何のせいでしょうか。自然ではあるのですが、ジャケットの水晶のよう に大変きれいというのとは少し違うような気がするのです。中高域に若干の強調と反響があるせいで しょうか。PHI(フィー)というヘレヴェッへ自身のレーベルのようで、技術者のことはよく わかりません。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Nikolaus Harnoncourt Concentus Musicus Wien
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ニコラウス・アーノンクール / ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
優美で滑らかなモーツァルトではなく、リズミカルかつダイナミック、速くて歯切れ良くて、うなるような大きな 起伏があり、ときに攻撃的ですらある古楽のモーツァルト、という印象を皆に与えた、おそらくは中心人物ではない かと思われるのがアーノンクールです。他の指揮者たちももはや目を閉じてうっとりとスラーで行くというのは許さ れないような雰囲気になってしまうほど、この問題提起には影響力がありました。最初のモーツァルトの録音はホグ ウッドと並んで80年頃のことです。同じように新しくて皆を驚かせる趣向に満ちていたのはイギリスのノリントン かもしれませんが、雰囲気は大分違います。ノリントンはいつもどこか少しユーモラスです。ロックの乗りのように ビートが効いていて、学問的な追求から出てきてはいるのでしょうが、なんだか全てがノリントン節のせいだろうと 納得してしまいがちです。一方でアーノンクールの方は大変緻密な学者の一面を持っており、うかつに異議を差し挟 もうものなら、楽譜と時代考証によって理路整然と迎撃されてしまいそうです。こっちが本物のモーツァル トなんだ、なぜなら、と。 誤解を招くといけないのではっきりと申し上げておけば、私はアーノンクール、好きです。哲学者のような一面を 持ってはいますが、頭でっかちの人では決してなく、音楽が本来音楽であるような、湧き出るような情感を大切に演 奏する人です。とくに時代を経るにしたがって近年は、宗教的なとでも 言いたくなるほどの深い感情の襞を感じさせるものになってきました。ただ、これも正直に申し上げれば、彼のモー ツァルトはさほど好きではありません。というのも、レクイエムは二度目の録音が素晴らしかったものの、交響曲に 限っては、歳を取るとともに穏やかになるいつもの彼らしさは例外的に感じさせないからです。元気なのはいいこと で、このままいつまでも頑張っていてほしいところですが、恐らくモーツァルトの解釈に関しては彼一流の考え方が あり、それを決して譲りたくないのだと思いま す。三回録音しているのですが、傾向は少なくとも私には同じように聞こえます。ですから、それら三回の録音の微 妙な違いについては、彼のシンフォニーこそがいいと感じる人に味わい比べてもらいたいと思います。各パートの解釈について も、音楽学的な、あるいは彼なりの根拠があると思いますが、私には是非を問う知識はありません。 一度目の録音はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と行った80年〜88年にかけてのもので(40番は83年)、二度目は90年代 (40番は91年) に行われたヨーロッパ室内管弦楽団とのもの、そしてこの三度目の録音は、40番については2012年に収録され ています。 40番の演奏は、第一楽章については驚くようなところはありませんが、休符の間が長かったり、強弱に微妙な陰 影があったりします。 第二楽章はやや速めのテンポで、緩徐楽章ではありますが短く切るようなリズムで運ばれます。タメが効いている と言えばよいのでしょうか、少々もったいぶったような表情が面白く、まるでいたずらっ子のモーツァルトが大人を からかってやろうとたくらんで忍び足で背後から近づくといった風情です。 第三楽章も速めで、ジャンプするようなリズムでトキトキと弾み進みます。機関車トーマスが快速で走るというの か、公園の鳩が一斉に首を動かして歩くというのか。 第四楽章は意外ですが、比較的ゆっくりなテンポです。モダン演奏の教科書のように思われているのはカール・ ベームでしょうが、その角の立ったドイツ的リズムのように、一音一音を独立させて丁寧に弾かせているようです。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Adam Fischer The Danish National Chamber Orchestra
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 アダム・フィッシャー / デンマーク国立室内管弦楽団
アダム・フィッシャーはハンガリー生まれの指揮者で、ハンガリアン・ハイドン管弦楽団とハイドンの交響曲全集 を出して一部では話題になったようです(ハイドンはハンガリー地方の出身)。そのときも古楽器の楽団ではありま せんでしたが、このモーツァルトもモダン楽器を使って古楽器奏法のアーティキュレーションでやる、いわゆるピリ オド奏法の演奏です。 大変フレッシュです。リズムが引きずらず、弾けるような軽さが あります。そのせいで、私はあまり好んでかけないのですが、41番のジュピターなど大変魅力的に聞こえます。や かましさも押し付けがましさも感じません。高原の朝の爽やかさというのか、弦も管もメロディーラインには繊細さ とやさしさがあり、流れるようです。そこにはリズムの軽快さとのコントラストがあり、機知にあふれて大変楽しそ うです。この曲 を「優美」に感じた数少ない演奏です。 40番の第一楽章はテンポこそオーソドックスですが、細かく浮いたり沈んだりするような抑揚が意欲的です。ピ リ オド奏法らしくフレーズの終わりをあっさり切るところがある一方で、引っ張るところもあります。かなり大胆な表情ですが、どう言ったらよいでしょう、軽さ こそが命、というところでしょうか。 第二楽章は緩徐楽章としてはやや速めですが、さほど速くは感じません。やはりフレーズの後ろを延ばさないさっ ぱり感はありますが、場所によっては静かに、テヌートでつなげる扱いも聞かれます。創意工夫は感じられますがこ こでは奇をてらうというものでもなく、美しさを感じます。 第三楽章のテンポは速くも遅くもありませんが、強調されたアクセントによるリズミカルな拍動が心地良いです。 現代的な歯切れの良さです。 面白いのは、長く延ばす二拍目にアクセントが来る部分で裏打ちのリズムのように感じるところでしょうか。終楽章 のテンポは、この「駆け抜ける悲しみ」の出だしにおいては適切に速いです。リズム感のある抑揚は相変わらず細か く付いています。主フレーズの後で繰り返される呼応の フレーズの方に、山なりの大きなアクセントをつけるところが出てきますが、ここも裏打ちのリズムのようで面白い です。 録音はきれいです。モダン弦楽器をノンビブラートで弾かせるとちょっとそっけない音に響くときがありますが、 ここでの録音ではそういう傾向がさほど気にならず、明るさが心地良いです。2013年の録音です。 モダン・オーケストラによる演奏 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Bruno Walter The Columbia Symphony Orchestra ♥♥
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ブルーノ・ワルター / コロンビア交響楽団 ♥♥
名盤中の名盤と言われてきたものです。古楽器 演奏というジャンルを除いた中で、やはり今でも一番美しいものの 一つだと思います。これとブロムシュテットぐらいがあれば、私はもう満足かもしれません。ワルターというとロマ ン派の巨匠という見方をされ、過剰な表現でオードファッションと言われる場合もあるのですが、決してそういうこ とではないと思います。常に節度は保っているし、洗練されています。元来ワルターは豊かな歌がありますが、セ ンチメンタルな人ではありません。そういう通俗性は自身の苦難の中に置いてきているのではないでしょうか。もち ろん最も表情豊かな演奏であることは間違いありません。細部に至るまでよく練られた歌があります。ポルタメント に近い音のつなぎと変化のあるスラー、しかしそうした表情が満遍なく施されるわけではなく、感興に合わせた呼吸 となっ て生き生きしています。滑らかでありながら覇気があるというのはなかなか難しいことではない でしょうか。速いところ、ゆっくりなところ、どこをとってもこれ以上ないほどに適切 さを感じます。モーツァルトの40番はワルターの最高傑作の一つであると言い切りましょう。 第一楽章は遅めのテンポですが、世間が言うほど遅さが際立っているという気はしません。案外ダイナミックな一 面もあります。最初の主題、有名なタララン、タララン、タラ・ラーラーの最後の音でしなわせて延ばす、撫でるよ うなポルタメントがいかにもワルター節で心地良いです。静かな部分でのくっきり感はなかなかのもので、すごくレ ガートというわけではなく、しかもリズムがぶつ切れになりません。 第二楽章は見事です。ゆったりながらダレない緊張感があり、旋律をスラーでつなげながらクリアです。テンポ自 体は遅いと言えるでしょう。管もくっきりしており、盛り上がりに感情がこもります。ピアニシモの美しさは格別 で、スコアの読みがしっかりしていると言うべきか、低弦からもり上がってくるところはロマンティックです。 第三楽章のテンポは中庸やや遅めですが、確固とした力強い歩みが印象的です。第四楽章のテンポ も中庸ですが、「疾走する悲しみ」の運びは決然としています。中間部の歌の部分ではやわらかな延びと豊かな表情 があります。 録音はステレオ最初期の1959年ですが、古いからといって劣るところは何もありません。何度かリマスターさ れており、音には違いがありますので、興味のある方は「デジタル・リマスターと高音質プラスチックの CD」を参照してください。初期のマックルー ア・リマスター盤だけが良いと宣伝する人がいたせいで、あちこちにそういう意見があふれているようです。確かに マックルーア盤はナチュラルで良いですが、38番とカップリングになっている日本盤 DSD マスター・サウンドの音も、5KHz前後を若干落したい気はしないでもないながら、なかなかきれいにマスタリングしていると思います。元の録音のせいでサ ラっと細身の艶消 しの音になりがちな弦の高音に艶が出ます。機器によっては少し張って聞こえるかもしれません。一方で最新なので しょうか、41番と組になっているルビジウム・クロック・カッティングの方はノイズも敢えて残したままで明らか にハイ上がりに聞こえます。なるべくオリジナルのマスターテープから鮮度を上げて取り込むという方針なのでしょ う。私はマックルーア盤(35DC75)を自分なりにリマスターして聞いています。余談ながら大雑把にデータを 記しておくと、110Hz から下で棚状に+5dB 以内で緩やかに盛り上げ、1KHzで Q=0.43 にて+4dB 行かない範囲で上げ、逆に5KHz では Q=0.8 でー5dB 以内で落とし、10KHz やや手前から上の周波数に向けて棚状に+3dB 超えない範囲で持ち上げました。そこにフィルターで中低音以下がかぶらないようにカットし、超高音も除いた状態 でごくわずかにリヴァーブを加えて響きを調整しました。レベルはもう少し控えめにいじった方が良かったかなとも 思いますし、オリジナルを重視するならリヴァーブはなしでも良いとも思いましたが、とりあえず上手く行き、最新録音でないこと があまり気になりません。レコード会社では鮮度のことばかり宣伝しますが、結局リマスターは バランスだと思います。今は誰でもこういうことが可能ですから、各自で楽しめば良いと思います。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Herbert von Karajan Viener Philharmoniker
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ヘルベルト・フォン・カラヤン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
モダン・オーケストラの演奏の中で、最も知名度が高く、皆に買われたのはカラヤンの盤なのだろうと思います。 モーツァルトは正確には何回録音したのか知りませんが、ここでは市場に一般的に出回っている三枚を取り上げま す。カラヤンは世界一上手いベルリン・フィルを「カラヤン・レガート」と呼ばれる滑らかにして颯爽とした棒さば きでまとめた人だと理解されているようです。ただ、そのスラーでつないだ角のとれた表現は、古楽器演奏が市民権 を得た今日ではむしろ脂っこくすら聞こえます。一つの時代の模範的演奏と言え、今とは違ってオーケストラの人数 も多くてヘヴィです。最も豪華なモーツァルトでしょう。 デッカから出ているのは1959年の録音で、オーケストラはこれだけベルリン・フィルではないですが、やはり 「世界一」のウィーン・フィルです。恐らくこれがカラヤンが最初に人気を得たモーツァルトではないでしょうか。 カラヤンという人は他の作曲家の作品では、初期ほど颯爽とテンポが速く、表現が控え目で溌剌としている印象で す。ただ、このモーツァルトについては古典派という作品の性質上、時期によって大きくテンポ/ディナーミクを変 えることはないように思います。 テンポは案外速くはありません。後の演奏と比べると確かにレガートの度合いは幾分控え目で、その分爽やかに、 ややダイナミックに感じます。第二楽章もどちらかと言うとあっさりです。 録音はこの年代にしては大変良いです。若干フォルテでの透明感が少ない気もしますが、音が悪いからやめようと いうようなレベルでは全くありません。レーベルの特性もあるのか、明るめの音に録れていると思います。ふくよか なウィーン・フィルの響きを求めたい人にとって魅力的な盤だと思いますが、その音の特徴が最大限に発揮されてい るかどうかは受け取り手次第でしょう。音色自体に現れるもの以外でもオーケストラの音の違いというものはあるは ずですから。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
EMI の録音は1970年です。ベルリン・フィルとの演奏で、収録会場はベルリン・イエス・キリスト教会です。ここは残響の美しさで有名ですが、教会だけに反響時間は長いです。この後の録音と比べて最も違うのは、会場の違いによる音の違いかもしれません。演 奏自体の方法論はモーツァルトに限ってはどの録音も大きく異なるわけではないようです。 録音以外の違いでは、いわゆる「カラヤン・レガート」が最も顕著なのはこの70年のものではない かというところです。後の盤と比べて微妙な違いですが、この時代のベルリン・フィルは「最も上手 い」、もしくは「最も美しい」と言われ始めた頃で、大変流麗かつ芳醇です。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベルリン・フィルとの セッションでは、時代が下ってくると無機的になるという傾向がカラヤンにはあるような気がします が、それは主にデジタル時代の80年代に入ってからのことで、この1976年のアナログ録音ではそ ういう心配はありません。三枚の録音のうち、音が最も良いのはこの76年盤ではないかと思います。 70年盤の方はイエス・キリスト教会で録音されていましたが、こちらはベルリン・フィルハーモニ ザールです。残響はこちらの方が少なく、音の輪郭がはっきりします。 旧盤との音以外での違いは、こちらの方が演奏上も若干はっきりくっきりとした傾向があり、第一楽 章など元気で起伏も大きい気がします。フォルテで特にそう感じますが、もちろんホールの音の違いを 除いて評価するのは難しいところで、その音の違いを意識しての演奏の違いということもあるかもしれ ません。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Karl Bohm Berliner Philharmoniker
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 カール・ベーム / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ワルター、カラヤンときたら、ベームでしょう。モーツァルトのモダン・オーケストラによる三大定番演奏の話で す。ワルターには温かく変化に富んだ歌があり、カラヤンは流麗かつ重厚、そしてベームは実直、という感じでしょ うか。定番がいつもいいかどうかはわかりませんが、そう言われるからには何らかの要素があるのでしょう。 オーストリアを含めてドイツ語圏の演奏家が全部そうというわけではないですが、ミュンヒンガーとベームはリズ ムの角がしっかり付いて、ドイツ語の音のように大変生真面目な印象を与えることがあります。ベームは協奏曲など ではずいぶんしなやかな伴奏をしているときもあり、必ずしもいつもカクカクしているわけではないのですが、モー ツァルトの交響曲ではどうも、個人的な好みから行けば正統派過ぎるように感じます。こういう方向が安心できる方 にとっては大変貴重でしょう。40番の最初の主題が始まる前の序奏の音はズズ、ジャジャ、ズズ、ジャジャ、と一 音ずつくっきり発音されており、滑らかではありません。全体にリズムの扱いはこういう風で、それが人によっては 安定感を与える基礎になっているだろうと思います。文句のつけようがありません。 ベームのモーツァルトは二種類あります。初期のベルリン・フィルとのものと晩年のウィーン・フィルとのもので す。基本的な考え方に違いはないものの、ムードには差があります。多くの指揮者が生理的にそうかと思いますが、 年齢が高くなってくるほど穏やかでテンポがゆっくりになる傾向というものは一般に存在します。チェリビダッケ同 様ベームも典型的で、特にスタジオ録音ではまったりとした感じになりがちでした。若いときとどちらが良いかは双 方に美点があって何とも言えませんが、ベルリン・フィルの方を定番とする人は多いようです。シューベルトなども そうでしたが、均整美というのか、引き締まった印象があります。ギリシャ彫刻のように整ったという意味では、特 にモーツァルトなどはこのベルリンとのセッションを評価する声が高いのだと思います。 比較すればテンポが速いといっても、第二楽章などはむしろウィーン・フィルとのものよりも静けさがあるような 気がします。案外ゆっくりと、よく歌っています。トータルでは私もベルリンの方が良いかな、という気もします。 音は、収録時期が古いからといってウィーン・フィルと比べて大して劣るという感じがありません。1961年と 言えばステレオ初期ですが、グラモフォンのいくつかはフェンンツ・フリッチャイの大ミサなども含めて、かなりバ ランスの良い録音がありました。これも良い音です。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Karl Bohm Wiener Philharmoniker
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 カール・ベーム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ベームが来日して白熱的な演奏を聞かせていた頃の演奏です。ただ、晩年もののスタジオ録音は大変穏やかで、肩 に力の入らない演奏がほとんどだったと思います。教科書のように真面目なアプローチで、テンポも非常にゆっくり です。伝統的なモダン・オーケストラ(面白い表現ですが)なので編成も大きく、しかもウィーン・フィルであり、 存在感は大変しっかりとしています。 全体にテンポは遅いわけで、もちろん第二楽章もゆったり歌いますが、そこについてはベルリン・フィルも案外遅 かったのであまり違いはないかもしれません。ただ、こちらの方は第三楽章も第四楽章もゆっくりです。演奏に対す る考え方は、多分ベルリン・フィル収録のときと多分変わっていないのだろうと思います。 1976年の録音は大変きれいで、ブラームスのシンフォニーなど特にそうでしたが、ディジタル時代の音よりも 滑らかで完成されていたと言えるかもしれません。これは最大の魅力でしょう。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Neville Marriner Academy of St Martin in the Fields
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団
イギリスの室内オーケストラ、アカデミー室内管弦楽団は古楽器による演奏ではありませんが、編成の点から言え ばカラヤン、ベームといった伝統的オーケストラの分厚い音に比べて古楽演奏にも通じる、モーツァルトらしい小回 りの効いた良さを感じさせます。この人は常にテンポから言えばややすっきり速めのことが多く、重さを感じさせ ず、大仰なところが全くなく、洗練されていてウィットに富んでいます。ベームやケルテスなどとは違った意味で優 等生的とも言われかねませんが、私はモーツァルト指揮者としては最適の一人ではないかと思っています。ブレンデ ルと組んだピアノ協奏曲など、フィリップスの潤いのある録音と相まって最高の出来でした。 交響曲については、この人は二度録音をしています。最初はここで取り上げるフィリップス・レーベルのもので、 アナログ録音です。後にディジタルで EMI からも出しました。ただ、両者には解釈上も音も違いがあります。後発のディジタルの方はテンポも遅めの楽章があり、起伏があってよりダイナミックな印象で す。ディジタル最初期の EMI の録音ということもあって、私の耳にはちょっと潤いがなく感じますので、ここではアナログの方だけを取り上げることにします。 さて、その一回目のアナログ録音なのですが、ピアノ協奏曲では独特の艶やかにして弾力のある小気味良い音が楽 しめたのに対し、ここではややオフでデッドな印象です。27番の協奏曲などは同じように高域がオフな印象があり ましたから、フィリップスといえどもセッションによってバラつきは致し方ないことと思います。ただ、デッドの方 はちょっと問題で、元々編成の小さな室内管弦楽団なので、反響成分が少ないと間の空いたような頼りなさを感じる 瞬間もありました。それでもディジタルの方よりは自然で良いのですが。 第一楽章は軽やかにして柔軟です。テンポはやはり遅くはありません。ただ丁寧で端正な印象はあります。マR ナーらしいというのか、部分的に弱めるようなフレーズが聞かれ、細かな抑揚は割と付けられていますが、録音がつ いて行ってない印象は否めません。リズムも重すぎず、表現としては大変良いと思います。 第二楽章にも細やかな表情があります。やわらかさと静けさが同居していて、過度にロマンティックにならないな らないながら情緒があって良いです。端正で、ピリオド奏法と比べるとスラーで行きます。 第三楽章はくっきりとしていますが、やはりこの人は重くはなりません。深刻にならない繊細さが持ち味で、第四 楽章も疾走する悲しみかどうかはともかく、非常に軽くて心地良い運びです。 大変良いところのある演奏なのですが、1970年の録音については前述した通りで、一連のマリナーの優秀録音 の中にあってはちょっと残念なところもあります。リマスターで色々変わり得る範囲なので、私の持っている盤以外 では改善されているものがあるのかもしれませんが、結局写真で取り上げた DUO の廉価版シリーズをイコライジングして聞いたりしました。100Hz から下でわずかにレベルを落とし、500Hz あたりと10,000Hz 周辺を数 dB 持ち上げ、デッドな分を補うために周波数をよく選んでリヴァーブ(ホールトーン=反響)をつけ加えました。まあ、そんなことまでして聞くべきなのかどうか は わかりませんが。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Istvan Kertesz Viener Philharmoniker
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 イシュトヴァン・ケルテス / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
テルアビブの海岸で波の高いときに海に入り、若くして亡くなってしまったケルテスは、そのデッカの輝かしい録 音もあってか、ドヴォルザークもブラー ムスも人気のようです。中庸で完成度の高い演奏はどこにも欠点がなく、悪いことを言う余地もなければ、私などは どう褒めたものか悩むところもあります。モーツァルトについては、それを古典派の様式美のある音楽という線で理 解するのであれば、均整が取れているということは最大の美点にもなり得るでしょう。実際に聞いていてきれいな録 音であり、心地良いと言えます。そしてオーケストラはモーツァルトの国のウィーン・フィルです。 40番については、やはり演奏はニュートラルで、音の面からやや輝かしいその魅力は不変です。第一楽章はほど よく 遅過ぎないテンポで、リズムも固すぎず、ベームよりも流れる印象です。 第二楽章も特に滑らかという方向ではありませんが、オーソドックスで安心していられるます。ウィーン・フィル のやわらかい音は魅力的です。 第三楽章もオーソドックスで、あまり力まず、フレーズがつながれて丸い印象があります。第四楽章はモダン・ オーケストラの演奏としては速いです。 1972年の録音はアナログながら、これもソフィエンザールの録音なのでしょう、デッカ特有の音は輝かしい部 分もあり、セールスポイントの一つとなっています。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Otmar Suitner Staatskapelle Dresden
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 オトマール・スイトナー / シュターツカペレ・ドレスデン
旧東ドイツに属した名門オーケストラとして、シュターツカペレ・ドレスデンは大変古い歴史を持ちます。シュ ターツカペレは State Chapel, もしくは Band の意味で、ベルリン国立歌劇場管弦 楽団とも訳されます。同じくシュターツカペレ・ベルリンというのも有名ですが、ドレスデンの方が古 く、創設は16世紀に遡るそうです。ドレスデンはベルリンの南に位置するため、指揮者の交流はあったものの、旧 体制では東側に属しました。東側オーケストラの特徴は商業主義に傾かず、はったりのない誠実さだと言われてきま した。ステレオタイプかもしれませんが、その音はよく「いぶし銀」などとも評されてきました。この楽団のモー ツァルトでは、スイトナーとブロムシュテットの盤が出ています。どちらも解放前の演奏です。 スイトナーはドイツーイタリア系でオーストリアに生まれた旧西側出身の指揮者ですが、シュターツカペレ・ベル リンと、このドレスデンの両方の音楽監督になり、ドレスデンの方の任期は1960年から64年でした。オースト リア生まれのスイトナーが落ち着いた音のシュターツカペレ・ドレスデンと録音した盤は、一方でウィーン・フィル が本家のように言われるのに対し、もう一つの極として正統派のモーツァルトとも目されてきたようです。ここに写 真を掲載した盤は後期三大交響曲がこれ一枚で聞け、お得です。 第一楽章は遅めのテンポで、ベームのようにリズムがきっかりしています。それに対して、旋律の部分はわりと滑 らかです。全体の印象としては大変オーソドックスで、かっちりと真面目なものに感じます。 第二楽章も一音一音区切られたリズムの上に、やわらかな歌が乗ります。テンポはモダン楽器のオーケストラとし ては速くも遅くもありませんが、古楽器演奏の平均よりは遅いと言えるでしょう。 第三楽章はテンポはじっくり一歩ずつ着実に進む感じで、やはりくっきりとしています。 第四楽章も着実で、決して速く駆けるような方向ではありません。 シャルプラッテン1975年の録音はアナログですが、残響が心地よく、伸びやかながら派手さのない好録音で す。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Rafael Kubelik Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ラファエル・ クーベリック / バイエルン放送交響楽団
スイトナーとは反対に、東側はチェコで生まれて亡命し、西側で活躍したのはクーベリックです。この人はチェコ の人だからとは簡単には言えませんし、国際派なんであまり泣き系でもありませんが、独特の豊かな歌を持った人だ と思います。ワルターやクリュイタンスともまた違ったニュアンスですが、一見ゆったりで、スタジオものなど特に あまり表情が濃くないように見えていながら、緩徐楽章も途中からだんだんと熟成が進んだみたいに味が出て来た り、などということがよくあります。このモーツァルトは終止ゆっくり丁寧で、人によっては熱っぽさのない平坦な ものに聞こえるかもしれませんが、やはりクーベリックらしい落ち着いた味わいがあります。個人的意見ですが、 ジュピターはきばらなくて大変いいです。 第一楽章はテンポは遅めですが、ドイツ系の演奏家がときどき見せるような低音伴奏部の几帳面な固さはなく滑ら かで、むしろ旋律の部分で一音ずつ区切って発音するようなところが感じられます。抑揚があまり大きい方ではない でしょう。 第二楽章は案外スラーという感じではなく、丁寧に区切られながら着実に発音されて行きます。やはりあまり大き な起伏をつける演奏ではありません。肩肘張るというのとは正反対です。 第三楽章は力まず、ゆっくりです。こういう風に穏やかに行くというのもありでしょう。ぬるいと言う人もいそう ですが、別の言い方をすればやわらかく静かです。不思議な味わいがあります。ちょっとしなったり、ある語尾で力 が 抜けたりと、表情はあります。 第四楽章は中庸のテンポですが、けっこう速さがあります。力まないところが良いです。平静にして滑らか、チェ コの指揮者ですが、悲しいという感じは全くしません。後半はそこはかとなく熱がこもってきます。 1980年のデジタル録音はデジタル最初期ということもあり、やや弦のテクスチャーがメタリックに響く傾向は あります。しかしきつい音ではなく、明るくさらっとしています。そのせいか、全体のバランスがあまり低域寄りで ないせいか、あまり大きな編成のオーケストラではないかのように響きます。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 Herbert Blomstedt Staatskapelle Dresden ♥♥
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ヘルベルト・ブロムシュテット / シュターツカペレ・ドレスデン ♥♥
スイトナー盤の6 年後、同じ東ドイツの名門、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏でブロムシュテット指揮の盤が出ました。このモー ツァルトの40番はモダン楽器によるオーケストラの演奏の中で、ワルターの名演で満足していてもなお大変魅力的な一 枚だと思います。厚みがあってしっとりした音色に誠実な運びというのは指揮者が変わってもスイトナー盤同様ですが、 こちらの方がつなぎが滑らかで、個人的な感想としては優美に感じられます。ワルターのように自在にしない、変化を もって歌うという意味ではやや控えめで、ゆったりめのテンポもさほど動かず、何となく聞いていれば生真面目な優等生 に思えるかもしれません。ベームやケルテス、マリナーの端正さとどう違うのかと言われると説明が難しいのですが、 じっくり味わうとどのフレーズも表面的にならず、表情はおとなしいながら乗れていて自発的な歌があり、楽団員の音楽 に入り込んだ熱意が感じられます。これは指揮者固有の解釈の問題ではないかもしれません。ワルターより新しい録音で ピリオド奏法でない40番をとなると、私はこの盤を取ります。
第一楽章はテンポから言えばスイトナーより遅い、ゆったりした運びです。しかしスイトナーやベームなどに聞かれる ような、伴奏部分の角張った几帳面なリズムは目立たず、滑らかで静かです。自分の好みとしてジャカジャカと一音ずつ 低音部が浮き出すのはあまり粋じゃないと感じているので、この自然さはありがたいです。そして旋律の部分は弾力のあ るやわらかさで歌われて行きます。 第二楽章はやさしくて美しいです。テンポは遅く、滑らかで静けさに満ちています。古楽のアプローチとは違ってス ラーでつながれて歌われます。展開部で盛り上がるところは絶品で、大きな呼吸に振えます。 第三楽章も遅めですが、確固とした足取りです。ここはスイトナーとほぼ同タイムでしょうか。ただ、第一楽章同様、 ここもスイトナーのようにリズムが角張って目立つことはありません。 第四楽章は小林秀雄こそ「疾走する」と言いましたが、ブロムシュテットはゆったり構えて走りません。こういうアプ ローチも案外納得させられます。焦らず、滑らかで、これが本来かなと思えます。 1981年の録音はデジタルで、レーベルは DENON ですが、日独協力ということでレコーディング・ディレクターとバランス・エンジニアはドイツ・シャルプラッテンの人の名があがっています。大変良い録音 で、デジタル初期の問題を全く感じさせません。スイトナー盤と同じくドレスデンのルカ教会で録られているので残響が 美しいです。バランス的にはスイトナーのものより低音が厚く、きらびやかさはないですが、しっとりとして良い音で す。 Mozart Symphony No.40 in G minor K.550 James Levine Wiener Philharmoniker
モーツァルト / 交響曲第40番ト短調 K.550 ジェームズ・レヴァイン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
モダン楽器のオーケストラの演奏で、比較的新しいところで話題になったのはレヴァインの盤でしょうか。大手ド イツ・グラモフォンから出ており、オーケストラがモーツァルトと同国のウィーン・フィルというのが最大の魅力ポ イントかもしれません。レヴァインはユダヤ系アメリカ人の指揮者です。 第一楽章は中庸なテンポで、ふくよかなウィーン・フィルの音が心地よいです。やわらかな歌い回しです。 第二楽章はあまりゆっくりな方ではありませんが、やはりやらかくよく歌います。音自体がやわらかいので魅力的 です。 第三楽章は中庸のテンポで、終楽章も走りません。 録音は新しいだけにアドバンテージがあります。ウィーン・フィルのものではベームが遅過ぎるなら、ケルテスか この人かということになるでしょうが、こちらは1989年のデジタル録音です。 INDEX |