マスネ / 歌劇「タイス」〜「タイスの瞑想曲」
          ヨーヨー・マの名演盤 

   massenet1860s
      Jules Massenet

タイスの瞑想曲とは
「タイスの瞑想曲」。多くの方がこのタイトルを耳にしたことがあるのではないでしょうか。「クラシック音楽で最初に聞くべきは?」と問われて真っ先に返って来る答えかもしれません。あるいは、その甘く夢見るようなメロディーならどこかで聞いたことがあるに違いありません。マスネというフランスの作曲家が作ったオペラ「タイス」の幕間に出て来る5分ほどの間奏曲です。色々な編曲版があるけれども、ソロ・ヴァイオリンがオーケストラをバックに演奏するのが原曲です。


マスネについて
 マスネはフランス中南部の中央高地に位置するロワール県(オーヴェルニュ地方の東隣)で19世紀中葉に生まれた作曲家です(ジュール・マスネ 1842-1912)。裕福な金物商の四人兄弟の末っ子で、お母さんは素人ながら能力のある音楽家であり、彼にピアノを教えました。本人も若くして才能をを開花させ、五歳のときにパリに移った後、パリ音楽院(コンセルヴァトワール)で学びました。学生時代は貧しく、同学院で賞を取るほどの腕前だったピアノで生徒を取りつつ歌劇場のオーケストラで打楽器を受け持つという生活だったけれども、そこでの経験からオペラに精通して行きました。二十歳で作曲家の登竜門であるローマ賞を受賞し、普仏戦争時に国境警備の仕事に志願した後、自分が卒業した音楽院の教授となりました(三十六歳時)。そして作った作品は主にオペラです。それらは徐々に好評を得、存命中から成功者となりました。特にメロディアスな曲を作ることで人気があったのです。1894年初演(五十一歳時)の歌劇「タイス」は最も成功した作品の一つです。


歌劇「タイス」のあらすじ
 このオペラの原作は、芥川龍之介も好きだったフランスの詩人で小説家、アナトール・フランス(1844-1924)によるものです。舞台はローマ(ビザンチン)帝国時代のアレクサンドリアです。アレキサンダー大王が作った、カイロよりもナイル川の下流にあって地中海に面するエジプトの都市だけど、主人公はそこの美しい高級娼婦にしてローマ神話のヴィーナスを信仰する女性祭司(キリスト教から見ると異教徒)であるタイスと、キリスト教の厳格な禁欲主義者である修道僧、アタナエルの二人となっています。この二人がそれぞれ俗から聖、聖から俗へと全く逆方向に交差しながら変貌して行く様が描かれています。禁欲主義とエロスの対立に目を向けさせる見事な構図で、作品自体が「宗教的エロティシズム」を表現するとして問題にもなりました。タイスの側から見れば神の導き(アタナエルとの出会い)によって淫らな売春生活から清らかな宗教生活へと向かう物語であり、アタナエルの側から見れば美しい女性によって非人間的な禁欲主義から人間的な情感の目覚めへと、あるいはキリスト教的な観点からは堕落へと至る物語ということになります。タイスという人物は実際にギリシャ正教の聖人伝と殉教史に登場する4世紀の砂漠の聖者、もしくは隠遁者です。そこから肉付けをしたのがこの物語です。

 実際の筋立てですが、修道僧アタナエルは以前、アレキサンドリアに宣教活動で行ったことがあり、そのときに出会った娼婦、タイスの美しさに心を乱されています。どうしても頭を占有してしまう彼女の記憶に苛まれ、納得するためにそれを神のお告げだと考え、アレキサンドリアにもう一度行って彼女をキリスト教に改宗させ、修道院に入れるのが自分の使命なのだと自身に言い聞かせます。もちろんそれは口実であり、無意識にであれ、実際は彼女に会いたかったのです。アタナエルが属する修道院の僧長パレモンはそれを見抜き、反対するもアタナエルは聞き入れず、結局アレキサンドリアへと向かいます。


   flemimgthais
      Thaïs   Renée Fleming  (Decca 1997-98 / 2000)

 アレキサンドリアに着くと、以前知り合いになっていた裕福で快楽主義的なニシアスがタイスの客となって彼女を一週間買っていました。タイスはアタナエルがやって来た意味について、愛と肉の痛みを捨てさせようとする試みだと前もって知らされていましたが、華やかな夕べのパーティの席で誘惑的な歌を歌って彼を愚弄します。「ヴィーナスに逆らうあなた、来てごらんなさい」という彼女の捨て台詞に激怒したアタナエルは、後で戻って来ると言って出て行きます。

 そしてアタナエルは戻って来ると彼女に対して、「肉欲ではなく精神によってあなたを愛しています」と言います。タイスはそのとき、現在の虚しい生活を思い、自分の美もいずれ衰え行くことを考えて弱気になっているタイミングでした。アタナエルの方は、このときは彼女の美しさをどうか隠してくれと神に祈っているので、自覚して誘惑に負けているわけではないでしょう。でも彼女の肉体的な魅力にほとんど負けそうになりながら、なんとか持ちこたえて信仰による永遠の生命について説きました。彼女はその雄弁さに圧倒されそうになりながらも拒み、彼を帰らせます。ここが第二幕第一場の終わりです。彼を去らせた後、しかしタイスはアタナエルの言ったことを考え、長い瞑想をします。

 この第二場への幕間に奏されるのが「タイスの瞑想曲」です。彼女の心が変わって行く様を表現しているのです。宗教的な瞑想と言うにはずい分と甘美な旋律です。「宗教的エロティシズム」が何にせよ、これこそがそれでしょうか。甘い旋律で人気を取ったマスネの能力が存分に発揮されています。途中で盛り上がるところが心の葛藤であり、最後に静まるところが信仰心の目覚めということになります。

 その後改宗したタイスは砂漠を戻って行くアタナエルを追い、新たな生活へと入って行きます。この後色々ありますが、結局修道院(尼僧院)に入る道を選ぶのです。するとそこで仕事が完結してしまったアタナエルは自分の修道院に帰るしかなくなってしまいます。しかし帰って来ると不機嫌になり、とうとう修道僧長のパレモンに告白します。自分は肉欲に負け、もはやタイスへの性的熱望を経験し始めているのだ、と。夢の中で掴もうとすると、彼女は笑って逃げて行きます。そして彼女が死にかけているというメッセージも夢から受け取ります。もはや彼女なしには生きられないという感情に襲われてしまい、結局それを抑え切れずに会いに行くことにします。

 尼僧院に着くとタイスは死の床にありました。アタナエルは言います。「自分が今まで言って来たことは全て嘘だった。人間の愛と生命以外に真実はない。愛している」。しかしそれに気づかず穏やかに、タイスは天国が開かれるのを思い描き、彼らの間に天使が来て自分を迎え入れるのを見ていました。彼女は死んでしまい、アタナエルは絶望のうちにくずおれます。



   labelleepoque
      Paris   La Belle Epoque
      Thaïs Méditation
      Fauré Violin Sonata No.1 op.13 (transcription by Yo-Yo Ma)
      Saint-Saëns Havanaise op.83 Franck Sonata in A major for Violin and Piano (transcription by Yo-Yo Ma)
      Yo-Yo Ma (vc) / Kathryn Stott (pf) ♥♥

パリ〜ベル・エポック
マスネ / タイスの瞑想曲
フォーレ / ヴァイオリン・ソナタ第1番 op.13(ヨーヨー・マによるチェロ用編曲版)
サン=サーンス / ハバネラ op.83
フランク / ヴァイオリン・ソナタ(ヨーヨー・マによるチェロ用編曲版)
ヨーヨー・マ(チェロ)/ キャサリン・ストット(ピアノ)♥♥
 タイスの瞑想曲の良い録音はと思って探した結果、結局個人的に最も気に入ったのはまたもヨーヨー・マの演奏ということになってしまいました。オペラの幕間で実際に演奏されるべきスタイルとこの曲だけ取り出した場合とでは違いがあると思いますので、名曲集として取り出した場合の話です。また、本来はヴァイオリンとオーケストラのための曲なので、マのものは編曲版になります。ちゃんとヴァイオリン版の方を販売サイト等で見ると、さすがに入門曲だけあって美しい姿の人や神童としてデビューしたばかりの若い演奏家などのベスト盤的なものが目立ち、ちょうどショーソンの詩曲と同じような様相を呈しています。もちろんそれらはどれも素晴らしい演奏なわけだけど、中にはゆったりと丁寧に歌ってくれたり情緒たっぷりに聞かせてくれるようなのもあったで、自然に振舞って生きた歌の熱を感じさせるようなマの運びは、当たり前のようでいてなかなか得難いものだったのです。

 演奏へのコメントはそのぐらいにして、この盤の魅力のもう一つの点を述べます。企画というか、カップリング曲が良く、一枚の CD として大変まとまっています。タイトルは「パリ〜ベル・エポック」。ベル・エポック(beautiful era)というのは大雑把に19世紀の終わり頃、正確には普仏戦争の終結である1871年から第一次大戦の始まる前までの、主にパリ(もしくはヨーロッパ全体)の華やかな時代のことを言います。美術においてはアール・ヌーヴォーと重なるけれども、マが育ったフランスの、美しい時代の曲を集めた企画というわけです。最初のタイスの瞑想曲に続いて、フォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番が来ます。さほど有名ではないかもしれませんが美しい曲で、ここでもすでにフォーレの室内楽のページでギル・シャハムの演奏を取り上げていました(「フォーレの歌曲と室内楽」)。良い選曲だと思います。続いてサン=サーンスのハバネラ、さらにヴァイオリン・ソナタ中の名曲、フランクが来ます。フォーレもこのフランクもマ自身のチェロへの編曲です。フランクのソナタは本来のヴァイオリンの高い音がなくなるとまるで別の曲のように落ち着いてしまって、最初は戸惑いました。でも録音にもよるけれどもヴァイオリンだときつい音に感じられるパッセージもあり、チェロ版は耳が痛くなくて慣れるとこれがなかなか味わい深いです。フランクの悲痛な訴えの波長ではなく、マの持つ包容力が音になっていて見事です。

 ピアノは長年一緒にやって来ているキャサリン・ストットです。息がぴったりです。2003年録音のソニー・クラシカルです。生っぽい落ち着いた好録音です。


ヨーヨー・マについて
 中国系アメリカ人の世界的なチェリストであるヨーヨー・マは1955年のパリ生まれ。七歳まではフランス育ちです。アメリカでは今の大谷のような種類の人気がありますが、母国語のように話すのはフランス語と中国語、後に英語ということで、ヨーロッパと中国という二つの文化の間でアイデンティティーが揺れるような体験をして来たようです。長年連れ添っている二つ上の奥さん、ジル・ホーナーも混血のドイツ育ちということで、似たような境遇に惹かれ合ったと言います。マの演奏はアジア人的な偏りを全く感じさせませんが、それはあるいはこうした文化的辺境体験と関係があるのかもしれません。中国系でインターナショナルな感覚を持っている演奏家は他にも2021年のショパン・コンクールの覇者、ブルース・リウや、ぎりぎり手前まで歌に浸してくれるところはあるにせよ、フランスからデビューしたシュ・シャオ・メイなどが思い浮かびます。前者はパリで生まれたカナダ育ちであり、後者はと言えば上海生まれで三十六歳まで中国にいたので、こじつけるなら「東洋のパリ」とも呼ばれた国際都市上海の空気を吸っていたからだとか、パリで研鑽を積んだから、とかになるでしょうか。とは言っても、才能には理由づけをせず、それのみで評価するものだという気もします。

 マがパリ生まれだった経緯ですが、共に中国人だった両親が在住だったからです。父親は過去に音楽の勉強でパリに留学していたことがあり、1936年に帰国して重慶の中央大学の教授になりました。しかし対外的に説明されることとしては学生たちの不真面目さに失望してパリに戻り、音楽理論の勉強を続けていました。なのでシャオ・メイのように文革を逃れるためだったとは言えないものの、その後帰国したくとも出来ない難民状態だったのはそのせいです(自身の兄の帰国計画にも猛反対してやめさせたそうです)。一方母親の方は香港で米と海産物を扱う商人の娘で、中国の政治情勢に幻滅したことと、後に夫となるマの父親をすでに知っていて好意を抱いていたこともあり、パリに留学して音楽の勉強をしていました。そこで二人は結婚してマが生まれたわけです。そしてこの両親の音楽的センスが子供に影響したことは確かでしょう。特に母親はリリック・ソプラノを目指す歌手であり、歌のセンスがあったために子供の頃のマは彼女に歌ってほしいとせがみ、その感情表現を学ぼうとしたそうです。こうした話はその母であるマリナ・マが書いた本で詳しく述べられています(わが子、ヨーヨー/マリナ・マ著/ジョン・A・ラロ編/木村博江訳/2000音楽の友社/My Son, Yo-Yo by Marina Ma 1995 Chinese University of Hong Kong Press)。以下にそのエピソードを端折って記してみます。

 ヨーヨー・マはいわゆる神童で、小さいときから記憶が良くて頭が切れ、他人の立場を思いやることもでき、楽器の習得も異常に早かったようです。ごく幼い頃から姉と同じくピアノを学び、それから弦楽器へ移行しました。姉の方はヴァイオリンをやったため、彼はチェロにしたようです。初めは彼もヴァイオリンをやらされそうになっていたものの、親に「ヴァイオリンの音が好きじゃない、大きな楽器がやりたい」と拒んだとのことで、その点は頑として譲らずに主張を続け、父親は仕方なくまずヴィオラにエンドピンを付けたもの、それから小型のチェロという具合に与えることにしました。その父は大変厳しい人だったものの、押し付ける指導法は嫌っていたとのことで、子供の希望を聞き入れたのは世の親としては立派で珍しいことだと思います。無理にやらせて嫌いにさせたら今のマはなかったことでしょう。でも後になって本人が告白したことによると、ヴァイオリンを拒否したのは姉との競争を避けたかったからだということです。そしてそう思ったことは貫きます。その頑なさは幼少期からずっとあり、有名な先生の前で弾けと促しても、納得する演奏ができない限りは披露したくないのでどうしても弾かない、などということがあったそうです。そしてあっという間に上達し、三歳のときにはすでに正確なフレージングで音楽に命を吹みました。母によると歌手がステージで歌うときのようであり、この頃から弓に声があったそうです。しかもレッスン中は弾くことしか頭になく、全く気が散らないというのです。

 天才だからといって人の心が理解できないタイプではないようです。これも三歳のときですが、七歳の姉の初めてのヴァイオリンの演奏会の後で、その姉自身に「どうだった、私の演奏?」と聞かれたとき、こう答えたそうです。「うん、姉さん、とっても上手だったよ…」それから間を空けて言葉を探し、「すごく素敵だった。でも…あのね、ほんの少しだけ音が外れてた。ほんの少し」。この言い方には思いやりがあります。そして初めて聞く曲だったのにピッチには敏感なのです。似たような話だけど、父の教え子の医学博士が父の前でチェロを弾いて、同じくずれた音を出し続けたときのことです。父はその生徒に「ご自分で高過ぎるか低過ぎるか分かりますか」と毎回聞いたけれども、博士は分からなかった。困っているとそれを後ろで聞いていたヨーヨーが指を上に向けたり下に向けたりして教えたので、上手く答えられたことがあったそうです。お父さんへの反抗かもしれないけど気が利きます。この一件は結局ばれて笑い話になったそうです。こういう思いやりのある人懐っこさは、現在演奏家として彼の人格が褒められていること、人望が厚いことにもつながっているようです。本来の性質でしょうけど、教育もあるのでしょう。母親は彼が小さい頃から、「人から気持ちを傷つけられてもその人を許すことが大事だよ、どんなときでも相手の良い面を探すように努めなさい」と寝しなに教えたそうです。

 性格面ではもう一つ。憎めないのですがクレバーなところもあり、大変機転が利くと同時に悪戯っ子でもありました。姉が楽器の練習中にはその部屋に入るなと父に言われ、それならと部屋の外から紙を丸めた球を姉の背中に投げ付けました。父からは見えないし、姉は父に言い付けない性格だと知ってのことです。また、姉の弾くピアノの下に潜り込んで、ペダルを踏んでも降りないように押さえることもしました。するとその音が変であるのを隣の部屋から聞きつけて父が飛んで来て、「そこで何をしてる」と叱られてしまいます。とっさに自分の松ヤニ(弦楽器の弓に塗る固形のもの)を落としたので、ピアノの下に転がって行ったのではないかと思ったからだと言い訳をしたというのです。この嘘にすぐ父は気づきましたが、わが子の頭の回転に関心し、騙されたことにして部屋に戻ったそうです。こういうところも面白い父親です。また、悪いことをして父からテレビを見せないという罰を課されたときも、閉じ込められたキッチンのドアを細く開いて覗き見をしていたというし、楽器練習では隣の部屋の父に間違いを指摘されないように弱音で弾く手を使ったことから、ピアニッシモが上手くなったとも言います。セントラルパークで面白半分に草に火を付けて大騒ぎになったこともありました。そのときは泣き声で「お父さんには言わないで」と母に懇願したそうです。

 その父が最初に教えたときのチェロの曲は、なんと子供相手にバッハの組曲だったそうです。カザルスが発掘したあの名曲です。二小節ずつ毎日学んで行くという方式でマスターし、六歳のときには発表会でそれを弾きました。チェロ組曲第3番 BWV 1009 です。本人が全曲弾きたいと申し出ると、それをやると本来の出番の時間より長くなり、他の子もいるから発表会が延びてしまいます。父がだめだと厳しく言い渡すと、それにめげずに機転を効かせ、もし一曲弾き終わったところで拍手があったら次のを弾いてもいいかと交渉しました。結局全部に拍手が巻き起こり、一時間近くで弾き切ってブラボーの声が上がりました。

 デビューまでの経緯ですが、彼が七歳のとき、ニューヨーク州に住んでいた父の兄が中国へ帰ると言い出しました。それは危険だということで、父は説得するために家族を連れてアメリカへ渡ります。結局兄の計画は断念させることに成功したのだけど、そのときロチェスターのナザレ大学でアメリカで最初のコンサートを開くことが出来ました。それからパリへ戻るためのステップとしてニューヨーク市へとやって来たとき、父親は帰る前にそこでもリサイタルを開かせたくなりました。そして無理をしてヨーヨーとその姉のジョイント・リサイタルを開きました。それを聞いたのがマンハッタンの学校の女性校長で、二人の見事な演奏に驚き、自分の学校で作ろうとしていた弦楽オーケストラの指導を父親に頼むことになりました。父が教えたので子供がそんなに上手いのだと思ったのです。その依頼により、一家はアメリカに住むことになります。そしてアメリカでブダペスト四重奏団の第2ヴァイオリンだったアレクサンダー・シュナイダーがマの演奏を聞いて感激し、カザルスに紹介することとなります。カザルスはバーンスタインの司会するテレビ番組(「アメリカン・ページェント・オブ・ジ・アーツ」)に出させることにし、その番組を見た全米がうなってどんどん機会が与えられ、終いにはケネディ大統領夫妻の前で弾くことになり(ガラ・コンサート)、そのときの姿がワシントン・ポストに写真で載って今へとつながって行きます。さらにアイザック・スターンに認められ、ジュリアードでレナード・ローズに師事することにもなります。ローズとマは親友となったそうです。こうして有名人となったヨーヨー・マですが、引っ張りだこの依頼に対して、父は彼がさらに学ぶ時間を与えるためにイベントへの参加を制限したということです。本人は音楽だけでなく普通に勉強もしたいということで、なんとハーバード大学で人類学も学びました。そしてそこでドイツ語を教えていた奥さんと出会ったのです。


ヨーヨー・マの名演盤
 そんなヨーヨー・マの録音の中で代表的なものは何でしょうか。もちろん彼が人生の最初に取り組んで以来ずっと弾き続けて来たバッハのチェロ組曲は筆頭でしょう。三度録音があり、どれも名演ですが、特に二度目と三度目は数あるこの曲の演奏の中でも抜きん出ていると思います。そしてその旧約聖書に対しての新約聖書、ベートーヴェンのチェロ・ソナタドヴォルザークのチェロ協奏曲も見事です。でもそうした大曲のみではなく、小品も素晴らしいのです。サン=サーンスの「白鳥」も同曲一番かと思う演奏でした。ドヴォルザークの森の静けさもいいです。それ以外にもいっぱいありますが、それらはベスト盤のような形でコンピレーション・アルバムの中に入っていたりもします。以下では、上記のタイスの瞑想曲の盤に続いて、そうした美しい小品を集めたような CD、しかも寄せ集め的なものもいくつもある中で、そうでないようなものを取り上げます。マの演奏を知るにもってこいのアルバムだと思います。



   comfortandhope
      Songs of Confort and Hope
      Yo-Yo Ma (vc) Kathryn Stott (pf) ♥♥

ソングス・オブ・コンフォート・アンド・ホープ
ヨーヨー・マ(チェロ)/ キャサリン・ストット(ピアノ)♥♥
 ヨーヨー・マの小品ベストの中のベスト、続けて行きます。こちらは2020年の録音。COVID19パンデミックは大変な出来事でした。世界的なチェリストで慈善運動家でもあるヨーヨー・マも出向いたり配信したりで様々な活動をしましたが、音楽を通じて慰めを与えるのが役目であるため、特に分断され、隔離された孤独な人々を癒すことを心がけたようです。このアルバムはそんな意図から「慰めと希望の歌」というタイトルを持ち、ソーシャル・メディアへのドヴォルザークの「家路」の投稿に続き、その目的に相応しいナンバーを集めたものとなりました。以下に曲名を記します:

  1. アメイジング・グレイス〜プレリュード(伝承)
  2. オール・マン・リヴァー(「ショー・ボート」より〜ジェローム・カーン & オスカー・ハマースタイン)
  3. シェナンドー(伝承)
  4. 家路(ドヴォルザーク)
  5. ユダヤの歌(ブロッホ)
  6. ここは素晴らしい場所(ラフマニノフ)
  7. モスクワの夜(ソロヴィョフ・セドイ)
  8. オーバー・ザ・レインボウ(虹の彼方に/「オズの魔法使」より〜ハロルド・アーレン)
  9. 屋根に落ちる雨(ウー・トン)
10. 無言歌 作品109(メンデルスゾーン)
11. ファンタジア・オン・ワルツィング・マチルダ(ハリー・スドローリグ)
12. スカボロー・フェア(伝承)
13. ソルヴェイグの歌(「ペール・ギュント」〜グリーグ)
14. 愛の小径(プーランク)
15. マリエッタの歌(「死の都」より〜コルンゴルト)
16. トゥラ・ババ(ズールー人伝承)
17. 夏の名残のばら(ブリテン)
18. ロンドンデリー・エア(ダニー・ボーイ/アイルランド伝承/クライスラー編)
19. 人生よありがとう(ビオレータ・パラ)
20. ウィ・ウィル・ミート・アゲイン(ロス・パーカー & ヒューイー・チャールズ)
21. アメイジング・グレイス〜ポストリュード(伝承)

 ピアノ伴奏を務めているのはエマニュエル・アックスと並んで長年一緒に活動して来ているキャサリン・ストットです。ベル・エポックのアルバムと同じです。他では知らなかった人だけど聞けば分かる通り素晴らしい能力のあるピアニストです。コンピレーション・アルバムとしての企画そのものは次で取り上げる2015年録音の前作、「ソングス・フロム・ジ・アーク・オブ・ライフ」の続きのような形です。ドヴォルザークの新世界交響曲の第二楽章「家路」も入ってるし、広くクラシックからだけでなく、伝承民謡のアメイジング・グレイス、スカボロー・フェアや「オズの魔法使い」からの「オーバー・ザ・レインボウ」などもあります。ジャズ・スタンダードのナンバーにもなっている「ウィ・ウィル・ミート・アゲイン」も取り上げています。その曲は皆が自由を失っている頃にエリザベス女王がスピーチで触れ、象徴的なものとなりました。「また会いましょう。どこでか知らないし、いつかも分からない。でもいつかの晴れた日に会えるって分かってる。それまで、いつものあなたのように微笑んでいましょう。青空が暗い雲を追い払うときまで」という歌詞の最後の部分が特にメッセージとなっています。ロックダウンのみならず、この世界ではお別れとなってしまった人たちのことまで含まれてるような気がして来ます。

 2020年録音で翌年の発売でした。録音が素晴らしいです。この種の編成のものとして最高の一枚ではないでしょうか。ソングス・フロム・ジ・アーク・オブ・ライフも良かったですが、そこから一段上の出来という印象です。生のような自然な柔軟さがありつつ艶が乗り、細部まで克明で響きが美しいです。本当にコンフォティングなアルバムです。



   songsfromthearcoflife
    Songs from the Arc of Life
      Yo-Yo Ma (vc) Kathryn Stott (pf) ♥♥

ソングス・フロム・ジ・アーク・オブ・ライフ
ヨーヨー・マ(チェロ)/ キャサリン・ストット(ピアノ)♥♥
 とうとう還暦となったヨーヨー・マが気の合うキャサリン・ストットのピアノで、それまでの集大成のようにして歌のある小品を集めたアルバムを出しました。元々還暦のお祝いは中国からのもの。タイトルの「アーク」の意味を汲んで訳すと「人生のエピソードをつなぐ歌」とでもなりましょうか。

 このアルバムはすでにサン=サーンスの「白鳥」のページでも取り上げました。見事な白鳥です。アヴェ・マリア(バッハ/グノー)に始まり、アヴェ・マリア(シューベルト)で終わります。美しい旋律を持った名曲揃いです。エルガーの「愛の挨拶」も聞けます。メシアンも入ってますが、恐れることはありません。ほとんど協和音です。どの曲もヨーヨー・マでしか歌えない仕上がりになっていると思います。真摯で深みのある歌を聞かせるのに洗練されている、こういうセンスの持ち主はそうそういるものではありません。以下に曲目を記します:

  1. バッハ:アヴェ・マリア
  2. ブラームス:子守歌 op.49-4
  3. ドヴォルザーク:わが母の教えたまいし歌 op.55-4
  4. フォーレ:パピヨン op.77
  5. ゲーゼ:ジェラシー
  6. シューマン:『民謡風の5つの小品』より第1曲ヴァニタス・ヴァニタトゥム
  7. シベリウス:夢なりしか? op.37-4
  8. フォーレ:夢のあとに op.7-1
  9. エルガー:愛の挨拶
10. ガーシュウィン:プレリュード第1番
11. ディーリアス:ロマンス〜ピアノとチェロのための
12. クライスラー:ラ・ヒターナ
13. ソッリマ:イル・ベッラントニオ〜テーマIII
14. サン=サーンス:白鳥(『動物の謝肉祭』より)
15. グリーグ:傷ついた心(『2つの悲しき旋律』より)op.34-1
16. チャイコフスキー:感傷的なワルツ op.51-6
17. メシアン:『世の終わりのための四重奏曲 』より『イエスの永遠性への讃歌』
18. ドビュッシー:美しき夕暮れ
19. シューベルト:アヴェ・マリア op.52-6

 2015録音のソニー・クラシカルです。新しいだけにバランスが良いです。



   soulofthetango
      Soul of the Tango / The Music of Astor Piazzolla
      Yo-Yo Ma (vc) ♥♥

ソウル・オブ・ザ・タンゴ / アストル・ピアソラの音楽(ヨーヨー・マ・プレイズ・ピアソラ)
ヨーヨー・マ(vc)♥♥
 アルゼンチン・タンゴ界の異端児、アストル・ピアソラ(バンドネオン/作曲 1921-1992)の曲をヨーヨー・マが弾きました。これは彼のアルバムの中でも記録的なヒットとなったものです。こういう趣旨の録音ではギドン・クレーメルも話題になったと思いますが、その後ブームとなってたくさん出て来たこの種のピアソラものの先駆けです。クラシック音楽やジャズの要素を自在に織り込んだピアソラのタンゴは「新しいタンゴ」と呼ばれ、それまでの伝統的なタンゴとは一線を画します。これを聞くならオリジナルのピアソラの CD を聞いたらどうだと言われそうですが、それはそれとして楽しむべきにしろ、ここではそのピアソラとも共演したタンゴの演奏家たちと一緒にブエノスアイレスで録音しています。こういう曲まで現地のパフォーマンスを凌駕する勢いのマ、正にソウルを体現しており、ただものではありません。超有名になった「リベルタンゴ」に始まり、聞きやすい曲が集まっており、本家に負けない魅力を放ちます。また、追憶のタンゴ Tango Remembrances では1987年の音源を使うことでピアソラ自身との共演も果たしています。以下に曲目を記します:

  1. ピアソラ:リベルタンゴ
  2. ピアソラ:タンゴ組曲
  3. ピアソラ:スール(南)
  4. ピアソラ:ル・グラン・タンゴ
  5. ピアソラ:フガータ
  6. カランドレリ/ピアソラ:追憶のタンゴ(ピアソラ&ヨーヨー・マのデュオ)
  7. ピアソラ:ムムーキ
  8. ピアソラ: 現実との3分間
  9. ピアソラ:天使のミロンガ
10. ピアソラ:カフェ1930

 それならというのでピアソラ自身のアルバムもここで取り上げようかとも思いましたが、やめておきます。ヴァイブのゲイリー・バートンとの共演作など好きでよく聞きました。オリジナルのバンドのものもだけど、選ぶとなると難しいところがあります。ベスト盤もたくさん出ているので、そういうのから入るといいかもしれません。有名なリベルタンゴやアディオス・ノニーノなどを網羅した盤もいくつか出ています。ただ録音はたくさんあって時期によって編成も変わっており、同じ曲を違うバージョンで演奏しているので印象が異なることも多いです。よく「タンゴ・ゼロ・アワー」こそが最高傑作だと言っている人もいますが(ピアソラ自身にとっても自信作)、歴史的意義はともかくとして初めて聞いて馴染みやすいかどうかは疑問です。

 1997年のソニー・クラシカルの録音です。ピアソラの古いものと比べれば音は良くて揃っています。現地のタンゴ奏者との共演ということですので、ヨーヨー・マとキャサリン・ストット以外のパーソネルも記しておきましょう:

 アントニオ・アグリ(ヴァイオリン)/オラシオ・マルビチーノ(ギター)/ネストル・マルコーニ(バンドネオン)/エクトル・コンソーレ(ベース)/アサド兄弟(ギター)/フランク・コルリス(ピアノ)/ヘラルド・ガンディーニ(ピアノ)/レオナルド・マルコーニ(ピアノ)/エドウィン・バーカー(ベース)/オスカー・カストロ・ネベス(ギター、プロデュース)/ホルヘ・カランドレリ(音楽監督、編曲)/アストル・ピアソラ(バンドネオン[追憶のタンゴ]:1987年音源)