ベートーヴェン/チェロ・ソナタ第3番 イ長調 op.69
全集(第1番 op.5-1/第2番 op.5-2/第3番 op.69/第4番 op.102-1/第5番 op.102-2) 取り上げる CD 23種: カザルス/ロストロポーヴィチ/フルニエ(グルダ/ケンプ)/デュ・プレ/ハレル/ シュタルケル /ヨーヨー・マ('83/'20)/オンツァイ/マイスキー/ビルスマ/ガスティネル/クリー ゲル /ブレンデル /ウィスペルウェイ/ゲリンガス/ケラス /カプソン/コッペイ/エプスタイン/マクドナー/バールタ CD 評はこちら(ベートーヴェンの恋愛と宗教観の解説を飛ばします) 今回はベートーヴェンのチェロ・ソナタです。その解説として最初に触れねばならない点は何でしょうか。 人々の間で真っ先に言われることは、「新約聖書」。そう、チェロ曲の聖典のような立場にある曲だということ。 では、旧約聖書もあるのかといえば、それはもちろん、バッハの無伴奏チェロ組曲ということになります。 ほとんど全ての解説で、と言ってよいほど出て来るこのフレーズ、最初は誰が言ったのでしょう。 調べてみてもよく分かりませんでした。海外の文献にもバッハのチェロ組曲を「オールド・テスタメント」と言ってるのは散見されますから、日本の評論家の先生が仰ったことではなさそうです。 そもそもこちらは仏教国だし。ただし、「ピアノ独奏曲の旧約聖書はバッハの平均律クラヴィア曲集で、 新約聖書はベートーヴェンのピアノ・ソナタだ」と言った人はいて、それは19世紀の有名な指揮者、ハンス・フォン・ビューローです。 でも彼は1894年に亡くなっているので、このチェロの曲たちに関しては誰か他の人の説ということになります。 なぜかというと、旧約聖書に当たるバッハの作品が今日評価されているのは、 チェロの神様とされるカザルスが発掘してからのことだからです。 マタイ受難曲をメンデルスゾーンが再発見するまで忘れられていたように、カザルスが取り上げるまで、 チェロ組曲はただの練習曲みたいに思われていました。そのカザルスによって初めてバッハが公開演奏されたのは1904年のことなので、このように曲をバイブルに例える言い方は、少なくともそれ以降ということになります。 各作品について どうでもいい話になってしまいました。本題のチェロ・ソナタですが、バッハの旧約聖書の方は六曲から成るのに対し、こちらは五曲あります。 第1番と2番は op.5-1 と 5-2 で、ベートーヴェンが二十五歳の頃の初期の作品です。チェロを弾いたプロシャ王、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の先生であったジャン=ピエール・デュポールと、曲の初演者となったその弟のジャン=ルイのために書 かれ、王に献呈されました。当時のチェロ・ソナタと言えば、 チェロのパートとピアノの左手がだぶっているようなものが大半だったのに対して、 この二曲はピアノから独立したチェロのパートが与えられた作品となりました。 第3番 op.69 はここで表題にしたものですが、さらにチェロの地位がピアノと対等と言われるまでに上がったもので、チェロ・ソナタのその後の模範となりました。なんか、スコット・ラファロのベースはピアノのエヴァンスと対等になった、 みたいな言い方です。曲は友人かつ後援者でアマチュアのチェリストでもあったイグナツ・フォン・グライヒェンシュタイン男爵に献呈されています。彼に捧げる予定だった第4ピアノ協奏曲を、ピアノ・トリオ「大公」で有名なルドルフ大公に変更してしまったお詫びでした。1807〜08年、三十六、七歳の頃の作品です。 第4番と5番は op.102-1 と 102-2 で、後期に当たる四十四歳時の作品です。これらはウィーンのチェリスト、ヨーゼフ・リンケのために作曲されました。このようにベートーヴェンのチェロ・ソナタ群は、 表現上の違いが出るとされる彼の初期、中期、後期を満遍なく網羅している作品だと言われます。 有名で人気なのは第3番 さて、その中でも特に有名なのが第3番です。それは技術的、 構成的によく練られているということは当然として置いておいて、全編すぐ馴染めるような親しみやすいメロディーに満ちていることによるのでしょう。 懐かしさを覚えるような深い呼吸のチェロで始まるところからぐっと惹きつけられます。 そしてそこだけで終わらず、三つあるどの楽章もそれぞれに個性的できれいな旋律を持っています。緩徐楽章はないけれど、それに相当する助奏部の美しいアダージョも第三楽章の頭に存在します。確かに、残りの四曲にも素晴らしいメロディーはあるのです。1番は出だしの長い序奏から主部に展開するところまで、第4シンフォニーなどとも共通するベートーヴェンらしいドラマがあって魅せられるし、後期の深みが加わって来るとされる4番の出だしの夢見るようにメロディアスな感じも3番と比較できるものです。5番は序奏の後で緩まる歌がきれいだし、短調のアダージョによる緩徐楽章もありますが、ただこれらはどれも3番ほどどの楽章、どの主題もキャッチーというところまでは行かないでしょう。きれいなメロディーが大事、などと言うと軽薄に感じるかもしれないけれど、ピアノ・トリオだってこれとちょっと似た感じの「大公」だけが突出して有名なのはそのせいだし、ドヴォルザークのシンフォニーも8番9番、クァルテットなら「アメリカ」が最もよく演奏されます。スメタナの「わが祖国」の中で人気なのは歌に満ちている「モルダウ」だけでしょう。でもそういうのを作るのは本当に才能が要るわけです。だからそれらを聞いて長年のファンも焼酎を飲みながら、やっぱり名曲だなあ、などとつぶやいたりするんじゃないでしょうか。(知らんけど。) 3番が作られた中期とされる1808年頃は、交響曲で言えば「第5(運命)」や「田園」などが並ぶ時代です。 ロマン・ロランはこの時期を「傑作の森」と名付けました。世の中はフランス革命の嵐が吹き荒れてドイツにまで影響した後、ナポレオンが皇帝に就任して数年というところです。でもベートーヴェン本人にとってはどんな時期だったのでしょうか。 実はこの作曲家、モーツァルトほどには私生活が分からないところが多いのです。モーツァルトはときに ADHD とも言われる勢いの良さで自身の行動や感じたことを手紙に書きつけています。特に父親に対してはそうだったので、その父が亡くなるまでは往復書簡などから実に細かなことが分かります。一方ベートーヴェンの方はそうではなく、本人の手紙は用件だし、他人の手紙は他人の意見です。秘書のシンドラーが伝記として書いたことは捏造が多いとされています。 日記を書いていた事実はあるにせよ、内容は抽象的で、肖像画はたくさん残っているものの結局多くのことが謎めいているのです。 健康面では耳の聞こえがどんどん悪くなって行った時期であり、コンサート・ピアニストとしての経歴を終える必要がありました。ハイリゲンシュタットの遺書が書かれたのは1802年なので五年ほど前のことでした。 これは有名なのでご存知だと思いますが、難聴を苦にして死を考えたことが記されています。因みにハイリゲンシュタットというのはウィーンの北西角の一ブロックの地名です。淀川区、とか板橋区、みたいなものです。 反映される私生活、特に恋愛 そして音楽のムードに反映されそうな私生活上の出来事としては、健康面で大きな変化がなく、収入などの生存条件が比較的安定しているなら、感情面で大きいとも考えられる恋愛の問題があるだろうと思います。 フロイトのリビドー説が正しいかどうかはともかくとして、多産な芸術家はみなそちらの方面でも情熱的です。特にベートーヴェンは熱烈なところがあったようです。 余計な話だけどいわゆる面食いでもあったと想像されます(肖像画は盛ってるとしても)。生涯独身だったので一時期ゲイ説まで飛び出したほど(相手は面倒を見ていた甥のカール)であり、また、それとは矛盾するように服装はほとんど気にせず、いつも振り乱したみたいな長髪だったという通念(若い時はそれなりに整えてたけど、実際に着るものは適当で髪はもじゃもじゃだったと複数の人が証言しています)もあり、失恋の王者のように言われて来ました。だから女性にはもてなかったのではと考えられがちなわけです。でも実際は女性関係は多かったようで、それも決して片想いで未然に終わってばかりではなく、しっかりと相互関係を築いていることを窺わせるようなケースもあります。数年ごとに一つ事件が終わると怯まず次へ向かい、傷を引きずらない性格だと言われる一方で、ひょっとすると思いの点では持続するものもあったのかもしれません。少なくともあきらめて見守ったり友だちになったり、後年また会ったりはしました。研究者が貪欲だからかどうか、二人の女性と親しい時期が重なってるように見えるケースもあります。そういうのは果たしてレディーキラーだったと言えるのでしょうか。後年は必死に伴侶を求めて得られず、しんどかったり寂しかったりしたようにも見受けられます。真剣に思い込んだ手紙などを見ると、時代が下ったワーグナーやフォーレ、ドビュッシーたちの、 ある意味好き放題にできたのとは時代も性質もちょっと違ってるような気がします。 お相手の多くは一般には「手に入らない」部類のシチュエーションにあり、そこから片想い説も出るわけだけれども、例えばうんと年下の音楽の教え子、 身分が上の人、既婚者といった具合で、まるで吟遊詩人トルバドゥールの伝統のようです。 触れもできない貴婦人に忠誠を誓うような無意識の傾向があったのかどうか。でもそれを高貴な人好みだと決めつけてしまうのもどうなんでしょう。その頃音楽家(作曲家と同時にピアニスト)として名声が確立され出していたベートーヴェンですから、ピアノを習いに来るような娘さんは皆お金持ちの令嬢に決まっています。また、彼を金銭的に援助してくれる人も貴族か大商人であり、その奥さんや家族とは必然的に顔見知りとなります。身の回りにはそういった女性の割合が多かったでしょう。貴族の女性たちは身なりも良いし、その気になるようなきれいな人が多かったのかもしれません(噂となった女性の絵はどれもそんな感じ?)。そしていつの世もきれいな人は権力者やお金持ちがさらって行く、と言えるのかもしれないし、封建時代に身分が上ともなれば、目の前で相応の地位の男性と結婚されるのを指をくわえて見ている、という事態にはなります。痛い失恋が多いのも道理でしょう。 ベートーヴェンの恋人候補たち 第3番のチェロ・ソナタが作られた頃に該当するのはヨゼフィーネ・フォン・ブルンスヴィックかマリー・ フォン・エルデーディぐらいでしょうから、それだけ触れれば良さそうなものですが、ベートーヴェンについてはこの手のネタをあまり書いて来なかったし、多くの方が興味を持たれる方面だと思いますので、ゴシップ誌じゃないけどここでお相手を簡単にまとめてみましょう。全体を見渡すと何か感じるものがあるでしょうか。噂、仮説の類があったもので、事実とは限りません。おおよその年代順です: エレオノーレ・ブロイニング 1784−92年頃 初恋ではないかともされる人です。ボンの貴族の娘で、生まれ年では一つ下だけど学年で言えば同い年です。 ピアノの教え子でした。1784年といえば二人ともまだ中学生ぐらいの年齢ながら、その頃からベートーヴェンはもう教えていたわけです。未亡人だった彼女の母がベートーヴェンを家族の一員のように可愛がっており、その頃にベートーヴェンも自分の母を亡くしました。エレオノーレを好きになって何らかのアプローチをしたにちがいないと考える人もいますが、根拠はありません。ボンを離れるときにもらった手作りネクタイにお礼の手紙を書き、悲しくなると言っています。肖像画は前髪のある可愛らしい姿です。エレオノーレは後の1802年にはベートーヴェンの年上の友人で医師のフランツ・ヴェーゲラーと結婚します。元々彼がブロイニング家を紹介してくれたのです。 マグダレーネ・ウ?ィルマン 1794年頃 ベートーヴェンと同じボン出身の歌手で、1771年生まれですが、12月生まれのベートーヴェンとはほとんど同い年と言ってもいいです。1794年(二十三歳)頃にプロポーズして断られたという説もありますが、確かなことは分かりません。 ジュリエッタ・グイチャルディ 1801年頃 ピアノ・ソナタ「月光」を献呈された人で、ピアノを教えていたオーストリアの伯爵令嬢です。社交界では美貌で有名でした。ベートーヴェンは三十歳で、彼女はまだ十七歳だった1801年に本当の恋愛関係にあり、相思相愛で至福の時間を味わってると手紙などでは述べている(出会ったのは前年)ものの、その従姉妹のヨゼフィーネの間違い説もあり、詳しいことは分かりません。ジュリエッタは二年後に伯爵の作曲家と結婚しています。でもベートーヴェンは彼女の絵を死ぬまで保有していました。弟子で秘書のシンドラーは「不滅の恋人」(後述)でもあるとしましたが、それについては現在は疑問視されています。 ドロテア・フォン・エルトマン 1803〜20年の間 ドイツのピアニストで、オーストリアの歩兵隊将校のステファン・フォン・エルトマン男爵と1898年に結婚し、その後1803年からベートーヴェンのレッスンを受けるようになりました。1781年生まれでベートーヴェンより十歳年下になります。チェロ・ソナタ第3番の初演でピアノを受け持ったのはこのドロテアであり、 28番のピアノ・ソナタも彼女に献呈されています。音楽の守護聖人聖セシリアに因んでベートーヴェンは彼女を「ドロテア=チェチーリア」と呼んでいました。1804年に子供を亡くした彼女に対して、 自宅でピアノの即興演奏を聞かせて慰めたこともありました。肖像画を見るとやはり大変可愛らしい人です。1820年にはミラノへと移住しました。これも「不滅の恋人」説があります。 ヨゼフィーネ・フォン・ブルンスヴィック 1804〜07年頃 前述のジュリエッタは従姉妹で、ヨゼフィーネはハンガリーの伯爵の娘です。これもその姉のテレーゼとともにピアノのレッスンをしていた生徒です。彼女たちの母がベートーヴェンに頼んだのだけれど、本人たちもこの若手の作曲家を以前から賞賛していました。ことにヨゼフィーネは熱を上げていたようで、ベートーヴェンも当時気持ちを抑えることが大変だったようです。肖像画はやはりキュート。二十八歳のときのことで、ヨゼフィーネは二十歳でした。その後間もなく彼女は結婚しましたが、これも母親が裕福な相手でないといけないと考えた結果、二十七歳年上のヨーゼフ・デイム伯爵という人物が相手でした。ヨゼフィーネの父はすでに亡くなっており、ブルンスヴィック家は経済的にも大変だったのです。その後もベートーヴェンは彼女にピアノを教え続けていましたが、 夫のデイム伯爵も1804年に亡くなります。その間に四人の子供が出来ていました。そしてそれ以降がベートーヴェンと男女の関係ではなかったかとされる時期です。ベートーヴェン三十三歳頃から、ヨゼフィーネ二十四歳頃からの話です。ベートーヴェンはヨゼフィーネのところにしょっちゅう入り浸るようになり、「ただ一人の恋人」などと呼びかける文言の入ったラブレターも15通ほど送ります。前述の「不滅の恋人」の手紙の相手もヨゼフィーネではなかったかとする説が有力視されています。稀に姉のテレーゼ(1775年生まれでベートーヴェンの四つ下)の方を挙げる人もいるようですが。いずれにせよ、後で触れるアントーニエ・ブレンターノと並んで、最近の二大有力説とされます。 この有名な「不滅の恋人」というのは、ベートーヴェンの死後、ハイリゲンシュタットの遺書と同時に所持品から出て来た、出されずに仕舞い込まれていたと考えられる1812年の宛先不明の恋文です。誰へのものかと長らく議論を呼んで来ました。呼びかけとしてわが「不滅の恋人よ(ウンステルブリッヒェ・ゲリーブテ Unsterbliche Geliebte、英語だとイモータル・ビラヴド)」 という文言を含むもので、読み方にもよりますが、普通に解釈すれば相手からの愛情もあったと思われ、何らかの事情で一緒になりたくてもなれない関係のようです。女性に夫があるか、身分違いで反対されているかでしょう。だたし、婚外アフェアというのは道徳的によろしくないと考える向きもあるようで、偉大な作曲家の汚点だと感じるのでしょう、抽象的に「音楽の女神」に宛てたものではないかと考えてみたり、ラブレターではなくて何かの暗号だとまで言い出す人もいます。 そこまで美化しなくちゃいけないんでしょうか。本文を読めばそういう解釈は無理があるのは分かると思い ます。全文を載せているサイトも色々ありますので、ご興味があれば検索してみてください。それでもドイツ観念論の国、ベートーヴェンひとりが理念的に思い込んでいて、 相手はもっと現実に生きていた、という可能性はあるやもしれません。 さて、この未亡人ヨゼフィーネを集中的に攻めていたらしいベートーヴェンですが、しかしその後はブルンスヴィック家(お母さんと姉のテレーゼなど)の圧力が強まり、貴族でない彼は一家から遠ざけられるようになって行きます。そして三年後には家族に押し切られて本人に振られたというか、居留守で会ってもらうことが難しくなって行って関係は終わったようです。 一方そのヨゼフィーネ自身は子供達を抱えて経済的に一人ではいられなかったのか、その後間もなく紹介されたエストニアの貴族、クリストフ・フォン・シュタッケルベルク男爵に長期旅行にくっついて来られ、アルプス越えで健康を害しながらもその子を宿すという事態になります。そして男爵とは結婚したけれども経済破綻し、子供をめぐる争いが起きて離別に至った後、さらにまた別の数学の先生との間に子をもうけたりします。そして色々ごたごたがあった上で四十二歳で困苦のうちに亡くなったとされているのです。男性たちの見方としては身持ちが悪いということになるでしょうが、脆弱な立場と子を養うために流れ流され、女性が過去何千年にもわたって受けて来た心の傷の雛形のような話でもあります。そして死の五年前にはベートーヴェンと再会を果たしているという研究もあります。 アンナ・マリア(マリー)・フォン・エルデーディ 1805〜09年頃 八つ年下のハンガリーの貴族で、ベートーヴェンの後援者です。彼をオーストリアに留め置くために生涯年金も与えました。知り合ったのはハイリゲンシュタットの遺書が書かれた1802年頃で、ベートーヴェンは悩みを打ち明けに何度も訪ねており、彼女のことを自分の聴罪司祭だなどと言っています。マリーはエルデーディ伯爵とすでに結婚していましたが1805年に別れ、08〜09年にはベートーヴェンは引っ越しをして彼女の邸宅に移り住んでいます。チェロ・ソナタの第4番と5番は彼女に献呈されています。やはり1812年に書かれた「不滅の恋人」の手紙の相手ではないかと考える学者もいます。恋愛関係にあったかどうかは分かりません。 テレーゼ・マルファッティ 1810年頃 「エリーゼのために」を捧げたのはエリーゼではなく、このテレーゼではないのか、と言われている人です。前述のヨゼフィーネのお姉さんとは別人です。トスカナ出身の富裕な絹織物商人(ベートーヴェン自身の主治医の親戚)の娘で、黒髪のイタリア系。ピアノも弾けて音楽家ともされます。彼女の妹アンナとベートーヴェンの友人が1811年に結婚することになるのですが、その縁でベートーヴェンはマルファッティ家のパーティにもその一年前から出入りしており、テレーゼともよく会っていたようです。パーティの華はこの美人姉妹でした。一説によるとその年、ベートーヴェンは友人より素早く、三十九歳のときに姉の方にプロポーズしたけれどもだめだったらしい、ということになっています。テレーゼはそのとき十八歳です。でもこれは本当かどうかは分かりません。彼女は五年後にヨハン・ドロスディック男爵と結婚しています。少なくとも友人であったことは間違いないようです。 エリーザベト(ベッティーナ)・ブレンターノ 1810〜12年頃 紙幣に描かれている顔からしてきれいな女性ですが、ドイツの文学者です。ゲーテに夢中だった人で(その奥さんに叱られました)、彼女を通してベートーヴェンはゲーテと知り合いになれました。ベートーヴェンより十四歳年下で、彼が恋したかどうかは不確定ながら、彼女宛の本物かどうか分からない手紙の写しが存在しており、それがベートーヴェンによるものであれば、例の「不滅の恋人」説の候補にもなり得るそうです。二人は1810年(ベートーヴェン三十九歳時)に知り合っている一方、ベッティーナは同じく文学者のアヒム・フォン・アルニムと1811年に結婚してアルニム姓になっています。この女性はむしろ義理のお姉さんに当たるアントーニエ・ブレンターノをベートーヴェンに紹介したことの方が重要ともされたりするわけで、人によってはベートーヴェンは単に以後そちらに気が移っただけだと考えたりもするようだけど、それならばなかなか忙しい話です。でも未だ獲物のない狩人だったと考えるなら、両方狙いというのも十分あり得ることでしょう。逆にアントーニエは友達であって、 全く見当違いだという見方もあります。 アントーニエ(アントニー)・ブレンターノ 1810〜12年頃 前項ベッティーナの義理の姉だと書きました。家柄としては、女王や皇帝の顧問として、また外交官としてハプスブルク家に仕えた貴族の家の生まれです。本人もサロンを開いて芸術家のパトロン的な存在でした。1798年にフランクフルトの大商人フランツ・ブレンターノと結婚してブレンターノ姓になっています。 貴族の結婚は親が取り決めるのが普通でしたから、男性側が気に入って相手の親と交渉することはあっても、好き合って熱烈、というわけではなかったのかもしれません。四人の子供があり、夫婦仲は良かったというのと、少なくとも一時期は悪かったという両方の見方があります。そしてベッティーナの紹介によって、すでにブレンターノの妻となっていたこのアントーニエとベートーヴェンが知り合ったのは1810年です。ベッティーナが知り合ったのも同じ年なので、妹は姉をすぐに紹介したわけです。ベートーヴェンは夫のフランツとも大変仲良くなっています。 あるいは、フランツの方と先に知り合っていたのかもしれません。そしてメイナード・ソロモンという学者(その他)はこのアントーニエが1812年の「不滅の恋人」の手紙の相手だろうと考えました。 同時期に同じ場所にいたりしたし、手紙の謎に合致もするし、イギリスで共に暮らす夢を持っていたという話もあるようで、この説はかなり支持されたものの、後に疑念も呈されています。ヨゼフィーネ・ブルンスヴィックと並んで今でも二大有力説となっています。 アマーリエ・ゼーバルト 1811〜12年頃 ドイツのソプラノ歌手です。1787年生まれで十六歳年下です。ベートーヴェンは1811年の夏にボヘミア(現チェコ)の温泉保養地、テプリツェで旅行中の彼女と出会いますが、気に入った彼は翌年にも同じ場所でもう一回会いました。アマーリエは1815年にはベルリンの司法顧問官、ルートヴィヒ・クラウゼと結婚します。 1910年に発表された学説で「不滅の恋人」の手紙の相手だとされ、しばらくはそう信じられました。ベートーヴェンに関する女性の噂はこのあたりがほぼ最後の方になるのでしょうか。四十歳を少しまわった頃です。その何年か後に、自分が恋に落ちた女性の愛を勝ち得るわずかな望みをまだ持っているのだと語ったりしているようですが、実際の関係は以後あきらめてしまったのかもしれません。なんだか可哀想になってきます。 ロマンティックな楽想の作品と作曲時期 ちょっと疲れて来ました。深呼吸して、もういいではないですか。誰とどうしようと。大の大人たちが、「だとすれば、とも考えられる、あるいは、その可能性は否定できない」などと、他人の恋路を大真面目に論議し続けているわけです。有名税って高いですね。でも学者にとってはそれが仕事であり、大事なことでしょう。ご紹介した自分も自分ですし。それでは、ベートーヴェンのロマンティックな想念が表れているみたいに聞こえるちょっと甘い調べの曲って、いつ頃の作曲が多いのでしょうか。思いつくままに挙げてみます: ピアノ協奏曲第3番の第二楽章1796〜1803年 ピアノ・ソナタ「悲愴」1798〜99年 ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」1800〜01年 ピアノ・ソナタ「月光」1801年 ヴァイオリン協奏曲1806年 ピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第二楽章1809〜10年 ピアノ三重奏曲「大公」の第三楽章1810〜11年 交響曲第7番の第二楽章1811〜12年 楽曲解説で恋愛に関連づけられているわけではないにせよ、1700年代の終わりから1800年代の前半にかけて並び、1810年前後にもいくつかあるという感じです。やはり本当かどうかはともかく、噂の多い年代と重なります。でもベートーヴェンの場合その波長として、ブラームスのように恋に憧れ、むせ返るような喘ぎの音を立てることはありません。むしろただ甘くて少し懐かしいというのでしょうか。 第3番のチェロ・ソナタも、メロディアスではあるけど特に恋愛問題と関連づける必要はないとも言えるでしょう。あるいはこれが恋なら上手く行った後しばらく経過しており、 楽しい高揚感はあれども興奮はしていない状態かもしれず、ドヴォルザークやグリーグがそうであるように安寧に満ちている感じです。ここまで話を引っ張っておいて、なんだかです。 倫理的なベートーヴェン? 恋愛の情熱に関しては本能を持つ人間なら誰しもあるでしょうが、そもそもベートーヴェンは、音楽への妥協はなかったけれども、他人に対しても自分のやりたいままのことをどんどん追求できる身勝手な性質だったのでしょうか。つまり二股をかけたり、上手く行っている相手の家庭を壊したり、相手から物や状況を無制限に搾取したりなどといったことを平気でやれる性質のことです。ちょっと脱線だけれどもついでというか、簡単に見てみましょう。 一時期は女性への求愛や執着ぶりが相当なものだったという証言もあるようだし、その必死ぶりは手紙の文面を見れば何となく想像はつきます。また、弟子や使用人などに対する態度は自制が効いていたとは言えず、腹立ちまぎれによく手近なものを投げつけたりもしていたようです。感情が安定しないのはストレス環境に加えて何らかの神経症的な傾向が隠れていたことも考えられますが、耳が聞こえなくなって来ていた困難な境遇、ミゾフォビア的に手を洗う強迫行動などはありました。でも偏ってない人はいません。筋肉質で爆発的な性格だというのはクレッチマーの古典的な分類でしょう。 やはり発達障害? いずれにせよ、全く他人を配慮しないわけではなく、ドイツ人らしく倫理や決まりごとには注意を払っていたようです。むしろ律儀な理想主義といった一面がありました。何より有名な話ですが、コーヒー豆を60粒数えて挽くほど几帳面な一面も持ってました。 最近だとそういうのは真面目なうつ病親和性の気質だなどと言われかねません。ただし、モーツァルトのページで見たのと同じように、発達障害であったという見方もされています。 ベートーヴェンの場合もモーツァルト同様ほとんどが ADHD ですが、やはり ASD の傾向を見る人もいます。独自の決まった手順に従って儀式的に行動する性質は前述のコーヒー豆の話などがあるし、服装頭髪など、身なりを構わないところがあり、まるで他人の目は気にしていないかのようだったのは前述の通りです。部屋が片付けられませんでした。生涯独身である率もこの区分の人では有意に高いです。妥協することなく自分の考えを貫き、衝動的に怒りを爆発させるなど、社会との摩擦が見られます。作曲家なので当然ですが、特定分野に一点集中で能力を発揮しました。 しかしそもそもが才能ある人は皆この区分だし、何でもこの障害のせいにすることは可能です。逆に発達障害ではない天才を探す方が難しいのです。信念を曲げないのは悪いことじゃありませんし。この手の話ばかり書いて来たこともあるので、もうあまりほじくらないようにしましょう。ベートーヴェンには親しい友人もいた事実があるし、反証となるような出来事もあったりして、結局この作曲家の場合は細かいことまでは分かりません。 確認しようにも診断テストにかけるわけにも行かないわけで、大昔に死んだ人の IQ を推定するのと同様確かなことは言えないのです。 責任感と気遣い また少し話が横道に逸れました。引き続き他人への配慮の点を見ることにします。 育ちを振り返ってみると、ボンに生まれて二十一歳までそこで育ったわけですが、おじいさんが選帝侯の宮廷で学長をするほどの人物、その息子である父親もテノール歌手という環境ながら、この無慈悲な音楽スパルタ教育が定説となっている父はアルコール依存症で、給料を全部酒代にしてしまうような男でした。生活に困ったベートーヴェンはその雇い主に交渉して父親の給料の半分を自分にくれ、と頼み込んだりしています。 二人の弟の面倒を見る必要があったからです。その話からも責任感はあり、自分勝手には見えません。さらに後には甥のカールの親権を引き継ぎ、親身にもなりました。これに関しては過干渉で自殺未遂にまで追い込んだ姿勢を発達障害的な偏りと結びつける向きもあるかもしれませんが、教育熱心で支配的になるのはアイデンティティの一部を子供に預けてしまう自立していない世の親たちに普通に見られる現象 (それがいいわけではないけど)であって、後に反省して本人の意思を認め、再度そのカールに慕われてもいるようであり、多少愛情が行き過ぎたぐらいに考えればよいのではないでしょうか。 時間を若い頃に巻き戻して、その後ボンを通りかかったハイドンに才能を見出され、弟子としてウィーンに呼ばれて以降、引っ越し魔というほど引っ越しはたくさんしたけど、生涯ウィーンで生活することになりました。でもそこでもやりたい放題という言葉がぴったりする毎日でもなかったようです。友人や自分を援助してくれる人々に対しては礼儀を尽くしました。貴族たちとの関係ではゲーテを驚かすほど対等に振舞おうとした事件もあったようだけど、基本的には上手く付き合いました。短気で起伏が激しい躁鬱系みたいに言われ、確かに腹の立つことには我慢が出来ませんでした。でも手紙を見ても分かるように、相手の立場や感情は考え、決して気を遣えない人間ではないのです。考え方はリベラルで、社会制度的な意味でも自由主義であり、生まれながらの地位身分という発想には馴染まない人でした。 宗教観 宗教的にもかなり自由だったとされます。一応は(ドイツながら)カトリックとして生まれました。住んでいたオーストリアもカトリックの国です。でもボンの宮廷がキリスト教と理性主義の折衷みたいなところがあったことと関係があるかどうか、本人が興味を持ったのは理性で解明できることと形而上学を峻別したカント(哲学者。 現代でも科学者は生命を科学の手段で解き明かそうとし、宗教家は奥義を教義化しようとするなど、 両者の境界は守られません)であり、またヨーロッパだけではなく、当時流入して来ていたインド哲学も読むなど、教派を超えた宗教的関心が深かったようです。宇宙や自然の美に摂理があるなら神は存在する、自然は最高の英知の結果だ、というようなカントの言葉を日記に書き記し(実践理性の側に寄った著作、つまり存在の神秘や倫理について述べたものを多く読んでいたようです)、自然崇拝にも興味があったし、宇宙のどこにでも存在している神という概念(アニミズムや汎神論)にも触れました。こうしたユニバーサルというか、様々な宗教に寛容な態度、普遍的な倫理に目を向ける人道主義的・博愛的な関心というものは、当時のフランス革命前後の啓蒙主義的な考えとロマン主義に共通するものではありました。そういう意味では時代の特徴だとも言えるでしょう。周囲にフリーメイソンの会員もたくさんいて、その考えを知っていたこともあると思います。自身が最高の作品だと考えていた「ミサ・ソレムニス」には、「心より、心へ至らんことを」と記しています。そこでは形式上の宗教作品には関心がなかった一方で、心理的内容には興味がありました。聴衆に宗教的な感情を喚起させることがその曲の最大の目的だと考えていたようです。 こうした考えから、道徳的に自分を律する義務はあると思っており、神は自分の心の内側を見ていて、あらゆる機会に自分が良心的に、また「人間性と神と自然とが命じる務めに応じて」人間として行うことを知っている、 などと述べています。そういう人が女性を快楽の対象としてただ弄んでいたとも考え難いです。ベートーヴェンは理念が先に行く人だったのです。女性に対しても何に対しても。だから今度こそ部屋をきれいにしようと毎度決意して三日坊主になったりもします。使用人に態度が悪かったというのは感情コントロールの問題でしょう。本をよく読むし 考える力という意味では大変頭の良かった人。その論議に触れると、感心するような筋運びにたくさん出会います。教育を受けていなかったせいで数の計算はあまり得意ではなかったけれど、それはあくまでも教育の問題なわけです。論理的な思考能力は元来優れており、加えてスピリチュアリティの方面(そのカタカナ言葉には抵抗がある方もおられるでしょうが)、宗教観の上でも突出して理解が深い一面があると思います。唯一それら二つの資質について来れなかったのが、三つ目としての感情的成熟度ということになるのではないでしょうか。 これは理性に秀でた人にはよく見られる組み合わせです。自我理性の突出はアイデンティティ(≒プライド)と否定的な感情(怒り)に関係するからです。 ただ、ベートーヴェンのように党派を超える宗教感情の深化は、トランスパーソナル心理学の言葉を借りるなら、人の発達における最終ステップに届いているように見えるかもしれません(あくまでもその段階論に従えば)。しかし理知の面にとどまっているとするならば、その手前のステップである、最も発達した知的理解の段階だということになるのでしょう。そして伝統的なキリスト教の枠組みの中で育った発想は習慣になるもので、ベートーヴェンは個人的に神によく呼びかけていたようです。人に語りかけるように、という意味でです。特定の性質を持った人格神というようなことは必ずしも信じてなかったにせよ、神は運命を支配する者だという意識はあったようで、プライドを高く持っていた自分の音楽の才能に対し、それを与えたにもかかわらず聴力を奪った矛盾を責めました。そうやって神と対話しつつ、ありのままは受け入れず、最後までかどうかは分からないけれども、最晩年においても自分の境遇と運命に抵抗する姿勢は保っていたのです。才能が自己のアイデンティティとなることや、こうした抵抗と怒りは大変人間らしいですが、前述の通り理性の段階の特徴です。カントで言うならば、ベートーヴェンが日記に引用した形而上の区分ではありません。 優れて哲学的な作曲家であるベートーヴェン。大変高邁で、また同時に癇癪持ちだったりして愛すべき人物だと思います。決して上から目線で言っているわけではなく、全くもって矛盾する性質の持ち主に見えるのです。それでも頭ではなく、心では何かを感じていたのでしょう。自身がその境地に立たずとも、光が透けて見えることはあります。音楽は理屈で作るものではなく、芸術家というのはそういう感覚を持った人たちだからです。 したがって作品の中では、特に晩年のそれらは、我々の心を深い黙想へと誘ってくれます。直感によって理性の檻を踏み越え、「すべての時空における真なる、永遠の至福たる、普遍の光」 を描いたのかもしれません。自身も神の一部である作曲家として、「英知は全ての法則を認識し、神は神の栄光のために行動した」のでしょう。 天才であることは間違いありません。 話を再度チェロ・ソナタに戻しましょう。人生最初の危機は聴力の低下による「ハイリゲンシュタットの遺書」(1802)のときでした。 二度目の危機は「不滅の恋人」の手紙(1812)の頃で、そこでベートーヴェンは実際の関係をほぼ諦めました。そして最後の十年間は恋愛関係も全くなくなり、日記にはほとんど宗教的な考えのみを記すようになりました。チェロ組曲第3番の書かれた「傑作の森」である中期は、そうなる前の、希望と束の間の喜び、恐らくは世俗の愛にも満ちた時間だったのだと思います。 CD で出ているものと取り上げるもの 昨今は月額サブスクライブの配信が充実していて、CD は年配者が買い込むものだ、みたいに思われ始めています。何でも聞けて便利であり、音だって CD クォリティのサイトもあるぐらいです。自分で聞いて選べばよいので評論家要らずの時代になりました。でも基本単位はやはり CDですし、全部聞き比べるのもなかなか大変ではあります。以下にベートーヴェンのチェロ・ソナタの主なものを列挙してみます。 現在販売サイトに載っているものをざっと並べました。頭を一段下げて表記してあるのは、今回聞くことができなかったものです。他の曲を加えてあったり、全曲ではなかったりするものも含んでいます。全73種になりました。録音年代順です: パブロ・カザルス/ミエチスラフ・ホルショフスキ/ オットー・ シュルホフ/Shellac EMI 1930/39 ピエール・フルニエ/アルトゥール・シュナーベル/EMI 1947-48 レナード・ローズ/ミエチスラフ・ホルショフスキ/レオニード・ハンブロ/Columbia 1950/52 パブロ・カザルス/ルドルフ・ゼルキン/Columbia 1951/53 グレゴール・ピアティゴルスキー/カットナー・ソロモン/Testament 1954 ヤーノシュ・シュタルケル/ジェルジ・シェベック/Erato 1959 ピエール・フルニエ/フリードリヒ・グルダ/DG 1959 ムスチスラフ・ロストロポーヴィチ/スヴャトスラフ・リヒテル/Philips 1961-63 ピエール・フルニエ/ジャン・フォンダ/Ermitage/Aura 1964 ピエール・フルニエ/ウィルヘルム・ケンプ/DG 1965 ジャクリーヌ・デュプレ/スティーヴン・コヴァセヴィチ/EMI 1965 ジャクリーヌ・デュプレ/ダニエル・バレンボイム/EMI 1970 ヤーノシュ・シュタルケル/岩崎淑/トリオ 1970 エステル・ニッフェネッガー/ジェラール・ヴィス/Divox 1975 リン・ハレル/ウラディーミル・アシュケナージ/RCA 1976 フランツ・アマン/ウォルフガング・サヴァリッシュ (No.3&5)/Farao 1976 ヤーノシュ・シュタルケル/ルドルフ・ブッフビンダー/Teldec 1978 ミクローシュ・ペレーニ/デジェー・ラーンキ/Hungaroton 1978-79 ヨーヨー・マ/エマニュエル・アックス/Sony 1983 アンナー・ビルスマ/マルコム・ビルソン/Nonesach 1986/89 チャバ・オンツァイ/イエネー・ヤンドー/Naxos 1990 ピーター・ウィスペルウェイ/パウル・コーメン/Channel Classics 1991 ミッシャ・マイスキー/マルタ・アルゲリッチ/DG 1992 アンソニー・クック/アルミン・ワトキンズ/Centaur 1994 ヤン・フォーグラー/ブルーノ・カニーノ/Berlin Classics 1995 デイヴィッド・ワトキン/ハワード・ムーディ/Chandos 1995 鈴木秀美/小島芳子/DHM 1996-99 グィド・シーフェン/アルフレッド・パール/Oehms 1998 アンナー・ビルスマ/ヨス・ファン・インマゼール/Sony 1998 アンナー・ビルスマ/渡邊順生/コジマ 1999 ズイル・ベイリー/シモーネ・ディナースタイン/Telarc 2000 チョ・ヨンチャン/ベネディクト・ケーレン/Telos 2001 ミクローシュ・ペレーニ/アンドラーシュ・シフ/ECM 2001-02 ビョルン・スールム/クリスティン・フォスハイム/2L 2001-10 アンヌ・ガスティネル/フランソワ=フレデリック・ギィ/Na?ve 2002/04 マリア・クリーゲル/ニーナ・ティシュマン/Naxos 2003 エイドリアン・ブレンデル/アルフレート・ブレンデル/Decca 2003-04 ピーター・ウィスペルウェイ/デヤン・ラツィック/Channel Classics 2004 ダヴィド・ゲリンガス/イアン・ファウンテン/Octavia Exton 2004 マルティン・ルンメル/ゲルダ・グッテンベルク/Musicaphon 2004/06 アントニオ・メセネス/メナヘム・プレスラー/Avie 2007 セバスティアン・サンジェル/マーク・パンティヨン/Claves 2007 ターニャ・トムキンス/エリック・ジヴィアン/Bridge 2008 ダヴィド・ゲリンガス/イアン・ファウンテン/H?nsler 2008-10 ダニエル・ミュラー=ショット/アンジェラ・ヒューイット/Hyperion 2009 ローレンス・レッサー/ペク・ヘソン/Bridge 2009 ティモラ・ロスラー/クララ・ヴュルツ/Brilliant 2011-12 スティーヴン・イッサーリス/ロバート・レヴィン/Hyperion 2012 ジャン=ギアン・ケラス/アレクサンドル・メルニコフ/HMF 2013 ヤープ・テル・リンデン/デイヴィッド・ブライトマン/Nimbus Alliance 2013 マヤ・ウェーバー/ペール・ルンドベリ/Solo Musica 2013 フランソワ・サルク/エリック・ル・サージュ/Sony 2014 グザヴィエ・フィリップ/フランソワ・フレデリック・ギィ/Evidence 2015 ラルフ・カーシュバウム/シャイ・ウォスネル/Onyx 2016 ヴァレンティン・エルベン/シャニ・ディルカ/ミラーレ 2016 アドルフ・グティエレス・アレナス/クリストファー・パーク/Odradek 2016 ゴーティエ・カプソン/フランク・ブラレイ/Erato 2016 イェルク・ウルリヒ・クラー/ベルンハルト・パルツ/Solo Musica 2016-17 マルク・コッペイ/ペーター・ラウル/Audite 2017 レオナルト・エルシェンブロイヒ/アレクセイ・グリニュク/Onyx 2017 クセニア・ヤンコヴィチ/ネナド・レチッチ/Calliope 2017 マヌエル・フィッシャー=ディースカウ/コニー・シー/MDG 2017 ルイス・クラレット/岡田将/Octavia Exton 2018 オリ・エプスタイン/オムリ・エプスタイン/Linn 2018 ペーター・ヘル/リーゼ・クラーン/Ars Vobiscum 2018 ユリウス・ベルガー/マルガリータ・ヘーエンリーダー/Solo Musica 2018-19 マルコ・テストーリ/コンスタンティーノ・マストロプリニアーノ/Brilliant 2018-19 ニコラ・アルトシュテット/アレクサンダー・ロンクィッヒ/Alpha 2019 ロビン・マイケル/ダニエル・トン/Resonus 2019 ジェニファー・クレッツェル/ロバート・ケーニッヒ/Avie 2019/21 ヨーヨー・マ/エマニュエル・アックス/Sony 2020 アリサ・ワイラースタイン/イノン・バルナタン/Pentatone 2020 アイルブ・マクドナー/ジョン・オコーナー/Steinway & Sons 2020 イジー・バールタ/テレジエ・フィアロヴァー/Animal Music 2021 この中から、特に有名な盤と自分が気に入ったものを選んで取り上げます。 Beethoven Cello Sonatas Pablo Casals (vc) Rudolf Serkin (pf) ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 パブロ・カザルス(チェロ)/ ルドルフ・ゼルキン(ピアノ) カザルスはチェロの神様です。人間でないのなら言葉で表すことはできません。でもカザルスと言えば必ず触れられる、これさえ押さえればという三つ組の文言も存在します。「バッハの再発見/肘の解放/人間性」。「サッフォー/アナクレオン/ピンダロス」のようです。一つ出て来れば残りの ( ) は制覇という、受験暗記のマントラ。でもこのチェリストにしたって実際に触れてみなければ何も分からないわけです。録音しかないわけだけれども。 「バッハの再発見」というのは、歴史に埋もれて忘れ去られていたチェロ組曲の価値を世にあらためて示したと いうことです。演奏技術においても、その表現においても、この古くからのチェロの権威、偉大な人(格下げになってしまいました)であることは間違いありません。1876年のカタロニア生まれで、フランコ政権のために帰れず終いだった亡命先のプエルトリコで1973年に亡くなっています。「肘に赦しを与えた」という技法の改 革については、演奏しない者がどうこうコメント出来るものでもありません。そして「色々聞いたけどやっぱりカザルスがいい」と言えば、時計の針は永遠を指し、話はそこで終わってしまうようなものであって、こちらとして もその表現については安易に評し難いです。でもざっとウェブを眺めてみますと、ここまでは遡らず、ベートーヴェンのソナタについては案外ロストロポーヴィチあたりを評価する人の方が多いのでしょうか。 カザルスのベートーヴェンはこれ以外にもホルショフスキー(3番はオットー・シュルホフ)との 1930(3、 5番)/39(1、2、4番)年盤(EMI)など、色々と録音があります。イストミンとの2番、コルトーとの3番もあるようです。ここで表紙の写真を掲げたのは最も有名な1953年(2番のみ51年)の録音です。 30年代の演奏と比べればピアノはこの新しいゼルキンの方が力強さと前へ進む感じが強いかもしれません。でもチェロの波 長は基本は同じと言ってもよいのではないでしょうか。甘いポルタメントが鼻歌のように聞こえるところ、粘りのある息の長い歌い回し、楽器と録音から来るだろう独特の高音のすすり泣きは、敢えて言えば鯨のような大型水棲動物の鳴き声を思わせて共通しています。起伏を抑え、午後のまどろみのようなのんびりしたアダージョも、剛毅なアタックも、聞き馴染んで来たあの音です。全体にはゆったりした運びと、堂々とよく歌って濃い部分とが共存しているというのか、もちろん古さを感じさせなくて素晴らしいわけで すが、評し難いと言っておいてもうすでに大丈夫かぐらいのもの言いになってしまってるようなので、これ以上の説明はやめておきます。 カザルスの楽器は1733年のマッテオ・ゴフリラーです。それが例のちょっと鼻にかかったようでいて輪郭 のくっきりとした倍音の理由なのか、録音のせいもあるのかはよく分からないわけですが、当時は個性的であったことは間違いありません(ただし楽器の音は同じ 作家でも個々に違いがあるし、弾き方でも変わります)。なぜなら、ヴァイオリンの三大名器と言えばストラディヴァリウス、ガルネリウス、アマティ(実際に演奏家によく使われるという意味では最後はグァダニーニでしょうか)と言われるのに対して、今日チェロの名器はストラディヴァリウス、モンタニャーナ、ゴフリラーとされていて、ゴフリラーが加わったのはこのカザルスが愛用して以降だからです。 レーベルはコロンビア原盤ソニー・クラシカルで、リマスターされた音はなかなか良いです。3番に関しては大変良いと言ってもよいでしょう。針音もなく、コルトー、ティボーとの「大公」などよりずっと現代的であり、カザルスのベストかもしれません。ファンの方に朗報です。これならステレオでないことを除いてファースト・チョイスとしても良いのではないでしょうか。もちろん最新録音のようだというのではありません。なんか変な喩えですが、オーディオで言うなら JBL のスピーカー、パラゴンで聞いてるみたいというのでしょうか。意味不明ですね。1957年の世界的名機なのですが、レンジは広くはなく、高い方がやや抑えられていて中高音に幾分反響を伴った張り出しが聞かれる、メガホンのようにちょっときつめな輪郭の独特の音です。こうした特徴が、ゴフリラーの性格とも相まってかどうか、録音によるカザルスらしい音を構成しています。でも屈することのないヒューマニズムの人、という性質は音と運びにも表れていると思います。魂の調べを聞いてください。 Beethoven Cello Sonatas Mstislav Rostropovich (vc) Sviatoslav Richter (pf) ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)/ スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ) 最も有名で誰からも評価が高く、人気を維持し続けている演奏です。最近は分かりませんけれども、以前は FM 放送のクラシック番組でドヴォルザークの協奏曲などが取り上げられると、ではお聞きいただきましょう。演奏はムスティスラフ・ロストロポーヴィチさんのチェロ、という声が必ず聞こえて来る時代がありました。1927年生まれで2007年に没したロシアの世界的なチェリストで、完璧な技術と抑揚を持っています。多くの現代の作曲家が作品を献呈しました。また、ユーモアがあり、人権擁護運動にも熱心で、旧ソ連時代には反体制派の有名人を援助したりなど、人としても尊敬され、愛されるところがあったようです。ベートーヴェンのチェロ・ソナタも、評論家が一枚だけ挙げるとすればこの人になるのかもしれません。 完璧な演奏です。技術、形、歌のどれもがパーフェクトできっちりとしており、文句のつけようがありません。音はよく響き、とにかく朗々と鳴ります。ピツィカートも含め、きっぱりとしたフォルテがあり、揃った力強さが特徴と言えるでしょう。強いところはかなり強靭ながら、でも力任せというのとも違います。隅々までコント ロールが行き渡り、常にオンで目覚めていて理想的に歌います。消え入るように繊細な弱音で魅せる、というタイプではなく、浮き沈み、伸び縮みを恣意的に強調するのでもなく、ロマンティックに耽溺するわけでもありません。熱いけれども完璧なのです。技術的なことは演奏者でないので分かりませんが、角の揃った速いパッセージでの運びは見事だと思うし、同音を連続して弓で切り返す音もびしっと決まっています。3番の緩やかな第三楽章も、遅くなり過ぎないテンポで朗々とよく歌わせています。 ロストロポーヴィチはストラディヴァリ(ヴィスコンティとデュポール)、ゴフリラー、ストリオー ニなどを 持っていたようですが、このときは何でしょうか。滑らかでおとなしいオフな音ではなく、割合はっきりとした倍音で縁取られた響きです。鳴らし方も力強いのでしょう。?を付けなかったのは全く個人的な理由で、立派過ぎて 聞き続けるとこちらがめげてしまうこともあるというに過ぎません。そういう意見には惑わされずにご自身で聞いてみてください。 ピアノはロシアン・スクールの雄、剛毅でロマンティックなリヒテルですが、ここでは情緒過多には陥らず、飾りがなく、生真面目に真っ直ぐです。かなり力強いタッチで、音もくっきりとして大変きれいです。少し前へ駈け気味な瞬間もあるでしょうか。 フィリップス(現デッカ)の1961〜63年の録音です。演奏の特質をよく捉えた優良な録音です。 チェロ の音はかなり輪郭がくっきりとして強めです。ピアノもこのレーベルとしてはフォルテでかっちり硬めでしょうか。写真はフィリップス盤ですが、リマスターされた日本盤の音が良くないという話もあるようです。ヘブラーのモー ツァルトのソナタでそのあたりの事情を詳しく書いたばかりなのであり得る話かと思いましたが、確認していません。 Beethoven Cello Sonatas Pierre Fournier (vc) Friedrich Gulda (pf) ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 ピエール・フルニエ(チェロ)/ フリードリヒ・グルダ(ピアノ) Beethoven Cello Sonatas Pierre Fournier (vc) Wilhelm Kempff (pf) ?? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 ピエール・フルニエ(チェロ)/ ウィルヘルム・ケンプ(ピアノ)?? あの完璧朗々のロストロポーヴィチでめげる、などと失礼なことを書いてしまったわけですが、仮に聞き手が 二分されるとして、そのロシアの偉大なチェリストの側ではない人々が行き着く先が、恐らくフルニエでしょう。剛と柔なら柔の方。録音もほぼ同時期です。剛はむしろデュ・プレを指すかもしれないし、あくまでも往年の大家 の中では、という意味でですが。つまり、これが好きな人は現代の若手のさらっと洗練された演奏も聞けるのではないかと思います。権威にこだわれば別ですが。 ピエール・フルニエは1906年のパリ生まれ。純粋にフランス文化の人です。1986年に八十歳を目前に亡くなっていますので、ロストロポーヴィチよりは二十一歳年上、世代としてはカザルスとの間ぐらいということになります。因みに正反対のようなことを言ったけど、当のロストロポーヴィチとも仲が良かったようです。軍人の子ながら、そのエレガントな演奏ゆえにチェリストの中の貴族(aristocrat of cellists)とも呼ばれました。大変な技術を持ちつつも技巧を前面に出したり、あるいはベートーヴェンといえば想起される剛毅さを感じさせたりする種類の演奏家ではなく、滑らかな上品さが特徴と言われ、弟子にはビロードのような音と流れを求めたというフランコ・ベルギー派のチェロ奏者です。 録音は4種類ほどでしょうか。モノラル時代、シュナーベルのピアノによる1947〜48年の EMI 盤、ステレオになってグルダとの1959年のドイツ・グラモフォンのセッション録音盤(写真上)、息子ジャン・フォンダとの1964年のエルミタージュ盤、そしてケンプとの同じく DG の65年ライヴ録音盤(写真下)です。有名なのはジャケットを掲げたグルダ盤とケンプ盤であり、どちらも評価が高いです。ここでグルダ盤とロストロポー ヴィチ盤を取り上げるに際して録音年度が前後しているのは、時期が近いのでケンプ盤の方に合わせて並べたからです。 さて、グルダ盤とケンプ盤のどっちがどうという話ですが、フルニエに関して言えばグルダとのセッションは 彼が五十三歳のとき、ケンプとは五十八歳時ということで、スタイルとしては、少なくとも3番に関しては大きく変わるものではないと思います。ピアノのあり方に合わせて別物になっているように言う人もあるようながら、そ こまで違うでしょうか。でもピアノは違うので全体の雰囲気は異なります。 グルダの方は若さというよりも、彼の姿勢としてより元気が良く、例の硬質な艶が輪郭を与えるほどの強めの タッチ(モーツァルトはベーゼンドルファーでしたが、ベートーヴェンではスタインウェイを好んだという話もあるようです)でコーンという音を出しつつ(トリルなんか特にそうで、くっきりしています)、多少前のめりのと ころもあります。でも後のベートーヴェンのソナタ全集(アマデオ)の案外生真面目なところのある演奏を何となくイメージしていると、伸び縮みの伸び側というか、フルニエに合ったゆったりした間の取り方も出してるような 気がします。チェロとピアノがお互いの性質の違いをぶつけ合った激しい演奏だとした評論家の方もいたようながら、デュ・プレを激しいと評するのは分かるとして、チェロに関しては果たしてそこまでなのかどうか。でも曲の造りとしてピアノが前面に出て活躍するのだから、やっぱりその通りだとも言えるでしょうか。 出だしのフルニエの歌わせ方では、残響の豊かさを除いても、ケンプとの方が多少やわらかな抑揚が付いているかもしれません。第三楽章のアダージョ・カンタービレの部分では6秒ほどケンプ盤の方がゆったりしています。でも自動車レースじゃな いので、このぐらいのタイム差はほとんど同じと言ってよいと思います。 一方でケンプとのライヴの新盤はどうでしょうか。ユーモアもありつつ控えめな人柄だったとされるフルニエ は、ケンプとは大変気が合ったそうです。単に世代の話ではなくて、表現スタイルから言ってもそれはそうだろうという気がします。グルダとのセッションとは違い、こちらはチェロとピアノが同質のハーモニーを響かせるものだと言えます。フルニエのスタイルについては上で一般的に言われることに触れたのみでしたが、やはりその内容通りであり、3番ではやわらかな弧を描いて波打つ出だしから惹きつけられます。オンがあればオフがあり、決 して力で押さない演奏です。弱いところからふわっと浮き上がるようなフォルテなど、表情の変化にデリカシーがあり、やさしく愛撫して行くような運びというのでしょうか。ピアニシモの囁くような静けさもいいです。同様に やわらかで繊細な抑揚の呼吸があり、それでいて耽溺せず、晩年にはどこか達観した哲人の眼差しも持っていたケンプと合わないわけがありません。 第三楽章の冒頭はゆったりで、ピアノが主かというように穏やかに流しますが、やはり息の長い、波打つよう な呼吸がよく出ています。時折フレーズの変わり目でテンポをゆったりに落として音を延ばしたりします。後半のアレグロもスラーでやわらさを失わずに展開して行きます。ノーブルな演奏でしょう。 フルニエの楽器についてはあまり触れられないみたいです。使っていたのはフランス人らしく、少し時代が下ったお国の製作者、ジャン=バティスト・ヴィヨーム1863年製とシャルル・アドルフ・モコテル1849年製に加えて、カザルスと同じマッテオ・ゴフリラーの1722年のものだということで、パリのモコテルについては キャリア 最後の18年間らしいので、その三年ぐらい前に録音されたこのベートーヴェンは除外でしょう。残る二つのうちどちらなのでしょうか。 グルダ盤、ケンプ盤、どちらもレーベルは大手ドイツ・グラモフォンで、前者は59年ながらスタジオ録音。 残響は少なめでピアノは硬質な響きも聞かれます。ケンプとの盤は65年のパリでのライヴ録音ながら、音質は極めて良好です。やや反響が多めで、多少もやっとするところもあるかもしれませんが、デッドで近接なグルダと のものより聞きやすいし、全体に大変良いと言えると思います。国内でリマスターしたものについては分かりません。 Beethoven Cello Sonatas Jacqueline du Pr? (vc) Daniel Barenboim (pf) ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)/ ダニエル・バレンボイム(ピアノ) 父親がフランス・ブルターニュに近い英領の島出身でデュ・プレというフランス的な姓を持つジャクリーヌ・ デュ・プレは、1945年オックスフォード(イギリス)生まれであり、その才能からまだ少女の頃にデビュー して注目されました。長いブロンド髪の可愛らしさからは想像もつかないほど、ほとばしる情熱を全身全霊でぶつけて来るような激しさで弾くチェリストです。彼女はその才能により、今のお金で1億6千万ぐらいする 1713年製ストラディヴァリウス「ダヴィドフ」という楽器を贈られ、それを生涯愛用しましたが、その音の「予測不能さ」について常日頃不満を漏らしていました。しかし本人がそれを後年遺贈したヨーヨー・マ(現在の持ち主は別)は、「その予測不能さは彼女の熱烈に感情的な演奏スタイルのせい」だと考えていたようです。ストラディヴァリはなだめるように弾かなくてはいけないのに、そうしなかったというのです。あくまでも彼個人の意見ながら、デュ・プレの髪を振り乱す弾き方が思い起こされます。実際に聞こえて来る音も力強く、元々の楽器は繊細なものかもしれませんが、音色は輪郭がしっかりと感じられるように倍音が立ち(マとは異なります)、低い音程でもぶんぶんと鳴ります(再 生装置にもよります)。弓で弾いているのにバルトーク・ピツィカートみたいに弦と指板がぶつかるようなバチンという音を立てることもあるほどアタックは強く、弦が切れるんじゃないかと心配になるほどです。 また、四十二歳にして不治の病(多発性硬化症)で亡くなったということもあり、今なおファンによってその 演奏と同様に情熱的に語られる人でもあります。当時ステロイド治療というものがあったかどうかは知りませんが、発病後は容貌も変わってしまい、夫であり、この演奏で伴奏を務めたバレンボイムとも疎遠になり、死後は 本人の暴露本も出るなど、気の毒な展開もありました。でもこのベートーヴェンのライヴも、他のいくつかの名録音とともに、好きな方には永遠の名演ということになります。 ここまででカザルス、フルニエ、ロストロポーヴィチ、そしてこのデュ・プレと、ベートーヴェンのチェロ・ソナタで真っ先に名前が挙がり、こんな演奏は今後二度と出ない、などと定型的に語られる有名な盤も全て出揃ったことになります。 デュ・プレのベートーヴェンのソナタは、3番と5番については二回録音があります。最初は1965年、二 十歳のときに、その当時の婚約者だったらしいスティーヴン・コヴァセヴィチのピアノ伴奏でスタジオ収録しています。そしてその五年後の70年には、ライヴ録音ながら実際に結婚したバレンボイムとやっていて(上の写 真)、そちらは全集でもあり、通常はこっち、という扱いになっています。 第3番でこの人らしく「がつん」と強く来るのは、案外コヴァセヴィチとの旧盤かもしれません。ピアノが弱 いというわけではなく、振りは大きくないながらむしろ力強いぐらいなのですが、その音の間からチェロの激しさが十分に伝わって来ます。一方でバレンボイムとの新盤の方は、あのドヴォルザークの協奏曲のようなうなりを期 待するとそこまでではないかもしれません。同じくバレンボイムも加わった「大公」トリオと同様、小型スピーカーで小さな音でかけておくと案外おとなしいぐらいに聞こえ、パートによってはしっとりとした面も出ているように思います。反対にバレンボイムのピアノは「大公」のときと同様、楽聖ベートーヴェンにあっては強調構文的な音運びであり、チェロはその陰に隠れてしまうのだろうと最初は思いました。音量もピアノが強いです。デュ・プレは室内楽に関しては、協奏曲ほど大胆ではないと言う人もあります。でもよく聞けば、力一杯鳴らすピアノの後ろでやはり十分に強く弾いているチェロが聞こえて来ます。 パートごとの個々の具体的な表現の描写は、これを買われるファンの方には必要ないと思いますので、これ以 上は触れないことにします。しっかりとした強さと手応えが欲しい方にお薦めの、定評ある名盤です。ディナーミク、アゴーギクも大きく、隈取りがくっきりとしています。 新旧どちらも EMI の録音です。旧(65年)の方がコンディションは良いようにも言われるものの、音はチェロが前に出てピアノは比較 的高い方の倍音がおとなしめ、弾力で押して来るようなラウドさで、新(70年)の方はもっとぎらっと輝きつつ中低音は少し靄がかかるような力強さで前に出て、会場のノイズが入ります。チェロの音は多少ざらつきと感じるほど倍音成分がかちっと強いです。当時の EMI らしいものの、ステレオだし言われるほど悪くはないと思いますので、ファンの方は必聴です。 Beethoven Cello Sonatas Lynn Harrell (vc) Vladimir Ashkenazy (pf) ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 リン・ハレル(チェロ)/ ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ) リン・ハレルも知られた名前です。アメリカのチェロ奏者で指揮者のジョージ・セルが見出したという人。レナード・ローズに学んだのだけど、スタートはクリーヴランド管弦楽団です。1944年マンハッタン生まれで2020年に脳卒中で亡くなっています。ニューヨーク・タイムズによるとその音は「突き抜 けるような豊かさ(penetrating richness)」ということで、こくがあって濃厚で、強さを感じさせるということでしょうか。私生活では自分のチェロを大事にするあまり航空会社の荷物担当を信用しないことで悪名高く、「ミスター・チェロ・ハレル」という名前で登録した自身の楽器と共に旅する際、デルタ航空のマイレージ・サービス規定から外されるという事態になったそうです。 熱い演奏です。3番はゆったり力を抜いた出だしながら、要所でかなり力強いアタックを見せます。アシュケ ナージのピアノも存外強いタッチで節立っており、驚きます。でも「大公」のときも同じような感じでしたから、この時期、ベートーヴェンはそういう解釈なのかもしれません。テンポとしては着実に進める感覚で、特に緩やか な楽節では焦らずゆったり、?みしめるように運びます。会話で言えばゆっくりと説明しつつ、重要点は強調して喋るような感じでしょうか。 反対にスケルツォは速く、力いっぱいで遠慮しないで行きます。第三楽章の始まりのアダージョは遅めで、チェロは念を押すぐらいに十二分に歌います。小節の頭でためるように間をとって節を作って歌って行くのです。濃くて、しっかりしたボディーの飲み応えという印象です。最後のアレグロも曖昧なところがありません。決めの一 音が力強いです。 ハレルとアシュケナージ、はっきりとした元気の良い演奏を好む場合の一つの候補です。デュ・プレ盤においてその演奏スタイルが好きという方なら、これも見逃せないと思います。 楽器は色々変えた人のようながら、この頃は1720年のモンタニャーナでしょうか。少し渋い音色に聞こえ ます。強い音の輪郭は立っていますので、録音のせいかもしれません。 1976年録音の RCA 原盤デッカ・レーベルです。演奏に相応しく、かなりはっきりと力強さを感じさせる音です。チェロはしっかり前へ出ます。やや中域寄りの直接的なバランスと言えるでしょうか。デッドという意味ではありません。コンプレッサーをかけたように明瞭なのです。 Beethoven Cello Sonatas J?nos Starker (vc) Rudolf Buchbinder (pf) ? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)/ ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)? シュタルケルは昔の愛好家にはフルニエと同等程度に有名なチェロ奏者ながら、今あまり言われないのはどう してでしょう。カザルス、フルニエ、ロストロポーヴィチ、デュ・プレと来たら、シュタルケル、も並んでよさそうなものです。しかも演奏も見事だと思います。コダーイの無伴奏とかで知られた人だから、少し堅いのでしょう か。1924年ブダペスト生まれですから、世代としてはロストロポーヴィチの三つ上でほぼ同世代。ユダヤ系で強制収容所も体験しました。ハンガリー動乱を機に西側に亡命してアメリカで活躍し、2013年に亡くなっています。 ピアニストのブッフビンダーの方は1946年チェコ生まれのドイツ系オーストリア人で、ハイドン のピアノ 曲全曲録音は有名です。モーツァルトでは個人的には緩徐楽章で多少歌い過ぎるかといった印象ながら、ベートーヴェンは軽さ、繊細さとしっかりとした抑揚があり、大変良いと思います。 シュタルケルのベートーヴェンのソナタ、録音は三回あるようです。同じハンガリーからの亡命者で、トリオを組んだりして一緒に活動したジェルジ・シェベックのピアノによる1959年盤(エラート)、そして70年に来日したときの岩崎淑との共演(トリオ/クラウン)、そしてここで取り上げる78年のブッフビンダー盤です。来日盤は聞けてません。そして盟友シェベックとの方を評価する人もあるようですが、そちらはよりしっとりした部分が感じられる一方、じっくり構えた真面目な運びが前面に出ているかのような印象もあり、音も若干オフ気味ということもあって、ここは好みで新しい方を挙げておきました。 一般には切れとスケールの大きさ、表現力の豊かさが褒め称えられ、覇気があるとも言われるシュタルケルで すが、確かその通りでしょう。ずしっと来るアタックの強さが聞かれ、洗練された最近の人とはちょっと音の重さが違ってるような気もします。それは今がいいとか昔がいいとかの話ではなく、一音ずつ断定して行くような迷いのなさは個性であり、スケルツォなどの軽妙さを狙う楽章でも出て来るものの、美点でもあるわけです。ここで は基本はそんな具合に真面目な性質ながら、部分的には軽やかさもあり、表情が豊かです。よく鳴るチェロは心地良く、以前はストラディヴァリだったけれども1965年以降はゴフリラーになったようで、くっきりとした硬質な艶が乗ります。 この演奏者、自分としてはバッハの旧約聖書はそれほど好みの方向でもなかった気がするけれど、その性質か らいってもベートーヴェンとの相性は大変良いように思います。さほど意外性はないかもしれないながら、各部があるべき姿で豊かに、完璧に表現されています。 3番ですが、ゆったり抑揚をつけて入り、途中の一音を少しスタッカート気味に弾ませたりしてべた塗り感の ない表情を見せます。ピアノが入って来ると、その一区切りの後半でスローダウンし、全体にのんびりした感じになります。ピアノは弱音が繊細で、アゴーギク方向に表情がしっかりあります。そこからまた少し速くなって行 き、その区切りの後半でまた緩め、という具合に波打たせます。力で押さない軽めのフットワークと、適度な粘りがあるけれども表情のしっかりとついた展開が聞かれます。速い部分では活きいきとした動きが感じられます。 ベートーヴェンとしての力強い部分もありつつ、抜くところには余裕があって、チェロの歌には滑らかさも聞ける演奏です。 スケルツォはスタッカートでリズムをくっきりと目立たせ、適度に力がありつつ速くはないテンポ設定です。 ピアノの強い音が透明感があってきれいで、旧盤より立体感があるようにも感じます。軽妙ではなく、重みがあって 真面目なアプローチながら、もたれません。 第三楽章のアダージョですが、チェロは分厚いスラーでつなげ切らず、所々息抜きをするように切れ目を入れつ つ、滑らかながら少し軽さを出して進めます。音色は艶やかで、上手く言えないけどまったりともしています。明瞭な倍音成分が艶を感じさせつつ、乾かず鋭くなり過ぎず、きれいな音です。後半のアレグロ部分は、弾き方も音 色も軽やかなピアノが心地良くリズムを刻み、チェロもあまり重くならずに弾んでいます。押し付けがましくなく、明るさがあって楽しい気分になれます。 1978年録音のテルデックです。音は瑞々しくて輪郭が立ち、ピアノの和音が純正調ではないけれども独特の共鳴に聞こえたりします。チェロの方が若干前に出るかなという気もします。細かな音もとらえていて十分に実体感がありつつ、直接音寄りではなく、少し退いて場所の空間も感じさせるところがあります。チェロの艶とピアノの強く高い 方の音が見事な優秀録音です。 Beethoven Cello Sonatas Yo-Yo Ma (vc) Emanuel Ax (pf) ’83 ?? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 ヨーヨー・マ(チェロ)/ エマニュエル・アックス(ピアノ)’83?? 理想的な演奏で何も言うことがないチェロ・ソナタです。ヨーヨー・マはあらためて説明の必要もないことと 思います。1955年生まれの中国系アメリカ人チェリストで、音楽家としての領域を超えて大変有名な人です。常に自然体で自発的な乗りがあり、洗練されているけどよく歌います。技術についてはチェロをやる人が全て褒めます。さらっとしているのが面白くないという声もなくはないようだけど、中国系とか東洋人とかの文化的な枠は全く感じさせない普遍的な表現をする数少ない演奏家だと思います。なぜに中国人の話かというと、ウェブの Q&A サイトに「ヨーヨー・マって中国の人だけど一流なの?」というような質問があがっていたりするからです。他に中国系でインターナショナルに抜けてる感じなのは、最近ショパン・コンクールで優勝したピアノのブルース・リウぐらいしかちょっと思い当たりません。東洋全体に広げればダン・タイ・ソン、セシル・リカド、白神典子、ヴァイオリンのミドリ・ザイラー、フルート の有田正広などがすぐに浮かぶところでしょうか(限られた情報による独自見解です。チェロに関しては聞けてないだけで、きっと素晴らしい演奏家の方がいらっしゃるのだろうと思います)。生まれたときから海外生活か、子供のときからこの分野 の音楽が大好きな人を除けば、二十一世紀で文明開化百年以上の現在も、アジアの演奏家にはどこか難しいところがあるのでしょう。習い事で抑揚のつけ方が分からないというように平たい楽譜通りになったり、それとコインの裏表でどこもかしこも歌わせたり、あるいは情緒過多で耽溺する人が目立つ中、ヨーヨー・マには常に関心させられます。そしてこの人のベートーヴェン、長いことこれだけ聞いて満足して いた時期もあったぐらい気に入っています。今客観的に聴いても、やはりその印象は変わりません。ベタ誉めなのはご容赦願います。 ピアニストのエマニュエル・アックスは1949年ウクライナ生まれのユダヤ系アメリカ人ピニストで、元々は ポーランドだった地域の出なのでショパンは得意であり、このページでも協奏曲の1番の見事な演奏について触れました。優れた技術を持ちつつ、緩徐楽章の表情も大変美しい人です。マとはずっと仲が良いようです。三十七年後の新録音でも一緒に やってます。ショパンなどは速い楽章では軽快に飛ばし、ゆったりの楽章ではきれいな歌を聞かせています。リヴィウ生まれということもあるでしょう、最近はそういう活動で以前から有名だったマと二人で平和を願う演奏会も開きました。知能の限りを尽くした武器で大量に殺し合うなど、人々はアイデンティティから今も自由にはなれていません。 新録音と言いましたが、このベートーヴェンのチェロ・ソナタは同じコンビで二度行っています。ここで取り 上げるのは旧盤の1983年(ヨーヨー・マ二十八歳時)の方で、新盤は2020年(六十五歳時)です。演奏については大きくは変 わっていないとも言えますが、自分としてはこちらの旧盤の方が、慣れということを除いても若干好みでした。深みが増した部分もあるだろう新らしい方の特徴については、録音年の順に従って後で触れることにします。 演奏のあり方について描写するといっても、自然体で深々とした抑揚がありつつ恣意的な企図がなく(つ まり わざとらしくなく)、強いところは弾むように力強く、静かな歌はゆったり心を込めてという具合なので、真正の魅力的な演奏とは言えても具体的にあそこがどう、ここがこうという説明が難しいです。過激な強調や前にのめる 迫力はない、などという点を消極的な特徴として挙げられるでしょうか。全体には中庸だけど多少ゆったりめにも感じるようなテンポ設定で、十分な間があって技巧を見せるようには走らないとも言えるでしょう。正攻法でどこ にも欠点がありません。 マのチェロは生徒が名付けたという「ペチュニア」という名を持つ、現在の価格で3億2千万円ほどの 1733年 製モンタニャーナを中心として、台湾の博物館から借りたのと、ジャクリーヌ・デュ・プレが以前使用していたストラディヴァリの二つを使うこともあるようながら、台湾の方は99年以降の話であり、デュ・プレのものはバロック音楽のときにしか使わないということで、ここではモンタニャーナだと思われます。マと来ればモンタニャーナ、彼がこの製作者を有名にしたぐらいにまで言われるわけですし。この楽器はストラディヴァリとは違い、「モンタニャーナ・タイプ」と呼ばれる幅広で背が低めの形が特徴であり、低音の豊かさと力のある音が特徴と言われます。マは滑らかに弾くことで「まろやかでやさしい」とも評される人で、その通りに繊細で深みの ある素直な音色が感じられます。ごりごりしません。 3番の出だしのソロの歌わせ方は静けさと盛り上がりがあって理想的であり、長音は表情豊かによく延ば しま す。この歌の感じもベストでしょう。ピアノも軽やかで繊細です。 スケルツォはピアノのアクセントによる陰影がしっかりとあり、軽く弾むリズム感も良いです。やや速めのテ ンポも適切で、チェロは速い中にも十分な歌が乗ります。溌剌としています。 第三楽章のアダージョもやわらかくよく歌い、しっかりした抑揚があって間と弱音が良いです。そしてヨー ヨー・マは情緒過多にも陥らないのでべたっとはしません。アレグロ部分に入ると、フォルテは十分な強さがある一方で力で押し切る感じがなく、溌剌として軽やかに乗っています。若々しさがあって喜びが溢れて来るのです。こんな理想 的な録音をしておいて、これを自分で後から超えるのは大変でしょう。 1983年ソニー・クラシカルです。チェロの艶、ピアノの品のある輝きともに見事な優秀録音です。新しい方の録音よりバランス的に好みかもしれないし、80年代前半ながら最近の良く出来た録音と比べても劣るところがありません。 Beethoven Cello Sonatas Csaba Onkzay (vc) Jeno Jando (pf) ?? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 チャバ・オンツァイ(チェロ)/ イエネー・ヤンドー(ピアノ)?? チャバ・オンツァイは1946年、イエネー・ヤンドーは1952年の生まれで、どちらもハンガ リーの演奏 家です。日本ではヤンドーの方が名前を聞いたことのある人が多いでしょうか。オンツァイも教えに来ているようで、その方面の方にはお馴染みかもしれません。ハンガリーらしいかどうかはよく分からないけれども、東欧の人 と聞けば納得するような純正さというか、真っ直ぐでしっかりとした伝統を感じさせる解釈の演奏だと思います。しかも重くありません。これもヨーヨー・マ(旧)盤同様に自然体だと言えるでしょう。チェロの歌わせ方はもう 少しさらっとしているでしょうか。 出だしのチェロのソロから自然に歌います。形の崩れないバランスの良い運びで、テンポは速くも遅くもありません。歌い過ぎず、力を入れ過ぎず、抑揚が見事です。ピアノはさらっと速く流すパッセージも聞かれますが、端正でいいです。両者全体に真面目で品が良いのです。軽さ、爽やかさも感じられます。 スケルツォも適度に弾んで活きいきとし、動きの良い表情に満ちています。 第三楽章のアダージョも伸びやかで、ゆったりしているけど遅くなり過ぎません。後半のアレグロも軽さがあって大変活きがいいのだけど、ベートーヴェンだからといって強く押されてもたれるようなやかましさがありません。爽やかだし、楽しい波長もヨーヨー・マ盤に引けを取りません。きらめきが感じられて絶品です。 どの部分をとっても生きて正にありのまま、という感じで、これはお薦めです。 ナクソス1990年の録音です。自然で明るさもあり、大変見事な優秀録音です。チェロはゴフリラーです。 Beethoven Cello Sonatas Mischa Maisky (vc) Martha Argerich (pf) ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 ミッシャ・マイスキー(チェロ)/ マルタ・アルゲリッチ(ピアノ) 力強くて明晰な運びを好む人には大変人気な、一つの極となるような演奏です。ヨーヨー・マに負けず劣らず 有名なミッシャ・マイスキーですが、世代としては生きてたらデュ・プレに近くて、ヨーヨー・マの七つ上というところ。1948年生まれのユダヤ系で、今は EU、NATO 側に入るバルト三国の一つ、ラトヴィア出身です。イスラエル国籍でベルギー在住。旧ソ連時代生まれなので、姉がイスラエルに亡命したせいで強制収容所体験があるという苦労話も聞かれます。一般の評価としては大きめの音でビブラートを多用するとも、ロマンティックとも言われるチェリストです。同じ出身のギドン・クレーメルやここでのアルゲリッチとはよく一緒に活動して来まし た。アルゲリッチの方はもはや説明の必要もないでしょう。アルゼンチンの稲妻、切れの良い超絶技巧で大変人気があります。 この二人のベートーヴェン、はっきりと際立った抑揚で、メリハリのある演奏です。粘りのマイスキーと切れのアルゲリッチが見事に溶け合っています。込めるところ、抜くところの表情の振りにコントラストがあり、分かりやすいのが良いところです。 チェロは大きく歌い、こぶしを回すように浮き沈みとメリハリがあってくっきりしています。フレー ズ最後の 長音の頭(アタック)を強く強調して延ばすなど、濃厚です。テンポに関してはアダージョの部分が大変ゆったりなのを除けば、全体にはやや速めで歯切れのある運びです。楽器は1720年のモナタニャーナです。演奏のメリハリに対して音としては案外シックというか、明るさ、派手さがない方で、ここでは輪郭くっきりというのとは違うように聞こえます。確かコンサートの後で知らな い人の家に呼ばれ、その人からもらったという話じゃなかったでしょうか。このコミュニティの人たちにはありがちな話なのでしょうか。 ピアノは録音も加わってきらきらしており、前へと走る元気良さがある一方、強弱がくっきりしています。弱めるところは急に弱め、アクセントがしっかりあるのです。途中から湧き上がるように強くなるフレーズも出ます。第二楽章に来るスケルツォでもアタックが小気味よく、軽やかというより力強い感じです。 第三楽章のアダージョ部分は一転して遅く、うねるようにチェロが大きく歌い、表情豊かです。一つひとつの感情を噛みしめるかのように強く肯定して行きます。間も大きく開け、立ち止まるような動きも聞かれるなど、濃 い歌が聞けます。曲想もあって深刻というのとは違うけれども、軽く力を抜いて流すような演奏とは真逆でしょ う。 後半のアレグロの部分は高速で力強いのが印象的です。ピアノが相当に速く、切れ良くきらめきます。当然チェロも合わせて速いわけです。もちろん徹頭徹尾速いのではなく、提示部ではフレーズごとに区切る一方で、駈けるところは素速く駈けるという具合に波が交互に来ます。全体としては、重くはないけれどもしっかりアクセントが 付いて強靭なので、軽妙で楽しい感情というよりはスケールの大きなベートーヴェンを見せてくれるという感じです。 ドイツ・グラモフォンの1992年の録音です。ピアノの高域が硬質に輝くところが魅力です。もやもやした演奏が嫌いという方、これならまず間違いありません。 Beethoven Cello Sonatas Annar Bylsma (vc) Jos van Immerseel (fortepiano) ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 アンナー・ビルスマ(チェロ)/ ヨス・ファン・インマゼール(フォルテピアノ) ピリオド楽器による演奏です。アンナー・ビルスマはバロック・チェロのパイオニアとして有名な1934年 生まれのオランダのチェロ奏者で、世代としてはシュタルケル、ロストロポーヴィチと、デュ・プレ、リン・ハレルの間ぐらいになる1934年生まれ。それらの人たちと同等に知られています。そして、アンナちゃんと聞いてときめいたら額の広いおじさんだった、という人の話はもういいでしょう。あんなー、と延ばすからといって可愛 い奈良弁でもありません。ノルディック・ネームでアンナの男性形のようです。 インマゼールの方は古楽ファンにはお馴染みの名前でしょう。ベルギーのピリオド楽器オーケストラ、アニ マ・エテルナを結成し、多くの録音を行っている人で、元々というか、フォルテピアノ奏者としても活動しています。 倍音が華やかではなく、ややシックなチェロの音でさらっと始めます。この人は録音によって色々な楽器を使 うようで詳しいことは分かりませんが、バロック・チェロというのは製作者による違いという前に、ネックの角度や弦の張力などが異なり、それによって音色も変わってきます。では古典派時代のベートーヴェンなのになぜバロック・チェロなのかというと、その名前で総称される古楽器の使用は必ずしもバロック時代だけに限らないからです。ヴァイオリンと同じで、モダン・チェロと言われるものは19世紀以降に作られたもの、もしくは改造されたものです。ベートーヴェンが作曲していた年代も1800年代になってからが多いものの、多くの製作者が本格的にモダン・チェロの構造に変化して行ったのはその世紀でももう少し後になってからなので、それ 以前の構造の楽器でやる方が時代としては合っているということになるのでしょう。この辺の研究は専門的になるので、詳しい根拠や正当性については調べてみてください。こうしたバロック・チェロやフォルテピアノを用 いたピリオド楽器による演奏は、このビルスマのもの以外にも: デイヴィッド・ワトキン/ハワード・ムーディ '95 ターニャ・トムキンス/エリック・ジヴィアン '08 スティーヴン・イッサーリス/ロバート・レヴィン '12 ヤープ・テル・リンデン/デイヴィッド・ブライトマン '13 ペーター・ヘル/リーゼ・クラーン '18 マルコ・テストーリ/コンスタンティーノ・マストロプリニアーノ '19 ロビン・マイケル/ダニエル・トン '19 などが出ています。最初のワトキン/ムーディ盤以外はビルスマより後の録音で、全体としては2010年代以降に増えて来ているようです。 ビルスマ盤の演奏の話に戻しますが、テンポは古楽の常識通り、やや速めに流すものです。フォルテピアノはきらきらせず、高い弦のピツィカートみたいな音で、ピリオド奏法のイントネーションはさほど強くありません。でも浮き上がるように強めるフレーズは出します。チェロの方も古楽特有のメッサ・ ディ・ヴォーチェ様というか、弱く入って途中で持ち上げるように強めるアクセントは多少聞かれるものの、速いながらに滑らかにつなげて歌います。心地良い範囲で間の方もあまり開けずに行きます。また全体にフォルテでがつんとぶつけるような表現にはなりません。 二番目のスケルツォでは、ピアノがずらしてアタックする左手の音をより強く強調して入ります。 チェロもそ れに合わせ、入りを弱くして同じリズムで強めます。楽章の特性(諧謔曲)に合わせて特に軽妙に跳ねるという感じではないものの、工夫が感じられます。ロングトーンでの山なりのアクセントはここでも聞かれ、古楽奏法的かどうか、伴奏に回ってチェロのトリルが 続くところもくっきりと響かせます。進行としてはここもさらっと真っ直ぐです。 第三楽章のアダージョ部分ですが、ピリオド奏法の癖のある「ため」でピアノが区切りながら進め、テンポはやや速めです。チェロも濃厚な歌はつけず、弱音を用いて細かな呼吸はほどこしながら基本はスラーで行きますが、語尾をあまり延ばさない部分もあります。続くアレグロも軽やかに流して行きます。全体には余計なことをしないで素直に聞かせる古楽の好演と言えるでしょう。販売サイトのコメントにはこれが一番という方もおられるようです。確かにそうかもしれません。 ヴィヴァルテ=ソニー・クラシカル1998年の録音です。実はこの前に86/89年収録の旧盤が存在しています。よりかっちりと真面目なところの感じられる演奏で、レーベルはノンサッチです。ピアノはマルコム・ビルソンが担当していました。やはりフォルテ・ピアノです。そしてこの新盤の一年後の99年にも「イン・東京」というタイトルでコジマ録音の国内盤が渡邊順生のピアノで出ているようです。残念ながらそちらはまだ聞けていません。 Beethoven Cello Sonatas Anne Gastinel (vc) Fran?ois-Fr?d?ric Guy (pf) ?? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 アンヌ・ガスティネル(チェロ)/ フランソワ=フレデリック・ギィ(ピアノ)?? 北欧のアンナーとは違い、こちらフランスのアンヌは女性です。アンヌ・ガスティネルはナイーヴ・レーベル の看板娘、だそうです。1971年生まれで、子供の頃から才能を認められ、最初はリヨンで学びました。ポール・トルトゥリエ、ヤーノシュ・シュタルケル、ヨーヨー・マに師事しています。シューベルトのやさしいメロ ディーばかりを集めて賞を取ったディスクが人気なようで、そこではきれいに歌っています。自ら編曲して歌曲の「白鳥の歌」や「冬の旅」などからも取り上げており、その点からも分かるように、現代曲を鋭く弾くタイプのチェリストではないようです。 フランソワ=フレデリック・ギィはベートーヴェンを尊敬し、得意とする1969年生まれのピアニストで、 ギィと言っても体に良いバターの仲間ではなく、フランス人らしい音の姓です。ベートーヴェン好きということなので、フレンチではありながら、ただなだらかに波打ってやわらかい抑揚で歌い上げる人ではなさそうです。 この二人のベートーヴェン、いかにも今の人らしく肩の力が抜け、余計な誇張がなくさらっと洗練されている ので 、往年の巨匠風のがいい人には向かないけれども、大変魅力的な演奏です。自分としては純粋さが感じられてこういう方がいいですが、それはあくまでも個人の好み。こういう微細なところにニュアンスがこもっているのが一般に理解されるといいのだけど、と思います。誇張なく流れるとつまらない演奏、などと言う人もいます。でも誤解がないように申し上げれば、十分な力強さもあります。 すでに取り上げたチャバ・オンツァイとイエネー・ヤンドーのナクソス盤も中庸のテンポで形の崩れないバラ ンスの良い運びであり、純粋で自然なことにおいては比べられるものだと思います。それとこれが違うところを言えば、こちらの方がよりフレーズに引っ掛かりがなく、流暢に流れる傾向があるでしょうか。ハンガリー組にはリ ズムの上で多少のためがあってからコツンと行くような凹凸の強調が聞かれるのに対して、フレンチの二人はそういう滞りが少なく、より滑らかに磨かれた洗練というのか、別の言葉で言えばこだわりなく流すモダンな感覚が強 いです。 しかし微妙に呼吸に揺らぎが出ているのはむしろこちらのガスティネル=ギィ盤の方かもしれません。フランス人、という感じでしょうか。フンガリカ組はフレーズの区分けでテンポを緩めるところも多く、一音ずつに真面目さ、きっちりと行くという感覚が強いでしょう。わずかな違いです。本当にどちらのセンスが好きかという嗜好の問題でしょう。 さて、出だしのチェロのソロから自然に歌います。シューベルトではもう少し憚りなくゆったりした 歌謡的要 素を出していたようにも感じますが、曲も曲だし、ピアニストも違います。基本は洗練されていて歌心がある人、という感じです。スピーディなところにも歌があります。テンポは全体には速くも遅くもありません。第一楽章の 後半と最後のアレグロは少し軽快で、強いところではかなり前にのめるように駈けるところもあるかな、という感じ。歌い過ぎず、力を入れ過ぎず、抑揚が見事です。 ピアノは速く流すパッセージも聞かれますが、これも端正でいいです。十分に強い音も出します。切れもありながら、押し付けるように叩く感じではなく、活気が感じられるのです。両者全体に品が良く、軽さ、爽やかさも感じられます。 一方でスケルツォは案外丁寧な運びです。音がきれいなのを味わう余裕があります。第三楽章のアダージョ部分も遅くはないですが、爽やかによく歌って起伏があります。こういうところこそ洗練の度合いがよく分かります。アレグロになるとより速まりますが、軽さが心地良いです。爽快な気分で聞き終えられます。 両方の楽器とも音が大変きれいです。チェロは何を使っているのでしょうか。ガスティネルは97年に一年間 カザルスのゴフリラーを貸し与えられたそうですが、その後間もなく1690年製のカルロ・ジュゼッペ・テストーレ(ミラノ)を手に入れたようです。現在はそれを使用しているとのことながら、このときは現在時制につな がるので しょうか。濡れたような鮮やかな艶があり、ごりごりはしないし、鼻にかかった響きとも言えないながら、滑らかス ムーズ一方ではなく、はっきりと少し立った倍音が心地良いです。何ともきれいなチェロの音です。ピアノの方の光り方も絶妙で、大変満足が行きます。この優秀な録音は2002/04年の収録で、レーベルは前述の通りナイーヴ です。 Beethoven Cello Sonatas Maria Kliegel (vc) Nina Tichman (pf) ? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 マリア・クリーゲル(チェロ)/ ニーナ・ティシュマン(ピアノ)? こちらもナクソスからですが、女性二人組の演奏です。チェロのマリア・クリーゲルはドイツの人で、 1952年 生まれ。十九歳のときからシュタルケルに師事しました(アメリカで)。81年に第2回国際ロストロポーヴィチ・コンペティションで優勝しています。ピアノは ニーナ・ティシュマンということで、こちらは49年ニューヨーク生まれの人。クリーゲルとは一緒に活動しているようで、この二人が入ってトリオも組んでいます。 実にたっぷりとした饒舌な演奏です。でもぶつけるような強さ、荒さはありません。チェロはためを使ってよ く歌い、自信があるのか、遠慮や迷いがない堂々とした運びが魅力です。「ためを使って」というのは、時折一瞬立ち止まりかけるほどの余裕を見せて歌うという意味です。歌っている間も息の長い感じがします。女性的なやさ しい運び という方向ではななく、強いところでは速まり、ずっしりとした力を感じさせて濃いです。ビブラートもしっかりし ていてクレッシェンドも豊かで大きく、瞬間的にはポルタメントのような粘りも見せます。ピアノも チェロの性質によく合っています。 スケルツォでも力強くメリハリを付け、くっきりと真面目に運びます。途中チェロが驚くほど太くがっしり鳴らす音も聞かれます。そして第三楽章のアダージョ部分でもたっぷりとした歌が聞け、拍を少し待つようなところがあるのは同じです。静かなアダージョというよりも饒舌さを感じさせるところです。ケレン味、までは行かないかもしれないけど朗々と響きます。後半のアレグロは、軽さはないけれども結構速い展開になります。聞き終えると満足感を覚える演奏です。 楽器ですが、モーリス・ジャンドロンが使っていた1693年製のストラディヴァリ「エクス・ジャンドロ ン」を以前は使っており、現在はカルロ・アンニバル・トノーニ(ヴェニス)の1730年製だということです。これが録音された2003年当時はどちらだったのでしょう。チェロに詳しい方は音から分かるのかもしれません。レーベルはナクソスです。ピアノの高音に一部華やかな響きが少し乗り、チェロは朗々と鳴り、残響も効果的です。被らず、くっきりとした明るさがありながら自然な優秀録音です。 Beethoven Cello Sonatas Adrian Brendel (vc) Alfred Brendel (pf) ? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 エイドリアン・ブレンデル(チェロ)/ アルフレート・ブレンデル(ピアノ)? 当たりのやわらかい演奏です。控えめで内向的な部分もあるなどと言うのは、ピアノがあのアルフレート・ブレンデルだという先入観からでしょうか。短調の緩徐楽章などでは湿り気を感じさせる展開も聞かれる人だからです。でも彼のベートーヴェンのピアノ・ソナタはよく考えて構築されており、そう単純に割り切れないわけです。 チェロを弾くのはそのご子息ということで、ここでは親子共演です。父親への物差しで測ってはいけないわけだけど、エイドリアンの方は1976年のロンドン生まれで、イギリスで育ちました。このチェロはあまり派手さのな い渋めの音に聞こえ、カザルスみたいに強くごりっとしたところはありませんが、ちょっと鼻にかかる倍音でしょうか。間の取り方が穏やかであり、丁寧に、多少のんびりと歌う感じがします。浮き沈みのイントネーションがしっかりとあり、抑えたところからふわっ、ふわっと持ち上がって来るような山なりのフレーズも聞かれます。弱音に沈むところがデリケートできれいです。一方で歌うところは常にオン、という一定さではなく、何段階か強弱の階調がある感じです。音を和らげるところで大事なものをそっと大切に扱うようにやるあたり、やはり父親と似た波長を持っているかもしれません。ピアノも当たりがやわらかく、ここでも表情設計が行き届いています。両者共々全体に決して弱いわけではなく、フォルテはしっかりしており、テンポも第一楽章の速いところでは、押さないけれど結構飛ばします。 スケルツォは途中で力も入るものの丁寧な感じがします。アダージョは消えるような弱音のピアノに導かれ、静かにチェロが歌います。少しまどろむような感じ。伴奏の三連の音符を浮き上がらせるように、ピアノは幾分工夫もあるでしょうか。最後のアレグロは歓喜沸き立つという感じではなく、速くても丁寧です。 2003〜04年のデッカの録音です。斜が掛かったややオフな傾向の音響で、底光りするような落ち着きが あると言えます。シルキーと言い換えてもいいでしょうか。そしてそこから輝き出るピアノが魅力的です。きれいな音です。 Beethoven Cello Sonatas Pieter Wispelwey (vc) Dejan Lazi? (pf) ?? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 ピーター・ウィスペルウェイ(チェロ)/ デヤン・ラツィック(ピアノ)?? 1962年オランダ生まれのチェリスト、ピーター・ウィスペルウェイのチェロ・ソナタです。アンナー・ビルスマに師事し、アムステルダム在住。オランダで最も将来を期待される若い音楽家に政府が授ける賞 (Netherlands Music Prize)をチェロで初めて受賞した人で、もっぱらチャンネル・クラシックスに録音しています。チェロ界でも大変注目されている一人だと思います。「知的で洞察力があり、叙情的に傾倒する」と評され、「修辞学のマスター」だと形容する人もいるようです。 ピアノは1977年クロアチア生まれでザルツブルク育ち、オーストリアの市民でもあるデヤン・ラツィック。現在はウィスペルウェイ同様アムステルダム在住です。クラリネットも吹き、ピアノもクラリネットもコンペティションでの優勝経験がある上、作曲家でもあります。クロアチアの神童と呼ばれたこともあるということで、多 くのオー ケストラと共演経験があり、室内楽でも活躍しているようです。あまり聞かない名前でしょうか。でも来日もしてます。その演奏についてどう言われるのか調べてみると、ちょっと気の毒な話も出て来ました。2010年にアメリカでコンサートを催した際、ワシントン・ポストのスタッフ記者が酷評して「火花は散れども炎はない」とか「スケー ルが大きくて注意は引くけど中身がない」とか言ったというのです。それに対してラツィックは EU の「忘れられる権利」(現在は消去権)を行使してこの記事を消そうと努力したようです。こうやってリダイレクトしたら元も子もないけれども、クーベリックに毒舌を振るった有名な女史とか、アメリカには人をけなす評論家が多いようです。名前を挙げると同罪になるのでやらないけど、そんな悪口の文化、汚染でしかないんだけど。誹謗中傷自我の蜜というわけで、アメリカに限らず太平洋のこちら側でも暴露系なんとかという騒ぎがあったりもするようです。ラツィックの演奏はもちろん聞けば全くそんなことはないわけです。ウィスペルウェイの波長に合わせて反応の速い見事な腕を披露しています。 ウィスペルウェイのベートーヴェンには旧盤が存在します。そちらのピアノはパウル・コーメンで、1991年録音の同じレーベルのものです。もう一度出すに際して本人は、十三年前なので再録音するには相応しいだろうと言っているようです。ここではその新盤の方を取り上げます。 現代の人らしさはあるけど、デリケートでやわらかな歌と陽性の強さ、ゆったりな表現と軽快さという具合に 表現のコントラストがあり、振り幅のある鮮やかな演奏です。元気の良い楽想の部分では十分に活気があるけど力任せではなく、きっぱりとメリハリを付けます。ディテールに注意が行き届き、コントロールが効いた表現意識の 高い演奏 だ と言えるでしょう。どの部分も細部まで彫琢されているという感じであり、嫌味がない範囲で工夫が効いているのです。 出だしではソロのチェロがゆったりやわらかく、理想的な表情で歌います。ビブラートも適切で、弱音が繊細 な感じがします。ピアノが出る直前のフレーズでぐっと弱めて遅くし、引き継ぐ工夫をします。それを受けるようにピアノも繊細に最弱音で始め、徐々に目覚めさせて行きます。ため(テンポの瞬間的緩め)の表情を所々に使 い、細やかさを感じさせる一方、軽さと弾みも加えて勢いの良さも出します。テンポは平均すれば中庸です。 チェロには歌の山で少し待つように余裕を持たせる表情の豊かさがあります。浮き上がるようなクレッシェン ドも聞かれ、強さに表情があると言えます。ピアノは適度にアクセントの付いたくっきりとした表現で、明るい音色です。弱音もそことコントラストをつけて弱く沈み込みます。両方の楽器共に切り返しと躍動感があるわけで す。「ため」の話をしましたが、そのリズム処理について言うと、意味は違うけれども多少ピリオド奏法を思わせるような大胆な間とアゴーギクで区切って行くところもあります。それともチェロの師匠がバロックの大家だった ことと、多少なりとも関連があるのでしょうか。曲の構造としてはベートーヴェンらしい断定というのでしょうか、一つのフレーズから次へ移る際に、前のフレーズで弱めて終わってから次の頭でごつん、とやるところがあります。そういう箇所は遠慮なくベートーヴェンらしく強く叩いて来ます。 第二楽章は中庸やや軽快で、よく弾むけど最高に軽いとは言えないかもしれません。正確に、パーフェクトに 進めます。 第三楽章のアダージョはピアノがくっきりと旋律を歌い、チェロは静かに伴奏するように始まります。ゆっくりとためを効かせた抑揚があり、まどろむというよりも覚醒した感覚があります。情緒的には控えめで、くっきりと歌って行きます。テンポの変動(延び縮み)はつける方なので、落ち着いていながら表情豊かとも言えます。その後のアレグロの部分は相当なスピーディさで、技巧の限り切れ良く軽やかです。 ウィスペルウェイが使うチェロは1760年のジョヴァンニ・バッティスタ・グァダニーニと1710年のピー ター・ロンバウツ(オランダ)ですが、ロンバウツの方はバッハで使用しており、バロック・チェロです。ここでは録音の直前(三週間前)に手に入ったグァダニーニの方です(旧盤はまた別の楽器でした)。ピアノはハンブル ク・スタインウェイです。 オランダのレーベル、チャンネル・クラシックス2004年の録音です。販売元が超優秀録音と評しているようで、明晰な輪郭を聞かせる高域と密な中域を持ちながら自然な広がりもあり、確かに大変優秀な録音だと思います。中低域に弾力があってよく鳴っている感じがします。 Beethoven Cello Sonatas David Geringas (vc) Ian Fountain (pf) ?? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 ダヴィド・ゲリンガス(チェロ)/ イアン・ファウンテン(ピアノ)?? 上手いチェロです。自分で弾くわけじゃないので分かりませんが。ダヴィド・ゲリンガスは1946年旧ソ連 領だったリトアニア生まれのユダヤ系で、現在はドイツ人です。ロストロポーヴィチに師事し、そのスケールの大きさを受け継ぐとも言われ、チャイコフスキー・コンクールで優勝しています。そのロストロポーヴィチほどには名前が知られてないけどチェロの世界では先生のような存在であり、多くの弟子がいるとのことです。 ピアノのイアン・ファウンテンは1970年生まれのイギリス人のようで、ルービンシュタイン国際コンクールの優勝者です。 この二人によるベートーヴェンのチェロ・ソナタは、日本のオクタヴィア・エクストン・レーベルからも 2004年録音のものが出ているようですが、聞けてないのでここではそのすぐ後で出たヘンスラー盤の方を取り上げます。 どこがどうと言わなくても、どのパートもあるべき姿に収まっているような模範的な演奏です。模範的と言う と優等生みたいだけど、そういう意味ではなく、チェロのしなやかな歌わせ方など、迷いがなく飾りもないけど湧き上がる感覚に忠実な、全く自然なものです。そして自然と言うとまたおとなしい感じみたいだけど、大変良く響 かせているように聞こえます。生きた呼吸があって全く見事に、つまり、あるべき姿なわけです。師のロストロポーヴィチにも比べられるとされますが、朗々としてはいてもあそこまで押す強さには寄らないかな、という気はします。ふくよかで、弱音のデリケートさもあります。 テンポの延び縮み処理については総じてあまり出さない方でしょうか(アダージョを除いて)。その方面での 絶妙な息遣いの変動に よって粋なセンスが光る、という種類ではありません。ロシア系であってフランス的ではないというのか。大変真面目で、変わったことはしません。そういう意味では面白みはないかもしれないけれども、理想的なベートーヴェ ン像、という感じです。チャバ・オンツァイとイエネー・ヤンドーのハンガリー組も伝統的で真面目な印象だと述べましたが、それと比べてもより重みがありつつ、間をとってためる (遅らせる)表現や、反対に軽く速く流して行くような処理が少ないです。つまり最初に述べた通り、テンポ変動方向の表現が幾分控えめな傾向で、一定に流れることによって安定感を与える方に寄っているのです。つまりこのゲリンガス盤の方がオンツァイ盤よりふくよかで朗々とし、かつ形が整っているわけです。 全体のテンポ設定で言っても最初の楽章から中庸であり、スケルツォも軽快に跳ね飛ばすことはなく、一つず つ丁寧です。アダージョは遅くはなり過ぎないけど後半スローダウンし、情緒のある穏やかな歌を深々と歌います。そこではピアノに「ため」が聞かれます。一言で「豊かな味わい」と言うのが相応しいでしょう。アレグロは少し速めながら駈け過ぎない適切なもので、重過ぎず軽過ぎず、弾け過ぎもしないながら適度に弾みがあります。高揚感も感じられます。 ヘンスラーの 2008〜10年の録音も大変良好です。ピアノは力で押さないのでフォルテでも鋭くならず、き れいな倍音を響かせます。やわらかくてしっとり とした艶が感じらるバランスです。静かなところも深みのあるタッチです。チェロは1761年製のグァダニーニです。倍音の輪郭が格別強く乗 る方ではないながら、オフでもありません。音色の変化があって穏やかで、 艶も十分に感じられるという大変美しい音です。音像はやや後退気味でしょうか。中域の残響が多少多めながら心地の良い響きです。 Beethoven Cello Sonatas Jean-Guihen Queyras (vc) Alexander Melnikov (pf) ?? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)/ アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)?? ジャン=ギアン・ケラスは1967年カナダはモントリオール生まれのチェロ奏者。モントリオールはフラン ス語圏であり、その後アルジェリアとフランスで育ったようです。したがってチェロの師もフランス人二人、ドイツ人とアメリカ人が一人ずつということで、ハルモニア・ムンディ・フランスから CD をリリースしています。アルカント四重奏団のチェロでもあるようで、ラヴェルの四重奏を取り上げたときには名前に留意していませんでした。でもフランス文化をこそ看板に背負ったような流麗な演奏というよりも、技術とリズムのセンスが光る人かもしれません。 アレクサンドル・メルニコフの方は切れ味の良いイザベル・ファウストとのヴァイオリン・ソナタが 話題にな りました。1973年モスクワ生まれで、古楽のアンドレアス・シュタイアーやリヒテルに習ったことがあるようです。 実に巧者な演奏です。チェロについては技のデパートという感じ。強さだけではなく弓を当てる位置を上下に 動かして音色の変化を付けたり、リズムに工夫があったりします。形が極端に崩れているわけではなく、大袈裟でもありませんが、伝統に則ったゲリンガスが巧さを感じさせない巧さなら、こちらは新しいベートーヴェン像を 狙っているのでしょうか。あらゆる表現手段のパレットを広げられたようで、見事で感心すると同時に、煩わしい人には煩わしく感じるところもあるかもしれません。ちょっと慣れが要るというのか、やり過ぎと感じるか否かは聞き手次第でしょう。個人的にはアダージョなどの歌の部分はもう少しのんびりというか、素直に歌った方が好きながら、??と二つにしたのは、速いパッセージでの処理が見事であり、スケルツォもラストの駈けるところも、これほど重苦しさに縁がなくて気持ちの良いリズムで乗れてしまうものは滅多にないからです。同じソナタでもヴァイオリンのイザベル・ファウストが古楽奏法をたたき台にしてるようなところが感じられるのに対し、ケラスは独自の感覚でしょうか。 第一楽章の出だしはテンポで言えばやや軽快です。案外さらっと力を抜き、これはチェロもピアノもですが、少 拍を前へ倒す音があったり、装飾音を素早く片付けたりして旋律にのめり込まない覚醒感があります。現代的で ちょっとスパイスの効いた軽やかさというのか。強弱のダイナミックレンジも大きめに取り、脈動するようなリ ズム感もあります。 もっと具体的に言うと煩雑になりますが、語尾を短めに抑制する音があったり(この辺は多少ピリオド奏法的 なのかもしれません)、連続して上下する音形のところで速めてから緩めるなど、意欲的な工夫があります。それが嫌味にはならず、表現手段の一つとして何気なさを醸し出しているわけです。つまりテンポ(アゴーギク)にメリハリを付けることで重さを感じさせず、リズム感の良さを印象づけます。強弱(ディナーミク)の点でも、弱音に落として囁くようなフレーズをしっかりと作ることで陰影を付けます。その沈み込む部分でのチェロの抑えた歌わせ方、個性的でいいです。ピアノもデリケートです。そうやって全体に浮いたり沈んだりする動きが感じられるわけであり、スムーズなメロディの重視ではなくてリズムに寄ると言ったのは、そんな運び方のことです。 第二楽章はスケルツォです。やはりチェロが上手に踊ります。何と言うのでしょう、管楽器のタンギングのよう に、一音の中で弾む強弱によって分割するようなボウイングも聞かれます。無類に面白く、本来の意味でのスケルツォかもしれません。 第三楽章のアダージョも歌がさらっとしており、息の長い弾き方ではなく、チェロは音をオンにして延ばしたりしません。テンポも遅くはありません。静かに話しているような感じでしょうか。弱音に落としてテンポを緩める処理はしっかりとあり、語尾は延ばさないけど間はあります。また、ややに鼻にかかったように響かせたり、駒 の近くを擦って乾いた音を出したりして、音色変化が一音の中にもしっかりと付けられます。巧いと思います。アダージョといってもただのロマンティシズムではないのです。 後半のアレグロ部分は大変軽やかです。それはピアノにまず言え、チェロもです。リズム感良くさらっと流して行き、表情の軽さと何気なさが魅力です。間も取り、流れに変化をつけています。この部分での気持ち良さでは様々な演奏の中でベストかもし れません。全くうるさくなく、押し付けがましさがなくて活きいきしています。 2013年のハルモニア・ムンディの録音は良好です。ピアノの音がしっとりで、丸い艶があって良いです。一方でやわらかいところからくっきりと浮き上がる音はデジタルらしさが感じられる種類の、馬力のあるダイナミックレンジの広いものです。音場を含めたチェロの音は、細部を捉えながらもハイが強調されず、やや中域に反響が感じられて強さが乗るバランスです。 ケラスの弾くチェロは北西イタリア、サルッツォの弦楽器職人であるジョフレッド・カッパによる 1696年製ということで、色々と不明なこともある作家のようながら、録音で聞く限りでは過度に輪郭がきつくはならずに上品な艶が乗り、よく響くきれいな音に感じられます。 Beethoven Cello Sonatas Gautier Capu?on (vc) Frank Braley (pf) ?? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 ゴーティエ・カプソン(チェロ)/ フランク・ブラレイ(ピアノ)?? チェロのゴーティエ・カプソンは1981年生まれのフランス人。フィリップ・ミュレールとハインリヒ・シフに学んだ人で、コンペティションでたくさん優勝してますが、熟達したピアニストでもあり、ジャズ・ピアノもやるそうです。新しい世代で大変注目されている演奏家です。 フランク・ブラレイは1968年生まれの、同じくフランスのピアニストです。ピアノは母に習い、十歳でコン サートを開いたものの、その後音楽を選択する前に普通に学業に専念し、十七歳で学士号を取得して科学の勉強を続けたという、ちょっと異色の経歴の持ち主です。写真を見るまでもなく、平均よりかなり高い知力を持った人な のでしょう。パリ音楽院ではジャック・ルヴィエらに師事し、世界三大コンクールの一つ、ベルギーのエリザベート王妃国際コンクールで優勝してキャリアをスタートさせました。もちろん知力以上に優れているのがその芸術的 なセンスで、ガーシュウィンのソロのアルバムでは柔軟な歌を聞かせ、速度と強弱にデリケートな動きを見せる 洗練された表情の機微がありました。他を圧倒するレベルの高い抑揚(私見です)だったので、この演奏も大変期待したわけです。 最初の楽章のテンポは遅くはない中庸ですが、伸び縮みがあります。出だしのチェロはさらっとしており、全 体には滑らかな歌と繊細な力の抜き加減が素晴らしいです。高音へと跳ね上げて歌わせる部分では独特の粘りのある、少し倍音が潰れ気味に鼻にかかる音色を聞かせ、結構強い音を出します。潰れると言うと誤解を招くので、輪郭のくっきりした多少ソリッドな音とでもいうのでしょうか。そうなると鼻にかかるのとは矛盾するようで難しいですが。そしてこれはどこかで聞き覚えがあるような気がすると思ったら、カザルスの音です。ただ、その点にはこちらの先入観もあるかもしれません。使っている楽器は1701年のゴフリラーで、カザルスのと同じ製作者。カザルスの個体が引退二年前ので、カプソンのはキャリア全体の三分の一ぐらいのところでの作という違いはあります。そのせいかどうか、その音は個々の音程によって全くそんな風には響かないところもあり、カザルスとは違うとも言えるのです。 録音だし、正確なことは分かりません。それにカザルス以降ゴフリラー使いはたくさんいるわけで、一挺一挺違うし、この人の音だけカザルスっぽいと言うのもなんだかでしょう。 音色のことに脱線しましたが、浮き沈みをつけた歌のあるチェロは、静かなところから盛り上がるダイナミッ クレンジのある表現が見事です。センスも良く、平らに押さず、引くところは引く余裕もあって呼吸が出来ます。ビブラートは要所で適切に使いますが、あえて使わないで行く処理も目立ちます。ピリオド奏法の心得はあるの でしょう か。現代的な感じがします(ピリオド奏法の普及が現代的という意味で)。 ピアノはやはりいいです。盛り上がりが印象的というのか、ためと速度差を付けて浮き上がるような抑揚も聞か れ、自在でありながらチェロによく合わせています。強くなったり弱くなったり、ぴったりと呼吸が揃って実に適切な動きであり、表情が豊かです。でしゃばらないけど個性があるのです。ガーシュウィンのときの演奏と印象が 変わらない、大変洗練されたピアニストです。この盤の大きなポイントでしょう。 スケルツォは軽く流れるところが魅力的です。往年の巨匠のように前へ前へ押して来る感じではありません。た だ、強くチェロを鳴かせるところは特徴的な音です。上昇する半音の二音組が繰り返されるところなど、ちょっとアシカのおねだり鳴きのようです。トータルで余裕があって魅力的な楽章になっています。 第三楽章のアダージョ部分はゆったりで、ピアノに適度なためがあり、チェロもフレーズを延ばしながらよく歌います。ただ、全体としての運びは平穏です。力を抜いた何気なさの方が印象に残ります。 アレグロに入ってもやはり力は抜けており、決して走らず、余裕をもって進めて行きます。つまり最初から最後までゆったりなのです。リズミカルにすることで乗れて聞きやすい演奏もありますが、こちらは軽やかに、やわらかく力を逃がす ことで聞きやすいものです。さすがに現代の人は以前の熱演とは違います。苦虫を噛み潰したいらち(方言でしょうか)なベートーヴェンではなく、個人的にはこういう運びの方がずっといいです。全くの好きずきであり、ごつんと来る手応えが欲しい人は避けるべきかもしれません。 チェロはマッテオ・ゴフリラーだと述べました。この人はいつか弾いてみたい夢の楽器としてモンタニャーナ を挙げている一方で、このゴフリラーを弾けてラッキーだ、モンタニャーナほど弾きやすくなく、どう扱うかが難しい楽器であり、弓の圧力とスピード、ビブラートをどうするか一音ごとに学ばねばならない、今後も探求するこ とと発見が多いだろう、と語っています。 2016年のエラートです。輝き過ぎずこもり過ぎずの、等身大で大変良い録音です。チェロは細かな倍音までよく拾っています。ピアノより周波数バランス的に前に出ます。力強さが味わえます。 Beethoven Cello Sonatas Marc Coppey (vc) Peter Laul (pf) ?? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 マルク・コッペイ(チェロ)/ ペーター・ラウル(ピアノ)?? ヨーヨー・マもいいけれど、実はこのベートーヴェンのチェロ・ソナタの演奏で最も気に入っているのがこ れ、コッペイの盤かもしれません。コンペティションで勝ったバッハ(組曲)では自由さにおいてそこまで感じなかったけど(私見です)、ドヴォルザークのチェロ協奏曲も同じく見事でした。客観的評価というものはどうやったって成り立たないので好みとしか言いようがないわけですが、ある意味ちょっと並ぶものがない。でも「どこがなの」というところが問題なのです。具体的にここがこう、とはちょっと言い難い種類の絶妙な洗練のされ方だからです。 まず、マルク・コッペイは1969年ストラスブール生まれのチェリストです。このページで結構褒めることが多いと思われるかもしれないけれども、フランス人です。パリ在住。十八歳のときに若手発掘のためのバッハ国際コンクールで優勝し、メニューインやロストロポーヴィチに認められて活動を始めました。WIKI には英語とフランス語しかページがないぐらいだから、現代の最も有名なチェリストとは言えないのかもしれませんが、多くのプ ロの演奏家からの評価が高い人ということです。 ピアノのペーター・ラウルは情報が少なくて年齢等は分かりません。でも、サンクトペテルブルク生まれで 2000年に同地の音楽院を卒業したという世代です。ブレーメンとスクリャービンの各国際ピアノ・コンクールで優勝した経歴があり、コッペイとは気が合うのか、いくつかのアルバムを一緒に出しています。 このチェロ、表情の知能が恐らく最も高いという感じです。そういうのは IQ じゃなくて何でしょう。イクスプレッショナル・クォシャント。ん、数学? それに E で始まると感情知能と同じになってしまうかも。感情も表すわけだから当たってはいるけど、でもべったりした感情表現ではなく、感覚の表出に近いものであり、情緒過多という意味ではありません。どういうことか。それは一見何気ない表情のカーブの中にどれだけの関数式(情報量)が隠れているか率、です。何だか余計分からなくなって来ました。つまり、生真面目に楽譜から想定されることを音にしたような演奏があったとして、全体の形の上ではそれとそんなに違わないわけです。変わったことは何もしておらず、大変自然なものです。でも、サンプリングの升目を細かく取ると、豊穣なニュアンスが現れて来ます。剛にも柔にも倒れず、何気ないセンスがとびきりであり、今この瞬間に生きている感じがします。どこもが美しく響くように弾かれて、伸びのある歌が気持ち良いです。 抽象的なことばかりでもいけません。もう少し具体的に見てみましょう。敢えてこの人の特徴を言うならば、 音をあまり途切らせずに滑らかに扱うところがあるでしょうか。テンポ設定はどの楽章も中庸の範囲です。全体の運びとして無駄な 力は抜けており、強い方は十分に強いけれども、主に弱い方へ広げることでダイナミック・レンジは大きめです。弱音にはニュアンスがあります。表情は絶妙で、どの音からどの音へ移るにしても、あるべき曲線と力の増減でつなげて行く活きいきとした変化に満ちています。やわらかく力を抜くような「ため(テンポの 緩め)」による呼吸もしっかりとあり、余裕を感じさせます。このように音楽が自在な流れとなって脈打つ魅力は、本当は知能ではなくて感覚の問題でしょう。フルニエのあの貴族的で気品のある物腰に負けるところがないと言ってよいと思います。 コッペイが使っているチェロは、これもマッテオ・ゴフリラーだそうです。人によっては世に21挺存在する とか、20〜30挺の間だろうなどと言われるけれども、1711年製ということはカザルスとゴーティエ・カプソンの楽器の中間で、五十二歳時、職人キャリアの中ほどの作です。でも音はその両者がややもすると共通した強さを感じさせる瞬間がある一方、コッペイの場合はぱっと聞いた感じでは分かりませんでした。少なくとも太くご りっとし た輪郭の、少し鼻にかかった野太い音はさほど顕著ではなく、よく聞けばそんな倍音かもという瞬間は確かにある気もするし、特に低音の響きには強さも出るけど、個体と弾き方で全然違うことになるんだなという感じです。めいっ ぱい鳴らすのとは反対の弓さばきというのか、最も気持ち良くなる強さで弾き、繊細なタッチの音を使い分けています。ゴフリラーを力で追い込んではいないということでしょうか。 似たもの探しだけど、形を崩さずにニュアンスに飛んでいるという意味ではアンヌ・ガスティネルと比べられ るかもしれません。でもあちらはもう少しさらさらっとさせる方へ、拍をためない方へ力を抜いて軽さに寄っており、フランス人らしいアゴーギクの崩しも短時間に感じられ、歌の粘りも少ないでしょうか。よりあっさりなわけ です。高 い音程での強い音の濃厚さも、ゴフリラーのコッペイの方があるかもしれません。 ピアノがまた素晴らしいです。よく知らなかった人だけど、コッペイとぴったり息が合った表現というか、これ以上等質な動きで絶妙な呼吸は他のピアニストではだめかもしれません。いいコンビだと思います。 各楽章ごとには格別銘記すべきことはありません。第一楽章は上で言ったことが全て当てはまりますが、出だ しのソロからパーフェクトでしょう。 スケルツォはテンポの上では走らず、ゆとりがあります。メリハリは十分付けるけどリズムの切れを重視し過ぎないし、生真面目に力で押したりもしません。 アダージョはためのあるゆったりしたピアノに寄り添ってチェロもゆったりです。現代の人には抑えてさらっと行く演奏が多いけど、自在な呼吸で波打たせ、暑苦しくならないデリケートな抑揚を付けて行きます。 アレグロも自然に駈けます。鋭くなり過ぎないピアノの高音がきれいです。リズム感もあって気持ち良く乗れま す。 ドイツのアウディーテ・クラシックス2017年ですが、これはもう見事。このレーベル、どれも録音が大変 良いようなのです。チェロは高い音の鳴きが澄んでいます。滑らかで色彩変化に富み、自然な艶と温かみのある美しい音です。ピアノは前述の通りフォルテの高音が 絶妙の美しさ。サンクトペテルブルクでのライヴ収録ながら、繊細なプレゼンスとバランスの良さで最優秀録音です。 Beethoven Cello Sonatas Ori Epstein (vc) Omri Epstein (pf) ? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 オリ・エプスタイン(チェロ)/ オムリ・エプスタイン(ピアノ)? オリとオムリのエプスタイン兄弟です。名前から分かるかどうか、イスラエル人で後にロンドンに移り、一時 期イギリスとスイスに分かれたことがあったものの、ほぼいつも一緒に活動して来たということです。現在はアムステルダム在住。1986年(オムリ)と93年(オリ)生まれという、これからの世代です。兄弟のデュオとしてはこの CD がデビュー・アルバムだそうで、注目です。 大変聞きやすい演奏です。最上質の背景音楽にも出来そうなぐらい棘がなく、やすらかな美しさを堪能できま す。テンポは総じてゆったり方向で、決して前にのめって駈けたりはしません。抑揚もコッペイとは違って動き(アゴーギク)が多くなく、まったりしています。滑らかによく歌わせるチェロは静けさを感じさせ、モダンと いう感じでは ないけど、むきにならないおっとりとしたところはやはり今の音でしょうか。亡命世代とは違います。 出だしはのんびりとしたチェロが心地良く、ビブラートが感じられます。ピアノも静かに始まります。緩めるところではよりゆったりと間を取り、内側から盛り上がって来るようなクレッシェンドも聞かれ、強いところでもテヌート気味に滑らかにつないで行きます(力強さは十分あります)。 スケルツォは少しスピードアップしますが、適切な範囲でそんなに速くはなりません。でもこの楽章らしく、最初のアレグロ・マ・ノン・タントの楽章ほどゆったりではなく、メリハリがついています。 アダージョの部分ではまたゆったりに戻ります。やはり気持ち良くビブラートがかかり、静かに、滑らかに歌わせて行きます。フレーズ後半で音を延ばすように緩める処理も聞かれます。少しまどろんでいる感じでもあり、こちらも眠たくなるぐらい心地良いです。 続くアレグロも力が抜けていて余裕を感じさせます。ただ、ここでは速度の点では十分速いところまで加速し ます。それでも余裕な感じがあるのです。 オリが弾くのはクレモナ最後の名工と呼ばれるジョヴァンニ・バッティスタ・チェルーティの、その最後の チェロである1815年製の楽器とのことです。繊細な倍音を持ち、深々とやわらかい低音で、甘く素直な音の楽器という感じ。上質です。 2018年のリン・レコーズの録音です。これもナチュラルで細部もよく聞こえ、艶も感じられて優秀な録音で す。どちらかというとハイが明晰な傾向が多いような気がするリンですが、これはそういうことはなく、バランスが良くて生っぽさが感じられます。低音の土台がしっかりしていてダイナミックに立ち上がるところはあります。 Beethoven Cello Sonatas Yo-Yo Ma (vc) Emanuel Ax (pf) ’20 ?? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 ヨーヨー・マ(チェロ)/ エマニュエル・アックス(ピアノ)’20?? 見事な演奏だと思って聞いて来た旧盤から三十七年経って新しく録音されたベートーヴェンです。二十八歳だったヨーヨー・マは六十五歳になりました。ピアノのエマニュエル・アックスとは仲が良いのでしょう。今度も同じ組み合わせです。この人たちの演奏スタイルの特徴をひとことで言えば「自然体で伸びやかな歌がある」という 感じですが、この長い年月で変化しないはずはないと思います。どう変わったでしょうか。第3番のみで比べてみます。 まず速度から見ると形の変化が分かります。実測ですが、新盤は第一楽章では19秒ほど速く、第二楽章のス ケルツォでは10秒遅く、第三楽章のアダージョは16秒速くて、反対に全体では7秒遅くなっています。大雑把には速めの楽章では遅くなり、ゆったりな楽章では速くなっている傾向だと言えるでしょうか。 聞いた印象ですが、それならば緩徐楽章に当たるアダージョ部分の歌わせ方がそっけなくなったかというとそ うではなく、より軽やかになった感じです。あっさりとはしています。静けさとロマンティシズムという点では減ったでしょう。逆にゆっくりになった部分については、元々元気な楽章でゆっくりになると言えば、重くて力一杯になったかのように考えがちだけれども、むしろ逆であって、そこでも軽快になっているように感じます。スケルツォもそうだし、最後のアレグロ の部分など、その力の抜け具合が大人で大変心地良いです。些細なことには拘泥しないようになったの かと言う と、そういう面も幾分かは確かに認められるでしょう。もはや若者ではないわけですから。特にピアノは弱音の部分でより強めになったり、タッチがやや元気になっているところも聞かれます。例えば最初の楽章で、静かなところから楽想が切り替わって強く出る頭の音(5’46”/5’59”など)は、ためておいて結構力強く行きます。チェロも一音の中で短く強弱変化を付けるような箇所があり、弾むようにエネルギッシュなところも出します。7分台の後半などです。でも必ずしも鈍くなったのではなく、全体としては無駄な力が抜けたところが多いわけです。さらにその上で、基本的な音楽のつかみ方が変わらないのはさすがだとも言えます。 これとは別の話で演奏の質には関係ないですが、新盤の方では第一楽章の頭三分の一ぐらいのところ(3’45” 以降)で、ピアノ協奏曲の「皇帝」みたいな装飾音がピアノのパートに付くのが面白いです。肩肘張らないの延長 で、遊びと工夫があります。 さて、このヨーヨー・マとエマニュエル・アックスの二つのベートーヴェン、四半世紀を超えて半世紀にも近寄ろうかという年月を隔てており、それは就職したら定年したというぐらい、生まれた赤ん坊がしっかり大人になるぐらいの時間です。本人たちは楽曲への理解が大いに深まったと言っているようで、まさにそうに違いありません。どこにそれが現れているか確かめてみるのも楽しいです。そしてこれだけの間、気が合う二人が新しい録音を出さなかったということは、反対に旧盤の出来が余程良かったことをも意味するのでしょう。マに関してはバッハの無伴奏は三回録音しています。では個人的な好みはどっちかと言えば、この曲についてはそれでもやや旧盤の方が若干好きかなとも感じるのですが、それは録音のこともあるかもしれません(新盤が悪いのではなく、これも好みの問題です)。 2020年録音のソニー・クラシカルです。旧盤と比べるとピアノの音はよりしっとりで、弾力があって高域が丸い方向です。全体に中域が厚いとも言い換えられるでしょうか、チェロも高い倍音が強調される傾向が少なく、かといってオフでもなく、ナチュラルです。 Beethoven Cello Sonatas Ailbhe McDonagh (vc) John O’Conor (pf) ? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 アイルブ・マクドナー(チェロ)/ ジョン・オコーナー(ピアノ)? チェロのアイルブ・マクドナーの名はこれを聞くまで知りませんでした。1982年ダブリン生まれでニュー ヨークで学んだ人で、カーネギー・ホールにも立ったようながら主に自国のアイルランドと欧州で活躍しているようで す。また、作曲家でもあるそうです。女の人です。 ジョン・オコーナーは弱音に階調があるとして「月光」のページでも取り上げた、マクドナーと同じアイルランドの名ピアニスト。1947年生まれでウィーンに学び、ケンプに師事しました。ウィーン・ベートーヴェン国際ピアノコンクールで優勝しています。 たっぷりとした豊かなチェロときれいな録音が印象的なベートーヴェンです。オーソドックスで変わったこと はせず、はやったり力で押したりがありません。チェロは弱音寄りではなくオンな方ながら、力みはありません。粘るように 朗々とよく歌います。 ピアノは月光のときほど全体が静かという印象ではないものの、やはりやわらかい弱音が美しくて、細部まで 繊細な抑揚です。チェロと息が合っています。装飾トリルの軽やかさも聞かれます。 具体的な表現ですが、出だしのチェロから見事です。高く跳ね上がるところの歌もまろやかで心地良く、フ レーズの頂点から終わりにかけて音を延ばし、余裕を持って明確に歌わせるようなところが見られます。また、力が籠るパッセージでも走らずに分解して行き、そのことで逆に力強く見せるという感じです。同じ年生まれのアメ リカの女性チェロ奏者、アリサ・ワイラースタインもペンタトーンから同じ年にきれいな音の録音を出しており、たっぷりしているところや「ため」の作法まで幾分似ていますが、向こうはピアノ共々かなりがつんとした強いアタックが聞かれ、印象がやや異なります。どちらも運びは全体にゆったりめだと言えるでしょう。 スケルツォも一つひとつ丁寧に、音に集中してやや遅めに進めて行きます。軽く弾ませるという方向ではありません。 アダージョでは慎みがありつつ表情のあるピアノに導かれ、チェロが悠然と歌います。間も開けて、軽くやわらかくではなく、たっぷりでしっかり、朗々としています。そこにピアノが軽やかに絡んで行きますが、ピアノのレーベルだけにその音は魅力的です。 アレグロ部分に入って速くなっても、混んだ音符でマッシブに埋め尽くしたりはしません。決して走らず、丁寧に音にして行きます。時折節目の音を強めに強調し、くっきりとしたスタッカートも交えるものの、楽しさと余裕も感じられます。 マクドナーの弾いているチェロはちょっと珍しいでしょうか。アンドレア・ポスタッキーニ(1781-1862)の手になるものです。イタリア中部、フェルモ生まれの弦楽器作家です。修道院で出会った神父が簡単な道具でヴァイオリンを作るのに魅せられ、その道に入って独学で名器を生み出しました。ギターや弓も作ったそうです。「マルケ州のストラディヴァリ」という異名もとっているとのこと。高い倍音は濡れたような艶があり、細かいデリケートな倍音もあります。シャープさと豊満さが両立した気持ちの良い音です。 もちろんそれは録音の良さにも助けられていることでしょう。レーベルはスタインウェイ・アンド・ サンズ で、2020年収録です。前述の通りピアノのメーカーということで、ピアノの方も抜かりなく絶妙であり、照りとやわらかさのバランスが取れています。優秀録音です。 Beethoven Cello Sonatas Ji?? B?rta (vc) Terezie Fialov? (pf) ?? ベートーヴェン / チェロ・ソナタ全集 イジー・バールタ(チェロ)/ テレジエ・フィアロヴァー(ピアノ)?? チェコのこの二人組についてはあまり詳しい情報がありません。チェロのイジー・バールタの生年は分から ず、写真からするとピアニストと同世代だと思われますが、もっと上の同名のピアニストも存在するようです。プラハとコローニュ(ケルン)、後にロスアンジェルスで学び、ハインリヒ・シフやアンドレ・ナヴァラらに師事しました。販売元情報ではチェコを代表するチェリストとなっており、新聞などではその世代で、もしくは若い世代で一番の、抜きん出た一人と紹介されています。年齢を知ってもその人を分かったことにはなりませんし、韓国の儒教文化み たいに常に上か下か知ろうという気もないわけだけど(悪口じゃありません)、紹介文に生年が書かれてないと「その世代で」と言われても困り ます。 テレジエ・フィアロヴァーの方は1984年生まれ。女性ピアニストで、ヴァイオリンでも活躍しているとのこ とです。 個性的な演奏で、大変気に入りました。個性的の内訳の一つはテンポの解釈であり、スローな楽章は大変ゆっ たりと歌わせて行く姿勢なのですが、それは第三楽章頭のアンダンテに加えて、第一楽章全体も含まれるというものです。つまり最初の楽章が他にないほどゆっくりなのです。普通の進行に慣れていると違和感があるかもしれないけど、こういう曲だと思えばそれはそれで却って魅力的、でしょうか。アレグロ・マ・ノン・タントという指定は「快活に、しかしあまり速過ぎず」ながら、それでこのペアはかなり緩徐楽章に近い感じと解釈したようです。元々息急き切った演奏が苦手なので、個人的にはありがたいです。でもこのゆったりがだめな人にはだめでしょう。切れの良さ、激しさを感じさせる技巧派の演奏を好むファンの方にとっては、遅ければ技術がないことになるかもしれないし、メロドラマティックだとかイージー・リスニングのようだなどと言われてしまう可能性もありま す。?をどうしようかと思ったけど、聞いて心地良かったので自分の好みとして二つにしました。 チェロは音を延ばして大らかに歌います。微妙な強弱の呼吸もあります。出だしは元来速くない部分ですが、 そこからややゆったりの入りです。ピアノも同様で、間を十分にとって無理をしません。しなやかな運びで、両者ともに音も大変きれいであり、全体にリラックスしてたゆたう演奏となっています。普通はテンポが遅いとなると 二つに分 かれ、オンで力強くたっぷり歌わせるのと、粋に力を抜いて脈動させ、拍をずらしたりする方向のどちらかになるような気がします。この演奏は後者の、ちょっとフランス的なセンスで勝負というのとは違っていると思いますが、何でも生真面目にべったり歌わせる脂ギッシュなものでもありません。奇を衒わないけれどもほどよく隙間が空き、力が抜けていて心地の良いデリケートな歌い方です。所々で強いタッチの区切りも見せます。 第二楽章のスケルツォは通常のテンポ解釈に戻ります。でもやはり余裕のある呼吸が聞かれるもので、強い タッチのピアノの艶が美しいです。芯があって磨かれた音という感じです。 第三楽章出だしのアダージョはまたスローな解釈で、ゆとりがあって気持ち良い運びです。所々で立ち止まるような余裕を見せ、やわらかく歌って行きます。力を抜いてさらっと撫でたり囁いたりするような弾き方ではないけれども、ナチュラルで十分に静けさも感じられます。美しいでしょう。アレグロに入る前に音を長く延ばして静 かに引っ張る感じも説得力があります。 続くアレグロは速くなります。でも常に軽々として心地の良い運びです。心赴くままに浮き上がってクレッシェンドするチェロの歌がいいです。 2021年収録のチェコのアニマル・ミュージックです。優秀録音です。チェロは胴の鳴きがしっかりと捉え られたボディのある音に絶妙な高音部のテクスチャーが乗ります。自然な艶で細かな木目が見えるような輪郭線を持ちながら、ごりっと硬くはならず、反対にオフで滑らか過ぎもしません。何の楽器なのでしょうか。どうやらクレモナでもヴィンテージものでもないようです。オーストリア国境に近い南ドイツに工房を構えているのでしょうか、ディートマー・レクスハウゼンという現代の作家による2012年のチェロということで、この人は古い楽器も直してるみたいですが、オリジナルも有名なのでしょう。不案内なのでその筋の話は分かりません。ピアノはシックながらやはり輪郭がしっかりとし、自然な印象です。少しライヴな、いい音です。 INDEX |