モーツァルトのピアノ・ソナタ
          全集・トルコ行進曲付き K.331・晩年の作品など

mozartpianosonat

取り上げるCD
24種:
 モダン・ピアノによる全集: ギーゼキング/ペルルミュテール/クリーン/ヘブラー(’60s /’80-’90s)/クラウス/ピリス(’74 /
89-90)
              /グールド/シフ/ツァハリアス/デ・ラローチャ/マッコーリー
 フォルテピアノによる全集: リュビモフ/ブラウティハム/ベザイデンホウト
 モダン・ピアノによる選集: リパッティ/ハスキル/ケンプ/グールド/ペライア/グルダ/ブレンデル/ プレスラー



 モーツァルトのピアノ・ソナタについて、出ている CD の主だったものを比べてみようと思います。
 この十八の曲たち、モーツァルトのレパートリーの重要な一角を占めているわけだけど、クラシック音楽の中ではどんな性格というか、愛好家にはどういう聞かれ方をしているのでしょう。


曲集の性質
 ピアノを習ってる人にとって興味を引かれる作品群だという見方を除くと、華やかな交響曲などの入門的ものとは違い、普段はモーツァルトのピアノ・ソナタをよく聞くなどと言えばちょっと通な感じがする、でしょうか。中には仕事をしてるときのバック・グラウンド・ ミュージックとしてかけて おくと作業の邪魔にならずにはかどる、などと言う方もいらっしゃるようです。バッハの平均律クラヴィア1巻みた いな扱いです。なるほどあのやさしさに満ちたメロディー群はそうい う楽しみ方にも相応しいと思います。音響的にもピアノだけで静かだし、その中でもロマン派のように感情を押し付けて来もせず、現代曲のように不安になったりもしません。これがベートーヴェンのピアノ・ソナタともなるとそうも行かないわけで、難曲大曲で結構元気だったりするわけです。でもモーツァルトの方も、けたたましくはないけど同じように個性的な曲、可能性を追求した作品はしっかり存在しており、当のベートーヴェンにもその初期のソナタから大きな影響を与えました。またその後期の作品、例えば32番の第二楽章などと比べてもいいぐらいに、和声の試みでも、精神的境地の点でも印象的な晩年の作品もあったりします。


成立事情など
 モーツァルトが最初にピアノ・ソナタを書き始めたのはミュンヘンで十九歳頃のことです。前半のソナタ群はその ように旅行先で依頼を受けて書いたものが多く、後半は自分のいたウィーンでの作品も含まれて来ますが、場所と成 立事情が不明のものが複数あります。手紙の相手になる父親もその頃にはいないし、大曲でもないので記述が残って ないのです。 また死の二年前の最後の曲に至っては、プロシャ王セットの四重奏と同様、プロイセンの王に依頼されてその娘シャ ルロッテ王女のために書いたと本人は主張しているものの、体裁をとり繕った嘘ではないかとも言われています。貧 乏でその日暮らしだったのです。そして一番お金になるオペラやコンサートにかけられる大人数の曲とは違い、元々 ピアノ・ソナタというものはピアノ演奏者 が自宅で 弾くために作られるような種類であり、それを個別に依頼されたり、潜在的演奏者のために出版で稼ぐことを当てに して作られたりしたのでしょう。派手な要素がなく、作曲家自身の独白のような趣があります。いわば裸のモーツァ ルトが聞けるわけです。


有名曲
 有名な曲はその最後のソナタとは別に、だいたい決まっています。四曲ほどです:

 まず二つしかない短調の作品のうち最初の K. 310 があります。古い呼び名で第8番、新しい方で第9番に当たるこの曲はモーツァルトがパリへ旅行した先で作られた ものですが、その地で母を亡くした悲しみが 直接的に表れているとよく言われます (一方でもう一つの短調である14番 K. 457 は、第二楽章の中ほどの主題がベートーヴェンの「悲愴」ソナタの第二楽章に似てたりします。それを言うなら組に なるともされる幻想曲 K. 475 も楽聖に影響を与えたと考えられるでしょうか。この二つも有名曲とまでは言えないにせよ、リサイタルや CD のカップリングではよく聞かれる名曲です)。

 それから親しみのある旋律と軽妙さの感じられる第10番 K. 330 も名曲に数えられる場合があります。

 しかしなんと言っても一番有名なのはその次の第11番 K. 331「トルコ行進曲付き」です。二十七歳頃の作品だろうとされるけれども、どこで作られたか判明していない曲 です。なんでトルコ・マーチなの、という理 由については、ブルーボトル・コーヒー店の名前の由来とともにヴァイオリン協奏曲のページですでに取り上げてし まいました。100年ぐらい前にあったオスマン・トルコ軍のウィーン攻め以来、トルコ趣味というものがモーツァルトの生まれたオーストリアでは長らく流行だったわけです。もう少しで陥落させられるところだったし、彼らが連 れて来た軍楽隊は異国情緒いっぱいの野性的な音で皆の印象に焼き付いたのです。モーツァルトの当ソナタはこの分 野で最も有名でしょう。親しみやすくも個性的な動きのある曲です。

 そして以前は15番、今は16番とされる K. 545 はソナチネ・アルバムにも収録される平易な初心者向けの曲ながら、ちゃんと弾くには腕がなくてはいけないなどと 毎度言われて来ました。騙されちゃいけな い、そういう風に天才モーツァルトが作っているのだ、と。確かにモーツァルトの曲って、簡単そうで難しい、かも しれません。無垢で愛らしいメロディーながら、穏やかで味わいのあ る作品です。

 これ以外の曲となると、人によって魅力があるというものが異なります。初期作品こそ優れていると主張する稀な ピアニストに同意して(そうじゃないかもしれませんが)最初期の曲を挙げる人もいれば(その場合は第一楽章がき れいな4番 でしょうか)、アインシュタイン(あのアルベルトの従弟とも、違うとも言われる音楽学者)は12番(K. 332)を評価していたりします。


晩年の作品
 後期の傑作についての声があまり大きくないのはちょっと不思議な気もします。モーツァルトについては、個人的 には死が近づいて来た何年かの間に作られた透明な波長の音楽が好きなので、余計にそう思います。ものによっては 複雑な響きが少し混じったり、他人に同意を求めないかすかな孤独感が感じられないでもないけど、簡潔で明るく軽 やかに、静謐さをたたえて展開される音の世界に惹きつけられます。最後の第18(旧17)番 K. 576(1789年)のなんと美しいことでしょう。この時期でないと聞かれない孤高の世界で、全ソナタの中で私 的にはベストです。白鳥の歌とも呼ばれる 27番のピアノ協奏曲、クラリネット協奏曲と五重奏曲、23番の四重奏などに感情世界において匹敵するピアノ・ ソナタ版なのに、注目されないのは ソロ楽器の地味さゆえでしょうか。内容ではなく、作曲依頼の真偽と「演奏が難しい」などという観点ばかりが語ら れている気もします。

 同じ死の二年前の作である第17(旧16)番 K. 570 にも同様の波長が聞かれます。特に第二楽章は心に沁みます。その一年前の第15(旧18)番 K. 533/494 の第二楽章もまた、多少俯き加減かもしれないけどきれいです。ただ、この部分には不協和音四重奏でも試みられた ようなスリリングな音の重なりが聞かれます。それは前衛的実験精神であると同時に、この時期の心境をも表すかの ような情緒による選択である点で、理論的帰 結による後年の現代音楽とは違うところから発しているようにも感じます。そしてほんのかすかですが、前述の K. 576 の第二楽章においても、一瞬音の陰りにも感じられる音階の調性移動は聞かれます。モーツァルトは最後までこうし た好奇心を持ちつつ澄んでいるのです。


作品の通し番号
 上記で第◯番という呼び名に、古いのと新しいのとが出て来ました。何のことかというと、出版された楽譜によっ て 同じ作品が違う番号で呼ばれているのです。これは作曲経緯が不明なことが多いピアノ・ソナタにあっては、手書き 譜の科学的検証などにより、後になって作曲時期の定説が覆ることがあるからです。旧と言われる番号は最初 のモーツァルト全集(楽譜)が定めたもので、ケッヘル番号を作ったルートヴィヒ・フォン・ケッヘルの監修でブラ イトコプフ社が1877年から83にかけて出版したものによります。一方で新しい方は、1955年から91年に かけて国際モーツァルテウム財団がベーレンライター社から出版したスコアに付いた番号です。こちらの方が作曲年 代順になっています。ややこしい話です。後から分かった事実によって年代が訂正された曲だけに限る話なので、 8(9)番/9(8)番
/15(18)番 /16(15)番/17(16)番 /18(17)番の6曲のみです(括弧内が旧番)。この6曲はケッヘル番号のみで呼ばれる場合も多いようです。


CD について
 ここでは最初に全集をモダン楽器とフォルテピアノで分けた上で録音年代順に取り上げ、それから個別のアルバム で印象に残ったものについて、やはり年代順に少し触れます。中心的に比較したのは有名な「トルコ行進曲付き」 (11番)や 最初の有名な短調のソナタ(8[新9]番)、そして好みである晩年の作品群などが多くなったという状況です。全 集につい ては、ここでは取り上げませんでしたが、他 にも クラウディオ・アラウ、ダニエル・バレンボイム、
クリストフ・ エッシェンバッハ、内田光子、イェネー・ヤ ンドー(ナクソス)なども出てい ます。個別のアルバムでは、敢えて触れませんでしたがホロヴィッツのトルコ行進曲付きなど、希代の技巧家がそ のばりばりと弾く一面を出さないときの味わいについて知れる貴重な演奏かと思いました。


モダン・ピアノによる全集〜

   giesekingmozartsonatas
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Walter Gieseking (pf)


モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
ワルター・ギーゼキング(ピアノ)

 19世紀生まれのギーゼキング(1895-1956)のモーツァルトは彼のドビュッシーの録音と並んで昔から 高く評価されて来ました。リヨン生まれのドイツのピアニストです。モノラルながら、古いものを大切にする人々の 間では今でもこれを超えるものはないと言われるなど、一つの規範として君臨しています。一般には澱みがなく明澄 で格調高い演奏だと評されます。立場としては「新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)」として分類され、そう いうカテゴリーで括るのはどうなのかということを他のページで書いた記憶もありますが、確かにそう言いたくなる ほどロマンティックな影をまとわない演奏ではあります。

 実際聞くとどんな感じなのかということを言うのはちょっと難しいのだけど、確かに現代に通用する堂々とした演 奏です。その上で、乾いたというと言葉が悪くなるで しょうか、でも湿っぽくはない方の代表のような運びです。トルコ行進曲など、全体にポロンポロンと音を切ってい るように聞こえます。元々イメージはトルコの軍楽であって、滑らかなスラーでやるようなところではないので正解 でしょう。ただ、それは他の曲でも共通した傾向のようです。加えて遅い楽章以外では間とためを設けない方向で、 前倒し気味にさらさらと速く駈けます。アッチェレランドとは言えないしバックハウスほどでもない気がするもの の、速いところはかなり飛ばしますので、高速で強く弾くのがひょっとして喜びなのかなと思ったりもします。そう いうところはポリーニに似ているとは言わないまでも、古くはホフマンなども含めて技巧系の人に時折聞かれる種類 の硬質さ、明晰さです。例のノイエ・ザッハリヒカイトの「即物」という言葉とも共鳴するわけで、覚醒感という か、どんどん進んで行って感情の拠り所がないような感じが似ているのです。悪く言う人にかかれば、下手をすれば 強靭でそっけない、とされてしまうことでしょう。別の方向から見れば見通しが良くクリアということになります。 正確で楽譜に忠実です。ゆったりと間を置きつつやわらかく囁くヘブラーなどの反対側に来ると思います。

 スローな楽章では、テンポはかなりゆったりな部分もあります。抑揚もしっかりついている一方、滑らかに増減す るスムーズなものというよりも、やはり一音ずつくっきりと分けるようにポロポロしている感覚はあります。そのた めもあって最大遅くなると、人によっては少し間延び感を覚えるかもしれません。弱い中でも時折結構強く叩く音が 出て、夢の中に浸るのではなく、やはり覚醒感があります。中間部でスタッカート気味にする処理なども混ぜて来ま す。まさに規範と呼ぶに相応しい格調あふれる演奏だと思います。

 EMI 原盤の1953〜54年の録音はモノラルながら、コンディションは悪くなく、針音がシャーっと鳴る SP のようなことはありません。中域にややこもりがあって箱鳴り気味なのは年度相応です。掲げたジャケット写真はリ マスターされたものです。ピアノも違います が、艶はバックハウスよりさらに抑えられていてシックです。



   perlemutermozartsonatas
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Vado Perlemuter (pf)


モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
ヴラド・ペルルミュテール(ピアノ)

 ラヴェルの弟子だった人です。ラヴェルは固い手と言われつつピアノが弾けましたが、そのピアノの弟子というよ りも、彼の曲をどう弾くか教わったというところが大きいでしょう。結果としてのその表現については、作曲者本人 の意向通りであるはずなのに、ラヴェル好きでありながらここでは取り上げませんでした。ポーランド=ユダヤ系の フランス人で、1904年生まれ、2002年までご存命でした。コルトーにも師事したものの、弾き方は異なると 思います。モーツァルトのソナタについては、出てから一時日本でも話題になったみたいながら、その後廃盤が続い て高値を記録したとか。そのせいか、本来の演奏の良さからか、幻の名盤扱いになって探し回る方もおられたようで す。

 この人には独特の音があります。説明するのは難しい種類です。タッチとしては一音の玉が独立している感覚とで もいうか、エッジがしっかりしており、録音が良ければ強さから来る艶がくっきり乗るような方向で、俗に言う粒立 ちの良いピアノの音が楽しめるものでしょう。それはゆったりした静かな楽章、例えば最後のソナタの緩徐楽章にお いても言えることで、静謐さはありますし、一音ごとの細かな抑揚もついていて良いですが、決して靄の中には沈ま ず、凹凸があって終始くっきりしている印象です。そして速くなると、顕著なアクセントを施して多少癖の感じられ る流れとなります。強い音の前で少し間を空けてからこつんと叩く、19世紀から20世紀初頭に活躍したピアニス トたちによく聞かれるような手法があります。そして反対に、間を狭めて少し前倒しに駈けるところも出ます。 ちょっと階段を踏み外しかけたというか、後のピリオド奏法を瞬間的に先取りしたかのような動きです。それは特に フランス流と言うべき揺れでもないかもしれませんが、捉え方次第でそうしたリズムの崩しが粋にもなり、あるいは 人によってはちょっと雑にも感じられる種類だと思います。フランソワなどにもリズムの揺らしが聞かれますが、そ れ よりは部分的です。タッチとその表情のつけ方の両方が合わさることで、ある種の強靭さ、野生の感触が出て来ま す。 

 そういう意味ではトルコ行進曲の最後の楽章などは、曲のあり方に似つかわしいとも言えるでしょう。くっきりと したタッチで所々強めのアクセントで区切って行くことで、トルコ軍の幾分がさつな印象が上手く表現されている気 がします。強い音はごつごつと無遠慮で、ウィーンの土を軍靴で踏み鳴らしている感じです。この有名曲は出だしで はさらっと流しつつ、一瞬スタッカートを交えたりもし、やはり全体に滑らかとか流暢とかではない手応えがありま す。何というか、バロック的というか、ポンポンと跳ねるようでもあり、フレーズ後半で急に強く盛り上がったりも します。速いところでは技巧派ではない指の動きもあるようながら、その方面では自分はこだわらないので、一応指 摘してみただけでケンプ同様全く気になりません。

 あまり褒め称えている文面にはなってない気がしますが、モーツァルトという人自体、活気があって飛び 跳ねるような音も聞かせる人ですから、この演奏こそがそのソナタ全集として最も相応しいと感じられる方もあると 思います。クリスピーな活きいきした感じとして捉える人と、唐突感や区切れ感から耳が疲れると感じる人とに分か れるであろう、大変個性的なピアニストです。書いている筆者は後者だと思われるでしょうが、独特のひなびたとい う か、枯れた味わいがあり、K. 310 の第二楽章など、じめじめしない美しさがあるなと思いました。  

 ヴォックス1956年のモノラルです。音はギーゼキングよりピアノの粒立ちが良く、少し遠くて中音の反響はあ るものの、聞きやすいです。時代から考えれば大変良い録音です。



   Klienmozartsonatas1   Klienmozartsonatas2
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Walter Klien (pf) ♥♥


モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
ワルター・クリーン(ピアノ)♥♥

 さて、ステレオの全集です。ヘブラーと同じ時代の録音で、それと並んで高い評価を受けている演奏です。ワル ター・クリーン(1928-1991)はモーツァルトと同じオーストリアの人で、ミケランジェリに師事しまし た。アメリカのヴォックスからの発売です。

 余計なことをしない素のモーツァルトという意味でも、ヘブラーとは比較されるでしょう。形は少し違うながらデ リケートさでも引けを取りません。ペルルミュテールのような癖はなく、透き通った湧き水というよりも、山の高い ところを流れる小川のようです。さらさらと流れて行くところと、きらきらと光る飛沫、底まで見える透明度の高い 純粋な味わいがそんな感じなのです。恣意的な誇張はどこにもありません。ロマン派の私情が加わらない古典派その ものの表現でありながら、昨今のピリオド奏法とも違います。楽譜通りの優等生と言うとスリルのない演奏の代表の ようながら、そこはご当地、音楽の言葉遣いを知らない文化とは違います。自在でデリケートな抑揚に満ちていま す。

 ただ、速い楽章ではあれよあれよという間にどんどん流れて行ってしまうように感じるところもあるかもしれませ ん。トルコ行進曲なども大変スピーディーに進めます。ヘブラーなどに慣れているからでしょうか、粒のきれいな音 の連続ではあるのに、人によっては素っ気ないと言います。どうなんでしょう、個人的には悪く言うほど速くないと 思うし、そんな場面でも気持ち良く乗って楽しんでる波長が感じられて良いと思うのですが。

 一方で緩徐楽章は緩やかなテンポをとって滋味溢れる運びです。細やかな情緒に満ち、力が抜けていながら、でも ヘブラーとは違います。ヘブラーはもっと小声で囁くように潜り込むところがあります。内気で個人的な感情に染ま るという意味では、よりロマンティックでしょうか。クリーンはそこまでではなく、もう少し古典派です。抑揚が足 りないというのではなく、大変付いているけど湿り気が少なくて透明なところが魅力です。どっちが好きかは微妙 で、恐らく聞き手によって分かれるところだと思います。でもどちらも静寂な内的世界が展開されていて美しいで す。

 レーベルはヴォックス・ボックスで1964年の録音です。ステレオの比較的初期に当たりますが、大編成ものと は 違い、音は驚くほど良いです。音像が遠くてぼやけることも嫌な反響が付くこともなく、かといってエッジも立ち過 ぎず、まろや かさと同時に芯のある粒立ちの良い音で聞き惚れます。ヘブラー(旧フィリップスのオリジナル盤)も良 いですが、それよりは中低音とやわらかく反響する成分が多少少なめでしょうか(リマスター盤のようなことはあり ません)。現代の録音と比較しても大変きれ いなピアノの音 で、玉を転がすような、と言う人もいます。二枚組セットで初期と後期に分かれています。後期の方はあのトルコ行 進 曲から後ろ全てで、幻想曲まで入っており、短調の第8(新9)番 K.310 こそありませんが、濃い内容が詰まっています。現時点では廃盤なのかもしれませんが、安く手に入ります。



 
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                                                                      mozarthaebler
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Ingrid Haebler (pf) ’60s ♥♥


モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
イングリット・ヘブラー(ピアノ)60年代
♥♥


   haebler2mozartsonatas
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Ingrid Haebler (pf) ’80-90s


モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
イングリット・ヘブラー(ピアノ)80〜90年代


 国内では以前から決定盤の誉れ高いヘブラーです。世界的にも評価は同様だと思いますが、旧盤の方は長らく廃 盤の時期があり、日本のタワー・レコードが企画して再販するということもありました。それだけ声が大きかったの でしょう。モーツァルトのピアノ曲と言えば、このヘブラーとクララ・ハスキル、リリー・クラウスの三人の女性、 その後ピリスを加えて四人がよく比べられ、女性の方がこの作曲家を上手く表現できるかのように言われたりもしま したが、ハスキルは協奏曲はあってもソナタは2番/10番のみであり、戦線離脱です。したがってクラウス、ヘブ ラー、ピリスがソナタに関する女性の御三家ということになります。いきなりヘブラーが、と始めてしまいました が、1929年ウィーン生まれのポーランド系で、ザルツブルクで学んだという、まさにモーツァルトを弾いてくだ さいという出自のピアニストです。バッハのフランス組曲も大変味わい深かったので、すでに別ベージで取り上げています。

 録音は全集が二つあります。60年代のフィリップス盤と、80年代後半から90年代にかけての DENON 盤です。どちらがいいかは好みですが、録音面で言えば古い方も全く劣っておらず(オリジナルのフィリップス 盤)、その点から新盤にする意味はないのですが、長らく廃盤です。

 それぞれがヘブラー三十四歳から三十八歳時と、円熟の五十七歳から六十二歳時の録音ということになります。お 姉さんに弾いてもらっているようだということで旧盤に萌えるという声もあるみたいながら、別にそういうことでは なく、個人的にも旧盤の方が好みでした。確かに若いときの方がさらっとしており、本人もその頃はシャイだったと いうような発言もしている通り、新盤はテンポ変動も抑揚もより大きく大胆になっています。

 それにしてもこの旧盤(写真上)、見事な演奏です。ソナタ全集で最も聞いていたいもの、と言いたくなります。 端正で押し付けが強くないという点では一つ前のクリーン盤と比較できるし、オーストリアのモーツァルト弾きによ るソナタ全集としては双璧とも言えますが、ヘブラーはクリーンのように速い楽章でさらさらと駈け出す傾向はな く、8(新9)番の出だしのようにくっきりゆっくりの運びもあります。静かな楽章での情緒はどちらが繊細だとも 言えない ものの、ヘブラーの方がよりゆったりなところがあって当たりがやわらかく、多感な若者の内省というのか、やはり ちょっと内気な感じがします。ただ、そうしたしんみりとした情緒だとブレンデルやペライアなども思い浮かぶもの の、あれほどうつむき加減ではなく、耽溺や哀しみには寄らない静けさです。つまり、ただ手弱女ぶりというだけで あって、正直に心の声と向き合っているような音が響くのです。やさしいです。

 それも技術の上では概ね、ひっそりとした弱音とテンポの緩めから来るのだと言えるでしょう。でもロマン派の感 情移入の形までは行かないところで止めていて格調が高いです。モーツァルトってもうちょっと快活でお茶目さんな ん じゃないの、と思える部分もあるはあるけど、その面ではリリー・クラウスがいてくれるので、これはこれで良いの ではな いでしょうか。 
       
 クラウスとの比較という意味では、協奏曲においては以前のページではクラウス推しでした。というのも、何より ヘブラーは録音が良いとは言えなかったし、オーケストラを相手にする場合は少し負けてしまう気もしました。そし て27番の第二楽章など、タッチが繊細過ぎて内向きなのです。もっと明るくあっけらかんとした中に、ひたひたと 打ち寄せて来る最後の時への透明な眼差しを感じさせて欲しかったです。でもソナタのヘブラーは、クラウスのよう にスポット的にタッチを強める箇所や間で区切るようなアクセントがない点で、より素直に入り込める気もします。 クラウスもいいですけれども。

 フィリップスの1963〜67年の録音です。これがまたクリーン盤と比較しても大変良い音です。60年代中盤 なのでオーケストラだとちょっと辛いところがありますが、こうしたソナタでは現代の優秀録音と比較しても魅力の 点で劣りません。全体にまろやかで、強い音でも金属的なエッジは立たず、ほどよい艶が乗って真珠を連ねたような 粒立ちです。クリーン盤同様に玉を転がすようだと言ってもよいでしょう。比べるならよりふわっとして硬質さは少 なく、多少低音寄りでしょうか。

 ただし一つ留意点があります。上で述べた通り、オリジナルのフィリップス=デッカ・レーベルの全集は廃盤で、 現時点では手に入り難いか、需給の関係で高値が付いてしまっているのです。ありがたいことに日本のタワー・レ コー ドでリマスターされたもの(表紙はオリジナル LP のヘブラーの横顔で、デッカの商標があります)が出ていて、リーズナブルなお値段で買えます。でも音は同じでは ありません。例えば、ピアノを習った人は分 かると思います。 家庭用のアップライト・ピアノはコンサートで使うものとは別の楽器です。どこのブランドというわけでも なく標準的なアップライトがわが家にもありましたが、上下の蓋を開けて も、何をやってもそれなりの平板な音しか出ません。このヘブラー盤については生じゃなくて録音だし、音源は同じ わ けですからそんな違いは出ないわけだけど、リマスター盤は大袈裟に言えばアップライト・ピアノのように単純に聞 こ えてしまう気がします。ここのレーベルに限らずの話で、国内でリマスターされたものには重点がハイに移っている ものが散見されます。オーディオ機器 の音決めと同じで恐らく文化的背景があるのでしょう。具体的には低音〜中音にかけて抑えられており、その分だけ ふくよかさが無くなり、それに影響されて高 い方の出方が平板です。より鮮烈に、純粋な音にしたかったのでしょうけど、雰囲気があってやわらかい中から芯を 感じさせるように艶が出る、という本来の気 持ち良いバラ ンスを失っているように思います。周波数の帯域は下と上が相互に影響を及ぼし合うものなのです。同じ聞こえ方に 調整された再生環境では、ストリーミングの オリジナル盤圧縮音源の方がリマスター CD より良く聞こえる(情報量という意味ではなく、あくまでもバランスの上で)という逆転現象が起きてしまいます。 個人的にはこれならあきらめて下記の新盤を 聞くかな、ぐらいの程度であり、残念でした。もちろん、ちょっとした手違いなのかもしれなし、こういう音が良い 人もいると思います。海外 の販売サイトに寄せたコメントでも、このリマスター盤を喜んでいるリスナーが存在するようです。付け加えると、 タ ワー・レコード盤はソナタのみの全集であるため他の小品がなく、幻想曲 K. 475 などは聞けません。

 新盤(写真下)の方は DENON からの発売で、こちらは日本の会社のデジタル録音ながら優秀です。会場は南ドイツの有名な音の良いホールでとら れているようで、技師もドイツの人たちに任 せいてバランスが良く、日本のレーベルだからハイ上がりの直接音ばかりというものではありません。フィリップス のオリジナル録音に引けを取らないでしょう。高域のエッジはきつくないけど、デジタルらしい馬力もあり、より はっきりした音です。1986〜91年の収録です。安く手に入りやすいです。

 演奏(新盤)は上述の通りで、より表現のダイナミック・レンジが大きく、思い切りが良くなっています。逆に弱 音での細 かなニュアンスが真っ直ぐになった面もあります。傷つきやすい悩める青年期を脱したのでしょう。といっても品の 良さ、端正な運びは基本変わりません。好みの点から比較の意味で♡は一つにしてますが、そこまでは違わないかも しれません。



   krausmozartsonatas
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Lili Kraus (pf) ♥♥

モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
リリー・クラウス(ピアノ)
♥♥ 
 女性モーツァルト・ピアニストの御三家と見られていた上述三人は、年齢で言えば実はちょっと離れていました。 そのうちの真ん中に当たるリリー・クラウスはクララ・ハスキルより八歳下、イングリット・ヘブラーよりは二十六 歳も年上ということになる1903年生まれで、86年に亡くなっています。現在のハンガリーはブダペスト生まれ で、当時はハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国の時代だったので、ヘブラーと同じくオーストリアの人 と言ってもいいかもしれません。早熟な天才少女でした。一時期日本軍に軟禁されていたということが言われるので すが、ヘブラーとは違ってピアノを聞く限りではちょっとお転婆というか、自由なところがあります。創意ある茶 目っ気と天衣無縫さが共存しており、楽しんでいるような波長が大変良いです。ですからトルコ行進曲(第11番) などは誰より軽やかで、自由自在にして表情豊か。嬉々としたモーツァルトの遊び心を感じさせます。そうだ、モー ツァルトって元々こうだよな、と思えて来ます。

 具体的にはどうやっているのでしょうか。跳ねるような軽快さと、瞬間的に軽く力を抜いて弱めるような動き、
反対にかつん、とかなり強いタッチで叩く音がある上、切 り返しで来る速いパッセージなどが聞かれます。音の間を区切ってややスタッカート気味に表現するところもありま す。最後の楽章の快活な行進は同曲のベストかなと思わせます。ワルター・クリーンやヘブラーのように楽譜に忠実 な純化の方向とは違った純粋さ、気ままな自然体の良さがあるのです。そしてその点に関してはこのモーツァルトの ソナタ集全体についても同じことが言えます。独特の明るさが感じられ、くっきりとコントラストが付いた演奏だと 総括できるでしょう。リズム感が良いのは天性であり、緩徐楽章でも湿り気を帯びず、生きた呼吸があります。とは 言っても十分に細やかで繊細です。有名な短調の8(新9)番の第二楽章(そこは長調だけど)など、煌めきがあって大変き れいです。 

 ただ、晩年の作品の静けさはあまり強調されないかもしれません。協奏曲の27番は褒めたけど、ソナタに関して はちょっとそんな印象があります。というのも最後の18(旧17)番 K. 576 など、出だしでは不均等にリズムが跳ね、遊んでいるような感じが強いです。そこはまあ、そんな感じの楽章ではあ ります。でも第二楽章もことさら小声で静か にやるという感じにはなりません。ヘブラーでは静けさが心を打つのですが、この辺は難しいところです。こちらの 方がしんみりし過ぎないのはむしろ良いかもしれないし、軽やかに跳ねるのは本来の姿のような気もします。モー ツァルトの叙情って本当のところ、どうやるのが正解でしょう。

 録音ですが、実はここで取り上げた盤の前にもハイドン・ソサエティ原盤でディスコフィル・フランセ/EMI の1954年のものがありました。そちらの方が跳ね弾む軽快さは少なく、比べれば静かでおとなしい感じが強いか もしれません。基本的な性質は変わらないけれども、格調が高いと言う人もいることでしょう。音も悪くはないです が、モノラルなので好きな方向きです。

 一方でこちらの新盤(写真)の方は1967〜68年(クラウス六十四歳〜六十五歳時)でレーベルはコロンビア /ソニーです。録音バランスのせいもあるだろうけど、ヘブラーよりタッチが少し強めなのか、輪郭が立って音離れ が良い感じです。一音が独立してころころとした心地良いピアノの音です。メタリックではないけど明るくくっきり としています。全集ではありながら、第15(旧18)番 K. 533/494 のみありません。厳密な意味ではソナタの形式から外れるということでしょうか。第二楽章の瞑想的で枯れた味わい が良いのですが、ちょっと残念です。



   pires1mozartsonatas
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Maria João Pires (pf) ’74 ♥♥


モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)74年
♥♥ 


   pires2mozartsonatas
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Maria João Pires (pf) ’89-90


モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)89〜90年
 

 ハスキル、クラウス、ヘブラーの後でモーツァルト弾きとして人気を得た女性ピアニストは、1944年リスボン 生 まれのピリスです。日本語表記がまちまちで問題にする人もいるようですが、生まれのポルトガルであれ在住のブラ ジルであれ、あるいは英語であれ、ピリス、ピレス、ピリシュ、ピレシュなどと様々に聞こえ、ジョアン、ジョアオ も一緒であり、そもそも正しい表記などというものが難しいようです。このピリスのモーツァルト、端正な演奏をす るという意味で比べられるのはヘブラーです。日本では最初 DENON から出たせいもあり、二分する人気です。因みに端正の内容ですが、とりあえずクラウスのように自由奔放な種類で はない、という意味です。

 その DENON(これも以前はデンオンだったものが、現在はデノンと読ませます)からの最初の全集が1974年(写 真上)、二度目の全集がドイツ・グラモフォ ンから89〜90年の録音(写真下)で出ています。

 ヘブラーと比べられ、人気を二分しているという話の続きですが、でも愛聴者の褒め言葉を聞いていると、両者が どう違うのかがよく分かりません。どちらも大仰な感情移入はなく、やさしい弾き方のように聞こえるからです。例 えば「トルコ行進曲付き」の11番の最初の楽章など、ピリスはヘブラーと比べても同等以上にやさしいのです。女 性 的な繊細さという意味ではどちらかがより一層そうだということはありません。ただ、ピリスの場合、やわらかく静 かに歌って行きながら、途中から続けて何音かのフレーズを強く浮かび上がらせるように弾くところが出て来ます。 この、ある程度強い音を連ねて行く部分がヘブラーやクリーン、あるいはツァハリアスなどとは違うところではない かと思います。冒頭のアンダンテ・グラツィオーソの部分だけではないのです。ソナタ全集の全体を通してそのこと は言えるようです。つまり、均等な速度で、粒の揃ったタッチでくっきりときれいに音を連ねて行くところに、この 人のモーツァルトの魅力があるのではないでしょうか。クリスピーでさらっとしているとも言えます。それが12番 第三楽章のアレグロ・アッサイなどのように 快活なパッセージでは、ボリュームを上げていたりするとかなり強く感 じます。同じ部分をヘブラーで聞くと、もっとゆったりで強くはなく、途中で呼吸が入ります。ピリスは一気呵成に 弾き切るので、それが続けば玉を連ねたような美しさも畳み掛ける押しのようになり、人によってはちょっとやかま しく感じるかもしれません。録音の加減もあるでしょう。反対に軽快で楽しいととる場合もあるでしょうけれども。

 それでは新旧の録音の違いはどうかという話ですが、この二つ、表現の上ではヘブラーの二度の全集とちょうど同 じような関係になっています。つまり、後の録音の方が抑揚が大胆になっているのです。でもその傾向はヘブラーの 変化より大きいでしょうか。それとも、ピリスの方がその演奏マナーによって新盤でよりきつめに感じるだけであっ て、新旧の変化幅自体は似たようなものかもしれません。ただ、そのように感情表現がより大胆になっている新盤に おいても、ロマン ティックな起伏を付けて演奏をする他のピアニストたちの間にあっては端正な部類に入るでしょう。

 旧全集の方は、青年期独特のアンニュイさ、傷つきやすさのようなものが弱音に表れている気がします。ちょっと たどたどしくもある弱い部分を感じるのです。具体的にはふわっと弱め陰るところや、ぽつぽつと音を途切らせる仕 方などです。一方新盤は、そんな繊細さに満ちていたフレーズに来ると、もっとこだわらずにさらっと直線的に流し ます。反対に起伏のあるところでは、より大きな感情表現を加えます。そんな部分では全体にやや速い傾向もあるで しょうか。多少前のめりの拍も聞かれるものの、基本は真面目に崩さないので余計にはっきりとした存在感がありま す。健康な人の元気さというのか、何気なさと強さが出るのです。以前は粒の揃った端正なスタッカートだったもの も、新盤ではよりダイナミックに一気に行きます。基本は丁寧な人で、どちらが良いとも言えませんが、好みを言え ということならば旧盤でした。

 ピリス三十歳時の旧全集は DENON の録音で、日本で収録されたものながら、きらきらし過ぎるということはありません。ヨーロッパの音場型のバラン スではなくてやや近く、直接音がはっきりし てはいますが、コーンという響きと輝き過ぎない艶が強い音に乗って、独特のきれいさです。音の連なりが、ガラス の 透明さに少しだけ紗をかけたようで良いのです。逆に言えば装置によっては若干きつくなりもするでしょう。アナロ グの時代ではあっても DENON の PCM で、デジタルでした。74年の録音が元のレーベルからリリースされた後、CD は何度か再販され、一時期はブリリアントからも出ていました(2005/2011年)。
 
 四十五歳から四十六歳にかけて収録されたドイツ・グラモフォンの新全集の方は、DENON よりはやや奥まって低音寄りになっており、中低音がやわらかくもありますが、硬質なタッチの部分はやはり出てい ます。旧はスタインウェイの PCM 録音でしたが、こちらはヤマハでしょうか。



   gouldmozartsonatas
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Glenn Gould (pf)


モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
グレン・グールド(ピアノ)

 お待ちかねのグールドです。でもこれはグールド・ファンにお任せした方がいいでしょう。このピアニストで一番 好きなのはウィリアム・バードとギボンズの 作品集で、あれはリズム感も抑揚も見事で繰り返し聞いて来ました。そ れと有名なゴールドベルク変奏曲も、最初に有名になった方ではない新盤は結構好きです。ただ速いだけでなく、こ の人独特の孤独感のようなものがそこはかとなく漂って来て、そういう波長に染まりたいわけではないにしても心を 打つ部分があります。ブラームスの間奏曲も悪くないです。でもそれ以外ではあまり褒めてないわけで、適任ではな いのです。

 面白いのは、この人はモーツァルトについて随分衆目を集めるようなもの言いをしていることです。「死ぬのが遅 過ぎた作曲家だから、初期の作品の方がいい。モーツァルトは嫌いだ」といったような内容です。人が何かを毛嫌い するのは、大抵は同じ要素を自分の中に持っている場合です。グールドは作品の中に表れるロマンティックな感受性 を避けているかのように見えますが、本人はどうなのでしょう。「芝居がかったものが嫌い」と言い、逆に本人が芝 居がかっているとも評されます。「普通にやったのではつまらないから、異常なほど遅くしてじらして、ゆったりの ところを速くやったりしている」という趣旨の発言もしています。叙情的にきれいにやるのは俗物だと言わんばかり です。それは「変わったこと」をやろうと、意識的に考えている姿勢だとも言えます。

 そういうのは突き詰めれば自我の発する言葉です。自分という概念を思考で独立させ、他者との差異を求めるのが 自我本来の性質だからです。反抗期の少年を見ればよく分かりますが、大人になってもそれを隠すのに長けて来るだ けで、よほど成長しない限りは、ほとんどの人がより洗練された形でそうした心を持ち続けるものです。注意を集め たい。思考によって「こうしてやろう」と思う。でもそれと実際の演奏とは別の面もあるでしょう。いざ弾くとなる と、頭の通りではない即興的な要素が出て来るもので、芸術にはそうした側面が不可欠です。ただ、思考が入り込ん で来る度合いはまちまちであり、予めテンポや弾き方を決めてかかる場合などは思考の部分が大きいわけです。グー ルドは高い感性を持っていると思いますが、高校生のようなもの言いもしました。「あれほど才能があるのだから普 通にやればよかったのに」と言った人もいたようだけど、そうしてたら有名にはならなかったかもしれません。とい うか、出来事にはそもそも仮定法は成り立たないのであって、そういう個性として尊重するべきでしょう。

 どう変わっているか、それは他の演奏でもご存知の通り、指示を無視して大変速く弾く部分と、逆に大変遅く弾く 部分のどちらかになっているということです。速い部分では、トリルや装飾の入れ方がバロック音楽を思わせると ころがあります。古典派であることを拒絶しているのでしょう。遅いところでは引っ掛かるみたいにやったりもしま す。でも、後で別に触れるつもりですが、彼の「トルコ行進曲」、案外自分は好きです。かなり好きと言ってもいい ぐらい。妙に遅かったり区切ったりするのだけど、何とも言えない味わいがあるし、ジャズ・ピアニストがやってみ せるみたいに乗れます。天才的ひらめきだとまでは言わないし、理屈で説明する気にもなりませんが、納得させられ る面白さがあるのです。

 コロンビア原盤のソニーで、1964〜74年の録音です。コンディションにばらつきはありますが、トルコ行進 曲などは大変良いです。是非聞いてみてください。



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     Mozart   Complete Piano Sonatas
     András Schiff (pf) ♥♥


モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
アンドリャーシュ・シフ(ピアノ)
♥♥
 シフは定評のあるバッハはもちろん良かったです。グールドで有名なゴールドベルク変奏曲も、シフのを最も好ん で聞いています。ベートーヴェンの後期のソナタでも孤高の世界を見せてくれ、これ以上は望みようがないという演 奏でした。そしてあまり言われないけれど、モーツァルトのソナタもやはり素晴らしいのです。ヘブラーやクリー ン、ピリスなどとは違い、なぜあまり言われないのか謎です(実は評価されてるのだろうか。それなら時々入手困難 になるのはなぜだろう)。オーストリアの人ではないからでしょうか。といっても1953年ハンガリー生まれで、 ハンガリーは昔ならオーストリアのハプスプルク家と一体でした。それに人気のピリスもウィーンの人ではありませ ん。

 モーツァルト弾きとされる人たちの演奏を要約したとして、ゆったりでやさしく繊細な抑揚があり、少し内向きな 感じのするヘブラー(旧)、さらっとして純水のようなクリーン、端正できれいに揃った真珠を連ねるピリス (旧)、好奇心に満ちた遊び心が自由自在なクラウス(新)、とすれば、シフの芸術はどう言えるでしょうか。「洗 練された唯一無二の揺れの呼吸」とでもしておきましょう。そうなのです。シフには誰にも真似のできない内部自発 的な絶妙の揺れの感覚があるのです。テンポ、強弱共にですが、例えばフランソワのように大きなものではありませ ん。分からない人にとっては恐らく、楽譜通りの優等生の演奏とあまり違わないように聞こえるかもしれない、大変 洗練された種類です。こういう独自の揺らぎを聞かせる人は他の楽器でもいるけれど、滅多に見られない一流という か、優れた感覚の持ち主であり、恐らく学んで身につけられるものではないと思います。「リズム感覚」と呼ぶ人も いるけど、それだと何だか跳ねてるようにも聞こえます。

 このモーツァルトのソナタ全集は、少し速めのテンポで流れ、軽やかで自在です。基本はさりげなく、何気ないの です。シフは若いときは、曲によっては多少ロマンティックな一面も聞かせていました。それが時間とともに熟成さ れ、感傷の靄が晴れて純粋になると同時に、独自の呼吸がより見事になって来ました。ゴールドベルク変奏曲は 2001年、ベートーヴェンの後期ソナタは2007年の録音でした。このモーツァルトはまだ若い頃の1980 年、二十七歳時なので、ロマンティックなショパン(協奏曲第2番)よりも前です。でも感傷的ではありません。古 典派として余分な感情表現は抑えていて力が抜け、後の演奏でも聞かれる繊細に揺れ動く呼吸があるのです。それは 元から持ってた感覚だということがよく分かります。モーツァルトのピアノ・ソナタ全集として、間違いなくベスト の一つだと思います。
    
 80年のデッカの録音です。この頃はベーゼンドルファーでした(後年はファブリーニ)。明るくメタリックにな らないぴんと張ったきれいな高音が聞ける、大変良い録音です。幻想曲 K. 475 も入っています。時々廃盤になってるようで、高くなったり、限定で出たりみたいだけど、今はどうでしょうか。 
 


   zachariasmozartsonatas   zachariasmozartsonatas6
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Christian Zaharias (pf) ♥♥

モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
クリスティアン・ツァハリアス(ピアノ)
♥♥
 クリーン、ヘブラー、ピリス、シフ、と来て、モーツァルト第五の選択肢、そしてひょっとしたらこれが一番、か もしれません。クリスティアン・ツァハリアスは1950年生まれのドイツのピアニストです。ショパンの協奏曲第1番のページでベスト・パフォーマンスの一つとして取り上げましたが、そこでも触れた通り、世間ではあまり知ら れてない方だと思います。コンペティションを勝ち抜いて来た人ではなく、出しているレーベルも大手ではありません。最近までウェブの百科事典の日本語版にもちゃんとした紹介文はなかったと思います(ショパンのときに調べま した)。でも隅々までニュアンス豊かな、個性 的なピアニストです。個性的というのはグールドのように変わったことをするという意味ではなく、表現がここまで 良く出来ていて納得させられる人も少ないということです。三十四歳のときの演奏です。

 前述の寸評に倣ってこのツァハリアスのモーツァルトを表現するなら、「細部まで趣向の凝らされた、軽くやわら かいモーツァルト」でしょうか。それら代表的なモーツァルト弾きたちに比べると、最も表情が豊かです。でも古典 派の枠内であって、感情過多のロマンティックなものではありません。がつんと大仰に力で押すのではなく、そっと 繊細で軽やかな方に豊かなのです。ヘブラーで物足りなくて、ピリスでは直球で来られるように感じる方には最高か もしれません。あまり完璧にコントロールされた表情がついているので、全体を見通す目があって予めの設計図を 持ってるのかもしれない、とショパンのところでは表現してみました。矛盾するようだけど、一部の隙もなくリラッ クスした自然な運びです。

 トルコ行進曲付きの K. 331 では出だしから穏やかな展開の中にニュアンスを込めます。端正でさらっとしてるというよりは、より意欲的に変化 を付け、濃いめの表情があります。遊び心の 装飾音を使うところは全曲に渡ってこの人の特徴です。楽譜通りじゃないと嫌がる人もいるのかもしれないけど、 モーツァルトの時代はこうした即興はやっていたでしょう。ある意味最もモーツァルトらしいと言えるかもしれませ ん。瞬間的なスタッカートへの切り替えや、同じく瞬間的にテンポを緩めるような工夫が聞かれます。軽さと遊びが あるので、あくまで自然で押し付けがましくありません。

 静かなところでは、ヘブラーとも比べられるようなデリケートな弱音のバラエティーがあります。表現の階調が多 いのです。シフのテンポの揺れと比べると、さらに意表をつくような多彩な強弱の表情、短いスパンでのスピードコ ントロールの面白さがあり、巧者です。静かに潜るようなところがあってもペライアのようにしんみりともしませ ん。常に力が抜けていて高貴。ひょっとすると魂が貴族生まれなのでしょうか。

 トルコ行進曲の最後の楽章ですが、力の抜けた行進で表情を様々に変えます。これもやり過ぎと聞こえるかもしれ ないけど、そうならないやわらかさがあります。軽々と最大の表情を盛り込んでいて、細部まで完璧に作り込まれて います。これは独り言というか、一人で満ち足りて遊んでいる図でしょう。そして最後にシンバルが出て来ます。面 白い発想で、トルコの軍隊だぞと分からせくれます。しかしこういう遊びを許さない人もいるようです。楽しいんだ けれども。何回か繰り返すフレーズの最後の方だけですよ、そこまでは普通に行くのです。おまけなんだから、パ フォーマンス全体の質を吟味してあげないことには。好きずきだけれども。ラストは大胆に音を延ばします。

 短調で人気の8
(新9)番は母の死による悲しみの曲ということで、透明感を出そ うとある程度強めのタッチで行く人が多 い中にあって、やはり遊びと余裕を聞かせます。第二楽章でもゆとりのある贅沢な時間を味わう感覚であり、悲しみ の合間に訪れたわずかな青空、といった感じではありません。装飾のトリルも加わり、くつろげます。本来はこうい う曲かもしれません。

 晩年の静寂はどうでしょうか。フレーズを部分的に緩め延ばしたりして波を作るような表現意欲に満ちていますの で、真っ直ぐ流れて行く澄んだ空気感というのとは多少違う方向かもしれません。感じ方はそれぞれでしょう。K. 570 の第二楽章では力を抜いてスタッカートを混ぜたり、一音弱くドロップさせたりの工夫があります。K. 533 の緩徐楽章では、消え入るようなほんの小声の場面もあります。達観とは違うけど繊細で悪くありません。
 最後の K. 576 も静かです。デリカシーに欠けるとつまらなくも聞こえるところです。しかしここでも、やり過ぎとの境界線で意欲 たっぷりに表現の可能性を追求していて、大 変ニュアンスに富んでいます。モーツァルトが遊んでいるのだと理解すればこれも晩年の境地と言えるでしょう。 

 EMI 1984〜85年の録音です。このレーベルは70年代には一部で強い音が多少雑なものもありましたが、ここでは ヘブラーの芯がありながらまろやかな音と も、ピリスのベールを被った硬質さとも艶の出方が違うながら、この人の演奏に相応しいやわらかさを捉えた好 録音となっています。



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     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Alicia de Larrocha (pf)

モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
アリシア・デ・ラローチャ(ピアノ)

 1923年バルセロナ生まれで2009年に亡くなったデ・ラローチャはカタランということで、同地出身にはカ ザルスやサヴァー ルのように結構表現の濃い演奏者がいたりもするものの、この人に関しては、きっぱりとはしていても特別歌い回し が 粘るということはありません。夜のスペイン料理店に行けば、ダリの人形の後ろでどこかラテンな感じがする日本人 女性 客の笑い声がこだましてたりするかもしれませんが、このピアニストに対してよく言われるスペインらし い性質というのは何だかははっきりとは分かりません。協奏曲 の27番などを聞いてもモーツァルトは絶品で、音色も、余計な感傷に陥らない抑揚も共にくっきりと透明でありな がら、繊細なニュアンスに満ちています。この唯一のソナタ全集は六十六〜六十八歳のときの録音です。その協奏曲 の十二 年ほど後となります。

 ホロヴィッツのショパンのページで触れた議論なのですが、弱音がホールの後ろまで届くタッチというものがあるとすると、それは全体にレンジが強い方へ平行にシフトした弾き方であり、ピアニシモであっても、弱く弾いているかに見えて相対的には若干強めになっている以外に考えられないと述べました。これは物理学の話であり、それとラ ローチャの粒の揃った照りの強い音は同じものだとは断定できず、いったいどう弾いているのだろう、と言葉を濁し たままでした。でもよく耳を澄ますとラローチャのこのクリアなタッチも、やはりツァハリアスのような最弱音は使 わない種類であるように聞こえます。全体に少し強めではないでしょうか。音の一つひとつが独立していて粒立ちが 良く、くっきりと輝いて大変きれいなのです。これはモーツァルトにとってはありがたいことです。本来ならフォル テピアノを強く叩いたピンとした音が相応しいのかもしれないけど、モダン・ピアノを使った場合、こうした強めの 音色こそ、弱音を駆使するロマン派の曲の表現よりも覚醒していて合っています。かといって、ラローチャの場合、 ピリスのように均等に強めて押すように音を連ねる感覚とも違うところが面白いです。

 トルコ行進曲付きでは、一音をためで区切って強く打つ箇所というか、アクセントを効かせた弾き方があります。 速まる部分では活気が出て、わずかに走り気味に前へ出る拍もあります。でも全体には、心理的な意味ではさらっと 流しているような感じがします。気弱でも勝手気ままでもなく、多少思い切りが良く、跳ねるような遊び心も出ま す。はめは外さないけれども表情豊かで、湿り気がないのです。減速して弱めるところがあってもあまり速度を緩め 過ぎず、古典派のマナーは崩しません。装飾音符はツァハリアスのようには出しませんが、稀に聞かれる箇所もあり ます。

 最後の行進の部分は、小気味良い強めのトリルで粒を揃えてきっぱりと行きます。クリスピーで艶のある音と躍動 感がいいです。この曲に限らず、最初の短調の8
(新9)番など、かなりパキパキと元気なところも聞かれます。ADHD だったとも言われるモーツァルトは行動面においては活発で、外向的な一面もあったかに思えますから、案外こうい うのこそモーツァルトらしいとも言えると思 います。協奏曲の頃の録音よりさらに思い切りが良いでしょうか。

 きりっとした部分ばかり強調しましたが、特に音色においてそれは言えるわけで、表現としては繊細な歌がありま す。素直ながらデリケートな抑揚に満ちているところが基本にあってこそ、音色の話ができるわけです。弱音部のあ り 方も美しいです。晩年の作品においても、最も滑らかで静かというのとは違いますが、陰にこもらないデリケートさ と輝きのある緩徐楽章の表現は素晴らしいです。このラローチャこそがモーツァルトのソナタ全集で一番だと感じる 方もたくさんいらっしゃることと思います。   

 RCA/ソニーの1989年〜91年の録音です。このピアニストの粒の揃った艶のある音を十分に捉えている優 秀な録音です。



   mccawleymozartsonatas
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Leon McCawley (fortepiano) ♥♥


モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
レオン・マッコーリー(ピアノ)
♥♥
 もう少し新しいところでレオン・マッコーリー盤です。この人は1973年生まれのイギリス人。インディペンデ ント・レーベルから出ていてあまり取り上げられていませんし、日本語検索では探し難いかもしれませんが、CD も手に入ります。

 イギリス的中庸と控えめの演奏かと言うと、そういう部分も確かにあってやり過ぎない良識はあるのです が、むしろどこかフランス的な粋な崩しにも近いような動きが聞かれ、デリケートで自由なモーツァルトです。単に 楽譜通りに真っ直ぐは弾かず、ツァ ハリアスなどよりもさらに新しい世代の音と言えるのかもしれません。やわらかく繊細な印象のパフォーマンスで す。ゆったりした楽章ではひときわ静けさも感じられます。

 具体的には、ルバートというか伸び縮みというか、特定のフレーズで間をとって遅らせるような弾き方がありま す。少しためて余裕を持たせるというのでしょうか。軽く一音だけためることもあります。そして丁寧な弱音のグラ デーションがあります。クリーンにも聞かれましたが、軽快に非常に速く駈けるところもあります。この人独特の呼 吸があって、控えめだけどリズム感もいいです。

 最初の短調の8
(新9)番、K. 310 の第一楽章は十分に粒立ちのある透明な音ながら、悲しみと怒りをぶつけるようには持って行かず、もっと繊細な呼 吸が聞こえます。緩徐楽章でのかすかな揺れ も、音の途切らせ方もありきたりではなく、かといって奇異にはならない穏やかさに満ちています。トルコ行進曲付 き も軽さと工夫があっていいです。音の流れに余裕を感じさせる抑揚を施して行くところが魅力でしょう。晩年の楽曲 の緩やかな楽章でも、理知の部分、工夫の表現はあるのですが、自然でさらっとしています。十分に静寂です。

 2005〜06年の録音で、2002年発足のイギリスの独立系レーベル、アヴィー・レコーズ(Avie Records)です。シックながら軽やかで適度にくっきりとし、魅力的なピアノの音です。強い打鍵でも力まな いのがよく分かります。


フォルテピアノによる全集
 ヒストリカリー・インフォームド・パフォーマンス(HIP)もしくはオーセンティック・パフォーマンスとも呼 ばれる古楽の運動が60年代以降、主に7、80年代に盛んになって以来、モーツァルトのピアノ作品もフォルテピ アノによる演奏が色々と出て来ました。触れるまでもないことだとは思いますが、この運動は当時の楽器を使うとい うことと、当時の演奏マナーを再現しようとすることの二つの側面から成っています。前者については、最初イェル ク・デムスあたりが出て来たときには皆その音にある種の拒絶反応を示した、ところも正直あったかと思います。余 りにも現代のピアノの音と違ったからです。音が小さいのは録音によって誤魔化される場合があるにせよ、軽くて艶 と輪郭に乏しく、あまり豊かに反響しないように聞こえたでしょう。しかし慣れるにつれて徐々に抵抗感も収まり、 その繊細な響きには美点もあることに人々は気づき出しました。最近は日本においてもこの楽器でリサイタルを開く というのが一種の流行りのようにすらなっているようです。

 問題は演奏マナーの方かもしれません。音が聞けないので当時の演奏法は文献に頼ることになるわけですが、モー ツァルト以前の バロック時代からの様式がまだ色濃く残っていたと想像するにしても、その教本的なものも国や著者によって違いま す。当時のコンサートの聴衆が語った演奏法についても、表現者によってまちまちのようです。それでも、古典派 モーツァルトの弾き方として現在行われている独特の流儀が定着したかに見えます。それは強弱が出せなかったチェ ンバロ時代の名残りの感情表現と言うこともできますし、モダン・ピアノとは違った楽器構造、浅く軽い鍵盤や各種 機構の違いから要求される弾き方だとも言えるでしょうが、概ね以下のようなものです:  不均等なリズム(イネガル)や繰り返し強調されるアクセント、スタッカートに近い切り方、拍の前に間を置いた り、しっかりためた後にそれを取り返すように 走るような動き、素早く前にのめるように駈けて行く仕草、などです。テンポもどちらかというと速くなる傾向で、 特にゆったりの楽章では顕著です。そうした現代の古楽の解釈がしっかりと施されて行くと、全体に落ち着きがな く、多くの人にとってはどこか楽曲自体が捩れているようにも感じられるのではないでしょうか。アクセントが強い 分だけ、演奏者自身の個性や感情の表現も引き算されて乏しくなります。ただ、元々が固定的な解釈がないものだけ に、ピアニストごとに強調されるものは異なり、ある者はアクセントに、別の者はテンポの揺れにより特化していた りという状況ではあります。

 しかし他の楽器やオーケストラなどにおける慣行を見ると、こうしたいわゆるピリオド奏法的な癖は時代とともに 軽減し、特に若い世代になると素直になり、自身の感覚に委ねる傾向になって来ているようにも見えます。ですか ら、今後はキーボードにおいてもその流れが来るのかもしれません。ここでは全くの個人的な好みの問題から、そう した癖が比較的少ない三人の演奏をジャケット写真付きでご紹介するにとどめ、それ以外の人たちのパフォーマンス については最初に簡単に触れるだけにします。

 まず、全集を録音年代別に記すと、リュビモフ、ハッキラ、ブラウティハム、ファン・オールト、スホーンデル ヴィルト、ベザイデンホウトなどがいます。それらに加えて全曲はやっていない人としてシュタイアー、レヴィン、 ヴォデニチャロフなども聞きました。

 順番に、まずアレクセイ・リュビモフですが、これは後で写真付きで取り上げます。

 次にトゥイヤ・ハッキラ(Tuija Hakkila)盤 です。エラート1990〜92年の録音です。1959年生まれのフィンランドの女性ピアニストです。フィンラン ドは女性の社会参加が進んでいて首相も若い 女性だし、という話ではなく、女性という ことに関係があるかないかはともかくこのハッキラ、フォルテピアノとしては案外強い癖の ない弾き方なのでジャケット写真付きで取り上げるべきだったかもしれません。音の間を多少切るところと遅らせる 拍があり、ためておいて何音か強く強調するような弾き方も聞かれます。少し前へ出る拍とフレーズもないではない ですが、あまりせわしない感じにはならない方です。装飾音符は多くはなく、適切に施します。強弱がしっかりと あっ て、聞きやすいです。スローな楽章を速くする傾向はありませんが、晩年の曲などではスタッカートも出し、やや癖 があるようで、死が近づいてさらっと透明になった、というのとはまた別の味わいです。

 ブラウティハム盤も後で取り上げます。

 バルト・ファン・オールト盤はブリリアントから 出ていて、1997年〜2005年の録音です。ハッキラと同い 年の1959年生まれのオランダのピアニストです。トルコ行進曲付きの出だしなどで音の間を切るような弾き方が 聞かれ、行進の部分などでは前に詰めて走る傾向があります。8
(新9)番の出だしなどでは弾むようなリズム感が感じられ ます。緩徐楽章はゆったりしている方で、特に小節の変わり目などで、次の音への間を長く延ばして遅らせつつ進め る感じがより遅いテンポに感じさせます。晩年の作品では素直な面もある一方、そうした間の処理と凝った表情のつ け方がモダンとは違って独特の味わいとなっています。

 アルテュール・スホーンデルヴィルト盤はアクセ ント(レーベル)からで、録音は2005〜09年と他と比べて 後発の全集です。1966年生まれで、この人もファン・オールトと並んで古楽が盛んなオランダの人です。レクイ エムの指揮もしていて、そこでは1800年当時の演奏を模索するという趣向でした。時代の再現に関心があるよう です。
 面白いのは楽器を使い分けている点で、フォルテピアノ以外にもクラヴィコード(12、13番、K. 545、K. 576)やタンジェント・ピアノ(最初の6曲)が聞けます。タンジェントというのは聞き慣れない名前ですが、 チェンバロとフォルテピアノの中間のようなも ので、木もしくは金属片が弦を叩き、音も両者の中間のように硬くてくっきりと響きます。タンジェントという機構 はクラヴィコードと同じであるものの、クラヴィコードは三角に尖った楔が弦を打ち、そのまま戻らないのに対し て、タンジェント・ピアノは弦から離れます。外形もクラヴィコードのように横長ではなく、チェンバロやフォルテ ピアノと同じです。それ以外の曲はフォルテピアノですが、7番から11番(トルコ行進曲付き)に関してはハン マーに革が貼られてない白木のままのもので、音としてはタンジェント・ピアノにそっくりです。
 演奏マナーに関しては古楽奏法的な手段は取り揃えており、スタッカートもルバート様の揺れも装飾もあり、速い パートで走るところも聞かれるものです。落ち着きがないほど癖が強いものではありません。

 そして最後にクリスティアン・ベザイデンホウト盤を取り上げます。



   lubimovmozartsonatas
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Alexei Lubimov (fortepiano)

モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
アレクセイ・リュビモフ(フォルテピアノ)

 ベザイデンホウトも独自の抑揚ながら古楽古楽してない方ですが、このリュビモフも、後でご紹介するブラウティ ハムの全集の次ぐらいに、ピリオド奏法のアクセントがあまり強くない演奏です。1944年モスクワ生まれのピア ニストで、現代音楽でソ連政権の批判を浴びた後、古楽 に転じた人のようです。1982年にメロディアからハ短調の14番と幻想曲のレコードを出していたみたいです が、 この全集の CD は旧体制が崩壊する頃にエラートから出たもので、録音は1990〜92年です。

 呼吸があってせかせかしない演奏で、拍を前倒しにして駈けるようなところは聞かれません。遅れた分を取り戻す ぐらいでしょう。ピリオド奏法の特徴がないわけではなく、音の間が均等でないところはあるし、所々で間もとりま す。比較的くっきりとしたアクセントをフレーズの頭に施すやり方も聞かれます。したがって晩年の静かな曲におい ては、素直ながらハッキラ盤と同様にやや癖は感じます。比べればハッキラよりはいくらか真っ直ぐかもしれませ ん。ハッキラの方が続けて強く叩くところがあるでしょうか。緩徐楽章での扱いは全体にゆったりめのテンポで、 ハッキラより幾分遅い傾向があるようです。反対に装飾は多いです。スローなところでも多少強めのアクセントはあ り、極端ではないですがやはり間をとりながら進む流れです。スタッカートも上手に混ぜます。
    
 フォルテピアノの音は魅力的です。1795年ウィーンのアントン・ワルター製フォルテピアノの複製を使ってい ます。モーツァルトの死後の作ながらモーツァルト自身も評価していた製作者です。反響が少なくデッドな方である ため、装置によっては輪郭がよく出るかもしれません。



   brautigammozartsonatas
     Mozart   Complete Piano Sonatas
     Ronald Brautigam (fortepiano) ♥♥


モーツァルト / ピアノ・ソナタ全集
ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ)
♥♥
 モーツァルトのピアノ・ソナタ、どうもモダン楽器での演奏に行きがちですが、このブラウティハムだけはフォル テピアノの良さが十二分に引き出されており、ベスト・パフォーマンスではないかと思っています。ソナタ全集全体 で一番気に入ったものの一つ、という意味でです。モーツァルトの当時の音色で、学究的な姿勢に悩まされることな く美しい音の世界を探訪できます。初々しさも聞け、静寂な息遣いもあります。

 このピアニストもファン・オールト、スホーンデルヴィルトと並んでやはりオランダの人です。ロンドンでも学 び、ゼルキンに師事しました。1954年生まれということはファン・オールトより五つ年上、スホーンデルヴィル トより十二歳上という世代です。それとどう関係あるかないか分かりませんが、このブラウティハムのフォルテピア ノ、いわゆる古楽器奏法的な癖がほとんどないという珍しいものです。うねる強弱もリタルダンドもありますが、脈 動的なアクセントやスタッカートを混ぜたりする表現はほとんど聞かれず、前倒しに駈けるような忙しさも少なく、 多少は速く行くところがあるものの、落ち着きのないものではありません。強弱が出せる楽器としての表現は、モダ ン楽器によるそれまでの演奏に慣れた耳にも違和感がない種類で(モダンと全く同じではありません)、抑揚の部分 は様式表現ではなく、感情表現と呼べるでしょう。ロマン派で言う感情とは違いますが。

 しかし先にこの人のピアノ協奏曲の録音を聞いたことがあったりする方の場合、ピリオド奏法の癖がないと説明す ると違和感を覚えるかもしれません。協奏曲では他のフォルテピアノ奏者がするような HIP 独特のイントネーションが聞かれるからです。録音時期が違います。協奏曲の方は2006年〜15年、有名な20 番や27番は2012年の録音で五十八歳の とき。一方でこのソナタ全集は1996年なので四十二歳時であり、十六年の開きがあります。若いときは控えめで ロマンティック、壮年では表現が大胆になり、枯れると遅くて真っ直ぐになるというのが演奏家というよりは人の辿 る一般的な特徴でしょう。それとは別に古楽の演奏に関しては、運動の初期は誇張されたアクセントで、最近になる ほど馴染んで自然な抑揚になって来るという現象があるようです。ただしそれは新しい世代に変わると、という意味 であって、同一人物の変遷となるとまた話は別のようです。この人の個人的な演奏の変化に関しては、どう考えるに し ても想像の域を出ません。

 素直な弾き方です。速い楽章ではかなり速めのパッセージもあり、たまに拍をわずかに前倒しにしてさらっと行く 場 面もありますが、クリーンなど、モダンの人と変わらない域です。
トルコ行進曲付きの最初の部分などは穏やかで、速くはありませ ん。この軽快に駈けるところ と、一部ケレン味とまでは言えないけど、例えば同じ11番の第一楽章で、短調になる三番目の変奏などにおけるた めの表情がしっかりとつけてあるところなど、ひょっとするとピリオド奏法嫌いの人にはこれでも受け入れ難いのか もしれません。速度の変化はしっかりあり、遅くなるところではずいぶんゆったり行きもします。それでも全体には 素直に入り 込める心地良さです。行進の部分も端正で奇をてらうようなことはしません。

 そして晩年の作品ではこの人の美点が活きます。緩やかな楽章がすごく良いのです。まず、協奏曲のときのように 速くてさっぱりさせる傾向がないです。表現も深みがあり、フォルテピアノによるものでは最も真っ直ぐにモーツァ ルト最後の心境が響いて来るのではないかと感じています。お終いの K. 576 もいいし、平易だけど難しい K. 545 のアンダンテも絶品で、思わず聞き惚れます。CD は分売もしています。年代順に収めてあるので最後の Vol.6には K. 533 以降が集結しており、それだけを買うということもできます。巻によっては日本のサイトでは少し買い難いかもしれ ませんが、廃盤高値というわけではなく、手 に入ります(全集は再販されてて普通に買えます)。

 使用楽器はアムステルダムの古楽器職人で大変有名なポール・マクナルティが1992年に復元製作したもので、 1795年製のガブリエル・アントン・ワルターの楽器のレプリカです。リュビモフ盤も同じ1795年製アント ン・ワルターを元に作ったものですから同じように思えますが、音は多少違います。録音のせいもあるでしょうか。 こちらはレンナ(スウェーデン)の教会での収録で、残響があって自然です。音像は少しリュビモフより距離があり ます。どちらの高域がくっきりに聞こえるかは再生装置によって印象が違うでしょうが、これは大変優秀な録音で す。フォルテピアノの音を貧弱とは決して感じさせず、美点が強調されています。レーベルは BIS で1996年録音です。



   bezuidenhoutmozartsonatas
     Mozart   Complete Keyboard Music
     Kristian Bezuidenhout (pf) ♥♥


モーツァルト / 鍵盤楽器ソナタ全集
クリスティアン・ベザイデンホウト(フォルテピアノ)
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 もう一つ、これは比較的新しい録音ですが、ベザイデンホウト盤です。この人は生まれは南アフリカだけど、オー ストラリア国籍です。ハルモニア・ムンンディ(USA)が出して来ました。1979年生まれという、他より新し い世代です。マルコム・ビルソンに師事してフォルテピアノを学んだ古楽のキーボード奏者であり、チェンバロもや るようです。この全集のタイトルもキーボード音楽全集となっています。

 粋で魅力的な演奏です。最近の世代だからか、黎明期の古楽の癖のようなものは少なく感じ、基本的には素直な運 びです。ブラウティハムほど真っ直ぐではなく、フレーズ頭のアクセントはやや強めで、モダンの奏法と比べて大き い方ではないものの、テンポの伸縮もあります。面白いのはそれが無理のないアクセントであり、楽節によって は自然に伸びたり縮んだりの抑揚がしっかりと施されているにもかかわらず、その自然な揺れが心地良いことです。 つまり、例えば二音ずつ組に寄せるノート・イネガル奏法のように、古楽演奏の解釈として周期的に全体に施された 理論の響きではなく、ピアニスト自身の感覚的な表現として感じられる範囲の動きなのです。こういう部分が古い世 代の頑張りとは違うところのように思います。少し間を置いて、ためてから叩くような音はよく出します。分散和音 に崩したり、装飾を加えたりもします。でも取って付けた感がないので気になりませんでした。

 11番のトルコ軍の行進の部分はかなり思い切ってアクセントを施していますが、そこはそういう曲であるのでむ しろ適切だと思います。晩年の K. 576 の第二楽章もアクセントと揺れによって軽妙な感じが加わり、少し速い表現の部分もあって沈んだ瞑想的なタッチで はないですが、見方によってはこちらの方が モーツァルトらしいかもしれません。ほぼ同世代のレオン・マッコーリーがイギリス人なのにちょっとフランス的エ スプリを感じさせる崩し方だと言いましたが、むしろこちらの方がその傾向が強いと言えるかもしれません。モダン の弾き方でないとだめな方にはこれでも許容できないかもしれませんが、ブラウティハムと違う意味で同等と言って よいほど非常に良かったです。

 2009〜14年のハルモニア・ムンディ USA の録音です。残響はある方で、強いタッチがモダン・ピアノほど金属的ではなく木質な感じながら、フォルテピアノ によく聞かれるおもちゃっぽい掠れた音では なく、独特のシルキーな艶があります。輝き過ぎず、飽和した軽い音にもならないという意味で、大変きれいです。 チューニングか倍音成分の加減で、低い和音が面白い響きになるところもあります。


フォルテピアノによる選集
 全集は出していないけどフォルテピアノ弾きとして知られている人は他にもいます。
続けて選集の方も古楽系のを 先に概観しましょう。ベルギーの古楽の指揮者としても有名なヨス・ファ ン・インマゼールはアクセント・レーベルから1980年と、オランダのインディペンデン ト・レーベルであるグローブから89年に、それぞれ 14番 K. 457、二つの幻想曲、ロンド K. 511などと、16(旧15)番 K. 545、17(旧16)番 K .570、アダージョ K. 540 にハイドンの曲を組み合わせたものを出しています。
 ピリオド奏法的な癖という意味では16、17番ではテンポの動きは大きくありませんが、速い楽章ではかな りの快速で、要所でスタッカートを交えるなど歯 切れの良い感じがします。一方で14番の方は少し強調されたリズムがあります。緩徐楽章に関しては16、 17番ではアクセントの癖は少なめであるのに対 し、楽器の方ではミュートのような処理がされているように聞こえます。テンポは16番はさらっとしており、 17番はゆったりです。14番では間を置きつつ 進め、音の連続を途切らせたりして、リズムの点でもピリオド奏法らしい伸び縮みがあります。


 アンドレアス・シュタイ アー
は 1955年生まれのドイツのチェンバロ、フォルテピアノ奏者です。90年代から2000年にかけてテルデッ ク から一部の協奏曲を出していました。独奏曲に関してはハルモニア・ムンディから2003〜04年の録音でト ルコ行進曲付きのソナタ(11番)や K. 475 の幻想曲などが入った CD をリリースしました。他にはソナタは4番、10番、14番の短調、12番が組み合わせてあります。演奏はピ リオド奏法と言えるような特徴はあるものの、不 均等なリズムや前に倒れかかるような拍の動きはなく、むしろ自由な即興のスタイルという見方の方が良いよう な種 類です。弾むように軽快で楽しく、自在なスタッカートと装飾を混ぜて茶目っ気もあります。均等だけど速く駈 ける ところもあります。トルコ行進曲の行進の部分では独特の癖を出している上に即興フレーズがあり、ジャズの即 興の ようにやっていて乗れます。こういう運びを聞いて衝撃を受け、酷評する人もあるようながら、そういう曲なの だか らむしろぴったりで面白いと思いました。スローな楽章では静かで癖が少なく、どこか懐かしいような音を響か せます。

 レクイエムの校訂で知られるロバート・レヴィンは ドイツ・ハルモニア・ムンディから2005年に最初の三 曲、 1〜3番を出しています。モーツァルトが褒めたヨハン・アンドレアス・シュタイン製のフォルテピアノのレプ リカ を使用しており、モーツァルトが聞いていた音が楽しめます。弾き方の解釈については最も詳しいとされる人だ け に、 本人にとっては譲れない学問的根拠のあるものだと思います。正しい正しくないの議論はできませんが、これ以 降時 間が経っています。他の曲も出してくれるのを期待しましょう。

 レヴィンが初期のみとすると、晩年の作品に特化しているのはボ ヤン・ヴァデニチャロフ盤 です。10番以外 は ケッヘル500番台で、K. 540 のアダージョ、K. 570 と最後の K.576 というカップリングです。ヴォデニチャロフは1960年生まれのブルガリアのピアニストです。速い楽章は比 較的素直な運びで特に速い方ではなく、緩徐楽章 はゆったりめで、トゥイヤ・ハッキラやバルト・ファン・オールトにも共通するピリオド奏法の語法である、フ レー ズの頭にためをとってから強めに叩いて強調する弾き方が聞かれます。ちょっと立ち止まりつつ歩くような感じ で す。時折スタッカート表現も用い、音色はきれいです。フーガ・リベラ2007年の録音です。


モダン・ピアノによる選集

   lipattimozartsonata
     Mozart   Piano Sonata No. 8 in A Minor K. 310
     Dinu Lipatti (pf)


モーツァルト / ピアノ・ソナタ第8(新9)番イ短調 K.310
ディヌ・リパッティ(ピアノ)

 リパッティは1950年に三十三歳で亡くなったルーマニアのピアニストで、コルトーに目をかけられた人であ り、夭折したということと、モノラル時代のものという点もあり、常に熱く語るファンが存在します。実際に大変魅 力的な演奏であり、録音コンディションが良い時期まで長生きしてくれなかったことが惜しまれます。ファンにとっ てはリマスターされるとありがたくない場合もあるようなので、むしろ音が明瞭でない方が良いかもしれませんが。

 そのスタイルは師のコルトーとは違い、「洗練された透明な音色」に特徴があるとよく言われます。モーツァルト のピアノ・ソナタについては亡くなる年に録音された8(新9)番しかないにもかかわらず、「作曲者が乗り移った ようであ り、モーツァルトと言えばリパッティだ」と語られる場面もあるようです。8
(新9)番というのは例の、パリで母の死に直 面した悲しみの中で作った、と言われる最初の短調の曲です。鮮烈さという点で曲と演奏の相性も良いでしょう。

 この8
(新9)番のリパッティの録音としては、ジュネーヴでのスタジオ 収録のものと、死の二ヶ月前のブザンソン でのラ イヴ録音の二つがあり、スタジオ録音(写真)の方が多少余裕をもってゆったり歌わせるフレーズがあったりするこ とも関係あるのでしょう、形の上での完成度が高いとされます。一方で最後のライヴはより切迫しているというの か、テンポを崩さず、くっきりとした緊密な表現となっています。録音のコンディションは色々とリマスターした盤 が存在するため、聞いた感じでは必ずしもライヴの方が悪いとも言い切れないところがあります。ラスト・リサイタ ルは涙なしに聞けないかどうかはともかくとして、両者同等に魅力的だと思いますので、どちらが好きかはご自身で 聞いてみていただきたいと思います。

 演奏は一般に言われる通り、多少強めと思われる揃ったタッチで透明な音を連ねるような弾き方であり、余分な贅 肉がないのにニュアンスに満ちていて、均整美を感じさせる端正なものです。クリスタル・クリヤーの代表のような 演奏、と言っていいでしょう。確かにこういう運びはなかなかない、素晴らしいピアニストだと思います。ただ、 「他の演奏と同列にするような人は価値が分かってない」などと複数の方が語るようですから、お叱りを受けてもい けません。ここでは♡の数を記すのはやめておこうかと思います。ギーゼキングと並んで古い録音なのでどうかとい うこともありますが、それも特例として評価しないことにします。一つ言えるのは、リパッティとしては良い音だと いうことです。

 1950年録音のコロンビア=EMI です。上述の通り、何度かリマスターされています。写真のものは Art 処理がされたものです。



   haskilmozartsonatas
     Mozart   Piano Sonata No. 2 in F K. 280
     Clara Haskil (pf)


モーツァルト / ピアノ・ソナタ第2番へ長調 K. 280
クララ・ハスキル(ピアノ)

 モーツァルト弾きの女性御三家のように言われたハスキル、クラウス、ヘブラーのうち、ハスキルはソナタは多く 弾いてないので戦線離脱だ、と述べました。その少ない録音は第2番 K. 280 と第10番 K. 330 です。両曲に共通するのは第二楽章のスローな展開の中に短調のしんみりとした部分があるところですが、そういう 曲想が好きなのでしょうか。どちらもこの人らしい傾向は出ていて深い味わいがあります。

 クララ・ハスキルは19世紀、1895年生まれのルーマニアのピアニストで、コルトーの弟子でした。しかしコ ルトーは、リパッティに対するのとは反対にあまり彼女を教えなかったし、褒めもしなかったとされます。一方で チャップリンは人生で出会った三人の天才のうちの一人、と彼女のことを激賞し、有名な日本の作家の方も特別に褒 めていたりして、御三家のうちでちょっと特殊な人気を誇っているようです。その理由というのは多分、技術もある のでしょうが、彼女の醸し出している雰囲気ではないかと想像します。三人のうちで最も思い入れの強さを感じさせ ます。個人の主観的感情が乗って来るという意味では、最もロマンティックとも言えます。ただ、ロマン派の音楽で やられるような意味で、形の上でのディナーミク、アゴーギクの大きなものとは言えませんし、19世紀生まれだか らといって伸び縮みや先走り、がつんとしたアクセントとかはありません。もちろん新即物主義でもなく、形は整っ ていてもその反対だろうというわけです。そういう性質から、よりロマン派に寄った作品が適しているようにも感じ るのですが、モーツァルトは定評があります。

 速い楽章でも軽やかです。2番ではある程度の強いタッチも出していますが、基本は力を抜いて軽やかに進め、 所々でふわっと弱音に落とすところが出たりします。全般に繊細で自在な弱音に特徴があると言った方が良いでしょ うか。そこはかとなく、儚い感覚が漂うような気もします。仮にわだかまりがあってもぶつけずに、何事もなかった かのように優雅に装う感じとでも言いましょうか。10番の出だしなどは軽快で楽しいとも言えますが、遅く ないパッセージでも
同様にひそひ そと話しているようなところがあります。2番の第 三楽章の中ほどでは、トリルではない ですが、それに近い素早さで隣合った三連音を連ねるところのリズミカルで玉を転がすような軽い音が大変心地良い です。

 さて、上で触れた思い入れの中身です。この人にはどこか孤独の影がつきまとうような気がします。グールドのよ うに変わった方法で主張をする形ではないけれども、同じ意味でやはり自我の影としてのメランコリーのようです。 特に第二楽章においてその特徴が出ますが、物思いにふけったような静かな運びです。ハスキルは青年期の翳りを生 涯持ち続けた人なのでしょうか。具体的には不均等な崩しと、たどたどしいスタッカートを混ぜます。それはピリオ ド奏法のイネガルだとか、論理から来るリズム処理としてのスタッカートとは意味が違います。声を潜めたため息混 じりの囁き声(弱音)もあります。それらは全体として、多少思わせぶりな感じにも聞こえます(主観です)。何だ かまるで、羽が折れたふりで捕食者の注意を引きつけるコチドリの親みたいな感じ。そんなこと言ったら叱られるか もしれません。でもヘブラーの若いときのシャイな告白とはまた性質が違う、もう少し暗い部分であり、ハスキルは 「私の心 の中には人に言えない悩みがあるのよ」と仄めかしてるようです。最近の人ではスタイルと強く弾く部分が全然違う けど、カティア・ブニアティシヴィリの雰囲 気に少し似たところがあるかもしれません。そして人によってはそれが妖艶に感じられたり、 放っておけなかったりするのだと想像するし、その波長が好きな人は、どうしてもこの人に行くと思います。こんな 言い方をしても嫌いではありません。自分の思うモーツァルト像とは少し性格が違うということです。隠れて悩む作 曲家になってるけど、大変魅力的です。

 録音ですが、2番の方はドイツ・グラモフォンで1960年のステレオです(写真)。カップリングは色々組み替 えて出されており、協奏曲と一緒(種類があります)だったり、「ハスキルの芸術」的な組み物(複数あります) だったりします。音は十分に良好です。
 10番の方はフィリップスで、1954年のモノラルです。これもオリジナルはコンサート・ロンドや晩年の変奏 曲と一緒になったものですが、別の組み合わせでも出ています。モノラルで音像は少し遠く、ふわっとした靄がか かってるところがあるものの、コンディションは悪くありません。



   kempffmozartsonatas
     Mozart   Piano Sonata No. 11 in A K. 331 ‘Alla Turca’
     Fantasia in D minor K. 397 / C minor K. 475
     Piano Sonata No. 8 in A minor K. 310
     Wilhelm Kempff (pf)


モーツァルト / ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K. 331「トルコ行進曲付き」
幻想曲 ニ短調 K. 397 / ハ短調 K. 475
ピアノ・ソナタ第8(新9)番 イ短調 K. 310
ウィルヘルム・ケンプ(ピアノ)

 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集では一つの規範というか、素晴らしかったドイツの巨匠ケンプは、また晩年 のバッハの枯れた味わいも大変見事でした(「ケンプの到達点」)。クララ・ハスキルと同い年で、19世紀的 大仰でも新即物主義的でもない点は同じだけど、性質は違います。モーツァルトのピアノ・ソナタは全集ではなく、 上記の通り、有名な「トルコ行進曲付き」と母を亡くした悲しみの8
(新 9)番、そしてベートーヴェ ンにも影響を与えたと いう意味で、ベートーヴェン弾きなら選ぶであろう二つの幻想曲が一枚になったものが出ています。

 ケンプの演奏って、どう表現したらいいでしょうか。やわらかく繊細なニュアンスを基本に毅然とした強さも覗か せ、大変ロマンティックなのに感傷に堕ちない滋味あふれるやさしさ、そんな感じでしょうか。ときに哲人の眼差し も感じます。そういう意味ではこのモーツァルトもまさにそんな感じです。やわらかく繊細なところときっぱりした フォルテはやっぱりあるし、リタルダンドも使います。大変表情が豊かなのです。その豊かさは古典派の枠内なのか どうかというと、ぎりぎりいっぱいだけど、多分枠内だと思います。節度があります。モダン・ピアノの古典的なと いうか、理想的なスタイルでしょう。最近の古楽的解釈にも古典派という枠組みにも煩わされず、今までにない新し い切り口を探すというような配慮も関係ありません。楽譜とピアノに真っ直ぐ向かって自分の思うような抑揚を付け ています。ブレンデルやペライアのような湿気や悲しさは乗せません。

 個々に見ますと、トルコ行進曲の入りはやさしく、どこか懐かしい感じです。軽いながらゆったりと落ち着きがあ る展開が来て、第二楽章は適度に跳ねつつ、最後の楽章は小声でつぶやくように始めた後、アクセントが小気味良く てクリスピーな味も出します。行進部分では強いフレーズでも一瞬遅く緩める余裕が聞かれます。
 そして力強さが中心的に発揮されるのは、やはり幻想曲でしょう。
 8
(新9)番では冷徹な透明感をたたえたリパッティなどとは違い、 もっと細かな表情をつけます。軽やかなス タッカート もあります。でもハスキルのように儚くはありません。第二楽章では夢見るようでありながら、さらっと音を早めて 通り過ぎるような粋な表現も聞かれます。敢えて拍を区切って力を抜くような第三楽章も表現力豊かです。

 ドイツ・グラモフォンの1962年録音です。この後の64〜65年でベートーヴェンの全集録音に臨み、枯れた 味わいのバッハは75年でした。モーツァルトは古めだけれども、コンディションは十分に良いです。ただ、ドイツ 盤 CD としては2006年に出た OIBP のものだけでしょうか(写真)。ポリドール/ユニヴァーサル・ミュージックの国内盤(名盤1000)もあり、そ ちらはケンプの横顔です。ジャケットが斜め になっていないオリジナル装丁の国内盤はタワー・レコードのリマスター盤で、そちらの音はヘブラー旧盤と同様に 他と異なっているかもしれません。



   gouldmozart11
     Mozart   Piano Sonata No. 11 in A K. 331 ‘Alla Turca’
     Piano Sonata No.16 (15) in C K. 545
     Piano Sonata No.15 (18) in F with Rondo K. 533/494
     Fantasy in D minor K. 397
     Glenn Gould (pf)


モーツァルト / ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K. 331「トルコ行進曲付き」
ピアノ・ソナタ第16(旧15)番 ハ長調 K. 545
ピアノ・ソナタ第15(旧18)番 K. 533/494
グレン・グールド(ピアノ)

 グールドはもういいでしょう、全集のところでも取り上げたし。みたいに言いたいところもあるけど、そういうわ けにも行かないのです。これは案外面白いんです。それにソナタは全集買わなくてもこれ一枚で相当楽しめます、な どとも言えます。全集のところでは「高校生みたいに突っ張ってる」と書いたんで二度叱られますが、グールドとい う人、わざと挑発的なことを言っていたのは事実でしょう。モーツァルトはつまらないから(特に後期)うんと遅く やってじらすか、びっくりするぐらい速くやるかだ、という有名な発言の通り(いい加減な訳を書くといけないの で、詳しくは原語で聞いてください)、演奏の方も意図的にやってるわけです。特に11番の最初の部分など、ふざ けてるのかと思う人もいるでしょう。でも聞いて行くとそれなりにちゃんと、はしてないけど、彼の中での音の掴み 方は理屈でやってるだけではなく、音の流れに敏感で、自分の感性をしっかり持っている人だということは分かりま す。多分、どんな風にでも弾けるし、自然な呼吸も分かっているのでしょう。彼の真似ではないのかもしれないけ ど、当時、ちょっと後ぐらいに派手なパフォーマンスで話題になった音楽家たちの中には、誰とは言わないけど大仰 でセンス良く感じない人もいたような記憶です。この面白いモーツァルトのソナタ、グールド研究を専門にやってる 人もいらっしゃるようだし、日本での人気は一際高いこともあるので、どこがどうという個々の表現に言及するのは や めておきます。それにグールドの理論武装の部分は大変頭が良くて、太刀打ちもできません。でも結構好きです。確 かに変な演奏だけど、食わず嫌いの人はぜひ聞いてみてください。

 レーベルはソニー・クラシカルで、1965〜70年の録音です。音は十分良いです。



   perahiamozartsonatas
     Mozart   Piano Sonata No. 8 in A minor K. 310
     Piano Sonata No. 11 in A K. 331 ‘Alla Turca’
     Piano Sonata No. 15(18) in F K. 533/494
     Murray Perahia (pf) ♥♥


モーツァルト / ピアノ・ソナタ第8(新9)番 イ短調 K. 310
ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K. 331「トルコ行進曲付き」
ピアノ・ソナタ第15(旧18)番 ヘ長調 K. 533/494
マレイ・ペライア(ピアノ)
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 1947年生まれのユダヤ系アメリカ人でバッハも得意な名ピアニスト、ペライアはいつも見事なニュアンスと動 きを見せますが、モーツァルトは見方によるけれども表現過多にまではなってないと思います。ケンプ盤と同じく 8(新9)番と11番(「トルコ行進曲付 き」)、それに晩年の15(旧18)番をやっていて、デリケートなニュアンスという意味でも比べたいところで す。少ししんみりした感じがするので、いつも この人については「悲しさが加わる」と表現してしまっています。あまりそういうことを言い過ぎるのもどうかと思 いますけど、そういう意味では比べるべきは む しろハスキルやブレンデルの方かもしれません。ただ、残念ながらハスキルとは同じ曲をやってません。別の曲にお ける平均した弾き方をイメージして何となくの印象で言うなら、ハスキルの方はポーカーフェースでさらっと流す中 で力を抜き、囁くような弱音で行く感じで、所々で芯のある粒立ちの良い音も聞かせます。ペライアはそれよりも もっと波打つ強弱と自在な伸び縮みの表情があり、周期的に囁くような力の抜き方でため息を脈動させ続けていると 言えばいいでしょうか。何だか分かりにくいですが。ブレンデルとの比較は後でやろうと思います。形は全然違う し、悲しみの伝わり方も別ながら、ゴールドベルク変奏曲でやったようにグールドの孤独と比べるのも面白いかもし れません。

 比べっこの話はいいとして、ペライアのモーツァルトはどういう風かということに触れます。すでに述べた通り、 浮かんだり沈んだりの自在な呼吸があります。消え入るような弱音へと潜るところが聞かれ、これも色々なピアニス トで金太郎飴のように同じ言い方しかできませんが、ころころと玉を転がすようなきれいな艶のある音が魅力的で す。繊細な息遣いがこの人の持ち味なのです。ロマン派のように速度を落とすところもあります。適宜スタッカート も交え、これ以上ないほどデリケートです。

 8
(新9)番の入りでは曲想からある程度の強さのタッチを出してい ます。走らずに丁寧に抑揚をつけて行きま す。緩徐楽 章はショパンのようにロマンティックで、テンポの緩めと揺らしもあり、幅のある抑揚をたっぷりと聞かせます。少 し古典派の限度を無視しているかなというところです。ペライアの芸術であって、見事です。第三楽章は力を抜いて 走ります。

 トルコ行進曲付きは最も繊細な部類でしょう。出だしのテーマの繰り返し部分ではぐっと声をひそめます。最弱音 を 使ってやさしく愛撫して行きます。力の抜けたリズム感もいいです。最後の楽章も速い猫足であり、行進の部分は躍 動感と立体感に優れ、強く叩いてもニュアンスがおろそかになりません。強弱の階調が本当に多いです。

 晩年の K. 533/494 も最大限に繊細な表情を付けており、さらっと流れて行く境地というのとは別です。やわらかくて湿り気があり、や はり自分の感じているモーツァルト像とは異 なるものの、説得されてしまいます。

 全体に何か違うな、と思うし、耽溺するのも嫌なんだけど、気持ち良くて♡♡を付けちゃうほど独特の魅力があり ます。名人芸です。1991年のソニー・クラシカルで、艶まろというよりは少し高い方が繊細に伸びつつ、バラン スの良い優秀録音です。



   guldamozartsonatas
     Mozart   Piano Sonata No. 11 in A K. 331 ‘Alla Turca’
     Piano Sonata No. 13 in B flat K. 333
     Piano Sonata No. 16 (15) in C K. 545
     Friedrich Gulda (pf)


モーツァルト / ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K. 331「トルコ行進曲付き」
ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調 K. 333
ピアノ・ソナタ第16(旧15)番 ハ長調 K. 545
フリードリヒ・グルダ(ピアノ)

 一時期ジャズでやって行くなどと言ったグルダはウィーンの人で、ウィーンと言えばモーツァルト、ということに なるでしょう。でもアルバン・ベルク四重奏団同様、「ウィーンのモーツァルト」というイメージとは大変かけ離れ た演奏をする人です。古くからのファンなら20番のコンチェルトの鮮烈な名演に接しているかもしれません。ハー ビー・ハンコックやチック・コリアとのセッションを持ったジャズマンだからかどうかはともかく、自在な装飾を施 す一方 で、ベートーヴェンのカデンツァを用い、ベートーヴェンのような力強さも聞かせました。でもその強いタッチも 案外ジャズ的、と言えるのかもしれません。彼のベストかなと思います。また、ベートーヴェンと言えば正攻法の がっち りしたソナタ全集も、吉田秀和氏が褒めるなどして定評がありました。1930年生まれなのでブレンデルより一つ 年 上です。モーツァルトの誕生日に死にたいと言って、実際に2000年のその日に亡くなっています。事前に復活コ ンサートも開いたりして、ユニークな人でした。

 ただ、モーツァルトのソナタとなるとどれがどれだか分からなくなるぐらい入り乱れています。あっちからこっち から取って来てジャケットの写真も使いまわしているような DG の組み違いものが出ている上、アマデオからのもあるし、その後失われていた音源がカセット・テープの発見によっ て掘り起こされたりして売り出されてもいま す。大雑把に整理すると:

 アマデオ・レーベルとなっているのはトルコ行進曲付き(11番)と13番が1977年録音、K. 545 が61年録音で一枚になっています。
 ドイツ・グラモフォンでは78年に録音されて90年に出た晩年の曲たち、K. 570 と最後の 576、それに幻想曲 K. 475 が一枚に収まったものがあります(同じジャケット写真で別組み合わせ盤もあります)。
 同じく DG ですが、発見されたカセット・テープ起こしの曲が2006年に第1集(tapes)、2007年に第2集(tapes U)と出て、両者をまとめたもの(the complete tapes)も2009年にリリースされました。それらは1980年と82年の録音で、それぞれが1〜5番、 9(新8)、10番、12、13番、K. 545、幻想曲 K.475と、6番、8
(新9)番、11番、14番、K. 570 と最後の 576 です。7番と K. 533/494 がないので全集にはなっていません。5番はモノラルです。録音のコンディションからグルダのファン向きと言える でしょうか。

 グルダのモーツァルトは湿らない、暗くならない運びで嬉々としているというのか、かなり強くて奔放に行くとこ ろがあります。遊びの要素も飾りも聞かれるものです。弱音で囁いたりうつむいたり、耽溺したりはしません。そこ に 魅力があると言えるでしょう。では何を取り上げるべきかというと、ゆっくりめながら力強いタッチの、ベートー ヴェンのような幻想曲が本領発揮かもしれません。あるいは晩年の作品でしょうか。やはり湿っぽくならず、多少 訥々とした緩徐楽章(特に K. 570 )が聞けます。でもここでは有名な「トルコ行進曲付き」にしましょう。テープからのではなく、アマデオ盤の方で す。

 テープから起こしたものは、最初の楽章から所々強いアタックと装飾が入ります。それもいいと思いますが、アマ デオ盤の方は最初は静かです。一つひとつ区切りながらゆったり丁寧に進める感じで、装飾音符が速くひとまと まりに弾かれます。そしてやはりスポット的に結構力強いアタックも出します。そういうところはあの協奏曲の録音 を 彷彿とさせます。途中からは即興の飾りも入り、第一楽章のラストは速く力強く、くっきりとはじけるように終わり ます。「ジャズ風」と言われる部分かもしれません。続く第二楽章も強いタッチで、スタッカートも出します。ベー ゼンドルファーでこの硬質な艶が出ているのは、録音もあるながら、かなり強く弾いているのではないかと思いま す。第三楽章はさらっと速く始め、トルコ軍楽隊が出る直前から乗って、行進部分は元気良く行きます。弾いている 方はバーンと歯切れ良く叩いて気持ちいいだろうなあと感じます。

 すでに述べましたが、トルコ行進曲付きと13番は1977年の録音、K. 545 のみ61年の収録です。やわらかく静かな表現もありますが、割と近く、明晰な方の録音です。残響成分は多くな く、多少ソリッドです。他の録音も全般にそう 言えるかもしれません。



   brendelmozartsonatas
     Mozart   Piano Sonatas Nos. 3, 4, 8, 9-14, K.533/494, 570, 576
     Fantasia in D minor K. 397 / C minor K. 475
     Alfred Brendel (pf)


モーツァルト / ピアノ・ソナタ第3、4、8、9〜14番、K.533/494, 570, 576
幻想曲 ニ短調 K. 397 / ハ短調 K. 475
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)

 ウィーンの三羽烏はイェルク・デムス、バドゥラ=スコダ、グルダのようで、1931年チェコ生まれで旧ユーゴ 育ちのオーストリアのピアニスト、ブレンデルはウィーンのピアニスト、とも言えないでしょう。でもモーツァルト に関しては、グルダなんかと比べられると思います。

「知的(cerebral)」というキーワードで語られるピアニストで、ペダンティシズム(学者ぶること)と評 されることもあるそうであり、本人は「自分自身を見せびらかすのではなく、あるいは独自の味付けを加えるべきで はなく」という趣旨の発言もしているみたいです。「知的」の意味の内訳は、「考え抜かれた」でしょうか。作曲家 によって弾き方を変えているように見えるところなど、明確な考えがあるようで、確かに知的な感じがします。そし て表現そのものにおいて知性を感じさせるのは、恐らく彼のベートーヴェンでしょう。早い時期からそのピアノ・ソ ナタを全曲録音し、しかも三度実現しています。ただ、バッハとモーツァルトは、ベートーヴェンの解釈とはまた ちょっと違うような気がします。時代逆転というのか、よりロマンティックに感じられるのです。それが一番分かる のは叙情的な緩徐楽章です。ブレンデルのモーツァルトの第二楽章は、協奏曲にせよソナタにせよ、独特のデリケー トさがあるものの、ちょっとうつむき加減で湿り気が感じられます。耽溺とか感傷的とか言えば安っぽくなるけど、 時折歩を速めるようなことをして覚醒させるので、どっぷりとは浸かりはしません。でも、そうやって洗練されてい る分 あからさまでないにせよ、底にあるメンタリティとしては泣きの感覚に近いのではないでしょうか。個人的にそれ以 上になると苦手なので、多分余計にそう感じるのでしょう。チェコにはアンチェルのような人もいるのでお国柄とも 言えないものの、少なくともクリーンやヘブラー、グルダの叙情とは違います。2008年に引退しています。

 ここで取り上げた CD は7枚組です。全集ではなく、ブレンデルのソナタ録音が網羅されており、同一曲が複数だぶって入っています。彼 の芸術の変遷が跡付けられるという企画でも あるのでしょうか。新しい方の録音など、単発のも出ています。

 よく考え抜かれて構築された感のある演奏かと思います。テンポにメリハリをつけて表現意欲が高く、表情のバリ エーションが大変豊かです。小声の部分も多く、変化に富んでいるのです。スタッカートまでは行かないけれども、 テヌートを破るように次の音の前に切る手法が聞かれます。強く叩かず、軽くやわらかく逃す音もあります。

 具体的にはどの曲について他と比較したらいいでしょうか。有名なトルコ行進曲付きが良いのでしょうが、その 11番は例外的に、第二楽章がゆっくりで叙情的という曲ではありません。だからというわけではないけれども、案 外端正に進めている部分も感じられます。
 第一楽章には静けさがあります。これは新旧の録音ともで、新しい方が弱いところはより弱く、表情が大きいで す。第二楽章は走ったりせず、細かな工夫はあるものの真面目な足取りです。
 第三楽章は軽くスタッカートで行きますが、旧の方はテンポが圧倒的に速いです。新しい方も速めではあるもの の、より力を抜きつつ、表情が豊かです。でも新旧録音で大きな考え方の違いがあるかと言われれば、第三楽章を除 けばあまり違わないようにも思います。他の曲もおしなべて新しい方が遅くなっているとは言えるものの、ブレンデ ルらしさは不変です。この曲は両方ともライヴで拍手が入っています。
        
 一方で、ロマンティックな表現だと述べた緩徐楽章ですが、ケッヘル500番台の作品においてもそれはよく表れ ています。拘泥せずにさらっと流れて行くモーツァルト晩年のあり方、という自分のイメージとは合わないものの、 それは楽曲への基本的な理解が違うのでしょう。正しいも間違いもありません。そういう言い方がいいかどうかは分 かりませんが、「そこはかとない哀しみが乗っているように聞こえる」と他の解説で評してしまったペライアと、そ の湿り気の部分で似たところがあるのがブレンデルであり、比較は後でやると申し上げました。やるなら K. 533 の第二楽章でしょう。ブレンデルは録音が三回分あり、真ん中あたりがいいかもしれません:

 どちらもゆったりとして少しため息の混じったような叙情的な表現ながら、ブレンデルの方がメリハリがついて変 化が大きく、時折強く打つ音を混ぜたりするようです。一方、強調して言えば、ペライアの方が終始静かな感覚が強 く、息を殺しつつ、やわらかく連続的可変に脈打つような起伏をつけるので、一筆書きみたいです。テンポの伸び縮 みと間(アゴーギク)においてはより顕著で、複雑に揺らしつつ、一つにつながった大きな流れが持続してしている 感じがします。ブレンデルは延ばしておいてパツンと短い拍を入れたりする癖もあるので、どちらかと言えば速さと ゆっくりさが交互に嵌め込まれた感覚に近く、デリケートな抑揚はより強弱(ディナーミク)の方に表れている感が あるでしょうか。いずれにせよ、ゆったりしたパートではとにかくデリケートな感じがする演奏です。本人の言葉に は反するけれども、古典派の枠に収まった表現というよりは感情の起伏が大きく、この人自身の芸のような気がしま す。ブレンデルのモーツァルトは、個人的にはオーケストラの加わる協奏曲の方が、工夫の跡が目立たず聞きやすい 気はしました。逆にこのぐらい主張があった方が良い人も多いと思います。

 フィリップス=デッカの録音は、1975年から2008年にまで跨がっています。コンディションはそれぞれ異 なるものの、全般に良好です。このレーベルらしく自然な艶とバランスの良さ、やわらかさの中から芯と輝きが現れ るような美しい音が聞けます。



   presslermozartsonatas
     Mozart   Piano Sonata No.11 in A K. 331 ‘Alla Turca’
     Piano Sonata No.17 (16) in B-Flat K. 570
     Piano Sonata No.18 (17) in D K.576
     Menahem Pressler (pf) ♥♥

モーツァルト / ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K. 331「トルコ行進曲付き」
ピアノ・ソナタ第17(旧16)番 変ロ長調 K. 570
ピアノ・ソナタ第18(旧17)番 ニ長調 K.576
メナヘム・プレスラー(ピアノ)
♥♥
 滋味溢れる味わい深い演奏です。最も、と言ってもいいかもしれません。プレスラーは協奏曲が素晴らしかったの で、すでに単独の記事で取り上げています(「老境の覚者? メナヘム・プレスラー」)。1923年ドイツ生まれのユダヤ系ということは、当然亡命組のイスラエル=アメリカ人のピアニストです。ボザール・トリオのメンバーでしたが、なんと日本語でのオンライン辞書には彼の項目がありません。今でもまださほど知られていないの でしょうか。あるいは「おじいちゃんが頑張ってる」というカテゴリーにされてるのかもしれません。

 老年に至ってソロでよく取り上げられるようになって来たようで、若いときの演奏を聞くと、ロマンティックとい うのか、個人的な印象では多少耽溺とも言える境界を踏み越えて、たっぷりとした感情表現をする人だったようで す。そして最近のものでも全ての演奏で好みとは言えないものの、モーツァルトはちょっと他と比べられない感じで 心を打つところがあります。古典派という枠もあって感情過多にならないとも言えるし、でも恐らくはその年輪に よって、酸いも甘いも噛み分けて来た結果ではなかろうかと思います。

 一音一音を慈しむように、心が籠もっています。間や速度の機微という意味で一辺倒にならない声を持ってい て、濃密で枯れたこの人独特の音を聞かせます。そうした味わいはケンプの晩年に近いものもありますが、また少し 違うようでもあります。若死にで多動のよう なところもあったお騒がせなモーツァルトではありません。新しい表現の可能性とか、技術の冴えとかを聞くもので もありません。速いパッセージでの無理のな い指の動きを望むのであれば、技巧でも定評のあるマルカンドレ・アムランがこの一年前に出したハイペリオンの二 枚組もあるので、そちらを聞かれるとよいと 思います。速いといっても18(旧17)番の第二楽章はゆったりで味わいがあります。一方でこのプレスラーはト ルコ行進曲 付きですらどこか達観した晩年の作品のよう であり、面白い仕掛けの賑やかな行進ではないのです。そして、それ以外はモーツァルト最後の二曲です。前述の 18
(旧17)番 の緩徐楽章ではかなりたっぷ りな方ながら、真っ直ぐ心の奥に響くような 深い味わいがあります。全集 にするつもりらしいですが、最初の一枚とし てこう選 んで来るのは、彼自身の波長と共鳴するか らではないでしょうか。静かな晩年作を味わうならこれ以上の人はいないかもしれません。もう相当な高齢ながらお 元気なようで、ぜひ全作品を無事に録音して いただきたいと思います。

 2014年の録音です。レーベルはフランスのラ・ドルチェ・ヴォルタです。演奏に相応しい、落ち着いた音で、しっとりとした上品な艶が心地良いです。 



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