一目ぼれと夢の後
 / ベルリオーズの幻想交響曲  聞き比べ 

lathora

取り上げるCD43枚: モントゥー/クリュイタンス/パレー/ビーチャム/マルケヴィチ/アンセルメ/ミュンシュ(パリ管/ボストン響 '54/'62)
/バルビローリ/プレートル/ショルティ( '72/'92)/マルティノン/カラヤン/デイヴィス(コンセルトヘボウ管/ウイーン・フィル
/プレヴィン(ロンドン響/ロイヤル・フィル)/マゼール/ハイティンク/クーベリック/アバド/デュトワ/ケーゲル
/ムーティ(フィラデルフィア管/シカゴ響)/ドホナーニ/ヤンソンス(コンセルトヘボウ管/ベルリン・フィル/バイエルン放響)/プラッソン
/ミュンフン/ブーレーズ/ティルソン・トーマス('98/'04)/フルネ/ゲルギエフ/ラトル/ドゥダメル/ガーディナー/インマゼール/ロト

CD 評はこちら(曲の解説を飛ばします)

一目ぼれと夢の後
 ベルサイユ宮殿に行ったときにイギリス式庭園の場所が分からず、散歩に来ていた地元の女性に尋ねたら案内してもらえたことがありました。お愛想でフランスのものを色々挙げた話題の中にベルリオーズという名前が出て来た途端、鼻で笑うように 「まあ、ロマンティークだこと」とその人に言われてしまいました。ロマンティックというものかどうか分からないけど、ベルリオーズの身に実際に起こった事件について、少し触れてみます。

 医者の息子だったルイ・エクトール・ベルリオーズ(1803-1869 仏)は父親の後を継ごうと医学部に入りますが、解剖学が気持ち悪くて気が変わり、音楽の道に進みます。そして駆け出しの作曲家でまだ名が売れていない頃、パリの劇場でシェークスピアのハムレットを見ました。オフィーリアを演じていたのはアイルランドからやって来てその頃名 が売れていた美しい女優、ハリエット・スミスソンでした。ベルリオーズは一目で恋に落ち、ラブレター攻勢を仕掛けます。面会も求めたのですが、無名の作曲 家など相手にされません。舞台で見かけた有名人にここまでするというのは自惚れか勘違いと普通は思われてしまうところです。一目会って特別な引力に抗しが たいという場合、動物的な選択本能の言うままになっているのでないなら、自らの性向の慣性力に支配されているか、あるいは過去からの約束を果たすかでしょ う。彼が二十三歳のときのことで、ハリエットはその三つ年上です。ベルリオーズは一応諦めはするものの「幻想交響曲」を作曲します。

 ここまでなら、恋の情熱を芸術に生かした「エロスの昇華」と言えます。この作品はベートーヴェンの田園に次いで史上二番目の表題交響曲であり、物語の付いたものとしては初めてのものです。それが彼の作品の中でダントツの人気を誇り、ベルリオーズといえば 「幻想」と言われる超有名曲になったわけです。そしてその曲の物語がまた彼の心中そのままで、盲目たる情熱そのものを代弁するというのか、恋する青年が夢の中で憧れの人を殺してしまい、ギロチンで首を切られて地獄に落ちるというものです。

 ベルリオーズがハリエットに会ったのは偶然でしょうか。運命はそこで終わりませんでした。フランスにはルイ14世が創設した「ローマ賞」という芸術家向 けの奨学金付き留学制度がありました。ラヴェルも三度応募して落選したことで有名ですが、ベルリオーズはこれに応募して受かり、ローマへ留学します。その 頃にはもうハリエットのことなんか諦めてマリー・モークというピアニストと付き合っていました。そしてその女性と婚約するのですが、彼がローマに着いたと ころでマリーの母親に裏切られ、娘は嫁がされてしまいます。娘も娘ですが、そっちの相手の方が良かったのでしょうか。フランスのピアノ・メーカーとして最 も有名なプレイエル社の、その社長の息子カミーユが相手でした。 怒ったベルリオーズは幻想交響曲さながらにマリーとその母を殺して自分も死のうという計画を立て、女中に変奏してピストルで撃とうと考えて女ものの服と拳 銃を買い、自殺用には阿片チンキ(ケシをアルコールで希釈した鎮痛剤で、多量に服用して自殺することが19世紀に流行しました)と毒薬ストリキニーネを仕 入れてフランス行きの馬車に乗ります。しかし国境付近で気が変わってやめ、ニースで療養してからとりあえずまたローマに戻りました。こうして本人しか知り 得ない話が伝わっているのは回想録を書いたからですが、わざわざ公にしたのは反省の意を表したかったからでしょうか。でも反省して公表することの意味を考 えたりするとただの自慢のようにも思えてきて、それなら内容は脚色かもしれないと疑いたくなります。 
 物事が上手く行かないとき、人の対応は様々です。自分を愛さない人間は許さないと逆上して復讐行動に出る人もあります。大なり小なりこの世界に落ちてきた人間は皆、仕返しはしないにせよ何かしら心の狭い情動に支配されがちな領域を持っているもので、誰も笑うことはできません。嘲りたくなるとしたら自分にも似たところがあるのでしょう。熱情と復讐の人であり、とりあえず理性が勝ったベルリオーズの人生は次のような展開をたどります。

   留学を終えてパリに帰った頃には彼も作曲家として知られるようになっていました。そして以前に書いた幻想交響曲のコンサートを再度開催することになるので すが、そのコンサートにハリエット・スミスソンその人もそれと知らずに聞きに来ていたのです。これって偶然でしょうか。それこそ前の人生でのやり残しを清 算するために仕組まれたドラマのようです。ベルリオーズが彼女に初めて会って五年後、彼が二十八歳のときの出来事です。ハリエットは大失恋の交響曲を前に して自分のことが題材だとはこれっぽっちも思わず、周囲が騒ぐので何ごとかと思い、プログラムを見てはじめてそれと知ります。運命を感じた彼女はベルリ オーズと付き合い、後に結婚します。これがルイ・エクトールのローラーコースター・シナリオです。
 もし「自分の信じたことを経験する」のだとしたら、ベルリオーズはハリエットとのその後の展開を無意識に信 じていたのでしょうか。「恐れたことを経験する」という説もありますが、いずれにしても大変な執着だと思います。不思議な経緯で彼は愛する人を得ました。しかしその後は必ずしもハピリー・ エバー・アフターとは行かなかったようです。

        harriet
                                 Harriet Smithson

 芸術家には激情でもって思い込んだ恋を実現させる人がいるものです。モーツァルトにもそういう噂があることはレクイエムのページで書きました。アメリカ の作家エドガー・アラン・ポーのケースも、少しベルリオーズのに似ています。ポーは十六歳のときに サラ・エルマイラ・ロイスターという美しい少女と婚約しますが、彼女の父親に手紙を破り捨てられ、サラはお金持ちの家に嫁がされてしまいます。しかし彼は その二十四年後に夫に先立たれて未亡人となっていた彼女と再会し、恋が再燃します。何度も口説いて再度結婚の約束をするのですが、その式が予定されている 年の十月、ボルティモアの街で泥酔して「主よ、わが貧しき魂をお救いください」という言葉を残し、他人の服を着たまま謎の死を遂げてしまいました。

 出会った二人の間にはどんな約束があり、何を学び合ったのでしょうか。ベルリオーズの結婚は二年ほどで歯 車が狂い、後に二人は別居します。一般には恋する気持ちが自分の中だけで膨れ上がってしまい、現実を見ていなかったと言われる事態でしょう。ロンドンの地 下鉄で一度だけ見かけた女性に一目ぼれをして、その後フェイスブックで協力を求めて見つけ出した男性も同じ結果ではなかったでしょうか。心理学では「エ ゴ・インフレーション」と言うようです。 同じような理由から「四年で冷める」愛情の定理を論じた本もあります。本能が命じる様々な生存戦略が男女で違うという説もあります。ハリエットはアルコー ル中毒にもなっていたようです。そしてベルリオーズはその後、 同じマリーで混同しますが、マリー・レシオという歌手と深い仲になり、ハリエットが脳卒中で倒れると心を痛めるものの、その死後はマリーと再婚します。と ころがマリーも1862年に亡くなり、67年には息子にも先立たれて、情熱と恋に生きた作曲家は1869年の三月、失意のうちに死んだのだとされていま す。  

 熱烈な恋愛感情というものは、確かに相手を見てはいないのかもしれません。自分の中の異性を勝手に投影しているのであって、その内なる異性は創造性とつ ながっている。これは心理学者のユングの説ですが、だからこそ創造性豊かな芸術家は愛情問題で世間を騒がせるのでしょうか。中でもフランス人は伝統的に恋 愛偏重主義だと言われます。四年で冷めるパッションの側ばかりもてはやし、穏やかなもう一つの愛を育まない態度は子供っぽいと、ドイツ文化圏のユングには 揶揄されます。
 パッション vs. 相性が良くて長続きする愛、の懸案になってきました。しかしパッションの正体が彼の言うように抑圧された無意識の偏りだとするなら、この二つに折り合いを 付けるのはビーチボールを水に沈めるようなもので、誰も成功しないほど難しいことかもしれません。ドラマの中やお葬式ではパートナーに死ぬまで恋してたと いう言葉も聞かれます。でもお金持ちの有名人は大抵何度も離婚してますし、恋と結婚は別という割り切りの呪文だってため息とともに聞こえてきます。解決す るより忘れる方が得策かもしれません。子供に関心を切り替えて乗り切りますか。支配しない程度に。それとも仕事でしょうか。どちらもないかどうでもいいな ら、趣味があります。上手くやりおおせた人ってどのぐらいいるんだろう。ほろ苦い思い出を残したまま一生を終える人も案外多いのかもしれません。ベルリ オーズも身を以てチャレンジし、フランス的伝統に則って失敗しました。人の人生に失敗なんてとりあえずないけれども。
 いいではないですか。大人になれなかっただけです。そして幻想交響曲はいかにもフランス的名作です。
「まあ、ロマンティークだこと」

                        ♡△♡△♡△


曲について
 世の中にたくさんある交響曲の中でも最も華やかで凝った仕掛けが盛り込まれているのは、やはりベルリオーズの幻想交響曲(Simphonie fantastique)でしょう。この曲はまた 「これが初めて」も満載で、オーケストラの技法においても高く評価されています。
 失恋後の幻想を描いたこの標題曲の構成は次のようなものです。多感な青年が実らぬ恋に悩んでアヘンによる自殺を図りますが死に切れず、幻覚を見ます:

 第一楽章:「夢と情熱」 
 恋人その人を表すイデー・フィックス(固定的な主題)が出てきます。それは何度も曲の中で繰り返されて行きます。熱病のように彼女に憧れる気持ちと、引き裂かれる記憶が交錯します。弦楽器の流れるような旋律が楽しめます。

 第二楽章:「舞踏会」 
 ワルツのリズムで曲は進みますが、その舞踏会のざわめきの中に再び愛する人が現れます。

 第三楽章:「野の風景」 
 羊飼いたちが笛を吹き交わす平和な世界が描かれる美しい緩徐楽章です。これはアルプホルン がスイスの牛追い唄、「ラン・デ・ヴァッシュ」を吹いている場面です。牧童が牛たちの名を呼んで乳搾りをするときの歌ですが、ベルリオーズの頃、その牛追い唄は楽譜として出版されたこともあって有名でした。ここではイングリッシュ・ホルンという楽器が交響曲で初めて使われ、それとオーボエとがかけ合いをします。木々が風にそよいでざわめき、希望が湧き起こります。しかしそこにも彼女が現れ、つらい出来事の予感に圧倒されます。もし捨てられたら、と。羊飼いがまた一つのメロディーを吹きますが、今度は応答がありません。そして日が暮れて、遠くで雷が鳴ります。

 第四楽章:「断頭台への行進」 
 青年は夢の中で恋人を殺してしまい、その罪によってギロチン台へと引かれて行きます。ティンパニと金管楽器で華々しく行進する様が描かれます。直前にイデー・フィックスの旋律が現れて彼女の甘い記憶が蘇りますが、刃が落ちてきて、ピツィカートで首が転がります。最後にファンファーレが刑が無事に執行されたことを高らかに歌って終わります。

 第五楽章:「ワルプルギスの夜の夢」 
「魔女の夜の夢」とか「サバトの夜の夢」とか色々に訳されますが、サバ トというのは魔女たちの宴会のことで(sabbat = Sabbath は本来安息日の意味ですが、witches' Sabath で中世の宗教裁判の記録に書かれた魔女の集まりの意になります)、主人公の青年は死んで地獄に来ているのです。呻き声や不気味な音が聞こえる中、魔女、亡 霊、化け物が周りを取り囲んでおり、彼はそこで嘲笑されます。有名な弔いの鐘がこの楽章で鳴らされますが、それも恐ろしい地獄の音というよりも、彼を嘲笑って鳴らされるものです。この部分はレクイエム(死者のためのミサ曲)の中に出 てくる「怒りの日」のパロディーであり、グレゴリオ聖歌の一節が登場します。怒りの日というのは審判の日に甦った人々を神が裁くという、聖書の黙示録のテーマによる式典です。そしてその地獄にも愛する彼女が娼婦の姿で現れ、途端に拍手喝采が湧き起ります。彼女は魔女の響宴に加わります。この楽章では鐘と並んでもう一つ、不思議な音が登場します。それはコル・ レーニョという奏法で、弦楽器を弓で弾くのではなく、弓をひっくり返して棹の木部の側で弦を叩くというものです。交響曲でこの指示が出されたのはもちろん初めてです。

                        ♡△♡△♡△


幻想交響曲のCD比較
 幻想交響曲のCDで人気のあるものは、オーケストラ曲好きの人が好むからか、い わゆる「熱血」な演奏が多いようです。第四楽章の断頭台への行進や、地獄を描いた第五楽章の「ワルプルギスの夜の夢」で打楽器や金管楽器がどんなに迫力が あるか、ということが話題になります。でもそれも無理からぬことでしょう。この曲には史上初の試みがたくさん含まれていると述べましたが、私的な激情を曲 に盛り込んでぶちまけるということも前代未聞でした。そういう点からベルリオーズは主観主義を標榜するロマン派の代表のように思われますが、実はよく言わ れるように、幻想交響曲は古典派であるベートーヴェンの第九交響曲の初演から六年後の作品であり、ロマン派の先駆けです。したがって後ろの楽章での大迫力 音響というものもそれまでにはなかった偉業なのです。 

 しかし同時にこの曲には夢見るような美しい旋律があり、パレットで絵の具を混ぜ合わせるみたいに弦とフルート等の管楽器とをユ ニゾンで合わせて独特の音を作るなど、管弦楽法の大家だからこそ味わえる音色の妙もあります。あるいは前述の通り、ハープも鐘も用意させますし、様々なバ チで打楽器を叩かせたり、弦楽器では駒の近くを擦らせたり棹で叩かせたり、あるいは似た音色の管楽器を遠く離して掛け合わせたりと、オーケストラでやれる ことはやり尽くしたと言えるほど色彩豊かであり、そのこだわりは半端ではありません。十四歳で初めて笛に興味を持ち、ギターも習いはしたものの「ピアノも 弾けない作曲家」のように言われた人の作とは思えません。魅力のベクトルがこうしていわば二方向に分かれるわけです。個人的にはあまり騒々しいのは疲れるので第三楽章まで聞いてきたところでやめてしまうこともあり、それでも十分美しい音色を楽しめます。したがって話題の盤をなるべく公平に選んだつもりではありますが、ここでの評はそういう人間の好みを反映しています。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
     
Pierre Monteux   Wiener Philharmoniker

ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ピエール・モントゥー / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

「幻想」でフランス人の演奏というと、ミュンシュやマルティノンの前にピエール・モントゥーのものがありま し た。全く古さを感じさせないスタイルであり、幻想交響曲はラヴェルと同じ年に生まれたモントゥーですでに完成されていたと言えるのかもしれません。五回も 録音しているうちでここで取り上げるのは ウィーン・フィルとのステレオ盤です。あまり話題にならないようながらいかにもモントゥーらしいというのか、ゆったりとして間を取り、滑らかにうねるよう な抑揚をつけてよく歌わせています。テンポも心地よく伸び縮みします。力で畳み掛けるものではなく、やはりフランス的としか言いようのない運びだと思いま す。マルティノンも似た傾向はありますが、あちらの方が幾分モダンというか端正であり、モントゥーの方がより波打っておっとりしている印象です。どの楽章 も傾向が同じですが、のんびりとした野の風景である第三楽章ではベートーヴェンの田園の緩徐楽章を思わせるなと初めて思いました。牧歌的であり、混乱した 者の白昼夢のようでは全くありません。後ろの二つの楽章も確実に歩を進めます。音程がずれた鐘は仏教寺院のようで面白いです。

 1958年録音のデッカ盤でソフィエンザールでの収録ですが、元は RCA 原盤でしょうか。58年というのは次のクリュイタンス盤と同じくステレオ最初期であり、最高のコンディションとは言えないかもしれませんが、リマスターのせい か豊かな低音に歪まない高音であり、フォルテでちょっとだけ薄っぺらい弦の音になってブラスも濁り気味にはなるもののほとんど古くささを感じさせないレベ ルにまで達しています。残響は若干少なめでしょうか。演奏が気に入れば十分に満足できる水準だと思います。

 これ以外の録音で日本でより評価が高い様子なのは1950年のサンフランシスコ交響楽団とのモノラル盤でしす。そちらは同じ指揮者ゆえに解釈が大きく異 なるわけではないものの、速いところでより速くなり、熱がこもって迫力があります。伸び縮みする運びは同じでありながら、普段穏やかなタイプの演奏家がラ イヴで白熱したときの演奏のようです。それは良い演奏という類型の一つであり、そういう意味で人気のミュンシュ盤とも比較されるのだと思うし、それこそが 一番という声もあるのだと思います。LP からの復刻なので音はより厳しいですが、歪んでいたりはしないので演奏が好きな方は気にならないでしょう。ただ、私見ではモントゥーの特徴がより表れて いて完成度が高いのはこちらのウィーン・フィルとの録音である気がします。そして1930年と45年のものを除けばこのウィーン・フィルの後、亡くなる年 の64年に北ドイツ放送交響楽団とも録音していますが、そちらは現在廃盤となっているようです。演奏自体はそれもウィーン・フィル盤と比べると白熱度がやや高い気はするものの、いかんせん六年新しくてステレオと表記されてはいても録音コンディションがフルトヴェングラーの屋外コンサートのようであり、大きな音ではクリップするし残響はほぼないし中低音はこもるしで、仮にリバーブをかけてバランスを調整するリマスターを行っても無理かと思います。典雅なモントゥーというのは私の思い込みかもしれませんが、古い音をありがたく感じるのでない限り、やはりデッカ58年盤で代表させるべきでしょう。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Andre Cluytens   The Philharmonia Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
アンドレ・クリュイタンス / フィルハーモニア管弦楽団  

 ベルギーの指揮者、クリュイタンスはフランス語圏出身ということもあり、フランスものの演奏では評価の高 い人です。独特の流麗な歌を持っており、ベートーヴェンの田園の名演残しています。この人の盤もミュンシュとならんで「幻想」の定番とされています。
 この盤についてはやわらかい方向というよりも、オーソドックスな演奏だと思います。第一楽章は大変ゆっくりと始まり、途中の駆け出す箇所では劇的にス ピードアップするなど、けっこう振りが大きいです。第二楽章は大変まとまりが良く、第三楽章のイングリッシュホルンは次のアンセルメの表現同様にややフレーズ を区切ってゆっくりと吹かれます。表情は清潔です。第四楽章のティンパニは大きな音で迫力があります。最後の楽章はかなりヒートアップします。いわゆる 「熱血」演奏とひとことで言えるものでもありませんが、その方面の嗜好も満足させてくれるかもしれません。

 録音は1958年でステレオの最初期のものです。モノラル時代のようなことはありませんが、音はそれなりに時代を感じさせるものではあります。人間の耳が一 番敏感な4KHz あたりの高域がやや強調されたキンとした響きがあります。中低域の200Hz あたりに若干のボンつきもあります。高域は少しオフです。しかしトータルでは低音も出ますし、この演奏が好きな人には気にならないでしょう。女性を描いたジャケットもこの時代のものの復刻で、なかなか魅力的です。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Paul Paray   Detroit Symphony Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ポール・パレー / デトロイト交響楽団
  

 ポール・パレーとデトロイト交響楽団、通好みというか、一部で熱烈に言う人もあります。ということは一般にはあまり馴染みのないところかもしれません。 パレー(1886-1979)はフランス人の指揮者で、フレンチということから普通に想像されるのとは違ってスピーディで引き締まった演奏をする人です。一方でデトロイト というと今やラスト・ベルトの一環としてか、郊外にはゴーストタウンの崩れた住居が不気味に広がっていたりして何十年か先の日本を予見させますが、この当 時は自動車産業で大変活気があったでしょう。デトロイト交響楽団も今のアメリカのオーケストラ・ランキング(何のかが問題でしょうが)にはあまり顔を出さ ず、レコードを集める人もその録音をたくさんは持ってないかもしれないながら、パレーが鍛えて一流にしたと言われます。この盤の時代は一つの黄金期でし た。この人たちの組み合わせについてはシューマンの4番の交響曲でも取り上げましたが、私も詳しくありません。聞いてみると「幻想」についてもシューマン 同様にテンポ感が良く、あっさりとしていて表情がよく付き、楽しいほどスピード感溢れる運びです。これが好きなら他にない演奏だと言えるでしょう。

 第一楽章は速めのテンポで過剰な抑揚は付けず、すっきりと進めます。しかし伸び縮みはあり、ゆっくり聞かせる部分も出て来ます。短い一音の中でぐっと強 めるような劇的でダイナミックなアクセントも聞かれます。速い部分での覇気ある力強さが特徴でしょうか。しかしそれは気が短いのではなく、思い切りが良い という印象です。
 第二楽章は出だしの伴奏部で弦楽のトレモロが大きく揺するのが面白いです。切れの良いすっきりしたワルツであり、活気があって軽やかです。 
 第三楽章は緩徐楽章ですが、ここも遅くはありません。弧を描くような抑揚は付けず、すっきりと進めて行きます。拍にところどころアクセントを付けるのは 速い楽章と共通しており、それによって夢に溺れない覚醒した印象を与えます。中間部の盛り上がり部分もスピーディで、まとわりつく感情を振り落としたよう にすっきりとしています。雷すらもくっきり聞こえます。
 第四楽章は断頭台への行進ですが、ここのテンポは決して速いとは言えず、区切りの良いアクセントで進めるものの中庸か、むしろゆったりめの設定です。一 歩ずつ確信するように進んで行きます。ブラスもパッパッと切れて小気味良く、爽快さを感じます。ギロチンの刃が落ちた後の首はあっという間にリズム感よく 転げ、間髪を入れずにファンファーレとなります。全く深刻さがなく、軽やかでむしろユーモラスですらあります。
 第五楽章も重くおどろおどろしい感じがしません。古い録音ながら重低音は強調されています。それでもパレーによると地獄というところは深刻でも恐ろしく もない場所のようです。信念が作り出した世界に過ぎないからか、軽々として剽軽ですらあるのです。チューブラー・ベルも主人公を嘲るという趣旨に則って、 のど自慢の残念賞のように軽い打ち方です。楽章真ん中以降は必ずしもスピーディではありませんが、ラストへ向けての加速は心地良いもので、コルレーニョの 前の弦も短く速いです。そこから先は元気良く、快活に終えます。

 ジャズでも有名なマーキュリー・レコーズの1959年ステレオ録音で、音質は良いです。低音も出ていてかぶらないし、高音弦もこの当時としては全く優秀です。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
  Sir Thomas Beecham   Orchestre National de la Radiodiffusion Française


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
サー・トーマス・ビーチャム / フランス国立放送管弦楽団

 指揮者サー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)はグラクソ・スミスクラインというイギリスの製薬会社の御曹司ということです。薬屋さんと呼ぶとかわいいですが、人の命を左右する医療や製薬業 というのは金融、エネルギー産業と同様に様々な利権が絡む大きなもので、イギリスに限らずその背後には代々引き継がれてきた銀行系の一族や、独禁法で姿を 変えた別業種の巨大財閥の影があったりもします。それらは医学的発明に対して生殺与奪の権能を有するのみならず、世界的賞の受賞者を決め、我々の知らない 様々な仕方で国策までも左右している、こういうのをコンスピラシー・セオリーと言いますが、あながちセオリー(説) に過ぎないとばかりに片付けられない側面もあるのかもしれません。無力な我々は恐ろしい目には遭わないにせよ、古代から陰謀というものは変わらないわけで すから。そしてビーチャムがそれに加担していたという話では全然ないのですが、潤沢な資金を使って自身の音楽的才能を発露させ、文化振興に大きな社会的役 割を果たしました。驚くべきことにロンドン・フィルやロイヤル・フィルを創設したのは彼です。こういうのはそんな財閥財団が持つ光の側面でしょう。ビー チャム自身は自らの成功のために動くばかりでなく、他の音楽家たちも援助して人望が厚く、ユーモアのセンスもとびきりあった人のようです。

 オーケストラは現在のフランス国立管弦楽団の前身です。演奏の方は案外過剰な表情はなく、統制が取れてくっきりとした美しさがあります。ジョークが好き だったと言っても音楽の面ではノリントンのように変わったことは何もしていないわけです。静かなパートではレガートが聞かれます。ただ、途中で走ったり 切ったりして強調するときのやや大きめの抑揚マナーは若干懐かしい感じかもしれません。終わりの方二つの楽章では慌てたりせず悠然と行きます。

 第一楽章はゆったりと入ります。過剰な表現は抑えていますが抑揚はあります。弦が駆け上がるところでは適度のテンポを上げ、中間部ではやや速めになります。 
 第二楽章も適度なテンポで、過不足なく軽やかさも感じられる運びです。リマスターのせいもあるのか明るく穏やかに感じます。
 第三楽章は中庸のテンポでコーラングレと弦の両方にスラーの表現が聞かれます。そうやって前後フレーズを一続きにするところ、つながないところの使い分 けがあるものの、全体にはレガートできれいに進行して行きます。余計な強弱は付けずに抑制された中に抑揚が聞かれるところなど、あっさりと洗練されている イギリス人らしいのかもしれませんが、同じ英国人のコリン・デイヴィスのこの楽章の表現がよりスタティックでフレーズに区切りがあり、ゆったりしているの に対して、ビーチャムの方はもう少し活気があってくっきりしながらも滑らかにつなぐオンな感覚があり、工夫もより聞かれる感じがします。個人的にはビー チャムの方が好きです。抑揚の最後にふわっと山を付けたり延ばしたりする作法はより古いタイプの表現なのでしょうか。明るい音で、中間部のフォルテも適度 に強めます。後半はややゆったりのテンポに変じ、雷は滑らかです。
 第四楽章は遅めです。チューパにビリつきを出させているようです。重めの足取りでインテンポで進む行進です。最後のティンパニが目立ち、ファンファーレを延ばして終えます。
 第五楽章も遅めです。鐘はチューブラー・ベルでしょうか、全体に落ち着いています。グレゴリオ聖歌の部分はややもったいぶった歩調でしょうか。最後まで遅めのテンポを守って堂々と終わります。  

 1959年 EMI のステレオ録音です。リマスターされてヴァイオリンが繊細に強調されている感じです。それ自体はやや艶消しで潰れる部分もありますが、時期からすれば致し 方ないことでしょう。一方で管には艶が出ています。第三楽章ではデイヴィスより好きと書いておきながらそのフィリップス盤のように♡を付けなかったのは、 古き良き時代を思わせる表現への好みと単に録音コンディションの問題です。しかしこの録音は大変良い状態です。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
  Igor Markevitch   Concerts Lamoureux


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
イーゴリ・マルケヴィチ(マルケヴィッチ)/ コンセール・ラムルー管弦楽団

 イーゴリ・マルケヴィチ、その名を聞いて演奏をイメージしやすい人ではないかもしれません。1912年生まれのロシア系でヨーロッパ各地で活躍し、 1983年に没している指揮者/作曲家ということで、ディスコグラフィーを見ると出てる録音は結構多いのです。チャイコフスキーなどのオーケストラものを 聞く人にはお馴染みでしょうか。モーツァルトのピアノ協奏曲でクララ・ハスキルの伴奏もしていました。
 この人を形容する言葉に「鬼才」や「奇才」というのがあります。前者は人間業とは思えない、後者だと稀な才能という意味ですが、指揮者では他にチェリビ ダッケやカルロス・クライバー、ピエール・ブーレーズ、古楽ではアーノンクールやノリントンなどもそう呼ばれたりするようで、どこか主流じゃなくて変わっ たところのある人のことのようです。でもマルケヴィチ、海外での評価は高く、「幻想」についてもDG がこうしてリマスターの斜めジャケット柄シリーズで出して来るほどです。ベルリオーズ自身だって人間離れはしてないけど「奇才」は間違いないでしょう。

 聞き初めは丁寧端正な演奏かと思います。出だしが大変遅く、最初に弦が駆け上がるあたりで順当に加速するからです。そして、ピリオド奏法のようなスタッ カートはないもののその後のメリハリに工夫が聞かれます。でも踏み外すような情熱ではなくて完成度が高い印象です。作曲家でもあるという意味ではブーレー ズとも共通する部分があるかと思います。緻密で分析的なところがです。音に力が入らないという意味ではなく、思い切ったこともしますが、要約するならば知 的で巧者とでも言ったらいいでしょうか。ちょっと覚めたところ、離れたところから見ているクールさが陰にあって、それでいて表現はダイナミックなのです。 コンセール・ラムルー管弦楽団はコロンヌと並んでフランスはパリの私設オーケストラですが、単にフランス的な香りとエスプリに溢れているという演奏ではありません。

 第一楽章は大変ゆったりな始まりで、丁寧に歌わせます。途中でスピードアップして鮮やかに盛り上げ、メリハリの付いた切れのある運びに変わります。速いパッセージの中にゆっくりの拍を置くなどの工夫も聞かれます。 
 第二楽章はテンポを伸び縮みさせるワルツです。かなり遅いところから速めまで差が大きいです。
 第三楽章はゆったりですが平静で、波打たせずやや直線的に運びます。人によっては退屈さを覚える場合もあるかもしれませんが、スラーというよりはテヌー トのように抑揚を抑えて真っ直ぐにつなげるのです。これは録音の加減ですが、フォルテでリミッターがかかったように音の大きさが抑えられるところがありま す。最後は大変遅く終わります。
 第四楽章は弱音でぐっと弱める工夫が聞かれます。走らずにメリハリを付けるのでダイナミックながら冷静な行進です。 
 第五楽章は分解的にゆったり、一音ずつくっきりさせながらの運びです。鐘の前ですら走らず、鐘はくっきりと力強く鳴ります。ラストまで走りません。

 1961年ドイツ・グラモフォンの録音で、音は良いです。さらっとした弦が前に出て繊細さが感じられます。強くなるとグラモフォンらしく輝きも出ます。 この録音の前、1953年にもマルケヴィチはベルリン・フィルと「幻想」を出していました。ラムルー管との方がディスクとしては有名で、発売当初以来この 曲の名盤の一つに数えられてきました。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Ernest Ansermet   L'Orchestre de la Suisse Romande


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団 ♥  

 アンセルメはスイス人の指揮者で、元はローザンヌ大学の数学教授だった人です。スイス・ロマンド管弦楽団 は彼が1918年に創設したオーケストラで、ジュネーブを本拠地とするフランス語圏の楽団ということもあ り、フランス式の楽器を用いて華やかな音色を出すことで有名です。

 フランス人は鼻にかかった音が好きなのでしょうか。フランス系の管楽器やヴァイオリンの倍音は、明るいながらもどこか鼻にかかった音であるような気がし ます。鼻濁音に関係があるんでしょうか。第一楽章ですでに目立ちますが、ファゴット(フランス流にはバソン、英語のバスーン)の音色が独特です。他の管楽 器も華やかな音で、ドイツ系オーケストラの音色が好きな人は「ぺらぺら」だと酷評するようで好みが分かれますが、いいと思います。この楽章をアンセルメはしなやかに伸び縮みするテンポと抑揚で魅力的に仕上げています。 
 第二楽章はテンポは一定に保たれていますがけっこうダイナミックです。
 第三楽章の「野の風景」の出だしはイングリッシュホルン(仏:コーラングレ)がフレーズごとに切って吹い て行く感じでゆったりしています。この楽章ではこのイングリッシュホルンと、その音に似ているオーボエとが かけ合いますが、野で吹き交わす効果を出すためにオーボエの方は舞台の外で演奏するように指示されていま す。このような指示はこの曲が初めて出したようです。そのため特にこの演奏では一オクターブ上を吹くオーボエが大変遠くから聞こえてきます。そこでのアンセルメの表現は粘るようには吹かせないものの、品があります。 クラリネットも若干鼻にかかった音ですが、全体のテンポはさほど遅いわけでもなく、過剰な叙情性は避けられているようです。
 第四楽章は断頭台への行進ですが、ティンパニの抑揚が見事で、クレッシェンドに迫力があります。その音は 乾いていて独特のトコトコという小太鼓のような音がします。ベルリオーズはティンパニについてもこと細かに指示をしており、マレット(バチ)の頭の材質を木、革張り、スポンジなどと使い分けさせているようです。 
 楽章の持つ感情的な特徴からか大振りの演奏も多いなか、アンセルメは節度をもってリズムを一定にしてお り、走らせないことでかえって迫力があります。最後は刑が執行されたことを高らかに歌うファンファーレが鳴って締め括られますが、その最後の音は大きく劇 的にやるのではなく、途中で音を弱めるという手に出ていてなるほどと思います。
 第五楽章は地獄でありながら、どの音もよく響いて明快です。テンポはやはり一定にすることで独特の効果を あげています。第一楽章ではあれほど伸び縮みさせていたのですから、アンセルメの意図であることは明らかで す。管楽器の音が個性的なのもこの楽章を魅力的にしています。皆が注目する地獄の鐘の音についてはこれがまたユニークで、鐘というよりもチベット寺院のドラのような響きです。

 アンセルメの演奏、「幻想」の一つのお手本となる素晴らしいものだと思います。この人は数学者であることも関係があるのか、リズムを一定に保って楽曲構造を 見せると同時に迫力を出すやり方が理知的で、それでいて過剰にならない澄んだリリシズムを発揮します。時代的にはストラヴィンスキーやラヴェルと交流する ぐらいに昔の人で すが、この「幻想」は彼の最晩年、67年のデッカ録音で音も十分に魅力的です。自分用には若干のイコライジングを施してみましたが、独特の音色を楽しむのに不 足のない音質だと思います。そのうちリマスター盤も出るかもしれません。アンセルメの魅力的な個性と人柄を感じさせる「偉大なる遺産」ではないでしょう か。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Charles Munch   Orchestre de Paris


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
シャルル・ミュンシュ / パリ管弦楽団

 圧倒的に評価が高いのが、ミュンシュが指揮したパリ管弦楽団の1967年の録音です。オディロン・ルドン の不思議なパステル画、「海底の幻想」のジャケットのレコードは何度も再販されました。しかしこれは特に日本での現象のようで、アメリカではむしろ同じ ミュンシュならボストン交響楽団の方が好まれるようです。この指揮者がパリ管の発足に関わったといっても、アメリカ人にとってはやはり地元のオーケストラ なのでしょう。ミュンシュという人はフランスの指揮者でありながらドイツ系の人で、色彩豊かで滑らかというのではなく、力のある演奏が得意です。細部に表 情を盛る人ではなく、大掴みにテンポを変えて行くので表情が大きく感じられるのであり、部分部分は案外無表情の瞬間もあります。ブラームスの1番と並んで 定番のこの幻想交響曲もフランスのオーケストラだから華やかで粋だろうという方向ではなく、一言でいうなら最も激しい「幻想」です。ベルリオーズの狂気を 張り裂ける金管で表現しており、熱くなると力の限り突進して行きます。最後の二つの楽章を楽しみにしている人の期待を裏切らないものだと言えるでしょう。

 ここでちょっと余分なことに触れます。このページではこうした定番演奏に対してあまり好意的な書き方をしてないように受け取られるかもしれません。聞き 始めの頃は熱気こそが全てと思えても、色々聞くうちに演奏における他の要素も見えてくる、こういう言い方は上から目線で嫌らしいですが、少なくとも自分の 場合はそうでした。これは好みの問題であると同時に人によっては鑑賞の姿勢におけるシーケンシャルな問題でもあり得るわけです。言い難いことを英語でオブ ラートに包むのも官僚答弁のようでいただけませんが、熱 くなって走って行く演奏だけではなく、表現の細かな部分に目を向けてみるのも悪くはないですよと言いたいところがあるのです。そしてこうした興奮度の高 い、いわゆる熱い演奏というものもやはり音楽の最大の魅力の一つです。熱い人とも思えなかったベームやカラヤンも来日公演では燃え、それがいかに素晴らし かったかは同じくブラームスの1番のページですでに取り上げました。夢中になったものです。ミュンシュも含めて蝋燭の最後の光には歴史的価値もあります。 

 第一楽章の出だしでは、語尾を長く延ばすところが時代を感じさせるようにロマン派的です。途中低音が目立つためか、コントラバスの音がずっと持続するパートに気づ かされます。そしてフォルテは歯切れ良く炸裂します。速いパッセージでは思い切り力が入っており、ろれつが回らないほどの興奮ぶりを思わせます。大きな蒸 気機関車が驀進しているようです。
 第二楽章は力の入ったワルツです。テンポは中庸ながら拍子が目立ちます。
 第三楽章は野の風景を描く緩徐楽章ですが、やや速めのテンポで耽溺することなくあっさりした表情です。中間部では少し歌が大きくなり、やはり語尾を延ば す傾向が聞かれます。しかし力は入っており、速いところは体操の助走のようであり、床運動で対角線をフルに使って走って行き、大技を目指すような緊迫感が あります。
 第四楽章の「断頭台への行進」では短気とも言えるようなティンパニが弾けます。タタタ・タン!と途中から急に速くなり、畳み掛ける迫力があります。金管 の炸裂もすさまじいもので、常にビリビリと咆哮し続けています。乱れるテンポも荒い息づかいのようであり、最後に首が切られる前に彼女を思い出す夢のよう なメロディーもあっという間に、重いギロチンが一気に落ちてきます。
 第五楽章の地獄もとにかく迫力があります。鐘はチューブラー・ベルが使われているようですが、その音は高 い鐘のようで、西部劇に出てくる蒸気機関車の紐つきのベルを連想します。それが例の水戸黄門の行進のようなメ ロディ(本当はグレゴリオ聖歌の怒りの日)の中をカーン、カーンと鳴らしながら走って行くのです。あるいは決闘を告げる 田舎町の教会の鐘でしょうか。地獄とは情動の嵐の中に落ちることかもしれませんが、この狂乱ぶりはさすがです。

 録音ですが、弦がちょっと金属的な音であり、5KHz から上に強調点があるようです。低音も一番下の帯域は出ないものの100Hz あたりから上で共鳴し、フォルテではちょっと頭打ちになりま す。残響はやや少なめです。結果として全体にきつい音なのですが、最近は色々工夫されたリマスター盤が出ているようです。上手く調整されたのもあるかもしれません。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Charles Munch   Boston Symphony Orchestra 1954


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
シャルル・ミュンシュ / ボストン交響楽団(1954)



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Charles Munch   Boston Symphony Orchestra 1962


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
シャルル・ミュンシュ / ボストン交響楽団(1962)


 ミュンシュのパリ管との録音が揺れるテンポに咆哮する金管という、大振りで熱気溢れる演奏によって常に「幻想」でナンバーワンの人気を誇ってきたという ことを述べましたが、その荒削りできつい音の録音よりもボストン交響楽団との盤の方が完成度が高いという声も以前からありました。ミュンシュはこの曲を得 意としてきたのでたくさん演奏しており、手に入る音源だけでも6種類ぐらいはあるのでしょうか。パリ管と同じような乗りと激しさ求めてライヴ盤まで求める ファンもいらっしゃるようですが、完成度となると1954年と62年に RCA によってステレオ録音された二種類のボストン・シンフォニー盤ということになると思います。 では、どちらが良いかとなるとこれはまた難問で、意見もすっかり分かれるところのようです。

 まず常識的に考えることは、54年録音というのは古過ぎはしないか、ということです。しかしこれが驚いたことに、この両者を比べて古い方がずっと音が劣 るとばかりも言えないのです。1954年といえば普通ならモノラルの時代、ステレオ録音が実験的に始まったばかりの頃です。LP レコードのステレオはまだプレスが始まってなかった。フルトヴェングラーの最後の第九と同じ年ですから。でもアメリカは技術が進んでいたのか、ミュンシュ の録音は素晴らしいのです。こういう出来のものは55年のカンテッリの「未完成」など、いくつかの珍しい例と言えます。全合奏のフォルテでは若干クリップ 気味で音痩せし、濁りも聞かれるのは仕方ないとしても、ストリングスは繊細で結構自然にとれています。トータルでコンディションが良いのはより丸い響きの 62年の方は間違いないとしても、そちらが金管などで完全に分解し切れているとも言えません。残響はどちらも少なめです。

 演奏については、スタイルは同じ人なのでやはり共通したものはあります。それはパリ管の盤も同じで、どこで走るかも大体決まっているけれども、微妙に揺 らすところが違う場合もあります。54年と62年とでどちらが熱演かというとこれも微妙なところで、ラスト二つの楽章を比べて起伏が大きく、パリ管に近い ような熱い炸裂を感じるのは62年の方、54年も第五楽章はエネルギッシュながら全体により均整が取れ、軽快さとリズムの切れが感じられます。第一楽章は 62年の方でやや拍がもったりしてる箇所が聞かれます。第三楽章は54年の方が全体に緊張感があって盛り上がりもしっかりコントロールされており、断然良 いと思いました。 

 要約しますと、引き締まった均整美と各部の完成度の高さ、弦のきれいな音色で54年盤、トータルの録音の良さとラスト二つの楽章の荒々しさでは62年盤 というところでしょうか。聞き比べてみて感じたのは、個人的な好みにおいては何もミュンシュじゃなくても良いのでこれだけが「幻想」だとは全然思わないけ れども、54年盤の方はやはりなかなかの名演じゃないかということでした。

 以下に楽章ごとのメモを両盤並べて記しておきます。

1954年盤
 第一楽章は弦の美しさが際立ち、大変均整が取れています。テンポを動かして行くミュンシュらしさが聞かれますが粗雑な歌わせ方はありません。むしろ繊細さも感じさせるほどにコントロールされています。
 第二楽章はラストでスピードアップするものの案外おっとりしています。
 第三楽章はミュンシュの録音で最も魅力的です。コーラングレは近く、はっきりしていて細身の艶がきれいであり、オーボエとの遠近差がしっかり付きます。盛り上がりに緊張感があり、テンポもやや速めですが、62年盤より断然こちらだと思います。
 第四楽章では最初にティンパニで強めるところが小さな音で驚きます。テンポは中庸やや着実感のあるものから途中で軽快になります。ギロチンもファンファーレもパリ管に比べるとあっさりと軽快です。
 第五楽章は歯切れの良い出だしです。音に重さがないのが良いです。鐘はチベッタン・ベルのようでくっきりしていてちょっと渋い音がします。そのあたりの グレゴリオ聖歌のテーマの展開もリズミカルで、途中で速めたり戻したり揺らしながら進めます。62年盤より激しさは減じるけれども鋭さで勝るという感じで す。後半のアッチェレランドははやる心という感覚があり、深刻さや狂気よりも、むしろ楽しくすらあるラストへと軽やかになだれ込みます。

1962年盤
 第一楽章は録音の加減からか、まずやわらかい印象を受けます。そしてテンポが遅い箇所では54年盤と比べてより遅くなり、フレーズがややもったりと聞こえます。速いところとの物理的な差は付くものの熱い演奏という感じでもありません。
 第二楽章は54年盤との表現上の違いがよく分かりません。
 第三楽章はゆったりと膨らみを持たせて歌わせています。かと思うと案外細部は無表情に進んでるような瞬間があります。
 第四楽章は54年盤より重みと力強さが勝ります。ラストに向けて途中から加速し、ギロチンが一瞬なのはパリ管と同じながら、ファンファーレも含めて54年盤よりもエネルギーを感じます。
 第五楽章は案外落ち着いた出だしですが、途中から金管が轟いて走り出す場面もあり、鐘へとつながります。鐘の音自体は54年盤とよく似ている気がしま す。怒りの日の部分はそこそこ落ち着いて進行させ、そこからまた加速したり戻したりする仕方は同じで、クライマックスに向けて再度速めて驀進して行 きます。かなりの力と興奮度であり、金管もパリ管ほどはつぶれない印象で響き渡り、ラストは猛然と速いです。最後の音を延ばすのは54年盤とも共通ながら より引っ張っている感覚があります。パリ管の音をもう少し良くして聞きたいという希望を持つ方にはこの盤は最適かと思います。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Sir John Barbirolli   SWF-Sinfonieorchester


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
サー・ジョン・バルビローリ / 南西ドイツ放送交響楽団

 1970年に亡くなったバルビローリについては、その晩年に EMI に入れた一連のブラームスのシンフォニーの録音、特に第2番を愛聴してきました。ゆったりとしたテンポで各声部を分解し、フレーズごとに間をとって丁寧に 歌って行く演奏なので、あの作曲家特有の分厚いオーケスレーションのせいで速い合奏部分の響きが「だま」になることが避けられて大変ありがたかったので す。CD においては生のようなバランスというわけではないにせよ、ART 処理のリマスターによる艶やかな弦の音も魅力的でした。しかしそこでの演奏は スタジオ録音のすまし顔だったのかもしれず、どうやらこの人らしいとも言えないようなのです。日本にはバルビローリ・ファンの方々がいらっしゃるようで、 それは頭の中の抽象化にしても、「バルビローリ節」なる民謡が存在することについては常に言及されてきました。「カンタービレ」と言う人もいます。シベリ ウスもマーラーもあまり聞かないせいか熱心にこの人を追いかけて来なかったので、最近までそれがよく理解できていなかったようです。この「幻想」ではその カンタービレの片鱗が窺えます。イギリスの指揮者ですが、両親がイタリア人とフランス人ということもあるいはちょっと関係あるのでしょうか。

 遅い中に独特の表情がある演奏です。この録音では特に昔のタイプの指揮者だなと思わせるところが出てきます。昔というのは、フルトヴェングラーもかくや という伸びたり縮んだりがクレンペラーのようなゆっくりの中で実現されるところです。ポルタメント気味にする部分もあれば、途中でびっくりするぐらいテン ポが緩まるところもあります。フルトヴェングラーより十三歳年下ですが19世紀生まれです。ワルツでは次のフレーズに行く盛り上げの途中で一旦切って大袈 裟なほど間を置いて歌い出す場面も聞かれるし、ダンスの最後にお辞儀をするようにぐっと引き延ばしたりもします。そして全体にビブラートをかけてしっかり 歌わせていて、そういうときの独特の心地良さはブラームスの演奏でのゆとり感と同じものだと気づきます。遅く歌わせるところが「カンタービレ」なのでしょ う。実は1967年のそのブラームスとこのベルリオーズとは同じ時期で、最晩年の収録です。

 第一楽章は艶のある管がきれいです。全体にゆったりで、弦が駆け上がるところで若干速くはなるものの、ひたすらゆっくりな場面もあります。それが一種新たな美ともなっています。フレーズの途中から優雅に緩めて行くこともあり、大変滑らかです。
 第二楽章ではテンポは若干速まりますが、やはりややスローです。ここでも終わりのフレーズを延ばす手法が聞かれます。そこで強めることもあります。昔風 と思いましたが、ベルリオーズの混乱した夢の中のワルツを再現しているのかもしれません。ステップの途中で一瞬止まったかと思うところにはびっくりしまし た。
 第三楽章は他の楽章の遅さからするとまだ普通です。でも速くはありません。ここは案外流しているとも言えるでしょうか。しかし後半になるとかなりスピードダウンしてうねるような表現になります。
 第四楽章は重々しく一歩ずつ引きずりながら歩く行進です。ここでは変わった節回しは出ません。
 第五楽章もやはり遅いです。鐘の前で弦のトレモロを強調したり、時々面白い表現が聞かれます。鐘は不思議な音で、普通サイズの鐘にピアノを重ねたものの ようです。背後で鳴っているのはインマゼール盤で聞かれるダンパーを外したピアノの低音部だけのような音です。ベルリオーズの指示通りの低い音を出そうと いう工夫なのでしょう。なるほどその手があったか、と思いました。そしてこの地獄は最後まで遅く、壮大に進みます。かなりおどろおどろしいヘヴィなラスト で、曲に相応しいかもしれません。大変面白い「幻想」です。 

 1969年ということは、死の一年前です。スタジオ収録の放送用ステレオ録音ということですが、音のコンディションは良いです。一瞬ブラームスと同じ レーベルだっけ、と思うときもあります。しかしそのEMI のセッション録音よりはややドライな音で、同じように艶やかな弦が美しいです。実際より少し強い艶なので、フォルテで輝きます。ということは金管にも艶が 出ています。中高域に若干反響があるのか明るく感じられますが、ボンつきやかぶりはありません。もちろんクリップもしません。全合奏ではやや薄さがあるで しょうか。レーベルは ICA クラシックスです。バルビローリはこれ以外にも常任指揮者だったイギリスのハレ管弦楽団とも1959年に「幻想」を録音しています。一応ステレオですが、音は古い印象です。その前には49年にも録音しており、これで三回目ということになります。



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     Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
     Georges Prêtre   Boston Symphony Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ジョルジュ・プレートル / ボストン交響楽団
   

 美しさの追求というよりは迫力の演奏です。フランス人らしいエスプリとミュンシュのような興奮の二つが合わさった名演という声もあるものの、前半のフラ ンス的という点については私はそういう風には感じませんでした。軽快で明るいパレーとは反対に重さのある運びですが、むしろパレーと同じ程度にフランス的 ではない方のグループに含めてし まいそうです。そもそも何を以ってフランス的かという話もあり、実体のないものにあまりこだわるのは無益な論議ではありますが。それはともかくミュンシュ よりは重量感と粘りがある印象で、特に色彩豊かという感じはせず、録音の加減からもむしろ音は地味です。繊細だったり意外な崩しが聞かれるということもあ りません。真面目で興奮度が高い印象でした。熱演が好きな方には外せない名演でしょう。ミュンシュの三十三歳年下という世代で、トゥールーズ・キャピトル 劇場やパリ・オペラ座で指揮をし、後にはウィーン交響楽団と深い関係にありました。また、若い頃はトランペットを吹いており、ジャズに興味を持って活動し ていたという人ですが、2017年に亡くなっています。

 第一楽章は中庸やや遅めのテンポでやわらかさと重みのある抑揚で始まります。物憂げな表情で気だるい感じです。導入が終わって駆けるところもさほど爆発 的に速くはしません。ちょっとずしっとしていながらオーソドックスな表現です。ところが中程で音が強くなる箇所ではかなりテンポを上げます。そしてその後 はテンポの伸び縮みがかなりあり、白熱した力強さに満ちています。
 第二楽章は中庸のテンポで堅実に進められます。特に変わったことはせず、軽過ぎず重過ぎずのワルツです。案外淡々としています。第一楽章より力が抜けているでしょうか。ラストはやや速度を上げて軽く終わります。
 第三楽章のコーラングレはフレーズをくっきりと、さほど滑らかにせずに歌わせます。テンポは特に遅くはありません。やや沈んだ調子ながら割とあっさりと 感じます。途中からはレガートでつなげるように変化し、拍を引きずる重さが出てきます。同時に遅いと感じるようになります。真ん中の盛り上がるところでも 躍動感よりは重量を感じさせ、ちょうど中央あたりでスピードアップします。そしてまた重く沈みながらラストに向かいます。
 第四楽章の行進は静かにゆっくりと始まり、そこから力強いフォルテになりますが、拍の重さは続きます。金管のファンファーレのあたりで急にテンポを上げ、リズムも切れる方向に変化させます。その後は両者の間を行き来して元気良く終わります。
 第五楽章は始まりから特に変わった趣向はありませんが、フォルテになると速まるダイナミックな動きがあり、確かにミュンシュと比べられるような伸び縮み が出てきます。熱いです。鐘はチューブラー・ベルなのか鐘なのか、低くはありません。スタジオ録音のショルティのようにスパッと切れるリズムではないです が、その後も力強く、強弱とテンポにメリハリがあります。ラストは走ります。ただ、うんと速くなるのは一番最後の部分です。「ミュンシュ張りの大迫力」と の触れ込みで聞くと、我を忘れての驀進というほどの熱気でもない気はしますが、ハイテンションには間違いありません。

 EMI 1969年の録音は良い音ですが、多少地味めで艶や輝きがあるというものではない感じです。プレートルはこの後ウィーン交響楽団と1985年に新しい録音 をテルデックから出しました。アンリ・ルソーの「夢」がジャケットになったものです。演奏は同じ傾向だという言う人がある一方で、アグレッシヴさは減って スケールが大きくなったという評もありました。この方向の演奏がお好きなら是非確かめてみてください。


 
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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Sir Georg Solty   Chicago Symphony Orchestra 1972


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
サー・ゲオルク・ショルティ / シカゴ交響楽団(1972)

 ミュンシュのテンポを揺らすライヴ・パフォーマンス的な熱血演奏に対して、歯切れの良い豪快さという違う方向で、同様に元気な演奏を好むファンからの熱 い視線を集められるのがショルティかもしれません。ハンガリー出身のユダヤ系で、アメリカで活躍した指揮者です。優雅さより力というマンリーさから肉食獣 をイメージする方もあるかと思いますが、ベートーヴェンなどでは必ずしも歯切れの良さだけを追求せずにオーソドックスに解釈して行く真面目なもう一つの顔 も持っています。

 しかし一般には、ショルティとシカゴ交響楽団についてはその正確さとリズムの切れの良さが認められ、常に技術的に最高のオーケストラであるかのような表 現がなされてきたのも事実です。セルとクリーヴランド管弦楽団も鍛え上げられたという意味でちょっと似た捉えられ方がされていましたが、上手いオーケスト ラが色々ある中で、ショルティの場合は指揮棒の動きと実際の音にタイムラグが少なかったところから楽音の鳴り始めと鳴り終わりがピタッと揃っているという ニュアンスでしょうか。恐らくレコード雑誌あたりで80年前後に誰か一人の評論家が流布した考えだと想像するのですが、あまりその手のものを読まなかった ので特定はできません。いずれにせよちょっと乾いた音の弦に最大限に鳴る金管、パンッ、パンッと小気味良く切れるティンパニに重低音のグラン・カッサ(大太鼓)という組み合 わせは、「春の祭典」あたりを聞けばロック・ミュージック顔負けにボリュームを大きくして音の洪水に浸かりたくなったものです。現代ではヤルヴィの「運 命」がちょっと似てるでしょうか。この「幻想」にしても、断頭台への行進など文句無しに痛快です。そして時代は変わり、97年にはショルティも亡くなって います。

 第一楽章はゆっくり始まって駆け上がります。金管に大きく劇的なクレッシェンドを加え、語尾を延ばして行く粘りのある歌わせ方も聞かれて面白いです。全 体にはゆったりテンポながら拍をくっきり区切っており、この楽章から切れの良さを見せます。前へのめる激しさも聞かれます。
 第二楽章はテンポは普通ながら、やはりリズムの切れるワルツです。軽やかというのともちょっと違いますが、弾みます。
 第三楽章は違和感のないオーソドックスな速度解釈で、最初表情は抑え気味です。やわらかさや音色の華やかさはなく、正確に運びます。皆が扇情的に盛り上 げる部分も、ゆっくりながら情感を込めます。途中のフォルテでは十分な迫力がありますが、雷については「遠い」という指示を守って大きくはしません。大変 ゆっくりになって終わります。 
 第四楽章はこの録音に一番期待がかかる部分でしょう。タタタタッと細かく切れてティンパニが刻むところが他の演奏とは一線を画します。ブラスもいきなり大きな音で迫力満点ですし、その音符もやはり小気味良く切れています。また大太鼓の超低音が迫 力を添え、名録音だった「春の祭典」を思い出させるものとなっています。ただ、死への行進という深刻な印象はなく、明るいです。この楽章で最も歯切れの良 い演奏であり、聞いて一番すっきり気持ち良いものでした。ギロチンの前の一瞬の回想は恐怖の表現なのか、後半に力を込めます。
 第五楽章の低音のものものしい響きは地獄にぴったりでしょう。テンポは初めゆっくりめですが要所で締め上げます。どの楽器も一音一音くっきりとして輪郭 が立っており、大変ダイナミックです。コントラバスも切れ良く録音されています。鐘は静かで遠い感じで始まり、途中から大きくなります。不気味さの演出で しょうか。グレゴリオ聖歌のテーマからも速くないテンポを維持し、地響きのような太鼓が鳴り続けます。最後まで走りません。

 1972年のデッカのセッション録音です。音はやけにいいです。低音がぐっと低いところから揺るがせるように鳴り、それ以外は明晰です。アナログ時代で すが、600馬力のスポーツカーや解像度が高いなどと評されるキレキレのオーディオ装置みたいに物理的・機械的な魅力すらあるかもしれません。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Sir Georg Solty   Chicago Symphony Orchestra 1992


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
サー・ゲオルク・ショルティ / シカゴ交響楽団(1992)

 ショルティ/シカゴ交響楽団はその後1992年になってライヴ録音を出しています。そちらはよりオーソドックスな解釈に徹しており、安心できる演奏になっていますが、ショルティにショルティらしい往時の歯切れの良さを求めて聞くファンの方には物足りないかもしれません。録音もライヴらしくより自然なバランスで、輝かしさは少ないです。低音も出ていますが、やわらかいホールトーンであってものものしい重低音ではありません。

 第一楽章は全体によりゆったりしているでしょうか。
 第二楽章はリズムの切れも普通になり、比較すれば穏やかに感じます。
 第三楽章は静かでよりやわらかい表現です。
 第四楽章のティンパニのリズムの切れについても特に尖りのないものになりました。セッション録音でないからか、ティンパニ以外のリズムの切れも特に良く ないというか、これが普通に良いという感じになっています。音の出だしと終わりが凄く揃っているなどと言われていたシカゴ響の特徴も、取り直しも含めて録 音にもよる部分があるのだと分かります。もたっとした感じに聞こえる箇所もあるかもしれませんが、これがライヴでの普通のオーケストラでしょう。それは次 の楽章でも同じです。また、ダイナミックレンジが圧縮されているように、強い音が思ったレベルに達しずに後退するような感覚もあります。気にならないレベ ルではありますが。
 第五楽章も同じ傾向で、鐘については72年盤のように最初に抑えるということはありません。鐘そのものの音も通常のものになりました。

 比べると72年盤の方が特徴があるとは言えますが、新盤も良い演奏ではありますので、ファンの方には大変意義のある一枚かと思います。音楽そのものを聞きたいものです。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Jean Martinon   Orchestre National De L'O.R.T.F


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ジャン・マルティノン / フランス国立放送管弦楽団
  
 ジャン・マルティノンは名高いフランスの指揮者ですが、いかにもマルティノンらしい色というものは感じ難 い人ではないかと思います。洗練されたスタイルで決して野暮にならず、全てがあるべきところに収まるという感じです。ミュンシュと同じくドイツ国境アルザ スの人(ドイツ系)で、ミュンシュによって始まったパリ管に対して、もう一方のフランス国立放送管弦楽団(後のフランス国立管弦楽団)でミュンシュの死と 入れ替わるように1968年から活躍しました。1910年生 まれで元々はヴァイオリン奏者であり、この録音の三年後には骨肉腫で亡くなっています。
 マルティノンの「幻想」も数ある幻想交響曲の中で有名な一枚です。ただ一頃はあまり人気がなかったからかちょっと手に入り難い時期もあった記憶です。終始人 気だったミュンシュ盤と比べられますが、より落ち着きがあってオーソドックスな演奏だと思います。これで「幻想」を代表させてもいいのではないでしょうか。 

 静かに始まり、ゆったりとしなやかによく歌わせ、そこから速くなって行くときもたわむような表情を残しており、全体に過剰にはならないバランスの良さが あります。決して力づくで行くようなところがない演奏なのです。したがっていかにもベルリオーズの狂気という感じにならないという人もいるかもしれません が、曲の構成をよく見せてくれます。
 第二楽章はコルネットが入る演奏です。
 第三楽章もやや重みがありながらよく表情を付けており、夢のようというよりはより切迫した感じになります。
 迫力を好む人が注目する第四楽章も基本的には最後までやや遅めで、行進の足取りが重めです。力は十分入っているけれども無用に大袈裟にはなりません。
 第五楽章もテンポは動かすものの大人の落ち着きがあり、鐘に特別な工夫はありませんが全体にしっかりした構成で迫力も十分にあると思います。

 1973年の録音でレーベルは EMI です。ステレオ録音も各社安定してきた頃のものですが、リマスターされている新しい CD は音のバランスが大変良くなっています。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Herbert von Karajan   Berliner Philharmoniker


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団   

 カラヤンは74年に三度目の「幻想」を出しました。作為的とまでは言わないけれども最も豊かに表情の付い た妖艶な演奏だと思います。新しいものが続々出る中で独自の輝きを失いません。鐘も凄いです。こういう作品を扱うときのカラヤンはスピーディではなく、粘 り気のある歌わせ方で饒舌です。弱音を印象的に使い、そこと盛り上がる ところとのうねるような行き来が魅力的です。弦を独特のタメをきかせて泣かせます。最新録音ではなくなりましたが音も悪くありません。フランス風でないな どという人もあるでしょう。でもある意味最もベルリオーズ的とも言えるのではないでしょうか。ロマン主義的自我を思わせるカラヤンの演奏と幻想交響曲との 相性はなかなかのものだと思います。ソフトウェアで鮮やかに仕上げた写真のように美しい仕上がりで、カラヤン美学をよく表した名演奏でしょう。

 出だしはゆっくり引きずるように入ります。間もたっぷりとしています。弦は硬い寒色系の音色ながらややオフで、独特の色づけは感じるものの大変きれいで す。最初に走り始める部分では弱く、素早く駆け上がります。そしてクレッシェンドしてぐんと強くなり、途中からまた引きずるようにゆっくり歌い出します。遅いところでは非常に遅く、表情がよくついています。巧者です。弦のトレモロにも印象的なパッセージがありますが、それはいったん急激に弱めて、短いクレッシェンドでぐっと強めて表情をつけるところです。
 第二楽章のワルツはうねる強弱で表現されていますが、それでいてどこかクールで、まるで遠い世界の出来事のようです。
 第三楽章のイングリッシュ・ホルンの歌は、最初はさらっとした抑揚で始まりますが、これも遠くで響いてい る感じです。それは遠く配置されたオーボエだけでなく、イングリッシュ・ホルンもです。ベルリン・フィルの 奏者はこのように抑揚を控えめにしたときも大変巧く吹きます。朝露濡れた高原の感じでしょうか。しかもどこか非現実的です。この静かな歌は途中からは抑揚をつけて歌うようになり、管と弦の溶け合う音が魅惑的です。
 クラリネットにテヌートも聞かれます。そして編集時のフェーダー操作かと思わせるクレッシェンドもありま すが、そうであっても魅力の一部として聞こえます。
 第四楽章では、ティンパニにダイナミックなクレッシェンドが見られます。金管はかなり華やかで、軽くて歯 切れも良く、迫力は十分にあります。死の直前の回想も美しく、ギロチンの刃は一刀両断、首はゆっくりとコロ コロ転がります。
 第五楽章もカラヤンらしいレガートの下降音表情の豊かさがあり、力もなかなかのものです。
 これは演奏の質とは何の関係もないのですが、例の地獄の鐘の音の話です。鳴り物というのは楽しいもので、 子供っぽいと言われてもやはりわくわくします。演奏者によって実に様々な音を鳴らしてくれるのですが、この カラヤンが驚き度マックスではないでしょうか。教会の鐘の音を実際にサンプリング録音してきて、ピッチを変えて使っています。ベルリオーズ 自身、低い音の鐘が用意できないときはピアノで演奏するようにと言っていたのですから、これが本来なのかもしれません。その地の底から響くような音はカラヤン盤だけで、聞く価値ありです。

 ドイツ・グラモフォンの録音については上記の通りで、上手なベルリン・フィルをよく捉えています。この1974年よりも前にもカラヤンは「幻想」を二回録音しており、同じくベルリン・フィルとの 前回の録音は1964年でした。それとは別に、モノラルですがパリ管との1970年のカラー映像も DVD で出ました。通常カラヤンの演奏は60年代のものはよりフレッシュでスピーディー、過剰な抑揚は抑えた構築性の高いものであり、70年 代以降はグラマラスでよく歌わせ、レガートが目立つことが多くなるように思います。したがってベートーヴェンなどの作品では60年代の録音がベストではな いかと思ったりもするので「幻想」でも同じことが言えるかと考えましたが、54年のフィルハーモニア管のものも含めて、ベルリオーズについてはどれもゆっ たり濃厚に歌わせつつメリハリをつけるという方向で考えがまとまっているようです。二回目のものは配信などでも出回っていて音の状態も三回目と比較して悪 くはないし、作為も少なくより素直だと言う向きもあるかもしれませんが、最もカラヤンらしいという意味で最後のものを挙げておきます。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Sir Colin Davis   Royal Concertgebouw Orchestra 1974

 
ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
サー・コリン・デイヴィス /
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1974) ♥   

  デイヴィスはイギリスの指揮者です。イギリス人 らしいというのか、さらっとした清潔な抑揚に特徴があります。ベルリオーズの全曲録音を敢行したことによってこの作曲家の復権に寄与しました。したがって 「幻想」はもちろん得意であり、今までに四回録音しています。最初はロンドン交響楽団、二度目が一般に評価の高いロイヤル・コンセルト ヘボウとのアナログ録音、その後90年にウィーン・フィルとデジタル録音し、そして再度ロンドン交響楽団とライヴで入れています。ここでとりあげるのは二 度目と三度目のスタジオ録音です。

 1974年のアナログ録音は何度 も再販を繰り返してきました。リマスターはフィリップスの時代にも行われ、レーベルがなくなってからはグラモフォンのOIBPという方式でも行われていま す。さらにマルチチャンネル録音として再度リミックスされ、ペンタトーン・レーベルからSACDとしても出ました。ここで取り上げるのはフィリップスが最 初に96KHz/24bit のリマスターをかけたベスト50シリーズの盤です。
 これは大変良い音です。「幻想」のベスト録音の一つではないでしょうか。残響はやや少なめですが、低音弦がやわ らかく出ていながら分離しています。マルチマイクの技法を駆使したように各パートがよく聞こえるのに全体の 響きナチュラルです。フォルテでのヴァイオリンいくらかさらっとした感触で、フィリップスらしい音です。強奏でないところではしっとりとしています。このレーベルのアナログ時代最高のバランスかどうかは分かりませんが、デジタル録音の平均レベルは楽々超えています。

 第一楽章はゆったりと始まります。メリハリがあり、ゆっくりのところは丁寧で弱音への沈潜も印象的です が、速いところでは力があります。楽章の締め括りではまた大変遅くなって終わります。
 第二楽章のテンポは常識的です。全体を通してこのワルツは快活に聞こえ、病的な感じはしません。 デジタルの新しい方の録音(VPO盤)と同様、ベーレンライター新版のコルネットは入っていますが、全体と調和していて新盤ほど目立ちません。
 第三楽章。さらっと歌わせている新盤よりもこちらの方がしなやかな抑揚を感じます。管はビブラートがあり ますが、表情が大変巧みです。テンポはゆっくりしており、テヌート気味に一定の歩調で進みます。ただ大変美しい歌ながら清潔な表現で。デュトワと比べるからでしょうか、曲が表している感情に対して健康過ぎ、ちょっともの足らない感じがします。この方が好みの人もいると思いますが。
 第四楽章はティンパニの響きがきれいです。コントラバスがよく響き、それでいて混濁しません。ピツィカート も大変心地良いですが、ギロチン台から転がり落ちる首の部分の弾きは速くてあまりはっきりしません。
 第五楽章の地獄では、フレーズの区切りで下降する二音をポルタメントでしっかりつなげているのが目立ちま す。全体では明快さと熱気のバランスが良い演奏だと思います。鐘の音は除夜の鐘のようで、割れて遠くで鳴る 東洋的な音が懐かしく感じます。コル・レーニョ奏法で弦が弓の木部で叩く音は他の演奏よりも音程が良く分かります。音がきれいに分離しているからでしょう。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Sir Colin Davis   Wiener Philharmoniker 1990


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
サー・コリン・デイヴィス / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1990)  

 一方で1990年のウィーン・フィルとのものはこの頃のデジタル録音にしては高域の丸い、やや引っ込んだ音にとれています。 ウィーン・フィルらしい独特の管の音、柔らかい粘るような弦の音が心地よく響きます。第一楽章のテンポは次のデュトワほど遅くはありませんが、よく歌わせています。
 第二楽章のワルツではベーレンライターの新全集版の楽譜が使われていることが分かる部分が出てきます。例のコルネット(トランペット)が他の演奏ではあまり馴染みのない音を出しているところです。ベルリオーズ自身が コルネットのパートを書いていたのですが、それはオプションであり、以前の楽譜には記載されていませんでし た。主旋律の裏で、パラッ、パラッ、という音が聞こえ、思わず聞き耳を立ててしまいます。その後も不思議なトランペットの動きは止まず、色々面白いところが出てきます。
 第三楽章の「野の風景」ですが、ここでのデイヴィスは英国人らしいのか彼らしいのか、ゆっくりで表情はあ るのに「幻想」に期待する白昼夢のような怪しさがなく、官能的になりません。やはり旧盤と同じ表現なのです。技術的には延ばす一音の中でのクレッシェンドやデ クレッシェンドが少ないせいでしょうか。ウィーン・フィルと奏者の個性もあるでしょうが、 歌わせ方は指揮者が指示しているのですから、そういう好みなのでしょう。これはこれで好感が持てます。
 オマケですが、例の第五楽章の地獄の鐘は作曲家の指示ではCとGですが、ピッチが若干低い方へずれている ものを使用しています。この鐘は主人公をあざ笑うために鳴らされるものですから、これは適切なのかもしれま せん。面白い音です。

 コリン・デイヴィスの幻想交響曲は、やはり定番の座にふさわしいものでした。ラテン系とはまたちがった英 国人らしい素直な表情は、意外性は少ないかもしれませんが完成度高 いと思います。二つの録音ともに共通した清々しさは指揮者の人柄でしょうか。どちらかを取るならやはりコンセルトヘボウ盤でしょう。この後また最初のとき と同じロンドン交響楽団と LSO の自前のレーベルから2000年のライヴ演奏を出していますが、そちらはよりゆったりした運びで間もしっかりと取った悠然とした響きに聞こえます。やや残 響が少ない録音ですが、最近のデジタルらしい音です。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      André Previn   London Symphony Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
アンドレ・プレヴィン / ロンドン交響楽団

 プレヴィンも2019年にとうとう亡くなりました。ドイツ人の家庭に生まれた戦後世代のユダヤ系ア メリカ人の指揮者で、才能豊かな人でした。André というのは本人がフランス読みさせたかったからのようです。何かの曲でプレヴィンの演奏こそが好きという声もあまり聞いたことがないので、日本ではさほど 人気がなかったのかもしれません。ジャズのピアニストとしても有能であり、キャリアの最初はそちらの方が中心だったようです。汚い音は出さないけどかなり モダンでテクニカルなセッションから粋な運びの歌の伴奏まで、それは見事なものです。ジャズは数多い複雑なコードが引き起こす感覚を熟知した上で、ある程 度は自前のイディオムもあるにせよ即興でその組み合わせを選んで行く瞬間的能力が要求されます。それに対し、クラシックではスコアを深く読み込んでそこに 表れた感情を強弱とテンポの中に具体化して行く微細なセンスと技能が求められます。両者はかなり違うものであって、双方の分野で一流ということは滅多にあ るものではないでしょう。グルダもジャズをやりたかったようだけど、その評価はジャズ専門の人に任せるとして、今聞ける録音は彼の業績をまとめたボック ス・セットの中ぐらいに限られるんじゃないでしょうか。ジャズ・ピアニストのキース・ジャレットやチック・コリアも クラシックに興味があるようですが、その演奏は、あくまで個人的にはあまり興味を引きません。一方で指揮者としてのプレヴィンはというと、他の何人かのユ ダヤ系指揮者とは反対に過度に自分の側に表現を引き寄せず、大仰を嫌う洗練された音楽を作る人でした。余分なこと、変わったことはしませんが、ブラームス の4番など、一音一音のつながりが絶妙で動機の扱いが繊細であり、滑らかで自然な呼吸がむしろ独特なぐらいでした。こうして両方こなせるってすごいことな のに、ジャズやってたからと軽んじる声があっただなんて、意味が分かりません。私生活でも人気者だったようで、アンネ=ゾフィー・ムッターやミア・ファ ローなどの旦那さんでした。「幻想」は四十六歳頃、ロンドン交響楽団の音楽監督中期の比較的早い時期のもので、ブラームスのときほど細かな配慮に驚くこと はない気がしますが、丁寧でまとまりの良い好演です。
 
 第一楽章は軽く弾むようにゆったりと入ります。デリケートでやわらかな抑揚が聞かれ、ストリングスの駆け上がるところでは適度に速めます。ゆっくりなところでは感情に浸るというよりも情熱を確認するかのように進めます。危うさはありません。
 第二楽章も中庸のテンポで着実に行きます。ベーレンライターのコルネットはありません。 
 第三楽章は過剰なレガートではなく、滑らかながらフレーズを一つずつ案外くっきりと歌わせています。テンポはゆったりしたものです。
 第四楽章は落ち着いた入りで、ティンパニは後半の数打でぐっと強めて激しさを出します。テンポは一定で終止走りませんが、三分の二ほどのところでの盛り 上がりは遅いながらに十分力強いものです。最後まで着実な足取りで進む行進だと言えます。ギロチン台での一瞬の回想は美しいです。 
 第五楽章もじっくりと確実に鳴らして行きます。鐘も落ち着いて叩かれるし、終始インテンポなので熱血な演奏を好む人には面白くないかもしれません。

 EMI1976年の録音は低音もよく出ており、高い弦の音がわりとはっきりしていて、強い音になると若干平板に押して聞こえる瞬間もあるかもしれません。しかしセッションらしい良い音と言えます。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      André Previn   Royal Philharmonic Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
アンドレ・プレヴィン / ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

 その後プレヴィンはロイヤル・フィルと新しい録音を出しました。解釈はほぼ同じながら一拍ずつしっかり刻んで着実に行く感じが減り、第一楽章や第三楽章 の静かに歌う部分などではよりやわらかな抑揚と撓みが出ています。フレーズの終わりの音もかなり長く延ばして強調するところがあったりもします。第一楽章 はほとんど同じテンポで他の楽章とは反転してこちらの新盤の方が数秒長いぐらいであり、第二楽章からは新盤の方が速くなる傾向です。個人的に重用視してい る第三楽章の野の風景ではコーラングレとオーボエの掛け合いでオーボエの音が小さく、遠くにある立体効果が良く出ています。旧盤同様に抑揚表現としてはあ まり大きく波打たせるものではないですが、幾分振幅は大きくなってスラーでつなぐ滑らかさがあるので、テンポが若干速まっているもののスムーズさにおいて はこちらの方が勝っているような気もします。反対に終わり二つの楽章はテンポが速くなったことでより引き締まっています。遅いのが嫌という風にはあまり気 にしてないのですが、じっくり歩き感と拍の区切り感が減っているので一般的にはこの方がダイナミックで受け入れられると思います。自分でもトータルでは新 しい方が魅力的だと感じました。

 1991年の録音は EMI アビーロード・スタジオとなっており、レーベルは RPO だったり IMP だったりします。旧盤よりも少し音場型のセッティングになり、奥行きが広がって高音部が前に出る割合が減りました。弦の聞こえ方はより生っぽく、セッショ ンらしい切れ切れの大迫力サウンドというのではなく、よりライヴ録音に近い感覚です。中低域の残響成分の多さと明瞭度においては旧盤より良いとも言えず、 新旧でどちらの録音が優秀であるかは明言し難いところです。


 
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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Lorin Maazel   The Cleveland Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ロリン・マゼール / クリーヴランド管弦楽団

 よく分からないまま長い時間が経ってしまった演奏家っているものですが、そういう場合大抵は一回何かを聞いてその後触れないできたようなことが多いもの です。分からないのはこちらの理解力がないか好みが合わないかであって、理解できないものを追いかけても時間の無駄なので放っておくのでしょう。ロリン・ マゼールも自分にとってはそんな具合にいつまで経ってもちょっとソフトフォーカスになってる人たちの一角を成している指揮者ですから、あまり胸を張っては 論評できません。洒脱な崩しが似合うガーシュウィンなどは好んで聞いてた記憶もあるのですが。
 また「不運な人」と言われることもあるようで、それはユダヤ系であるのに主要なポストを逃したからみたいです。そんなこともあって録音でも幾分行き渡り 度が少なかったせいから馴染みが薄いのかもしれません。1930年にフランスで生まれたアメリカ人指揮者で、セルの後のクリーヴランドを任され、2014 年に死去しています。

 それでも「幻想」は頑張って聞きました。そして聞いてみて納得したのは、やはりちょっとどこに要諦があるのか分かり難い感じがあったということです。世 評を見ると「デフォルメがきつい」とか「形にこだわる指揮者」という意見があり、「ギミック」とか「マニエリスム」、「あざとさ」という言葉を使う人もあ ります。これらはあまり良いニュアンスではないですが、実際表現意欲が高いのか表情を大きく変えるところがあり、全体に不思議な起伏がついています。不思 議というのは多くの人がスコアを読んで速くしたり遅くしたりするところとは違う箇所で動きがあるということです。熱い乗りでそうなっているわけではなさそ うです。恣意的だと言うとこれも悪い方に寄りますが、大変自由な動かし方です。それが自分にとっては必然に思えなかったので記憶に残らなかったのかもしれ ません。切れ味が良いという人もいるけど、そうも思えませんでした。それは少しもやっとした反響のある録音も関係があるかもしれません。でも大変個性的で あることは間違いないので、ぜひ聞いてみてください。

 第一楽章はゆっくりよく歌わせて入りますが、最初に弦が駆け上がる場面では速まらず、中程の意外なところから速めます。そしてまた大きく戻して遅くした りと、自由なテンポ設定です。遅いところでは大変遅く、速いところは突然速めてかなりのテンポになるような、しかもそれが連続的に続いて大きく伸び縮みす る演奏です。そのせいで楽員が付いて行けないのか反響のせいもあるのか、速いところで引きずるように拍が切れない場面も聞かれます。予測ができませんが意 欲の人、という感じです。
 第二楽章にはコルネットがあります。ここもよく伸び縮みし、やや速めでうねらせます。テヌートで行って時折スタッカートで切り、前のフレーズと次とのつなぎ目で間を空けずに一続きにしたりします。
 第三楽章は途切れ気味の拍を交えてのコーラングレとオーボエが個性的です。かと思えば語尾はずっと延ばしたりもします。呼吸で膨らむような抑揚はつけま せん。テンポは中庸で多少ゆったりでしょうか。全体にリズムは歯切れが良いものではなく、夢らしいというのか、眠いような重さを感じます。 
 第四楽章は速めの行進です。ここも全体に一続きにつなげて行くような印象で、間を空けず、切れません。ショルティなどはよく切れてましたが、それとは大 分違います。速くてがやがやして聞こえるので、何か遠い街の喧噪のように少し霞んでいます。ギロチンで処刑されるのも実は夢を見てるのであって、これは夢 の中の行進という解釈かもしれません。
 第五楽章の地獄ですが、テンポは中庸です。途中フレーズをぐしゃぐしゃっと丸めるように速めて一体化する面白いところがあります。崩れてそうなっている のではなくて意図的にしてるのでしょう。これも地獄の夢か、あるいは死は覚醒ではなく、実は夢に落ちることだというアイディアでしょうか。夢のまま死んだ らいつまでも彷徨いそうです。鐘の前に切迫する箇所では例によって間を空けずに速く、一気に幾つかのフレーズをつなげて走ります。チューブラー・ベルの高 い鐘も力なく付属品のように気を抜いて鳴らすのが面白く、その辺は全体にさらっと軽い印象になります。拍をくっきりさせないせいかもしれませんが、空回 りの情熱家、確信のない早口、熱に浮かされた譫言のようです。前へ前へと駆り立てられるように進むけど重さがなく、かさかさした躁系の賑やかさでラストに 突入して行きます。主観的な人というのか、大変ユニークな演奏です。

 1977年 CBS の録音です。すでに述べました通り、残響が割合あります。マゼールはこの五年後の82年、同じクリーヴランド管とテラークにデジタルで新録音を行っていま す。そちらはより残響が少なく、第五楽章の鐘の部分で近くの本物の教会の鐘を鳴らし、それが外から聞こえてくるという新しい趣向です。音はそちらの方が良 いですし、演奏自体も均整が取れていると思うのでそっちを取り上げるべきかもしれませんが、マゼールの特徴が多く表れているのはこの77年盤の方かなという気もします。
 因みに古い方へ戻ると1963年のザルツブルク音楽祭でのウィーン・フィルとのライヴ録音(レーベルはオルフェオ)があります。テンポ変動や抑揚はやはり大きくて走るところはかなりのものながら、不可思議さはなく、より了解できる熱い演奏でした。時期によってかなりスタイルを変える人なのかもしれません。個人的にはそちらの方が素直さがあっていいような気がしましたが、録音のコンディションでは劣っています。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Bernard Haitink   Wiener Philharmoniker ♥♥


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ベルナルト・ハイティンク / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
♥♥

 ハイティンクの「幻想」はダークホースですよ、という声があるようです。有名なウイスキーのコピー「何も足さない、何も引かない」のようなオーソドック スな演奏をする人はたくさんいるのに、CD が売れない時代に入りかけた頃、フィリップス撤退の引責か「凡庸」と方々でディス(リスペクト)されてしまった経緯のある名指揮者です。最初に言ったのは 誰なんでしょう。そして彼の「幻想」ですが、デュトワやインマゼールらの演奏とも並んで、やはり最も美しいものの一つだと思います。フランス流の恋の狂気 とは関係なく、シンフォニックな響きを追求した完成された美と言えるでしょう。それはスコアに忠実と言いつつ繊細なレガートの表現が聞かれるもので、オー ケストラはウィーン・フィルです。その期待を裏切らず、ウィーンの森の奥から深々としたホルンの音が聞こえてきたという風情です。そう、ウィーンの音楽の ようであり、あるいはウィーンの管によるモーツァルトのクラリネット協奏曲かと見紛う第三楽章のコーラングレも初体験という感じです。そしてその馥郁たる やわらかな響きはセッション録音によって実現されたものです。フィリップスの自然な音も良かったですが、これはそれにちょっと似たところもありながらデッ カによるものであり、したがってソフィエンザールでの収録で、レコー ディング・プロデューサーは名人ジェームズ・マリンソンです。

 第一楽章からウィーンフィルの豊穣な響きを堪能できます。たっぷりとした表情でやわらかく入り、品位があります。テンポはゆったりです。途中のストリン グスが駆け上がるパートでもやや速くなる程度です。どこも自然な表情で、大変穏やかな世界です。常に美しく響く強さで進んで行くような印象があります。 
 第二楽章のワルツもウィンナ・ワルツというか、波のようにたゆたう抑揚の付く穏やかなものです。意外にもコルネットが入りますが、あまり目立たないバランスです。
 第三楽章の最初のコーラングレが重く丸い抑揚であり、静かで優美です。この楽章は純粋な音楽として大変いいです。温かさがあって、どこまでもやさしいのです。
 第四楽章に来ても響きが美しいです。ティンパニにすら品格があり、力強くはあっても荒っぽくはなりません。何というのか、古典派のベートーヴェンの曲を 聞いているような感覚なのです。しかしリズムは切れ、決してもたっとしているわけではありません。テンポは速くはなく、最後まで走りません。 
 第五楽章は低くやわらかい大太鼓が印象的です。ショルティの大太鼓もズシンと低かったですが、ああいうものものしい迫力ではなく、包み込むように鳴りま す。鐘は梵鐘とも違うけど何でしょう。低い音に倍音が含まれます。つり下げた金属の大きな板か何かでしょうか。ゆったりとした悠揚迫らざる地獄であり、低 音の響きが常にあって魅力的です。テンポは最後まで走らずで、最後の最後ではやや速まるものの、カタルシスを求める演奏ではなく、充実して終わります。

 1979年の録音です。弦の音が繊細で生っぽく、明るい艶に輝くデッカ・サウンドというのとはちょっと違う良いバランスです。過去のネガティヴ・キャン ペーンの分だけ甘いのだろうと思われるかもしれませんが、そんなこと全く関係なく文句なしに♡♡とします。これだけあればいいとすら思えるほどです。そし てこれは幻想交響曲最高の録音の一つです。大変魅力的な音なので、一度かけると最後まで続けて聞きたくなります。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
     
Rafael Kubelik   Symphonie-Orchester des Bayerischer Rundfunks


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ラファエル・クーベリック
/ バイエルン放送交響楽団

 ワルターに憧れて指揮者になったという1914年生まれのチェコの指揮者クーベリックは、亡命もしましたが1989年の大きな変化の後まで生き延び、故 国に戻ってチェコ・フィルも振ることができました。独特のやわらかな歌に特徴があります。ワルターの幻想交響曲が古い録音しかないこともあり、この人に期 待する向きもあるでしょう。バイエルン放送交響楽団との演奏です。

 やわらかで繊細な抑揚があるという方向性の演奏としては「柔」のデュトワとも比べられるでしょうが、ドイツ・オーストリー系の特徴とでもいうのか拍に重 みがあり、テンポもゆったりなばかりでなく伸縮して相当速く駆けるところもあります。落ち着いた大人の美しさと力強さが同居した名演だと思います。

 第一楽章は大変ゆっくりと滑らかに始まるところがデュトワ盤の運びに似ていますが、最初に駆け上がるところでは相当に速度を上げます。重く滑らかだけれども歯切れの良いところもあり、伸び縮みします。
 第二楽章はほどよい快適なテンポでやわらかく弾むようなワルツです。途中でややゆったりに変化を付けます。
 第三楽章はクーベリックらしい、この演奏の美点が最も現れた楽章と言えるでしょう。やわらかにゆったりと、うねるような抑揚を付けながらやや重い拍で進 みます。弦も管も音が大変きれいです。最後の雷にも重みがあります。静けさがあって終止ゆっくりした運びでは同じですが、後半抑えた力強い情熱という風情 のデュトワ/モントリオールの演奏と比べるとより優雅な抑揚であり、少し甘い夢に酔う感覚があります。
 第四楽章は重みがあり、ほどよいテンポで力強さがあります。最後の瞬間でも音を滑らかにつなぎつつ大きな力を込めます。
 第五楽章は狂乱というほどではありませんが、大変力強い表現です。鐘は倍音が二重に聞こえるちょっと変わった音です。テンポは最後まで遅めです。

 1981年の録音でレーベルはオルフェオ、弦は前面に出ますが、固まらず輝き過ぎずでフォルテで痛くなりません。柔軟性のあるやわらかい音色の良い録音です。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
     
Claudio Abbado   Chicago Symphony Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
クラウディオ・アバド / シカゴ交響楽団  

 これも大変人気の高い盤です。とくに第一楽章ではメリハリが効いているし、全体にスケールの大きな演奏だと言えるでしょう。ブラスに言及されることも多 いようなのですが、シカゴ交響楽団の巧さもあり、加えてこの指揮者の最高の出来という声もありで、一部で伝説の名演とされています。ミラノ生まれのクラウ ディオ・アバドはオペラだけでない広範なレパートリーを持っていました。ファンも多く、ヴィクトリア・ムローヴァとの間に子供がいるというゴシップネタか ら年齢制限をかけたオーケストラで若手を育てたなど、いつも話題に事欠かない人でした。魅力的な人柄を褒める話もあり、晩年はピリオド奏法にも興味を示していたようでスタイルも変えて活躍しましたが、2014年1月に胃がんで亡くなっています。

 第一楽章はこの演奏で一番力が入っているかもしれません。ゆっくりと入って間もたっぷり取ります。込み上げてくる抑えがたい激情という風情であり、途中 から大きなクレッシェンドで盛り上がります。速くなるところでは一気に速くなりもします。これは凄い演奏になるぞ、と予感させるところです。一方で、 技術的に世界最高のオーケストラと言われますが、弦がときどき引きずるようなところがあるのは表現としてやっているのでしょうか。
 第二楽章はどの部分も力の抜けるところがありません。ワルツの揺れるような起伏や軽妙なところのない真面目な進行です。ベーレンライター版のコルネット・パートは聞こえます。
 第三楽章は穏やかにゆっくりと吹き交わす牛追い唄として始まります。イングリッシュ・ホルンの相手をするオーボエが遠く響きます。ただ、この楽章は一時 期のアバドの特徴が最も良く出た、終始一貫してゆっくりな進行になっています。無機的だとかのっぺりしているなどと言うとファンの人たちの気分を害するで しょうが、途中 で心のはやる部分のない、良く言えば分解的な表現です。あまり聞きませんが、マーラーなどにもこういう表現があった気がします。後半の展開もこれで乗れる 人は良いのでしょうが、 正直ちょっと待てない気分になることもあります。イギリス人のコリン・デイヴィスの名盤もこの楽章の歌い方が表情豊かではなくさっぱりしていましたが、そ ういう軽さと洗練という方向ではなく、イタリア人のアバドはかっちりと真っ直ぐに歌うという感じです。
 第四楽章は前の楽章からするとテンポが速まり、平均的なスピードになります。むしろやや速めかもしれません。正確なリズムながらやや重い感じがします。 断頭台への行進だからといって過度に感情的になる表現ではありません。迫力はありますが、断定するような迫力でしょうか。
 さて、第五楽章の地獄ですが、鐘の前で一度速くなるものの、全体にやはりテンポは一定です。そして鐘について言えば、それはこの演奏が最も特徴を持って いるところでもあります。使われたのは広島の平和の鐘なのだそうです。結構太い音で響き渡ります。聞きどころではないでしょうか。それからラストの直前 で、なんかショルティの春の祭典を聞いているかと錯覚するような低音のものものしい響きが聞こえます。

 1983年ドイツ・グラモフォンのデジタル録音は音の良さでも有名になりました。今あらためて聞くと低音が豊かであり、弦も艶と繊細さがあります。 ちょっと反響過多なところもありますが、バランスの取れた録音だと思います。アバドとシカゴ響の「幻想」、フランス流の粋やら軽妙さやら、斜に構えたとこ ろなどがなく、同じ狂気でも感情の揺れをともなった幻覚というより、真面目で強迫的な狂気のように感じます。イタリア人の生真面目で真っ直ぐな「幻想」と言えるでしょうか。  



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
  Charles Dutoit   Orchestre symphonique de Montreal


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
シャルル・デュトワ / モントリオール交響楽団
♥  

 美しい演奏です。デュトワの「幻想」は数あるこの曲の CD の中でも最も洗練されていて静けさがあり、滑らかな抑揚を持った「柔」の側を代表するものとされています。スケールで言うとミュンシュ盤と反対の端に位置するでしょう。響きのきれいさ、起伏のある歌わせ方に秀でています。抑えた情感は強いものの、激しい抑揚に揺 さぶられるという具合には感じられないかもしれません。興奮して走ることで音が混濁したりしないのが魅力なのですが、熱演を好む人にはそこがもの足らない と言われるところのようです。一般にアッチェレランド(加速させる)を多用すると熱気ある演奏に感じるものですが、そうなると情感の高まりに関わりなく初 めからその形を作っておくショーマン指揮者というのも出てきたりするわけです(ミュンシュのことではありません)。 
 デュトワはネヴィル・マリナーの評価のされ方にも似たところがあると思います。色々な管弦楽の有名曲、なかでも非ドイツ系のメロディアスな曲をたくさん 録音しているせいか、ともすると軽く扱われがちなのです。マリナーよりもロマン派寄りのレパートリーを持つ指揮者で、表現もマリナーよりしっとり歌わせる 傾向がありますが、もっと評価されていいと思います。

 第一楽章は緩徐楽章のようにゆったりと始まり、やわらかく歌います。この楽章は流れるような弦が魅力なのでこの入り方はすごくいいと思います。走ることなく、むしろ途中で止まりそうなほど遅いところもあります が、中盤以降で皆が興奮の形を見せようとするところでは妥当なテンポに速まり、ラストはまたゆっくりと終え ます。第二楽章も中庸やや遅めのテンポで、それを守ります。
 第三楽章はこの演奏の白眉でしょう。イングリッシュ・ホルンとオーボエのかけ合いによる出だしの部分では最初テンポがそれほど遅いようにも感じません が、全体には大変ゆったりとした演奏です。管楽器も初めさほど大きな表情をつけず、きれいながら割合あっさりと吹かれます。オーボエの音は細めで艶があり ます。そこから弦楽器がフルートとユニゾンで登場してきますが、それ以降での抑揚には他の演奏では味わえない魅力があります。遅く抑えながら歌に熱がこもっているのでやり場のない情熱を感じさせ、曲の表している気分を的確に表現しています。数ある演奏のなかで一、二を争う美しさでしょう。終止ゆったりなテンポに抑えて行くので人によっては遅過ぎると感じる人もあるようです。雷は近くなく、節度があります。
 第四楽章は断頭台への行進ですが、なんだか軽く弾むようで楽しげに聞こえます。相変わらずテンポは一定な ので、それほど遅くはないながら遅く感じるかもしれません。刑場に連れて行かれて殺される、心臓があぶる、 という演奏ではなく、そういう切迫感こそが欲しい聞き手には不十分なのでしょうか。執行されたことを告げるファンファーレは長めに吹かれます。
 第五楽章は遅い、と思います。私はこの方がいいですが、分解的に聞こえるかもしれません。「十分低く」はない鐘はチューブラー・ベルのようです。軽く叩 いていますが、出来合いの製品だろうにピッチが若干低い方へずれて聞こえます。デイヴィスの新盤ほどのずれではありません。それともチューブラー・ベルで はなく音程が低い小型の鐘を使っているのでしょうか。いずれにしても効果としてはこの方が良いと思います。

 1984年のデッカの録音はデジタル初期にしては大変きれいな音です。デジタル・リマスターのページで触れましたが、音は後から出たリマスター盤の方が滑らかです(掲げたジャケットの写真はオリジナルの方です)。弦がシルキーで大変美しいです。金属的になるよりも少し下の高域、中域と高域の中間あたりの艶が若干強調さ れ、やや細めの響きですが、そこが弦のきれいさにつながっているのでしょう。手元の編集ソフトウェアで 5.5KHz を中心に前後に−1dB 弱緩く凹ませ、150Hz 以下を全体に+1dB ほど持ち上げてやるとよりバランスが良くなりました。

 この後にデュトワは新しい録音を出しています。フィルハーモニア管弦楽団との2007年のライヴ・レコーディングです。残念ながら CD ではなくダウンロード販売のみとなり、CD クオリティーが良ければ FLAC も選べるのですが、これからはこんなリリースが増えるのでしょうか。ジャケットを作らなければならないのも面倒だし、なぜか CD-R に焼いたものよりも通常の CD の方が音が良かったりするので残念な話です。そちらの演奏については、優雅さと静けさの点では若干後退しているかもしれませんが、代わりにやや力強くて オーソドックスな好演になったという印象です。個人的には張り詰めた情熱と美しさにおいてモントリオール響との盤が好きですが、より大人になって真っ直ぐ な健康度が増したというか、正直な印象があります。ベルリオーズに合っているかというと見方によると思いますが、一般的にはそちらの方が正統派の演奏にな るのかもしれません。録音は中低音が持ち上がってやや箱鳴り的なボンつきが聞かれるものの、大変自然で生演奏を客席で聞いているような雰囲気があります。 高音弦が輝き過ぎずに丸い艶を持ち、きれいな音です。ダウンロードともなるとこれも低音をイコライジングで減らしたくなりますが、逆に低音にボリュームの ない装置ではこの方がいいかもしれません。しなやかによく歌って大変心地良い名演 だと思います。フィンランディアとモーツァルトのハフナーがカップリングされています。



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     Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
     Herbert Kegel   Dresdner Philharmonie


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ヘルベルト・ケーゲル / ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

 ケーゲルは日本でこそ人気がある、とも言われることがあるようです。この国では苦難の多い生涯を送って来ましたとか、様々な障害を乗り越えて来ましたな どのストーリーが好まれる場合がありますが、果してこの東ドイツの指揮者もそうなのでしょうか。その人生について、度重なる挫折とその結果のピストル自殺 という話があります。旧体制が 崩壊した時期と関連づける説もあるそうですが、そのことと彼の選択とは関係がないこともあり得ます。生真面目な気質から追いつめられてしまったのかもしれ ません。苦しさから全てを突き抜ける人もいれば、先送りにする人もいます。どちらにせよ我々が評価すべきことではないでしょう。しかし音楽家としてほとん ど注目して来なかったので、実はそういう話は全く知りませんでした。 以下のこの盤の感想を書いた時点でも知らず、別段当て物をしたと自慢するつもりはないですが、後から調べてみてびっくりしました。

 あらゆる意味でドイツ的な演奏と言えるでしょうか。鋼鉄の凄み、などの声もあるものの、聞いた限りでは正直意味がよく分かりません。荘重で真面目、重く てやわらかく、遅い演奏です。やわらかいのはドイツ的ではないという意見もあるかもしれませんが、やわらかくてもどこか息苦しいほど真面目なムードがある 気がします。深みがあって壮大とも言えます。大変個性的な「幻想」ですので、大きな存在意義があるでしょう。

 第一楽章は深刻なまでにゆっ たり進める足取りが基本にあって、途中で速めるところで大胆なコントラストが付きます。元来は大きな振りの人なのか、どこか感情的大事件という感じです。 なんだかロシア的叙情かと思うような、失われたドイツ・ロマンチシズムとでも言うべきもののような雰囲気です。終わりも大変遅いです。
 第二楽章は静かなところから重めのリズムでやわらかく立ち上がるワルツで、やはり荘重さがあります。これもウィンナ・ワルツというよりも、社交界の華やかな感覚ではないプロシア=ドイツ系かな、といった印象を持ちました。
 第三楽章は深い霧の中です。湿気があり、初めのみ中庸ややゆったりのテンポで、その後はずっとゆっくりになります。やわらかくて遅いテンポが続くと重く 感じます。リズムも切れず、引きずり気味なところがあり、速くて軽く明るいパレーとは正反対の表現です。中間部のフォルテの部分もゆっくりのままです。
 第四楽章も重々しく歩く行進です。ティンパニは低く太めの音であり、テンポは特に遅いほどでもないですが、一拍ずつドスン、ドスンと重厚で、死が待ち構えているという気分を表すかのようです。ファンファーレも真面目に吹かれます。
 第五楽章です。ゆっくりやわらかく入り、この楽章の間中ずっと重く遅いです。地獄に落ちた若者を嘲笑するような雰囲気はどこにもありません。笑わない人 であり、馬鹿騒ぎとは縁がないのです。鐘はまるで中国の銅鑼みたいです。どこか梵鐘のように低く鳴りますが、金属に薄い部分があるのかパイーンという裏返 りがあります。面白い音です。水戸黄門のテーマのような例の怒りの日も荘重であり、通常は盛り上げる部分でも走らず、力強くも力まず、という感じで す。どこか冷静にも聞こえるのは、遅いままでテンポの揺れがないからでしょうか。そのまま悠然とラストへ突入して行きます。大変重い終わり方です。

 1984年シャルプラッテン・レーベルで、ドレスデン・ルカ教会での録音は良いです。ここは残響の美しさが有名なところで、中低域にホールトーンが乗 り、 この盤では多少靄がかかっているような感じがあります。やわらかく、やや後退した音場であり、弦には控え目な艶が感じられます。強奏では前に出るものの、 分解したり特に艶やかだったりという特徴はありません。つまり艶はあるにせよ、弦のセクションが一つの音になったような聞こえ方です。最近のライヴ収録のようなバランスとも言えるでしょう。  



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     Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
     Riccardo Muti   The Philadelphia Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
リッカルド・ムーティ / フィラデルフィア管弦楽団

 イタリア人の世界的指揮者といえば、古くはトスカニーニ、次にはジュリーニやアバド、ムーティでしょうか。シャイーという人もいます。そしてイタリアと 言えばオペラ発祥の地、歌の国ということで、音楽家たちもどうかするとそういうステレオタイプを期待される場合があります。したがってここでそんな切り口 もベタなのですが、この中でも最もオペラの香り高い人と言えば、シャイーもそうかもしれませんが、リッカルド・ムーティだという言い方もできるに違いあり ません。この「幻想」でも、やわらかな抑揚の襞の中に繊細な表情を出すようなフランス流に対して、イタリアらしい歌のセンスを発揮していると言えるでしょ う。オンで劇的、という感じがします。歌のセンスで言うなら、ホセ・クーラとパヴァロッティならパヴァロッティ、タリアヴィーニとジュゼッペ・ディ・ステ ファノならステファノと答える方なら絶賛されるはずです。劇的で分かりやすく示す抑揚の、熱き絶唱とも言える名演奏です。

 ムーティの「幻想」、録音は三つほどあるようですが、ここではフィラデルフィア管の旧盤とシカゴ響との新盤を取り上げます(他にケルビーニ管との 2007年のライヴ録音があります)。音がより明晰で表現も若干落ち着いており、完成度が高いという点で言えば新盤です。自分ならそっちを選ぶけど、上述 のようなムーティらしい歌が好きというなら旧盤の方が良いかもしれません。より自然体で情熱任せの歌が聞けます。それもファンの方は違うぞと仰ってまた別 の見方があるのかもしれませんが。

 まず、1984年のフィラデルフィア管との演奏です。
 第一楽章は中庸なテンポで始め、フレーズの終わりをロマンティックに引き延ばします。全体にレガートで、ゆるく大きく波打つ強弱が付いています。その粘 るような歌い方によって、ちょっと勿体をつけて劇的にしてるかのような印象があります。最初に弦の駆け上がるところは相当に速いので、これも劇的なコント ラストを生みます。その後はやや誇張したような部分的弱めの表現なども出て来ます。こういうのをムーティ節と言うのでしょうか。フォルテの部分でもやはり オペラの劇的な感じがして、斜に構えた感じは全くしません。 
 第二楽章は扇情的な弦のトレモロの上に歌い出すワルツです。テンポは遅くないですが、フレーズの終わりで緩めて引き延ばすような手法が聞かれます。 
 第三楽章はコーラングレにゆったり間を空けて吹かせます。スラーでやわらかくつなげる表現です。そしてやはり弦のトレモロの伴奏がよく聞こえます。曲は 静かな野の風景ですが、繊細な空気感よりは音で埋めてマッシブに行く方向です。途中の盛り上げでは大きな表現になり、鳴りっぷりが良いです。
 第四楽章こそ大変劇的に盛り上げ、やはりオペラの舞台セットの中を行くようなドラマチックさを思わせる行進です。感情の高まりが分かりやすい形で示されています。強弱の差も大きく、もし乗れない人がいたら暑苦しくやかましく感じるかもしれません。大迫力です。 
 第五楽章では大きなマスを感じさせるように、重く「ズ、ジャーン」という具合に音をずらして鳴らす手法が聞かれます。専門的には何と言うのでしょう。い ずれにせよ気宇壮大な演奏が好きな人にはたまらないと思います。ドラマチックでフルになる鳴りっぷりの良さがあり、駆けるところは駆けます。そして鐘です が、これは何でしょう、仏教寺院の高音に銅鑼のような低音が混じった音です。グレゴリオ聖歌の部分は重い拍で、中程のフォルテは辟易するほど素晴らしい炸 裂となり、ラストは興奮が欲しくて待ち構えていた人の期待を裏切りません。重低音と遠慮なく最大限に鳴る金管のフォルテで圧倒してくれます。

 EMI のセッション録音は悪くないですが、弦の分離は付帯音があって今ひとつかもしれません。分厚い中低音が聞けます。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Riccardo Muti   Chicago Symphony Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
リッカルド・ムーティ / シカゴ交響楽団

 新盤の方はシカゴ交響楽団との2010年の録音です。若々しさという点では旧盤でしょうが、こちらもムーティらしい、ヴェルディ的な熱い音が聞けます。 ドラマチックさは若干減ったのかもしれませんが十分にドラマチックであり、録音も素晴らしく、最近この曲で良く聞かれるようになった大太鼓の重低音が轟き、再生で きる装置をお持ちの方にとっては地響きのような音を堪能できます。

 第一楽章は旧盤と同じようなテンポの解釈ながら、少し速めに始めて途中でぐっとスローに引き延ばすところが劇的です。間は大きく、重みがあって大きくう ねるような抑揚のムーティ節も健在です。スローに最大限鳴らすぞという風情で、やはり気宇壮大という言葉が浮かびます。強いアクセントと脈動するような低 弦の動きが面白いです。
 第二楽章ですが、コルネットはありません。強調された表情は旧盤と同じです。
 第三楽章は粘るように力を込めて大きく歌わせるところは同じですが、こちらの方が幾分細工が少なくてさらっとしてる感じもします。 
 第四楽章も基本的には同じ表現ながら、ドラマチックな大きさは若干後退して整っているようです。ここではグラン・カッサ(大太鼓)の重低音が建物を揺らすように響きます。
 第五楽章も低音については前の楽章と同じで、連続的な30Hz 台ぐらいの重低音が音というよりも振動のように伝わってきます。そうした音響面での鳴りっぷりは凄いですが、表現としては旧盤の方がマッシブでより熱が あったように聞こえます。鐘は普通の音になりました。ラストにかけての迫力も、低い音が加勢してるところがあります。音というよりも地震か爆撃のように地 響きするもので、実際の演奏でこういう風に聞こえるかなあとちょっと思いました。それ以外の音についてはこちらの新盤の方が明瞭で見通しが良いし、軽やか さも若干あるように思えます。演奏でも暑苦しさは減りました。鳴りが良いのが好きなら旧盤でしょうけど。

 CSO リサウンドの自前レーベルの録音音質についてはすぐ上ですでに触れました。弦の音はこちらの方が艶があってきれいだし、反響も若干少なくて全体に明瞭です。最近の傾向でライヴ収録ですが、大変良い音です。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Christoph von Dohonányi   The Cleveland Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
クリストフ・フォン・ドホナーニ / クリーヴランド管弦楽団
   

 これはある種、完璧な演奏です。ドホナーニは戦後に活動を始めたハンガリー系ドイツ人の指揮者で、二十年にわたるクリーヴランド管弦楽団との活躍があり ながらそのことが日本ではあまり触れられない人でした。ジョージ・セルが鍛え上げたクリーヴランド管の後任となるとマゼールの名が挙りますが、その倍ほど の間、ほとんどセルと同じぐらい長期に関わってその後も桂冠音楽監督となっています。セルの筋肉質で正確なアンサンブルというイメージはマゼールよりむし ろドホナーニの方が多く引き継いでいるような気もするのですが、不人気の原因は何なのでしょうか。真面目でこけおどしの演奏はしない人ですから、つまらな いと思われるのかもしれません。

 この人のドヴォルザークの第8番の交響曲はしなやかに磨かれて一分の隙もない素晴らしい演奏でした。ここで最初に完璧と言ったのも同じようなことです が、この「幻想」はその緩やかに波打つ歌を聞かせるところよりも、より構築性の高さに特徴がある気がします。主観的な気分を露にしたフランスの表題音楽を 色彩豊かに魅せるというより、古典派交響曲としての構成をしっかりと示していると思うのです。この「シンフォニック」なアプローチという意味ではハイティ ンクとウィーン・フィルの演奏も香り高い伝統的なマナーで良かったと思います。やさしく繊細な歌がありました。それと比較するならドホナーニは技術的に完 成された現代的なオーケストラを駆使して楽譜と演奏の可能性を最大限に音にする方向であり、余分な上部構造は剥ぎ取ってマテリアルを見せているとも言える でしょう。冷徹なまでにコントロールが行き届いた、高解像度と色コントラストの両立した映像のようです。 

 概念ばかり並べ立てても仕方がないのでどうやってるかという話ですが、弾力のある抑揚は付きますが、フランス流の流麗滑らかな丘陵のような付け方ではな く、むしろ拍がよりくっきりとしたドイツ的滑らかさというか、もう少し小刻みにパートごとに彫琢している感覚です。小節ごとのアクセントがはっきりしてい るのでドイツ語的なゴツゴツした印象もあるかもしれないということです。ドヴォルザークのときに比べて多少生真面目でしょうか。ショルティのようにパ ンッ、パンッ、と歯切れ良く行く豪快さばかりでもない神経の使い方なので、同じように上手でコントロールの行き届いた迫力があってもやはり注目され難いの でしょう。♡一つにしたのはそのドヴォルザークのときのやわらかな波が多少後退しているようにも感じたというだけのことです。民謡的なロマン派のドヴォル ザークとは違う解釈なのかもしれません。しかし完成度の高い「幻想」として外せない演奏です。

 第一楽章ですが、テンポはトータルでは結構速い方でしょう。しかし出だしやフレーズの最後を延ばして歌わせるところではゆったりになります。最初に弦の 駆け上がる部分では立体的なクレッシェンドをします。自在に拍が伸び縮みしますが、私にはマゼールよりも自然に感じました。音がしっかり切れてアンサンブ ルが揃った上手なオーケストラという印象があり、当たりのやわらかいところでも一本ぴしっと筋が通った感じがして強い意志を窺わせます。こういうところは セルから引き継がれたようにすら思えるところです。内声部がしっかりと聞こえる立体感のある運びは複雑だけど整然とした建物を見るようであり、また、さざ 波のようなストリングスの区切れと管の滑らかに延ばす音との対比も知的です。この木管などの語尾を長く延ばしつつ次へとつなげるような手法はドヴォルザー クでも聞かれ、この人の一つの特徴のようです。実はセルにも同じようなことを感じたことがあったのですが。
 第二楽章も各パートが分解されて手に取るように分かり、角張るほどではないですがリズムがしっかりしていることもあり、透明でくっきりな演奏に聞こえま す。コルネットは採用され、明瞭に聞こえます。全体にわたる明晰さが心地良く、一つひとつが丁寧で、たゆたうようなワルツではないものの弾力を感じさせる 運びでもあります。最後にコルネットとオーケストラの掛け合いでコルネットが背後に隠れず、くっきりと合わされるのも構造がよく見えて良いです。
 第三楽章はゆったりしつつ、やはり明晰です。コーラングレに対してオーボエは小さく、遠近差が出ます。夢や憧れの中というのではなく、どこか強靭さが美 しさにつながるような確信に満ちた野の風景です。不安は感じさせません。音符の美しさをそのまま表現しているようで、それはチェリビダッケの晩年にも通ず るような強い信念にも聞こえます。そしてそのことも含めて、よく注意を払わないと通り過ぎてしまうような仕方で細部に完成度が表れ、気づかないと退屈して しまう種類かもしれないなと思いました。大変スローに終わります。
 第四楽章はよく統制の取れた軍楽隊の行進のようです。どの一音もなおざりにせず、かなり歯切れが良いです。ショルティ好きの人は満足しないでしょうか。 クレッシェンドが正確で、ティンパニもよく切れます。大太鼓の低い響きも同じデッカの迫力あるショルティ盤の録音と比較できるでしょう。テンポは冷徹なま でに一定で乱れがないですが、それが大迫力という感じです。
 第五楽章は遅くて正確です。やはり低音の迫力が聞かれます。ブラスの大きな音から木管に引き渡されるときに、両者が別の存在であることを強調するかのよ うに、ブラスが鳴り終わるとすでに吹いていた木管がその陰から聞こえて来るというような演出が面白いです。間髪を入れずに引き継がせているからですが、指 示が細かいと思います。リズムに切れがあり、テンポの面では最後まで全く走りません。低周波も地を揺るがして行きます。しかし、乱れがなさ過ぎて迫力が感 じられずに退屈する人と、正確無比で強靭な運びに凄みを感じる人のどちらが多いのだろうかとちょっと考えてしまいました。

 1989のデッカ録音はこのレーベルらしい明るい艶やかさというよりは、もう少しオフ気味なところがあります。やわらかくてきれいではありますが、弦は シックで輝きません。B&W のスピーカーでモニターされたということなので、高域のはっきりしたオーディオ装置では良いバランスなのかもしれません。
 


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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Mariss Jansons   Royal Concertgebouw Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
マリス・ヤンソンス / ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団  

 ラトヴィア生まれの世界的指揮者、マリス・ヤンソンスは昔 オスロ・フィルの時代にショスタコーヴィッチの5番の交響曲のライヴをラジオで聞いて衝撃を受けましたが、思い切った表情に説得力があり、音のイメージを はっきりと持った人だと思います。そしてそれが一方の極だとすると、もう一つの極として、溌剌として自発的な楽しさに満ちている感覚も際立っているように 感じます。
 そのマリスの国際的活躍で、近年は父親のアルヴィド・ヤンソンスの録音も CD になっていくつか発掘されているようで、そちらの話題も多い気がします。その父の方はレニングラード・フィルとの録音を聞きましたが、起伏が大きく、意欲 的なテンポ設定や仕掛けとしてのスタッカートの使い分けもある熱演であり、それはマリスの手法にもいくらか引き継がれているように思いました。ムラヴィン スキーの表情を抑えた厳しい行き方とは違い、緊密な構成というよりもより感情的な揺れが激しい印象があり、最後はもつれながらも猛烈に駆けて行きます。息 子よりいいという声もあるようですが、果たしてどう思われるでしょうか。

 ここでまず最初に取り上げるのは、コリン・デイヴィスの定番と同じコンセルトヘボウの演奏で、EMIの1991年のデジタル録音です。

 第一楽章はまず出だしのやわらかい音に魅了されます。しなやかな弱音の歌が心地良く聞こえます。テンポは デイヴィス同様に途中から一気に速くしたりしてメリハリがあります。音のやわらかさについてはフォルテでも 維持されますが、全体には若干眠い音でしょうか。音色の変化があまり大きくないのが残念なところです。 高域 が強調されない録音なので、ホールの後ろの方で聞くような生っぽさがあるとも言えます。
 第二楽章は録音の加減もあり、階上からウィンナ・ワルツに揺れる人々の華やかな舞踏会を見下ろしているようです。足を引きずるテヌートも聞かれ、主では ない方の旋律を際立たせる工夫も見えますが、録音がちょっとついて行っていないかもしれません。ハープはでしゃばらず、管楽器がきれいに聞こえます。コル ネットのオプションは採用されていません。
 第三楽章は夢の中のようです。靄のかかったやわらかさは録音のせいでもあるのでしょう。遅過ぎることはないテンポですが、ヤンソンスは静かな歌が上手い 指揮者です。その一方で、後半の興奮する部分ではかなり速くあおっています。遠雷のティンパニは切れ目がなくうなりのように叩かれます。
 第四楽章。コントラバスの区切ったリズムにメリハリがあります。かなり熱い運びです。ファンファーレは第 二音節にアクセントのある面白い吹かせ方です。
 第五楽章も迫力がありますが、途中から力を抜くように細かな表情をつけていて、饒舌なヤンソンスの面目躍 如です。突然速くなるところも劇的です。鐘の音は、なんと言うのでしょうか、日本のお寺のお御堂に置いてあ るお碗形の真鍮のボウル、専用バチで横っ腹をゴワーンと叩くあれに似ています。

 さて、ヤンソンスの「幻想」ですが、現在の彼のスタイルとは少し違うものの演奏は大変美しく、表情も個性的で魅力あるものです。録音がもう少しだけ明晰 だと最高だと思います。高域がオフだと書きましたが、厳密には中高域にエネルギーが強めで若干つぶれたようなところがあるのです。歪んでいるというレベル ではないのですが、そこだけがやや見通しが悪くて他の音をカバーするように耳につきます。そのために音色があまり多彩にならず、最高域の弦楽器のさらさら した倍音成分が隠れてオフな感じに聞こえます。この中高域のわずかなきつさはEMIのこの頃のデジタル録音に時折聞かれたもので、このヤンソンスほどでは ないですが、ラトルの盤でも若干感じられます。しかし全体としてはオーディオ趣味的に期待でもしないかぎり気にはならないでしょう。やわらかく心地良く感 じる人もあると思います。最初聞いた瞬間、これってウィーン・フィルだっけか、と思ってしまいました。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Mariss Jansons  
Berliner Philharmoniker (DVD)


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
マリス・ヤンソンス / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(DVD)
♥♥

 これは素晴らしい演奏でしょう。有名なアヤソフィア大聖堂のすぐ隣に位置するイスタンブール最古の教会、聖イレーネ大聖堂でのベルリン・フィルとのライ ヴ録音です。CD 音質ではあるものの残念ながら DVD なのでここでの趣旨からは外れます。名演なので敢えて取り上げました。映像に引きずられないように音だけでも聞きましたが、やはり白熱した名演です。繊細 な表情と工夫にあふれていて完成度の高い美しさを求める聞き手にも満足が行くでしょう。崩れることなく構築されているのでろれつが回らなくなるような 盲目の興奮ではありません。それでも、普段なら個人的には敬遠したくなることもある最後の二つの賑やかな楽章も進んで聞きたくなるほどの大迫力であり、圧 倒的な最後を迎えます。ベルリン・フィルの巧さが光っており、実演の乗りがあります。復讐の狂気にまで至りかねないベルリオーズの混乱した恋の苦しみとは 違うものかもしれませんが、工夫と自発性の両面を持つヤンソンスの特徴が発揮され、彼独特の楽しさが出ているとまで言うと語弊があるものの、充実した心か らの満足感に浸れます。ウィーン・フィル盤や次のバイエルン放響と比べても、間違いなくヤンソンス最善の録音だと思います。

 第一楽章は重みのある運びで入りますが滑らかさはあり、最初からテンションがあってよく歌わせています。最初に駆け上がるところではテンポがかなり速ま ります。そして基本は速くはない運びではありますが後半では力が入ってきてやはり速まり、弱いところ遅いところとの対比が付きます。
 第二楽章は2013年の録音のように重く区切る傾向はなく、粘るようなうねりはないものの弾力も軽やかさもあり、よく歌っています。後半はかなりスピードアップします。コルネットはありません。
 第三楽章のイングリッシュ・ホルンとオーボエの吹き交わしは適度なテンポで始まり、オーボエが階上で吹いているので遠い音色になっていますが、録音の音 量差は思ったほど大きくはありません。粘り波打つような歌い方ではないですがよく抑揚が付き、美しい表現です。静けさとボルテージの高さが共存していると 言えるでしょう。繊細でデリケートながら病的/麻薬的ではなく、心理面でより健康さを感じさせます。管の表情も盛り上がりもさすがにベルリン・フィルで、 聞き惚れます。また、後半で激するところでも興奮させられます。
 第四楽章は拍をよく区切り、ティンパニもくっきりしていますが、やはり後年の録音のように重くはありません。どのパートもよく見えて力強さも相当なものなので、この楽章に激しさを求めている人にも大満足ではないでしょうか。最後の一瞬の回想での表情も悩ましげです。
 第五楽章ですが、ここも各パートがよく見える明晰さがありながら、途中に突然の速まりがあるなど、興奮度の高い演奏です。鐘は大きなものを用意してお り、いかにも弔いの教会の鐘のようです。ベルリン・フィルがそれ用に持っている特注の品のようです。大きいといっても音程はカラヤン盤のサンプリング録音 のような重低音ではありませんが、音色がいいです。興奮で崩れることが全くなく、一音たりともなおざりにはしませんが興奮の度合いが大変高いです。駒の近 くを弾く弦の音もくっきりとし、そこらからのテンションがま た一段と上がります。大太鼓も迫力があり、最後は抑えがたく駆け上がって行き、一気に興奮を高めて爆発するように終わります。 

 2001年の録音で、教会収録ということで映像で見ても石造りの壁面が大きく、残響がすごいのかと思いましたがさほどでもありません。ほどよくバランス が取れています。中高域の明るさは2013年の録音よりも多少あって前に出ている感じはしますが、明晰ながら弦はやかましくならない滑らかさを保っていま す。中高域をバランス上若干持ち上げたい感じですが、この手のライヴものとしてはよく出来ている方だと思います。良い録音と言ってよいでしょう。DVD なので CD プレーヤーから鳴らしたいならフォーマット変換しないといけない手間はあります。*

* DVD を CD に焼くには多少面倒な手順があります。著作権上 DVD メディアに関しては罰則なしではありますが私的利用においてもリッピングが違法になっているようです。CD 音声だけ取り出すことも同じかどうか分かりませんが、以前 Mac 環境では a52decX などの音声変換用フリー・ソフトウェアが存在しました。現在でも有料ですが同じような機能のものが堂々と売られており、DVD-R のみならず、市販の DVD メディアから iPod などに落とせるとうたっています。その辺の法規対応はどうなっているのでしょう。一度 DVD ファイルをリッピングしてから変換するという手順を踏まないソフトウェア設計なら良いのでしょうか。細かな規定がよく分からないグレーな問題なので以下は仮定の話にします。したがってお勧めしているわけではありません。

 これらのコンバーター・ソフトウェアで DVD から CD フォーマットとして音声を取り出すと、ファイルが楽章ごとに分かれず、曲の途中で分割されて出てきます。DVD のファイルがそのように分割されているからです。そこで各ファイルをつなげた上で楽章ごとに切り直す作業が必要となります(現行の変換用ソフトウェアでこの手順が必要になるかどうかは分かりません)。 これは波形編集ソフトウェアで行いますが、つなげる作業においては、そのまま結合させるとつなぎ目でノイズが出ることがあります。そこでクロス・フェード のような仕組みでお互いの頭とお尻を減衰させつつオーバーラップさせる必要が出てきます。昔のオープンリールのテープを編集する際に、テープの切れ目を斜 めにつなげたのに似たイメージです。この機能は各波形編集ソフトウェアにコマンドとして存在しています(ブレンディングなど)ので、どのぐらいオーバーラップさせるか、50ms なのか 500ms なのかを適宜選びます。曲によって最適な値が見つかると思います。それでもつなぎ目の音圧にいくらか瘤ができるようなら、後からゲイン・エンベロープなど の機能を使ってその部分だけ選択し、逆の形に減衰させてフラットにしてもいいでしょう。今挙げたコマンド名は現在はなくなってしまった Peak という波形編集ソフトのものですので、他のソフトウェアの場合は作業名も若干違うかもしれません。そしてそうやって分割されたファイルを一つにしたら、今 度は楽章ごとに切り分けますが、それも同じ波形編集ソフトウェアでより簡単にできます。

 余韻に被った拍手を切りたい場合は、まず最初のパチッ(もしくは日本の場合だとブラボーのブ)の直前から後ろをサイレント・コマンドで無音にします。す ると最後の楽音が減衰してきて途中でプツッと途切れる形になります。それを途切れる点から遡って適当な長さで選択し、フェードアウトさせます。すると今度 は最後の余韻が途中からボリュームを絞ったように不自然に消えて行きます。次にその不自然に消えて行く少し手前辺りから後ろを選択して別のファイルにコ ピーし、リバーブをかけます(残響で延びる部分だけ少しファイルを長めにとっておく必要があります)。厳密にしたい方は音源のホールトーンと似たように各 パラメーターを調整してから行いますが、フリー・ソフトウェアのリバーブでもほとんど分からないほど自然な音にもできます。それからその残響入りのファイ ルを切り取ってきた元ファイルにリプレースのコマンドを使ってそっくり入れ替えます。その際、接合部を自然にするために前述のようにうまく調整しながらク ロスフェードをかけ、必要ならつなぎ目の音圧の調整も行います。

 今回のヤンソンスの録音は、あくまでも仮定の話として、CD フォーマットにすると少しハイ落ちになるかもしれません。したがって2KHz 手前ぐらいから上をなだらかに持ち上げてあげると良いバランスになる可能性があります。2KHz 点で 2.5dB ほど上がり、だらだらと上昇して8KHz 通過点辺りで 4dB 前後、さらにもう少し上がり気味にしてから水平になるようなカーブではどうでしょう。あるいは全体にもう少し上げてもいいかもしれませんし、5.5KHz 辺りはわずかに凹んでも大丈夫なのかもしれません。ショルティのセッション録音やムーティの新盤などの新しい録音で聞かれるようなグラン・カッサの重低音 が欲しければ、30Hz から 35Hz を頭にして持ち上げてあげるとズンとした地響きが出ます。この録音は十分にその帯域の低い音も捉えているからです。ただ実際のコンサートではそんな風には 聞こえないわけですが。以上のお話は、やってみたとか、やってみてくださいとは言いません。
 


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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Mariss Jansons
   Symphonie-Orchester des Bayerischer Rundfunks


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
マリス・ヤンソンス / バイエルン放送交響楽団

 2013年の録音で、常任指揮者を務めるバイエルン放響とのライヴ盤が新しく出ました。ベルリン・フィル盤と比べるとメリハリがあるところは同じでも、 一歩ずつ着実に進める感じがあります。引きずるように延ばす拍やテヌートでつなげるところがあったりし、フレーズに一つずつアクセントを付けて行く場面も 見られます。全体に丁寧でちょっと重みのある演奏と言えるでしょう。

 第一楽章は滑らかさはあるけどややゆったり重めのリズムで運び、強くなる部分では対比をつけるように力が入ります。
 第二楽章は盛り上がりでテンポを速めるフレーズはあるものの、全体には着実に進める印象です。コルネットは入りません。
 第三楽章ではイングリッシュ・ホルンとオーボエの始まりは丁寧に真っ直ぐ吹いていて冷静な運びであり、やはり重みがあります。その中から情感の高まりが 時折顔を出すという風情です。後半の盛り上がりでは力強くよく歌います。ラストでは雷が鳴っても冷静さを失わず、静かに進めます。さらっとはしていません が真面目な印象の楽章になりました。
 第四楽章は拍をくっきりと切って進んで行きます。リズムに角を作って一歩ずつという感じです。テンポも着実なものです。何か確信に満ちた行進のようです。ギロチンもファンファーレも重みがあります。
 第五楽章ですが、この楽章もやはりじっくりと歩を進めて行きます。フレーズを区切ってかっちりと発音して行く印象です。そして他の楽章同様激してくると ころで部分的に速まり、力強くなります。鐘はチューブラー・ベルで特徴はありません。グレゴリオ聖歌の怒りの日の部分もゆっくり一音ずつ確実に行きます。 ラストはベルリン・フィルほどの熱気ではないですが、ある種お祭り騒ぎのような賑やかさを表しており、深刻さはないながら力が籠っています。最後の最後で また ややスピードアップします。

 BR クラシック2013年、ミュンヘン・ガスタイク・ホールでの収録です。録音は低音にボンつきが感じられるときがあるぐらいにボリュームがあります。フォル テで高弦に完全な透明度が保たれているというレベルではないので完璧とは言えないかもしれませんが、バランスの取れた大変自然な録音です。弦には丸い艶が 付いて美しく響きます。心地の良い音です。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
    Michel Plasson   Orchesre du Capitole de Toulouse
♥♥

ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ミシェル・プラッソン / トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団
♥♥ 

 これは良かったです。演奏、抑揚表現の観点では一番好きかもしれません。EQ とでもいうのか、感情把握能力の指数が高い、つまりは表情に対して非常に意識が高い演奏です。音の一つひとつのあり方とつながりを完全に掌握してコント ロールしているところから、聞いていると自然に気持ちが乗ってきます。より一般的に表現するならフランスらしいたゆたうような柔軟な抑揚があり、迫力は十 分でありながら、力で押す激情型ではないということになるでしょうか。不健康な精神でもありません。砂浜に寄せる波のような動きがたまりません。

 フランスといってもパリではなく、トゥールーズの管弦楽団です。カルカッソンヌに行ったときに寄りましたが大きな都市です。日本で言うとどこぐらいで しょうか。首都東京ではないので地方オーケストラは間違いなく、そのせいで技量が劣るようなことを言う人もあるものの、むしろパリ管あたりの幾つかの録音 よりもずっと上手に聞こえる気もします。ただ、録音がやや引っ込んでいてオフなところがあるので、小音量で何気なく聞いているともやっとしてるように感じ てアンサンブルがもたついているせいかと誤解しそうにはなります。それで♡を一つ減じようかとも思いましたが、演奏に関係ないところで多少合点が行かない という程度の話なのでやめました。ミシェル・プラッソンは1933年パリ生まれでミュンシュにも認められた人ですが、1980年から2003年までこの管 弦楽団の常任でした。近代フランス音楽に強く、サティの作品集など、センスの良いものを出しています。

 第一楽章は冒頭からふわっとした抑揚で、自然な呼吸がしっかりとあります。その生き物のような強弱の表情がこの演奏の良いところです。テンポは最初ゆっ くり、途中からやや速めの展開に変わり、速くなっても雑味を感じさせません。洗練というと常套句ですが、生き生きとしたスピード感があります。
 第二楽章は静かに抑えたところから盛り上げて行きます。ワルツに入ると軽やかにして滑らかに弾む、いかにも優雅なワルツになります。表情があって大変良いです。コルネットはありません。
 第三楽章の出だしはきれいな抑揚で吹く管二つで、プレイヤーも上手です。フルートと弦のユニゾンも表情があります。解釈と指示が音楽の生きた姿を捉えて いるのでしょう、不器用な無表情の瞬間がどこにもなく、動きが敏感に心に反応します。そうした感情表現の自然な美しさではこの楽章のベスト・パフォーマン スでしょう。テンポは伸び縮みし、ゆったりのところは大変ゆったりで静けさとやわらかさがあります。平均すれば中庸の速度ですが、動きのあるモチーフも パーフェクトでこみ上げる情熱が感じられます。テンポを動かすといってもブロックごとに劇的にしようという感じではなく、納得の動きなので恣意的には聞こ えないのです。盛り上がる中間部では情動に従って自然にアッチェレランドし、扇情的に興奮を高めて爆発します。ラストのコーラングレとオーボエではオーボ エの語尾を短く切らせ、遠くで風に消えるような効果も発揮させます。
 第四楽章では最初のクレッシェンドが短く劇的に盛り上がります。ここでも表情の起伏がデリケートです。テンポは遅くはありません。落ち着いた見事な行進 で、リズム感よりも弦などの動きが目立つでしょうか。打楽器とシンバルの強打も上品かもしれません。ラストまで走らず落ち着いて刑が執行されます。 
 第五楽章は美しくもある地獄です。途中鐘の前あたりで乱れずに猛然と走るパッセージには興奮させられます。グレゴリオ聖歌のテーマが出て来る部分での チューバはやわらかく低く、人によって程度の差がありますが金管をビリ付かせる効果が面白く、フランスものらしいちょっとおどけた風情に聞こえます。そし て後半ではいよいよ迫力が出て来るわけですが、フォルテで最大に強い音符を鳴らしている瞬間にも強弱の抑揚が付いているのには驚きます。感情が振り切れて コントロール不能になったりはしないのでしょう。がならない内側からの力の方が実は迫力が出ます。そして迫力があってもやかましく感じないのです。ラスト に向けては興奮してすべて強い音で行ってしまう演奏もあるところですが、長い息でクレッシェンドして行く様がまた見事です。 

 EMI1991年の録音です。中高域にやや反響が乗る一方で、シャランとした弦はきれいながら艶があまり出ないシックな音色です。このレーベルに時々あ るバランスだとも言えます。トータルでの残響時間は短い方で、中域にエネルギーが寄っているのでそこを相対的に凹ませるために8KHz から上の高域と100Hz から下の低域をわずかに足し、2〜4KHz 辺りがきつくならないように調整した上でリバーブを選択的にかけたい誘惑に駆られます。コンサート会場で言うならややソリッドなホールであまり前の方では ないでしょう。トゥッティではそのお風呂場的なところのある反響のせいで少し古い録音のようにも聞こえるときがあります(中低域がぼやけ、中高域が硬く響 きます)。マルチマイクならミキシングし直せば良いかもしれませんが、恐らくワンポイントに近い音場型の設定なのでしょう。もう少しだけ分解が良ければ文 句なしに「幻想」の個人的ベスト盤になります。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
    Myung-Whun Chung   Orchestre de L'Opera Bastille


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
チョン・ミュンフン / パリ・バスティーユ歌劇場管弦楽団  

 チョン・ミュンフンは韓国の指揮者で、有名なヴァイオリニストのチョン・キョンファはお姉さんです。 89 年にバスティーユ歌劇場の音楽監督にダニエル・バレンボイムが就任する予定になっていたのですが、彼の要求 する金額が高かったので歌劇場側が断ったところ、一説によるとクラシックの音楽家の人事の大半を掌握してい るアメリカにある有名なマネジメント会社が動き、目ぼしい指揮者がすべてこのポストをボイコットしてしまう という事態が起きたそうです。困り果てた劇場側はそれでも折れず、当時無名でそのマネジメント会社とは直接 関係のなかったチョン・ミュンフンを起用したのですが、彼は力を発揮して成功に導き、それを足掛かりに世界的な指揮者になりました。
 チョンの幻想交響曲のCDは日本で賞を取り、ミュンシュ盤の次ぐらいに有名な定番演奏となりました。 そし てこの人の代表作でもあります。非常に美しいという評も読んだので聞いてみました。

 第一楽章は大変抑えた弱音でゆっくりと入ります。しかし全編ゆったり系かと思うとさにあらずで、途中で相当に速いテンポにまで加速し、興奮の度を一気に高めます。迫力があって振りが大きいので、 ミュンシュが好きな人にも受け入れられるのが分かるような気がします。
 第二楽章は快活な演奏です。ベーレンライター新版スコアのコルネットが採用されています。
 第三楽章はかなりゆっくりと運び、間の取り方が長くてよく歌っていますが、歌い方そのものは大変素直で、クレッシェンドやデクレッシェンドを途中から変 化させたりはせず、あっさりと表現しています。途中の盛り上がりでフォルテが輝かしくメリハリがあったりしますし、間の長さなどで違いもあるものの、 ちょっとデイヴィスのすっきりとした歌に近いかなという印象です。
 第四楽章の断頭台はティンパニを途中から一気に爆発するように叩かせており、迫力があります。
 第五楽章もティンパニが歯切れ良く、低音こそラトル盤ほど低い周波数ではないものの、大太鼓が大きな音で打ち鳴らされます。ここでも途中から猛烈に速いテンポになり、劇的なものを好む人にはうれしい表現だと思います。鐘の音はチューブラー・ベルのようです。そして最後の最後に大太鼓がドンと大きく打ち鳴らされるのが印象的です。

 1993年の録音はグラモフォンらしい特徴を持った音です。ややこもりがちで、きらびやかではないながら芯のある硬めの音に収録されています。手に入れたのはニュー ジャージーのミュージカル・ヘリテイジ・ソサエティというレーベルがライセンスで出している盤なのでジャケットの上部に黄色い看板がありませんが、 いかにもグラモフォンらしい音なので特別なリマスター盤ではないと思います。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
    Pierre Boulez   The Cleveland Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ピエール・ブーレーズ / クリーヴランド管弦楽団  

 ブーレーズの1996年の録音です。現代音楽の作曲家であるブーレーズは楽譜の構造をレントゲンのように見 せる演奏に定評があり、ときに冷めていると言われることもあります。一方でラヴェルの管弦楽曲全集 (旧)や協奏曲のバックなどでは節度のある大変魅力的な歌を聞かせています。残響が少なめの録音で、高域は最近のグラモフォンとしてはかなりオフな方です。

 第一楽章は中庸なテンポで、普通力を込めて速くする部分でもテンポを維持して行くので、そこのパッセージでは遅く感じるかもしれません。第二楽章も同じ で、力を入れない面白さといいましょうか。音は軽いです。コルネットのオプションはありません。第三楽章の羊飼いたちの笛のやりとりも、さらっと表情をつ けずに中庸のテンポで通します。 この傾向は次の断頭台とサバトでも同じです。鐘はチューブラー・ベルです。
 ブーレーズという人は、演奏に熱を求める人ではないでしょう。熱血なミュンシュの反対は耽美的なデュトワ かと思いましたが、こういう極もあるようです。大変個性的な演奏だと思います。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Michael Tilson Thomas   San Francisco Symphony (1997-98)


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
マイケル・ティルソン・トーマス / サンフランシスコ交響楽団(1997−98)



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Michael Tilson Thomas   San Francisco Symphony (2004)


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
マイケル・ティルソン・トーマス / サンフランシスコ交響楽団 (2004)


 ティルソン・トーマス/サンフランシスコ・シンフォニーという選択もあります。きれいな音を出す人です。時期や曲によっても表現が違うでしょうから一概 に言えないのですが、最近の演奏では大抵はゆったりめのテンポで一つひとつの音に細かな陰影を付け、各動機を区切って色分けしつつくっきりと細部を彫琢し て行くようなアプローチで、独特の透明感のある音を目指しているようです。シューマンの4番でもレポートしましたが、どこか手弱女ぶりの繊細さがある大変 魅力的な演奏でした。フォルテで迫力がないという意味では全くないけれども上品で洗練されていて、興奮に任せて走ったりということがなく丁寧です。一幅のきれいな絵という感じでしょうか。

 この人は十年を置かずに二度、同じ手兵のサンフランシスコ響と同じデイヴィス・シンフォニー・ホールで「幻想」を録音しています。前者が RCA、後者は自前の SFS レーベルです。表現としては大きく変わるものではないような気がするし、録音もどちらも高い水準なので迷うところです。ジャケットの写真同様に旧盤はやや うつむき加減の内省的な表現が聞かれる気がするし、新盤の方が録音バランス的に多少明るい感じがするので、選べということなら新盤かな、という気もしま す。以下に並べて書きます。新盤の方を重点的に説明して旧盤はそれとの違いを述べる感じで行きます。

 1998年盤
 まず旧盤からです。1997〜87年にかけてのセッション録音です。

 第一楽章はゆったり入ります。ややうつむいたような抑揚です。間が長く、遅く感じますが表情があります。弦の駆け上がりは新盤ほど思い切っては速めないものの速くはします。機関車の蒸気のように刻む弦の音が面白く、そこはくっきりと区切っています。 
 第二楽章ですが、コルネットはありません。弾む軽快さは録音の加減もあって新盤より少ない感じでしょうか。
 第三楽章の表現は新盤と似ていますが、ゆったりやわらかく、フレーズごとに切って間を取って行きます。スラーでつなげて大きく盛り上げたりはしません。大変丁寧な印象の野の風景です。 
 第四楽章は断頭台への行進ですが、新盤に比べてこちらの方が途中でテンポが緩まる傾向が少ないかなという程度の違いです。印象としては全体にややダイナミックに感じたものの、部分ごとを聞き比べるとさほど変わってはいませんでした。
 第五楽章では力はありますが、やはり丁寧に進めて行きます。清潔な地獄です。これと新盤の両方の録音で大太鼓が地響きのような重低音を出します。ムー ティの新盤でも聞かれた迫力ある音です。鐘は新盤と同じもののようで、大変良い音です。最後はテンポを上げて行きますが、新盤より速めているかなという印 象だったものの、比べると全く同一でした。新盤より高域がはっきりしているのでそんな印象を持ったようです。

 RCA のスタジオ録音のコンディションですが、弦の音はややオフであり、トータルでもやや落ち着いたトーンとなっています。しかし部分的には新盤と比べて必ずしも引っ込んでいない箇所もあり、逆転して聞こえる場面もありました。

2004年盤
 次は新盤です。旧盤と基本は同じ傾向の表現です。細やかな表情を付けますが、波打つような大きな強弱は抑えてスタティックな印象です。全体のテンポは ゆったりですが、滑らかに全体を通して流して行くのではなく、ブロックごとにテンポと表現を変え、フレーズ同士の間も十分取って進めます。丁寧な印象で す。

 第一楽章はテンポはゆっくりです。間も空けてデリケートな抑揚をつけて進みます。弦が駆け上がるところでは思い切ってスピードを上げます。動と静のコントラストが付きます。
 第二楽章は同様にコルネットなしです。ワルツのリズムは弾むようによく区切られています。全体に拍のはっきりした、それでいてやわらかさと軽快さが同居した運びです。
 第三楽章はテンポはゆったりで、表情はあまり高まりの山を作らず、やや抑え気味です。コーラングレの低く輪郭のくっきりとした音とオーボエの高く明るい 音がコントラストを成して穏やかに進んで行きます。表現としては所々でスラーを切るところもあります。弦は抑えて平板に始め、これも所々でスタッカートで 強めたりします。一つのフレーズごとに区切られた別の島のように表現して行くのです。そのため分解されたような趣きです。アクセントとなる延ばしや切りの 動作は、時に思い切ってポイントごとに付加します。びっくりするほど語尾を延ばす箇所も聞かれ、大変工夫している印象があります。ですが基本的には語尾は あまり長く延ばしません。中間部のフォルテの箇所もテンポは遅いままです。
 第四楽章のテンポは特に遅くはないですが、間は大きく取り、アクセントも拍ごとに強めに付けます。途中ややゆったりで着実な歩みの行進となります。大太 鼓の重低音がやわらかく包み込むように鳴るのが魅力的です。ギロチンも低音が出ています。重い刃なのでしょう。テンポは最後まで一定です。
 第五楽章は平均的なテンポで入って緩めます。ここも低音が地響きを立てます。途中ブロックごとに速める表現があり、速いところではかなり前のめりに走り ます。鐘の前の部分です。鐘は結構低い倍音の、渋いきれいな音です。大時計というのか、近くで聞いたビッグベンのようです。後半はムーティ盤同様に大太鼓 が時折地響きのように鳴り、最後は少しテンポを上げて終わります。

 レーベルは SFS メディアでキーピングスコア・シリーズです。この新しい方が録音が幾分鮮やかです。決して華やかな音色ではありませんが、弦も細かいディテールが感じられ ます。低音は被らずよく出ています。残響はやや少なめのライヴ収録です。前述の通り、旧盤同様の重低音が魅力的です。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Jean Fournet   Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ジャン・フルネ / 東京都交響楽団

 人間歳を取ると落ち着いてくることもあるわけで、指揮者の場合はテンポがゆったりで無用な表現が減ってきたりもします。必ずしもテンポが遅いばかりでも ないけれども、八十八歳になったジャン・フルネのこの「幻想」は悠揚迫らざる演奏だとは言えるでしょう。無用に飾らず、誠実な感じもします。フランスの指 揮者で日本とも縁が深く、この録音は彼が引退演奏会を行った東京都交響楽団とのものです。日本語で記事を書く場合、知りもせずに余分なことは言いたくない ものですが、60代の録音だっ たフォーレのレクイエムなどは端正でテンポは若干速め、流麗かつ繊細な切れもある印象だったものの、それよりずっと穏やかに聞こえるのは事実です。

 テンポは伸び縮みし、第一楽章の途中で盛り上がる部分では速くなり、また最後で緩まります。それでも鋭さの取れたおっとりとした印象です。アンサンブル の性質か録音のせいかと特定はしないにせよ、フレーズの切れを気にしてないかのようにも聞こえます。全体にオーソドックスな解釈だと思います。最後の楽章 でも途中のスピード・アップはしっかりと聞かれます。ただこの地獄の場面ですら、足取りの速いところがあってラストでも速度を上げるものの、どこか角の取 れた運びです。
 若者の自己顕示や狂気とは縁がない分、曲の性質には合ってないかもしれませんが、人間としては成熟しているので安心して聞いていられます。最後に教えた かった姿勢とでもいうのか、フルネという一人の存在の生きた軌跡を感じることのできる感慨深いものと言えるでしょう。2008年に亡くなっています。

 録音については2001年という新しさからすると必ずしも最高のコンディションだとは言えないかもしれません。中低音がバランス的に前に出る傾向があっ てややブーミーであり、反響のせいでかぶるというか、もやっとしたところもあります。一方で弦は艶を抑えて細く出ます。しかし古い時代のものとは違い、ク リップして歪むことはないため安心して聞いていられます。廃盤ですが、これ以外にも80年代の DENON 録音や2003年収録の DVD も出たことがあります。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      Valery Gergiev   Wiener Philharmoniker


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ワレリー・ゲルギエフ / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団   

 レーベルがなくなったフィリップスのデジタルとしては 新しい2003年の録音で、音の良さでも評判になり ました。このレーベルの音質を期待して初回限定プレスの国産ゴールドCDを中古で手に入れてみました。その音はほどよい残響があり、ウィーン・フィルらし いやわらかさが聞かれます。フィリップスの数ある録音の中でベストかどうかはともかく、このレーベルらしく目の覚めるような輝かしい録音ではなく、ちょっ と生を意識させる自然なものです。そしてこれは必ずしも悪い点ではないのですが、200Hz 前後でしょうか、中低域に厚みがあ り、ボンつきとまでは言えない程度の響きの過剰なところがあります。

 演奏は個性的で良いですが、ウィーン・フィルの特徴なのか、ちょっともたっとしたフレーズもあるようで、録音と相まって歯切れの良い方向ではありませ ん。ゲルギエフはロシアの指揮者で、チャイコフスキーの交響曲での情熱的な演奏が話題になりました。民族運動や政治活動の方面でも熱い人のようです。
 個々に見て行くと、メロディーをつなげて延ばす傾向はないようです。テンポは遅いと感じる部分と標準的なところとがあり、遅いところから速める手法な ど、ダイナミックな演出が巧いと思います。リズムは全体に重さを感じさせ、ウィーン・フィルのせいなのか彼自身の表現なのかと思うところがあり、フランス 人の妄想というイメージとは違った魅力です。ハーモニーの洗練ではなく、無骨さを感させるところがあるのです。「幻想」にそういう方向での力を感じたい人には 有力候補だと思います。

 この後ゲルギエフはロンドン交響楽団との2013年のライヴ録音を LSO 自前のレーベルから新たに出しています。そちらはテンポが若干ゆったりになりましたが、表現が大きく変わったということではなく、特に突飛なことはしない オーソドックスな好演だと思います。ちょっと残念なのは輝きを抑えた渋さというか、やや地味な録音です。新しいものなのですが、音像はやや遠めで全体に紗 が掛かったようなオフな感覚があり、中低音は若干だぶつき気味な気がします。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
    Simon Rattle   Berliner Philharmoniker


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
サイモン・ラトル / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
♥   

 音が好みなら♡♡にしたかどうかという、さすがにレベルの高いパフォーマンスです。あくまでも好みの問題ですが、ヤンソンス盤ほどではないながら弦の輝きなどでややオフに感じさせるところがありました。演奏はラトルにしてはあまり切れ者の仕掛けが目立たないオーソドックスな表現です。個人的には前半二つの楽章でもう少しゆったりたゆたうような繊細な流れが欲しい気もしますが、オーケストラの巧さと第三楽章の美しさが最高に魅力的な、完成度の高い演奏です。どこにも隙がありません。

 第一楽章は繰り返しの部分で最初は強く、次に弱くといった細かな指示が出されており、ラトルらしく仕事をしている感じがします。そして何よりもベルリ ン・フィルの技術が非常に高いのが分かります。遅いところでも正確に弾き、表情が安定しています。また、録音の良さと相まってコントラバスの動きがよく分 かります。
 第二楽章は高域にやや混濁したところがあるせいか、ハープなどに動きをつけている工夫があまりよく聞こえません。ベーレンライター新版のコルネット・パートは吹かれています。ただ、これもあまり目立ちません。
 第三楽章は素晴らしく、さすがにラトルとベルリン・フィル、巧いと感心します。息の長いクレッシェンドや デクレッシェンドのコントロールされた形が見事で、気持ちが乗ります。出だしではそれほど遅いテンポではありません。イングリッシュ・ホルンは華やかなフ ランス流ではなく、厚みがあって透明感を感じさせる音色です。ビブラートを感じますが、よく反響していて心地良いです。かけ合うオーボエの音も艶があって 美しく、遠くでよく響きます。ベルリン・フィルの管は表情も大変豊かです。ラトルはここではやはり細かな工夫を凝らして強弱を指示しているようで、見事な 出来映えです。後半に向けては大きくクレッシェンドして行きます。それは音が大きくなるというよりも、徐々にテンションが高くなって行くもので、表情に確 信を感じさせます。デュトワのような やるせない情熱ではなく、もう少し素直で迫力あるオーケストラの興奮に酔うという感じです。そのデュトワ、インマゼールと並んで最も魅力的な「野の風景」 の一つでしょう。
 第四楽章ではコントラバスがよく響きます。走ったりせず節度がありますが、ファゴットなどの細かな表情の付け方には時々注意を引かれます。コントラバス は音がよく区切られていて面白い効果が出ています。これらは録音の特徴としてよく分解されて聞こえます。シンバルと合わされる大太鼓の超低音は地響きのよ うで、オーディオ的にも楽しめるでしょう。最後のファンファーレはあざ笑っているのか悲しんでいるのか分かりませんが、小さく遠く、音色に配慮がされてい ます。
 第五楽章も低弦が魅力的です。よく響くのに分解されて聞こえるのです。鐘はチューブラー・ベルでしょう、軽い音です。

 2008年のラトルの「幻想」、録音については低音の豊かさと分解で素晴らしいものの、ややオフでヴァイオリンに倍音の繊細さが出にくいところがありま す。ヤンソンスの同じEMI録音でもそうだと書きましたが、中高域が固まって平板になるところがあり、音色に幅が出にくいのです。そのせいでわずかにこ もった感じに聞こえます。ヤンソンス盤よりはその程度は少ないですし、ブラームスの全集などでは見事なバランスでしたので、もう少し色彩的だと満点だなと 思います。しかしこうした評はオーディオ・ファイルしか気にしないかもしれません。きらびやかでない優秀録音だとも言えるでしょう。 



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     Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
     Gustavo Dudamel   Los Angeles Philharmonic


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
グスターヴォ・ドゥダメル / ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団

 大胆な音作りで最近注目されている1981年生まれのベネズエラの指揮者、グスターヴォ・ドゥダメルがロスアンジェルス・フィルを振った2008年の 「幻想」です。ドイツ・グラモフォンながら、これもデュトワの新録音と同じようにダウンロード版しか出てないのではないかと思います。なのでオマケという か、最近の新しい人の一つの傾向かもとも思ったので触れることにしました。やりたいことを盛り込めるだけ盛り込んだ、まるでポップス感覚とでもいうような 面白い演奏です。個人的な好みではありませんが、エンターテイメント性というかサービス精神満載であり、自分を表現するための素材として曲を使っているか のようにも聞こえます。こういうのがあってもいいでしょう。

 具体的に言うなら、ずいぶんテンポにメリハリを付け、拍にタメを効かせたりしてアッチェレランドも大胆に熱く走ります。管には大きな表情を指示し、くね らせたり歯切れよくしたりもします。打楽器の鳴らし方も色々不思議で、聞き覚えのないところで大太鼓が鳴る場面もあります。スコアにはあるのかどうか分か りませんが。また録音も大変良く、ティルソン・トーマスやムーティ新盤のように重低音が圧迫して地響きのように鳴ります。ライヴなので最後は聴衆が熱狂していました。確かに人気が出そうな演奏です。
   
 第一楽章はテンポにメリハリを付けます。熱く走る部分があります。
 第二楽章はゴツゴツはしていませんが、かなり力強いワルツです。後半は相当に速めます。
 第三楽章はたっぷりとした表情の出だしです。その後もゆったり歌わせて進行させますが、次に来る大きくクレッシェンドして行くところではテンポは速め ず、中間部の少し静まったパートと次の盛り上がりの間で拍子を取るようにズドンと大太鼓を四回叩かせるところがあります。それ以外にも数回続けて叩かれて いますが、これは何でしょうか。後半も粘るようにかなり遅く歌わせます。 
 第四楽章は拍にタメをきかせ、くっきりと歯切れ良く行く行進です。金管をビリビリ盛大にびびらせます。癖を出して派手な効果を狙うタイプなのでしょう。そして最後にアッチェレラドをかけますが、断頭台上での回想でもクラリネットをくねらせるように鳴かせています。
 第五楽章の地獄ですが、最近の録音に聞かれるようになってきた重低音の効果が最大限に出ます。相変わらず木管には表情を付けて吹かせ、テンポに伸び縮みがあります。大きな音の鐘は本物の教 会の鐘のような音で、ベルリオーズが望んだ効果が出ていると思います。かなり大きいやつなのでしょうか。真ん中以降で加速と戻しが出て、ここでも地鳴りが 迫力です。ラストの打楽器の鳴らし方がまた面白いですが、こうなると解説不能です。とにかく色々工夫があり、最後はお得意の熱いアッチェレランドで駆けて 行って、聴衆が大喜びします。2008年の録音は大変良いです。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
      John Eliot Gardiner   Orchestre Revolutionnaire et Romantique


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
サー・エリオット・ガー ディナー / オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク  

 オリジナル楽器(古楽器)による学問的試み、と言えるのでしょう。ガーディナーは徹底した考証で有名な人です。そしてこの楽団はイギリスの楽団ですが、1989年にガーディナーが古典派とロマン派を演奏する ために設立したもので、とくにベルリオーズが念頭にあったようです。名前がフランス語になっているのもそのせいでしょうか。ということは、この幻想交響曲 こそこの楽団にとって最も重要な作品になるわけです。選んだホールはこの曲の初演が行われたパリ音楽院の古いホールで、当時はベルリオーズの友人が指揮し たそうです。ガーディナーはそのフランソワ・アブデックになり切ろうというのでしょうか。パリには築200年超えという、ギロチンで処刑された人がまだ傷 を癒しながら住んでいそうなアパルトマンも現存するそうで、不思議なことが可能なものです。
  楽器も 当時のものをできる限り使用しており、チューバの前身となるものなど、色々使われています。オフィクレイドは初演時も軍楽隊から借りてきたようですが、バ ズーカ砲みたいです。ソプラノ・サックスを太くして上下逆さまに身体の前に構え、ファゴットのように横から吹くと言ったらいいでしょうか。 もう一つ、これもチューバの前身だそうですが、セルパンという楽器も使われています。英語で蛇はスネークだけでなく、文語でサーペントとも言いますが、そ れをフランス読みにすると語尾がサイレントになって「セルパン」となります。正に真っ黒い蛇が S字にうねったような不気味な金管楽器で、リコーダーのように指で穴を押さえるのですが、その左右の手の間隔が広いために曲げたのかと思われる造りです。 他にもヘの字に折れ曲がったコーラングレ、通常の形のトランペットの横にホルンのように丸くなったもの、トロンボーンのように長くなったものなど、色々登場して飽きません。これらは同時に出ている DVD で見ることができます。演奏は CD と同じなのかどうか、厳密に比較してないので分かりませんが、拍手は DVD の方だけで聞こえます。余韻に被さっていても編集操作で残響を作れば切ることはできますから、その違いだけなのでしょうか。同じようには聞こえるけど別セッションの可能性もあります。とにかく、これは映像を見るべき演奏、と言えるでしょう。ベルリオーズの指示通りなのでしょう、バチの異なるティンパニが横にいくつも並んでいる光景も圧巻です。もちろん例の弓の棹で弦を 叩く姿も鑑賞できます。

 ホールのせいなのか、残響がありません。そのせいもあってか編成が小さく感じられます。録音は1991年です。音は中低域に反響がやや強く乗り、中域に若干固まるような癖があるものの、古楽器らしい真っ直ぐな弦の音が聞けます。しかし幾分頭が先行したでしょうか、このホールの選択は音色の面からは疑問です。
 出だしはピリオド奏法のわりにテンポはゆったりで間もありますが、速くなるところでは十分速くてさらっとしています。第一楽章の最後でまたゆったりになります。表現は濃厚なエロスを感じるという方向ではありません。
 第二楽章ではピツィカートとコルネット(ベーレンライター版の楽譜による)の音が目立ちます。リズムは伸び縮みし、羽のように軽やかです。ここも反響の なさからか、一つひとつパーツを組み立てているような演奏に聞こえます。
 第三楽章の牧場の風景は非常にゆったりとしています。最初のコーラングレの音はちょっとサックスのようで、真っ直ぐに吹かせています。それと対照的に、 掛け合うオーボエは線が細くて遠く、コントラストが付きます(舞台裏なので DVD でも見えません)。弦はわずかに音の真ん中を膨らませるような抑揚は付けますが、いつものガーディナーらしく、あまりピリオド奏法的な癖の出るものではあ りません。波打つ長いうねりはなく、フレーズごとに区切って行くのでさっぱりとした清潔な感じになり、アヘン中毒の夢の中という印象を与えません。言い方 によっては覚めているとも言えるこの運びは、技術的には別物でもブーレーズの分析的な音を思い出させるところもあります。フォルテで駆け上がる弦の後ろ で、管が棒のように真っ直ぐ吹いている音が残って聞こえていたりして、よく構造を見せてくれるのです。途中、雷鳴の前あたりから非常に遅くなり、眠くなり そうです。雷鳴自体もそれだけ別に轟くようです。そしてラストまで非常にゆっくりのテンポで行きます。
 第四楽章の断頭台への行進ですが、これもゆったりしたテンポです。ブラスは短く響き、一拍ずつが見えるようです。楽器がよく分かる点も特筆に値します。リズムは終止一定で、ギロチンは短く、首はゆったり落ちます。
 最後の楽章のサバトですが、ここも一音一音くっきりと遅めのテンポで確実に進みます。そしてお待ちかねの鐘ですが、これが見事な音です。本物の教会の鐘 のような音色で、遠くで応えるときは本当に遠くで鳴っているようです。ところが映像を見ると、指揮者はリズムを取って棒を振り下ろしているのですが、鳴ら している人の姿がないのです。最近は特別に鋳造するのも流行っており、バックステージで大きな鐘を叩いている例もあるようですが、あるいは録音ということもあるのでしょうか。 

 古楽の旗手、サー・エリオット・ガーディナーの演奏、ぜひ目で見てください。ボディ・ビルダーのように体を鍛えたコントラバスの女性にも会えます。

  続報ですが、この後ガーディナーは2018年に同じ顔合わせで新しい録音を出しました。そちらは初演ではなく、1848年にベルリオーズ自身が指揮をした というヴェルサイユ宮殿王室歌劇場での演奏の再演という趣向です。ガーディナーは以前は学究的態度が強い印象だったものの、バッハのカンタータでは大変宗 教的な感情を表し、最近は殻を破って弾けた様子も見せるようになってきたようです。その新しい録音の方はまだちゃんと吟味してはいませんが、最終楽章での 熱気は91年のときより随分高まっているようです。DVD しか出ていないのが残念です。同じくオリジナル楽器を使った映像ものとしては、他にもエマニュエル・クリヴィヌ/ラ・シャンブル・フィラルモニクも 2014年の DVD を出しています。そちらもセルパンとかが出てきますが、同じく初演時よりは少し後の楽器構成ではないかという説があるそうです。クリヴィヌは1993年に 国立リヨン管弦楽団との CD をすでに DENON から出していました。ゆっくりの進行の中で一拍ずつくっきりと拍子を取るように行くのを基本としてセクションごとに速める部分を挟み、全体にクリアな印象 の演奏でした。DVD の方も同じリズムの特徴があるようですが、これら三つの映像を比較してみるのも面白いかもしれません。



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
    Jos van Immerseel   Anima Eterna Brugge


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
ヨス・ファン・インマ ゼール / アニマ・エテルナ・ブリュッヘ
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 骸骨になった猿が枝をスイングして飛んできそうな表紙 です。アニマ・エテルナはインマゼールが1985年に創設したピリオド楽器(古楽器)のオーケストラで、ブリュッヘというのはフランス語でいうブルージュ のオランダ語表記であり、2002年にコンセルトヘボウ・ブリュッヘというコンサート会場ができたのを期に名前の後ろに付けられるようになったようです。 中身は同じオーケストラで、シェヘラザードで美しいソロをとっていたコンサート・マスターのミドリ・ザイラーなど、メンバーは変わりません。したがって指揮者も楽団もオランダ語圏のベルギーの人たちです。
 古楽器を使った演奏は幻想交響曲についても試みられていて、ロジャー・ノリントンの思考的で細部に意外な工夫を凝らし、急激な部分加速を加えたりするユニークな録音(新旧両録音とも鐘にこだわっており、特に旧の方は面白い音です)など、他にもまだいくつか出ていますが、このインマゼールのCDは抜きん出ており、全く熱血な方向ではないものの息のつける美しい演奏です。バロック(クラシカル)・ヴァイオリン独特の繊細な音色を楽しめる「幻想」と言えるでしょう。特に後ろ二つの楽章だと思いますが、激しい乗りを唯一の評価スケールにされている方にはあるいは不満足かもしれません。表現手段としてアッチェレランドで走って熱さを表すということがないからです。鐘がピアノというのもこれだけです。

 インマゼールの交響曲といえば、完成度の高かった直前のベートーヴェン全集で見せた速めのテンポで強いアクセントとスタッカートを用いた歯切れ良い表現を思い浮かべる人もあるでしょう。しかしこ の「幻想」では反対に遅めでしっとりと歌わせています。アーノンクールも古典派以前の楽曲とドヴォルザークのようなロマン派の作品とではテンポを変えてい ましたが、インマゼールも考えがあってそうしているのでしょう。アヘンによって自殺を図った恋の狂気というよりも、物事のありのままを味わえる大人のよう ではありますが。

 第一楽章はゆったりとした間合いが印象的です。それによってバロック・ヴァイオリンがノンビブラートで震わせる音のうなりが最大限に聞けます。弦はただ力を抜くのではなく、弱音の響かせ方によく注意が払われています。録音も音が溶け合いながら分離していて大変良いです。
 第二楽章もゆったりとしたワルツになっており、弦が心地よく響きます。その粘る歌わせ方はピリオド奏法の典型的な「メッサ・ディ・ヴォーチェ」様のもの(一音の中間部で音量の山を作る作法)と はちょっと違うかもしれません。そしてこの楽章ではハープが活躍しますが、それがまた前面に出て大変きれいに聞こえます。ベーレンライターの新全集版の楽 譜を用いているのでコルネットのパートも吹かせています。前面に出てくる感じでもありませんが、独特のユーモラスな効果が出てい ます。
 第三楽章の「野の風景」はこの盤の最も魅力的な部分でしょう。テンポは遅い方ではありませんが、活きいきとしています。出だしのコーラングレ(イングリッシュ・ホルン)はノンビブラートではっきりと輪郭のあるきれ いな音です。かけ合うオーボエともども細く透明感があります。吹き方は管の方は頭にアクセントをもってき弧を描くように延ばしますが、弦楽器の方は音の途中で山を作って盛り上げる呼吸があ ります。しかし合わさるところでは歩調がとれています。ともに力が抜けて節度がありますが、その抑揚の付け方はアーノンクールらの演奏でお馴染みのものと は若干違うながら、やはりピリオド奏法らしい抑揚を感じさせるものです。奏者の個人的センスへの任され具合と指揮者の指示とがどういう割合かは分かりませ んが、モダン・オーケストラのイントネーションとは強調点が違うのです。しかしそれがまた、盆地に霧が低くたなびくような美しさをもたらしています。この 楽章の最も静けさのある演奏ではないでしょうか。愛する人が現れて心乱れる場面でも全く走らず、音が分解されて聞こえます。雷の音は本当に遠くの雷のよう でリアルです。ここでティンパニがきれいだと思ったことは初めてかもしれません。
 バソン(フレンチ・ファゴット)が使われていますが、アンセルメのようにその裏返った声変わりのような音 色が目立つことはなく、控えめです。オーケストラはオランダ語圏の人たちのものですが、ベルギーはまたフラ ンス文化圏でもあり、管楽器は主にフランス流儀のものが使われているようです。ブックレットによるとコーラ ングレ(イングリッシュ・ホルン)は19世紀の初めにドイツ式と分かれ、フランス式は直径が細くなりました が、1827年頃にはカーブもアングルもついていないストレートのものになったそうです。ここでは 1830 年製のもの、それとかけ合うオーボエは1840年のものが使われています。どちらもフレンチ・スタイルで す。
 第四楽章は「断頭台への行進」ですが、ここもまた遅いテンポで進みます。しかし迫力はそれなりにあると思います。というのも弱音の側が思い切って弱く、 低い側へのレンジの拡大が図られているからです。張り裂けるようかと聞かれると微妙ですが、興奮してコントロールを失ったりせず、そこからかえって力が感 じられるような迫力です。狂ったイベントを上から眺めていると言うと冷めた感じに聞こえるでしょうが、いつもはボリュームを絞るのに大きな音で聞きたくな るほど魅力的です。ギロチン台に首を置いたときに彼女のことが一瞬思い出されますが、その夢見るような調べも印象的です。
 第五楽章の地獄の風景も一定のテンポを守って克明に描かれて行きます。面白いのは例の鐘の音なのですが、珍しいことにピアノが使われています。ベルリ オーズは3オクターブにわたるCとGの音(ドとソ)の鐘を想定しているようで、十分に低い音(C2/3/4とG1/2/3)が出せない場合はピアノで演奏 するようにという指示を出しています。そして実際にはそうなることを想定してピアノのパートを丹念に書いているのです。ところがCDともなるとさすがにピ アノでの録音はほとんどなく、ほとんどがC5と G4(523 Hz と392 Hz)のチューブラー・ベル(筒状の鐘をオルガンのパイプのように並べて吊り下げた楽器で、ハンマーで叩く)を使います。逆にここでピアノが聞け るというのは面白いのではないでしょうか。ブックレットにはインマゼール自身の解説が載っていますが、そこではベルリオーズが指定した「十分に低い音」の 鐘だといったいどのぐらいの重さの物になるのかを専門の学芸員に計算させているのです。オクターブの国際標記であるC4/3/2が 2,862 Kg / 22,900 Kg / 183,200 Kgで、G3/2/1がそれぞれ 6,808 Kg / 54,464 Kg / 435,712 Kg になるだろう。つまり、G1の音 が出る一番大きな鐘は49Hz ほどの低音ですが、435トンであり、専用の吊り台から制作すればとんでもない金額になる上に舞台に置ける場所もなく、もし鳴らしたら教会の鐘同様町全体 に響きわたって他の楽器の音など聞こえやしない、というのです。さて、ピアノの方はダンパーを外し、全弦を共鳴させるのだそうですが、果たしてどんな印象を 持たれるでしょうか。
 
 2008年の録音です。ほどよい残響の優秀録音です。ミュンシュが好きな人には後ろの楽章での迫力がないと言われてしまいそうですが、ピリオド楽器による最高に美しい演奏だと思います



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      Berlioz   Symphonie fantasitique op.14
     
François-Xavier Roth   Les Siècles


ベルリオーズ / 幻想交響曲 op.14
フランソワ=グザヴィエ・ロト / レ・シエクル

 新しく追加です。といってもこの人たちはすでに2009年に旧盤を出していたのですが、「古楽器演奏は他にもまだいくつか出ている」と片付けた中に含め てしまってました。リリースされてさほど経たないのに英米仏アマゾンで何人もの人が高評価☆を付けていたこともあり、取り上げてみることにしました。

 事件当時の若きベルリオーズが乗り移ったかのような迫真の「幻想」です。ピリオド楽器による演奏で、その点も却って鋭さが出て良い方向に働いていると思 います。ガーディナー盤同様にセルパンやオフィクレイドといった当時の楽器を用い、原典にこだわっています。指揮者のフランソワ=グザヴィエ・ロトは 1971年生まれ、率いるレ・シエクルは2003年結成ということで、フランス人とフランスの楽団によるものですが、フランス流の演奏と言うと、以前は緩 やかにうねる丘陵が続いて行くようにやわらかく歌う抑揚が聞かれたものですが、近年はフランス車の乗り心地ですら以前のようにソフトでもなく、全てが国際 標準になってきました。ロトの場合も自身の性質なのか世代なのか、繊細で表情豊かという方向ではなくて、決して遅くないテンポにメリハリが付き、歯切れ の良さが感じられるダイナミックなものに仕上がっています。緩徐楽章での歌い方も抑えて直線的であり、感情の昂まりの部分でフレーズの後半を急激に強める といった風情です。個人的にはデリケートでやわらかな抑揚のある演奏が好きなので♡は一つにしましたが、本当は二つ付けるべきでしょう。普段は古楽器演奏 に関心がなくてスケールの大きな熱演を好まれる方においてもこれなら大丈夫だと思います。ピリオド楽器によるものとしては最もテンションの感じられる名演 奏だと言えるでしょう。録音も大変優れています。そして最後の楽章で鳴らされる鐘がベルリオーズ本人の指定に従って一から鋳造されたという大きな特注品が 使われているのも聞きものです。

 第一楽章から激しさを秘めています。最初こそ語尾を延ばして間を十分取っていることでゆったりめに聞こえますが、全体には浮き足立ったようにも聞こえる 少し速めのテンポ展開です。アクセントがはっきりし、一音符の中での強さに変化があります。それはピリオド奏法において標準となっている音の中程を盛り上 げる手法でもあると同時に、この指揮者が狙う心の展開のようでもあります。こんなことを言うと叱られるかもしれませんが、語尾をキュッと切り上げて強める ところがちょっとショートテンパーで激情的な感じがするので、いかにも一触即発のベルリオーズらしいのです。クラリネットなどにくぐもって鼻にかかったフ ランス管の音色も聞かれます。
 第二楽章は四台のハープ(普通は二台)が活躍します。尖りのある駆け足のワルツです。はやる心で踊るのでしょう。拍が前のめりに詰まるところがあります。想念の中に生きて今の瞬間を見ることができない苦しい心が感じられ、大変リアルです。
 第三楽章は夢見るようではなく、辛い胸の内がひしひしと伝わってくる鋭さがあります。管は静かに抑えて棒のように真っ直ぐ延ばした音で吹かれ、抑揚に 膨らみややわらかさは聞かれません。飾りがない印象である一方、スタッカートで切って強くするところなど、恣意的な表情もあります。弦には強いメッサ・ ディ・ヴォーチェ様の山なりのアクセントが聞かれ、短く脈動します。これほど切迫した野の風景があったでしょうか。雷にも鋭さがあり、最後は冷たい風の中 にかき消されるようなコーラングレです。
 第四楽章の行進にも鋭いエッジが立ちます。テンポは中庸ですがボルテージは高いです。ファンファーレには軽薄さを装うような輝かしさもあります。そして 強いアクセントがドラマを感じさせます。最後で走りはしませんが、一瞬の回想は哀れに喘ぎ、ギロチンは加速してスライドする新しい手法です。刑執行を告げ るファンファーレではティンパニが多人数のように連続して鳴り、遠くで吹かれているようでありながら最後の音が強いです。
 第五楽章も表情に色々工夫があります。テンポは短い周期で変化し、全体にテンションが高い運びです。鐘の音が良く、強弱で音色に差が出ます。この怒りの 日の部分からはゆっくりめに奏されます。強い音が出ますが、フォルテで濁らない優秀録音はありがたいです。続く木管には裏返るような面白い表 情が付き、弦のトレモロを伴った繰り返しが新しいです。回転ムラのように音程をずり動かす弦合奏が狂気のほどを分解して見せてくれ、コルレーニョは古い方 向指示器のリレーか壊れたワイパーのようであり、こうして音色の細部にこだわるのはあるいはフランス流でしょうか。テンポはラストの直前までずっと抑えて 進められ、最後に段が付いたように加速してクライマックスとなります。
 
 さて、鐘についてですが、これは2013年のベルリオーズ・フェスティバルで作られたものを借り受けたということです。昨今はこういうケースが増えてい るようです。2001年のマリス・ヤンソンスの演奏でも同じような鐘を叩いているのが映っていましたが、あちらはベルリン・フィル特製。コンセルト・ヘボ ウも寄付を使って自前で鋳造させたようだし、アメリカのオーケストラでも持っているところがあり、大きな丸太のフレームごとよく演奏会に貸し出しているよ うです。ベルリオーズがこの曲に指定したのは音程で言うと C4/G3、C3/G2、C2/G1 の三つのうちいずれかの組み合わせです。周波数にするとそれぞれ 262/196Hz、130/98Hz、65/49Hz になります。作曲者の言う通りに再現できるのは一番高い音の C4 と G3 ぐらいで、それでも大変重くなって3〜7トンぐらいにはなるだろうとインマゼール盤の解説でキュレーターが計算していた話を上に載せました。通常はもう 1オクターブ高いチューブラー・ベルを使うわけです。従ってヤンソンス盤でもこの盤でもすでに巨大ではあるもののその一番高いピッチの鐘になっています。 そうなると、さらに1オクターブ や2オクターブ下のでもいいよというのは、何考えてたベルリオーズ、という話です。多分地獄の恋の苦しみから悪夢を見たのでしょう。材質を変えて長さと口 径を大きくし、薄く作れば低い周波数のものもほどほどの重さで実現できそうではあります。実際吊り下げた四角い金属板を叩いてる例もあるのだし、チューブ ラー・ベルも鐘の形はしてないわけだから特別な楽器を作ればいいのです。でもフランスの話なので主人公が行くのはカトリックの地獄でしょう。そこで鳴る鐘 はやはり教会の鐘だろうし、それには定められた仕様の造りがあります。そして実際そんな低い音程の鐘は実在しないわけで、どうしても聞きたければカラヤン の最後の録音のようにサンプリング録音して細工しなきゃいけません。それなら日本の寺院にある梵鐘(お堂の鐘)はゴーンと低い音がするのだから、そういう ので是非聞いてみたい気もします。でも実は梵鐘は平均的には 300Hz 前後なのでこの録音のとピッチは変わりません。一番低い個体で 130Hz ぐらいだからもう1オクターブ下までは行けるでしょうか。重いもので83トンほどあります。仮に最低音49Hz の鐘が可能だとしても、その周波数だと普通のスピーカーではフラットには再生できないことが多いです。

 2019年録音のハルモニア・ムンディです。



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