ヘンデル / メサイア HWV 56
Handel: Messiah, oratorio HWV 56
取り上げる CD 23枚: ボールト/リヒター(’61/’73)/クレンペラー/マリナー/ホグウッド/ガーディナー/コープマン/ピノック
/パロット/コルボ/パールマン/クリスティ/マクリーシュ/ヤーコプス/ラター/クリストファーズ/タウリンス(’98/’11)/アーノンクール
「ハーレルヤ!」は映画でも使われ、誰もが聞き覚えのある節付きのフレーズでしょう。「シュレック」で話題になったのはカナダのシンガー・ソングライター、レナード・コーエン(1934-2016)の別の曲だとしても、使用作品は50本以上になります。例えば「ライト・スタッフ 1983」や「3人のゴースト Scrooged 1988」、ジム・キャリーの「ミスター・ダマー Dumb and Dumber 1994」と「マン・オン・ザ・ムーン 1999」、「フェイス/オフ 1997」、「ブリジット・ジョーンズの日記 2001」などです。それ以外でもコマーシャルなど様々な媒体で最近も採用されており、有名過ぎてクラシックファンならずとも歌えると思います。一方で、それがヘンデルの「メサイア」に出て来る「ハレルヤ・コーラス」の部分であることは知らない人も多いことでしょう。
ただしメサイアはクラシックの宗教曲ジャンルの中では最も聞かれている作品です。モーツァルトの「レクイエム」とどちらが総再生回数が上なのだろう、という感じ。同時代ではバッハの「マタイ受難曲」と肩を並べる知名度で、晴ればれとしたハレルヤ、などという語呂合わせではないけれど、バッハより大らかで楽天的な響きに聞こえて親しみやすいからでしょう。また、ヘンデルは稀代のメロディ・メーカーでもあり、その声楽作品には美しくも懐かしい響きを持つアリアが目白押しで、メサイアも例外ではありません。そのように宗教曲の分野で明るく楽しい波長というのは、ヴェルディのレクイエムが戦争序曲のようにドラマティックなのと並んで異色です。英語で歌われ、「ワンダフル!」とか「リジョイス(喜ぶ)」なんて言葉も耳に飛び込んで来ます。因みに「ワンダフル」の後は「カウンセラー」と言っており、意味としては「彼の名は素晴らしき者、助言者」、そして「全能の神、永遠の父、平和のプリンス」と続いてキリストを褒めている部分であり、「リジョイス」の方は「喜べ、シオンの娘よ」という、どちらも聖書の一節であって、別に浮かれているわけではありません。「砂漠に一本の真っ直ぐなハイウェイを通せ」と聞こえる部分も聖句です。そして「ハレルヤ」は「神に栄光あれ」の意味です。
作曲者のゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル(1685-1759)はバッハと同じ年の生まれで、9年近く長生きでありながら、同じ藪の眼科医にかかって亡くなりました。どちらもドイツ人で、生まれた所もドイツ中部、それぞれ距離にして140km ほど離れた町(ヘンデルがハレ、バッハがアイゼナハ)でした。しかしヘンデルはイギリスに帰化したために英国人は自国の作曲家だと考えており、呼び方もジョージ・フレデリック・ハンドルです。
ヘンデルという人
この大作曲家の人物像については、すでに「水上の音楽」や「ヘンデル・ゴーズ・ワイルド」のページでも少しだけ触れたので重複するけれども、簡単にまとめてみます。ヘンデルと言えばこうという、代表的な話です。
父親は土地の領主(ブランデンブルク=プロイセン領)の床屋兼医者という職業で、バッハのような音楽一家というわけではありません。その父は息子を法律家にしようとしていたものの、本人は音楽が好き過ぎて楽器に熱中し、領主にオルガンの腕を認められてその道に入りました。鍵盤楽器のみならず、十七歳のときにはヴァイオリニストとしても活躍したけれども、こういうのは多くの作曲家に共通した出世話のパターンなので、前とその前のページで扱ったラモーやシュッツとも混同しそうな感じです。封建社会の中では他に出て来方がないのでしょう。ただ、ヘンデルの場合は性格的に友達が多く、個々の作品においてはそこから成功のきっかけをつかんだりした部分もあります。音楽理論家とも親しくしたし、作曲家ではテレマンと仲が良く、コレッリやドメニコ・スカルラッティとも親交がありました。バッハはヘンデルが帰国した際にわざわざハレまで会いに行ったけど行き違いで会えずでしたが。これについては、成功した音楽家としては当時はヘンデルの方が知られていたのでバッハ側から出向いたという面があるのかもしれないにせよ(ファンとして尊敬もしてたようです)、バッハ自身は熱心に他の作曲家から学ぼうとした人なので、どっちが上とか下とか関係なく、いずれにしても自分から機会を作ろうとしたでしょう。その十年後にもバッハはヘンデルを自分のところに招待して会おうとしたものの、今度はヘンデルが病気の母の見舞いに忙しくて果たせませんでした。この二人、同じ年生まれで同じ眼医者にかかって死んだと書きましたが、1759年の四月にヘンデルは体調を崩して七十四歳で亡くなり、盛大に見送られてウェストミンスター寺院に埋葬されました。と、これではあっという間に話は終わってしまいます。ではなくて、この二人が似てる点は他にもあり、ブクステフーデの後任オルガニストを目指したものの、その娘との結婚が条件だと聞くと逃げ帰ったというのも同じ、また、若いときに決闘騒ぎを起こしたのも同じです。
決闘と言えば、ヘンデルは大食漢の激情型だったようです。肖像画によると広い額、濃い眉、ぐっと結んだ口、大きな顎下もそれを語っているというのか、天才であると同時にいわゆる社長タイプの経営手腕に長けた人物で、オペラハウスを切り盛りし、その歌手を国外までスカウトに行ったり、そもそも多言語を習得し、自国を離れて事業が成功しそうなところに出向く人です。その結果バッハとは違い、存命中に高い人気を得てお金も稼ぎました。生前に銅像が立つほどで、国王ジョージ2世からは年金も出るし、「リナルド」でロンドンに紹介して以来、イタリア語のオペラでは有名人でした。そしてメサイアをはじめとして作品は後世まで忘れられることなく上演され続けたのです。顧客のニーズに合った商品開発が出来るわけです。投資にも乗り出して美術品の蒐集にも手を染めました。そしてこのタイプの人にはありがちな通り、生活習慣病にかかりやすい躁鬱(双極性障害)系だったかもしれません。太りやすくて暴飲暴食、喫煙珈琲なんでもありだったようで、脳卒中を二度起こしています。でもカリスマ性があって人好きのする、話し上手でユーモアのある面白い人だっただろうと思います。元来エネルギーが強いのです。そうなると色事に奥手ということは確率的にはかなり考え難いです。でもその方面はよく分かっておらず、特にゴシップもありません。普通に考えればやり手だっただろうとは思います。今で言えば、ホテルのレストランでよく見かける、孫ぐらいの女子におべっか使われてるおじいさん社長のその後のがんばりぐらいのことはしててもおかしくありません。そう勘繰る人もいるし、それすら証拠がないので男色だったのではというお決まりの噂話まで出ます。別にどちらでも良いだろうとは思いますが。
その生涯
品のない話はさて置いて、生涯独身であり、知られている限り子供もいませんでした。それはそうと、可能性を求めて動き回るヘンデル、十八歳にしてオペラが盛んなハンブルクへと乗り出し、自作オペラを成功させました。その後二十一歳からの四年間はイタリアで過ごします。それはメディチ家(トスカナ)のプリンスからの誘いがあったからでした。そしてこのときにコレッリに会い、D・スカルラッティ(この人もヘンデルと同じ年の生まれです)と鍵盤勝負をしました。
さあ、いよいよイギリスですが、二十五歳のときです。この頃はハノーファー(ドイツ北部)の宮廷楽長になったばかりだったにもかかわらず、一年という長期の旅行を許可されました。それでロンドンに出向いたのです。ロンドンでは「私を泣かせてください」のアリアで有名なオペラ「リナルド」を書き、その上演は大成功となりました。このときのイギリス国王はアン女王でした。その後ヘンデルはハノーファーに戻ったものの、すぐその翌年、二十七のときに再度ロンドンへ渡り、そのまま約束を破って帰りませんでした。しかし不思議なもので、アン女王が崩御すると、その次に英国王となったのはドイツ故国の雇い主、ハノーファーの領主その人でした。ドイツ人で英語が話せないにもかかわらずイギリスに迎えられたのは、その領主の母がイギリスのスチュワート朝の血筋だったからです。アン女王の子供は流産、死産、乳児死亡以外では水頭症の子がいただけで、王家は断絶の危機にあったのです。しかしそうなると約束を破ってイギリスから帰って来なかったヘンデルはその故郷の雇い主の方から追いかけて来られる格好となり、英国にあって叱責を受ける立場となりました。でもそのハノーファーの元領主で今や英国王となったジョージ1世(元の名はハノーファー選帝侯ゲオルグ・ルートヴィヒ [1世] )は全然咎めず、むしろヘンデルを大変気に入って重用しました。その結果生まれたのが「水上の音楽」だったということは、すでに書いた通りです(「水上の音楽」)。そしてジョージ1世が1727年(ヘンデル四十二歳時)に亡くなった後も、その息子である後継者のジョージ2世からも引き続き庇護され続けました。そうした保護の下ではありながらも、自らの商売によって経済的に大成功を収めたのは、モーツァルト以前では珍しい例です。住んでいたのもロンドンの中心街、今のシティ・オブ・ウェストミンスター区内です。市内観光された方なら分かると思いますが、その場所はバッキンガム宮殿、ハイドパーク、ソーホー地区に囲まれており、ビッグベンから北西へ2km弱、ピカデリー・サーカスからは同方向へ870mという中心部のメイフェア地区、ブルック街25番地というところです。お隣にはジミ・ヘンドリックスが住んでて、「今度ウッドストックを爆撃に行くんだ」という挨拶に、「ロンドンじゃなくて助かったよ」とヘンデルも返したとか返さなかったとか。当時の王宮、セント・ジェームズ宮から1.1km ほどの場所であり、王様もすぐに呼び出せたことでしょう。
このジョージ2世時代にはオペラ・ハウス(ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック)の経営で色々と大変なこともありました。国王とその配下のヘンデルを気に入らなかった王子(プリンス・オブ・ウェールズ [王位継承者] でありながら父より先に死んだので王位は継がなかった)のフレデリック・ルイスが彼らのライバルとなる貴族オペラ(オペラ・オブ・ザ・ノービリティ)を設立し、対抗したからです。中心的な人材が寝返ったり歌手を引き抜かれたり、上演場所を取られたりしました。この辺りの事情は映画「カストラート」(1994) にも背景として出て来ます。フレデリック・ルイスは両親がイギリスへ渡るときに七歳でドイツに置いてきぼりにされたせいで恨んでいたようで、呼ばれて渡英した後も父のジョージ2世と母親に様々な政策で反抗しました。結局貴族オペラは後に倒産(1737年、ヘンデル五十二歳時)したのですが、ヘンデル側も相応に傷を負いました。
メサイアの作曲
作曲技法的にはコレッリの影響が指摘されたりもするのがヘンデルで、合奏協奏曲集の作品6はコレッリの同じ合奏曲集の作品6を模範としているので似ているところがあっても不思議ではないかもしれません。メサイアの中でもパストラル・シンフォニー (13. Pifa/Pastoral Symphony)なども、同曲集中の「クリスマス協奏曲」の6曲目にちょっと似ているところがあるし、11番や12番の1曲目には器楽の扱い方においてもっと類似した雰囲気があるでしょうか。でも人懐っこくて耳馴染みの良い、明るくさわやかなメロディーが他では得られないのがヘンデルです。そしてオペラも宗教曲も書かなかったコレッリに対して、ヘンデルは華々しい管弦楽曲まで作る万能ぶりで、その彼の代表作がメサイアなのです。
作曲されたのは1741年、五十六歳の時でした。オペラで奮闘した後はこの作曲家の黄金期が来たと言えます。興行的、金銭的にではなく、内容的にです。なぜなら、後世に知られる作品の多くは五十代以降に作られたものだからです。それよりも若いときには「私を泣かせてください」のオペラ「リナルド」や「水上の音楽」、ヴァイオリン・ソナタなどの室内楽、「パッサカリア」や「調子の良い鍛冶屋」を含むハープシコード組曲などの名作もありましたが、1735年以降にはオルガン協奏曲集、作品6の合奏協奏曲集、ハープ協奏曲、王宮の花火の音楽、「オンブラ・マイ・フ」のオペラ「セルセ」(当時は成功しませんでした)、「ユダス・マカベウス」やこの「メサイア」を含むオラトリオの主な作品が名を連ねるのです。大雑把にはイタリア語のオペラから英語のオラトリオに軸足が移ったとも言えるでしょうか。それには事情もありました。
「リナルド」によってオペラをイギリスに紹介し、人気に火をつけたヘンデルでしたが、1728年のジョン・クリストファー・ペープシュの英語によるバラッド・オペラである「ベガーズ(乞食)・オペラ」以降、1730年代にはロンドン市民にとってイタリア語のオペラは決定的に人気がなくなっていたのです。その少し前からヘンデルのオペラは貴族の助成金に頼るようになってもおり、そういう理由でライバルの貴族オペラとの助成金の奪い合いは深刻な問題でもありました。こうしてヘンデルは自身にとっての最初の成功であるオペラの黄金期の後、1737年の一回目の脳卒中からの回復を経て方向転換をしました。その後も一度はオペラへの返り咲きを夢見はしたし、合奏協奏曲なども書いたけれども、1739年(五十四歳時)頃から本格的にオラトリオの時代へと入ったのです。
オラトリオとは
ではオラトリオとは何かですが、そのカテゴリーの線引きは結構厄介なようで、ここでは詳しく触れられません。大雑把にはバロック時代を代表する、基本は宗教曲でありながら、劇的な内容をソロの歌唱・合唱・管弦楽による大きな規模で演奏する曲ということになります。ただ流して聞いているだけだと素人にはメサイアなど、オペラのように聞こえるかも、です。しかし宗教曲と言うならバッハで有名な受難曲やカンタータとはどう違うの、という話にもなるわけで、その辺りが曖昧なのです。マタイ受難曲同様にキリストを題材としており、その受難(死)の部分も出て来るので似たところもあるのですが、メサイアの場合は歌手が役を演じることはないし、状況説明のナレーション部分もありません。また、宗教カンタータと宗教オラトリオも区別が難しいです。キリストの磔刑を扱う受難曲には世俗受難曲というものはなく、同様にたとえ内容が世俗化してもオラトリオも宗教曲の形であるのに対して、カンタータには世俗的な内容の曲もあるということでしょうか。
メサイアの内容
内容としては三部構成で、キリスト生誕の予言から実際の誕生、裁判にかけられて磔刑になる受難のくだりと昇天(「ハレルヤ」の部分はこの第二部の終わりです)、そして復活及びキリストが人間にもたらした救い、となっています。それをイザヤ書などの旧約聖書の予言の部分と福音書から聖句を抜き出して時間的順序に並べているので、詩的な内容を歌って行くような形になっています。オペラのようにドラマの物語を生々しく演じ、描いて行くものではないわけです。
旧約聖書と言いましたが、そこだけを聖典と認めるのはユダヤ教なのであり、その内容としてはキリスト以前の時代の出来事が描かれている部分なのにどうして引用されるのかという疑問もあるかと思います。まず、聖書は新約と旧約に分かれており、四つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)がその冒頭に来る新約聖書からがキリストの時代を描いている部分です。受難曲はそこから取られているわけです。しかしキリストが生まれる前から「メシア信仰」というものがありました。メシアの英語読みがメサイアです。このメシアというのは「救世主」のことです。キリストが生まれるずっと前の時代から、イスラエル/ユダヤの民の間ではいつか救世主がこの地に生まれ、我々/世界を救ってくれるという予言があったのです。そしてその予言が表しているのがイエスだと信じるとキリスト教徒、信じないとユダヤ教徒という大雑把な括りがあります。なので旧約聖書から「これからキリストが生まれるぞ」という未来形の部分を期待とともにメサイアも描いているわけです。
脚本を手がけたのはイギリスのシェークスピア研究家で台本作家のチャールズ・ジェネンズ(1700-1773)で、この人はバッハがそうであったのと同様にヘンデルのファンでもあり、メサイア以外でもいくつか台本を書いています。そのメサイアは受難週のために書かれました。そしてこれについては、「ヘンデルがあの才能と技術をこの台本に全力で注いでくれれば今までで最高の作品が出来上がるはずだ、そう願うよ」という内容の書簡を友人宛で残しています。ヘンデルはこの曲を1741年に24日間で書き上げています。
世に出るきっかけ、初演はアイルランドのダブリンで、1741年の4月13日でした。アイルランド市民は作品に圧倒され、大成功となりました。なぜダブリンかというと、ヘンデルがその地へ招聘されたからです。そこで慈善事業が催されることになったからですが、オペラで有名人だったヘンデルを呼んだのは当時アイルランド総督となっていたイギリス貴族の政治家、デヴォンシャー公爵のウィリアム・キャヴェンディッシュ(1698-1755)です。総督閣下にもすごいやつと思われていたわけで、後にロンドン市民に受け入れられるのに多少時間がかかったにもかかわらずヘンデルがこの作品を大事にし、何度も校訂して演奏を繰り返した理由として、この招聘と成功も影響していたかもしれません。その後はロンドンの捨子養育院で毎年この曲で慈善演奏会を開くようにもなり、それもあって人々に広く受け入れられるようになって行き、1857年にはロンドン万国博覧会時に作られた水晶宮という建物において、管弦楽500人、合唱2000人という大人数で演奏されました。そしてその後はそういうやり方が慣例化されることにまでなって行きました(近年の録音では逆に原点に立ち返り、人数の少ない演奏が主流になっています)。また、主にアメリカででしょうか、クリスマスのときにメサイアをやる、あるいは聞くということも行われるようになり、日本でも、「やっぱりクリスマスイヴはメサイア」と考え、習慣として楽しむことも珍しくない事態になりました。曲にはキリストの誕生を扱う部分もあるわけですから、そのための曲ではないにしても、それもある意味正しいと言えるかもしれません。また、曲調もお祝いのようなところがあってしっくり来ます。
曲の構成(ホグウッド盤での区分)
第1部:メシア到来の予言とキリストの誕生
1. シンフォニア Synfonia(管弦楽)
2. レチタティーヴォ「わが民を慰めよ」Comfort ye my people(テノール)
3. アリア「全ての谷は高められ」Every valley shall be exalted(テノール)
4. 合唱「そして神の栄光は露わとなり」And the glory of the Lord shall be revealed
5. レチタティーヴォ「このように主は言われる」Thus saith the Lord (バス)
6. アリア「だが彼が来る日に誰が耐えられよう」But who may abide the day of His coming(アルト)
7. 合唱「そして彼はレビの子らを清め」And He shall purify the sons of Levi
8. レチタティーヴォ「見よ、乙女が身籠り」Behold, a virgin shall conceive(アルト)
9. アリアと合唱「おお汝、シオンに良き知らせを告げる者よ」
O thou that tellest good tidings to Zion(アルトと合唱)
10. レチタティーヴォ「それゆえ見よ、闇が地を覆うだろう」
For behold, darkness shall cover the earth(バス)
11. アリア「闇を歩く者たちは」The people that walked in darkness(バス)
12. 合唱「われらがために幼子は生まれ」For unto us a Child is born
13. 田園交響楽 Pifa (Pastoral Symphony 管弦楽)
14a. レチタティーヴォ「羊飼いたちは野にあった」There were shepherds abiding in the field (ソプラノ)
14b. レチタティーヴォ「すると見よ、主の御使が彼らの上に現れた」
And lo! the angel of the Lord came upon them (ソプラノ)
15 レチタティーヴォ「そしてその御使が彼らに言った」And the angel said unto them (ソプラノ)
16. レチタティーヴォ「そしてたちまちにして天使たちを伴い」
And suddenly there was with the angel (ソプラノ)
17. 合唱「天の神に栄光あれ」Glory to God in the highest
18. アリア「大いに喜べ、おお、シオンの娘よ」Rejoice greatly, O daughter of Zion!(ソプラノ)
19. レチタティーヴォ「そのとき盲の目は開かれ」
Then shall the eyes of the blind be opened(ソプラノまたはアルト)
20. アリア「主は羊飼いのようにその群れを養い」
He shall feed His flock like a shepherd(ソプラノまたはアルト)
21. 合唱「主のくびきは負いやすく」His yoke is easy
第2部:キリストの受難と復活
22. 合唱「見よ、神の子羊を」Behold the Lamb of God
23. アリア「彼は人々に見下され、拒まれた」He was despised and rejected of men(アルト)
24. 合唱「まことに彼は我らの苦しみを負った」Surely He hath borne our griefs
25. 合唱「そして彼のむち打ちによって我らは癒された」And with His Stripes we are healed
26. 合唱「我らは皆羊のように道を見失い」All we like sheep have gone astray
27. レチタティーヴォ「彼を見た者たちは皆笑い、嘲り」
All they that see Him laugh Him to scorn(テノール)
28. 合唱「神が彼を救い出すだろうと彼は信じた」He trusted in God that he would deliver him
29. レチタティーヴォ「汝のそしりが彼の心を砕いた」Thy rebuke hath broken His heart(テノール)
30. アリア「見よ、そして確かめよ」Behold, and see
31. レチタティーヴォ「彼は生ける者の地より追い払われた」
He was cut off out of the land oc the living(テノールまたはソプラノ)
32. アリア「しかしあなたは彼の魂を地獄に捨て置かれず」
But thou didst not leave His soul in hell(テノールまたはソプラノ)
33. 合唱「こうべを上げよ、おお、汝ら、門よ」Lift up your heads, O ye gates
34. レチタティーヴォ「主は御使たちの誰かにこう言ったことがあるだろうか」
Unto which of the angels said He at any time(テノール)
35. 合唱「全ての神の御使たちに彼を賛美させよ」Let all the angels of god worship Him.
36. アリア「あなたは高みに登った」Thou art gone up on high(アルトまたはバス)
37. 合唱「主は言葉を与えた」The Lord gave the word
38. アリア「彼らの足はなんと美しいのだろう」How beautiful are the feet of them(ソプラノ)
39. 合唱「その声は全地に響き渡り」Their sound is gone out into all lands
40. アリア「なにゆえ諸国の民は互いに激しく怒るのか」
Why do the nations so furiously rage together?(バス)
41. 合唱「彼らのかせを打ち砕こう」Let us break their bonds asunder
42. レチタティーヴォ「天におわす主は」He that dwelleth in heaven(テノール)
43. アリア「汝は鉄の杖にて彼らを打ち負かし」Thou shalt break them with a rod of iron(テノール)
44. 合唱「ハレルヤ!」Hallelujah!
第3部:キリストの復活と救済
45. アリア「わが贖い主は生きていると知る」I know that my Redeemer liveth(ソプラノ)
46. 合唱「死が一人の人間によって来たのだから」Since by man came death
47. レチタティーヴォ「見よ、あなたに奥義を告げよう」Behold, I tell you a mystery(バス)
48. アリア「ラッパが響くだろう」The trumpet shall sound(バス)
49. レチタティーヴォ「そのとき書かれていたことが成就するだろう」
Then shall be brought to pass the saying that is written(アルト)
50. 二重唱「おお、死よ、お前の棘はどこにある?」O death, where is thy sting?(アルトとテノール)
51. 合唱「しかし感謝すべきことに神が」But thanks be to God
52. アリア「もし神が我々の味方なら、誰が我々に対抗できよう」
If God be for us, who can be against us.(ソプラノ)
53. 合唱「屠られた子羊にこそ価値がある」Worthy is the Lamb that was slain
54. 合唱「アーメン」Amen
版の種類
楽譜の問題は専門家も悩ますものです。バッハなどにはないことながら、ヘンデル自身が演奏のたびに手直しをしており、自筆譜、1741年初期版、1742年ダブリン初演版、1743年ロンドン初演版(標準的に使われるもの)、1751年ロンドン少年聖歌隊版、1753年捨子養育院版、それ以外にも色々な種類があり、その後も1789年のモーツァルト編曲版というのが有名だし、現代の録音においても、演奏家たちがそれぞれ個別にどれかを狙って使用したりしています。最近になって出版されているものも1965ー1972年ベーレンライター版、1959ー1981年ノヴェロ版、1972ー1987年ピータース版などと色々ある上、同じ内容のものが別の出版社から出ていたりもします。あるいは新/旧ヘンデル全集版(ベーレンライター/ブライトコプフ/ドーヴァー)などという区分でも言われます。今普通に買えるものについては実際に歌われる方の間で違いが話題になってもいるようですが、モーツァルトのレクイエムの版ほどには聞いてどこがどうとは分かりにくい面があると思いますので、ここは音楽学者に任せるべきでしょう。
主な録音
これまでに出ている主な録音(全部ではありません)をまずタイトルのみ列挙してみます。おおよそ二時間半と曲自体が長いので、人気の部分を抜き出して CD 一枚分にまとめたハイライト盤/版というものも色々な演奏で出ています。それだけ聞いてもいいと思います。ただし頭のシンフォニアから入っていなかったり、全曲を聞き慣れた人には流れが不自然に聞こえたりはあるかもしれません。良い曲だなと思うものが選ばれているものと違ったりもしますので、面倒でない方は全曲盤から自分で抜き出すという手もあるかもしれません。もちろんそのままでも曲としてつながり良く出来ており、さすが名曲、優秀なメロディー揃いです。クリスマスに聞くなら何かをしながらかけておき、長いまま聞いてもよいでしょう。演奏マナーについては、1960年代頃から、特に70年代に入って以降により顕著になったいわゆる古楽器運動(ヒストリカリー・インフォームド・パフォーマンス)以前と以降で大きく異なります。以下は録音年代順です:
シュミット=イッセルシュテット/ケルン&ハンブルクNWDR合唱団/ケルン放響/独語版
/1953 Relief (monaural)
エードリアン・ボールト/ロンドン・フィル&合唱団/1954 Decca (monaural)
エードリアン・ボールト/ロンドン響&合唱団/1961 Decca
カール・リヒター/ミュンヘン・バッハ/独語版/1964 DG
オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管&合唱団/1964 EMI
ロバート・ショウ/ロバート・ショウ管&合唱団/1966 Sony
コリン・デイヴィス/ロンドン響&合唱団/1966 Philips
カール・リヒター/ジョン・オールディス合唱団/ロンドン・フィル/1973 DG
チャールズ・マッケラス/オーストリア放響&合唱団/1974 Archiv
レイモンド・レッパード/イギリス室内管&合唱団/1975 Erato
ネヴィル・マリナー/アカデミー室内管&合唱団/1976 Philips
クリストファー・ホグウッド/エンシェント室内管/オックスフォード・クライスト・チャーチ聖歌隊
/1979 L’oiseau-lyre
ジョン・エリオット・ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
/1982 Philips
ニコラウス・アーノンクール/ストックホルム室内合唱団/コンツェントゥス・ムジクス
/1982 Telark
トン・コープマン/アムステルダム・バロック管/ザ・シックスティーン/1983 Erato
ロバート・ショウ/アトランタ響&室内合唱団/1983 Telark
ゲオルグ・ショルティ/シカゴ響&合唱団/1984 Decca
ネヴィル・マリナー/シュトゥットガルト放響&南ドイツ放送合唱団/1984 EMI
コリン・デイヴィス/バイエルン放響&合唱団/1984 Philips
ハリー・クリストファーズ/ザ・シックスティーン/1986 Hyperíon
トレヴァー・ピノック/イングリッシュ・コンサート&合唱団/ 1988 Archiv
アンドリュー・パロット/タヴァナー・プレイヤーズ&合唱団/1988 Erato
ミシェル・コルボ/ローザンヌ器楽&声楽アンサンブル/モーツァルト編曲版/1990 Erato
ヘルマン・マックス/ライニッシュ・カントライ/ダス・クライネ・コンツェルト
/モーツァルト編曲版/1991 EMI
ヘルムート・リリング/シュトゥットガルト・ゲヒンガー・カントライ/バッハ・コレギウム
/モーツァルト編曲版/1991 Hänsler
マーティン・パールマン/ボストン・バロック/1992 Telark
ウィリアム・クリスティ/レザール・フロリサン/1993 HMF
スティーヴン・クレオバリー/ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団/ブランデンブルク・コンソート /1994 Brilliant
ポール・マクリーシュ/ガブリエリ・コンソート/1996 Archiv
鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン/1996 BIS
マルク・ミンコフスキ/ルーヴル宮廷音楽隊/1997 DG
ヘルムート・リリング/オレゴン・バッハ祝祭管&合唱団/モーツァルト編曲版/1997 Hänsler
ウォルフガング・カチュナー/ドレスデン室内合唱団/ラウテン・カンパニー・ベルリン/独語版
/2004 DHM
ニコラウス・アーノンクール/アルノルト・シェーンベルク合唱団/コンツェントゥス・ムジクス
/2004 DHM
ルネ・ヤーコプス/ケンブリッジ・クレア・カレッジ合唱団/フライブルク・バロック管/2006 HMF
エドワード・ヒギンボトム/エンシェント室内/オックスフォード大学ニューカレッジ聖歌隊
/1751年版/2006 Naxos
ジョン・バット/ダニーデン・コンソート/1742ダブリン初演版/2006 Linn
コリン・デイヴィス/テネブレ合唱団/ロンドン響/2006 LSO Live
ジョン・ラター/ケンブリッジ・シンガーズ/ロイヤル・フィル/2007 Collegium
ハリー・クリストファーズ/ザ・シックスティーン/2007 Coro classic
フリーダー・ベルニウス/シュトゥットガルト室内管&バロック合唱団/コープマン原典版/2008 Curus
スティーヴン・レイトン/ポリフォニー/ブリテン・シンフォニア/2008 Hyperíon
スティーヴン・クレオバリー/ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団/エンシェント室内管/2009 EMI アイヴァース・タウリンス/ターフェルムジーク・バロック管&室内合唱団/2011 Tafelmusik Media
ブノワ・アレ/ラ・シャペル・レナーヌ/2012 K617
エマニュエル・アイム/ル・コンセール・ダストレ/2013 Erato
ハリー・クリストファーズ/ヘンデル&ハイドン・ソサエティ/2013 Coro classic
ペーター・ダイクストラ/バイエルン放送合唱団/ベルギー・バロック管弦楽団/2014 BR Klassik
アンドリュー・デイヴィス/トロント響&メンデルスゾーン合唱団/デイヴィス版/2015 Chandos
ルーベン・ドゥブロフスキー/ザルツブルク・バッハ合唱団/ウィーン・バッハ・コンソート/独自版
/2016 Gramola
デイヴィッド・ヒル/BBCシンガーズ/ノルウェー管楽アンサンブル/管楽合奏用編曲版/2016 Resonus
ジョルディ・サヴァール/ル・コンセール・デ・ナシオン/2017 Alia Vox
エルヴェ・ニケ/ル・コンセール・スピリチュエル/捨て子養育院版/2017 Alpha
ヴァーツラフ・ルクス/コレギウム1704&ヴォカーレ1704/2018 Accent
ジョナサン・グリフィス/ロイヤル・フィル/イギリス・ナショナル・ユース合唱団
/グーセンス=ビーチャム版/2019 Signum UK
ハンス・クリストフ・ラーデマン/ゲヒンガー・カントライ/2019 Accentus Music
ジャスティン・ドイル/ベルリン古楽アカデミー&RIAS室内合唱団/2020 Pentatone
フェリックス・コッホ/グーテンベルク室内合唱団/ノイマイヤー・コンソート/1741初期版
/2021 Rondeau Production
ジョン・ネルソン/イングリッシュ・コンサート&合唱団/2022 Erato
フランコ・ファジョーリ/カタルーニャ音楽堂室内合唱団&ヴェルサイユ王室歌劇場管
/2022 Chateau de Versaille
ボールトの1961年盤のソプラノはジョーン・サザーランドで、リヒターの1964年盤はグンドラ・ヤノヴィッツ(73年盤はヘレン・ドーナト)、テノールにエルンスト・ヘフリガーが起用されています。クレンペラー盤のソプラノはシュワルツコップです。74年のマッケラス盤はソプラノにエディット・マティス、テノールにペーターシュライヤー、バスにテオ・アダムという豪華な顔ぶれです。76年のマリナー盤はソプラノがエリー・アメリングで、オルガンをホグウッドが弾いています。84年盤になるとルチア・ポップ、ブリギッテ・ファスベンダーが登場します。ホグウッド盤は後で取り上げますが、エマ・カークビーとジュディス・ネルソンという黄金のコンビです。カークビーはパロット盤でも歌っています。コープマン盤はボーカルがザ・シックスティーンです。ショルティ盤のソプラノはキリ・テ・カナワ、コリン・デイヴィスの84年盤はマーガレット・プライスです。マックス盤ばモニカ・フリンマーで、クリスティ/レザール・フロリサン盤ではカウンター・テナーにアンドレアス・ショル、ソプラノの一人にサンドリーヌ・ピオー、テノールはマーク・パドモアです。これも豪華な顔ぶれで話題になりました。クレオバリーの94年ブリリアント盤のソプラノはリン・ドーソン、ジョン・ラター盤はジョアン・ラン、07年のハリー・クリストファーズ盤はザ・シックスティーン(コープマン盤でも起用)に加えて、ソプラノにキャロリン・サンプソン、テノールはクリスティ盤と同じくマーク・パドモアが歌っています。タウリンス/ターフェルムジーク盤ではカリーナ・ゴーヴァンがソプラノ、カウンター・テナーにロビン・ブレイズが起用され、ラーデマン/ゲヒンガー・カントライ盤ではドロテー・ミールズがソプラノです。
Handel Messiah HWV 56
Adrian Boult London Symphony Orchestra & Chorus
Joan Sutherland (s) Grace Bumbry (a)
Kenneth Mckellar (t) David Ward (b)
Ralph Downes (org) George Malcom (hc)
ヘンデル / メサイア HWV 56
エードリアン・ボールト / ロンドン交響楽団&合唱団
ジョーン・サザーランド(ソプラノ)/ グレース・バンブリー(アルト)
ケネス・マッケラー(テノール)/ デヴィッド・ウォード(バス)
ラルフ・ダウンズ(オルガン)/ ジョージ・マルコム(ハープシコード)
モノラル時代を除いて、メサイアの録音の歴史において古い方で特に重要視されて来た演奏はいくつかあるでしょうが、リヒターやクレンペラーなどと並んでこのボールト盤もその一つでしょう。エードリアン・ボールトは19世紀生まれのイギリスの重鎮です(1889-1983)。ニキシュに教えを受け、ホルストの「惑星」を初演したので、「惑星」の CD は今でもよく取り上げられます。基本はゆったりとした運びでどこかを殊更強調することのないもので、聞き手によってはメリハリがなく生真面目に感じるかもしれません。このメサイアでも同じ傾向はあるかと思います。古楽ムーヴメント以前の代表的な演奏の特徴を持っていますが、同じ区分に入る他の演奏と比べても最初のシンフォニアは遅く、リヒターの新盤で3分25秒、旧盤で4分28秒、クレンペラー盤では出だしは同じぐらいでも途中から速くなるので4分33秒なのに対し、5分10秒という長さです。ただ、メリハリがないなどと書いてしまいましたが、途中から弱音に落とし、次の切り返しで強めて溌剌とさせるなど、表情は案外あります。次のテノールのパート、「カンフォーティー」の部分(「わが民を慰めよ」)はまたスローになります。3曲目の「全ての谷は〜」では速くなるものの、全体にこの時代の様式としてゆったりしており、ピリオド奏法以降の演奏に慣れた耳には別の曲に聞こえるかもしれません。でも当時はこれが標準的なものでした。逆に言えば悠然と流れる大河を見るようで良いのではないでしょうか。大衆に人気のあったヘンデルの軽快さを期待するようなものではないのです。合唱もバロック歌唱ではないのでビブラートを用いた大人数の混声大合唱らしく、ごつんと来る響きです。
目玉の一つは力強い歌声のオペラ歌手、ジョーン・サザーランド(1926-2010)の絶頂期のソプラノ歌唱が聞けることでしょうか。オーストラリア出身で声の美しいことで知られていました。白痴美的などと日本では悪口を言う人もいたらしいし、ロマン派時代のイタリア・オペラのようかもしれないけれども、好きな方には外せないと思います。
1961年のデッカの録音で、ステレオ初期ながら音響的には大変良好です。当時はその面でも話題になったようです。重厚長大です。
Handel Messiah HWV 56
Karl Richter Münchener Bach-Orchester & Chor
Gundula Janowitz (s) Marga Hoeffgen (a)
Ernst Haefliger (t) Franz Crass (b)
Elmar Schloter (org) Hedwig Bilgram (hc)
ヘンデル / メサイア HWV 56
カール・リヒター / ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団
グンドラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)/ マルガ・ヘフゲン(アルト)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)/ フランツ・クラス(バス)
エルマー・シュローター(オルガン)/ ヘドヴィッヒ・ビルグラム(チェンバロ)
Handel Messiah HWV 56
Karl Richter John Alldis Choir
London Philharmonic Orchestra
Helen Donath (s) Anna Reynolds (a)
Stuart Burrows (t) Donald McIntyre (b)
Edgar Krapp (org) Hedwig Bilgram (hc)
ヘンデル / メサイア HWV 56
カール・リヒター / ジョン・オールディス合唱団
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘレン・ドーナト(ソプラノ)/ アンナ・レイノルズ(アルト)
スチュアート・バロウズ(テノール)/ ドナルド・マッキンタイアー(バス)
エドガー・クラップ(オルガン)/ ヘドウィヒ・ビルグラム(ハープシコード)
バッハの権威として、チェロのカザルスとも並んで今もファンからこれでなければだめと言われることのあるカール・リヒターですが、バッハではなくヘンデルのメサイアにおいても同じ状況にあるようです。新しいものより歴史的録音を好むファンは割合にすれば多数派ではないのかもしれないけれども、一定の普遍的魅力があるとも言えるでしょう。そしてリヒターの音楽について使われ続けるのは「荘厳」ないしは「厳しい」という表現です。たっぷりと歌わせていてロマンティシズムの発露ともとれる運びも曲やパートによっては一部あると思うのですが、それは見方としては当たっていると言えます。今日の軽く弾んで爽やかなピリオド奏法以降の演奏と比べると重厚な感じがするのです。遅いテンポとレガートなどは時代の様式上の問題でもあるので、上のボールト盤など、モダン・オーケストラと合唱団によるものは皆同じではあるにせよ、リヒターの場合は何というか、より真剣な雰囲気が漂っている感じもします。
新旧二つの録音があり、最初のは主兵ミュンヘン・バッハ管&合唱団によるドイツ語版によるもの(写真上)、後のはロンドン・フィルと、同じくロンドンの合唱団による通常の英語版によるものですが、1961年録音の旧盤の方には重々しく断定するようなフレーズの締め方があり、管弦楽の扱いにおいてリズムは割合かっちりとし、弾まず切れないので重く感じます。ドイツ風というのか、罪の許しを請い求めるプロテスタント風と言う人もあるようだけれども、ヘンデルも最初はプロテスタント教徒だったのでそこは問題ないでしょう。ただ、受難曲やレクイエムなどとは違う明るいヘンデル、晴ればれとした楽天的なオラトリオのメサイアというよりも、どこか深刻な宗教劇の趣です。クリスマスに浮かれて聞くものではありません。合唱もかっちりとしたリズムで歌に力強さがあります。必ずしも暗いとは言えないので元気な歌い方だとしておきましょうか。トランペットに名手モーリス・アンドレも起用しており、ソロイストも名歌手揃いです。何といってもソプラノが二十代後半のグンドラ・ヤノヴィッツです。シュワルツコップの後のドイツの名歌手で、文句なしに上手く、ニュアンス、表現力が大変ある人です。カルミナ・ブラーナの「イントゥルティナ」なんか、彼女以外にないでしょう。高く張りのある声でやわらかさも出し、気品もあります。テノールもスイスの名歌手、エルンスト・ヘフリガーです。クリアで力があります。リヒターのファンなら、恐らくこちらのドイツ語による最初の録音の方がリヒターらしさがよく出ているので良いのではないかと思います。ただし問題の一つは、全曲盤でもカットされた曲があることでしょうか。第2部の20曲目、Let us break their bonds asunder の合唱(41)と、第3部の6曲目、O death, where is thy sting(50)の二重唱、7曲目の If God be for us(51)のアリアがありません。これは音楽的な観点から故意にそうされているようです。問題の二つ目は、日本でこそ人気があっても世界的にはそうではなく、CD が入手し難いことと、サブスクライブのサイトでもハイライト版だけのところがあったりするところでしょう。
一方、1973年録音の新盤(写真下)は輸入盤も含めて手に入りやすいものです。前述の通り、ロンドン・フィルとジョン・オールディス合唱団という、イギリスの演奏者を起用しています。バロック歌唱のノン・ビブラートではない昔ながらの混声大合唱であり、フレーズを引きずるように(古楽奏法からすれば)滑らかにつなげるモダン楽器のオーケストラをともなってゆったり進行する点はこの伝統的な様式特有であり、旧盤と同じと言えます。ただイギリスの団体ということもあるのか、もう少し滑らかで当たりがやわらかいとも言えるでしょうか。リヒターゆえ基本は似た波長ですが、深刻という感じでもなく、より明るめでボールト盤やクレンペラー盤などとも共通した響きです。ソプラノはヤノヴィッツに代わってヘレン・ドーナトになっています。アメリカの名歌手で、ドイツ・リートというよりもよりオペラ寄りであり、ヤノヴィッツよりもビブラートはしっかりとかけます。
新旧の録音とも、音のコンディションは良いです。どちらもレーベルはドイツ・グラモフォンで、73年の新盤の方が新しい分、響きがリッチで若干滑らかだとは言えます。反響も豊かで人数編成も大きく聞こえます。
Handel Messiah HWV 56
Otto Klemperer Philharmonia Orchester & Chorus
Elisabeth Schwarzkopf (s) Grace Hoffman (a)
Nicolai Gedda (t) Jerome Hines (b)
Ralph Downes (org) Otto Freudenthal (hc)
ヘンデル / メサイア HWV 56
オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団&合唱団
エリザベート・シュワルツコップ(ソプラノ)/ グレース・ホフマン(アルト)
ニコライ・ゲッダ(テノール)/ ジェローム・ハインズ(バス)
ラルフ・ダウンズ(オルガン)/ オットー・フロイデンタール(チェンバロ)
モダン・オーケストラと合唱によるゆったりした伝統的な演奏ではもう一つ、クレンペラー盤もあります。ボールト盤、リヒターの新盤と比べられるのではないでしょうか。どれもスケールが大きく感じられます。クレンペラーもユダヤ系ながらドイツ人で、管弦楽と合唱はイギリスです。全部英語圏のボールトとは違いがあるでしょうか。指揮者の采配ということで言うなら、最初のシンフォニアなどの管弦楽部分で比べるとよく分かるかもしれません。まず、オラトリオがまるで受難曲になったような真面目さについては、ちょっと周波数は違うかもしれないもののリヒターの英語の73年盤といくらか共通しています。でもフレーズの持って行き方での重々しさはリヒターの方が顕著です。クレンペラーはテンポ強弱によりメリハリがあり、静けさも際立っています。そうなると弱音に落とすところはボールト盤とも同じになるわけだけど、ボールトの方はよりまったりしており、隙間の埋まった感じで荘重です。あるいは持って回ったフレーズに感じる人もいるでしょうか。いずれにしてもクレンペラー、元来遅い演奏で有名な人だけに、雄大ではあります。個人的には節が粘り過ぎず、録音面でも弦の音などもきれいなので、このマナーの演奏としては大変魅力的に感じました。
独唱者ではソプラノの名前に惹きつけられます。シュワルツコップです。リヒター旧のヤノヴィッツに対して、もう一世代前のドイツを代表する人。ウィットに富み、大変魅力的です。リヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」は愛聴していて、ここでもあの独特の声が聞こえるとうれしくなります。語尾ではビブラートを使って震わせますが、静かなパートで高く跳ね上げたところから丸く降ろして来るときの音色には独特の雰囲気があり、複雑な心情、心の襞を描くことが得意です。同様に表現力のあるヤノヴィッツには透明感では一歩譲るかもしれませんが、しみじみとした味わいがあって人の芸として甲乙つけ難いです。「四つの最後の歌」の録音の一年前でほぼ同時期、このときもうすでに四十九歳だけど、枯れていながらも良いのです。「主は羊飼いのようにその群れを養い(1-20)」の包み込むようなやわらかい声は絶品です。ヤノヴィッツの方はここをアルトと分担して歌っており、一人で変化させて行くようなシュワルツコップの歌唱は個人的にはより魅力的で、ここだけでも聞いてほしいという感じです。もちろん表現力は年輪もあるでしょう。
1964年の EMI の録音です。リマスターされ、大変良い音に仕上がっています。滑らかで瑞々しいです。3年前のボールト盤もハイファイと騒がれたけれども、9年後のリヒター新盤に対してすら決して負けないどころか、心地良さでは上回っているかもしれません。その点とシュワルツコップの歌唱によって、モダン・オーケストラの雄大な演奏の中では個人的にベストです。締め括りについても遅いボールトや、より整然として最後の瞬間だけ歩調を緩めるリヒター新盤と比べ、自然に興奮して来て聞き応えがあり、とにかく壮大です。
Handel Messiah HWV 56
Neville Marriner Academy of St. Martin-in-the-Fields
Elly Ameling (s) Anna Reynolds (a)
Philip Langridge (t) Gwinne Hawell (b)
Christopher Hogwood (org)
ヘンデル / メサイア HWV 56
ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団&合唱団
エリー・アメリング(ソプラノ)/ アンナ・レイノルズ(アルト)
フィリップ・ラングリッジ(テノール)/ グウィン・ハウエル(バス)
クリストファー・ホグウッド(オルガン)
モダン楽器の楽団と伝統的唱法の合唱による演奏で、マナーにおいて古楽奏法との中間に位置するのがマリナー/アカデミー室内管(ASMF)&合唱団です。でもこれをヒストリカリー・インフォームド・パフォーマンス(HIP)、いわゆる古楽奏法には入らないと断言するのはちょっと違うのかもしれません。というのも、楽団の創設時から関わりがあった音楽学者、サーストン・ダートは19世紀のロマン派時代に完成した大規模で重厚な演奏、それまでの伝統的奏法で古楽をやることに異を唱え、HIP 運動の始まりにあってその一つの根拠ともなった著作を出版した人なのです。英国古楽の徒、ホグウッドやガーディナーにも影響を与えています。楽団としての ASMF も室内管なので基本的に少人数です。では具体的にマリナーの演奏がどういうものかというと、テンポは軽快になり、それまでの遅い運びとは違って古楽器演奏のものとほとんど変わらないと言えます。しかしシンコペーションはそうではなく、古楽の弾むようなアクセントとリズム、短く切り上げる語尾やメッサ・ディ・ヴォーチェ様に一音の中で山を描くようなボウイングは採用せず、大きくは脈動させないでレガートも多く用いる伝統的な語法です。同じくモダン・オーケストラでもノン・ビブラートを敢行するやり方、アーノンクールやラトルらが広めたその後のいわゆる「ピリオド奏法」(「ピリオド・パフォーマンス」は HIP のことであり、ピリオド・アプローチ、ピリオド・テクニック、ピリオド・ファッションなどとも呼ばれており、厳密な用語があるのかどうか分かりません)とは違うわけです。もちろんモダン・オーケストラなのでバロック・ヴァイオリンによる細い倍音が聞こえることはありません。合唱も同様です。歌手も特にバロック唱法(カークビーらの古楽唱法)の人たちは採用せず、オペラで活躍するベルカントの歌い手を起用したりします。結果としてある意味非常に個性的なパフォーマンスとなりました。軽さがあっても滑らかで爽やかというのでしょうか。
1984年のシュトゥットガルト放響&南ドイツ放送合唱団によるドイツ語版の EMI 新盤もありますが、こちらは76年の旧盤です。充実した演奏です。整っていて完成度が高いと言うと優等生でつまらないと聞こえるかもしれません。でも良い意味でまとまりが良い演奏だと思います。アンサンブルも見事で、変わったことはせず十分に堂々としているけれども遅くて胃にもたれることはありません。音も滑らかで弦はモダン楽器らしく尖らず、艶やかです。落ち着いてやわらかく歌われる最初の「カンフォーティ」の部分から大変美しいです。お国ものを得意とする1939年生まれのイギリスの上品なテノール、フィリップ・ラングリッジです。
ソプラノにはオペラよりも歌曲や宗教曲を得意とする1933年生まれのオランダの名歌手、エリー・アメリングを起用しています。この盤の目玉ではないでしょうか。ビブラートを抑えた清潔な歌と、何語でも表現力の高いマルチリンガルさはこの国生まれらしく、96年に引退するまで多くのファンを魅了しました。そしてこのメサイアでのアメリング、バロック唱法に比べればビブラートは十分に使っていますが、気品のある透明な歌声です。キャリアの上では四十三歳時ということになります。ただ、「リジョイス」は歌っていますが、「主は羊飼いのようにその群れを養い」はアルトに譲っています。アンナ・レイノルズのファンならその方がいいでしょうか。
1976年のフィリップスです。マリナーのこのレーベルの録音はいつも潤いがあって自然な音場であり、優秀なものでした。編成の大きなこの曲でも変わりません。ピリオド奏法が苦手で、かといって重厚長大なのも好まない人にはこれが一番かもしれません。もっと新しいところで他にあるとすれば2015年にアンドリュー・デイヴィスがカナダの人たちと録音したシャンドス盤ぐらいでしょうか。モダン・オーケストラでことさらピリオド奏法を用いずに滑らかに進め、ソロもオペラ寄りの歌い手たちを集めている個性的(今や)な名演だと思います。録音もいいです。一方でマリナーの新盤の方はドイツ語版であるという特徴を除けば、管弦楽は装飾が豊かになり、強弱もはっきりとして弱音に沈めるところもより大胆になったように感じ、ソプラノはアメリングよりオペラでの演技を得意とするところのあるルチア・ポップに代わっています。アルトもブリギッテ・ファスベンダーのメゾ・ソプラノになってよりドラマティックになり、テノールのロバート・ギャンビルも同様だし、バスのロベルト・ホルを除いて少しオペラに寄ったように聞こえます。スムーズで軽やかという方向性は減じているかと思います。
Handel Messiah HWV 56
Christopher Hogwood The Academy of Ancient Music ♥♥
Simon Preston Chor der Christ Church Cathedral, Oxford
Emma Kirkby (s) Judith Nelson (s)
Carolyn Watkinson (a)
Paul Elliott (t) David Thomas (b)
Francis Grier (org) Simon Preston (org)
Francis Grier (hc) William Christie (hc)
ヘンデル / メサイア HWV 56
クリストファー・ホグウッド / エンシェント室内管弦楽団 ♥♥
サイモン・プレストン(合唱指揮)/ オックスフォード・クライスト・チャーチ聖歌隊
エマ・カークビー(ソプラノ)/ ジュディス・ネルソン(ソプラノ)
キャロライン・ワトキンソン(アルト)
ポール・エリオット(テノール)/ デヴィッド・トーマス(バス)
フランシス・グリアー(オルガン)/ サイモン・プレストン(オルガン)
フランシス・グリアー(ハープシコード)/ウィリアム・クリスティー(ハープシコード)
エポック・メイキングな演奏です。個人的にはベストだと思っているし、本国でもランドマーク・レコーディングなどと言われています。出たときに驚きをもって迎えられ、今でもこれがメサイアのベストとする人も多いようです。古楽のマナーによるほぼ最初の録音で、それまでのスラーでつなげた遅いテンポでの運び、ときに深刻な表情さえ浮かべる重くて立派なモダン・オーケストラ&合唱団によるものとは全く別の作品という感じになりました。ヘンデルらしく明るく爽やかで、かつ美しい歌に満ちており、以後の演奏はほとんどこういう方向へとなびいて行きました。ホグウッドはピノック、ガーディナーと並んでイギリス古楽のパイオニアである三人のリーダーの一人で、今さら説明の必要もないかと思います。エンシェント室内管(アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック)は彼が1973年に設立した古楽の団体です。そして合唱は男声のみによる英国伝統のオックスフォード・クライスト・チャーチ聖歌隊です。この合唱部分のボーイ・ソプラノの音色もこの盤の特徴の一つです。
最初にまずシンフォニアでの切れの良いリズムに驚きます。伝統的な管弦楽では引きずるような運びだったものが、スタッカートかというように語尾をさっと切り上げています。バロック・ヴァイオリンの奏法特有のうねるようなボウイングが聞かれ、テンポもそれまでよりぐっと速くなりました。今でこそこれが自然に聞こえ、スタンダードになりましたが、1979年の録音時は違いました。最近の古楽の録音と比べてもくっきりとしていて弾む方になるでしょうか。しかし常に軽快なテンポで行くわけではなく、次のレチタティーヴォ、「カンフォーティ」のゆったり静かに歌われるテノールのなんと美しいことでしょう。そんな具合に歌うところはしなやかに、十分に歌わせるのがホグウッドの良いところです。テノールは1950年生まれのイギリス人、ポール・エリオットです。繊細でいいです。続いて合唱が来ると、少年たちによる高音部の響きが清らかです。聖歌隊上がりのバスであるデヴィッド・トーマスも適度に明るさがあって理想的です。ホグウッドがよく起用した人です。メゾ・ソプラノ声域のアルト、キャロライン・ワトキンソンも英国人で、バロックを得意とします。
そしていの一番に言うべきことでしたが、何といってもこの盤の最大の魅力で特徴となっているのはソプラノが目立つこと、またそれが大変美しいということです。ソロは二人おり、ジュディス・ネルソンとエマ・カークビー。カークビーの方は古楽(バロック)唱法を編み出した英国のパイオニアとして、その少女のような高く澄んだノン・ビブラートの声が有名であり、ファンも多くいます。天使の歌声などと言われます。でもネルソンも同じくこの歌い方の先駆者であり、カークビーと一緒に活躍した名ソプラノです。アメリカ人でもう亡くなりましたが、その声はカークビーにそっくり。77年のクープランのルソン・ド・テネブレでの掛け合いではどちらがどちらか分からなくなる溶け合いぶりで、これを超える歌唱はないのではと個人的に思うものでした。カークビーばかりに注目が集まるのは気の毒です。このメサイアの録音ではネルソンが四十歳、カークビーが三十歳でした。
ソプラノが目立つというのは何もカークビーたちの起用という点だけでもありません。もちろんこの二人を活躍させたかったからでしょうが、ソプラノのパートがどのメサイア録音よりも多く、ソプラノが中心の曲かと思えるほどなのです。もちろん他のパートが好きだという方もあろうかと思いますが、どんな声楽曲でも個人的には澄んだソプラノの声が良いと思っている方なので、この盤の後にも素晴らしいメサイアはいくつも出ているにもかかわらず、未だにこれを聞き続けています。ではどのようにソプラノ・パートが多いかということですが、6曲目のアリア「だが彼が来る日に誰が耐えられよう」の本来はアルトのパートと、36曲目のアリア「あなたは高みに登った」のアルトまたはバスのパートがソプラノに変更されており、加えてアルトまたはソプラノが選べる19、20曲目と、テノールまたはソプラノという指定がある31、32曲目のパートでは全てソプラノが選択されています。従ってソプラノの活躍が最も少ない演奏と比べると6曲もソプラノの曲が多いのです。
カークビーとネルソンの配分ですが、これはネルソンが中心と言っていいです。カークビーは6曲目の「だが彼が来る日に誰が耐えられよう」と36曲目の「あなたは高みに登った」、52曲目の「もし神が我々の味方なら、誰が我々に対抗できよう」の3つのアリアのみで、後の11のソプラノ・パートはネルソンがソプラノ1として受け持っています。因みに20曲目の「主は羊飼いのようにその群れを養い」はアルトとソプラノの掛け合いではなく、ソプラノのみによるものです。
1979年のオワゾリールの録音です。音は大変良く、最新のものと何ら見劣りしません。繊細なバロック弦の音も良いし、ディテールがはっきりとしながらも自然な音響で、残響の具合もベストです。歌手たちの美し声をよく捉えています。今は谷間なのか廃盤になっているようで、CD は中古での購入が主になるでしょう。高い値段をつける販売者もありますので、アマゾン等で検索するなら Handel Messiah Hogwood などと英文入力をすると良いかもしれません。各サブスクライブのサイトでは聞けます。
Handel Messiah HWV 56
John Eliot Gardiner Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
Margaret Marshall (s) Saul Quirke (b-s)
Catherine Robbin (a) Charles Brett (c-t)
Anthony Rolfe-Johnson (t) Robert Hale (b)
Alastair Ross (org, hc)
ヘンデル / メサイア HWV 56
ジョン・エリオット・ガーディナー / モンテヴェルディ合唱団
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
マーガレット・マーシャル(ソプラノ)/ ソウル・カーク(ボーイ・ソプラノ)
キャサリン・ロビン(アルト)/ チャールズ・ブレット(カウンター・テノール)
アンソニー・ロルフ=ジョンソン(テノール)/ ロバート・ヘイル(バス)
アラステア・ロス(オルガン/ハープシコード)
イギリス古楽運動黎明期の御三家の一人、モンテヴェルディ合唱団の生みの親(1964年設立)であるガーディナーのメサイアです。ホグウッドの三年後、ピノックの六年前というタイミングで録音しました。日本でも熱心なファンのいる人で(特に合唱分野でしょうか)、この曲も各方面から高い評価を得ています。時代考証のしっかりした合唱曲などに強い指揮者という印象です。古楽のオーケストラであるイングリッシュ・バロック・ソロイスツも彼が78年に作ったものです。ホグウッドも同じながら、学問的裏付けがしっかりしているということと、特にこの当時としては幾分控えめなところのある、端正で均整の取れた演奏に定評がありました。
このガーディナー盤の特徴としては、ソロの歌手にボーイ・ソプラノとカウンター・テノールを採用し、それでいて同じ音域に女声としてのソプラノとアルトも同時に配していることがまず挙げられるでしょう。したがって女性を排除する英国宗教界の慣例とかでは全くなく、モンテヴェルディ合唱団も混声です。ソロでは男声の高域を用いずに合唱の方に少年を起用したホグウッドとは反対のようになっていて面白いです。この構成の根拠とどう関係するか詳しいことは分かりませんが、スコアはダブリンやロンドンでの初演のものとかではなく、より後年のものが充実していて曲に相応しいという理由で採用されています。結果として最初のアリア「だが彼が来る日に誰が耐えられよう」はカウンター・テノール、その次のレチタティーヴォは女性のアルト、1-14a のレチタティーヴォ「羊飼いたちは野にあった」での幼い声に驚いた後、「リジョイス」は女性ソプラノと、まるで LGBTQ に配慮した大会運営のような具合になっています。
ガーディナーの曲の運びや抑揚について言えば、管弦楽の最初の出だしの表現は古楽奏法としてホグウッド盤とも似ていますが、もう少し表情を抑えた静けさ、真面目さが感じられます。Pifa も弱音を使って静かに、間を取りながら運んでいて美しいです。録音バランスも多少影響しているかもしれませんが、ガーディナーらしい端正さで完全無欠という印象があり、その周波数は歌の部分も同様で、最後までしっかりと維持されています。ハレルヤ・コーラスは案外静かで落ち着いています。大変整ったきれいな運びです。後半は歯切れ良く力も込めるけれども、爆発的喜びという感じにはしません。
独唱陣の特徴ですが、ソプラノはカークビーのような少女声ではなく、ビブラートも適宜使うイギリスのオペラ歌手、マーガレット・マーシャルです。やわらかさのある声質ながら歌い方は力強いです。ボーイ・ソプラノのソウル・カークは大変安定しています。
アルトのキャサリン・ロビンはカナダ人で音域はメゾ・ソプラノ。メサイアでデビューした人でヘンデルを得意としており、ベルカントの派手なロマン派オペラという感じではなく、ガーディナーがよく起用しています。アリア「主は羊飼いのようにその群れを養い」ではソプラノと歌い分けています。
カウンター・テノールのチャールズ・ブレットはイギリスにおいてアルフレッド・デラーの次の世代を代表する一人で、ここでは飾らず派手にならず、アリア「彼は人々に見下され、拒まれた」など、抑えた声でパーフェクトを目指します。
そして曲の最初に出て来るテノールのアンソニー・ロルフ=ジョンソンは主に英国で活躍した人で、出だしの静かな序奏に続いて一つずつフレーズで音をしっかりと分けながら、伸びやかに流して歌にするというよりも抑えて語るように運びます。歯切れ良く力を感じさせるパートもあります。
バス担当のロバート・ヘイルはやわらかいけどワーグナーを得意とするアメリカのバス・バリトンです。
1982年のフィリップスです。生っぽくて優秀な録音が多いですが、このメサイアは落ち着いた感じで、音はライヴな方ではありません。
Handel Messiah HWV 56
Ton Koopman The Sixteen
The Amesterdam Baroque Orchestra
Marjanne Kweksilber (s) James Bowman (c-t)
Paul Elliott (t) Gregory Reinhart (b)
ヘンデル / メサイア HWV 56
トン・コープマン / ザ・シックスティーン
アムステル・バロック管弦楽団
マルヤンネ・クヴェックジルヴァー(ソプラノ)/ ジェームズ・ボウマン(カウンター・テノール)
ポール・エリオット(テノール)/ グレゴリー・ラインハート(バス)
HIP 運動の先駆者的指揮者と言えば、英国の御三家以外にもオーストリアのアーノンクール、ベルギーのクイケン(S)、オランダのレオンハルト、ブリュッヘン、コープマンといったところがすぐ思い浮かびます。このうちアーノンクールは82年に出したけど、ここではその後の新盤の方を取り上げます。クイケン(S)とブリュッヘンは器楽が主で指揮活動に力を入れたのは後年だし、レオンハルトはメサイアは出してないようなので、残るはコープマンということになります。ガーディナー盤の翌年に録音しました。日本ではガーディナー盤より話題に上らないようだけど、あちらにはない美点もあると思います。
コープマン盤はイギリスの古楽合唱団、ザ・シックスティーンを起用しています(86年と07年には本家のハリー・クリストファーによっても録音されています)。ガーディナーのような合唱指揮者というわけではないのでそうなるのですが、それがここでの一つの特徴と言えるでしょう。それと、管弦楽は主兵アムステル・バロックとなっているけれども、人数を絞り込んで9人構成でやっているということも特筆されます。ただ、ぱっと聞いただけだと OVPP(各パート一人の声楽)みたいに涼しい感じには聞こえません。
コープマンの演奏は鍵盤にしても指揮にしても装飾が多いことで知られています。でもメサイアでは特段その特徴が発揮されているとは言えないでしょう。曲によっては跳ねるようなアクセントを施す場合もあるものの、全体としては軽さがありながらも柔軟であり、しっとりとした歌も聞かせています。古楽としては平均すればややゆったりとした運びだと言えるかもしれません。そうでない曲もありますが。ではこのメサイアはどうかというと、最初のシンフォニアの入りは少し重く、ゆったり目に始まります。古楽アンサンブルにしてはまったりしているな、という印象。しかし次の切り返しからは速くなります。全体としてこうしたメリハリは変わらず、フレキシブルに動かしつつもよく歌っている感じがします。この柔軟な物腰が良いところだと思います。これに対して合唱は「我らは皆羊のように道を見失い」などを聞いていると、フレーズを確実に一つずつ歌っているようなところもあります。ハレルヤ・コーラスも浮足立たず、フレーズがくっきりしっかりしており、それでいて柔軟さもある落ち着いたものとなっています。トランペットとティンパニは十分に鳴り渡り、終わりも確実です。
独唱陣ですが、ソプラノはバッハのときのようにバーバラ・シュリックではなく(メサイアはクリスティ盤で歌っています)、マルヤンネ・クヴェックジルヴァーという、1944年生まれで08年に亡くなっているオランダの歌手です。張りのある声は適度に高く聞こえ、それでいて低い側に共鳴をためてよく響かせます。したがってエネルギーがあって遠くまで届くかのようであり、艶のある輪郭もしっかりとしています。オペラを歌う人かと思わせるものの、古楽と現代ものを得意とするそうです。上手な印象で、存在感があります。抑揚の付け方、歌い方に派手さはないので気になりませんが、ビブラートはしっかり使っています。
カウンター・テナーのジェームズ・ボウマンは幅広い分野で活躍するイギリスの歌い手です。88年のパロット盤でも歌っています。音程によって強さが変わり、弱い音ではやわらかく丸い響き、強い音は朗々としている印象です。少しくぐもるところもあり、明るく抜けるような高音型ではないかもしれないけれども変化があります。
テノールのポール・エリオットはホグウッド盤と同じだけど、ここではよりゆったりした声でやわらかく聞こえ、丸めるような抑揚が印象的です。音程が低い方へずれたか、ぐらいに感じられるような含み声の箇所もあり、すぐに同じ人だとは気づきませんでした。高い方は軽さがあって神経質にならず、そこの美点は共通しています。
グレゴリー・ラインハートはアメリカのバス・オペラ歌手で、レパートリーは広くて古楽から現代ものまでこなします。低くやわらかい声で、角は立ってないけど表情は濃く、力強く立ち上がる場面もあります。
1983年のエラートの録音です。デジタル初期ながら潤いのある良いバランスです。編成が大きくないこともあり、残響が多い方には感じられません。明澄でやわらかさもあるといった感じです。
Handel Messiah HWV 56
Trevor Pinnock The English Concert & Choir ♥
Arleen Auger (s) Anne Sofie von Otter (a)
Michael Chance (c-t) Howard Crook (t)
John Tomlinson (b) Ivor Bolton (org)
ヘンデル / メサイア HWV 56
トレヴァー・ピノック / イングリッシュ・コンサート&合唱団 ♥
アーリーン・オジェー(ソプラノ)/ アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(アルト)
マイケル・チャンス(カウンター・テノール)
ハワード・クルック(テノール)/ ジョン・トムリンソン(バス)
アイヴォー・ボルトン(オルガン)
ホグウッドといつも比べられるイギリス古楽の指揮者と言えばピノックです。どちらも鍵盤楽器を演奏し、アカデミー室内管で活躍していたという経歴も同じ、自身の古楽オーケストラの結成も同じ1973年です。合唱団の方はピノックが83年になってからで、その後もしばらくは録音や公演の必要に応じて呼び集めていた状況だけれども、ホグウッドの方も他の合唱団と録音したりしていたので力の入りようは似たり寄ったりでしょうか。合唱に特化したガーディナーとちょっと異なるところかもしれません。年齢的にはホグウッドが1941年生まれ(2014年に亡くなっています)なのに対して、ピノックは46年と、5つほど若いです。得意とするジャンルをバロックと古典派という比較で見ると、ピノックの方が若干古楽寄りのように言われるでしょうか。演奏マナーについても英国流は似ているところがあるながら、聖歌隊上がりのピノックの方が滑らかでゆったり歌わせる表現が幾分多い印象で、古楽器奏法的なアクセントの面で少し手綱が緩いような気もします。ホグウッドが特にバロック音楽において時折リズミカルなところも見せるからだけど、曲によるし、この辺はほとんど微妙な違いです。音楽学者としての発言と著作はホグッドでしょう。ピノックのメサイアの録音はホグウッドに遅れること9年、ガーディナー盤の6年後というタイミングです。
管弦楽の扱い、設定された全体の流れとしては、古楽器によるピリオド奏法によるものの中では滑らかでゆったりとした演奏であり、そこが大変魅力的です。上で述べたホグウッド盤との違いはしっかり出ています。これは合奏協奏曲などの器楽で常にピノックの演奏が愛されて来たことを思い出させます。弾むようなアクセントは比較的少なく、最初のシンフォニアでは中間部に差し掛かるところでもさほどアップテンポへと切り替えたりはしていません。二曲目のテノールの「カンフォーティ」のゆったりした運びは、新旧のアーノンクールやルネ・ヤーコプスなど、同じようなものはいくつもあるものの、この時期の古楽としては特徴的です。合唱も基本は穏やかです。それでいてハレルヤ・コーラスはお行儀良くなってしまったりせずに弾むような喜びを爆発させ、明るくはきはきとして理想的なのです。大合唱で盛り上がる部分での力強さでも最右翼です。
独唱者たちについては、ガーディナーのようにボーイ・ソプラノとソプラノを並立させるようなことはしませんが、カウンター・テナーと女性のアルトは両方使っています。どちらもその特徴をよく表していて見事な歌唱です。そのカウンター・テノールですが、1955年イギリス生まれのマイケル・チャンス。最初に来る6曲目のアルトのアリア、「だが彼が来る日に誰が耐えられよう」では伸びのびとした発声でニュアンスもあり、安定してよく響いていて見事です。高い方も明るく艶っぽくて魅力的であり、クリスティ盤のショルと並んでこのパートのベストかもしれません。ドイツの名カウンター・テナーであるショルよりも十二歳年上という世代だけど、メサイアでのショルはおとなしく静かに歌っている印象があるので案外こちらの方が良かったりもします。
それと比較されるアルトはアンネ・ゾフィー・フォン・オッターです。1955年生まれのスウェーデンのメゾ・ソプラノ音域の歌手。活躍範囲の広い人です。カウンター・テノールのアリアのすぐ後の8曲目のレチタティーヴォ、「見よ、乙女が身籠り」と9曲目のアリア、「おお汝、シオンに良き知らせを告げる者よ」で登場します。この人も上品で、低くやわらかいけどあまり派手になびかせません。
そしてソプラノですが、世代が少し上がってアメリカのアーリーン・オジェーです。このときは四十八歳で、衰えはありません。やわらかさがあってよく通る声はカークビーのような少女声ではないけれどもとにかく美声。バロックから古典派ぐらいを得意とし、歌い方も抑揚がしっかりしていて表現力がある印象です。「リジョイス」ではメリスマでも音に包み込まれる感じがあって良く、アリア「主は羊飼いのようにその群れを養い」はアルトと分担しているけれども、やわらかい声の質が両者で連続していて見事です。そしてソプラノのパートではふわっと漂う音に包まれる感触が独特で、大変魅力的です。きれいなアリア「彼らの足はなんと美しいのだろう」もいいです。
歌手として最初に登場するテノールは同じくアメリカのハワード・クルックです。古楽を得意とし、主にヨーロッパで活躍しました。特に軽く弾ませる方向ではなくゆったり歌わせますが、重かったりドラマティック過ぎたりする感じは全くなく、やわらかく静かな表現もあり、全体に落ち着いていて無理がありません。むしろ多少オフに感じさせるぐらいでいいと思います。
バスはイギリスのオペラ歌手、ジョン・トムリンソンです。少し硬い倍音を響かせるところのある低い声で、明瞭でダイナミックな感じがします。含ませ声で丸めて静かに行くところもたっぷりしています。
1988年のアルヒーフの録音は潤いがあってバランスが取れており、大変美しいです。
Handel Messiah HWV 56
Andrew Parrott Taverner Choir, Consort & Players
Emma Kirkby (s) Emily van Evera (s)
Margaret Cable (a) James Bowman (c-t)
Joseph Cornwell (t) David Thomas (b)
ヘンデル / メサイア HWV 56
アンドリュー・パロット / タヴァナー合唱団、コンソート&プレイヤーズ
エマ・カークビー(ソプラノ)/ エミリー・ヴァン・エヴェラ(ソプラノ)
マーガレット・ケイブル(アルト)/ ジェイムズ・ボウマン(カウンター・テノール)
ジョゼフ・コーンウェル(テノール)/ デヴィッド・トーマス(バス)
カークビーが歌うもう一つのメサイアがパロット盤です、とソプラノのことばかり言ってはいけないのですが、実際のところよくそんな具合に注目されているのではないでしょうか。したがってホグウッド盤と比べられることが多いです。指揮者のアンドリュー・パロットはこれもイギリス古楽の人で、ホグウッドやピノックと同様に自身の楽団、タヴァナー・コンソート&プレイヤーズを1973年に結成しているのでこの分野のパイオニアの一人と言えるでしょう。1947年生まれなので世代も同じぐらいで、ピノックの一つ下、ガーディナより四つ若いということになります。違うのはレパートリーが古楽の中でもより古い方を得意としていて(ルネサンス期の作曲家「タヴァナー」を冠した名の通りです)バッハやヘンデルらのバロックぐらいまでということと、より少人数の演奏になるということでしょうか。
ゆったりとした出だしのシンフォニアで、切れ目の入るイントネーションのあり方は古楽奏法かもしれないけど、遅いし途中から思い切って小声に弱める表現もあったりで、大変しっとりとしています。そして中間部の切り返しからはぐっと速め、尖らず適度に滑らかではあるけど歩調としては軽快になります。そんな具合に無理のない範囲で表情が豊かです。歌の部分も含めて全体に躍動感と力強さを感じさせるような演奏ではなく、少しスタティックなところがあり、やわらかくて丁寧な印象です。
2曲目のテナーのパートも大変ゆったりとしています。この辺りはピノックと似ているでしょうか。テノール自体の声はやわらかくて丸いけど、よく響きます。それは体格を見ると納得します。ジョゼフ・コーンウェルは英国古楽の歌手です。バロック・オペラとオラトリオのスペシャリストで、コンサートも多いようです。ここではテンポ設定も加わってより落ち着いており、若者っぽい軽い声ではなく、力もあってたっぷりしているけど聞きやすいです。メサイアのテノールとしては魅力的です。
バスは逆にあまり重くはなく、力で押す感じはありません。ホグウッド盤と同じくデヴィッド・トーマスです。
そしてこの録音もピノック盤同様にアルトのパートにカウンター・テノールと女性のアルトの両方を使っています。まずカウンター・テノールはジェイムズ・ボウマンです。2023年に亡くなりましたが、1941年生まれのイギリスの歌い手です。正確な音程でびたっとフラットに歌うことを心掛けるというよりも、高い方に軽く明るい響きがあり、弾むような抑揚があって浮き沈みを感じます。
同じくアルト担当のマーガレット・ケイブルは1950年生まれのイギリスのメゾ・ソプラノで、低いところではおとなしい印象です。ここでは活躍の場がそれほど多くなく、音域的にも持ち味が十分活かされてないようにも思えて気の毒です。
ソプラノのカークビーについてはホグウッド盤と同じパートを歌っているところがないので直接比べられないけど、ちょっと印象が異なるでしょうか。このときは三十九歳とまだ若いながら録音のせいかどうか、声も若干ながら違うようにも感じるし、歌い方にも変化がある気がします。アリア「主は羊飼いのようにその群れを養い」ではなんとカウンター・テナーとの競演です。そのアルトの前半パートは音域的にも安定していて基音がしっかり響いています。そして後半のカークビーも案外しっかりした声になっています。歌うパートはホグウッドのときより多い(あちらではネルソンが多く担当していたので)ものの、この盤自体がホグウッド盤のようなソプラノ活躍の録音ではありません。
ハレルヤ・コーラスは端正で、人数が少なく感じます。逆に各パートがよく分かり、透明だとも言えます。
1988年エラートの録音はやわらかくて透明感があります。さほどライヴではなく、小ぶりな編成らしく、室内楽のような響きがあります。
Handel Messiah HWV 56
Michel Corboz Ensemble Instrumental et Vocal de Lausanne
Magali Dami (s) Audrey Michael (s)
Jard van Nes (a)
Hans Peter Blochwitz (t) Marcos Fink (b)
ヘンデル / メサイア HWV 56
ミシェル・コルボ / ローザンヌ器楽&声楽アンサンブル
マガリ・ダミ(ソプラノ)/ オードリー・ミッチェル(ソプラノ)
ヤルト・ヴァン・ネス(アルト)
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ(テノール)/ マルコス・フィンク(バス)
コルボと言えば、フォーレやモーツァルトの美しいレクイエムの印象を持っておられる方もあると思います。古楽奏法のマナーではなく、かといってそれまでの一般的な演奏とも違った静かでゆったりとしたもので、宗教合唱曲の分野で透明感のある独特の世界を築いたスイスの指揮者です。1934年生まれで2021年には亡くなってしまいました。メサイアは90年に入ってからのもので初期の雰囲気とは少し異なっている気もするけど、ファンなら見逃せないでしょう。そしてこの演奏の特徴として、スコアはモーツァルト編曲版(ドイツ語版)を使っているということもあります。特に歌の部分の伴奏にクラリネットやファゴットなどの木管が加わっていて独特の響きを聞かせます。ヘンデル的かどうかはともかく、華やかで技ありという感じです。伴奏だけでなく、Pifa(田園交響楽)の管弦楽も違います。バロックの合奏協奏曲というよりも古典派の交響曲のようです。
シンフォニアは重く区切るようなリズムで入り、案外手応えがあります。しかしその先では小声で走るようになり、強弱、緩急を付けていて表現意欲に満ちています。合唱は残響が豊かながらリズムはしっかりとしており、これも全部静かで滑らかというのとは違います。70年代のマナーから変化して来ているようです。全体に指揮者の解釈としてはその方向で一貫しています。
一方でハレルヤ・コーラスの出だしはやわらかく、元気一杯という感覚ではなくてリズムも軽いです。曲全体のラストも美しく運び、爆発するようにはやっていません。この辺りは以前からのコルボらしいでしょうか。
ソロイストですが、ソプラノは二人います。どちらもコルボとともに活動している身内になるのでしょうか。中心になっているのはオードリー・ミッチェルという人。主要なアリアで活躍します。「主は羊飼いのようにその群れを養い」はアルトと分けずにソプラノのみで彼女が担当しており、「彼は人々に見下され、拒まれた」や「わが贖い主は生きていると知る」などもそうです。カークビー的な少女声ではなくて安定しており、何流儀というのでしょうか、細かいビブラートはかけます。
そしてもう一人はフォーレのレクイエムでも起用されていたマガリ・ダミです。コルボのお気に入りのようです。最初にソプラノが出て来るパートであるレチタティーヴォ「羊飼いたちは野にあった」で歌っています。こちらは少女声というか、まるでボーイ・ソプラノのようです。
アルトはヤルト・ヴァン・ネス。1948年生まれのオランダの人で、コンサートでリートも歌うしオラトリオもオペラもこなします。ハイティンクの「アルト・ラプソディ」にも起用されました。低い方に少し硬めの響きとこもりを加えますが、歌い方に派手さがなく、落ち着いています。
テノールはドイツ人のハンス・ペーター・ブロホヴィッツです。1949年生まれのアマチュア合唱団上がりの人で、歌曲もオペラもこなします。モーツァルトが得意のようです。コルボとだけ活躍する人ではありません。やわらかさと軽さの両方があって穏やかな声です。強いところでもがならず、全体に滑らかで心地良いです。
バスはスロヴェニア系でブエノス・アイレス生まれのマルコス・フィンク。幅広い分野で活躍するバス・バリトンです。ビブラートは使うけれども穏やかでやわらかいです。ゆったりとして静かなところもいいです。
1990年録音のエラートです。中域に響きがある残響のしっかりしたものです。コンディションは良好です。
Handel Messiah HWV 56
Martin Pearlman Boston Baroque & Chorus ♥♥
Karen Clift (s) Catherine Robbin (ms)
Bruce Fowler (t) Victor Ledbetter (br)
Martin Pearlman (hc)
ヘンデル / メサイア HWV 56
マーティン・パールマン / ボストン・バロック&合唱団 ♥♥
カレン・クリフト(ソプラノ)/ キャサリン・ロビン(メゾ・ソプラノ)
ブルース・ファウラー(テノール)/ ヴィクター・レッドベター(バス)
マーティン・パールマン(ハープシコード)
ポスト・ホグウッドとしてもう少し新しいところでメサイアの録音を探した結果、後で挙げるジョン・ラター盤とベルリン古楽アカデミー、そしてこのボストン・バロック盤の三つが魅力の上で並ぶぐらい良いと思えるものでした。アメリカの演奏者というもの、ロマン派の管弦楽曲ぐらいなら全米の有名オーケストラも人気があるけれども、バロック音楽ともなると日本ではいまだに本場主義が幅を利かせ、欧州のアンサンブルが優位なのではないでしょうか。センスの良い演奏をするイングリッド・マシューズとシアトル・バロックもそうだし、この CD も販売サイトでの扱いを見る限り人気があるとは思えません。もったいないです。このボストン・バロックのメサイアはグラミー賞候補にもなりました。
ボストン・バロックは1973年にマーティン・パールマンによって設立された楽団で、それはイングリッシュ・コンサートやエンシェント室内管弦楽団と同じ年ということで、古楽運動が盛り上がって来る頃でした。指揮者で音楽監督のマーティン・パールマンは1945年のシカゴ生まれ。自身が演奏する楽器はホグウッドとも同じチェンバロなどの鍵盤楽器であり、古楽を得意としています。そのチェンバロはラルフ・カークパトリックとレオンハルトに習いました。年齢的にもピノックと一つ違いです。音楽理論に詳しくて作曲もするし、ヴァイオリンも弾けるようです。
ブランデンブルク協奏曲などを聞くと、古楽器の楽団といってもアクセントはさほど尖ったものではなく、繊細な抑揚があって滑らかさも感じさせます。一方でこのメサイアでの管弦楽、シンフォニアなどの扱いを聞くと、柔軟さは同じでありながらより軽くてはきはきしている印象です。滑らかなところのあるジョン・ラターよりも爽やか路線でしょうか。明るくてもたれないヘンデルとして大変魅力的です。テンポも平均して少し軽快な方と言えるでしょう。透明感があって心地良い呼吸です。
ハレルヤ ・コーラスもはきはきと明るく爽やかな響きで、合わせる管弦楽も軽く歯切れが良く、大変気持ちの良いものです。迫力で押すのとは違いますが活気があって理想的です。81年になってアンサンブルに加わった合唱部分は人数は多くなく感じ、その分透明な響きです。最後のアーメン合唱も傾向は同じで、晴ればれとした気持ちで聞き終えられます。
独唱者たちですが、これがまた大変良かったです。個人的に一番気になるパートはソプラノです。この演奏はホグウッド盤のようにソプラノに多くを割り振るものではなく、ごく一般的な楽譜の指示に従った配置になっているので、その意味ではまだホグウッド盤の価値は衰えません。でもそうした一般的な歌手の組み合わせのものとしては一、二を争う印象です。歌っているのはカレン・クリフトという人。アメリカ人で、ミネソタでキャリアをスタートさせたとあるので、そこがホームグラウンドなのでしょう。ネブラスカ育ちでワイオミングで高校生活を送ったローカル・ソプラノが夢を叶え、米国に限らず世界の有名オーケストラと共演、などとも紹介されています。モーツァルトやシューベルトなどを得意とし、ボストン・バロックとの関係も深いようです。レチタティーヴォ「羊飼いたちは野にあった」で初めて出て来た後、「リジョイス」ではメリスマが軽く区切れ、ちょっとカークビーとも比べられる少女のような高く澄んだ明るい音色でありながら、強いところには力と輝きがあり、ビブラートを伴って高揚感が出ます。したがってバロック唱法という感じでもないですが、オペラ的な派手な印象は全くありません。アリア「主は羊飼いのようにその群れを養い」はアルトと分け合う形式ながら後半の活躍は見事です。前半部と調子の合ったビブラートを用いながら透明な声を響かせ、同時にやわらかさ、やさしい丸みもあります。
アルトではカウンター・テナーは用いず、担当するのは1950年生まれのカナダのメゾ・ソプラノ、キャサリン・ロビンです。古楽が中心でデビューはメサイアであり、ヘンデルのオペラは特に得意とします。ガーディナーやホグウッドとも共演しました。また、ブラームスのアルト・ラプソディやマーラーも歌います。声としては低いパートで多少被せ気味にこもらせるのとビブラートが目立つところがある一方、やわらかさが感じられます。オペラ的過ぎるとは思わないけれども独唱陣の中で唯一その傾向を感じさせます。ただ、この声域は元来そういうあり方が標準とも言えます。
最初のパート、「カンフォーティ」(「わが民を慰めよ」)で登場するテノールはブルース・ファウラーです。1965年ルイジアナ生まれのアメリカのテナーです。90年代からオペラとコンサートの両面で活躍して来ました。当初はベルカント・オペラを得意としていましたが、レコーディングの最初はこのメサイアです。この「カンフォーティ」はピノックやパロットのようには遅くありません。トーンは高い方というわけではなく、鋭くなり過ぎず、潤いがありながら軽さと明るさも感じさせるものです。これも数あるメサイアのうちでも最も魅力的な歌唱の一つです。
バスの担当もアメリカのバリトン、ヴィクター・レッドベター。低過ぎず太過ぎず、劇的過ぎずで、明瞭でありながら落ち着いた響きです。低い音も無理がなく、このメサイアのバスのパートとして理想的です。
1992年で、レーベルはテラーク。 残響の具合も丁度良く、各パートが透明で美しい音です。メサイアのベスト録音の一つと言っていいと思います。
Handel Messiah HWV 56
William Christie Les Arts Florissants
Barbara Schlick (s) Sandrine Piau (s)
Andreas Scholl (c-t) Mark Padmore (t)
Nathan Berg (b) Howard Beach (org)
ヘンデル / メサイア HWV 56
ウィリアム・クリスティ / レザール・フロリサン
バーバラ・シュリック(ソプラノ)/ サンドリーヌ・ピオー(ソプラノ)
アンドレアス・ショル(カウンター・テノール)
マーク・パドモア(テノール)/ ネイサン・バーグ(バス)
ハワード・ビーチ(オルガン)
ホグウッド盤を名盤に数えるのはここだけでなく一般的に広く浸透していることですが、それと並んで評価が高いのがこのクリスティ/レザール・フロリサン盤でしょう。ソロイストとして豪華なメンバーが顔を揃えているからです。レーベルも目利きで通好みのハルモニア・ムンディ。ボストン・バロックの一年後、1993年の録音で出ました。
ウィリアム・クリスティは1944年生まれのアメリカのチェンバロ奏者で、ラルフ・カークパトリックとケネス・ギルバートに師事し、BBC 交響楽団で指揮者として活躍した後、1979年にフランスはノルマンディーのカーンで古楽器のバンド、レザール・フロリサンを設立しました。シャルパンティエのオペラから取った「花咲ける芸術(The flourishing arts)」の意味のこの室内楽団には少人数の合唱団も付属します。したがってリーダーのクリスティはピノックと同い年、上記のパールマンやその他の古楽のパイオニアたちと同世代ながら、楽団設立は少しだけ遅れて、ということになります。
シンフォニアですが、中庸ややゆったりな出だしで、深刻さ、重さは感じさせません。アクセントは語尾を切り上げつつ適切に間を取るもので、古楽としては一般的な運びです。そして中間部から軽やかで速くなります。全体に静けさを感じさせる演奏であり、Pifa(田園交響楽)などはその傾向が顕著です。フランスっぽいのかどうか、元気一杯の張り切った感じのパフォーマンスではありません。
合唱もやわらかいです。ハレルヤ・コーラスではテンポこそ軽快ながら、録音の加減もあるのか、少人数ながらも厚みを感じさせる合唱と管弦楽で適度に落ち着きがあります。繊細に弱音へと弱めるような抑揚も付け、喜びを爆発させるという感じではないです。ブラスは活躍するし、ラスト手前で少しまくるのですが。そしてテンポを落として終わります。最後のアーメン・コーラスも同様で、途中まで落ち着いていてその後盛り上げ、最後で歩を緩めて上品に終わります。合唱の高音部がきれいです。
さて、豪華な独唱陣ということですが、誰のことを指すのか。ソプラノに関しては二人起用しています。コープマンのバッハなどでも活躍しているドイツのバーバラ・シュリックと、やわらかく美しい声で定評のあるフランスのサンドリーヌ・ピオーです。カウンター・テノールのショルは文句なしでしょう。さらに冬の旅で新時代のランドマークを打ち立てたテナーのマーク・パドモアも目玉に違いありません。
最初のテノールのパート、「カンフォーティ」も出だしは中庸なテンポかと思うと、歌が出るとゆったりになります。パドモアの声は上品で最初は控えめ。静けさがあって良いです。メサイアのこのパートとしては最も繊細な歌唱の一つでしょう。声を張り上げることがなく、落ち着いていてやはり魅力的です。そしてその次の曲ではまた速くなり、やはり緩急をつける解釈が聞かれます。しかし速いパートでも跳ね過ぎずに穏やかな歌い方であり、落ち着きは失いません。音程をしっかりと守りながらもやはり表現力があるという印象です。
バスの担当は1972年のカナダ生まれでオペラでグラミー賞を取ったことのあるバス・バリトン、ネイサン・バーグです。それを知らずに聞いても輪郭のくっきりした低い声に抑揚を付けており、オペラ寄りに感じさせる声音とドラマティックな歌い方は特徴的です。抑えたところからの盛り上がりは見事です。
カウンター・テノールはこの分野で最も声の安定しているドイツのアンドレアス・ショルです。中性的な声質ながら、カンター・テナー好きの間では上手さで知らない人はないといったところ。ただ、ここでの歌唱は案外おとなしめに感じました。他と歩調を合わせたのか大変落ち着いており、声を張りません。音像が少し離れる録音のせいもあるでしょうか。中域にややこもりというか、反響成分も感じられます。でも音程はさすがに安定していて高低による浮き沈みが少なく、強弱もコントロールされていて声に無理がありません。悠然としたメサイアとなっています。
ソプラノです。シュリックとピオー、この二人は自分の中では非常に性質が異なるようなイメージを持っており、聞けば簡単に区別できると思っていました。でもそれは間違いで、案外分からなくなるところもありました。声の質で言えばピオーにはシルクのような艶やかさに加え、静かなところで独特のふわっとしたやわらかさがあるような気もしますが、歌い方についての思い込みは外れる部分も多かったのです。つまり派手でダイナミックな部分を持ち合わせており、ときにラフに聞こえる瞬間もあると思っていたシュリックに対して、控えめで清楚なピオー(「エヴォカシオン」や「HOME」など、個人的に好みです)というのは必ずしも当たらず、それぞれピオーはダイナミックな側へ、シュリックはやわらかい方へと寄った結果、むしろ両者が近づいている感覚があります。シュリックには繊細なところもあり、あらためて幅広い表現力を見せられました。一方でピオーには随分力強さがあり、やわらかい中から野性味さえ感じさせるように突き上げる表現も聞かれます。表記としてはソプラノ1がシュリック、2がピオーながら、登場するのは入れ替わりであって、曲の前後で分かれているわけではありません。以下はその配分です。
「リジョイス」はピオー。意外なほどダイナミックレンジの大きい歌い方であり、震わせるところなどオペラティックだとも言えるかもしれません。そういえばこの人はこちらが聞かないだけでオペラは得意なのであって、元からノン・ビブラートではありませんでした。
「主は羊飼いのようにその群れを養い」ではシュリックがアルトのショルと分け合っています。音色を変化させ、浮き沈みのある強弱も加えてダイナミックです。ポルタメントも部分的に用い、ビブラートはしっかりかけます。最後はぐっと持ち上げて興奮を表しますが、一音ずつ音程を上げて行って目的の音に達する装飾を加えた後、そこでテンポをがくっと落とします。これはもうオペラのアリアです。
テナーかソプラノと指定されるレチタティーヴォ、「彼は生ける者の地より追い払われた」もシュリック。ここではやわらかさがあり、節度を守った美しい声です。細かなビブラートは添えるけれどもあまり前面に出しません。
短調のアリア「彼らの足はなんと美しいのだろう」もシュリックで、無理のない高音の張り方で澄んでおり、まさに美しいです。ビブラートは使うけど控えめで繊細な歌い方です。
「わが贖い主は生きていると知る」のアリアもそうです。清らかさとやわらかさが共存しています。
そして最後のアリア「もし神が我々の味方なら、誰が我々に対抗できよう」はピオーが締め括ります。ソフトな雰囲気の中から張りと伸びのあるフォルテを聞かせます。前後しますが、レチタティーヴォ「羊飼いたちは野にあった」(12トラック/上記の表では14a)一曲だけはトミー・ウィリアムズというボーイ・ソプラノが担当しています。
1993年の HMF の録音です。音は繊細な高音ながらおとなしく、管弦楽については中域の張らないバランス(ショルの声はそこに反響が感じられます)で、音像は少し遠めで力強さはありません。バロック弦は線は細くもやわらかい響きです。全体に多少オフでおとなしい感じに聞こえるかもしれません。
Handel Messiah HWV 56
Paul McCreesh Gabrieli Consort & Players
Dorothea Röschmann (s) Susan Gritton (s)
Bernarda Fink (a)
Charles Daniels (t) Neal Davies (b)
ヘンデル / メサイア HWV 56
ポール・マクリーシュ / ガブリエリ・コンソート&プレイヤーズ
スーザン・グリットン(ソプラノ)/ ドロテア・レシュマン(ソプラノ)
ベルナルダ・フィンク(アルト)
チャールズ・ダニエルズ(テノール)/ ニール・デイヴィス(バス)
ポール・マクリーシュは1960年のロンドン生まれの指揮者で、82年に古楽のガブリエリ・コンソート&プレイヤーズを結成しました。アーノンクールと同じくチェロから始めた人であり、楽団は声楽メンバーも擁し、レパートリーはルネサンスとバロックが中心です。特にヴェネチアものを得意とするそうだけど、一応「現代まで」と紹介されているので、最近はより守備範囲が広いのでしょうか。モーツァルトの大ミサ曲の録音は素晴らしいものでした。英国の古楽演奏者としてはホグウッドやピノックらなどより少し後の世代ということになります。このメサイアでは上記クリスティ盤同様に二人起用したソプラノが活躍します。その点でソプラノの登場する場を大幅に増やした感のあるホグウッド盤とも比較できるでしょう。
管弦楽だけのシンフォニアから行きますが、ゆったりした出だしで間を取って一歩ずつ進めます。反復では繊細に弱め、中間部で速める部分はさほど思い切ってやらずに自然に流します。曲作り全体においては、過剰にならない範囲でツボを押さえた意欲的な表現が聞かれる演奏だと思います。
次のテノールが活躍する「カンフォーティ」では適度にゆったり入り、歌の部分からは大変ゆっくりになります。歌うのはチャールズ・ダニエルズ。バロックを得意とする1960年生まれのイギリスのテナーです。やわらかい声で低い方に固めるところがあり、装飾音を用います。ふわっ、ふわっと持ち上げるように歌うので軽快ではありません。一方でその次のアリア「全ての谷は高められ」はかなり速いテンポ設定でコントラストを付けます。
バスを歌うのは同じくイギリスのバス・バリトン、ニール・デイヴィスです。ウェールズ生まれでロンドンで学んだ人で、オペラを得意とします。音域から言っても低く太い声ではなく、メリスマは歯切れ良く歌います。少し演技的な波長と声音も聞かれます。
そしてソプラノのパートですが、本来アルトの部分である6曲目のアリア「だが彼が来る日に誰が耐えられよう」がソプラノに譲られていたりして、そういう扱いはホグウッド盤と同じです。一人ではなく、スーザン・グリットンとドロテア・レシュマンという二人が歌っている点も同じです。以下にそれぞれの受け持ちを記してみます。合唱部分で二人が参加しているところは除きます。
アリア「だが彼が来る日に誰が耐えられよう」スーザン・グリットン
レチタティーヴォ「羊飼いたちは野にあった」ドロテア・レシュマン
レチタティーヴォ「そしてたちまちにして天使たちを伴い」ドロテア・レシュマン
アリア「大いに喜べ、おお、シオンの娘よ」スーザン・グリットン
アリア「主は羊飼いのようにその群れを養い」スーザン・グリットン
レチタティーヴォ「彼は生ける者の地より追い払われた」スーザン・グリットン
アリア「しかしあなたは彼の魂を地獄に捨て置かれず」スーザン・グリットン
アリア「あなたは高みに登った」ドロテア・レシュマン
アリア「彼らの足はなんと美しいのだろう」スーザン・グリットン
アリア「わが贖い主は生きていると知る」スーザン・グリットン
アリア「もし神が我々の味方なら、誰が我々に対抗できよう」ドロテア・レシュマン
ではソプラノ1のスーザン・グリットンですが、1965年生まれのイギリスのオペラティック・ソプラノです。レパートリーはヘンデルからロマン派、ブリテンにまで及びます。このメサイアではメロディアスなアリアを多く任されています。声ですが、最初に出て来るアルトのパート「だが彼が来る日に誰が耐えられよう」でホグウッド盤で同じところを歌っているカークビーと比べれば、明らかにそれはもうカークビーの方が甲高い子供のような声質です。でもグリットンもクリアであり、倍音が細くないので輪郭が立ち過ぎないのが魅力です。つまり適度にやわらかいところもあり、高い方はあまりキラキラしません。歌い方は後述のドロテアより馬力が感じられ、オペラ的に力を入れるドラマティックな表現力と声音の使い分けがある一方で、それも派手過ぎはしません。アリア「主は羊飼いのようにその群れを養い」はアルトとは分け合わず、さらっとしたテンポで流します。短調のアリアの「彼らの足はなんと美しいのだろう」もドロテアよりは大人声で、あっさりながらきれいな歌い方です。「わが贖い主は生きていると知る」はよりゆったりしています。
次はソプラノ2のドロテア・レシュマンです。1967年生まれのドイツ人で、モーツァルトのオペラとリートを得意とします。子供の頃は合唱団でバッハを歌い、後にバーバラ・シュリックに習いました。スーザン・グリットンより高めで胴の響きが少ない少女寄りの声(一瞬の声音が子供のようになります)ながら、当たりがやわらかいです。「あなたは高みに登った」のアリアを歌っています。力を入れ過ぎずに軽くソフトに跳躍し、強い音にもやわらかさがあるというか、音程が高みに登ったフォルテでも固まってきつくなりません。エキサイトした力強い表現を聞かせる幅もあります。大変美しく、個人的にはソプラノ1に全然負けない魅力を持っていると感じましたが、主要なパートをもらっていないのは少し残念です。
アルトはレチタティーヴォ「見よ、乙女が身籠り」で登場しますが、そこは音域が低く静かだし、アリア「彼は人々に見下され、拒まれた」も同様です。個性を出し難いかもしれません。この演奏ではソプラノにパートを譲る場面が多いので、パロット盤同様に活躍が少ない印象です。歌っているのはベルナルダ・フィンク。1955年、アルゼンチン生まれのスロベニア系メゾ・ソプラノで、古楽も含めて幅広く活躍する人です。ここでは包み込むような低い声でやわらかく、静かに歌っています。
最後に合唱ですが、ハレルヤ・コーラスははきはきとした速めのテンポで歌われます。ソロイストたちも加わっているようなので人数は少ないのだと思いますが、聞いたところそんな感じはありません。残響があってブラスも輝かしく、元気の良いものです。ラストのアーメン・コーラスは終始ゆったりで壮大に攻めます。
1996年のアルヒーフの録音です。あまり古楽器古楽器した線の細い響きではなく、残響も豊かで厚みを感じさせる音です。スケール感も十分です。
Handel Messiah HWV 56
René Jacobs The Choir of Clare College
Freiburger Barockorchester
Kerstin Avemo (s) Patricia Bardon (s)
Lawrence Zazzo (c-t)
Kobie van Rensburg (t) Neal Davies (b)
ヘンデル / メサイア HWV 56
ルネ・ヤーコプス / ケンブリッジ・クレア・カレッジ合唱団
フライブルク・バロック管弦楽団
シャスティン・アヴェモ(ソプラノ)/ パトリシア・バードン(アルト)
ローレンス・サゾ(カウンター・テノール)
コビー・ヴァン・レンズブルク(テノール)/ ニール・デイヴィス(バス)
ヤーコプスの2012年のマタイ受難曲は温かくて細やかな情緒があり、感動的な演奏でした。このメサイアはその6年前の録音です。ルネ・ヤーコプスは1948年ベルギー生まれ。元々は少年合唱団から始めてカウンター・テナーとして活動した人で、その点からすると後年になって自身が指揮する演奏の歌手たちにバロック(古楽)唱法の歌い手たちを配置しても不思議はなさそうです。でも実際の傾向としてはベルカント・オペラで活躍しそうな人たちを積極的に起用するようです。ヘンデル自体が元々イタリア語のオペラの人だし、作風も明るいし、当時は派手な即興で歌うカストラートが活躍した時代なので、オラトリオであってもメサイアをオペラ的に歌うのは雰囲気としてはありでしょう。それがロッシーニやヴェルディに相応わしい19世紀イタリアのマナーを身につけた人でもいいのかどうかは、ミュージコロジストの間でも意見の分かれるところだろうと思います。あるいはここでベルカント的に聞こえるものが、実は似ていても当時風の解釈なのでしょうか。そしてこのメサイアは豊かな響きのソロイストたちを集め、バロック的に明澄だとか宗教曲的に厳粛だとかいったものではなく、マタイのときと同様に生の人間の存在を感じさせるようなものになっている気がします。壮大過ぎず、大変ニュアンスの豊かな演奏です。
シンフォニアは遅過ぎず速過ぎずのテンポで繊細な強弱による抑揚を与えており、生きた呼吸が良いです。Pifa も細かなニュアンスがあり、通奏低音的な自由な解釈から来るバロック風の響きが聞かれます。弾く弦の音はテオルボか何かでしょうか。これもヘンゲルブロックのロ短調ミサが名演だったフライブルク・バロック管弦楽団が担当しています。合奏協奏曲のようで弦の繊細さが美しく、弱音にニュアンスがあり、一番きれいな田園交響楽(Pifa)かもしれません。
独唱陣を見てみます。ここではロンドン初演の後の1750年版というスコアを使っており、アルトとカウンター・テナーの両方がいる5人構成です。
コビー・ヴァン・レンズブルクは1969年ヨハネスブルク生まれの南アフリカのテナーです。レパートリーはバロックが中心でオペラが得意ながら、リートも歌う人です。「カンフォーティ」は管弦楽の入りから室内楽的でゆったりとしています。曲全体に言えますが、歌の部分の伴奏では弦(バロック・ヴァイオリン)が浮き立ってきれいなところがあちこちで聞かれます。そしてこのテナーも繊細な印象でそっと優しく歌います。声は細くはないけど軽いものです。多少ふわっとするけれども気持ちを込めて歌っているところが大変良く、強い音も明るくて余裕があります。その次の「全ての谷は高められ」がかなり速い設定なのはマクリーシュ盤などとも同じです。
バスのニール・デイヴィスはマクリーシュ盤と同じです。かなりドラマティックです。誇張された声音は使わないけど力強く歯切れてダイナミックだし、静かなパートではやわらくて包容力があります。
ローレンス・サゾは1970年フィラデルフィア生まれのアメリカのカウンター・テナーです。少年合唱で歌っていた人で、ヘンデルのオラトリオで音楽学の博士号を取得しています。守備範囲はバロック・オペラとオラトリオから20世紀音楽までと広いようです。たっぷりとしたボリュームのある歌い方で、静かなパートでやわらかく含ませて震わせるところなどに女性の太いアルトのような音の瞬間も聞かれます。装飾音とビブラートを用い、全体的にもかなり揺れる印象があります。「主は羊飼いのようにその群れを養い」のアリアはアルトがソプラノと分け合う場合も多いですが、ここではカウンター・テノールのサゾが一人で歌っています。
ソプラノはシャスティン・アヴェモ。1973年生まれのスウェーデンのオペラ歌手です。ちょっと中性的な飾らない声でビブラートはしっかりかけます。高く澄んだ系ではなく、低いパートではアルト的な音になります。歌い方はオペラティックな方でしょう。
アルトはパトリシア・バードンで、1964年ダブリン生まれのアイルランド人です。この人もオペラ・シンガーで、バロックからロッシーニまで歌います。区分としてはメゾ・ソプラノながらたっぷりとした低い声で、やわらかく響かせるところではカウンター・テノールよりもむしろ男性が歌っているかと思うぐらいです。発声法は違いますが。
合唱はケンブリッジ・クレア・カレッジ合唱団。ケンブリッジと付くけれども男声ではなく、混声合唱です。高音部がきれいです。ハレルヤ・コーラスは厚みのある響きです。リズムに軽さがあり、強弱が繊細で見事な陰影が付きます。十分に爽やかながら嫌味のない範囲で技のある表現だと言えるでしょう。最後のアーメン合唱の方も表情はよく付けていながら抵抗はなく、人間味というか、情感溢れる運びになっています。一旦大変静かになってエネルギーを落とし、間を取るように行きますが、そのままラストに向けてもあまりまくらず、たっぷりと終わって満足感があります。
2006年のハルモニア・ムンディ・フランスです。弦は繊細、やわらかくて潤いのある生っぽい録音です。室内楽的で、残響の長いものではありません。
Handel Messiah HWV 56
John Rutter The Cambridge Singers ♥♥
Royal Philharmonic Orchestra
Joanne Lunn (s) Melanie Marshall (ms)
James Gilchrist (t) Christopher Purves (b-br)
Robert Quinney (org) Benjamin Bayl (hc)
ヘンデル / メサイア HWV 56
ジョン・ラター / ケンブリッジ・シンガーズ ♥♥
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ジョアン・ラン(ソプラノ)/ メラニー・マーシャル(メゾ・ソプラノ)
ジェームズ・ギルクリスト(テノール)/ クリストファー・パーヴェス(バス・バリトン)
ロバート・クィニー(オルガン)/ ベンジャミン・ベイル(ハープシコード)
パールマン&ボストン・バロックも良かったし、もっと後のベルリン古楽アカデミー盤も見事だけど、ホグウッド盤以降で大変美しいメサイアだと思ったのがこのラター盤です。個人的には一番の一つです。合唱名人の指揮者による全体の歌わせ方もいいし、気になるソプラノのジョアン・ランもいいし、何より自国人で固めたその他のソロ・メンバーが全ていいという珍しい録音です。
ジョン・ラターはフォーレのレクイエムも愛聴盤です。編成が小さくてきれいな第二版(1893年版)のスコアを校訂者として最初に出版した人で、それを使って自身が演奏したものでした。1945年生まれのイギリス人で、合唱の指揮者である以外にも宗教曲などの作曲家でもあります。また、上記のように編曲者の顔もあればレコード・プロデューサーでもあり、日本ではそれほどでもないかもしれませんが、本国ではこの分野では大変知られた人であり、尊敬を集めていてアメリカでも人気があります。ケンブリッジ・シンガーズは1981年に彼が結成した合唱団で、その多くの録音をラター自身のレーベルであるコレギウム・レコーズから出しています。
歌の部分を美しく生かした演奏だと言えるでしょう。どのフレーズもおろそかにせず、丁寧に美しく歌わせているのは合唱指揮者ならではと言えるかもしれません。古楽器の楽団というわけではないにしても、ピリオド奏法のムーブメントの後でありながらも歯切れ良くやり過ぎず、その歌は宗教曲らしく清らかな運びです。繊細な古楽器の演奏で人間味を感じさせる歌唱陣のヤーコプスとは違う形の美だと思います。このメサイアは昔のフォーレのとき(1984年録音)の姿勢を思い起こさせるもので、遅過ぎるところはないけれども全体にゆったりとしています。楽しさと活気に満ちたオペラ作者ヘンデルのダイナミズムというよりも、宗教オラトリオとしての静かな美しさを強調していると言えるでしょう。聖歌のようなたたずまいとでも言いましょうか。
テノールは英国のジェームズ・ギルクリスト。1966年生まれでオラトリオとコンサート・リサイタルに特化しています。「カンフォーティ」はゆったりとデリケートに歌います。弱音のやわらかさが際立ち、甲高い神経質さがなくて倍音の角が立たず、強い音にも余裕があって大変良いです。テンポは遅過ぎないけどゆったりとしています。次の「全ての谷は高められ」も走るほどにはアップテンポではなく、やわらかなうねりを付けながら落ち着いて歌います。ビブラートは適切に用います。
指揮者が育てたケンブリッジ・シンガーズによる合唱は、最初の「そして神の栄光は露わとなり」では適度に軽快な速度で力強さがあります。ハレルヤ・コーラスは残響が豊かにあるのでよく響きます。前のめりのテンポではなくしっかりした歩調で行き、弱音は十分に抑えて間も取っています。爆発的でもないわけだけど、十二分に活気はあって輝かしさとスケール感も感じられるものです。「屠られた子羊にこそ価値がある」から後も同じであり、最後のアーメン・コーラスは運びはゆったりで力強く、そのまま進めて最後で緩めつつ、壮麗に終わります。
バスはクリストファー・パーヴェス。1961年生まれのイギリス人です。少年時代はケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団で歌っており、合唱で学位を取って英文学を修め、ソロの道に入りました。ザ・シックスティーンとよく一緒に活動し、オペラも歌いますが、録音は古楽が多いようです。ここではテノールと質が似ており、ドラマティックになり過ぎず、バス・バリトンということもあって硬い声音を作って低音を響かせたりしないし、弾力を活かしつつ生気があります。
アルトのメラニー・マーシャルは1962年のロンドン生まれで、ケンブリッジ・シンガーズのメンバーです。写真を見るとアフリカ系の方のようです。ジャズもミュージカルも歌う万能の人ということで、ラター自身が彼女の声にインスピレーションを得て曲を作ったりもする才能の持ち主。そしてその声ですが、これも低くこもらせ過ぎず、ラターのお気に入りということからこれは当然かもしれませんが、びろびろとオペラティックに震わせたり派手に装飾して声音を使ったり、感情的になり過ぎたりせずにナチュラルに歌って行きます。メゾ・ソプラノであって元々低い声ではなく、中音より上にはソプラノにも共通するような軽さがあります。メサイアで起用される女性のアルトとしては最も清潔な印象です。
ソプラノはこれもイギリスのジョアン・ランです。バッハのカンタータでは鈴木雅明&BCJ で「結婚カンタータ」をはじめいくつもの曲で登用され、ガーディナーの全集でも美しい声を聞かせています。古楽バロックが得意でオペラも歌います。彼女の採用はこのメサイアの大きな魅力です。基本的には清楚系というか、澄んだ高い音を聞かせますが、ボストン・バロック盤のカレン・クリフトほどの少女声というところまでは行かないで、高音はやわらかく伸びてよく出ているという感じです。中音から高音へ向かうところが少しボーイソプラノっぽい響きとも言えるでしょうか。この曲でも一、二を争う美しいアリア「主は羊飼いのようにその群れを養い」ではどちらもアルトと競演という形ながら、カレン・クリフトはそこを割合さらっと流している一方、こちらのラター盤ではメラニー・マーシャルの清潔な声に続き、テンポ自体はさほど変わらないもののより深く歌わせている印象です。大変良いです。
2007年の収録で、レーベルはラター自身のコレギウム・レコーズです。残響が豊かで高域の弦の音がよく響きます。合唱は力強く、管弦楽は適度に繊細さがありつつ歌の流れがよくつながり、ライヴな明るさがあって重くはありません。機器によっては全体に中高域がよく鳴る感じになるかもしれませんが、オフではなく明瞭な好録音です。
Handel Messiah HWV 56
Harry Christophers The Sixteen
Carolyn Sampson (s) Catherine Wyn-Rogers (ms)
Mark Padmore (t) Christopher Purves (b)
ヘンデル / メサイア HWV 56
ハリー・クリストファーズ / ザ・シックスティーン
キャロリン・サンプソン(ソプラノ)/ キャスリン・ウィン=ロジャーズ(アルト)
マーク・パドモア(テノール)/ クリストファー・パーヴェス(バス)
ザ・シックスティーンは83年のコープマン盤でも起用されていましたが、こちらは1979年にこの団体を立ち上げ、以来指揮をとるハリー・クリストファーズ自身による演奏です。シックスティーンというと16人のメンバーというネーミングからして合唱のみのような感じもします。でも古楽器のオーケストラも含んでいます。レパートリーはルネサンスやバロックが中心だけど現代ものもやるようです。ハリー・クリストファーズは1953年生まれのイギリスの指揮者です。聖歌隊員を経てオーケストラでクラリネットを吹いていたという経歴の持ち主で、マクリーシュほど若い世代ではないけれども古楽器運動初期のリーダーたちよりは少しだけ後の世代です。
メサイアについてはザ・シックスティーンとして三つ、クリストファーズとして二つの録音があり、シックスティーンについては前述コープマン盤以外に1986年のハイペリオン盤(クリストファーズ指揮/リン・ドーソン/キャサリン・ディンリー/モルドウィン・デーヴィス/マイケル・ジョージ)とこの盤、そしてクリストファーズとしては同じくこの盤と2013年ライヴのヘンデル&ハイドン・ソサエティ盤(ジリアン・キース/ダニエル・テイラー/トム・ランドル/サムナー・トンプソン)が存在します。この中でソプラノにキャロリン・サンプソン、テナーにマーク・パドモアが起用され、完全に個人の好みながら他のソロもあまりオペラティックでないものとして2007年のこれを挙げます。
管弦楽部分であるシンフォニアはテンポは遅めで、古楽としてはやや引きずるように音をつなげ、弱音に落とす表情を付けます。多少重たさを感じさせますが、切り返しからは十分に軽快な速度になります。古楽器の弦の音が味わえます。
「カンフォーティ」のテノールはレザール・フロリサン盤と同じくパドモア。これは期待しました。そして最初からのビブラートに驚きました。レザール・フロリサン盤では「冬の旅」の名唱と同様にほとんど目立たないのにここではしっかりかけ、ゆったりと丁寧に歌って行きます。まるで別の人のようで、声も心持ち低くなったかのようです。「冬の旅」の二度目の録音は2017年なので、何かそういう指示があって表現の幅を見せているのかもしれません。抑揚も静かで真っ直ぐだったのがより劇的な方へ寄ってる感じがします。途中からのテンポもこちらの方が遅いです。ヘンデルに相応わしい成熟の歌唱と言えるかもしれません。
バスはラター盤と同じクリストファー・パーヴェス。落ち着きがあって朗々としています。
アルトはキャスリン・ウィン=ロジャーズ。1958年生まれのイギリスのメゾ・ソプラノです。ビブラートを豊かに用い、やわらかく低く回すように歌います。口をすぼめるようにして空洞に響かせる音も使っていて、ベルカントのオペラを歌うアルトとしてはスタンダードな歌唱だと思います。
ソプラノはキャロリン・サンプソンです。バッハのカンタータでは BCJ の全集で82番、コーヒー・カンタータなどで活躍しており、その美声に魅了されました。「羊飼いたちは野にあった」では爽やかな高い声ながら、高音で強くすると伸びがあり、ボリュームが出て華やかな印象もあります。「リジョイス」も自在です。アリア「主は羊飼いのようにその群れを養い」は分厚い低音弦の伴奏に支えられ、アルトと分け合います。アルトの方は表情がよく付いていて低い被せ音で震わせるのは同じですが、ここでは妖艶過ぎはしません。そしてサンプソンが入って来るとそれよりもビブラートを抑え、丁寧に歌って行きます。子供のような声ではなく、やはり少しこもらせる音は使うでしょうか。でも音色の変化を付け過ぎず、落ち着いて進めます。全体におっとりした歌になっている印象です。
合唱こそこの盤の見どころでしょうか。ハレルヤ・コーラスは弦の導入がやさしくやわらかく、合唱もぶつけて来るような元気さではないけど十分に活気があります。ブラスが明るく、管弦楽も厚く、残響があって混然と響くので音としては幾分賑やかかもしれません。中間部では緩める表情も強める表現もしっかりと付けています。アーメン・コーラスも落ち着いて間を取りながら始め、テンポは最後までゆったりめで進行させます。
2007年のコーロ(Coro)・クラシックです。この団体自身の自主レーベルです。音響は上記の通り、残響があって力強さと明るさが感じられるものです。
Handel Messiah HWV 56
Ivars Taurins Tafelmusik Baroque Orchestra & Chamber Choir 2011
Karina Gauvin (s) Robin Blaze (c-t)
Rufus Müller (t) Brett Polegato (br)
ヘンデル / メサイア HWV 56
アイヴァース・タウリンス / ターフェルムジーク・バロック管弦楽団&室内合唱団(2011)
カリーナ・ゴーヴァン(ソプラノ)/ ロビン・ブレイズ(カウンター・テノール)
ルーファス・ミュラー(テノール)/ ブレット・ポレガート(バリトン)
Handel Messiah HWV 56 The Complete Choruses
Ivars Taurins Tafelmusik Baroque Orchestra & Chamber Choir 1998 ♥
Nathalie Paulin (s) Matthew White (c-t)
Benjamin Butterfield (t) Brett Polegato (br)
ヘンデル / メサイア HWV 56 抜粋
アイヴァース・タウリンス / ターフェルムジーク・バロック管弦楽団&室内合唱団(1998)♥
ナタリー・ポラン(ソプラノ)/ マシュー・ホワイト(カウンター・テノール)
ベンジャミン・バターフィールド(テノール)/ ブレット・ポレガート(バリトン)
カナダの英語圏、トロントの古楽オーケストラであるターフェルムジーク・バロック管弦楽団は、録音を出して来た当初より古楽器演奏団体特有のアクセントが少なく、滑らかで自然な演奏が特徴でした。このメサイアもそうした傾向をしっかりと持っている、ある意味その後のピリオド奏法の世代とも共通するところのあるパフォーマンスだと言えるでしょう。楽団が発足したのは1979年で、81年になって室内合唱団が併設になり、アイヴァース・タウリンスがその合唱指揮を担当するとともに、その年からジーン・ラモンが2014年まで音楽監督を務めました。一般によく知られるようになったのはこのラモンによってだろうと思います。他にもブルーノ・ワイルが指揮してハイドンやベートーヴェンの交響曲を録音したりもしています。メサイアについては合唱担当のタウリンスがまとめており、二つ録音が出ています。1998年と2011年です。ここでは後者を中心に考え、録音時期は前後しますがそちらを基準に配置しました。というのは、98年盤は全曲演奏ではないからです。
まず新盤の2011年録音(写真上)です。ソプラノにカリーナ・ゴーヴァン、カウンター・テナーに ロビン・ブレイズが入っています。
シンフォニアですが、旧盤ともよく似た波長の穏やかな運びで、この楽団の特徴は出ていると思います。より間は空ける傾向でしょうか。途中からの切り返しでもアップテンポにしません。
「カンフォーティ」を歌うのはルーファス・ミュラー。1959年生まれのイギリスのテノールです。無理のない発声で落ち着いており、やわらかく包み込むように歌います。強い音も明瞭ながら弾力を保っていて心地良いです。テンポ設定はゆったりしています。
カウンター・テナーはロビン・ブレイズ。1971年のマンチェスター(イギリス)生まれ。鈴木雅明&BCJ のカンタータ全集で活躍しており、魅力においてショルにも劣らない安定した歌唱を聞かせていました。ここでは最初の「見よ、乙女が身籠り」では少しおとなしい雰囲気であり、力を抜いてデリケートに静かめに歌っていますが、「主は羊飼いのようにその群れを養い」の前半部では伸びのびとしていて大変良いです。
合唱の高音は旧盤と変わらずやさしい印象で、全体に丁寧でソフトな歌になっています。ハレルヤ・コーラスも落ち着きがあってやわらかく、大変聞きやすいものです。輝かし過ぎるよりもこのくらいの方がいい気もします。
バスの担当はブレット・ポレガート。1968年生まれでホームグラウンドのカナダ人。朗々と響く明瞭な声で十分力強いながらもバリトンらしく低過ぎず、威圧感がなく、オペラの人ながら作為も感じさせずで気持ちの良い歌唱です。
ソプラノは有名なカナダのオペラ歌手、カリーナ・ゴーヴァン。地元採用は当然でしょう。完全にベルカント・オペラ(正しい呼称ではないけれども)の特徴を感じさせるもので、それはこの人の理想的な体躯を見ても納得できるかもしれないし、そのリッチな雰囲気は正統派を確信させるものです。やわらかい響きの中に力があり、強い音では音色を変えてきらっと金色になります。少し劇的なイントネーションも加わり、このぐらいゴージャスな方がいい人は多いはずです。「リジョイス」は跳ねるようで表情がしっかりとあり、ビブラートも見事にかけます。「主は羊飼いのようにその群れを養い」はカウンター・テナーと分け合い、後半では華やかでボリュームたっぷりの歌唱で満足させます。
2011年の録音は自前のターフェルムジーク・メディアです。しなやかさと自然な響きのある優秀録音です。
1998年録音の旧盤(写真下)の方にも触れます。レーベルはカナダの CBC レコーズとなっています。全曲録音ではなく、いわゆるハイライト盤によくある選曲とも多少違うような、合唱部分を全て網羅した形となっています(タイトルがザ・コンプリート・コーラセズとあります)。全33トラックです。「主は羊飼いのようにその群れを養い」のアリアが入ってないのが残念です。全曲盤はどうもないようで、合唱を中心に考えていて録音してないのか、探せませんでした。その点を除くと演奏・録音面では大変魅力のある盤で、ソプラノも良いけどもう少しバロック唱法的に真っ直ぐで、ネルソン/カークビーやカレン・クリフト、ジョアン・ラン系統の声質だったら完全な好みとなり、オーケストラと合唱は理想的なので♡♡とするところです。
全体に地味かもしれないけどしっとりとした味わいが大変心地良い一枚です。やさしいメサイアであり、シンフォニアは穏やかな出だしです。テンポは昔のモダン・オーケストラのような遅さじゃないにしても適度にゆったりで、しなやかさがあって古楽のアクセントがあまり感じられません。それがやわらかくていいところです。弦もバロック弦ながら艶とソフトさを感じさせる録音となっています。
合唱も軽やかです。「ワンダフル!」の部分(「われらがために幼子は生まれ」)もホールの響きと相まり、やわらかいフレージングでおっとりとしています。力を入れて活気を漲らせるようなものではないので聞きやすいです。合唱の女声の高音部が聖歌的でふわっとしてきれいです。ハレルヤも新盤同様に余裕のあるやわらかい音で落ち着けます。
カウンター・テノールはマシュー・ホワイト。1973年生まれのカナダのカウンター・テナーです。バロックのオラトリオを得意としているようで、これは見事です。安定した声でやわらかく明るい高音の伸びがあります。音程によって意図せず強弱がついたりせず、表情も付け過ぎず自然であり、この演奏の全体の雰囲気に溶け込んでいます。新盤のロビン・ブレイズよりも張りのある部分も聞けるぐらいです。いずれにしてもオペラ系の女性アルトとは対照的です。
ナタリー・ポランもカナダの人で、オペラを得意とするソプラノです。でも新盤のカリーナ・ゴーヴァンほどオペラティックでもなく、やわらかい印象があります。ふわっと漂うような音で力が抜けており、いわゆる天使声(天使に肉声があるとも思えませんが)の系統ではありませんが、高く跳ね上げるところも無理がなく大変心地が良いのです。
テナーのベンジャミン・バターフィールドは1964年生まれのカナダのオペラ・シンガー。弾むように力強く歌う場面では切れが良いですが、不安定さはありません。
バスは新盤と同じバリトンのブレット・ポレガート。低過ぎない声で明瞭であり、劇的な雰囲気よりも良識を感じさせる歌い回しです。軽さもあります。
Handel Messiah HWV 56
Nikolaus Harnoncourt Concentus Musicus Wien
Erwin Ortner Arnold Schoenberg Chor
Christine Schäfer (s) Anna Larson (a)
Michael Schade (t) Gerald Finley (br)
ヘンデル / メサイア HWV 56
ニコラウス・アーノンクール / ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
エルヴィン・オルトナー(合唱指揮)/ アルノルト・シェーンベルク合唱団
クリスティーネ・シェーファー(ソプラノ)/ アンナ・ラーソン(アルト)
ミヒャエル・シャーデ(テノール)/ ジェラルド・フィンリー(バス)
オーストリア出身の古楽の旗手だったアーノンクール(1929-2016)は、特にヴィヴァルディやモーツァルトにおいて独創的な尖った解釈がありましたが、晩年には2010年の来日時のロ短調ミサや2015年の故郷でのミサ・ソレムニスのライヴなど、宗教曲の演奏で深い瞑想的な運びも見せました。メサイアはではどうでしょうか。録音は1982年と2004年に二度しているけれども、円熟味を求めてここでは七十五歳時の後者を取り上げます。亡くなるまでにはまだ12年の時間があるので、上記のミサ録音と同じくライヴではあるけれども最晩年というわけではありません。
基本的にゆったりとした運びでありながら、ヨーロッパ室内管とのベートーヴェンの交響曲全集で聞かれたようなこの指揮者らしい工夫のある表現が聞かれ、同時に厳粛壮麗とも言える演奏です。ボーカルのソロイストたちの選択においては旧盤共々、古楽唱法系ではなくオペラ系の人たちを起用しているのも特徴です。良い意味で外連味のあるメサイアと言えるのではないでしょうか。
シンフォニアからですが、ゆったりとした運びで、所々で弱音に落として緩める方向への表情が付けられています。全体には少し重く宗教的な雰囲気が漂います。ただし遅いテンポ設定は旧盤から同じ傾向です。中間部での速めはあるものの、そこでも力を抜いて運び、最後の部分で間を大きく取って締め括ります。Pifa も物語を盛り上げるオペラの前奏のようです。
「カンフォーティ」の「わが民を慰めよ」は、テノールが出て来ると極端に遅くて驚きます。これは歌い手の考えか指揮者の采配か分かりませんが、オペラ流儀による劇的効果を狙っているとも、聖歌の詠唱のようだとも言えるでしょう。あるいはチタティーヴォらしく語りのように進めているとするのが正解かもしれません。歌っているミヒャエル・シャーデは1965年生まれのカナダのオペラティック・テナーです。声は軽いと同時にマイルドな部分もあり、強いところでは明るくはっきりとします。声質は全体にクリーンな印象です。「全ての谷は高められ」に入っても極端に速くすることはしません。
バスはジェラルド・フィンリーです。1960年生まれのこれもカナダのオペラ歌手ということになります。バス・バリトンです。輪郭のくっきりとした声で表情を十分に付ける歌い方で、明るいフォルテが聞かれてきっぱりとした印象です。
アルトはアンナ・ラーソン。1966年ストックホルム生まれのスウェーデンのアルト/メゾ・ソプラノです。ビブラートを用いて低い音をつぼめ丸める正統のオペラ的な発声で、滑らかでリッチ。一般にはスモーキーなどと評されるその声は低くて肉感的です。詳しい経歴は分かりませんが、ワーグナーを得意とする人のようです。
ソプラノはクリスティーネ・シェーファー。1965年生まれのドイツの有名なオペラ歌手です。バロック・オペラから現代曲までこなしますが、バロックもののこのオラトリオでもオペラティックです。ビブラートも発声もゴージャスで豊満。美しい声で声音の変化を付けます。「主は羊飼いのようにその群れを養い」はアルトとのデュエットです。たっぷりとしており、二人揃ってオペラの物語に酔っているような満足感を与えます。
合唱は濁りが少ないですが人数はしっかりいる印象です。アルノルト・シェーンベルク合唱団はアーノンクールが好んで用いる優秀な合唱団で、透明感と力強さの両方があります。「ワンダフル!」(「われらがために幼子は生まれ」)ではときに自然な流れを中断するほどゆっくりになります。「主のくびきは負いやすく」も大変遅く聞こえます。ハレルヤ・コーラスもゆったりした中に細かい表情と独特の抑揚があり、アーノンクールらしいです(エルヴィン・オルトナーの合唱指揮は練習時です)。多少もったいがついているぐらいに一歩ずつ区切って歩いたりし、ティンパニがくっきりとフレーズを隈取るところもこの指揮者らしいです。締め括りは遅く、ディミヌエンドします。アーメン・コーラスは遅過ぎることはないですが、やはり一歩ずつ揺るぎなく進め、壮麗に終えます。
2004年のドイツ・ハルモニア・ムンディ(DHM/RCA)の録音です。ライヴ収録でスケールが大きい印象です。リッチな響きによって多少合唱ががやがやと聞こえるかもしれません。
Handel Messiah HWV 56
Emmanuelle Haïm Le Concert D’Astrée ♥♥
Lucy Crowe (s) Tim Mead (c-t)
Andrew Staples (t) Christopher Purves (br)
ヘンデル / メサイア HWV 56
エマニュエル・アイム / ル・コンセール・ダストレ ♥♥
ルーシー・クロウ(ソプラノ)/ ティム・ミード(カウンター・テノール)
アンドルー・ステイプルズ(テノール)/ クリストファー・パーヴェス(バリトン)
新しい演奏者で印象的なメサイアです。1962年パリ生まれのクラヴサン奏者かつ指揮者であるエマニュエル・アイムが2000年に結成したバロック・アンサンブル、ル・コンセール・ダストレによるものです。本拠地はフランス北部のリールです。アイムは出自はユダヤ系ながらカトリックとして育った人で、ゾルタン・コチシュにピアノを習い、ハープシコードはケネス・ギルバートとクリストフ・ルセに師事した後、レザール・フロリサンで演奏しました。そしてウィリアム・クリスティの勧めでラトルのアシスタント兼客演演奏家にもなりました。指揮者としての経験もレザール・フロリサンで積んだようです。アンサンブルには合唱部分も含まれます。得意とするのはバロックと17世紀古典派ということです。
オーソドックスながら身軽さのある演奏です。シンフォニアは滑らかで身のこなしが自在であり、新しいフランスの女性指揮者だと言われてみればそうかと思ったりもします。生まれたばかりのように活きいきしたところがあって爽やかです。繊細な幅での強弱の動きが美しく、Pifa もデリケートで、静か過ぎず遅過ぎずに細かな表情を付けます。一方で全体を見渡せばはきはきとした速いパートもあり、若々しい感じがします。まとめて言えばセンシティブで高揚感がある、というように言えるでしょう。
「カンフォーティ」のテノールはアンドルー・ステイプルズ。1979年生まれのイギリスのテナーです。聖歌隊からキャリアを積んでオペラも歌う人です。ゆったりとしてやわらかく、あまり劇的に盛り上げずに雰囲気があります。声も軽く明るく、歌い方もやさしいもので、合わせる伴奏もデリケートで良いです。「全ての谷は高められ」ではテンポが速められるものの繊細さを失いません。全体にこのパート、大変きれいです。
合唱ですが、「そして神の栄光は露わとなり」では嬉々として活気があります。テンポも良くてはきはきしており、高音部の女声がやさしく美しく響きます。「ハレルヤ」も強弱の表情を大胆に付け、明るさと軽快さがあって良いです。合わせる管弦楽は歯切れの良いものです。ラストのアーメン・コーラスに入るとテンポ設定ではゆったりしますが、表情は鮮やかです。皮が張っているのかバチや楽器が違うのか、硬い音のティンパニがルネサンスもののように個性的に前面に出、やはり明るく高揚感があって感動的です。
バスはバリトン音域のクリストファー・パーヴェス。ラター盤と2007年のザ・シックスティーン盤でも歌っています。1961年生まれのイギリス人で、重過ぎず、低い音で押すところがなく、明瞭で明るい印象です。リート的というか、オペラティックではありません。
カウンター・テノールのティム・ミードもイギリス人で、1981年生まれ。幾分女性的な印象の軽く翻るところのあるやわらかめの声で、表情が豊かです。高い音への移行が伸びのびとしており、低いパートでも声がくぐもりません。でも音程がぴたっと動かずクリアという方向ではなく、カウンター・テナーらしくふわっとした歌唱です。
ソプラノはルーシー・クロウ。この人も1978年生まれのイギリス人なので、楽団はフランスなのにソロは全員英国勢ということになります。世代もこれまで取り上げた盤より一回り新しくなっています。クロウはオペラとコンサートを両方こなすソプラノで、適度に高く若々しい声でやわらかもあり、強い音はクリアでよく通ります。「リジョイス」などを聞くとオペラの技法も得意らしく、ビブラートを用い、少しだけ飾りを加えて劇的な表情で翻したりもしますが、声質からか清楚に感じられます。コントロールも効いています。「主は羊飼いのようにその群れを養い」のアリアではカウンター・テナーと競演します。自在に装飾を用い、余裕があって伸びのあるアルトのパートに続き、ソプラノはぱっと明るく輝くプレゼンスです。ティム・ミード同様にやわらかさもありながらよく伸び、艶のある高音で魅了します。自由自在という感じで、上手さでも文句がないでしょう。ラストは4音程を一音ずつつなげて持ち上げて行くオペラ・アリア的な装飾を加えます。
2013年録音のエラートです。音はフレッシュで繊細、全体にはやわらかい響きもあって大変良いです。
Handel Messiah HWV 56
Justin Doyle RIAS-Kammerchor ♥♥
Akademie für Alte Musik Berlin
Julia Doyle (s) Tim Mead (c-t)
Thomas Hobbs (t) Roderick Williams (b)
ヘンデル / メサイア HWV 56
ジャスティン・ドイル / ベルリン RIAS 室内合唱団 ♥♥
ベルリン古楽アカデミー
ジュリア・ドイル(ソプラノ)/ ティム・ミード(カウンター・テノール)
トマス・ホッブス(テノール)/ ロデリック・ウィリアムズ(バス)
これもメサイアの録音の中で大変良かったです。レベルの高い演奏という印象で、ホグウッド盤以降、ラター盤、パールマン/ボストン・バロック盤と並んで新しい方で一番目を引いたものの一つとなりました。指揮をとっているジャスティン・ドイルは1975年生まれのイギリス人で、2017年から RIAS 室内合唱団の首席指揮者をしています。その合唱団の歴史は古く、ベルリンで1948に設立され、2000年代に入ってからは古楽もレパートリーとしています。管弦楽はベルリン古楽アカデミーです。そちらは1982年設立で、前述2006年のヤーコプス盤で演奏している西側のフライブルク・バロック管弦楽団と並んで有名なドイツの古楽オーケストラであり(コンチェルト・ケルンと合わせて三大とも言われます)、古楽ファンとしてはここでの指揮者よりもその名前の方に馴染みがあるでしょうか。元々指揮者を置かないわけで、四人のコンサートマスター(その中にはアニマ・エテルナで活躍していたミドリ・ザイラーもいます)のリーダーシップによって演奏されます。そしてこのように、これはドイツの楽団と合唱団によるメサイアということになりますが、スコアは通常の英語版です。
出だしのシンフォニアは中庸の速さで、楽曲全体を通してもどこも妥当なテンポ設定です。軽快で歯切れの良いリズムが心地良く、隅まで正確で鮮度の感じられる管弦楽です。
「カンフォーティ」でのトマス・ホッブスは教会の合唱団で歌っていたこともあるイギリスのテナーで、バッハなどバロックを得意としています。それがよく分かるように丁寧で簡潔、細かなニュアンスがありつつ軽く爽やかな歌唱であり、この曲のテノールとして最適だと思います。力が入って表現過多になったりしません。「全ての谷は高められ」も活きいきとしています。
バスのパートはバリトンのロデリック・ウィリアムズ。「冬の旅」の名唱が印象的な1965年ロンドン生まれのアフロ=ジャマイカン・ブリテッシュです。これは数あるこのパートの中でもベストの一つでしょう。覇気と弾力があり、明瞭で上品さも感じられます。低い方も透明で深みがあります。
アルトのパートはアイム盤と同じく1981年生まれのイギリスのカウンター・テナー、ティム・ミードです。明るい発声で高い方が溌剌としてよく伸び、低い方については、ここではビブラートのかかった低い女性アルトの含み声のような瞬間もあります。不安定さは感じられず、良いです。
ソプラノはバロックを専門に歌うイギリス人のジュリア・ドイルです。「リジョイス」は跳ね過ぎずやわらかさを残し、低い方にある程度のボディがあって痩せない艶やかな声でありながら、高い方も明るく伸びます。バロックに特化しているだけあってビブラートも適切な扱いで清潔感があり、声音や表情が濃くなり過ぎません。大変良いです。アリア「主は羊飼いのようにその群れを養い」は安定していてくっきりとしたカウンター・テノールと分け合い、可憐さも覗かせます。さらっとしたテンポながらしっかりとしたボリュームは前半と合い、魅力的な歌声の一つです。最後は例の一音ずつ上げて行く装飾の手法ですが、全くオペラティックには感じません。
合唱には高音のやわらかさがあり、適度な弾力が感じられます。「ハレルヤ」ではぶつけて来るような元気良さではなく、穏やかな運びで丁寧な弱音の扱いが聞かれ、管弦楽共々大変上手な印象です。伴奏部分では力強く歯切れるトランペットとティンパニのリズムも聞けます。最後のアーメン・コーラスも力で押すものではなく、艶やかなトランペットに彩られた「屠られた子羊にこそ価値がある」の落ち着きのある運びに続き、余裕を感じさせます。弦もトランペットも艶が美しいです。テンポは中庸でしっとりとした感触を保ったままラストまで運び、過度に盛り上げることなく、意外なほど静かに締め括ります。逆に独特の美を感じさせて感動的です。
2020年録音のペンタトーンです。音響的にも大変素晴らしいです。
Handel Messiah HWV 56
John Nelson The English Concert & Choir
Lucy Crowe (s) Alex Potter (c-t)
Michael Spyres (t) Matthew Brook (b-br)
ヘンデル / メサイア HWV 56
ジョン・ネルソン / イングリッシュ・コンサート&合唱団
ルーシー・クロウ(ソプラノ)/ アレックス・ポッター(カウンター・テノール)
マイケル・スパイアーズ(テノール)/ マシュー・ブルック(バス・バリトン)
オーケストラも合唱も編成が大きく、独唱陣共々オペラティックな盛り上がりを見せるメサイアです。指揮者のジョン・ネルソンは1941年コスタリカ生まれのアメリカ人で、両親は宣教師でした。ジュリアードに学び、メトロポリタンなどオペラを中心に活躍して来ました。交響楽団も指揮し、合唱にも関心を持っています。バッハのロ短調ミサもヘンデルのオペラもやるけれどもベルリオーズを得意としており、バロック専門ではありません。合唱と管弦楽はピノックが設立した古楽のイングリッシュ・コンサートです。音楽監督はピノックの後にアンドリュー・マンゼ、その後がハリー・ビケットであり、ネルソンがその任に就いているわけではなく、ここでは客演です。
大変ゆったりしたテンポで間をしっかりと取った運びのシンフォニアで、フレーズの途中から大きくクレッシェンドをかける表現など、物語的で劇的な雰囲気を醸し出しています。切り返しからはテンポを速め、やわらかい抑揚は古楽器楽団ながらもよりモダンな雰囲気です。Pifa もやわらかいです。
マイケル・スパイアーズは1979年生まれのアメリカのオペラティック・バリ・テナーです。バリトンの声を持つテナー音域という意味で、ロッシーニを得意とするベルカントの人です。「カンフォーティ」はオーケストラがやわらかく、抑揚をしっかり付けて入って来ます。歌のパートはテンポは中庸で、やはりやわらかい入りながらたっぷりとした声で盛り上げもあり、オペラ畑の人というのがよく分かります。瞬間的に強い強調の音も出し、部分部分で表情豊かです。
マシュー・ブルックはイギリスのバス・バリトンです。コンサート・リサイタルの分野で活躍し、特にバッハとヘンデルは得意とするところながら、オペラもこなします。ベルカント・オペラの人ではなくてもメリスマの力強さなど、オペラ的とも言えるでしょう。テナーと波長が合っていて統一感があります。
カウンター・テナーのアレックス・ポッターもイギリス人。聖歌隊の合唱出身で、低い方が丸くやわらかい声で明瞭です。場所の残響(コヴェントリー大聖堂)も加わって響きがきれいです。低い側にレンジが広いという意味ではないけれども女性的な高さはなく、全体にたっぷりとしています。
ソプラノはルーシー・クロウです。オペラとコンサートを両方こなすイギリスの歌手で1978年生まれ。古楽の分野でも多くの専門の演奏者たちと活動して来ました。やわらかく転がす声で、どちらかと言えばオペラ寄りでしょう。跳ね上げる強いところでも細かなビブラートを施します。「リジョイス」では巻き舌的な音が目立ち、フォルテにボリュームがあります。「主は羊飼いのようにその群れを養い」はやわらかく太い声で始まるカウンター・テナーとパートを分け合い、ソプラノ部分に入ると丸くよく震える声がゴージャスです。低いところにアレックス・ポッター同様のやわらかさがあり、適宜装飾も加えていてきれいなオペラのアリアという感じです。
合唱です。ハレルヤ・コーラスは人数が多く、昔のモダン楽器時代の混声合唱団のような雰囲気があり、古楽のコーラスという感じがあまりしないのが意外です。歌い方はやわらかく弾力を持たせたものです。残響のせいもあり、オーケストラ共々スケールの大きな「ハレルヤ」となっています。ラストの合唱も劇的で、オペラの幕間のようでもあり、物語の大団円としてのスケールの大きさが感じられます。アーメン・コーラスもゆったり大きく歌いながら、波のように揺れる動きを加えつつ劇的に盛り上がり、感動的結末を迎えます。
2022年録音のエラートです。イギリスでのライヴ収録で、前述の通り会場の残響が豊かです。やわらかさとスケールの大きさが味わえる録音となっています。
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